北京・胡同窯変
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住所
中国
出身
ハンドル名
胡同窯変さん
ブログタイトル
北京・胡同窯変
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/hutongyaobian
ブログ紹介文
北京。胡同歩きが楽しい。胡同のあれこれを写真と拙文でのんびりと綴ります。胡同窯変拝
自由文
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胡同窯変さんのブログ記事

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胡同窯変さん
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北京・胡同窯変
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北京・胡同窯変
  • 第231回 北京・船板胡同(後) 「 故きを温ねて」とは言うけれど。

    北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)のある後溝胡同の北口から見た東方向も舗装工事中。少し前へ行くと左手に「西鎮江胡同」なのですが、こちらも工事中。寄り道せずに前へ。シンプルで現代的造りの建物は「漢庭酒店」。結構人気があるらしく、昨年7月に内部を拝見した時には女性のグループ客が多かったのが印象的でした。いい雰囲気の玄関がありました。日本や中国の建物のこういう細部が好きで、ついついシャッターを押してしまうんですよね。門墩(メンドン)をご覧いただきます。門墩(mendun)について、当ブログのブックマークにあります門墩研究家・岩本公夫さんのWeb版「中国の門墩」をご覧いただけたらうれしいです。思えば文革の時に傷を負いながらも今に残る門墩の強さや逞しさ。わたしも見習わないと。それはそうと、玄関の脇には貼り紙。期間は5月8日...第231回北京・船板胡同(後)「故きを温ねて」とは言うけれど。

  • 第230回 北京・船板胡同(前) 「 故きを温ねて」とは言うけれど。

    船板胡同(ChuanbanHutong/チュアンバンフートン)。当日は、崇文門内大街沿いの西口から入ったのですが、なんと、舗装工事中。明の時代から現在まで名前は変わらず「船板胡同」。しかし、今は東側の一部(北京駅西街以東)がありません。明の時代の地図上の地図を見ると、今の崇文門内大街から崇文門東順城街沿いまであったのがわかります。地図は『北京胡同志』(主編段柄仁、北京出版社所収「明北京城街巷胡同図万暦ー崇禎年間公元1573ー1644年」)を使用。2003年の地図赤色部分、現在北京駅附属の荷物受取所(「中鉄快運北京駅到達提取処」)。地図は同上書所収「2003年」。西口の北側の立体駐車場。出来たてホヤホヤ。食堂。家常菜(家庭料理)。その隣は「天隣旅館」。昨年5月下旬には上の食堂や旅館の前辺りに「焼き芋屋さん」がいた...第230回北京・船板胡同(前)「故きを温ねて」とは言うけれど。

  • 第229回 北京・洋溢後巷 賄賂政治ならお任せを。

    洋溢後巷(Yangyihouxiang/ヤンイーホウシアン)その名を見てもおわかりのように、前回ご紹介した洋溢胡同の一本北側にあった胡同。明の時代は、冠帽胡同(GuanmaoHutong/グアンマオフートン)。次の清の時代は、「冠」が「官」となり、官帽胡同((GuanmaoHutong/グアンマオフートン)。民国期も官帽胡同。日本占領下の官帽胡同には、日本料理店がありました。名前は、登喜和住所は、官帽胡同五(『北京案内記』昭和十六年一月発行、新民印書館から引用)新中国になってもそのままだったのですが、1965年に洋溢胡同に編入された際、洋溢後巷と改名され、1990年以降に消えてしまいました。この胡同、冠帽胡同、官帽胡同と呼ばれていたその由来が楽しい。中国史上、賄賂政治でその名を馳せる一人、明朝の権臣、厳嵩(げん...第229回北京・洋溢後巷賄賂政治ならお任せを。

