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大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」 https://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさ

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」
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2014/09/26

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  • 『陸軍中野学校・密命』『同・開戦前夜』

    日本シリーズが終わって昼も夜も見るものもないので、大好きな『陸軍中野学校』シリーズを2本見る。これは、どちらも英米のスパイ網との対立を描くもので、「ゾルゲ事件」をヒントにしていると思う。脚本はどちらも長谷川公之で、監督も井上昭である。主人公の椎名次郎は、市川雷蔵で、相手役は4作目では高田美和、5作目では織田利枝子という女優である。また、5作目ではスパイ側の女性医師が小山明子で、これは好演である。二人が料亭で会っている場面で、雷蔵は半ば自分の身分と役目を打ち明け、「あなたとあっているときにも、何を考えているのか、ハラの中を探っている。悲しい運命です」というが、小山は「平和な時にお会いしたかったですわ」と二人はキスする。この頃、小山明子と大島渚の創造社は大変だったので、彼女は大映作品に出ている。それは、大島渚...『陸軍中野学校・密命』『同・開戦前夜』

  • 『真田風雲録』

    これは、1962年の大ヒットした有名な劇の映画化で、私が見たのは1966年5月頃、早稲田大学文学部自治会の新入生歓迎映画会でだった。この時、私はすでに早稲田の映画研究会にいたので、当時委員長だった曽根さんは、「マル戦は、これが好きだなあ」と皮肉を言ったものだ。だが、この時、曽根さんは、加藤泰の他の作品をそうは見ていなかったと思う。当時、加藤はそんなに人気のある監督ではなかったからだ。この劇の『真田風雲録』は、大変な反響を残していたもので、1973年12月に西武劇場で、福田善之作・演出の『焼跡の女侠』を見て、私が「面白いですね」と言ったとき、劇場にたまたまいて、高校の演劇班では4年上におられた栗原さんは、「私は、真田風雲録を見ているからねえ・・・これは」と言った。事実、『真田風雲録』の影響は非常に大きく、一...『真田風雲録』

  • 日本にもあった事件

    韓国ソウルでの群衆圧死事件が騒がれているが、実は日本でも以下のような大事件があった。彌彦神社事件(いやひこじんじゃじけん、やひこじんじゃじけん)、彌彦神社丙申元旦事故(やひこじんじゃひのえさるがんたんじこ)または彌彦事件(やひこじけん)[1]:124は、1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社(弥彦神社)拝殿前で初詣客が新年の餅撒きに殺到、玉垣が崩れて将棋倒しになった群集事故である[1]:125。この事件で124人が亡くなっているのだ。「韓国は、云々・・・」と言い方は通用しないのである。誰も知らないのだから実に恐ろしいことだ。日本にもあった事件

  • ジェリー・リー・ルイス死去

    ジェリー・リー・ルイスが死んだそうだ、87歳。これで、反射的に思い出したのは、今週火曜日に横浜市役所のアトリウムで行なわれていた「よこはま共創博覧会」に出てきた、神戸大学の特命教授だった。土田某は、自分の体の動きをパソコンに記憶させて、それで自由に動きを再現すると言う試みをやっていて、障害を持つ者への補助にもなると言っていた。このイベントは非常に良かったが、この某教授のやっていたことは「まるでバカ」としか思えなかった。私は、以前にジェリー・リー・ルイスのライブ・ビデオを見たことがある。火の玉ロックのルイスは、まさに破壊的に見えるほどのものすごいロックで、舞台にグランド・ピアノを両手で弾きながら、体で押し出してきてしまうのだ。まさに、最大のエンターテイメントは、人間の肉体であるということを全身の体で証明して...ジェリー・リー・ルイス死去

  • 『陸軍中野学校・竜三号指令』

    今日は、日本シリーズがないので、夜はユーチューブにあった『陸軍中野学校・竜三号指令』を見る。このシリーズでは凡打だが、やはり面白い。昭和15年秋、椎名次郎の市川雷蔵は、草薙の加東大介の命令で中国の上海に行く。もちろん、国際都市で、様々な連中がうごめいている。その中で、雷蔵は、和平派の日本の軍人が殺された件と、次の和平派の派遣に関わって行く。現地の強硬派が、早川雄三で、雷蔵と対立する。第二陣の和平派の大物が、共産党地区で捕獲されたとのことで、雷蔵は、仲村隆と一緒に行く。地雷原を逃れる件など、細かい細工があるが、全体にはやや不満なできだと思う。雷蔵が知合い、敵スパイのスタイナー商会に入るのが安田道代で、彼女は敵スパイの一人と結婚し自殺した女の娘であることが最後に明かされる。ここは、ゾルゲ事件のゾルゲの愛人石井...『陸軍中野学校・竜三号指令』

