稲村くんの家から駅まで歩く。2人でこうして夜道を歩くことなど滅多にない。冷たい夜風が吹き抜けていくが、興奮した脳はまだ冷めておらず奥の方でキーンと鳴り続けている。「どうした?疲れたのか?」隣を歩く秀人が顔を覗き込んだ。「ああ、うん」「滅多に歩かないからな」「はあ?ここまで5分も掛かっていないぞ?秀人こそ、疲れたんじゃないのか?石場を抱えたり、縛ったり。何でも有りの一日だったからな」
秘書課の2人は石場を一旦は見失ったが、石場の関係先を片っ端から調べあげた。最後に目撃した駅周辺で石場が頼りにしそうな人物、立ち寄りそうな場所をピックアップしたところ、『S-five』の稲村孝典の自宅の最寄り駅だとわかり、寿氏に指示され急いで来てくれたのだった。「すみません。目を離さないように言われていたのですが、尾行に気付いていたようでまかれてしまいました」申し訳なさそうに男性が頭を下げた。 玄関に...
「蔵野は逃げているそうじゃないか?」秘書課が石場の後を追っていた。一度は居場所を把握したが、再び見失ったと連絡をもらった。自棄になったら何をするかわからないから注意しなさい、と寿氏には忠告されている。「逃げているというか、付き纏われるのが嫌なだけじゃないですか?」「紺野の所にも連絡があったらしいが、相手にしなかったと言っていたよ」石場としては、紺野を捉まえて対策を練りたい所だろうからね。「離婚が成...
本社に戻ったのは午後5時を過ぎていた。信吾さんは隼人、義道会長たちと一緒に本家に行くのでそのまま残った。「稲村くん、色々とありがとう」「嫌な役目を負わせてしまって申し訳なかった」「いいえ!山下常務が私の目を覚ましてくださったのですから」稲村くんは石場美次との事を
紺野麻友は、『”後継者のいない老舗料亭や旅館に一流の女将を育てて派遣する新規事業”を立ち上げるのでご助力願いたい』という電話を信じてここまでやって来た。オフホワイトのスーツを粋に着こなした紺野は確かに美人だ。だが、会議室から出てきた紺野の顔は怒りに満ちていた。廊下に人気はなかったが、その場で怒りを露わにする様なことはなく唇を一文字に引き結んでこちらへ歩いてくる。
昼食後、義道会長は席を外された。森実部長と《ひかみ》の売買契約を交わす為だ。義道会長には、今回の件に関わった紺野麻友をこのまま許してやるような寛容さはない。俺に対してどうこうではなく、隼人に赤っ恥を掻かせた石場と紺野に対して強烈な嫌悪を抱いておられるのだ。紺野麻友を非難するような言葉は一切発せられなかったが、それが余計に怖い。紺野と森実則武、坂巻安朋議員を引き離し、まずは《ひかみ》を奪うおつもり...
★パパの一番長い日、好評につき?第四弾です!!恋とは戦さのようなもの・48話から蔵野への追及が始まるわけですが、その日の三木店長を書いてみました!!ついでに長かったんで「その4」「その5」の2話になります。興味のない方はすっ飛ばしてください!!では、どうぞ!! 午前8時。本社にはすでに信吾さん、山下くん、綱本さん、稲村くんが集まっているはず。朝食を終えた俺は、お気に入りの腕時計を左腕に着け、ネクタ...
昼食の前に自分と紺野との不倫関係の証を見せられた森実部長は、青ざめた顔で義道会長と共に別室に消えた。しばらくして義道会長と森実部長は隼人の社長室に戻って来たが、森実部長は食欲はないようだ。隼人が食事を勧めても上の空で、昼食が終わるとそそくさと退室した。 森実部長と紺野との密会現場を撮影したのも、やはり石場美次だ。ちゃんと証拠を残している辺り、紺野も石場も用意周到だ。隼人も食事中は元気がなかった。...
「どけ!」蔵野は寿氏の身体を押し退けて進もうとするが、寿氏も譲らない。「この場でお願い致します。文面は出来上がっておりますので、サインと印鑑をお願い致します」「どけ!」蔵野は寿氏の身体を乱暴にどけた。まだまだお若いとはいえ、すでに定年を迎えている寿氏を乱暴に扱う蔵野の様子を見ていた隼人は、もう温情などいらないと思ったのだろう。「綱本室長、もう辞表は結構です。彼は解雇処分とします」これまで見た事のな...
「はっきりさせておきたいのでね」義道会長は落ち着いた声で答えた。「はあ?何をはっきりさせるんですか?俺が何をしたって言うんですか!」「君を陥れようなどとは思ってはいない。我々は事実が知りたいだけだ」「事実?俺はここでは何もしていない!」隼人が、隣に座っていた信吾さんに小声で「ここでは、ってどういう事?」と、話し掛ける。信吾さんは蔵野に向かって雑に、「座れ」と言った。蔵野の態度があまりにも悪すぎて、...
