日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ
筑波久子という「肉体女優」がいたことは知っていたが、見たことはなく、最初に見たのは、川島雄三監督の東京映画の『花影』である。そこでは、彼女は、銀座のクラブのママの山岡久乃や池内淳子の同僚だったのだが、弁護士の有島一郎に金を出させて自分の店を持つちゃっかりした女としてでて来た。その頃か、すぐ後に彼女は、日本を出てアメリカに行ったのである。本当に頭の良い女性だったようで、肉体女優というには、あまりふさわしいようには見えなかった。その第一が、やや舌足らずなセリフと声で、私には、後に初期の主演作を見てもちぐはぐな感じがしたのだ。筑波久子を最初に見た映画『花影』
用があって南区の横浜橋に行ったので、江戸藤に入る。かなり有名な蕎麦屋である。鴨せいろを食べるが、汁がかなり濃い。だが、これが、東京や横浜の昔の蕎麦屋の味だと思った。今は、すべて薄味になっているが、これがもともとの味だと思った。これが東京の味だろう
朝日新聞に、栗原小巻の回想が出ていて、俳優座養成所の卒業公演で田中千佳夫の『自由少年』を演じたことが出ていた。実は、この公演は、友人の下川博、山本亮の3人で見ているのだ。この頃から、3人で劇団を作ることを考えていたのだ。今は、下川も山本も亡くなってしまった。さて、この公演だが、あまり感心しなかった。田中千佳夫の戯曲の観念性を、役者が上手く表現しているとは思えなかったからだ。ただ、かなり実験的な作品で、ところどころで、見る者に話しかけてきたりするなどがあり、驚いたものだ。私は、この田中千佳夫の実験性は、後に唐十郎の劇作に大きな影響を与えたのではないか、と思っている。唐十郎の前衛性と実験性は、能の観世英夫と田中千佳夫からの影響ではないかと思っている。さて、この1966年の養成所の公演は、これが最後で、この後は...『自由少年』を見た頃
大河ドラマの『光る君へ』では、まひろの式部が、散楽に興味を持ち、普通の人々の中に入ってく様が描かれている。普段の自分の公家の生活の他に、人々の生活にも通暁していたとは初めて知った。さて、紫式部とならび、近代の最高の女流作家と言えば、言うまでもなく樋口一葉だと思う。彼女も、若い時は中島歌子の歌塾に通い、公家らの生活にも通じていた。だが、自分で家を持つようになると、生活のために吉原に近い浅草の店で、下層の人々に接したのだ。これが、彼女の作品で、当時の日本のすべてを網羅した素晴らしい作品を生み出した理由だったと私は思う。やはり、社会のすべてを見ることが、作品の価値になるのだと思うのだ。紫式部も、下々の中に入っていた
『文明開化四谷怪談』を見に行くために、久しぶりに下北沢に行く。整備について、議論があったようだが、エレベーターがきちんとしていてよかった。渋谷に戻るが、相変わらず滅茶苦茶で、まだ5年は掛かるだろうと思う。安藤忠雄、早くなんとかしろと思う。下北沢は良くなっていたが、渋谷はひどい
2013年に新国立劇場で、福田善之作の『長い墓標の列』が上演されたとき、私は次のように書いた。1960年代、演劇が好きな連中の中で、いかに劇作家・福田善之の人気がすごかったかは、今の人には想像できないだろう。私が、高校の演劇部に入ると、たまに遊びに来る先輩は、福田が作・演出した劇『真田風雲録』がどれほど面白かったかを語ってくれた。すでに福田善之は、新劇から離れ中村錦之助らの商業演劇に活動の場を移していたが、同時にTVドラマには役者として頻繁に出演していた。テレビマンユニオンを作る村木良彦演出、芦川いづみ主演のTBSの『陽の当たる坂道』で大学教授、NHK大河ドラマでは軍師竹中半兵衛を演じていた。そして、大学の劇団早稲田の劇研に入ると、そこは福田善之の彼単独としては処女作『長い墓標の列』を初演した劇団としての...『文明開化四谷怪談』
この映画は、「死の天使」とよばれたナチスの医師メンゲレに気に入られ、数奇な運命の軌跡を送った少年・ダニエル・ハノッフォの独白である。リトワニアニに生まれた彼は、9歳でドイツ占領を体験し、ナチスの収容所に入れられるが、金髪の美少年だったことで死を免れ、さまざまな労働に従事させられる。そして、連合軍によって解放され、オーストリアからスイス、イタリアで兄と再会し、パレスチナに行く。中では、オーストリアでの迫害がひどかったようで、またハンガリー人のカニバリズムも明らかにされる。対して、イタリア人はきわめて友好的だったとのことは、意外だ。現在は、各地で語り部として活動しているとのこと。まさに20世紀最大の残酷な体験の一つを受けた人間の告白であろう。ただ、驚いたのは、シネマジャック&ベティのベティの、この映画の館は、...『メンゲレと私』
インドの大叙事詩の『ラーマヤーナ』のアニメ版が、3月に横浜黄金町のシネマジャックで上映される。日本とインドのスタッフが協力して製作されたもので、日本での本格的な公開は初めてである。日本中のインドファンは、黄金町で見よう。『ラーマヤーナ』が上映される
横浜の山下ふ頭の再開発が話題となっているが、私はここに「中劇場」と「野外音楽堂」を作るべきと考えている。実は、その運営にいろいろと意見はあるだろうが、現在、横浜市ではかなり文化施設は整備されてきている。中で、完全にないのが野外音楽堂であり、実はこれは、日比谷野音のように、横浜公園に昭和初期から1990年代まであったのだ。そこでは、外国のミュージシャンの公演も行われており、サルサのファニア・オールスターズのライブも行われたそうだ。だが、公園内の平和球場を改築して横浜スタジアムを作る時に、建蔽率が足りないとのことで、有無を言わさずに壊されてしまったのだ。そこで、再開発が計画されている山下ふ頭の基部に整備するのが良いと私は思う。また、基部の反対側の山下公園側には、横浜ボートシアターが接岸しているが、私はこれを包...山下ふ頭には、中劇場と野外音楽堂を