  • 第228回 北京・洋溢胡同 開国大典、天安門楼上の大灯籠

    前回ご紹介させていただいた“于謙祠”。ここには正門である南門のほかに西側にも出入口があるのですが、その西門から北方向へほんの少し行ったところには、一枚のプレートが貼られていました。上の写真は西門ですが、普段は閉ざされているようです。住所は、西婊褙胡同甲23号。この西門沿いには、次のプレート。今は消え失せてしまった胡同名が書かれていました。「街巷名称、洋溢胡同」。名前だけでも、よくぞこうして残ってくれたものだと思わず洋溢胡同という文字を指先で触れてしまいました。名前だけでも残ったのは、ひょっとして于謙パワーの効能か?そんなことも心によぎったのも確かなのですが、しかし、同時に心のどこかに次のような思いもあったことは間違いありませんでした。ワガママな物言いで恐縮ですが、この界隈に、昔、洋溢胡同や西婊褙胡同などの胡同が...第228回北京・洋溢胡同開国大典、天安門楼上の大灯籠

  • 第227回 北京・西裱褙胡同 明代ロマンチズムと地名の名残り“于謙祠”

    明の時代、表背胡同(BiaobeiHutong/ビアオベイフートン)という、西は崇文門内大街から東は現在も残る古観象台の北側まで走る一本の胡同がありました。地図を見ると、現在の崇文門内大街が当時は「崇文門里街」と呼ばれていたことがわかります。古観象台とは、現在の天文観測所に該当。地図は、『北京胡同志』(主編段柄仁、北京出版社所収「明北京城街巷胡同図万暦ー崇禎年間公元1573ー1644年」)を使用。表背(のち裱褙)業者(日本語では表具師)が多くいたというのが地名の由来。当時の官吏登用試験「科挙」の試験場「貢院」が近く、書画を売買する人が多かったというのが、表具師の多かった理由なのだそうです。ところで、昆曲(昆劇)ファンにはおなじみの『牡丹亭』ですが、その作者、湯顕祖がこの胡同に一時仮住まいしていたそうで、ここはな...第227回北京・西裱褙胡同明代ロマンチズムと地名の名残り“于謙祠”

  • 第226回 北京・喜慶胡同 カササギと一本のエンジュの木

    北京を旅する人は、かならず槐(エンジュ)の木を見かけるはずだ。明治42年の『北京誌』(清国駐屯軍司令部)には「城内に成長する喬木はほとんど槐(エンジュ)と楡(ニレ)というも過言にあらず」とあり、昭和の日中戦争下の北京に在留した日本人は「北京の街路樹は、中国歴代の為政者が、幹を切る者は首を、枝を折る者は腕を、切るとの峻厳な施策を以て、苦心惨憺の結果今日の大木に生育したものである」(『北支那開発株式会社之回顧』槐樹会刊行会)と書いている。大切に育てられた街路の樹とは、槐の木を指す。また、幸運な旅人は街路の樹を飛び交う鹊(カササギ)の美しい姿に眼をみはるにちがいない。鹊(カササギ)とは、七夕の夜、牽牛、織姫の逢瀬のために、その翼で橋をつくるといわれる、人々に喜びをもたらす御目出度い鳥。昔、一本の老いた槐の木があり、そ...第226回北京・喜慶胡同カササギと一本のエンジュの木

  • 第225回 北京・麻线胡同 民国期の政治家の邸宅や“カフェー”があったとか。

    上の写真は、北鮮魚巷の北口前から西方向を撮ったもの。地図は省略しますが、麻线胡同は、蘇州胡同の一本北側、現在の北鮮魚巷の北口前から西方向に崇文門内大街まで走っています。この胡同の北側には、東から英大国際大厦、北京日報社・北京晩報社、民生銀行などの現代的な大型ビルが立ち並んでいて、ちょっと胡同らしくないなぁ、という声も聞こえてきそうです。この胡同の東側には、英大国際大厦。その西側にはも北京日報社・北京晩報社の社屋。その西側には、民生銀行。この民生銀行の南側には、ファミリーマートも。現在、改修中なのか閉店なのかは不明。次の写真の奥を南北に走っているのは、崇文門内大街。しかし、それら現代的な大型ビルの南側の一画には、「確かにここは麻线胡同なのだ」と実感させてくれるたたずまいが実につつましく残っているのです。右手の手前...第225回北京・麻线胡同民国期の政治家の邸宅や“カフェー”があったとか。