「則武くん、君と紺野は不適切な関係なのか?」義道会長が冷ややかな眼差しを森実部長に向けた。 義道会長は
隼人の辞職要請を聞いても、蔵野の態度はふてぶてしいままだった。椅子を少し後ろに引くと足を組んで、胸の前で腕を組み答えた。「私を部長に据えたのはあんただ。クビにしたらいい」森実部長は引き攣った顔で「蔵野くん!」と小声で注意したが、蔵野は聞いちゃいない。だが隼人は再度、頭を下げた。「お願いします」隼人はこれ以上、醜態を曝したくないのだ。そしておそらく、我々が握っている蔵野の不正がこれだけではない、と...
紺野麻友は「私はもう帰らせていただきます」と、言って立ち上がった。蔵野は彼女に他人事のように「お疲れさまでした」と一言。それには隼人が、「ふざけるな」と声を荒げた。「隼人」義道会長が隼人を諌めたが、隼人の気持ちは治まらない。
《ひかみ》の女将・紺野麻友は、実に堂々とした態度で会議室に入って来た。スッと足を揃えて座る姿はさすがだ。銀座の名店《カサブランカ》で働くホステスは、言葉遣いや行儀作法、立ち居振る舞いを徹底的に叩き込まれるそうだが、紺野はそれを体現している。義道会長の圧にも負けずに優雅に微笑んでいる辺り、並みの度胸ではない。隼人や森実部長といった
隼人は蔵野から少しだけ距離を取った。その距離が、2人の関係にも反映すればいいが・・・。森実部長も迷惑そうに蔵野を見ているが、蔵野は2人の視線を無視している。蔵野の釈明を聞きたい隼人と、追突事故に遭ったかのように迷惑そうな森実部長は蔵野越しに顔を見合わせていた。 ボイスレコーダーの再生が始まった。ヒステリックに叫ぶ女将の声が会議室に響く。『私はどうしたらいいの!?病院に行けばいいの?吐いた方が良い...
その場にいる者たちの顔を一通り見回した蔵野が座り、代わりに義道会長が立ち上がった。蔵野と森実部長に挟まれて座った隼人は、これから何事が起きるのかと落ち着きがない。自分がなぜここに座らされたのか全くわかっていないが、さすがにいつもの感じで「信ちゃんどうしたんだよ?」とは聞けずにいた。それで綱本室長に目配せしたのか、寿氏が隼人の傍に歩み寄った。義道会長はそれを見て、軽く咳払いをして寿氏の動きを止めた...
早朝7時に『S-five』本社の役員室に集合した。メンバーは、信吾さんと俺、秀人と稲村くんだ。昨日、圭介くんは「自分も行く」と言っていたが、彼が本社にいないと困るので何とか納得してもらった。 『K・Uカンパニー』の元社長は、蔵野への怒りに燃えていた。娘と蔵野との離婚が整った今、躊躇がない。秀人がコンタクトを取ったところ、蔵野元社長は使途不明金の存在をぶちまけてくれたのだ。稲村くんが調べていた横領の資...
「坂巻議員の地元では、紺野麻友は良く思われていません」「地元にまで顔を出しているのか?」「いえ、後援会の会員が上京すると《ひかみ》へ案内されるようです」2ヶ月前に亡くなった坂巻先生の奥さまは癌だった。大腸癌から始まり、肺へと転移した癌は骨にまで。何度も転移を繰り返し、その度に手術。入退院を繰り返していたが、骨への癌転移が原因で骨折した奥さまは車椅子が必要な生活となったらしい。坂巻先生は地元に妻を残...
役員室には信吾さんと秀人がいた。秀人は電話中。稲村くんはまだ戻ってこない。 日の入りを迎える時間が一日一日遅くなる。役員室にも夕陽が差し込んでいた。ブラインドの隙間から漏れてくる淡いオレンジ色の光が、今日の太陽の最後の輝きだ。 信吾さんには午前中に『滝山産業』に行き、春山くんに研修先の変更を伝えてもらった。春山くんには、《花宴》の隣の《サラダボックス・B》で店舗実習をするように伝えた。あそこなら...
のんちゃんは女将が使った湯のみ茶碗や、食べた茶菓子の残りを全て保管している。いざとなれば、それがのんちゃんが何も服用させてはいないという証拠になるからだ。俺たちに部屋を片付けるように指示した時に、湯のみ茶碗の飲み残しを捨てずにそのまま保管するように指示されていたのだ。もし女将が警察に行っても、女将が口にした物の中には何も入っていないから警察が動く事はない。湯のみ茶碗には女将の口紅の跡が残っている...
