わが輩は、ヒト。わが輩は、ヒト。名前は、尻山二個太朗(仮名)。 ここ最近の、お気に入りはコレ! コロッケでも、サッポロビールでもなく、 ブルドック、ウスターソォーーーース!! お気に入りと言っても、そのまま飲んだり舐めたりするのではない。わが輩のことを何だと思っているのですか、失礼な! ブルドックは長崎ではあまり馴染みのないメーカーだが、よく探せばけっこう近所の店にも置いてある。 ただ、中濃ばか...
わが輩は、ヒト。わが輩は、ヒト。名前は、尻山二個太朗(仮名)。 ここ最近の、お気に入りはコレ! コロッケでも、サッポロビールでもなく、 ブルドック、ウスターソォーーーース!! お気に入りと言っても、そのまま飲んだり舐めたりするのではない。わが輩のことを何だと思っているのですか、失礼な! ブルドックは長崎ではあまり馴染みのないメーカーだが、よく探せばけっこう近所の店にも置いてある。 ただ、中濃ばか...
諫早市の久山港周辺は、ここ数年のうちに産業団地や市のスポーツ施設、ソニー従業員の送迎バス付き駐車場などが次々にでき、朝夕の通勤時間も休日も、交通量が一気に増えてせわしくなっている。 久山港へ向かう大きな道路は、貝津町の日大高校の交差点からと、津水町の信号の無い川端からの2ヵ所だけなので、朝夕の渋滞もひどくなっている。 最近は小さい踏切の通学路や、すれ違えないほど狭い生活道路を、大きなクルマが通...
月曜日の昼めし時、諫早に突然降ったヒョウの大群が、うちの軒屋根の波板に、穴をい~っぱいあけてやがった! ちくしょう、許さん!てめえらみんな、皮をはいで大阪のおばちゃんのコートにしてやる!うわぁ~ん!! 貫通した穴は十数ヵ所、ヒビや傷だけの所も多数だが、もう数える気にもならん。数えたところで直るわけでもなし! うちは中古住宅で、波板は買った時のままだったのでかなり時間は経っているはずだ。そして、屋...
前から言い忘れていたことがあったので、とりあえず書いておこう。あとでやろうと思うと、絶対にまた忘れるからだ。これはすごく自信がある! 自分は、東長崎方面に出かける際、古賀町の旧長崎街道沿いにある松井糀屋(こうじや)で、甘酒と酒まんじゅうを補給食としてよく買う。 あくまでも補給食であって、家族に内緒で買い食いしているのではない。本当だ。信じてくれ。 甘酒は昔ながらのやり方で作っている生モノなので、...
むかし長崎港は、鶴が翼を広げた形をしていたので「鶴の港」と呼ばれていたそうだ。自分も小学生の頃、そう教わった記憶がある。 ※五羽の折り鶴を配した長崎市のシンボルマーク しかし、教科書に証拠の写真が載っているわけでもなく、あの頃、実際に鶴の形を見たお友だちはいなかったはず。単なる都市、いや、田舎伝説だったのかもしれない。というわけで、今回は、かつて長崎港が、本当に鶴に見えたのか見えなかったのか、...
長崎市藤田尾(とうだお)町は、野母半島東部の海岸沿いにある農業集落。 周辺の町はどこも同じだが、山道をぐるぐる登り下りしてやっとたどり着くような所で、昭和初期まではクルマが通れる道も無く、船が主な交通手段だった。 住宅は崖の地形に沿ってけっこう密集しているが、それぞれの敷地は広く、よくある漁村のようなせせこましさは感じられない。 三和町郷土史に、地元の荒木新氏が寄稿された「藤田尾余聞」には、かつて...
諫早警察署そばの交差点から、県道41号線を南に4kmほど進むと、山あいの地にそびえ立つ巨大な鳥居が、不意に目に入る。 目に入ると言っても、眼球内にメリメリ入っては来ないので大丈夫だ!心配はいらない。 ここ、土師野尾(はじのお)町は、山と緑に囲まれた静かな農業集落。 大鳥居は、神仏習合の神「八天狗(はってんぐ)」を祀る、八天岳の神域を示すものだ。 「はじのお」という地名は、安土桃山時代、この地で土師野尾焼...
野母崎の脇岬から、東側の険しい県道を登る途中に、井上(いがみ)という小さな農業集落がある。 海岸に切り立つ断崖絶壁の上で、岩山に囲まれた厳しい環境だが、住居や畑が点在するところは、ゆるやかなテーブル状の地形になっている。 両側の谷には小川が流れ、集落の上方を通る右側の小川から水が引かれているが、別の水源もあったと思われる。 昭和の頃までは、海岸の崖のキワから山のてっぺん近くまで、畑が切り開かれてい...
長崎市茂木(もぎ)町に「切スシ(きりすし)」という、謎に満ちあふれた小字地名がある。 場所は、裳着(もぎ)神社や茂木小学校がある、若菜川沿いの山の北側付近。 今回のミッションは、この切スシ地名の由来解明だ。 切スシなどという地名は聞いたこともなく、似た地名がないかと地図で探したが見つからなかった。 「切スシ」で連想されるのは、大村市の郷土料理「大村寿司」くらい。 ・大村ずしぎおんの大村ずし 甘ウ...
テレビであのちゃんを見てたら「あの」という地名が気になったので、調べてみることにした。 「阿野(あの)」や「安濃・阿納・穴太(あのう)」という地名は全国にあり、例外はあるだろうが、地図を見るとほとんどが湿地のようだ。 ・愛知県豊明市 阿野町 以前は田んぼが広がっていた川のそばの低地。 ・高知県香美市物部町別役 阿野地 深い山の谷間を流れる川沿いに苔むした小松神社がある。・徳島県神山町 阿野 山の谷間...
今は使われていない「小字(こあざ)地名」は、馴染みがないどころか、そこに住む住民にすら次第に忘れられ、若い世代になると、もう聞いたこともないと言う。 しかし、小字地名にはピンポイントの地形や土地状況が反映されており、大きな地名の意味を考えるための一番のヒントになる重要なものだ。 地図オタク以外は知らないだろうが、長崎市古賀町に、「来来林(らいらいばやし)」という、中華料理屋のような、変わった小字地名...
「きょうらぎ」「きゅうらぎ」という類の地名は全国にあり、長崎近辺にも見られる。・教良木(きょうらぎ) 熊本県天草市・厳木(きゅうらぎ) 佐賀県唐津市・久良木(きゅうらぎ) 長崎市中里町 今から100年以上も前、日本民俗学の父 柳田國男(やなぎたくにお)は、歴史地理という専門誌において、「きょうら石」や「きょうらぎ」という地名は、古い信仰による「清浄な霊石・霊木(清ら石・清ら木)」が祀られた地であろうという説を...
長崎県松浦市の御厨(みくりや)町に「郭公尾免(こっこうのお めん)」という、ペポロピッポロ・ヌヘラフンダラ・バッホバホ~ンに意味不明な地名がある。 (意味不明はあんたですよ) 郭公尾免は「北松(ほくしょう)やまびこロード」沿いの、山の上の農業集落。周辺の土地と同様、溶岩台地を雨水が長い長い年月をかけて浸蝕した、特徴的な地形をしている。 「免(めん)」は、旧平戸藩特有の区画単位で、村がいくつか集まった「大字(...
コロナ禍以降、自分は自転車で出かける機会がめっきり減っていたのだが、原付を買ったら、便利すぎてますます乗らなくなった。 でも自転車散歩を完全にやめるつもりはないので、いつかまた来るであろう「マイ自転車ブーム第2期」のため、車体や部品の古いものは整理し、保管するものは保管している。 絞り込みも必要だが、なかなか捨てられずにいるのが貧乏臭くて哀しい。 一番メインで乗っていた田舎散歩用自転車「いなちゃ...