  • 第224回 北京・蘇州胡同(12) 東口からさらに北京駅街まであったのね。

    今回は、蘇州胡同の最終回。どんどん行きます。可愛らしい自転車が。これもシェア自転車なのです。名前は、mebike。道路幅の狭い胡同には、ぴったり。少し行くと、珍しいものがありましたよ。屋根の上に飛びだした壁。延焼をくい止めるための防火壁。さらに行くと、左手、北側に、路地。ここは、前にご覧いただいた「北鮮魚巷」、その南口。前に見ていただいた時とは違い、入口に立体駐車場ができていました。自動車の路上駐車が増え、住民の方たちも頭を痛めていたようです。そこで、設置されたのがこの駐車場でした。この立体駐車場は胡同西口にもあります。北鮮魚巷の前は「中鮮魚巷」の北口。その東隣に飲食店。清真「蘇州回民飯館」。回族(イスラム教徒)の方が経営しているお店です。入口に貼り紙。女性服務員募集。その片方には、「串」という文字をかたどった...第224回北京・蘇州胡同(12)東口からさらに北京駅街まであったのね。

  • 第223回 北京・蘇州胡同(11) 中華民国臨時政府などのあった場所

    しんと静まりかえった洋館のある路地と学校の間から東方向へ。一帆風順蘇州胡同さん、これからも一帆風順であっていただきたいなぁ。護門鉄。木製の門扉を守るために設えられたといわれる護門鉄。形なんかどうでもよくは、ないのです。その東隣旅館です。記憶に間違いがなければ、前は看板が外に置かれていたような・・・。これじゃぁ、遠くから見えません。やはり、いろいろとご事情がおありのようです。さらに行きます。お次は蘇州胡同61号というアパート。アパートのゲートのはす向かいに、高い建物が。しっかりと春聯が貼られています。三階建アパートのようです。まだまだ行きます。こちらは「首都建設報」。【今から80年ほど前のこと】今回は、梨本祐平著『中国のなかの日本人』(1969年10月25日発行、同成社)に登場する人物や舞台地、会社や関連する、あ...第223回北京・蘇州胡同(11)中華民国臨時政府などのあった場所

  • 第222回 北京・蘇州胡同(10) 日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その五)

    では、おじゃましてみたいと思います。緊張感とワクワク感がないまぜになっております。左側に通路があったので、まずは行けるところまで行ってみたいと思います。まだまだ行けます。突き当たり。ここまでやって来たところで、住民のお一人とばったり。拙い中国語でお訊ねしたところ、洋館は短くとも100年は経っているとのこと。わたしは、目を輝かせながら、「そうでしょ、そうでしょ」とご機嫌。「不通」と書かれた文字が気になっていたので、中に入って写真を撮りたい旨を伝えると、「大丈夫、大丈夫」という言葉をニコニコ顔で返してくださった。わたしもニコニコ顔で、いよいよ洋館へ。ワクワクしてます。【今から80年ほど前のこと】梨本さんの『中国のなかの日本人』によりますと、1938年(昭和13年)に「北支那開発会社法」なるものが内閣から発表されたそ...第222回北京・蘇州胡同(10)日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その五)

  • 第221回 北京・蘇州胡同(9) 日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その四)

    紫石旅館の前には、幹から生えた枝のように一本の路地が伸びています。行ってみたいと思います。遠目に見た感じでは、こちらの路地には民国風の建物が多いようです。通れませんの札。ドアは今風。でも、造りは民国風。この手の造りが多いのが、この路地の特徴のようです。どんどん行きます。門扉の上の飾りが伝統的なものも。玄関や外壁などに見られるちょっとしたお洒落。単なる飾りではなく、道行く人への実に何気ない雄弁な挨拶にもなっているんじゃないか。行き止まりではなく、左手にはさらに細い路地。まだまだ行きます。こちらは、年季の入った、渋い木製の門扉。見る者の眼差しを拒まない温かみや柔らかさ。奥から放たれる渋い輝き。年季の入った把手のなんと艶っぽいことか。そして、把手の非対称の美しさ。思わず接写。さらに行きます。こちらが、この路地の最北端...第221回北京・蘇州胡同(9)日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その四)

  • 第220回 北京・蘇州胡同(8) 日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その三)

