日本史南北朝時代の人物などをテーマにしたほぼ願望の(爆)妄想を荒唐無稽に綴ってゆきます。
煩悩歴史ヲタク・嵯峨恭耶による日本史南北朝時代の人物などをテーマにした妄想小説を展開しています
泣き所を見つけて嬉しいのか、まだ"我が子"が手許を完全に離れてはいないとわかって安堵したのか、直義の態度は言葉とは裏腹に柔らかだった。反対に家長の方は、自信を覆されて途端、硬い表情になる。 「標的……?では、その標的とは何ですか?」 威勢を失い、憐れなほどの緊張感を見せて家長は、己の未熟を認め、俯きがちに問うた。応える直義の声音はもちろん、家長を否定し未熟を諭すというよりむしろ、それを包み込むように優しく暖かだった。
足利一門の中でも屈指の名家、斯波氏の嫡子・斯波家長はこの日、冬支度を始めた鎌倉にひときわだった華やぎをもたらしたといってよい。具足姿で参上した件の若武者を見つめる人々から、にわかに沸きあがったざわめきも、まるで満開の花を前にした乙女が零す、はしゃいだ嘆息そのものだった。 「来たな」 言って足利直義が、息子を迎える父親のような顔になるのを、傍らに控える上杉憲顕は微笑ましく見つめた。
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