アジフライの聖地としてだいぶ名が売れてきた、長崎県松浦市。 玄界灘に面する「調川町」の読み方は、「しらべがわ」でも「ちょうせん」でも無く「つきのかわ」が正解。 ちょっと読むのが難しい「キラキラ地名」と言うヤツだ。(言わねえよ) 「調」という字は「つき」「みつぎ」と読み、古い時代の税制や貢ぎ物の意味がある。 調川(つきのかわ)という地名は、古代の租税である「租庸調(そようちょう)」のうち、「調」の「皮」...
江迎町のレストラン庄屋本店が火事で全焼したことを、当日のニュースで知った。 人的被害がなくて幸いだったが、今どき貴重な「長崎遺産」だったあの藁葺き屋根の建物が焼失したと知り、思わず「うんにゃ、もったいなさよぉ~~!」と声が出た。 6m以上の強風の中、近くの畑で野焼きをしていて火の粉が飛んできたらしい。もし違っていたとしても、あまりに常識外れだろう。 人のことを考えず迷惑をかける者は多いが、大抵は...
前回、トウボウという地名は、「堤防のような砂州や砂丘(トウ)が、長く伸びる所(ボウ)」だろうという話を書いた。 その検討の際、「ボウ」の意味がなかなか判らず、ふと思った。もしかして、「トウボウ」は、別のひとつの言葉が変化したものではないか? トウボウに似ていて、砂州にガッツリ関係する言葉がある。 「トンボロ」だ。 ・天草郡苓北町 富岡のトンボロと砂嘴 砂州(さす)が発達して陸と島が繋がった地形...
長崎市の東部、矢上地区を流れる八郎川の河口付近に、東望(とうぼう)という名の地域がある。 国道地理院地図より なんかカッコよさげな地名だが、標高42.4mの東望山から東の方を望んでも、特に絶景ということもない。 昔の地図には「東方」や「東房」とも書かれているし、漢字は関係ないようだ。 南島原市口之津町の海岸周辺にも、東方(とうぼう)という地域がある。 国土地理院地図より 自分は若い頃、...
僕らが中学生だった昭和50年代、長崎では「ミートパン」という惣菜パンが売られていた。 東洋軒の「サラダパン」と並んで人気だったミートパンは、たぶんイービーキムラヤの商品だったと思う。当時、パンは地元メーカーばかりで、他の選択肢はほぼ無かった。 ミートパンは、切れ目を入れたコッペパンに薄っぺらいハムカツをはさみ、ケチャップソースで味付けしたもの。 自分はこのパンが好きで、学校近くの山崎商店の平台に並...
新年あけましておめでとうございます 本年も頑張る気などはまったく御座いませんが、もし間違ってこの散歩記を見てしまった際には、ほんのしばらくの辛抱ですので、おつきあいのほど宜しくお願い致し奉り候にごぜえます。 2025年は巳年なので、へびに関することを少し書きましょう。 雲仙市吾妻町栗林名に鎮座する、水分(みくまり)神社は、「水配り」の意味で、大切な農業用水を与えてくれる水の神様。 神社には普通、両側に狛...
11月の連休には、久し振りに、湯けむり立つ小浜(おばま)町へ行ってきた。「今ごろ11月の話かーい!」とお思いだろうが、私は気にしないのでまったく問題ない。ノープラモデルだ。(シケッ!) 特にどうしても行く理由はなかったのだが、貧乏性の貧乏人なので、秋晴れの休日に家にいるのはもったいない気がして、調べものがてら諫早の自宅から原付で出かけた。 こっち方面へ向かう時は、通常、宗方町の溜め池沿いの道から森山町の...
長崎市田上(たがみ)の山の上にある「祝捷山(しゅくしょうざん)公園」の周辺は、その昔、長崎氏と深堀氏の軍勢が戦った所と言われており、「合戦場(かっせんば)」という小字地名がつけられている。 この地名については、以前「田上近辺の高地を巡る」の回でも少し触れたが、中世の寒村で、こんな山の上のさらに急な崖の上で合戦が行われたとは、ちょっと考えにくい。 兵は、鎧を着けて武器を抱え、険しい山をいくつも越えてここ...
西彼杵郡「日見(ひみ)村」は、昭和30年に長崎市に編入され、自治体としての地名は消滅した。 自分たちの世代は、「日見」といえば、まず「日見峠」と「日見トンネル」を思い浮かべていた。多くの近隣の町の人も同じだったろう。 現在は、国道34号線の日見バイパスが開通して、トンネルの道は県道に格下げとなり、通るクルマも少なくなった。 平成13年に、日見トンネルは、歴史遺産として文化庁の有形文化財に登録されている。...
時津町の北端に位置する「子々川郷(ししがわごう)」は、中山ダムがある山の窪地の集落から、北側の坂を下った低地の集落、そして大村湾の漁港集落までを含む、細長い地域。 子々川郷(ししがわごう)は、「ししかばぶう」に似ているが、食べられない。 (そりゃ、地名だからな。) 「◯◯川」という地名は、もう聞き飽きたと思うが、川の名が地名になったのではなく「大雨で川のようになる土地」を言ったものだと自分は考えている。...
「左底(さそこ)」という地名は知っていたが、どこかは知らなかった
自分は若い頃、時津町の「左底郷(さそこごう)」がどこかはよく知らなかったが、「さそこ」という地名だけは覚えていた。 クルマのラジオで、日本道路交通情報センターの「オオタさん」が、小鳥のような美しい声で「サソコの交差点では〜♪」と言うのをいつも耳にしていたからだ。 左底郷は、賑やかになった時津港の海岸から南西側の山の方に向かい、平坦でそこそこ深い谷が細長〜く続くところ。 以前は「佐底」と書いていたの...
西彼杵郡時津町に、久留里郷(くるりごう)という地域がある。 時津町は立派な街になったが、いろいろあって、昔ながらの「郡」や「郷」の地名表記をそのまま使っている。隣りの長与町も同様だ。 それにしても「くるり」という地名は、なかなかインパクトが強い。一体どういう意味なのだろうか。 くるり:軽く一回転するさま (Goo辞書より) 何か話すたびに、クルリと一回転してポーズを決める「カッコつけバカ野郎」が多く住...
西彼杵郡長与町、長与川の下流付近に「嬉里郷(うれりごう)」という地域がある。 「郷(ごう)」は、一般に「村」がいくつか集まったくらいの昔の行政単位。土地によって規模は違う。 嬉里郷は、川の両岸に平坦地が広がる長与町の中心部。役場もここにあり、多くの住宅や店舗が立ち並んでいる。 嬉里の地名の由来は、検索しても出てこない。「神功皇后(じんぐうこうごう)がここで『バナナが熟れり』と言ったから」などというト...
諫早市飯盛(いいもり)町には、疣神(いぼがみ)様を祀る祠(ほこら)があり、その周辺は「疣神(いぼがみ)」という小字地名がつけられている。 疣神とは、祈ったりまじないをすることで、体にできたイボを治してくれる神様。 場所は、船津集落のはずれの海岸で、じゃがいも畑へ登る坂の下。普段は釣り人くらいしか来ない、奥まったところにある。 祠と言っても、石造りの台にいろいろな形の海蝕石を並べてコンクリートで固めてある...
地名散歩 魚洗川(いわれご)&狸山(たぬきやま) 雲仙市国見町
雲仙市国見町の多比良港から、国道389号線を雲仙方面へ登って行くと、百花台公園を過ぎた辺りに「魚洗川(うおあらいがわ)」という川沿いの集落がある。 地元では古くから「いわれご」と呼ばれていた。 「いわれご」は単に「うおあらいがわ」が方言で変化した呼び方だろう。 昔は魚(ウオ)を「イオ」と言った。長崎では現在も広い範囲でイオと言っている。 昔は「川」は「コ、ゴ、ゴウ」と読んだ。長崎では現在もそう読む地名...
