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2013/07/28

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  • ヘネシー総督、日本へ行く

    香港のヘネシー(Sir John Pope Hennessy)総督は、大の日本好きで知られていました。そんな「I ❤️ JAPAN」なヘネシー総督が、安藤領事に「日本に訪問したい」と言い出しました。この頃は日本の銀貨を、法定通貨にできるかどうか奔放していた時期でしたので、安藤領事はめちゃくちゃ喜びます。 Sir John Pope Hennessy 安藤領事は早速、日本の外務省に連絡、日本政府も「熱烈歓迎」の意思を伝えます。「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」によると、日本側がかなりノリノリで、安藤領事も日本政府も「いつ?いつ?」とヘネシー総督に詰め寄っています。言い出しっぺの…

  • 日本人、日本領事館に詐欺をする?(最終回)

    前回の話:http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/12/29/235246 常吉の供述によると、以前現れた3人の説明も嘘ばかりではなさそうです。 「昨年明治11年(1878年)12月28日に、僕は横浜に泊まっているアメリカ汽船「東京丸」で石炭運びの下働きをしていました。仕事が終わった後、出口が分からなくなり、次の日にでも下りればいいだろうと考えていました。そこで船の上でボーッとしていたところが船が出航してしまったので、甲板にいた船の士官にその経緯を話しましたところ『来年の1月6日に香港に着くから。お前一人やったら、こっそり船に乗せて日本へ連れて帰…

  • 香港人の新型コロナウイルス・ギャグ

    香港人は社会的危機が起きると、いつも抜群のジョークを飛ばしてくれます。最近教えてもらっためちゃくちゃ面白い話を1つ。 神様が天界に集まって定例会を開こうとしています。 玉帝大帝(とっても偉い神様):千手観音がいないけど、どうした? 部下:手洗いが終わってないみたいです。 玉帝:四面仏(顔が4つある仏様)は? 部下:マスクが足りないみたいです。 玉帝:二郎神(おでこに第三の眼がある神様)はどこだ? 部下:第三の眼を覆う防護メガネが見つからないそうです。。 玉帝:(面白くなさそうに):じゃぁ、誰も来ていないのか? 部下:関公(※)は顔が赤く、発熱かもしれないと自宅隔離しています。 三蔵法師は西にお…

  • 香港人ギャグ炸裂。映画「ビルサイト」?

    社会的な問題が起きた時、香港人のギャグとして昇華する様はいつも舌を巻きますが、今回は、ベースとなるトピックを選ぶセンス、そして作り上げた作品のクオリティの高さに喝采でした。 私なりに解読して見ました。 ・タイトル「VIRUSITE」 ウイルス(Virus)とオスカーを受賞した韓国映画パラサイト(Parasite)の造語。パラサイト(寄生虫)は一体誰のことでしょうね。 ・「習近平」 もちろん主役ですね。きっちりマスクをして、しっかり立っています。「中国政府をあげてウイルスと闘う!」と言ってから、2月10日までは全く音沙汰がありませんでした。存在感がありながらも、沈黙している様子はまさにそのまま?…

  • 武漢肺炎について。今の日本にできること。

    私がずっと注目してる中国人弁護士:陳秋實。 彼は公平公正、そこから来る正義をとても大切にしている人で「なぜ香港でこんなデモがおきるのか。貧富の差が原因の一つと言われるが、本当のなのか?」と自分の目で確かめるべく、2019年8月に香港デモを取材。案の定(?)強制送還を喰らい、その後は中国当局から、彼のあげた投稿を故意に順位を落とされたり(ネット民の反応が全くないのですぐわかるそうです)、彼の名前や写真があると削除されたりと色々嫌がらせを受けているそうです。(今はyou tubeやtwitterで情報を拡散しています。) 現在、武漢で取材を敢行。おおよそ1週間が経ちます。日本への訴えがあります。 …

  • 香港人気ドラマ「黒市(Dark City)」

    今期、私がハマりまくっている香港のドラマ「黒市(Dark City)」。 一話完結のホラードラマなのですが、どの回も人の愛(家族愛、夫婦愛、師弟愛)」がベースになっていて、胸を打たれるものがあります。 それに、今の一般的な香港の生活や社会の苦悩がしっかり織り込まれていて見ごたえ満点。今の香港を知りたい人には超おすすめです。 (問題は字幕が中国語のみ、英語なしというところですが。。) 今のところのおすすめは、第4話「嚇親萬理通」。 タイトルは「脅かしマイル」と言った意味でしょうか。死んだ人間が生まれ変わるために、生きている人間を脅かしてマイル(点数)を貯めて、多く溜まったら早く生まれ変われるとい…