    来た道を元のところに引き返し、再び東方向に歩き出しました。左手に見えるのは「中京蘇州社区委員会」ならびに「蘇州社区居民委員会」の施設です。上の建物の真向かいには、公共トイレ。先ほどの「中京蘇州社区委員会」ならびに「蘇州社区居民委員会」のはす向かいにはこんな風景が広がっていました。この景色、以前見たことがあるような・・・。「見たことがあるような・・・」ではなく、確かに「紫石旅館」という文字は見たことがある。そこで帰宅後、写真を探してみると、やはりありました。撮影は2014年の10月18日。でも、何かが違う、何かが違うんですよね。しばらく2014年に撮った写真と今回のものとを比べていると、「紫石旅館」という看板のある玄関の位置が違っていることが判明。現在の旅館の看板と玄関は、2014年の場所より、もっと手前にあり、...第220回北京・蘇州胡同(8)日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その三)

  • 第219回 北京・蘇州胡同(7) 日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その二)

    庭の一画に今にも壊れてしまいそうな物置小屋のある洋館の向かい側には二層のアパートがありました。そして、通路を挟んでその向かいには伝統的な住宅。わたしが佇む時代の隔たりを感じさせる二種類の建物の間の路地は、まことに不思議な空間。多少の混乱や戸惑いを伴いながらも色も匂いも音も違う時代をいとも簡単に行ったり来たりできてしまい、時によっては、ほんの少し手間をかければ自分と違うさまざまな時代を生きた人々と、たとえかりそめであったとしても出会うことができてしまう。さまざまな時間旅行のできる胡同はおもしろいなぁと思う。前へ進むと直ぐに行き止まり。そこで元のところに引き返し、次は北端にあった出入口の中へ。やはりおじゃましてみました。行き止まりなので前にご覧いただいた飲食店のところまで戻り、続けて南方向にものびる蘇州胡同を歩いて...第219回北京・蘇州胡同(7)日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その二)

  • 第218回 北京・蘇州胡同(6) 日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その一)

    【現在のこと】前回ご覧いただいた飲食店の東側に、北方向にのびる一本の路地がありました。出入口のところに「此路不通、請勿穿行」(この先行き止まり)と書かれた貼り紙。少し歩くと97号院。と、いうことは前回ご覧いただいた飲食店は99号院ということのようです。97号院の向かい側。何気なく民国風。次は95号院。だいぶ手が加えられていますが、奥に洋館らしき建物が見えたのでおじゃましてみました。この建物は、ひょっとして前回ご覧いただいた次の大きな建物の一部なのでは、と思われます。【今から80年ほど前のこと】“今や六十四才、五尺足らずの短身痩躯、その上、片眼がつぶれていつも黒い色眼鏡をかけている。一見、不気味な妖気が漂ようが如き人物である。”(梨本祐平『中国のなかの日本人』1969年、同成社より)名前は、王克敏(Wankemi...第218回北京・蘇州胡同(6)日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その一)

  • 第217回 北京・蘇州胡同(5) 公然の秘密たる非合法な営業が繰り広げられていた。

    好物の白菜をあとにして再び歩を進めると、何やら大きなゲート。顧みれば2014年10月に撮った写真にもこのゲートは写っていました。しかし、注目していただきたいのは、何といってもゲートの西隣に肉屋さんがあったこと。こちらのお店を経営なさっていらっしゃったのは、どうやら回族の方だったようです。そのため扱っているのは牛肉と羊肉で、豚肉はおいてありません。余談になりますが、今年の干支は「猪(イノシシ)」。しかし、中国では「猪」は「zhu(ヂュー)」と読み、豚のこと。だから中国では本年はブタさんの年なのです。ちなみに、「イノシシ」は「野猪(yezhu/イエヂュー)」。時間を現在に戻してゲートを通り過ぎると、理髪店がありました。しかし、看板が出ておりません。なにやら規制があるようです。しかし、理髪店のシンボルマーク、サインポ...第217回北京・蘇州胡同(5)公然の秘密たる非合法な営業が繰り広げられていた。

