私たちは本当はどんな存在なのか まずは思い出すだけでいい! <br>パワフルな愛・悦びに包まれながら 本
もしも仮に「私」が人間なのだったら絶望しかない。防衛しなければならない。防衛が必要な「私」は自分以外は全て敵だという知覚を決して避けられない。今まで一瞬たりとも自分が人間ではなかった事実が、これ以上望まないほどの幸いだ。もしも仮に「私」が人間なのだったら
✨今夜21:00〜基礎固めコース「こうである必要はない」をさせていただきたいと思います。5月ページから入れます。40〜50分程度だと思います。✨今夜21:00〜基礎固めコース#3します。
【2】自分で赦すんじゃないし、自分で訂正するわけじゃない。 そんなもんできるわけない。
自分の見たいように見て自分が考えたいように考えるのをやめない限り本質を見ることはできない。好き勝手をやめない限り、本質は見えない。知れない。だから誰もが「自分で結論付けるのをやめるしかないのか」とわかってくるはずなんだ。とどのつまり、これは全部自分の自作自演・捏造物語だったと理解するのだろう。あの交通事故の乗用車の運転手としての相手とその乗用車とぶつかった旦那さんという2人の間で引き起こったかに見えた物語その物語をどのように見て、解釈して、その上で自分という夢見る心の断片が個人の私というフォギュアを使って、どのように振る舞い演じるかは結局のところ、誰とその物語を見るのか?にかかっているだろう。2012年7月のあの日、あの瞬間、私にとっては選択肢がなかった。「こう見たい」「こう感じたい」もなかった。知覚のレベルで...【2】自分で赦すんじゃないし、自分で訂正するわけじゃない。そんなもんできるわけない。
自分で赦すんじゃないし、自分で訂正するわけじゃない。 そんなもんできるわけない。
先日の勉強会でも話したことなのだけど2012年7月、私の旦那さんが雨の日の夜彼が運転していたHONDAのバイクと現地の看護士(20歳男性)さんが運転する乗用車が衝突した事故で旦那さんの肉体は大学病院に移送され、集中治療室に横たわっていた。自宅にいた私には、警察から連絡が入ったので急いで私も雨の中を車で運転し大学病院に向かった。車内には娘たちと私の母もいた。集中治療室に入ると、彼は口から血を流していた。(拭いても、口内や頭部から流れ出ていたのだろう)警察から電話がきた瞬間から、運転をして集中治療室に入って私が認識をしたこと、決断したこととは間違いなく、これらの【状況・映像のすべて】を映し出しているのは「世界全体を投影している私だ」ということ。誰が被害者で、誰が加害者で、誰が彼を治療してその肉体を復活させる責任があ...自分で赦すんじゃないし、自分で訂正するわけじゃない。そんなもんできるわけない。
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