1990年頃の中森明菜の人気は、本当にすごかった。1990年頃、中森明菜の人気は、本当にすごかった。1991年に、私は富士宮市の国際貿易研修センターで、3カ月英語の研修をさせられた。このとき、台湾から男女の若い研修生が、日本語研修の途中に1週間くらい富士宮の施設に来た。その中の女性の格好が、皆明菜ルックだった。また、センターの米国人教師で、阪神のバースにそっくりな髭親父がいて、彼の部屋の壁には、中森明菜のポスターが貼ってあった。「好きなの?」と聞くと「彼女は、非常に上手い歌手だ」と褒めたのだ。だが、その後、近藤真彦との関係の破局、自殺未遂などもあり、21世紀に入ってからは、低迷しているように見える。なんどもスキャダルにあっても、平気のへいざの松田聖子との差は、どこにあるのだろうか。中森明菜の人気
とても面白い映画だった。1955年、ユニバーサルインターナショナル作品で、監督はドイツ出身のダグラス・サークで、アメリカ社会にかなり批判的。ニューヨークのロック・ハドソンが秘書を募集するとやってくるのが、ローレン・バコール。社長のロバート・スタックに合わせると、一目ぼれで求婚してしまう。飛行場に行けば考えが変わると言い、飛行場に行くと自分で操縦し、本社のテキサスではなく、アカプルコに行き、ホテルに泊まることになる。テキサスの本社は石油会社で、スタックの父親が石油を掘り当ててできた会社なのだ。その金持ちぶりがすごいが、スタックはアルコール依存症で、それも町の上流が来るカントリークラブで出す正規のバーボンではなく、西部劇に出てくるような酒場でのコーン・ウィスキーを愛好する始末。彼の妹は、色情狂で、町の男を誘惑...『風と共に散る』
今朝の朝日新聞に、JAXAの配信曲に『横浜市歌』が使われ、市民に親しまれていることが書かれていた。その理由は、この曲は、曲、つまりメロディー先行でできたからなのだ。横浜市が、森鴎外に作詞の依頼に行ったとき、彼は言った。「曲を先に作ってくれ、それに私は合わせて詩を書くから」南能衛先生が曲を書き、それに森鴎外が詩を付けたので、意外に歌いやすいのである。近年の若者の歌は、おじさんは歌えないとの声があるが、それは、彼らの歌が、曲先行だからなのである。森鷗外には、いろいろ問題もあるのだが、この曲先行はすごいと思う。『横浜市歌』は、曲先行だった
おそらく世界中のアイドル映画の中で、もっとも変わった映画だと思う。近藤真彦と中森明菜のアイドル映画なのだが、その中身は臨死体験なのだ。それは、映画製作を任された舛田利雄が、脚本の笠原和夫にいくつかの臨死体験があることから、そこを核にしてドラマを作ったのだ。中森は、心臓疾患で、治療不能で、勝野洋の病院に入院してくる。両親はいなくて役所に面倒を見られているとのことで、生活保護だろう。一方、近藤はカー好きのメカニック少年で、友人と改造車を走らせているとき、貨物トラック運転手らと争いになり、友人はトラックの下敷きで死んでしまうが、近藤は奇跡的に生き残る。明菜は、小泉八雲の「耳なし抱一」が大好きで、同じ病室の認知症の老女北林谷栄に聞かせたりしているが、ついには抱一の霊が出て来て、明菜と対話するようになる。この辺は、...『愛・旅立ち』
世界の石油王に、アルメニア人のガルベンキアンがいた。彼「ミスター5%」と言われ、世界中の原油の利権に関わり、5%づつの利権を確保した。そして、ポルトガルのリスボンにガルベンキアン美術館を作った。1990年に、パシフィコ横浜で行われる国連ピースメッセンジャー都市会議への誘致のためにリスボンに行ったとき、そこを見に行った。世界中の美術品が展示されていて、日本の物もあったが、くだらない物もあり、玉石混交そのものだった。骨董品などは、そうしたものだ。だが、すごいと思ったのは、この美術館に付属のオーケストラがあることだった。当時は、世界でここだけだったと思う、今はどうか知らないが。ガルベンキアン美術館
1958年の日活映画で、主演は葉山良二と筑波久子で、この頃の二大スターである。脚本は松浦健郎で、監督は阿部豊と当時は売れっ子だった連中だが、娯楽映画としては普通の出来である。阿部豊は、戦前は大監督だったらしいが、なにも残っていないので不明。まあ普通の娯楽映画の監督だった割には、名声があったとでも言うべきだろうか。戦時期、戦後の新東宝の作品はろくなものがないが、これはましな方だと思う。飯坂温泉に行く列車内で、葉山と筑波が知り合うが、互いに何者かは不明。東京に筑波が戻って来て、働いているキャバレーのラジオで、葉山の放送を聴き、大学の東洋史の教授であることを知る。二人は、互いに引き合い、会ったりするが、筑波の身元はなかなか知れないが、南田洋子らが、ある晩「新宿女子大同窓会」と言っているので、新宿の赤線にいた女で...『仮面の女』
朝日新聞に前田美波里の回想が載っていて、アメリカのテレビで『ゴジラの息子』を見て、彼女の父親と再会したことが書かれていた。この『ゴジラの息子』を五反田の映画館で見たが、客は出演者の100分の一の25人くらいしかいなかった。これでは、元は取れないなあと思い、映画界は大変だなあと思った最初だった。私は、『ゴジラの息子』ではなく、内藤洋子の『君に幸福を』を見に行ったのだが。観客が100分の一だった『ゴジラの息子』