雲仙市千々石(ちぢわ)町の橘(たちばな)神社の近くに「大操子(うぐるす)」という、珍しい地名がある。 最初にこの地名を見た時は、何のことやらサッパリ見当がつかず、やっと思いついたのは次の2つくらいだった。案1.宇宙船を「地底怪獣モグラー」に破壊され、帰れなくなった「ウグルス星人」が、故郷を懐かしんでつけた地名ではないか。 (さっそく始まったようだな・・)案2.ここの本来の地名が決まって発表する際、司会者...
地名散歩 薩摩城(さつまじろ) 長崎市田中町(矢上 中尾地区)
大ネタの記事が「諸般の事情」で仕上がらないので、UPできない。(どうせ怠けだろうが) 何かサッと出来てお出しできるものがないかと探したら、すっかり忘れていた地名ネタがあった。 だいたいメモや下書きがあるのだが、今回は何もなかったので今から書く。 長崎市矢上町の番所橋から中尾川沿いを山に向かって進むと、けっこう大きな「中尾ダム」に着く。 そのダムの、一番奥の対岸の崖の上に「薩摩城(さつまじろ)」という小...
自分は昭和の頃、長崎市内から諫早市へ移り住み、途中、出稼ぎにも行ったが、もう長いことこの街に暮らしている。 長崎の地名を語るなら、「諫早」についても、そろそろ私見を述べておかにゃんならんこっで、ござんすナタ。 (無理してコアな諫早弁を使おうとせんでいい!) 「イサハヤ」の地名由来は、郷土史などでも納得できる説は見られない。自分でも考えてはみるがどうも決め手がなく、すぐ飽きて、ネットで「侵略!イカ娘...
自分は最近、50ccの原チャリで遠出することが多い。 歳を取って体があちこち弱っているので、この暑い夏に自転車で長い距離を走ると疲れ果てて心臓が止まり、魂だけ家に帰ってしまうかもしれない。原チャリなら漕がなくてもいいので、もう少し生きられそうだ。 しかし、田舎の幹線道路は、路肩が狭くてボコボコで、ダンプやバスや、パチンコで負けて狂ったように蛇行する軽自動車や、弾丸プリウス老人などがブッ飛ばして来るの...
長崎市現川(うつつがわ)町は、矢上地区の八郎橋交差点から、川沿いの緩やかな坂道をしばらく上った所。昔からの農業集落で、土地開発はほとんど進んでいない。 山奥のようだが、実際は谷の奥なので標高は70mほどと低く、途中、急坂もなくクルマも少ないので、自転車でも楽勝で行ける。 自分は以前、特に用がなくても時々ここを訪れ、山あいの長閑な風景や、飼われている牛を見てほっこりしていた。 もっこりしていたのでは無...
これまでの地名散歩の記事で、地名の「崎(さき)」は、「股裂き」などの「裂き」で、「裂けたような地形」を指す場合があるという事を述べた。 (股裂き以外の例えは無いのかよ) ・諫早市真崎(まさき)町 深く狭い谷が、河口から背後の山まで折れ曲がりながら続く。最近気づいたのだが、明治時代の地図には「眞(マッ)崎」とフリガナがついている。「真っ裂き」だ。 今はもう、地元にも「マッサキ」と呼ばれていた事を知る人は...
前回は、上小島と弥生町の「柿木太郎(かきのきたろう)」について書いたので、その近くにある「矢太郎(やたろう)」のことも書いておこう。 長崎市風頭(かざがしら)町の山の上にある、老舗ホテル「矢太樓(やたろう)」の名称は、その場所が「矢太郎岳」だった事からつけられたと、ホテルのHPに記載されている。 以前は「矢太郎という古い地名」からと説明してあった気がするが、思い違いだろうか。ここは小字「矢太郎」の範囲...
地名散歩 雷岡(かみなりおか)の、柿樹太郎(かきのきたろう)
長崎市上小島(かみこしま)の、八剱(やつるぎ)神社から上の方は、古くは「雷岡(かみなりおか)」と呼ばれていた。 明治時代に刊行された「長崎地名考」には、「雷岡は小島郷の内なり その傍に八剱社あり その南に高き空地数畝あるを俗に芝居の地という この辺りを総て雷岡と唱う 今は小島郷という」と書かれている。 文献によっては「雷公岡」となっているが、読み方は同じ「かみなりおか」。 「雷公(らいこう)」とは、雷...
長崎県と佐賀県の境に広がる多良岳(たらだけ)山系は、なだらかな稜線が長く長く伸び、なかなか美しい姿をしている。 自分は若い頃、軽の箱バン四駆で多良岳周辺の道なき道を走り回って遊んでいたので、この山には親しみがある。 自転車でも幾度となく訪れ、標高1057mの五家原岳山頂にも2回登った。 (2回だけかよ) 地名の「たら・だら」は、地形を確認すると「なだらかな傾斜地」を指しているようだ。・福島県 安達太良山...
たわしの大事なパソコンのハードデスクが、この暑さのせいでブッ壊れ、Windowsが起動しなくなってしまった!ア〜ンア〜ン!! 夏は蒸し風呂のような部屋で使うため、放熱性のよい昔ながらのデスクトップPCを選んだのだが、とうとう限界を越えてしまったようだ。 しばらく前から、ディスク使用率が100%のままになる事が増え、ネット動画もカクカクして止まることがあった。 最近のPCのドライブは高速化のためSSDが主流になり、...
ワテのパソコンデスクの部屋にはクーラーが無い!どうだ!まいったか!暑いよう~、暑いよう~ 夜はオリンピックで忙しいし、暑い部屋で記事を書こうとしても、扇風機からは湿度90%の熱風しか出ないので脳みそが溶けて意識が混濁してすぐ涼しい部屋に避難するため、なかなか進まない。 きょうは午後から暑い中出かけることにしたので、今回もとりあえずどうでもいい事を書いて誤魔化しておこう。 西諫早ニュータウンのそばに...
庭の畑の野菜に水をやっていたら、畑の隅に放置したプランターと塀の間に、何やら緑色の平べったいものがはさまっている。一体なんだろう?取り出してみると、パソコンのマウスだった。変だなあ、こんな緑色のシマ柄のマウスなんて持ってないぞ?それに、ボタンのクリック感がまったく無いし、裏にはレーザーのレンズも見当たらない。コードにはウブ毛が生えているし、何か葉っぱやツルのようなものが・・あああ ━━━━ ッ!!スイ...
諫早市多良見町の市布(いちぬの)地区に、山帰来川内(かからごうち)という地名がある。 場所は、JR市布駅から長崎バイパスの古賀市布IC出入口へ向かう途中の、谷間の辺り。 前回の「九重里(こつづら)」のすぐ近くで、ここも長崎市古賀町との市境。多良見町側には長崎バイパスの出口がある。 バイパスの高架をくぐると、古賀町の「正念」という地区になる。 正念も気になる地名だが、昔、この山の中腹にあった「正念寺」に...
昭和50年代に、長崎市古賀町の山を平らにして作られた「つつじヶ丘団地」。 その北西側の崖下に、「九重里」と書いて「こつづら」と読む、いや、読めるかーい!とツッコみたくなる、超難読地名の地域がある。 ※Googleマップより 行政地名ではないが、古い集落のため国土地理院の地図には記載があり、明治35年発行の地図にもその名が見える。最先端のGoogleマップには、出てこない。 当て字にも 限度が...
「西彼杵郡 野母崎(のもざき)町」は、平成17年に長崎市に編入され、慣れ親しんだ「野母崎」という行政地名は無くなった。 しかし、中心部の野母町にある市役所の出張所は「野母崎地域センター」のままだし、多くの人は、今でも長崎半島(野母半島)の南半分を「のもざき」と呼んでいるだろう。 南の島のような青い海、湧き立つ白い雲、遠く浮かぶ島影。そして荒々しい奇岩と急峻な崖のシルエット。ここは長崎人のリゾート地。 ...