  • 第216回 北京・蘇州胡同(4) 日本占領下、日系おみやげ店や日本旅館があった。

    1965年の地名整頓時に蘇州胡同に編入された延寿庵胡同の南出入口を出て、ふたたび東方向に歩き始めると、アパートに沿って健康増進のための運動用具が置かれていました。運動用具にまじってゲーム。身体の健康だけではなく、頭脳も健やかでなくてはね、といったところでしょうか。置かれていたのは、象棋(xiangqi/シアンチー)。中国将棋。上にご覧いただいた運動用具の置かれている向かい側は立派な門構えのお宅です。可愛らしい提灯(灯籠)がさがっています。門牌の字体が素敵でした。この蘇州胡同106号は、一般住宅ではなく、看板は出ていませんが超市(スーパーマーケット)。この超市の外壁に沿って少し歩いてみました。歩いてみて、4年ほど前の蘇州胡同にはたくさんの商店が所狭しと並んでいたことを思い出しました。たとえば、2014年10月に撮...第216回北京・蘇州胡同(4)日本占領下、日系おみやげ店や日本旅館があった。

  • 第215回 北京・蘇州胡同(3) 今は昔、延寿庵、八宝楼という胡同がありました。

    118号院を後にして再び胡同を歩き始めると、前方に一匹のネコがいました。名前はボス。数ヶ月前に出会い、飼い主がいるのかいないのか分からず、もちろん名前も知りません。「ネコ、ネコ」と呼ぶのではどうもしっくりしない。そこで勝手に付けた名前が「ポス」。その貫禄のある容貌やのっしのっしと歩く姿から付けた名前です。ボスはその顔は怖いのですが、その顔とはうらはらにけっこう甘えん坊将軍。こちらがボスのそばに立ってその姿や周囲の景色を眺めていると、「ミャオ、ミャオ」と可愛らしい声を出しながら、こちらの足に身体をすりつけてくるのです。ボスではなく、甘えん坊将軍あるいはミャオ子と名づけた方がよかったかもしれません。ボスの話をすると長くなるのでこの辺で切り上げますが、ボスがウロウロしている辺りの南側には一軒の食堂。店名を示す看板は出...第215回北京・蘇州胡同(3)今は昔、延寿庵、八宝楼という胡同がありました。

  • 第214回 北京・蘇州胡同(2) 名前の由来や会館などについて少し触れてみました。

    蘇州胡同。蘇州胡同134号院。玄関脇ではスズメたちが餌を啄ばんでいました。この餌は、住民の方がスズメたちのために用意したもののようです。これから寒くなるから、たんと召し上がれ。音読みで「シュウ」、訓読みで「あつまる、つどう」と読む「集」という漢字は、「木」と「隹(ふるとり)」で出来ています。「隹(ふるとり)」とは、鳥のこと。枝にいっぱいの鳥がとまっている様子を表したのが「集」という漢字。胡同を歩いていると、この「集」という字が頭をよぎります。この134号院の前には、アパート。134号院の隣。正面が洋風に飾り立てられています。かつての中国の大工さんたちが見よう見まねで懸命に造ったのではないでしょうか。この建物はこの胡同が清末から民国期にかけて人通りの激しい繁華な場所ではなかったか、そんなことを想像させるほんの一例...第214回北京・蘇州胡同(2)名前の由来や会館などについて少し触れてみました。

  • 第213回 北京・蘇州胡同(1) 崇文門内大街沿い西出入口からほんの少し歩いたところまで

    今回は、崇文門内大街沿いにある「蘇州胡同(Suzhouhutong/スゥーヂォゥフートン)」を散策しました。中国の百度地図を見ますと、緑色で塗った部分が「蘇州胡同」のように思えてしまいますが、実際にはオレンジ色の部分も蘇州胡同ですので、お歩きになる際にはご注意ください。当日、歩き始めたのは、崇文門内大街沿い西出入口から。散策したのは11月の下旬で、周囲の景色もすっかり秋色になっていました。北京の秋は短く、冬の訪れが早いので、しっかりと秋色を目に焼き付けておかないと・・・。右側(南側)角は立体駐車場、左側(北側)、東方向にのびる木立の向こう側には、内蒙古大厦(ビル)という高級ホテル。住所は、東城区崇文門内大街2号院。歩き始めて立体駐車場を過ぎると、石塀の向こう側に早速目を惹く建物が・・・。華風洋館と伝統的な建物と...第213回北京・蘇州胡同(1)崇文門内大街沿い西出入口からほんの少し歩いたところまで