『光るの君へ』は、脚本が大石静で、なかなか面白いが、昨日は参った。若い貴族たちが、漢籍の講義を受けていて、質問されると、なんと一人が「ヒントは・・・」と言う。平安時代に、英単語があったのだろうか。驚く。しかし、NHKの大河ドラマで、スタッフ・キャストは、数十人いると思うのに、気づかなかったのだろうか。これでは、あのバカな立花孝志に批判されても文句は言えないだろうか。「ヒント」には参る
山田朗先生の『昭和天皇と皇弟たち』を聞いていると、非常にいろいろな発見がある。その第一は、昭和天皇は、日本、世界のすべてを知っていたということだ。多くの国民は、天皇は君側の奸によって日本国の実情から妨げられていて知らないと思っていたが、まったく逆だった。この誤解の上でクーデターをやったのが、2・26事件の青年将校らだったわけで、実に悲劇的なことだった。太平洋戦争期になるとそれは、さらに進み、ミッドウェー海戦の大敗北を、東條英樹首相が知らなかったのは有名で、そのために東條は、軍令も自分の手にいれた。このために、「これでは東條幕府だ」と批判されたほどだ。もちろん、昭和天皇はすべてを知っていて、ミッドウェー戦の直前の珊瑚海海戦は、ほぼ引き分けだったのだが、「こういう時は、徹底的に戦って勝つべきだった」と的確な指...なんでも知っていた昭和天皇
先週、テレビを見ていたら、「歌会始」を中継していたが、これこそ日本の天皇制だと思った。言ってみれば、紅白歌合戦とレコード大賞を昔から主催していたのが天皇で、実に素晴らしいことだ。天皇制は、実に文化的な存在であり、政治に無関係だったからこそ、古代から続いてきたのだ。このことを見抜いていたアメリカ人がいる。戦前に大使として長く日本にいたジョゼフ・グルーである。彼は言っている、「日本の天皇は、ハチの巣の女王蜂である。特に大したことはしていないが、女王蜂がいなくなれば、ハチの巣は崩壊する」と。「だから、天皇を廃止、あるいは裁判等に掛けると、日本は大混乱になり、共産化するだろう」この助言は、アメリカ政府を納得させて、東京裁判では、天皇はまったく対象とされなかった。そして、昭和天皇は東京裁判の結果について、「これで良...歌会始と女王蜂
日本共産党の代表が田村智子さんになり、共産党で初めての女性代表と報道されている。だが、もう一つの初めてがあり、それは初めての東大卒以外の代表なのだ。かつて野坂参三は、慶応大卒だったが、スパイ容疑で除名されているので、正式な代表は全員東大卒だったことになる。大日本帝国の天皇の官吏を養成するべき東京大学の卒業生が、歴代の日本共産党の代表だったのだ。日本国民をリードし、指導する「前衛たる者」である共産党なので、それも正しいことだったのだろうか。これで、自民党と共産党の双方の代表が早稲田大学となったのは、喜ばしいことなのだろうか。初めて東大以外が、代表に
1972年に、横浜市役所に私が入ったとき、まだ東神奈川の庁舎にいたという人が多くいた。「夏になると暑いので、守屋のおっさんが市場から氷を買ってきて、議場に立てたんだよ」と次長の有坂さんが言っていた。守屋のおっさんとは、守衛さんの親分で、この守衛さんにはいろいろな人がいた。あるとき、私が市会事務局の旅行会の幹事になり、どこかに行った。すると、守衛さんの一人が喧嘩を始めて、倒れて額から血を流しているのだ。幹事長の課長に報告して聞くと、「酔ってけんかしたのだから、醒めれば治る」とのことで、その通りだった。おそらくは、運転手の誰かと喧嘩したのだと思うが、この運転手と守衛は非常に仲が悪かったのである。どちらも、事務職と違い、さまざまな経緯で市会に入った人たちだったので、いろいろな思いがあったのだと思う。この喧嘩をし...東神奈川時代の市庁舎
1958年に新東宝から公開された映画だが、元は1949年6月に東宝から公開された『びっくり5人男』を美空ひばりの主演作のように見せて再編集して公開された問題作。新東宝は、この手の改作が得意で、およそ著作権法無視だが、溝口健二の名作『西鶴一代女』も改作されて再公開されていて、このときは監督協会が新東宝に抗議したそうだ。だが、新東宝にみならず、大松竹や大東宝も、改作・再編集は多くやっているのだ。松竹の看板商品というべき『愛染桂』ですら、完全版はなく、今あるのは総集編と言うインチキ版のみなのだ。『愛染桂』は、全部で4部あるのだが、現存の版では、1,2部と3部を再編集したもので、田中絹代が歌舞伎座で歌って終りだが、本当は京都に逃げた彼女を上原謙が追ってきたり、最後は中国に行ってしまうのもあったのだそうだ。また、東...『ラッキー百万円娘』
元日活の監督の西河克己は、「メロドラマは、『君の名は』や『風と共に去りぬ』などのように、戦争や革命などの大事件がないと成立しない」と言っている。先日見た映画『花扉』は、1961年で、戦争も革命もない時代であり、佐々木功と初名美香のメロドラマは、どこか時代遅れにみえた。唯一笑えるのが、佐々木功の母の沢村貞子の演技で、元夫の上司だった人の妻三宅邦子がやっている料理教室で働いてゐるが、できる料理が「いなり寿司」だけで、お情けで雇ってもらっているとしている。だから、三宅邦子の娘の瞳麗子が、佐々木に惚れて結婚を願っていると、「なんとかしてくれよ」と佐々木に懇願する演技がまことに凄い。後に、料理上手で有名になる沢村に、いなり寿司しかできない女とするのはどうしたものなのだろうか。全体に、ここで描かれているのは、テレビ界...西河克己説の正しさを再確認