  • 『森の石松鬼より怖い』

    1960年の東映、中村錦之助の森の石松ものだが、非常に斬新で、大変に面白い作品である。なにしろ、錦之助が演じる若手演出家が「ヌーベルバーグだ」と言っているのだから、普通じゃない。脚本、監督の沢島忠、そして錦之助は、本当の天才だと思う。劇場で、『森の石松』の閻魔堂の場面が演じられていて、演出家は中村錦之助、助手が丘さとみ、照明が山形勲で、支配人は進藤英太郎。寿司屋の出前が鶴田浩二で、掃除の伯母ちゃんは赤木春恵である。錦之助は、「この芝居が古くさくていつも通りだとして不満」だが、支配人達は、「三日後に本番だ」と言ってそのままやれという。彼は、不満で酒を飲み酔って、劇場に戻ってきて、支配人室のソファーで寝る。目がさめると、遠州にいる森の石松になっていて、廻りの者も皆次郎長一家の人間になっている。皆は、錦之助を「...『森の石松鬼より怖い』

  • 神宮球場変遷史

    昨夜の日本シリーズは、吉田がサヨナラホームランを打って、2勝2敗1分けで、同じになって、土曜日から神宮球場ですることになった。今年のオリックス・ヤクルトの日本シリーズは、非常に面白い。それは、村上、吉田のホームランバッターがいると同時に、オリックスの中継ぎ投手がすごくて、150キロ前後の球を投げてくるからだろう。中で宇田川というのが、面白い顔をしていると思ったら、フィリピン系だった。オリックスには、宗裕真がいるが、彼は西アフリカのギネアである。私は、こうした非日本人が活躍するのが好きである。その意味で言うと、山本由伸が、1戦目で脇腹を痛めて降板したのは、残念なことだ。その痛めた原因は、神宮球場のマウンドが普通ではないからだとのことだ。マウンドだけでなく、神宮球場のフィールドは、実は平面ではなく、ホームから...神宮球場変遷史

  • 勅使河原三郎さんをインタビューしたことがある

    ダンスの勅使河原三郎が、文化功労賞を受賞されたそうだ。1980年代だが、彼をインタビューしたことを思いだした。当時、教育委員会の教育文化センターにいた、野田邦弘君の依頼で、教文センターのPR誌に載せるものだった。教文センターのどこかの会議室でインタビューしたが、KARASの佐藤まいみさんも一緒だった。どういう話をしたかほとんど憶えていないが、彼に「手や足の動きは、自動的に出てくるものなのか、意識してするものなのか」聞くと、「そんなことを聞かれたのは初めてだ」と答えたと思う。それで、「自動的、自発的に出てくるものだ」との答えだったように記憶しているが、その原文がないので、なんとも言えない。ただ、2001年に私は脳梗塞で、左半身マヒになった。マヒから回復する過程で、人間の手や足の動きは、すべて脳がいちいち指示...勅使河原三郎さんをインタビューしたことがある

  • 蓮沼について

    「ちい散歩」を見ていたら、大田区蓮沼が出てきた。ただ、主に矢口側で、他のところについて書く。まず、駅近くにあったのは、2館の映画館で、洋画の南星座と邦画のヒカリ座だった。南星座は、かなり上質の洋画館で、ディズニー作品などをやっていたが、1960年前後に閉鎖された。これに対し、ヒカリ座はずッとあって、もともと大映や松竹をやっていたが、1970年代はピンク映画やATG作品も上映していて、松本俊夫の『修羅』もここで見た。山田洋次監督の映画『男はつらいよ』の1作目もここで見た。11月で、過激派の「羽田闘争」から町を自衛した「蒲田自衛団」の連中がオールナイトで寝たまま、椅子の上で寝ていたのをよく憶えている。この2館の反対側の蒲田方向には、新東宝系の帝都座があり、新東宝倒産の後は、閉鎖されていた。だが、1960年代末...蓮沼について