  • 第212回 北京・公平巷 公平当と箭桿白胡同

    今回は、第206回でご紹介した「中鮮魚巷」の一本東側を南北に走る「公平巷(Gongpingxiang/ゴンピンシャン)」を歩いてみました。このプレートは公共トイレの外壁に貼られていたもの。このトイレの名称は「公平巷16号旁」。【その名称や形状の移り変わり】〇清の光緒年間(1875年ー1908年)その名称「公平当(Gongpingdang/ゴンピンダン)」。〇民国期(1912年ー1949年)同上。次の地図は2007年4月に発行された『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収の「北平旧城街巷胡同図(内城東部)」の一部。赤色部分が「公平当」。〇新中国成立後(1949年ー現在)1965年の地名整頓時に「公平当」の南端から東にのびている「箭桿白胡同(Jianganbaihutong/ジエンガンバイフートン)」を編入、現...第212回北京・公平巷公平当と箭桿白胡同

  • 第211回 【お知らせ】 人工衛星で地球を観察する男からの案内状

    地面に這いつくばうようにして胡同を歩いている私からすると、人工衛星から地球を観察するという、そのスケールのあまりの壮大さによって私のつつましやかな日常や常識に揺さぶりをかけ、一体何を企んでいるのかさっぱり分からず、思わず「怪しい」とつぶやきたくなってしまう一方で、そのおびただしい得体の知れなさによって私を惹きつけてやまない知人の男から一通のメールがやってきた。リモートセンシング。私にとって決して身近ではない、いや、私の日常にとってまったく無縁と思われるこの言葉の意味は、ある本の著者によると「空(宇宙)から地球上をカメラやレーダーなどのセンサーで撮影・スキャンし、その“画像”をみて地球の状態について調べる技術」「医者がレントゲンをみて診断を下すように、どこで火事が起こっていとか、地震の被害の状況がどの程度かといっ...第211回【お知らせ】人工衛星で地球を観察する男からの案内状

  • 第210回 北京・侯位胡同(後) 住んでいたのは“祥泰義”という老字号の老板だった!?

    福の字の貼られた玄関のある建物の屋根越しに見える華風洋館を早く見たい。そんな気持ちを抑えて侯位胡同を歩き出しました。提灯(灯籠)がさげられ、国旗が掲揚されているこちらは侯位胡同11号院。この11号院のところでこの胡同は北方向に折れています。隅きりされた角地の様子。北方向を撮ってみました。写真奥に見える大きな建物は北京日報北京晩報社の社屋。住所は東城区建国門内大街20号。左手手前は9号院。その斜め前に8号院。問題の洋館のあるのは、この8号院の中。早速おじゃましてみました。上の写真の突き当りを右へ。本来ならば、ここで右へ曲がったときの写真をご覧いただくわけですが、どうしたわけか撮り忘れてしまいました。そこで右へ曲がって正面にわたしが見たものを書いておきますと、それは玄関とその上にあった小さな円形の二枚の鏡。次は、こ...第210回北京・侯位胡同(後)住んでいたのは“祥泰義”という老字号の老板だった!?

  • 第209回 北京・侯位胡同(前) ある老板が住んでいたという洋館に遭遇しました。

    今回は、侯位胡同(HouweiHutong/ホウウェイフートン)を散策しました。当日歩き出したのは、前回ご紹介した「北鮮魚巷」沿いにある東出入口から。まずは、名称や形状の移り変わりについて、ざっとご紹介させていただきます。〇明の時代次の地図を見ると、その名称は不明ながら胡同自体はあったことが分かります。上の地図は、2007年刊『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収「明北京城街巷胡同図万暦ー崇禎年間(公元1573-1644年)」より。オレンジ色の部分が「侯位胡同」です。〇清の時代『デジタル・シルクロード|古都北京デジタルマップ』所収「乾隆京城全図」で確認したところ、上掲の地図と同じくその名称は不明ですが、上掲の地図と同形であることが分かりました。地図は著作権の都合により省略しました。ご興味をお持ちの方はご面...第209回北京・侯位胡同(前)ある老板が住んでいたという洋館に遭遇しました。

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