  • ・日本人、日本領事館に詐欺をする(其の三)

    長吉の件から1ヶ月後の明治12年(1879年)4月17日、前田源之助という人物が現れました。聞くところによると福島県巌城国標葉郡之荘の村民五右衛門の次男だと言います。ここにたどり着いた経緯は以下の通りでした。 「僕は明治10年(1877年)から横浜の外山要次郎の家で住み込みの下働きをしておりました。今年の2月に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」に乗船しました。とても疲れていたため、乗船した途端、眠ってしまいました。出発前に降りる予定でしたが、気が付いたら出航していて海の上にいました。その船の士官が『1月4日に香港に着いたら、領事館に行けばいい』と言いました。 船の上で「阿元」という中国人…

  • 日本人、日本領事館に詐欺をする(其の二)

    さて日本領事館に助けを求めてきた加藤金次郎が香港から上海行きの船に乗船したはずにもかかわらず消えてしまししたが、それから約2ヶ月後の明治12年(1879年)3月23日に下総国葛飾郡新川村の村民で、横浜清正公前住吉町2丁目4番地魚屋((※1)の竹中長吉が、香港の日本領事館に現れました。そして本人の自己申告によると以下の詳細がわかりました。 「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」に乗船しました。その時は松影町2丁目2番地の忍野常松のところで下働きをしておりましたが、とても疲れており、乗船した途端、眠ってしまいました。出発前に降りる予定でしたが、気が付い…

  • 日本人、日本領事館に詐欺をする?(其の一)

    明治12年(1879年)1月30日、加藤金次郎(東京神田辦慶橋(?)松枝町1-2 医者加藤徳兵衛の次男、当時22歳半)が突然、領事館に現れました。本人の自己申告で、以下の経緯がわかりました。 「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」(※1)に下働きとして乗船しました。出発前に降りる予定でしたが、船での仕事がきつくって、つい、うとうとしてしまったんです。気が付いたら出航していて海の上にいました。慌てて甲板にあがり、船員に伝えたのですが『香港着いたらおりぃや。陸に降りてから考ぇ』と言われました。とはいえ、一文も持ち合わせていなくどうしたもんかと、途方に暮…

  • 軍艦「清輝丸」の料理人が失踪!井上良馨、落ち込む。

    日本の軍艦「清輝丸」がヨーロッパへ行く途中の明治11年(1878年)2月3日と、日本への帰路の途中だった明治12年(1879年)3月10日、香港に立ち寄っています。 明治12年2月2日、「清輝丸」が彼南港(ペナン港)へ停泊した際に料理人の吉崎万吉が突然失踪したそうです。軍艦内はもとより、陸地やありとあらゆる手段を使って探したらしいのですが、全く行方がわかりません。最終的にはおそらく海に落ちてしまったのだろうと、海底調査も数回、行われましたが結局何もわかりませんでした。 一人の部下を失ったことに井上良馨は責任を感じ、その後も何度も調査を行ったとあります。その5日後の2月7日に井上良馨は、仲が良か…

  • 明治11年、日本領事館の移転先

    明治8年(1875年)2月12日からアレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に構えていました。毎月の家賃は95元とわかっており、一番初めの住所では120元も取られていたのでかなり安くなっていたようです。ただアレキサンドラ・テラスは商業エリアだったため、大家が家賃値上げを要求、安藤領事は交渉したようですが、大家が頑として譲らなかったため、やむなく引っ越しとなりました。 このあたりの事情、100年以上たった今でも全く同じです。香港はそもそもでそういう土地柄なんですね。切ない。。 さて引っ越しを決意した日本領事館ですが「いいところが見つからん!」とかなり苦戦したようです。(こ…