  • 横浜市会議長について

    私が、直接、間接に聞いて知っている議長は、以下のとおりである。大体の任期は、本来4年だが、2年で交替している。それは、議長というのが、どこか旨味があるのだろうが、私たち役人には分からない。この津村峯男さんは、8年やった伝説の方で、行政視察に愛人を連れてきたという噂があった。だが、写真で見てもなかなかいい男で、本当にもてたのだと思う。また、この方の愛人の息子と言われる方も県会議員になっている。これは、本当のことで、確かに津村さんによく似ていた人だった。18代の清水さんという人は、自民党が割れて飛鳥田市長ができたときで、その責任を取って自民は、議長を放棄して無所属の横浜市政同志会の清水さんが就任した。そこで、自民党からさんざ虐められて死んでしまったという話である。その後、自民党の主流の横山さんに戻った。横山・...横浜市会議長について

  • こんにゃく相場

    今日の朝日新聞の夕刊に、こんにゃくのことが出ていた。大学のとき、英語の教師が、アメリカ人が下手な日本語を話すと、「彼と彼女が婚約しましたを、彼と彼女がこんにゃくしました」と言ったが、本当だろうか。こんにゃくで、擬似性交することがあるのかと思ったものだが。さて、冗談はさておき、こんにやくには、相場がある。こんにゃくは、多年草で、毎年取れないので、あるとき高騰すると、それっと作りすぎ、その何年後かは作りすぎで、暴落するのだそうだ。だから、相場が成立するらしい。町場のこんにゃく屋さんは、大体は相場をやっているので、金持ちなのだそうだ。昔、横浜に「はまっ子」というタウン誌があったが、その二代目の発行者は、磯子のこんにゃく屋だったと編集者の渡辺光次君から聞いた。磯子や南区には、いまでもこんにゃく屋が多いが、これは水...こんにゃく相場

  • 小室さんの弁護士試験合格で思うこと

    小室圭さんが、ニューヨーク州の弁護士試験に合格されたそうで、ともかく喜ばしいことだ。今後が実は大変だろうが、彼には大きな利点もある。それは、ある日本の某大企業での話である。そこでは、何人かの取締役がいたのだが、普段はほとんど仕事をしていなかったそうだ。ただ、なにかもめ事が起きると出ていき、「この方は、実はなんとかの宮様の孫で・・・」というのだそうだ。それで、解決する案件もあったとのことで、そのために置いていたとのこと。アメリカでそんことが通用するとは思えないが、王様がいないアメリカでは、意外にも「日本の皇室に繋がる方」というのは、使い道があるのかもしれない。小室さんのご活躍をお祈りしたい。小室さんの弁護士試験合格で思うこと

  • 地井散歩について ほ志乃さんが出ていた

    ユーチューブに、地井武男の『ちい散歩』があったので、見る。蓮沼があったが、北品川では、ほ志乃さんの、星野昭さんが出てきた。電柱の上にあるコンデンサーについて地井さんの質問に答えているシーンだった。ほ志乃は、北品川の有名な居酒屋で、私も北品川に住んでから、ずっと通ってきた。数年前に閉めてしまい、別の方が店を継いでいるが、星野夫妻はいない。お二人に子供はなく、店でおそらく十分な資産を得たので、やめられたのだと思う。一度、お会いしたいものだと思っているが、連絡するすべがないので、困っているのだが。蓮沼については、またかく。地井散歩についてほ志乃さんが出ていた

  • 森鴎外の罪

    金曜日の朝日の夕刊に、森鴎外の意外な食の趣向のことがかかれていて、地元ではそれを再現した食事等が振る舞われていると出ていた。彼が、大変な文豪で、秀才だったことは認める。だが、本職の陸軍軍医総監として実績には、相当に疑問がある。なぜなら、彼は、強固な「脚気、風土病説」の信者で、かの日露戦争で、最大の死者の原因を作り出したからである。当時、世界的に、脚気の原因は解明されていなかった。特に、欧州には脚気はいなかったので、「アジアの風土病だ」とする説が主流だったのだ。さらに、鴎外は、ドイツで細菌学の権威のロベルト・コッホ博士に学んでいるので、いよいよ「脚気は細菌だろう」との説に傾いたのだ。だが、今では誰でも知っているように、脚気はビタミンB1の不足から来るものである。白米のみを食するとなってしまうもので、江戸時代...森鴎外の罪

