幕末・維新に係る記事。史跡訪問。幕末維新系の時代劇レビュー。最近の事件を歴史に絡て考えてみたり。
高杉晋作と幕末志士を紹介するHP「ぬしと朝寝がしてみたい」のブログです。 http://www.access21-co.jp/sinsaku/top.html 住んでる山口県下関市を拠点に観光や出張などで史跡をまわったり、幕末・維新に係るいろいろな記事を書いたりします。
萩の松陰神社は吉田松陰の実兄杉民治が、実家の邸内に土蔵造りの祠を建立して、松陰愛用の赤間硯と松陰の書簡を御神体…
①/② つづき。「興源院殿慈雲紹蔭大居士之塔」。5代藩主立花貞俶の墓。 立花帯刀家当主立花茂高の次男として生ま…
①/② 福厳寺は柳河藩立花家の菩提寺。大友宗麟の宿老であった戸次鑑連が、継母の養孝院を糟屋の梅岳寺に葬り、寺名…
高傳寺には龍造寺家、鍋島家の墓所の他、佐賀七賢人のひとり副島種臣、その兄で藤田東湖や吉田松陰とも並び称され、七…
①/② つづき。「乗輪院殿全機良運大居士(中央)」。2代藩主鍋島光茂と正室虎姫、継室甘姫の墓。初代藩鍋島勝茂の…
①/② 高傳寺は龍造寺家家臣鍋島清房が創建し、鍋島家の菩提寺となった曹洞宗の寺院。「本堂」。本堂は明治34年再…
第23回 「篤太夫と最後の将軍」第24回 「パリの御一新」第25回 「篤太夫、帰国する」「西郷どん」の時は録画…
玉毫寺は小城藩3代鍋島元武の菩提寺として、その死後に創建された黄檗宗の寺院ですが、開山は本人の元武となっていま…
①/② つづき。「寛長院殿前筑刕太守徳山日廣大居士」。5代藩主大村純伊の墓。4代大村純長の次男として生まれ、父…
①/② 大村藩の初代藩主である大村喜前は、熱心なキリシタン大名でしたが、幕府の方針に従い家名存続の為に棄教し、…
平戸藩3代藩主松浦隆信は、2代松浦久信と正室そのの長男として生まれ、父久信が早逝した為に12歳で跡を継ぎます。…
雄香寺は平戸藩5代藩主松浦棟が、的山大島の古寺江月庵を移して創建し、5代以降の歴代藩主の菩提寺となった寺院。「…
現在の最教寺のある場所は、空海が唐より帰国した際に護摩を炊いた場所。この事から平戸藩初代藩主松浦鎮信は、真言宗…
、松浦家の21代当主であった松浦義は、室町幕府6代将軍足利利教により、肥前守に任じられていましたが、義教は嘉吉…
近松寺は鎌倉時代の創建とされ、戦国時代に波多守親が再興していましたが、兵火で伽羅を焼かれた後に、唐津に入封した…
今年も家族旅行へ。未だコロナ禍ですが対策は万全。今回は平戸と嬉野の温泉へ行ってきました。コロナ禍で観光業界は火…
多羅尾家は近衛経平の庶子高山師俊を祖とし、設楽一帯に勢力を持った一族で、戦国時代は六角家に属していましたが、六…
水口城は3代将軍徳川家光の上洛の際、その宿所として築城されますが、本来の目的を果たしたのは1度きりでした。水口…
井伊直興の墓所は彦根藩歴代藩主とは違い、臨済宗永源寺派の大本山永源寺にあります。永源寺は臨済宗、黄檗宗の15本…
彦根藩井伊家の歴代墓所は彦根の清凉寺と、東京都世田谷区の豪徳寺なのですが、彦根藩4代井伊直興だけは、臨済宗永源…
南溟寺の境内は眞鍋城の跡地とされ、楠木正成の家臣真鍋氏の居城だったという。その後廃城となって荒れていた地に、長…
法雲寺は黄檗宗の中本山格の寺院。その前身は真言宗の長安寺でしたが、狭山池の堤防の決壊で流されてしまいます。後に…
来迎寺には令和元年に訪問していましたが初代、11代の藩主の墓の写真は撮らず、山門前の陣屋跡碑を撮影したのみだっ…
聖徳太子の墓所として知られる叡福寺は、その創建年代に諸説ありますが、太子の墓守りの住んだ堂が始まりとされ、歴代…
ゆきちゃんは5歳になりました!ロウソクも一気に吹き消せます。てかこの人、声がデカいし、肺活量が結構あるんじゃな…
大和新庄藩は桑山一晴が立藩し、新庄村に陣屋と城下町を形成していましたが、4代藩主桑山一伊の頃、寛永寺の前将軍徳…
高取城は国内最大級の山城で、日本三大山城の一つとされていますが、※他の2つは備中松山城と岩村城。城郭全域の総面…
旗本であった高取藩初代藩主植村家政は、3代将軍徳川家光の許で出世し、大名となって高取城を与えられ、2万5千石で…
慶田寺は15世紀の創建とされ、芝村藩織田家の菩提寺となった曹洞宗の寺院。「山門」。慶田寺の山門は芝村陣屋南門を…
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