  • パリ万博メンバー、大工から百姓まで。香港に立ち寄る。

    明治11年(1878年)5月20日~11月10日に開催されるパリ万国博覧会に参加する日本メンバーが、パリに行く途中に香港に立ち寄った記録があります。 明治11年2月18日に世界博事務局長の松方大蔵大臣率いるメンバーが香港に来ました。総人数は書かれていませんが、日本館の大工、瓦造り職人や百姓まで相当の人数が一度に香港へ上陸。日本領事館はホテルのアレンジに苦労したようです。 記録によると、一行を「法蘭西酒店(France Hotel)」へ宿泊させようとするも人数が多すぎ、「香港大酒店(Hong Kong Hotel)」「東方酒店(Oriental Hotel)」やその他のホテルへと振り分けました。…

  • デモに溢れる香港ユーモア

    6月16日に行われた「逃亡犯条例改正案反対」デモの参加者は、主催者発表によると200万人となり、香港人口の26%が参加した計算となりました。9日に行われた103万人をはるかに超える規模でした。ところで警察発表ははるかに少ない33.8万人。主催者発表よりはるかに少ないのはいつものことですが、街の人のあふれ方や交通規制などを見るとそれは少なすぎるなぁという感覚がありました。 そう思っていたら、facebookで見つけた一つの画像。警察発表の疑問を一発で吹き飛ばす、香港人らしいユーモアに溢れていました。 6月16日のデモ人数。警察発表への疑問。 写真(上)年末ニューイヤー花火の観客数:35万人(警察…

  • デモのスローガン「反送中」ってなぁに?

    昨日(9日)は103万人もの人が「逃犯条例の改正案反対」デモに参加しました。世界中で報道されたので知っている人が多いかと思います。ちなみに警察発表は24万人でしたが、いつも主催者と警察の発表は大きな差がありますので「香港あるある」です。 さて話を戻しまして「逃犯条例の改正案反対」について軽くご説明いたします。現在の条例では、中国や台湾で犯罪を犯した人が香港に来た場合、犯人を相手側に引き渡すことができません。 そこで政府は条例を改正して、引き渡せるようにしようとしています。 きっかけは2018年に台湾で起きた事件でした。若い香港人カップルが台湾旅行にき、男が女性を殺害。男はそのまま香港に帰ってき…

  • 三井物産の香港会社がオープン!事務所は誰もが知るあの場所!

    新しい日本の貿易銀貨を広く流通させるために政府に協力することになった三井物産。こちらも着々と準備が進み、明治11年(1878年)8月17日に香港会社が正式開業しました。 開業場所は「畢打街7號(7 Pedder Street)」、Google Mapで調べるとセントラルにある高級ショップばかり入ったモール「LandMark(ランドマーク)」でした。あそこは今も昔も一頭地。いい場所に出たんですね。 ランドマーク外見 実は当時、開業したのは三井物産だけでなく、「広業商会」という会社も同じ年の11月に香港会社をオープンしています。私たちのほとんどが「広業商会」という会社名すら知りませんが、この会社は…

  • 【香港:Mount Davis Path】日本軍の幽霊が出る心霊スポット

    香港には日本軍の幽霊が出るというスポットがいくつかあります。 その中でも有名な場所に、香港島の西にある「Mount Davis Path(マウント・デイビス・パス)」があります。ここは第二次世界大戦時代の遺跡「砲台跡」が何箇所にも残っています。山は標高269mほどの低い山ですが、登って行く道すがらに幾つか砲台跡があり、頂上には砲台跡だけでなく、爆弾を保管していたと思われる建物、キャンプができる空き地などがあります。 Mount Davis Path-爆弾格納庫 今は緑が豊かで海が望め、静かでキャンプも楽しめる場所ですが、ここは第二次世界大戦争時代の1941年12月、日本軍が攻めてきた時にイギリ…

  • 日本の銀貨を法定通貨に。ライバルはアメリカ!?

    香港政府と香港の有力銀行の反応が思ったより良く、大喜びの日本組ですが、アメリカも自国の銀貨を香港で法定通貨として認めさせたいと動いている件にかなりピリピリとしていました。 三井物産の執行さんが調べていくうちに、香港のヘネシー総督はアメリカ銀貨を香港で流通させるのにかなり消極的だとわかってきました。アメリカは北京にいるアメリカ公使を通じて再三再四プッシュを入れてたようですが、アメリカ・フランス及びモスクワの銀貨について同時に処理するのは難しく、その他にも色々問題があり、あまり触れたくなかったようです。(アメリカ以外にフランスやモスクワからもオファーが来ていたのでしょうか?)そこで当時は特にどこに…

  • 日本の銀貨を法定通貨に。香港政府と3大銀行へ乗り込み!