  • なぜ時代劇は人気があるのか

    私も、今はテレビで見るのは、『剣客商売』『御家人斬九郎』などの時代劇である。その理由を考えてみると、やはり時代劇の台詞や所作が、馴染みになるからだろうと思う。『剣客商売』では、元東京キッドブラザースなどで、洋物ミュージカルを演じていた俳優の三浦浩一が、和服を着ていて結構様になっているのには、本当に驚く。さて、私の父は、大田区で小学校の校長をやっていて、そこでは当然にも背広を着ていた。だが、家に戻ると、和服に着替えていて、パンツではなく、褌をしていた。そこで、思い出すのは、昔、日本のコンベンションビューローの総会で聴いた、ロシア語通訳の米原万里の講演だった。彼女の父は、日本共産党の国家議員米原昶で、国際通だったので、チェコスロバキアの世界共産党の事務局にもいたという「国際派」だった。だが、米原万里によれば、...なぜ時代劇は人気があるのか

  • 東大出のプロ野球選手

    昨日の朝日新聞の夕刊に、東大出の選手のことが出ていた。新治伸治、井出峻、小林到、遠藤良平、松家卓弘、宮台康平の6人である。成績では、新治が、大洋ホエールズの投手で9勝6敗。当時の大洋は強いチームではなかったので、立派なものだろう。井出竣は、投手で1勝、打者としてもホームラン1本なので、「二刀流」であり、これも結構立派な成績だったと思う。ただ、この二人は、共に野球チームの所属ではなく親会社の、新治は大洋漁業、井出は中日新聞の社員でそこからの出向だったそうだ。小林がロッテに入ったとき、監督の金田正一が、「これは、球が遅すぎて、逆にプロは打てないのではないか」と言ったが、成績は1軍出場なしだった。宮台康平選手は、まだヤクルトの現役なので、今後どのような成績を残すかが、楽しみである。井出は、中日を辞めた後、アマチ...東大出のプロ野球選手

  • 高校の運動会では

    中学のときの運動会は普通だったが、高校3年の運動会は、午後はサボってしまった。われわれと対立していた高校生組織の反戦高協の集会があったからだ。午後、両国公会堂に行き、中核派の集会に出たのだ。だが、その集会の趣旨に興味があったからではない。松本俊夫監督の映画『安保条約』が上映されるからだった。これは、1960年に総評(日本労働組合総評議会)の資金で作られた反安保条約の宣伝映画であった。だが、実に驚くべき作品で、その趣旨は、「安保条約は日本の軍国主義化であり、米国への従属」というほとんど日本共産党の政策そのものだった。さらに、アニメ等も使用されるのだが、表現が稚拙で単純なのだ。「これが、あの松本俊夫先生の作品なの!」と思った。この時、「眼高本当に本当にあるものだ」と思ったものだ。因みに松本俊夫監督の最高作品は...高校の運動会では

  • 『妻あり子あり友ありて』

    1961年の松竹京都作品、監督井上梅次、脚本は八住利雄で、原作は樫原一郎。大正15年3月、警察官になるため、鹿児島の大木実と福島の佐田啓二が上京してくるところから始まる。警官、刑事の目から見た昭和史であり、木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾年月』が、灯台守の目から見た昭和史と同様の趣向である。大木は、サツマッポの堅物で、対して佐田は世慣れていて、故郷には許嫁の乙羽信子までいる。二人は、浅草で警官になるが、すぐに刑事になる。浅草で、スリの父親の息子の三井弘治は、スリをやめて寿司屋になる。昭和初期の説教強盗や、ピストル強盗などの事件もあるが、刑事の活躍と努力で順次解決される。そして、満州事変から太平洋戦争になり、大木は高千穂ひづると結婚するが、その初夜の模様が笑える。佐田には、三上真一郎と桑野みゆき、大木には津...『妻あり子あり友ありて』