一昨日、松竹の1961年の『花崖』を見ていて、主人公の四一財閥の娘初名美香の父親は、四一財閥の当主で、なにもしていないのは笠智衆で、自分でなにもしていない、と言っている。それは、小津安二郎の遺作の『秋刀魚の味』でも同じで、川崎の石油会社の監査役の笠智衆は、女性秘書らからは、「だれも見ないのに、きちんと見ている」とうわさされているほど無意味な存在である。戦後の松竹映画の笠智衆は、無力で無意味な男、父親だったと思う。だが、それが戦中期までの日本の父親だったように思うのだ。無権力で無意味な存在、まるで天皇のように思える。「無力の王・笠智衆」
1972年のミユンヘン・オリンピックの記録映画で、8人の監督が作っている。市川崑、クロード・ルルーシュ、アーサー・ペン、ミロシュ・ホアマン、ジョン・シュレジンジャーなどで、それぞれが、男子100メートル決勝、レスリング、棒髙とび、十種競技、マラソンを担当しているが、マラソンだけは、イギリスの選手ロン・ヒルを追っているのは、監督がイギリス人だったからだろう。だが、このときの金メダルは、アメリカのショーターだった。もちろん、アラブゲリラのイスラエル人選手襲撃事件も出てくる。中では、やはり市川崑とアーサー・ペンのが良いが、ミロシュ・ホアマンの十種競技も、わざと民俗楽器を付けたりして牧歌的にしている。オリンピック映画と言えば、ベルリンのリーフェンシュタールの『民族の祭典』と、市川崑の『東京オリンピック』が最高だと...『時よ止まれ。君は美しい』
1973年に松竹で、黒澤明版の『野良犬』をリメイクしたこの作品は、あまりできは良くなかった。この映画の題名だが、長嶋茂雄が学生時代に後輩に向かって、「黒澤明の「のよしけん」はいい映画だから見に行け」と言ったという都市伝説があったが、久保田次郎の本に本当に書いてあることだ。久保田は、かなり虚言壁のある人だったようだが、これは本当らしい気もする。さて、ここでは志村喬・三船敏郎の刑事コンビの代わって、芦田伸介・渡哲也になっている。芦田の妻は赤城春恵で、娘は松坂慶子。しかも、同じ署ではなく、渡哲也は目蒲署、芦田は警視庁の監察部門の刑事になっている。渡が、数人の若者に拳銃を奪われ、それで撃たれて、逃亡される。秘密捜査が進められて、その間で横浜の海浜地区に住む沖縄の若者たちであることがわかり、さらに立川での事件で拳銃...『野良犬』森崎東版
今日から大相撲が始まるが、今場所も北の富士の解説はないようで、大変にさびしい。さて、その北の富士だが、まだ幕内上位の頃、彼とお見合いをしたことがあるという若い娘に会ったことがある。私が、まだ故下川博や大高正大らと芝居をやっていた1970年代中頃で、横浜映画放送学院の生徒の一人だった。可愛い子で、おかあさんが、いわゆるタニマチ的な人だったらしく、その関係で会ったようだ。聞くと「カッコ良かった」と言っていた。もちろん、結ばれず女優の卵だったが、その後どこの世界で孵化したのかは、まったく知らない。北の富士の健康は良くないのだろうか、少々心配である。北の富士とお見合いしたひろみさん
1954年に、野村芳太郎が監督した美空ひばり映画で、大島渚が最初に助監督として付いた映画である。野村は、この年に、美空ひばりで『伊豆の踊子』も撮っていて、これは戦前に五所平之助が田中絹代で作って以来の2本目の『伊豆の踊子』で、この後鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵と若手女優の作品となる。この野村芳太郎作品で注目されるのは、美空ひばりに一切歌を歌わせず、役者としてちやんと演技させていることだ。これは、五所の映画『たけくらべ』でも同様である。話は、東京の住宅街に住む高校生のひばりの物語で、父は貨物船長の笠智衆、母は三宅邦子で、そこに笠の妹で、出戻り女の桂木洋子、さらに中学生の弟もいる普通の家庭である。なかでは、彼らは居間でスクエアダンスを踊ったりしていて、ひばりはきわめて自然な演技を見せている。私が見...『ロマンスシート・青草に座す』
吉田日出子について、以前書いたので、以下に再録します。新聞に週刊誌の広告で「吉田日出子が病気」と出ていたので、夕方に隣のコンビニで週刊現代を買う。外傷から来た脳の高次機能障害だと言う。以前見た寺山修司原作の『上海異人娼館』について、私は次のように書いた。体が非常に良くないのではと思ったが、やはりそうだった。『上海異人娼館チャイナ・ドール』2012年11月08日 演劇やはり脚本がきちんとしていないとだめということの典型の作品。寺山修司が、『O嬢の物語』を原作に1981年に日仏合作で映画化したものを基に、プロジェクト・ニクスが劇化し、毬谷友子、中山ラビ、水嶋カンナ、蘭妖子、フラワー・メグらの他、特別出演格で吉田日出子までの豪華キャスト。寺山の映画は、フランスのアナトール・ドーマンの製作で香港で作られ、寺山も非...吉田日出子について
朝日新聞の朝刊に、前田美波里の「人生の贈り物」で、初舞台前後のことが書かれていた。15歳で、東宝ミュージカル『ノーストリングス』のオーディションに合格して初舞台に立つ。この時の公演を私の姉が見ていて、後に「すごく目だった」と資生堂のポスターで有名になった時に言っていた。この三番目の姉は、高卒後自動車会社に入り、比較的早く社内結婚し、幸福な生活を送っていた。昨年には夫を85歳で病気で亡くしたが、二人の子に囲まれて元気である。さて、前田の話に戻ると、彼女はバレーは、3歳から習っていたのでなんなくできたが、ジャズ・ダンスはできず、そのシーンになると別の人が踊ったそうだ。これはよくあることで、私も1988年に翌年にパシフィコ横浜で行われる「国連ピースメッセンジャー都市会議」の誘致に、オーストリアのウィーンに行き、...「自分より目映えるから困る」