    お金も香港に送ってこられ、三井物産の設立も着々と準備が進んでいましたが、あとは使うだけ!と言う訳には行かなかったみたいです。当時、明治政府は「小額銀貨とは言うても、広範囲で流通させたいから、香港政府に『法定通貨』として認めさせたい!」と考えていました。 そこでイギリス人ピットマン(Pitman)さんが早速、当時の香港総督ヘネシーさん(Sir John Pope Hennessy)(※1)に非公式で会い、日本の新銀貨を法定通貨にしたいと伝えます。その後、すぐに安藤領事もピットマンと一緒にヘネシーさんの元を訪れ、安藤領事は、新通貨の特徴などを説明、且つ「日本国としてはまだ正式に『法定通貨にしてこい…

  • 貿易通貨を送る準備する日本。受け取り準備をする香港。

    日本の貿易銀貨を香港で流通させるために重要な人物ピットマンは、中国貿易で活躍したイギリス人ですが、当時明治政府に雇用されるなど日本と深い関係がある人物です。ピットマンは香港に来て日本の新銀貨流通のため、香港政府や東洋銀行(※1)に働きかけたり、香港・広東省エリアのマーケット規模を調査したりしています。 広東の税関局長にあった際には、香港経由で大量のアヘン(阿片)が密輸されているのを知ります。(合法アヘンがあった時期なんですねぇ)当時広東省に流れていたアヘンの2/3もが密輸だったそうです!この点については、その後香港総督に「ちゃんと取り締まって税金取れば儲けまっせ」とアドバイスしています。 ピッ…

  • イギリス船で日本人労働者が虐待される?領事館が調査

    明治10年(1877年)8月9日、永野由松さんと渡辺角太郎さんが領事館にやってきました。 彼らの話によると、イギリス船(帆船)の船員になり横浜から香港へ来ました。ところが船内で虐待がひどく、耐え切れなかった二人は香港に到着後、船長ときちんと話し合いを行い、契約を破棄し香港で船をおりました。しかしそこでもらった賃金は、乗船前に話し合った金額と程遠く、二人は日本へ帰るだけの費用にもなりません。そこで交渉してもらえないかと領事館を訪れたそうです。 領事館は、船や船長の名前を尋ねますが、二人はそれすら分からないと言い、これでは交渉どころではないありません。そこで領事館は港事務所へ出かけ該当するイギリス…

  • 江戸時代後期、香港にいた日本人

    かなり話がずれてしまいますが、香港に日本領事館ができる前、江戸後期に香港で過ごしていた日本人4名について記録がありましたので、紹介します。 「香港日報」(日本が香港占領時代に発行していた新聞)によると、香港で暮らし始めた日本人は、1846年(江戸末期/弘化2年)、香港がイギリス領になってわずか4年後のことでした。 香港に来た日本人4名は、いずれも漁師で嵐でフィリピンに漂着した後、ポルトガル領だったマカオに送られたようです。ちなみにその4名のうち2名は大阪川丸、1名は肥前(佐賀県)口津、1名は尾張名古屋の人でした。 江戸時代の漁師 香港に来た後、一人は裁縫で身を立て、一人は洋物雑貨屋の店主として…

  • 港初の民間企業「駿浦屋」の倒産と三井物産

    唐突に三井物産の名前が出てきましたが、明治9年から流通開始された新しい銀貨を、明治政府は三井物産と協力し、海外での流通を積極的に行おうと考えていました。しかし日本領事館は「一社だけに任せるのもなんやし、民間企業の「駿浦屋」にも手伝って欲しいな」と考えていました。 民間企業としては香港進出の先駆けである「駿浦屋」さん。 日本領事館はなんとか廃業しないように色々とお願いをしていたようですが、不景気のあおりでとうとう、明治10年(1877年)10月に廃業してしまいます。 安藤領事(明治10年、副領事から領事へ昇進!)がレポートしています。 「長年香港で開業してた「駿浦屋」ですけど、経営が思わしくなく…