重篭(じゅうろう)と十郎原(じゅうろうばる)と、田手原大根の話
以前、長崎市田上周辺の地名の回で、田手原(たでわら)町の山の上にある「重篭(じゅうろう)」集落について書いたが、開拓農地らしいという話だけで「じゅうろう」の意味についてはあまり言及していなかった。 リンク:田上近辺の高地を巡る その後も時々思い出しては調査を行い、いろいろと考えていた。えろえろな事を考えていたのではない。あ、少しは考えたかもしれない。いや、実はたびたび・・(いいから早くやれって...
雲仙市の吾妻(あづま)町と愛野町の周辺は、古くは「山田郷(やまだごう)」と言って、肥前国高来(たかき)郡の官道の駅がある重要な土地だったらしい。 しかし、「山田」という歴史ある地名は、昭和29年に山田村と守山村が合併し、吾妻村になったことで消滅してしまった。 現在は、「愛野扇状地」の上の方、吾妻町栗林名に、かろうじて「山田原(やまだばら)」という通称地名と小字地名が残っている。 行政地名では無いので、Goog...
矢上 間の瀬(まのせ)と周辺の地名 狸山 八峰 新田頭(にたんとう)
長崎市矢上町の国道34号線、滝の観音入口交差点から山の方へしばらく登ると、周囲が開けて平坦な所に出る。そこが平間町の「間の瀬(まのせ)」地区。 「平間(ひらま)町」は「崖に囲まれた所」という意味だろう。「ヒラ」は「平坦」では無く、古い言葉で崖や傾斜地のこと。 「マノセ」という地名は全国にあり、漢字の違いはあるが、その由来はほぼ明らか。独立した細長い小山があり、その形状が「馬の背」に似ているからだ。 ...
そのむかし、長崎港周辺は「瓊ノ浦(たまのうら)」と呼ばれていた。 「美しい宝玉のように、青くキラキラ光る港」といった美称であり、学校の校歌にも盛り込まれている。「瓊浦(けいほ)高校」などは、学校名そのものになった。 昭和の頃、瓊浦高校は周りの人たちが「けいほう」と呼んでいたので、自分も大人になるまでそう読むのだと思っていた。 ちなみに、発音のアクセントはピンクレディーの「UFO!」のような感じ。 ど...
「母ケ浦(ほうがうら)」という地名は「浦」というくらいなので、大抵は海岸か、海岸だった所にある。 「母なる港」と言えば、どこか懐かしく、「おかあさんの港」と言えば、あったかぁ〜くホワホワしい感じがするが、母ケ浦とはどういう意図で付けられたのだろうか。 「母」という字が使われているものの、「ははがうら」と読む例は無く、「母浦(ははうら)」という地名も見当たらない。やはり当て字なのだろう。 この地名は...
気象庁の発表によると、去年に続き、今年の夏もウルトラ猛暑の予想らしい。ペルーのトルティーヤ現象がどうとか書いてあった。(エルニーニョな) それにしても、去年の夏は暑かった!日本の観測史上、もっとも暑い夏だったそうだ。 「暑は夏いでんな」と言っても、誰も反応しないほど暑かった。秋になっても師走になってもまだ暑かった! 非常に、異常に、過剰に、ドジョウに暑かった。YO! (や、やはりラップのつもりだっ...
1992年、本田技研工業は、ジョルノという50ccの原付スクーターを発売した。 デザインは「ローマの休日」で有名なイタリアのベスパをパク、いや、リスペクトしたレトロ調のモデルで、そのおしゃれでキュートなスタイルは、若者に大人気となった。 ヤマハとスズキもガッポリ儲け、いや、市場のニーズを考慮し、そっく、いや、同様のモデルを追って発売した。 ジョルノは独自の発展を続け、そのコンセプトは最後の50cc原付となる...
諫早から島原半島の北側に向かう際、時間があれば立ち寄る店がある。 雲仙市吾妻(あづま)町、「雲仙グリーンロード」沿いにある、 豚肉専門直売店、雲仙どまんなか! 「雲仙あかね豚」という、こだわりのブランド豚が、 「社っ長ォ~、うぅンれし~い!♡」 というくらい、お手頃の納得プライスで販売されている。柿田ファームという会社が運営されているそうだ。 あかね豚の冷凍ハンバーグはけっこう有名であちこちの直売...
「カヤ」のつく地名は、由来を特定するのが難しい。 地名用語語源辞典 楠原佑介/編では、動詞の「覆(カヤ)す・覆る」で、崩壊崖や川の流曲点、または「傾(カヤ)ぶる」?で、傾斜地などの意があるが、すべては当てはまらないと言う。 郷土史などの解説では、大抵「カヤがたくさん生えていたから」と説明されるが、これも絶対に無いとはいえない。しかしここでは、それ以外の可能性を考えたい。 植物の「カヤ」というのは、ス...
大村市の南端に位置し、諫早市と川を隔てて隣り合う溝陸(みぞろく)町に、伊賀峰(いがみね)と言う山がある。 高さは115mだが、「峰」と言うだけの事はあって、三角形の堂々とした姿をしている。 しかしこれは諫早市方面から見たもの。別の角度から見るとコッペパンのような形で、まったく印象が違う。 でも近づいてみると、やっぱり険しい!こいつはなかなか(ハァ、ハァ)油断できない山だ。(何に対してだよ) 頂上まで行くには、...
うちは毎年、庭の小さな畑で夏野菜を作っている。 今年からは、義実家の庭の畑も使えることになった。 場所は近くなのだが、仕事が忙しくなると小まめに管理できないため、あまり手のかからないさつまいもを植えることにした。 さつまいもは以前、知人の畑を借りて一度だけ作ったことがある。束ねて売っている苗を、斜めに寝かせ、茎の部分を土に埋めればいいはずだ。 畑の土はちょっと粘土質だったので、腐葉土を混ぜて水は...
近頃は、食べ物屋さんもSNSで情報を発信するのが当たり前のようで、ホームページという形態は少なくなっている。 やはり、わしらの時代は終わったということじゃ。 SNSでも、リネというのは家族との連絡に使っているが、かけQツイーターとかインダスグラムとかはよく知らないし自分は登録もしてないので、お店の情報は5秒くらいしか見られない。 この散歩記も、もはや人様の役に立つような情報を書くことも無く、老人の独り...
長崎市矢上町は、長崎の市街地から日見の峠を越え、八郎川沿いの谷間を北東側へ進んだところ。 江戸時代には長崎街道の「矢上宿」があり、宿場町として隣の日見宿と共に賑わったそうだ。長崎遊学の徒や幕末の志士、そして異国人や異星人たちが腰を下ろして茶を飲み、まんじゅうを食っていたのだろう。 近年、矢上町を含む東長崎地区は、市街地へ通勤する人達のベッドタウンとして発展してきた。 我々が小学生だった昭和...
「 田の浦」という地名は全国にあり、長崎県内でもあちこちに見られる。 狭い範囲の小字地名もあれば、そこそこ広い町名になっている場合もある。浦なので、大抵は海岸近くにある。 しかし、海のそばに田んぼがある訳でもなく、田んぼに適した地形でもない例が多いため、何か別の意味があるのだろうと思っていた。 たとえば、「田」は、実は漢字ではなく「障子を描いた絵」で、しょうじの浦かもしれないし、田の浦は「キ...
植物の名がつく地名は、その植物が多く生育していたからと言うのが一般的な認識であり、郷土史などにも大抵そう書かれている。 しかし、自分や、テポロポ族のロペローペ、ネコヒトデのモモッピたちは、そう思っていない。(どんな世界にいるんだよ) 植物地名は、その植物の名に含まれる「動詞」「形容詞」や「植物の特徴」が、土地の状況を表していると考えられる。榎(エノキ)の場合は、「壊・退き」で崩壊崖。梅(ウメ)は、埋め...
いきなり長崎から遠い所の話で申し訳ないとはぜんぜん思ってないが、福岡市西区に、姪浜(めいのはま)という所がある。 Googleマップより 周辺の海岸は積極的に埋め立てられ、住宅や商業施設、公共施設などが建ち並び、公園やヨットハーバーなどもあり、休日も賑わっている。 都会はさすがに開発の規模もスピードも違う。長崎も、せめて道路の穴くらいはちゃんとふさいで欲しいものだ。 さて「めいのはま」というのも、なか...