1989年10月に、中国の上海市で、「1989横浜工業博覧会」が開催され、横浜市の代表団の一人として、私も鈴木喜一議長に随行し、約2週間中国に行った。初めての海外旅行で、当時は東京に住んでいたので、有楽町のビルにあったセンターで最初のパスポートを取った。当時は、まだ成田空港の警備は厳戒体制で、全団員が飛行の前日に成田空港内のホテルで一泊して、翌朝に上海に向かった。飛行場では、例によって熱烈大歓迎で、「これか・・・」と思ったものだ。翌日から公式行事がいろいろとあったが、約1週間で無事終了して、中国各地への視察に移った。この頃は、文革は終わっていたが、まだ毛沢東は正しいという時代で、華国鋒時代と言われる過渡期で、まだマルクス、レーニンにならびスターリンの肖像が掲げられていた。ただ、上海市の幹部の人の話を聞くと...桂林の『おんな港町』
美空ひばりを大島渚が監督した映画などない。ただし、大島渚が、松竹に入って最初についた助監督の1本目と2本目が、美空ひばり主演映画なのだ。1本目は、野村芳太郎監督の『ロマンスシート・青草に坐す』で、2本目は萩原徳三監督の『娘船頭さん』で、どちらもたぶん、サード助監督だったと思う。この内、前者のチーフ助監督は杉岡次郎で、後者は、福島二本松藩の城主の息子の二本松華瑞なのである。二本松は、後に『ギララ』や『昆虫大戦争』を撮った方でもある。萩原監督については、大島は「彼は良い映画を撮れるでしょうかね」と師匠の大庭秀雄さんに聞き、「もちろん無理」との評価を得ている程度の作品である。そこでは、ひばりは、水郷の船頭・市川小太夫の孫で、兄は片山明彦のラジオ少年で、小太夫の意見に反して東京の工場に行くが、事故で手を負傷して戻...美空ひばり・大島渚映画、2本
元高秀秀信市長時代に、助役となった方に、女性の音楽学者の斎藤龍さんがいた。この人には、著書として『横浜・大正・洋楽ロマン』があり、読むと仰天したことがある。当時は、私も市職員だったので、自重してなにも書かなかったが、どんでもない間違いがあるのだ。それは、幕末のアメリカのペリーが横浜等に来航したとき、その楽団の楽器にギターがあったと書いてあることだった。「幕末のアメリカにギターがあったはずはない」のだ。ギターは、アラブのリュートが起源で、それが中世にスペインに渡り、ギターになったのだ。だから、アメリカ大陸には、カリブ海地方から入ったので、アメリカの民衆音楽の楽器になったのは、19世紀末になってからなので、日本の幕末に来たペリー楽団にあったはずはないのだ。それは、日本側の記録では「黒奴踊り」とされていて、今日...斎藤龍助役
高秀秀信市長など、有名な方以外でも、記憶に残る人はいる。その一人が、34代目の横浜市会副議長の有山睦夫さんである。社会党で、戸塚区から出ていて、元は重電機メーカーの東洋電機だった。この人は、短足胴長、禿げ親父で、中年太りの典型だったが、女性にはもてて、私は聞いたことはないが、「千人斬り」を自称していたそうだ。ただ、井上市会事務局長は、「全部玄人、金だろう」と軽蔑していたが。ともかく酒が好きで、そして宴会で歌を歌うことがもっと好きだった。なにしろ、喉が閉まるからというので、午後はほとんど水分を取らないのだからすごい。唄う歌は、八代亜紀のものが多かったと思う。当時のことで、8トラックカラオケだったので、いつも頭出しに苦労させられたものだ。8トラックカラオケなど、もう憶えている人も少ないだろうが、カーステレオの...有山睦夫先生は
山本功児は、日本プロ野球史上でもっとも不運だった選手の一人だろうと思う。なにしろ全盛期の巨人の王貞治選手の控えだったのだから。プロ入りまで[編集]実家が当時の南海ホークスの練習場であった中百舌鳥球場と選手寮(秀鷹寮)の近くでパン・菓子屋を営んでおり[3][4]、幼少期は南海選手から可愛がられていたと、皆川睦雄が野球中継解説時に語っている。また、実父は当時の監督であった鶴岡一人と懇意にしており、二軍選手はもちろんのこと、上記の皆川以外にも杉浦忠、穴吹義雄、野村克也らの主力選手もからもよく声をかけられていて、「功児、合宿所に遊びに来い」と度々誘いを受け、選手寮の食堂で選手たちと食事をともにするだけでなく、帰る前に湯船に浸かっていくこともあったという。その中でも特に可愛がっていたのは穴吹で、堺市の浜寺公園にあっ...山本功児選手とは
私は、高秀秀信元横浜市長とは、ほとんんど関係がなかった。あったのは、二つだけで、「横浜市で、サミットをやりたいと、渡辺美智雄外務大臣に言われたので、パシフィコ横浜で可能か、調べてくれ」と言われた時だった。これは、若竹馨さん、長田徹也さんの3人で、直前に行われたカナダのトロントサミットを調査に行くことになった。もう一つも、国際室にいたときで、韓国総領事に招待されて、臨時領事館に、高秀市長夫妻に国際室長に隋行こうして行った時だった。そこで、いただいた韓国料理は非常に美味しかったが、一番憶えているのは、高秀市長が「家では、おしんこを作ってくれないので、食べらいんだよ」と言ったことだった。奥さんは、かつて「頭が真っ白になった・・・」発言で有名になった大阪の某料亭の方の妹さんなのだ。高秀さんが、大阪府の副知事をやっ...高秀元市長の奥さんは