  • 明治10年(1877年)琉球人6名が英国船に救助される

    前回、明治9年にフィリピンで助けられた3名の琉球人のお話をしましたが、翌年にも同じようなことが起こります。 琉球・頭間切奥間村の山城筑登之さん(56歳)、安里丹也さん(39歳)、比嘉築登雲上さん(30歳)、加那桃原さん(30歳)、武太山城さん(24歳)、蒲戸島袋さん(24歳)らが、1チーム3人、全部で3チーム(計9名)で、明治10年5月2日に柴を運ぶため、琉球・頭間切奥間村を出発しました。 無事に送り届けたのですが、その帰りの5月22日に大嵐にあいます。船の帆を張るための木は折れてしまい、コントロールを失いました。漂流すること5日間、不運にも3名が死亡。26日に横島(長崎?)付近で一艘のイギリ…

  • 明治9年、外資系企業の苦戦、中国系の台頭。

    明治9年(1876年)9月23日頃の安藤副領事の報告に、当時の香港の経済状況が描かれています。 香港は明治7年(1874年)からずっと景気が思わしくなく、外資系企業は大きな打撃を受け、会社を清算するところも少なくありませんでした。外資系企業が立ち退き、空き家となった洋館には中国人が駐留する外国の汽船会社が入りました。外資系銀行などの大会社だけでなく、ありとあらゆる業種の法人が中国人に押されていったようです。この時、押されていった欧米人の多くは東京やサイゴン(ベトナム)へと移動したとあります。 ちょっと話が逸れますが、当時の町の中心には「香港人」と呼べる人は少なく、中国から流れてきた中国人たちが…

  • 騙されて苦力(クーリー)となった日本人、領事館へ逃げ込む。

    明治9年(1876年)、日本は開国後10年も経っていませんでしたが、日本の交易範囲がどんどん開拓され、それに伴い海外へ出る日本人が増えていきました。外国船の船乗りとなって遠方の海洋に出て行くもの、外国人の召使いになるもの、そして売春婦になるものと様々でした。 海外に出る民間日本人は、当時とても価値があったメキシコ銀貨(※1)を餌に騙されるパターンが多かったようです。海外に出た途端、暴行を受けたり、詐欺にあったりして、右も左もわからない外国で路頭に迷い、物乞いに身を落とす日本人もいたそうです。 当時、東洋人は外国人(欧米人)に半奴隷化され、過酷な労働を強いられるケースもあり、その中には、日本人も…

  • 偽造コイン流通経路。香港の日本領事館の調査。

    新コインがそれほど流通していない時期から偽造コインが出やしないか、日本領事館は戦々恐々としていました。それは旧コインの偽コインが出まくっていたからです。 アモイ(廈門)で偽物の流通が確認されていました。明治9年6月15日頃、当時の廈門領事である福島さんが偽造コイン調査依頼を香港の安藤副領事に送っています。 「明治7年に鋳造された1元銀貨は偽造コインがすんごい数あるやん?これって香港から輸入した銀貨の中に混ざってたから、うち(アモイ)から香港の銀取扱店を訴えさせてもらったことがあるけど、1元銀貨のサンプルを送るから、受け取ったら貴地で偽造コイン製造者がいるかどうか調査してな」 安藤副領事が回答し…

  • 貿易用の新銀貨登場。流通方法を香港で事前調査

    「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」には貿易用銀貨が新しくなり、流通を始めたことが記載されいています。 明治8年(1875年)2月28日頃の公告第35号に基づき、我が国は新しい貿易銀貨を発行した。新しい銀貨は過去のものと見た目はほぼ一緒で、ちょっと重いだけ。為替レートは古いのは1元/7.176銭で、新しいのは1元/7.245銭。刻印については古いのは「1元銀(※1)」、新しいのは「貿易銀」となっている。 どちらも当時中国中に出回っていた支那大洋と呼ばれる銀貨や香港港元(香港ドル)と概ね一緒でした。 この新しい銀貨は中国やインド、海沿いの植民地エリアで使おうと計画されていたの…

  • 苦力(クーリー)の輸出地「香港」とケネディー総督

    少し話が逸れますが、その昔「苦力(クーリー)」という中国人労働者がいました。 19世紀中期、アメリカ西海岸やオーストラリアのシドニーなどで金脈が見つかったことでゴールドラッシュが起き、中国から多くの労働者「苦力(クーリー)」が香港を経由して「輸出」されていました。 例えば、1848年にアメリカ・カルフォルニア州で金脈が見つかった際、その翌年には大量の中国人労働者の輸出が開始され、1852年には香港から3万人のクーリーを送り込むために44隻もの船がカルフォルニアに行っています。 当時、香港には「苦力(クーリー)」闇市があり、多くのブローカーも存在、労働者のことを「豬仔(ブタちゃん)」と呼び、ひど…

  • 日本領事館スタッフ紹介。香港初の現地採用者!?