  • 『ミーテイング・ザ・ビートルズ・イン・インディア』

    初めて行く映画館だったので、不安で渋谷からバスで行こうかとも思ったが、歩くと意外に近かった。渋谷のメトロビルの隣ではないか。1968年、ビートルズの4人は、インドに行く。彼らの前に、女優のミア・ファーローもインドに行き、瞑想をしていたのだ。「本当なの」と思ったのは、この話を聞いたときだった。だが、彼らは本気だったことが、この映画を見るとよく分かる。こうした英米の若者動きの裏には、当時のヒッピームーブメントがあり、さらに遡ればビートがあったのだ。ビート族というと、ヒゲを生やした連中としか日本で見られていないようだ。だが、彼らこそ、アメリカで、当時の支配的なキリスト教的白人文化の他に、世界、アメリカに多様な文化があることを発掘し、記録した人達だった。その代表が『路上』のアレンギンズバーグであり、アメリカのルー...『ミーテイング・ザ・ビートルズ・イン・インディア』

  • 江戸時代も聟社長だった

    テレビで、「聟社長」が優れていることが特集されていたが、実は日本の江戸時代、富家の跡継ぎは婿が多かったのだ。それは、歌舞伎をみれば分かる。大きな商店等でも、次代は、息子ではなく、優秀な手代、番頭の中から婿を選んで、娘と結婚させるのだ。男の子がいる場合は、家を継がせるのではなく、別の家に行かせて結婚させて、別の新たな関係を増やすのだ。ある意味で、日本は弥生時代から「母系社会」で、それが江戸時代まで続いていたのだ。男系相続だったのは、一部の武家だけだったのである。日本の社会が、男性優位の社会になったのは、明治以降のことで、それは下級武士の出だった明治維新の元勲連中が連中が、上級武士のやり方を憧れて真似たからだと言われている。多分、そうだと思う。江戸時代も聟社長だった

  • V9時代の江夏を思い出した

    ヤクルト・阪神戦の三戦目は、エースの青柳が一人で頑張って投げていた。それは、まるで、V9時代の巨人に対して孤独に投げている江夏のようだった。選手全員で戦ってくるヤクルトに対し、青柳は一人戦っていて、3・ゼロだった。だが、7回裏に2死満塁で、マルテのエラーで1点差に迫られた時、投手交代になったのは、仕方ないだろうと思う。ただ、これが浜地なのだ。なぜ、湯浅ではないのかと思うと、村上に変なゴロを打たれ、1塁へ悪送球で、3員全員が生還する。ここは、「湯浅なら、三振で終わったのに」と思う。矢野監督は、いつものことだが、結構投手を出し惜しみする。今年の開幕戦の時もそうだったと思う。出し惜しみをして加点されたのだ。そして、8回にはケラーを出して、開幕戦と同じ山田に打たれて、6点になる。開幕もケラーデ負けて、最後もケラー...V9時代の江夏を思い出した

  • アントニオ猪木の墓は 本門寺だろうか

    昨日は、池上本門寺のお会式だったはず。このところ、まったく行っていないが、池上の子供にとって、一年で一番に心躍る日だった。なにしろ、池上小学校は、この日は休みだったのだ。お寺の祭式で、公立学校が休日というのは、全国でもそうはないことだったようだが、今はどうだろうか。さて、先日、プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなったが、その墓はどこになるのだろうか。順当にいけば、彼が尊敬する力道山のお墓のある、池上本門寺となるだろう。そこには、沢山の有名人のお墓があり、力道山の他、児玉義雄、大野伴睦、さらには市川雷蔵、渋くは幸田露伴のもあった。映画関係では、溝口健二の墓もあり、先日亡くなったゴダールもお参りに来た。そのすぐ近くには、花柳章太郎のもあったと思う。アントニオ猪木の墓は本門寺だろうか

  • 『浜辺のアインシュタイン』

    これは、1992年に東品川にできたアート・スフィアのオープニング公演の一つとして行なわれもので、私は雑誌『ミュージック・マガジン』で酷評させてもらった。その理由は、つまらなかったからで、今回も同じだった。当初、これはKAAtの公演だと思い、5階の劇場入口に行くと「これは違います、県民ホールです」と言われ、神奈川県民ホールに行く。先日亡くなられた一柳慧芸術監督の念願だったのかと思うが、できは良いとは言えなかった。なにより、フリップ・グラスの音楽が前にも増して不愉快だった。ミニマルズムだが、要は『ショナ族のムビラ』などの、アフリカの民族音楽のパクりで、1960年代の欧米の知らない人には珍しかっただろうが、民族音楽を熟知している我々には、不愉快なだけである。ルシンダ・チャイルズの振り付の、その機械的動作も、文楽...『浜辺のアインシュタイン』