地名散歩 長々(ちょうちょう) 諫早市小長井町 蝶ヶ崎 長崎市
諫早市小長井町 井崎地区の山の中に、「長々(ちょうちょう)」という、チョーチョーめずらしい地名がある。(いらんこと言わんでいい!) 国土地理院地図より 諫早から佐賀城下へ向かう竹崎街道の山越えルートの途中で、道の辻にはコンクリートの土台に固定された「長々の道祖神」が祀られている。 地名とは関係ないが、道祖神なので、石碑全体の形が「陽」、左下の部分が「陰」を表しているのだと思う。うーん、日本の信仰は...
長崎市平間町に、「普通(ふつう)」という、ぜんぜん普通ではないアッポロピーのピーに意味不明な小字地名がある。(意味不明はあんたですがね)郷土史関係の本でも触れられること無く、人知れず寂しく消えかけている地名なので、今回は私が特別に紹介しようかい。(うわっ、つまらん!)「普通」は、国道34号線、矢上地区の八郎橋入口交差点から現川(うつつがわ)方面へ進み、長崎自動車道の高架橋が横切っているあたりのようだ。...
手延べそうめんとみそ五郎で知られる、南島原市 西有家(にしありえ)町に、「風呂川(ふろがわ)」という珍しい名の地域がある。 自分は若い頃、クルマでここを通るたび「プッ、変な地名ッ」と思っていたものだ。 (こらこら失礼なことを言うな) 昔は段々畑が広がる斜面だったようだが、現在はすっかり住宅地になっている。 Googleマップより 「風呂川」とは何に基づく地名だろう?ここは雲仙岳の裾野なので...
「陣場」や「陣ノ内」など、陣のつく地名は、「むかし、武士が合戦で陣を立てた所」と言われている。 なるほどそうなんですね、ふぅ〜ん、と納得しそうになるが、「陣」がつく地名の土地状況を調べると、なぜか川のそばの低湿地や田んぼ、グジョグジョの沼や、ため池のある所ばかり。 暗く淋しい山の谷間にあったりもするが、武士の陣場に適した小高い丘はほとんど無かった。 これはどういう事だろう? ハッ!もしかして...
新しい記事が完成していないので、どうでもいい事を書いて、時間を稼いでおくとしよう。※今回の記事はお下劣につき閲覧注意です。無論、私ではなくゴーストライターが書いたものです。◎美しくないものを、美しそうな漢字で表してみる。女句草 めくそ花句草 はなくそ魅美句草 みみくそ(牧野博士に謝れ!)香門 こうもん(※実在の店舗とは一切関係ありません)詩梨華 しりげ和季雅 わきが粉塗姉 ふんどし(...
「鬼(おに)」のつく地名の土地では「恐ろしい鬼がいたから」という地名由来がよく語られるが、それをそのまま信じる現代人は居ないだろう。 実際に鬼がいたという記録があったとしたら、それはマタギと呼ばれる狩猟民や、サンカと呼ばれる山の漂泊民、山賊の類、あるいは、何らかの理由で森に隠れ住んでいた白人の大男などを目撃したものではないかと思う。 そういう人達と山の中でバッタリ出会い、ビックラこいて「もひいぃ...
自分は今年になって、食べ物の好みがちょっと変わった。 今まで滅多に食べなかった辛いものが急に食べたくなり、家にはキムチと唐辛子とコチュジャンを常備している。 キムチは安いのを中心にいろいろ試したが、現在は、韓国の宗家(チョンカ)のキムチ大瓶をリピート中。Aコープのコストコフェアで売っていた。 熱いごはんにキムチを乗せるとア〜ラ不思議、魔法のようにごはんが無くなる!こんにちは 私の新たな豚の素! (変...
土曜日は、用事で長崎駅の方へ出かけた。 いつもなら原付で行くが、ずいぶん前に買って全く使ってなかった東京駅百周年記念Suicaを机の中の地層から発掘していたので、今回はJRで行く事にした。 公共交通機関はほとんど乗らないので、Suicaなど使ったことがない。先日の出張では、領収書の出し方が判らず使うのをあきらめていた。 どうだ、すんごい田舎モンだろう?(開き直るなよ) 諫早駅は駐輪場がよく判らず、西諫早駅は急...
去年の9月、ウチのよく出来た嫁様が、西九州新幹線かもめの試乗会に応募し、見事当選!!万歳しながら奇声をあげて踊りまくった。 唐草模様の風呂敷包みに竹の皮の弁当入れと、準備万端整えて正座して当日を待っていたが、台風14号の雲古野郎のせいで、まさかの中止! これは完全にガッカリ八兵衛だ。わたしが子どもだったら、グレてよっちゃんイカやうまい棒を万引きしていただろう。 仕方がないので、諫早図書館のかもめ号...
自転車で、諫早の市街地から島原半島の北目の方へ向かうには、やはり国道57号線が一番早いのだが、小野の先から森山周辺は、片側1車線で路肩がほぼ無い所を大量のクルマがバンバンすっ飛ばして来るので、五百円くれても走りたくない。 ほぼ人がいない歩道を走る事も可能だが、段差や凹凸が多くてムダに疲れる。歩行者を避けるために車道と歩道を出入りするのも危ないし、クルマもなかなか途切れない。歩道の多くは片側にしかな...
ホンダというメーカーは、創業以来、世界をリードする高い技術力により、いつも先進的で独創的な製品を作り続けてきた。 挙げればキリがないし面倒なので挙げないが、50cc、原付1種の3輪スクーター「ジャイロキャノピー」もそのひとつ。 自分はこれの中古に10年くらい乗っていたのだが、別に自慢する事もないし、特に面白い事もないので、紹介する記事は書いていなかった。 ただ、若い頃乗っていた原付たちの昔話は以前すべ...
地名についてあれこれ詮索していると、「至って普通のようでも、土地の状況を表す地名として意味を成さないもの」があることに気がつく。 たとえば、多良見町東園地区にある「山の木」 山に木があるのは当たり前で、しかも無数に立っている。地名の意味が「山の木のところ」では、そこら中すべてが該当するため、場所が特定できないではないか。 これじゃ、「今どこにいる?」「えっとねぇ〜道路の横にガードレールがある所〜...
地名をいろいろ見ていると、へびっぽい地名や、へびに関すると言われる地名、そして、ズバリ「蛇」のつく地名があることがわかる。 近年、日本中で自然災害が続いたことから、「災害地名」がテレビで報道されるようになった。「蛇崩(じゃくずれ)」や「蛇落(じゃらく)」など「蛇」のつく地名は、「大水による災害が発生しやすい所」と言う認識が広まっている。 蛇は、そのくねくねした動きから、流れる水を象徴する生きものとさ...
自分は最近、原付(50cc)でけっこう遠くまで出かける。 日曜日は、地名の調査で佐賀県嬉野市の山の中と、東彼杵郡波佐見町の山の中へ行ってきた。 今どき制限速度が30Km/hでは、幹線道路を走ると下手っぴに当てられそうなので、なるだけ裏道を走る。大きい交差点では二段階右折とかいう、危険極まりない行為を強要させられるので、迂回ルートも詳しくなった。 今回はまず、諫早から大村を通って北上するのだが、「おつまみガリ...
長崎市茂木町は、市街地から田上(たがみ)の峠を越え、つづら折りの狭い森の道を下り、川沿いの切り立った崖の側を通り抜けた、隔絶の地にある。 淋しい所かと思いきや、千々石灘に面する海岸の景観は明るく開放的で、日がな一日のんびり過ごせるところ。 明治期には、長崎に居住していた西洋人のリゾート地として賑わったそうだ。 茂木には特に何があるという訳でもないが、自分は何となく好きな町なので、時々ふらりと立ち寄...