信吾さんには役員室に残ってもらった。電話中の秀人には、蔵野と会うとは言わずに行く。だが、圭介くんは俺の腕を掴んで放さなかった。「どうしたの?圭介くん。ここはうちの本拠地だよ?蔵野は何も出来はしないさ」「俺も行く。不動産の事務所で見張る。何かあったらすぐに呼んで。助けに行くから」圭介くんは右手で拳を作って見せた。「わかりました。《銀香》から離れません」「約束だよ?俺を出し抜いて他所に行っちゃったり...
本社に戻り、三木くんと合流した。 《ひかみ》の女将・紺野麻友を調べてくれたのは三木くんだ。三木くんは圭介くんの代わりに本社に残った。稲村くんは常に三木くんと連絡を取っていて、2人は仕事の合間に蔵野や則武、紺野麻友や坂巻議員らの周辺を調べていたのだ。「坂巻議員は蔵野とも懇意にしていますね」「以前、隼人に頼まれて坂巻議員のパー券を買った事がある。それは則武経由だったと記憶している」信吾さんの同級生や...
作戦を思い付いたのはのんちゃんだ。圭介くんと稲村くんを「部屋を準備する」と言って連れ出したのんちゃんは、2人に小型ボイスレコーダーを準備するように指示した。すぐに三木くんに連絡して、稲村くんが受け取りに行った。のんちゃんが女将のバッグにこっそりと小型のボイスレコーダーを仕込み、《伯楽》からの会話が全て録音されていたのだ。 《ひかみ》の女将・紺野は《伯楽》を出た後、青くなって駐車場まで急いだ。女将...
のんちゃんは俺たちに「そろそろお帰り」と、少々冷たく言った。信吾さんが「帰ろう」と促し、俺たちは先に部屋を出る事になった。廊下に出ると、信吾さんが隣の空いた部屋の襖をそっと開けて俺に手招きした。人差し指を自分の唇に当てて「静かに」とサインする。襖を隔てた隣の部屋の話し声が微かに聞こえる。本格的に店が開いて客が入り、人の出入りがあり、スタッフの動きがあると隣の部屋の声は聞こえなくなるが、今はまだ開...
皆で炬燵に足を入れ、焼きそばを囲みながら他愛もない話が続く。いつになったら本題に入るのか、全く先は見えない。だが、ここへ来た目的はなんだっただろう、とか考える暇はなかった。それくらい焼きそばが美味かったのだ。俺たちは皆、昼食後とは思えない食欲で焼きそばを胃に収めたから驚きだった。圭介くんが「おやつ」と言ったのをのんちゃんは聞き逃しておらず、量は加減してあるようだったが俺たちは「おやつ」とは言えな...
圭介くんは自分の車に俺と稲村くんを乗せて、鼻歌交じりで車を走らせる。「圭介くん、いきなり行っても大丈夫か?」「大丈夫だよ。喜ぶよ」「まだ《伯楽》は開店していないぞ?」「大丈夫だって!のんちゃんの一番のお気に入りの山下くんだよ?怒るわけがない」《伯楽》ののんちゃんに「SOSしよう」という圭介くんの考えに異論はない。俺もそれを考えないでもなかったから。俺が則武さんと誠豪さんの兄弟仲を聞いたから、のん...
本社で信吾さん、稲村くんと合流した。役員室に集合して、注文しておいた弁当を食べながら報告をかねてミーティングだ。「とんだ目に遭ったね、山下くん」「いえ。ご心配をお掛けしました」「君が無事で良かったよ」と頷いた信吾さんだったが、朝から散々仕事を回されて疲れている圭介くんに「おいっ!」とテーブルを叩かれた。「無事ならいいって話じゃないだろ?」機嫌が悪いから、圭介くんの口調はとても厳しい。「酒に薬物を...
午前中はジャージでのんびりと過ごした。まあ、のんびり出来たのは俺だけだったけどね。体調は悪くない。昨夜のような異常な倦怠感や、目が回るような事もない。 先に起きた秀人がベッドルームのドアを開けると、待ち構えていたように猫たちが入って来てベッドに飛び乗った。「おはよう」ゴロゴロと喉を鳴らしながら俺の顔の周りでうろうろしているトラと、大人しく座って待っているクロエ。クロエは布団を捲ってやるとすぐに潜...
稲村くんが帰ったのは深夜。その頃には俺は秀人に支えられて、玄関まで彼を見送れるくらいには回復していた。作用が長続きするような薬ではなかったようで、倦怠感も薄らぎ、ホッとしながらベッドに入った。明日は稲村くんが早番で出てくれる事になり、俺は午後から出勤する。秀人は相当腹が立っていたようで、「明日は俺も午後からしか出ない」と言って譲らなかった。信吾さんには今夜の事はまだ報告していない。秀人はすぐに電...
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