  • たった一つ良かったことは

    ウクライナへのロシアの攻撃は、依然と続いていて、ロシアへの国際的な批難は高まるばかりだ。さて、この問題で、一つだけ良いことがあった。それは、中国の台湾への攻撃が不可能になっただろう。1950年代に、中国は「台湾解放」を掲げて、金門、馬祖島へのミサイル攻撃を繰り返した。だが、大したことにはならず、台湾は依然として台湾である。今回のウクライナへのロシア攻撃は、当初予想された数週間でウクライナ全土が占領されることにはならなかった。その結果、現在ではむしろウクライナが反撃に出ているようだ。中国の習近平主席は、台湾解放を依然として掲げているが、陸続きのウクライナ・ロシアと異なり、台湾海峡のある台湾への攻撃は、不可能というしかないだろう。もし、本当にやるとすれば、まず数年間空襲などをして、台湾を疲弊させた後に、上陸攻...たった一つ良かったことは

  • 58年前の今日は

    1964年10月10日は、東京オリンピックの開会式が行なわれたときです。私は、高校2年で、この日は、学校は休みだったと思う。この前に、都立高校では、オリンピックの試合の券の抽選がクラスで行われていました。全校で、各競技毎に何枚とあって、クラスで抽選したのです。もちろん、タダではなかったはずですが、東京中の学校で、オリンピックを国民が挙げて祝おうというムードがあったのです。去年のインチキオリンピックとは、まったく意味がちがいます。なぜ、去年のオリンピックが駄目だったかといえば、その出だしの動機が不純だったからです。3期目の都知事選に出るとき、石原慎太郎が公約がないので、いきなりオリンピック誘致と言い出したことが不純の始まりで、これが現在の「オリンピック汚職」の基になっているのです。不純なものは、不純な結果を...58年前の今日は

  • 幼稚園の運動会だった

    日枝小学校の運動会と書いたが、お三の宮幼稚園の運動会だった。音が大きくないなあと思うと、幼稚園だった。見ると60人ほどで、まあこんなものなのだろう。私は、幼稚園に行っていないが、私の時代、幼稚園に行っていた者は、10人くらいだったと思う。兄弟でも、上の姉達2人は、昭和初期の平和な時代だったので、行っているが、その後の兄と三女は、戦争の時代になっているので、幼稚園に行っていない。幼稚園は、平和な時代の産物なのだろうか。幼稚園の運動会だった

  • 運動会でのできごと

    朝、ゴミを出しに行くと、前の日枝小学校で運動会をやっている。小学校の運動会については、やや苦い思い出がある。徒競走でビリになった、と言うようなことではない。6年生の時に、会場のアナウンスをさせられたことだ。なぜか、私は、もう一人の女の子と選ばれて当日のアナウンサーにされたのだ。選んだのは、Aと言う教師で、多分学年主任だったのだと思う。だが、このAは、今では大変な問題教師だった。私の同級生で一番仲が良かった子に、田辺君というかわいい男の子とがいた。彼によれば、A先生には膝の上に乗せられて、オチンポコを触られたと言うのだ。私は、その被害に遇わなかったが、田辺は嘘を言うような男ではなかったので、本当だと思う。現在でも、学校で、いろんな問題が起きているが、昔もあった。むしろ、昔の方が多かったと思うのだ。ただ、表沙...運動会でのできごと

  • 吉井を見たことがある

    元近鉄の投手だった吉井理人が、ロッテの監督になると言うが、彼を一度見たことがある。それは、宝町の国立映画アーカイブの入口でだった。何か忘れたが、2階のホールで映画を見て終わり、下に降りると入口に背の高い男がいた。どこかで見た男だなと思うと吉井だった。別に映画を見に来たのではなく、誰かと待ち合わせで、ライターのような人と会って出ていった。背が高くて、小顔でカッコ良いなあと思った。ロッテの千葉スタジアムにも女性の客が増えるだろうと思う。吉井も、オリックスの中島も、仰木彬の教えを受けているので、かなり期待できるのではないかと思うのだ。吉井を見たことがある