あれぇ〜 変だな~博多って、こんな所だったかな~もっと都会だったはずだがな~キャナルシティどこかな〜しかし誰も通らんな〜 と言うのはウソで、ここは佐賀県唐津市の山の中、七山木浦という所にある「博多(はかた)」たい! 数年前、地図でたまたま見つけて、唐津方面へ行くついでに寄ってみたのだが、ケータイの電波もまったく届かない、田舎中の田舎だった。 途中、すれ違った原付スクーターの男性は、ごく普通の身なりだ...
諫早市多良見町 市布(いちぬの) 市布には、長崎自動車道の長崎多良見インターがあり、すぐ近くには諫早市と長崎市を結ぶ長崎バイパスの出入口がある。 一般道の国道34号線も、隣接する東長崎地区や長崎市街地へ行き来する車が通るため、この付近は相変わらず交通量が多い。 ※Googleマップより 市布と言えば、以前はバイパスと国道が交差する信号でいつも激しく渋滞していた。頻尿の人達にとっては、人間の尊厳を死守す...
正月早々花が咲く「元日桜」で有名な長崎の西山神社は、元は西山妙見社と言って、星の神である妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を祀る神社だった。 長崎の歴史を書いた書物では、江戸時代に誰それが個人で祀っていた神を、長崎奉行の許可を得てこの地に祀る云々と、神社創建の由緒が語られる。 しかし、「なぜ、あまりメジャーでない星の神なのか」「なぜ、こんな裏山の中腹に祀ったのか」という疑問に対する説明は見たことがない。...
雲仙市千々石町の海岸にそびえる、釜岳(かまだけ)。 真ん中のえぐれたような斜面の麓に「釜」集落がある。 諫早市飯盛町 下釜(しもがま) 千々石湾に面した飯盛町は農業主体の町だが、古くは江の浦と言って、漁民も多かった。「カマ」のつく地名は、小字地名を含めると全国に数多く存在する。 地名用語のカマは「咬む」で、浸蝕された地形と言われている。釜底や竈門(かまど)のように、丸く彫り込まれた形の海岸によく見られ...
長崎市船石(ふないし)町は、山の谷間を流れる川沿いに、田んぼが広がる所。ふなっしーと似ているが、特に関係はない。 「船石」の由来は、町の南側の船石岳の山中に、舟の形をした大きな石があることからと聞く。 町の北部には、山の中なのに二双舟(にそうぶね)という集落がある。なかなか珍しい地名だが、どういう由来なのだろう。 集落内には「ニ双舟」という小字がある。ここにヒントがあるかもしれない。場所は、ニ双舟...
自転車散歩も、パロマが流行してからは滅多に行く事がなくなった。(パロマねぇ~) 最近は買い物ひとつにしても別の移動手段を使っており、以前に比べると出撃回数は大幅に減っている。だが、自転車に乗るのをやめてしまった訳じゃあない。 1月に長崎に雪が積もって、諫早でクルマ200台が放置されるという、激烈にみっともないニュースが全国に流れた日も、自転車で会社へ行った。(2年振りにね) 新雪で、凍りついてなけ...
伊木力(いきりき)みかんとタラッタたらみでお馴染みの、 諫早市多良見(たらみ)町 住民に、多良見の中心部はどこかと聞けば、「喜々津(ききつ)んニキたい」と答えるだろう。 しかし喜々津という行政地名は存在しない。昭和30年の町村再編で、喜々津村、大草村、伊木力村が合併し、多良見村に統合されたからだ。(10年後に多良見町へ) それなのに、JRの駅名を始め、川や橋や学校名やら、昭和50年代に埋立て開発された住宅地...
小長井の海岸と言えば、近頃はフルーツバス停。 若い人たちが、ひっきりなしにクルマを停めて写真を撮りまくっている。よく知らないが、SMLとやらに投稿するらしい。 地元のばあちゃんが、バスと間違えて若者の軽ワゴン車に乗り込み、遠くへ連れていかれないか心配だ。 そんな賑やかさとは無縁の、井崎地区の淋しい海岸。 この砂浜には、黒くて角ばった大小の岩石がたくさん並んでいる。 大きいものは2m以上。潮が引く...
大村市北部、海岸から野岳の中腹にかけて広がる「福重(ふくしげ)地区」は、梨やぶどうなどのフルーツ栽培で知られる営農地帯。 収穫の時期、各ファームの直売所は、旬の果実を待ちわびた人々で賑わう。 丘の上の農業複合施設「おおむら夢ファームシュシュ」は、地元の農産品販売をはじめ、焼き立てパンにバイキングレストラン、更にはフルーツ狩りや農業体験も出来る人気の観光スポット。 休日のジェラート売り場には、長い行...
自転車や地名の記事も準備しているのだが、なかなか進まないので(それを怠けと言う)、今回はちょっと目先の変わった話をひとつ。 1997年、富山県小矢部市の桜町遺跡から出土した縄文時代の木製品の中に、長さ2.5mで用途不明の「謎のY字材」があった。 小矢部市教育委員会発行 JOMONパーク桜町遺跡ガイドより 自分は去年のヤフーニュースで初めて知ったが、地元では早くから話題になり、様々な意見が寄せられ、町おこ...
更新が滞っているので、まだコロナであの世へ行ってないことを知らせるため、何かテキトーにでっちあげておこう。 まずは、わしが最近覚えた若者の歌。合っとるかのう‥おケツからプ〜ですえ何?カマシたのプ〜です君がコイた屁~ですでも君にお返しできずスーですいや、くっせぇわ! 連休は、市外や県外や太陽系外に出かけることもなく、主に家のことをやっていた。 庭の木が道路や隣の家に張り出していたので枝を切ったのだ...
いなちゃりとは、田舎での使用を前提に造られた自転車型スーパー散歩兵器のことである。 2017年に 「いなちゃり」というカテゴリーをつくり、2回だけ記事を書いたのだが、疲れた、眠いなど諸般の事情で、それ以来ほったらかしだった。 今さら誰も待っちゃいないが、自分さえよければいいので、少し時間があるうちに続きを書いてみる。 自転車のパーツの中で、ハンドル・ペダル・サドルは、操縦する人間が直接触れる重要なイ...
時津(とぎつ)という地名は、トギ(研ぎ)が崖を意味するため、崖地の港の意味と考えられる。 (参考:古代地名語源辞典 楠原佑介編) 実際、埋め立て以前の旧海岸のそばは切り立った崖が多く、平地は極端に少なかった。 長崎街道の海上ルートだった頃は、港の周辺は賑わったようだが、農地は範囲が限られ、収穫量も望めなかっただろう。 時津町は、昭和に海岸を埋め立てて企業を誘致し、工業の町になった。 働く人が住んで住...
長崎の地名由来の通説は、平成まで県庁のあった長い丘が、昔は「長い岬」だったからというもの。周囲の低い土地は大半が海だったらしい。 キリスト教の町だった頃の想像図 しかし、長崎生まれ長崎育ちのじげモン地名ファンとしては、これがホンマに信用してええもんか、まんず確かめで見ねばと思うわけでごわっしょ。 ちゅーこっで、今回はナガサキの地名由来を見直してみゅーかね。 まず、例によって「ナガサキ」を分...
植物の名がつく地名の由来は、まず、その植物が多く生えていたからと言われるが、たぶんその通りの例はほとんど無かろうと、我々、毛石町特殊地名捜査班は考えている。 刑事ドラマの中盤、犯人の目星はついているのに、証拠が無かったり、アリバイが崩せなかったりで、「逮捕できず歯がゆい状況」がよく描かれる。 最後に主人公は、同僚の何気ない言葉をヒントに、鮮やかに謎を解き、「犯人は(クルッ)、あなただったんですね?」...
2010年に、ネットで見つけて即買いした、アラヤ フェデラル。 ランドナーという旅自転車のテイストをビギナー向けにお安く提供した製品で、むかし自転車少年だった貧乏中高年が、まんまと飛びつく仕様だった。 本所のドロヨケを加工して取付け、日東のランドナーバーとキャリアを付け、シビエの角ランプを付け、カゴを付けた。 通勤にお買い物、島原半島一周、大村湾一周、多良岳一周と、頑丈で頼れるため大活躍した。しかし...