昨日からNHKの『大河ドラマ』が始まり、脚本化は、大石静だった。彼女は、売れっ子のシナリオライターだが、2016年に元ロッテの山本功児選手がなくなったときに、以下のように書いた。山本功児は大石静と付き合っていた2016年04月26日 野球法政大学から巨人に入り、さらにロッテでも活躍し、後には監督も勤めた山本功児が亡くなられたが、彼は大学時代、女性脚本家の大石静と付き合っていた。彼女の本に自慢げに書かれている。付き合っていたといっても、セックスはもちろん、手も握らない関係だった。二人は大阪で、幼馴染だったそうで、大石は当時大流行の小説『人間の条件』が好きで、山本君に読むことを薦め、まじめな彼はちゃんと読んだそうだ。ご苦労様というしかないが。ともかく当時の大学生の関係は、清く正しいものだったのである。今では到...山本功児は大石静と付き合っていた
放送大学で、映画『シェーン』が放送された。中で、悪漢たちに戦いに行こうとする主人のジョーに対して、シェーンが、「お前では役不足だ」という。これは明らかな誤用なのだ。ここは、「役者が不足」と言うべきであり、でないとジョーの方が、悪漢たちよりも強いことになってしまう。前にも、これは指摘したが、放送大学と関係者には、正しい日本語を知らない人が多いのだろう。宮本陽一郎先生は、日本語を知らない
田中裕子が嫌いなので、見ていなかったが、ここではまあ悪くなかった。監督の三村晴彦の演出力だろう。彼は、早稲田の劇団自由舞台にいたそうで、鈴木忠治らが抜けた後の世代である。脚本に加藤泰が入っているので、下層の人間の田中や、土工の金子研三らをきちんと描いているのはさすがで、加藤の性か、汐路彰が旅館の親父で出ている。話は、戦時中に起きた土工の金子研三殺しで、刑事の渡瀬恒彦が、娼婦の田中の仕業と決めつけたが、本当は少年の犯行ではないかと考えなおして、その回想記を出すが、その会社の社長が、少年が大人になった平幹二郎という偶然。ここは、偶然なのか、渡瀬は、目星をつけていて、本の制作を依頼したのかは、よく分からない。医者の加藤剛を含め、平、渡瀬、さらに三村晴彦とみな死んでいるが、金子研三はどうなのだろうか。黒テントの後...『天城越え』
朝ドラでやっている『ブギウギ』で、笠置シズ子の夫となる吉本興業の御曹司は、結核で死ぬとは初めて知ったが、結核菌は、人間の若い細胞が好きなのだ。古代から結核はあったが、近代になり、都市に人間が集中するようになると大流行する。それは、世界の大都市に労働人口として若者が出てくるようになり、過剰な労働で過労になると結核菌に感染し、病気になるのだ。明治期の日本でも、石川啄木、二葉亭四迷、樋口一葉、正岡子規などみな結核で死んでいる。それは、結核菌が、若者の細胞が好きだからなのだ。私が、1970年代に横浜市役所に入ったとき、「20代で、結核で倒れて療養したことがある」という方が沢山いた。その方は、その療養所の看護婦さんと結婚したのだった。まるで小説みたいだが。結核菌は・・・
『昭和残侠伝・血染めの唐獅子』で、昭和2年に東京で行われた博覧会のことが出て来た。ただ、これは大正3年に上野や青山で行われた「大正博覧会」のことをもとにしていると私は思う。そして、この大正博覧会には、黒澤明の父黒澤勇氏が、理事をしていた日本体育会と体操学校も博覧会に出展し、大赤字を喫していた。当時は、不況で仕方がなかったのだと思うが、同会の赤字は、経理担当理事黒沢氏の責任だとして、同会では厳しく責任が追及され、その結果黒澤勇氏は、理事を首になり無職になってしまった。だから、それまで南品川に住み、高輪の上流階級の子弟の森村学園に行っていた黒澤明吾少年は、同校をやめて、文京区の公立学校に行くことになる。社会にセーフティーネットがなかった当時では、普通のことだった。このとき、黒澤家を支えたのは、兄黒沢丙吾こと、...『昭和残侠伝の博覧会』と黒澤明
『レコード大賞』と『紅白歌合戦』を見て感じたのは、ニューミュージックも、演歌もかなり変化してきたのではとの感じだ。中村とうようさんの「30年説」のとおり、ニューミュージックも30年以上が過ぎて、違うものに変化していると思う。それは、音楽と言うよりも、集団演技伴奏曲と言ったものに代わっているのではないか。時代が変われば、音楽が変わるのの当然なのだ。それにしても、都倉俊一の『蛍の光』の指揮は実に不愉快だ。『レコード大賞』『紅白歌合戦』を見て
正月なので、「姫はじめ」として、日活ロマンポルノを見る。白井伸明監督の『房総ペコペコ節』で、ある漁村の話で、主人公は、村の網元小松方正の娘の星まり子である。その村では、ある男甚太郎の渋谷謙三が密猟をしていると噂になっているが、星は、彼が好きである。村の娘たち、山科ゆりらと漁師庄司三郎らとの挿話もあるが、主題は星と甚太郎との恋である。甚太郎の父も祖父も漁師だが、もともとは地元の人間ではなく、紀州から来たとのことで、村ではよそ者扱いされている。関西の方が、漁業の手法が進んでいたとは有名なことで、佃島の漁師も、元は徳川家康が、大阪の漁師を引っ張って江戸に住まわせたもの。だから神社が、住吉神社になっている。さて、星に、実際の鯛漁を見せる。それは、強く海面を叩くもので、すると大量の鯛が海面に浮上してくるので、そこを...『房総ペコペコ節』