  • 映画版とテレビ版の違い

    『悪い奴ほどよく眠る』の映画版とテレビ版との違いについて書く。一番の大きな違いは、主人公の三船敏郎、テレビでは村上弘明が結婚する公団総裁森雅之、テレビでは中野誠也の家族である。映画では、香川京子の兄は三橋達也だが、テレビでは岩井なおみの姉がとよた真帆で、村上とも関係があったとされていて、さらにとよたは、父親の中野とも関係があったとなっていた。この辺は、時代の差だろうか。もう一つ、大きな差は、映画では三船敏郎には、友人で協力してくれる加藤武がいるが、テレビ版ではいないことだった。これは、村上を孤独なヒーローとするためだったのか、よくわからない。そして、最後は、映画版では三船は、藤原釜足などの老人によって捕まり、交通事故とされて殺されてしまう。だが、テレビ版では、村上は殺されず、岩井と幸福に生きていくことが示...映画版とテレビ版の違い

  • 『悪い奴ほどよく眠る』

    黒澤明生誕100年とのことで作られた作品。映画を最初に見たのは、高校3年のとき、渋谷のテアトルハイツで、岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』と2本立てだったと思う。ここは、東宝系の名画座で、音と映像が良いので有名だった。渋谷の百軒店で、ここにはテアトルSSというストリップ劇場もあったが、すぐにピンク映画になった。この『悪い奴ほどよく眠る』を見て、不思議に思ったのは、汚職などの社会的問題に一切意識がないはずの黒澤が、なぜこの汚職をテーマとしたのかだった。ずっと分からなかったが、黒澤の父親の黒澤勇氏のことを知ってわかったのだ。黒澤勇氏は、日本体育協会と体操学校の理事だった。だから、黒澤明は、東大井の学校の官舎で生まれ、幼いときは高輪にあった私立の森村学園に行っていた。ところが、大正3年に体育会と体操学校を首に...『悪い奴ほどよく眠る』

  • 『2.26』

    言うまでもなく、1936年2月に起こった日本の歴史上最大で、最後のクーデターである。秦郁彦先生によれば、「日本には、2.26事件産業があり、毎年2月頃になると新資料が出てくる」とされていたが、90近く前なので、さすがに近年はもうないようだ。監督五社秀雄、脚本笠原和夫で、1989年に公開され、横浜のピカデリーで見たが、ほとんど台詞が聞えなかった。その訳は、当時横浜ピカデリーの屋根は鋼鉄製で、その日は夕立があり、その雨音でほとんど台詞が聞えなかったのだ。話は、三浦友和らの陸軍の青年将校が、料亭のようなところで決起を決めるところから始まり、重臣を次々と襲う場面が続く。それは、約30分で終わってしまい、軍事参議官会議が「陸軍大臣告示」になる。これは、相当に反乱派に阿った告示だったので、彼らは「勝利で、天皇は我々の...『2.26』

  • 明治大学が出てくる映画は 『女体』である

    1970年代の横浜市役所は、市長の飛鳥田一雄氏が、明治大学だったので、明治出は、出世すると言われていたが、そうでもなかったようだ。たぶん、局・区長で一番多かったのは、横浜市大と横浜国大だと思う。そんなことはどうでも良いのだが、明治大学記念館が出てくる映画があった。増村保造監督、浅丘ルリ子主演の『女体』である。この映画で、浅丘ルリ子に溺れて身を滅ぼしてしまうのが岡田英次で、彼は某大学の事務長なのだ。そして、大学に乗り込んで来て、闘争している学生に「頑張ってよ」と彼女はカンパするのだが、それは明治大学記念館だった。この岡田英次の妹が、梓英子で、二人兄妹で、「絶対に守る」というのだ。なぜ、浅丘ルリ子が、大学に乗り込んで来るかと言えば、理事長小沢栄太郎のドラ息子青山良彦らが、海岸で浅丘を強姦したからなのだ。さて、...明治大学が出てくる映画は『女体』である