散歩記は、基本的に趣味やどーでもいい事をゆる〜く好き勝手に書く場なので、社会的な問題をエラそうに述べたりはしない。 しかし新型コロナについては、もういい加減、我慢の限界灘を越えて大陸が見えている!この忌々しいクソウイルスを早く追い出すため、国民は一丸となって協力する必要がある! 緊急事態宣言が解除されたら、今度は感染第4波が来たとの報道。油断すれば即、リバウンドだ。シバワンコならいいが、リバウ...
昨日は有給消化で、午后から夫婦で白木峰高原へ花見に出かけた。待って!ちゃんとするから帰らないで!春の霞んだ雲仙と干拓地をバックに、菜の花と桜。平日なのに、けっこう人は来ている。夢中で一眼レフカメラを構える高齢者も多い。三脚まで担いで。これはいい趣味。歩き回るので健康にもいい。桜もなかなかの老木になった。じゃが、まだまだ若い木には負けんぞい!丘の上には、相変わらずの謎のオブジェが鎮座。これは、塗装や...
たわしが住んでいる諫早市は、昔、佐賀藩の領地だったからか、海岸地域や城下では、えびす神が盛んに祀られていた。 えびす神は、釣り竿を持って鯛を脇に抱えているように、元は豊漁の神だった。それがいつの頃からか、商売繁盛の神、福の神として広く信仰されるようになった。 諫早では、えべっさんと呼ばれ親しまれている。 えびす神の成り立ちは諸説あるのだが、豊かな異世界から訪れて幸をもたらす「来訪神」であることに...
長崎県北部の松浦市は、アジの水揚げ量が日本一を誇る水産都市。 旬(とき)アジが名物で、アジフライの聖地と自称するほど。考えただけでも、ジュルリ‥ゴキュ! よだれかけが必要だ。 松浦市観光情報ガイド 松浦の恋 松浦市は昭和30年の市制施行の際、公募で「淀姫市」になるはずだった。しかし、ここは往古、隣りの佐賀県伊万里市・唐津市エリアと共に、海の武士団「松浦(まつら)党」の一族が活躍した土地。その歴史を尊重し...
南島原市の有家町周辺には、「猿石」と呼ばれる謎の石像があちこちに祀られている。いや、「猿岩石」ではない。 布津町郷土史より 確かに普通の石仏や神像とは違う、異形のものだ。 しかし、謎と聞いちゃあ、放っておけねえ。これは一丁、調べてみるか。「行くぞ、股八」「へぃ、親分!」 猿石とは元々、奈良県明日香村の畑から掘り出された数体の古い石像のこと。猿石の名は、動物的で呪術的で異国的でミステーリアスガー...
南島原市布津(ふつ)町は、雲仙岳南東の緩やかなすそ野に広がる田園地帯。 対岸に肥後熊本を望む有明海の浜辺には、小さな漁港が点在する。 ユニクロも外食チェーンも、有名なドラッグストアも無いけれど、雲仙普賢岳をバックに広がる空の下、気分も大らかに過ごせる所だ。※ダイソーはある! 布津の地名の由来については、納得できそうな説を聞かない。調べてダメなら考えよう。 「ふつ」は、物が切れる音や様子を表す古い言...
長崎市戸町は、長崎港入口に架かる女神大橋の東側。 入江の周囲は高い崖に囲まれ、海岸には造船所など、主に船舶関係の中小の会社が並び、独特の町の景観を作っている。 住宅は、背後の斜面沿いに山の上まで続いているが、険しい断崖の辺りは自然のまま。 山の上は戦後からの開発で切り開かれて、上戸町も新戸町も賑わい、最近はまた、長崎自動車道に直結する南環状線も通り、イノシシもタヌキもびっくりだ。 海を見下ろす丘...
野母崎の高浜海水浴場の奥に、インゲリ鼻というわけのわからない、へんチョコな地名がある。 私が自転車少年だった小学生の頃、ワラヂヤの長崎県地図では、「インケリ鼻」だったと思う。 明治時代に作成された地図も「インケリ鼻」だ。 しかし、どっちが正でも、別にどうでもいいほどのウルトラダイナマイト謎地名に変わりはない。 砂浜から、石がゴロゴロした海岸を滑ったり転んだりして、うぁ~ん!と泣きながら渡ると、巨...
諫早から大村へ車で向かう際、大村湾沿いの山にカーブとアップダウンが続く、県道のルートがある。 Googleマップ 3D衛星写真より 県道が何号線なのかを知る人は多分、少ないと思うが、「三浦を通る」と言えば、ほぼ誰にでも通じる。 いわゆる「抜け道」であり、以前はゆっくり走ると、ヤンキーのバCARに煽られた。初心者は、怖ろしさにカーブの途中で急ブレーキを踏み、慌てたヤンキーがハンドルを切りそこなって崖の下に...
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わが輩は、ヒト。わが輩は、ヒト。名前は、尻山二個太朗(仮名)。 ここ最近の、お気に入りはコレ! コロッケでも、サッポロビールでもなく、 ブルドック、ウスターソォーーーース!! お気に入りと言っても、そのまま飲んだり舐めたりするのではない。わが輩のことを何だと思っているのですか、失礼な! ブルドックは長崎ではあまり馴染みのないメーカーだが、よく探せばけっこう近所の店にも置いてある。 ただ、中濃ばか...
諫早市の久山港周辺は、ここ数年のうちに産業団地や市のスポーツ施設、ソニー従業員の送迎バス付き駐車場などが次々にでき、朝夕の通勤時間も休日も、交通量が一気に増えてせわしくなっている。 久山港へ向かう大きな道路は、貝津町の日大高校の交差点からと、津水町の信号の無い川端からの2ヵ所だけなので、朝夕の渋滞もひどくなっている。 最近は小さい踏切の通学路や、すれ違えないほど狭い生活道路を、大きなクルマが通...
月曜日の昼めし時、諫早に突然降ったヒョウの大群が、うちの軒屋根の波板に、穴をい~っぱいあけてやがった! ちくしょう、許さん!てめえらみんな、皮をはいで大阪のおばちゃんのコートにしてやる!うわぁ~ん!! 貫通した穴は十数ヵ所、ヒビや傷だけの所も多数だが、もう数える気にもならん。数えたところで直るわけでもなし! うちは中古住宅で、波板は買った時のままだったのでかなり時間は経っているはずだ。そして、屋...
前から言い忘れていたことがあったので、とりあえず書いておこう。あとでやろうと思うと、絶対にまた忘れるからだ。これはすごく自信がある! 自分は、東長崎方面に出かける際、古賀町の旧長崎街道沿いにある松井糀屋(こうじや)で、甘酒と酒まんじゅうを補給食としてよく買う。 あくまでも補給食であって、家族に内緒で買い食いしているのではない。本当だ。信じてくれ。 甘酒は昔ながらのやり方で作っている生モノなので、...
むかし長崎港は、鶴が翼を広げた形をしていたので「鶴の港」と呼ばれていたそうだ。自分も小学生の頃、そう教わった記憶がある。 ※五羽の折り鶴を配した長崎市のシンボルマーク しかし、教科書に証拠の写真が載っているわけでもなく、あの頃、実際に鶴の形を見たお友だちはいなかったはず。単なる都市、いや、田舎伝説だったのかもしれない。というわけで、今回は、かつて長崎港が、本当に鶴に見えたのか見えなかったのか、...
長崎市藤田尾(とうだお)町は、野母半島東部の海岸沿いにある農業集落。 周辺の町はどこも同じだが、山道をぐるぐる登り下りしてやっとたどり着くような所で、昭和初期まではクルマが通れる道も無く、船が主な交通手段だった。 住宅は崖の地形に沿ってけっこう密集しているが、それぞれの敷地は広く、よくある漁村のようなせせこましさは感じられない。 三和町郷土史に、地元の荒木新氏が寄稿された「藤田尾余聞」には、かつて...