どこかの批評で良いと出ていたので、大塚の名画座で見た。非常に良いと思ったが、当時はビデオなどなかったので、まず音楽のLPを買ってフランシス・レイの音楽を楽しんだ。その後、ビデオが出ていると知って、初めてネットで買った物である。なんども見ているが、やはり面白い。マリア・シュナイダーの少年のような体つきが非常に軽くて心地よい。監督がルネ・クレマンなので、筋が交錯していて始は分かりにくいが、マリア・シュナイダーと同居している元女優のシドニー・ロームが、男優のロバート・ヴォーンと妻の企みで、大富豪の息子を誘拐して、ある屋敷に閉じ込めようとし、そこにシッターとして雇われているシュナイダーが来る。最初は、誘拐犯の一味と疑っていた息子も、彼女は関係ないと分かり、二人で屋敷からの脱出を試みるが上手く行かないが、もちろん最...『危険なめぐり遭い』
午後、初詣に近所のお三の宮に行くと、50人くらいの列で、とうてい私には無理なので、裏の堰神社にお参りする。その名の通り、ここは横浜の埋立の始まりなのだ。さて、夕方戻ってテレビを見ると、能登の地震ばかりで、詰まらないのでユーチューブを入れると日活の予告編があり、『紅の流れ星』をやっているので、ビデオを見るが、やはり面白く渡哲也としては、最高の1本ではないかと思う。『紅の流れ星』は、よく知られているように舛田利雄自身の監督作品、石原裕次郎主演の『赤い波止場』のリメークであり、神戸を舞台にしている。だが、日活も後期で、予算が不足していたのだろう、本当に神戸に行ったと思われるのは、主演の渡哲也、浅丘ルリ子、松尾嘉代、榎木兵衛ら数人であり、杉良太郎以下のチンピラは、横浜ロケで済ましている。ここは、完全に横浜港のはし...『紅の流れ星』
12月30日は、『レコード大賞』、31日は、『紅白歌合戦』を見る。ご意見はあるだろうが、日本の芸能の象徴であり、皇室の『歌会始め』と合わせ、いかに日本が平和な文化国家であったか、また現在もそうであるかの象徴である。ただし、『紅白歌合戦』の最後の『蛍の光』の指揮を右翼的な都倉俊一がやったのは、不愉快だったが、文化庁長官であり、他にはいないのだろう。1960年に始まったレコード大賞は、中継を見ている。水原弘を兄が好きだったので、一緒に見たのだと思う。そして、長い間、「レコ大」は、帝国劇場で、「紅白」は、東京宝塚劇場でやっていた。6時から9時までが、レコ大で、9時からが紅白だったが、帝劇と宝塚なので、あるいても10分くらいで、レコ大の受賞者が、紅白の入場行進に並んでいるなんてできたのだ。ところが、NHKが内幸町...『レコード大賞』と『紅白歌合戦』
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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。日本にも興味深い人間はいた。陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。職人芸の日本映画
夜、確定申告を終える。去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。確定申告、終了
「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。その度胸には、大変に驚いたものだ。正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたの...3月は、31日では終わらないんです・・・
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。『赤いハンカチ』のラストシーン
映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。ウィーンについて
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる...『第三の男』のリメイクは
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。それも大映京都の時代劇である。浅野寿々子1957.07.30十七才の抵抗日活...可奈子の幼少時代1958.11.15赤胴鈴之助黒雲谷の雷人大映京都...しのぶ1958.12.21赤胴鈴之助どくろ団退治大映京都...しのぶ1959.11.22薄桜記大映京都市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。桜の映画と言えば
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。美しい花見の映画
今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。誕生日に思う
五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。同じ動脈乖離だが・・・
まるで、大島渚の映画『青春残酷物語』みたいだと思う。映画では、桑野みゆきは高校生で、川津祐介は大学生だったのだが。この映画では、桑野と川津の方が死んでしまうのだが。川津祐介も、桑野みゆきの姉久我美子の元恋人で医者の渡辺文雄もとっくに死んでいて、監督の大島渚も、撮影の川又昂も、音楽の真鍋理一郎も亡くなられている。その後、結婚して引退した桑野みゆきは、ご健在なのだろうか。MSN.COMSNSで美人局、大学生を転落死させた疑い中学生3人を逮捕・通告SNSで知り合った20代の男性から金を奪おうとし、逃げようとした男性をビル4階から転落させ、死亡させたとして、大阪府警は7日、大阪市中央区の中学2年の少女(14)と堺市北区の中学3年の少年(15)を強盗致死の疑いで逮.....まるで映画『青春残酷物語』みたいだ