  • 「われわれは、ヤクザな仕事だから」

    私が、横浜市役所に入って数年後に聞いた、非常に驚いた言葉の一つである。市役所がヤクザなら、世の中はヤクザでないところはなくなるのではないか。これを言ったのは、S課長で、明治大学出身で、最後は某区の区長になった方である。もっとも、市会事務局は、議員さんが絶対で、彼らの言うことがいつも正しい、ヤクザ映画のごとき世界だったのだが。どうやら、そうではなく市役所の仕事全体が、ヤクザ的と言ってらしかったので、驚きだった。ただ、この方は、麻雀が大好きで、朝きちんと出てくることはなく、10時近くに出てくる人だったのだが。当時の局長も、さすがによく見ていて、「こんなことでは上に行けないぞ」と警告していたが、後に区長にまでなったのだから、それなりに評価されていたのだと思う。「われわれは、ヤクザな仕事だから」

  • プロレス好きのTさん

    大学の劇団には、いろいろな人がいたが、中でもっともユニークなのはTさんだった。子供の時は、「美少年」だったので、雑誌の表紙にでたこともあると言う人だったが、劇団ではずっと大道具で、私もいろいろと教えてもらった。4年できちんと商学部を出たのだが、普通の就職はせず、町の印刷工場の職員、まあ言えば工員になった。他の兄姉は、普通のサラリーマンとのことで、相当に変わった方だった。そして、この方が、大のプロレス好きで、高校野球が大嫌いなのだった。なぜですかと聞くと、「高校野球は真面目にやっているのが嫌い!」とのことだった。好きなのは、辺見まりと渥美まりで、その点は私も同様だった。「こういう生き方もあるのか」と思ったものだ。ただ、このTさんは、酒が大変にお好きで、しかも摘まみをほとんど食べないで飲むので、もともと痩身だ...プロレス好きのTさん

  • 葬式がなくなって困った人は

    葬式、特に自宅や町内会会等でやる葬式がなくなって困ったのは、和菓子屋さんです。昔、区の保健所にいたとき、和菓子屋さんが言っていました。「葬式饅頭、さらに建前で撒く餅は儲かったんだけどねえ」葬式饅頭、小判形で異常にデカイ饅頭をもらったものだが、それは今はもうない。建前の餅捲きも必ずあったもので、建前だと言うと、子供たちは見に行ったものだ。世の移り変わりと言うほかはない。葬式がなくなって困った人は

  • 葬式の葬式

    安部晋三元首相の国葬で、賛否があったが、これを見て思うのは、葬式自体が終わりになりつつあるとのことだ。昔は、本当に葬式は盛んで、私がいた横浜市役所でも、いろいろなところから訃報が来て、必ず出たものだ。だが、退職した現在、ほとんどこうした訃報は来ないし、また来ても「家族で営みましたので・・・」が多く、行くことはない。昔々、中核派の京大生山崎君が、羽田で死んだ時、中核派は「人民葬」をやって、当時委員長だった秋山勝行が総指揮をした。このとき、中核派以外のわれわれは、「葬式の総指揮か!」と笑ったものだ。いずれにしても、本当の近親者以外まで列席する葬式など、本質的に意味のないものだと私は思う。人の死は、厳粛なものだが、吉本隆明的に言えば、「人の死は、個として死に、類として生きる」ことだそうなので、類として生きていけ...葬式の葬式

  • 「公明党も堕落したな」

    「公明党も堕落したな」と言ったのは、1984年春の統一地方選挙の時、大久保英太郎横浜市会議長が言った言葉である。大久保氏は、社会党でありながら、横浜市会議長を4年も務めた方で、私は最後の半年間、公的秘書としてお付き合いした。非常に頭の良い方で、挨拶など、話の非常に上手い方でもあった。当時、横浜市長は、飛鳥田一雄氏から細郷道一氏に替った時で、細郷氏はそれほど演説の上手い方ではなかったので、かなり対照的だった。この選挙の時は、公明党は、それまでの社会党との協力から、民社党との共闘に乗換えた。その結果、それぞれ少数だったが、公明党は議席数を減らし、逆に民社党は増やしたのである。選挙に詳しい大久保先生によれば、選挙に素人の公明党は、民社党に欺されただとのことで、結果から見ればたしかにそうだ。そして、言ったのが「公...「公明党も堕落したな」

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