諫早警察署そばの交差点から、県道41号線を南に4kmほど進むと、山あいの地にそびえ立つ巨大な鳥居が、不意に目に入る。 目に入ると言っても、眼球内にメリメリ入っては来ないので大丈夫だ!心配はいらない。 ここ、土師野尾(はじのお)町は、山と緑に囲まれた静かな農業集落。 大鳥居は、神仏習合の神「八天狗(はってんぐ)」を祀る、八天岳の神域を示すものだ。 「はじのお」という地名は、安土桃山時代、この地で土師野尾焼...
野母崎の脇岬から、東側の険しい県道を登る途中に、井上(いがみ)という小さな農業集落がある。 海岸に切り立つ断崖絶壁の上で、岩山に囲まれた厳しい環境だが、住居や畑が点在するところは、ゆるやかなテーブル状の地形になっている。 両側の谷には小川が流れ、集落の上方を通る右側の小川から水が引かれているが、別の水源もあったと思われる。 昭和の頃までは、海岸の崖のキワから山のてっぺん近くまで、畑が切り開かれてい...
長崎市茂木(もぎ)町に「切スシ(きりすし)」という、謎に満ちあふれた小字地名がある。 場所は、裳着(もぎ)神社や茂木小学校がある、若菜川沿いの山の北側付近。 今回のミッションは、この切スシ地名の由来解明だ。 切スシなどという地名は聞いたこともなく、似た地名がないかと地図で探したが見つからなかった。 「切スシ」で連想されるのは、大村市の郷土料理「大村寿司」くらい。 ・大村ずしぎおんの大村ずし 甘ウ...
テレビであのちゃんを見てたら「あの」という地名が気になったので、調べてみることにした。 「阿野(あの)」や「安濃・阿納・穴太(あのう)」という地名は全国にあり、例外はあるだろうが、地図を見るとほとんどが湿地のようだ。 ・愛知県豊明市 阿野町 以前は田んぼが広がっていた川のそばの低地。 ・高知県香美市物部町別役 阿野地 深い山の谷間を流れる川沿いに苔むした小松神社がある。・徳島県神山町 阿野 山の谷間...
今は使われていない「小字(こあざ)地名」は、馴染みがないどころか、そこに住む住民にすら次第に忘れられ、若い世代になると、もう聞いたこともないと言う。 しかし、小字地名にはピンポイントの地形や土地状況が反映されており、大きな地名の意味を考えるための一番のヒントになる重要なものだ。 地図オタク以外は知らないだろうが、長崎市古賀町に、「来来林(らいらいばやし)」という、中華料理屋のような、変わった小字地名...
「きょうらぎ」「きゅうらぎ」という類の地名は全国にあり、長崎近辺にも見られる。・教良木(きょうらぎ) 熊本県天草市・厳木(きゅうらぎ) 佐賀県唐津市・久良木(きゅうらぎ) 長崎市中里町 今から100年以上も前、日本民俗学の父 柳田國男(やなぎたくにお)は、歴史地理という専門誌において、「きょうら石」や「きょうらぎ」という地名は、古い信仰による「清浄な霊石・霊木(清ら石・清ら木)」が祀られた地であろうという説を...
長崎県松浦市の御厨(みくりや)町に「郭公尾免(こっこうのお めん)」という、ペポロピッポロ・ヌヘラフンダラ・バッホバホ~ンに意味不明な地名がある。 (意味不明はあんたですよ) 郭公尾免は「北松(ほくしょう)やまびこロード」沿いの、山の上の農業集落。周辺の土地と同様、溶岩台地を雨水が長い長い年月をかけて浸蝕した、特徴的な地形をしている。 「免(めん)」は、旧平戸藩特有の区画単位で、村がいくつか集まった「大字(...
コロナ禍以降、自分は自転車で出かける機会がめっきり減っていたのだが、原付を買ったら、便利すぎてますます乗らなくなった。 でも自転車散歩を完全にやめるつもりはないので、いつかまた来るであろう「マイ自転車ブーム第2期」のため、車体や部品の古いものは整理し、保管するものは保管している。 絞り込みも必要だが、なかなか捨てられずにいるのが貧乏臭くて哀しい。 一番メインで乗っていた田舎散歩用自転車「いなちゃ...
アジフライの聖地としてだいぶ名が売れてきた、長崎県松浦市。 玄界灘に面する「調川町」の読み方は、「しらべがわ」でも「ちょうせん」でも無く「つきのかわ」が正解。 ちょっと読むのが難しい「キラキラ地名」と言うヤツだ。(言わねえよ) 「調」という字は「つき」「みつぎ」と読み、古い時代の税制や貢ぎ物の意味がある。 調川(つきのかわ)という地名は、古代の租税である「租庸調(そようちょう)」のうち、「調」の「皮」...
江迎町のレストラン庄屋本店が火事で全焼したことを、当日のニュースで知った。 人的被害がなくて幸いだったが、今どき貴重な「長崎遺産」だったあの藁葺き屋根の建物が焼失したと知り、思わず「うんにゃ、もったいなさよぉ~~!」と声が出た。 6m以上の強風の中、近くの畑で野焼きをしていて火の粉が飛んできたらしい。もし違っていたとしても、あまりに常識外れだろう。 人のことを考えず迷惑をかける者は多いが、大抵は...
前回、トウボウという地名は、「堤防のような砂州や砂丘(トウ)が、長く伸びる所(ボウ)」だろうという話を書いた。 その検討の際、「ボウ」の意味がなかなか判らず、ふと思った。もしかして、「トウボウ」は、別のひとつの言葉が変化したものではないか? トウボウに似ていて、砂州にガッツリ関係する言葉がある。 「トンボロ」だ。 ・天草郡苓北町 富岡のトンボロと砂嘴 砂州(さす)が発達して陸と島が繋がった地形...
長崎市の東部、矢上地区を流れる八郎川の河口付近に、東望(とうぼう)という名の地域がある。 国道地理院地図より なんかカッコよさげな地名だが、標高42.4mの東望山から東の方を望んでも、特に絶景ということもない。 昔の地図には「東方」や「東房」とも書かれているし、漢字は関係ないようだ。 南島原市口之津町の海岸周辺にも、東方(とうぼう)という地域がある。 国土地理院地図より 自分は若い頃、...
僕らが中学生だった昭和50年代、長崎では「ミートパン」という惣菜パンが売られていた。 東洋軒の「サラダパン」と並んで人気だったミートパンは、たぶんイービーキムラヤの商品だったと思う。当時、パンは地元メーカーばかりで、他の選択肢はほぼ無かった。 ミートパンは、切れ目を入れたコッペパンに薄っぺらいハムカツをはさみ、ケチャップソースで味付けしたもの。 自分はこのパンが好きで、学校近くの山崎商店の平台に並...
新年あけましておめでとうございます 本年も頑張る気などはまったく御座いませんが、もし間違ってこの散歩記を見てしまった際には、ほんのしばらくの辛抱ですので、おつきあいのほど宜しくお願い致し奉り候にごぜえます。 2025年は巳年なので、へびに関することを少し書きましょう。 雲仙市吾妻町栗林名に鎮座する、水分(みくまり)神社は、「水配り」の意味で、大切な農業用水を与えてくれる水の神様。 神社には普通、両側に狛...
「陣場」や「陣ノ内」など、陣のつく地名は、「むかし、武士が合戦で陣を立てた所」と言われている。 なるほどそうなんですね、ふぅ〜ん、と納得しそうになるが、「陣」がつく地名の土地状況を調べると、なぜか川のそばの低湿地や田んぼ、グジョグジョの沼や、ため池のある所ばかり。 暗く淋しい山の谷間にあったりもするが、武士の陣場に適した小高い丘はほとんど無かった。 これはどういう事だろう? ハッ!もしかして...