東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。40年前の「贅沢三昧」
この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるよ...『高鳴る心の歌』朝妻一郎
大谷将平の結婚話で、マスコミのすべてが占領されているが、実は大谷選手のご両親は、横浜にいたのだ。彼の父親は三菱重工横浜の野球部にいて、レギュラーの選手だったが、そこでバドミントンをやっていた女性と知り合って結婚して生まれたのが、大谷翔平君なのだ。彼は、非常にまじめで親の生き方をよく見ていると思うので、結婚相手は、彼の母親のような方ではないかと私は推測する。こんなことは、本来関係者だけの問題で、大谷ではないが、「皆さんがうるさい」ことに他ならないのだ。大谷の両親は横浜にいた
これも笑いはなしで、あろ日、佐藤栄作首相が聞いたそうだ。「なかそね、みき君はどうしているかね」秘書は言った、「中曾根康弘氏と三木武夫氏は・・・」「違うよ、仲宗根美樹君のことだよ」後に沖縄返還に尽力された佐藤栄作氏の言葉のようだ。佐藤栄作が言った「なかそね、みき君はどうしているかね」
歌手の中曽根美樹が亡くなったそうだが、結構映画にも出ている。また、吉永小百合、浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』では、この二人が仲宗根の『川は流れる』を唄っている。この映画では、今テレビの朝ドラの主人公の笠置シズ子が、吉永と病院の同室の患者の叔母さんとして出ている。この頃、笠置は歌手をやめていたのである。仲宗根美樹1963年(キングレコードの広告)映画[編集]うるさい妹たち(1961年大映)東海一の若親分(1961年東映)海猫が飛んで(1962年松竹)しのび逢い(1962年松竹)太平洋戦争と姫ゆり部隊(1962年大蔵映画)川は流れる(1962年松竹)その結婚異議あり(1963年大映)独立美人隊(1963年松竹)魚河岸の旋風娘(1963年松竹)BACKSTAGE/バックステージ(2001年日活)仲宗根美樹、死去、79歳
昨日は、106年前に2・26事件がおきたときで、この時期になると「新資料」が出て来たものだが、この数年はない。さすがに100年も経つと関係者はもとより、遺族ももういなくなったからだろう。さて、この事件は、戦前の最大の事件の一つであり、日本の近代史の問題点の集中である。それは、日本は大日本帝国憲法で、一応立憲君主制を定めたが、思想的には前近代的な「君民一体」思想を持っていたからだ。日本は、天皇を祖とする大きな家族であるという神話で、個々の日本人と天皇は、もとをただせば同じと言う馬鹿げた考えである。人口学によれば、縄文時代に日本には、すでに30万人の住民がいたそうで、「君民一体」などありえないのだ。天皇制的神話が、一番嫌いだったのは、実は昭和天皇であり、だから2月26日に事件がおきた時、すぐに「反乱軍」を制圧...もう出てこないだろう2・26事件資料
昨日の朝日新聞に、元首相の宮沢喜一氏の日録があり、遺族から委託されて御厨貴先生らが編纂されているとの記事があった。いずれ、公開されるらしいが、ぜひ見てみたいものだ。日本の首相の中で、宮沢喜一氏は、もともとエリートで、高級官僚だった人の典型であり、その最後の方だったと思う。この人は、自分で言っているが、政策は得意だったが、人の動向を見るのは苦手で、1993年に自民党の小沢一郎らが反乱を起こして、宮沢内閣不信任案が可決されたとき、まったくその動きを知らなかったのだそうだ。おそらく「そんなことはあるまい」と思っていたのだろう。このときの感想はぜひ読んでみたいと思っている。同じ東大卒の高級官僚でも、人事にたけていたのは、佐藤栄作で、彼は、常に『国会便覧』を読み、さまざまな人事情報を頭に入れていたそうだ。だから、佐...『宮沢喜一日録』の存在
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。それは、レゲエのボブ・マーリーにも類似していると思う。ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。横浜シネマベティ『ZK』を見て
女優の山本陽子が死んだそうだが、81とは女性では若死にと言うべきか。彼女の出演歴は以下のとおりで、数は多いが、まあ端役である。目立ったのは、裕次郎・浅丘ルリ子の名作『赤いハンカチ』で、二谷英明の裏切りで殺人犯にされ、ルリ子と二谷が結婚した豪邸の女中役で、私も最初に気づいた映画だった。後は、『猟人日記』でも、仲谷昇の餌食にされる女の一人にすぎなかったと思う。いずれにしても、日活時代は大した役はなかったが、1974年の東宝の『華麗なる一族』での万俵家の長男田宮二郎の妻が適役だったと思う。ゴシップ的に言えば、この頃から田宮二郎との関係はあったのかと思うが。テレビで成功した俳優であることは間違いなく、元日活でいえば、男では杉良太郎、女優では山本陽子が第一だと思う。杉良太郎など、沖雅也や藤竜也の遥か下だったのだから...山本陽子、死去、81歳