    明治9年(1876年)の領事館メンバーが「明治時期 香港的日本人」に載っていました。当時の日本人は安藤さん、小林さん、寺田さんの3人。 今までの報告書に良く出てくる「安藤太郎副領事」は、明治7年7月1日に来港、明治16年(1883年)までの9年間、香港にいることになります。 小林端一書記官は安藤さんと一緒に香港にきています。ところが小林書記官は体を壊して、明治8年に熱海へ温泉療養し、その後、2ヶ月ほどで香港に戻るも、明治9年4月25日に当時の外務大輔(外務省)の鮫島尚信さんより小林書記官に帰国命令が出て、6月20日に香港を去ります。 寺田一郎書記官は明治8年6月10日から香港に着任。明治9年7…

  • 琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語(後編)

    前回のお話 : 嵐に巻き込まれた琉球人4人。1人が亡くなってしまうが、3人はなんとかフィリピンへ上陸。自分たちがたどり着いたのは台湾だと思い込んでた琉球人、上陸後に現地人を見つけるも、台湾で起きた「宮古島島民遭難事件」を思い出し、恐怖に震えます。 「助けてくださいっ!」とうずくまり命乞いをする2人。 牛を連れた男はどうやら2人の言わんとすることがわかっただけでなく、漂流民だと気付いたようでした。2人はこの男が危害を加えそうにないと判断し、自分たちが乗った小舟まで案内、その男に動けなくなった仲間を助け出してもらいました。 なんとか助かった3人は次の日、小舟に乗せられ同じ島の違う村に連れて行かれま…

  • 琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語

    明治9年(1876年)8月6日、香港にあるスペイン領事が日本領事館を訪れました。何の用事かと思いましたら「うち(スペイン)の植民地のフィリピンに日本人3人が漂流してきたから保護しててん。お渡しするな。」とわざわざ3人を連れてきてくれたのです。安藤副領事は「いや~、ほんまありがとう!」とお礼を言い、早速その3人に会いました。 助けられた3人は琉球人。困ったことに琉球語がわからない安藤さん、全く会話が成り立ちません。「え~、話できへんやん。どうしよう。。」と困っていた時に、鹿児島県出身の宮田五郎左衛門忰甚助さん(以下:忰甚助さん)(※1)という人が通訳ができると聞きつけ、早速きてもらいました。忰甚…

  • 日本海軍士官、イギリス軍艦に乗る。領事館は進捗チェック!

    「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」に、明治初期の日本海軍についてこう書かれています。 「明治元年、うちの海軍の貧弱さと言ったら、言い訳というか何も言われへんほど確かな事実。もうホンマ仕方ないからこの事実をちゃんと認識して、実力を高めるためにイギリス海軍から勉強する事にしたわ。せやな、例えばうちの若くて優秀な海軍士官はイギリス軍艦に乗って、いろんな事、勉強してるで」 例として「伊月一郎」さんが挙げられています。彼はイギリス中国艦隊の旗艦「Audacious」へ乗船。その船が香港へ入港した際にジョンストン(Johnston)艦長と伊月さんは香港の日本領事館を訪問し、安藤副領事…

  • 明治8年)在香港日本領事館の引越し、日本人の人数

    在香港日本領事館は開設してすぐに「そもそも領事館は必要なの?」との存在の危機に直面していましたが結局「香港の日本領事館は必要」と判断され、明治8年2月12日に現ヴエルブの部屋から、アレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に引っ越しました。 これだけはっきりと住所が残っているにもかかわらず、場所がどこなのかわかっていません。本では翻訳者のコメントで「中環(セントラル)のエスカレーター辺りで便利な、商業エリアに近いところだっただろう」と記載がありました。またネットで「アレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)」を調べたところ「Old BaileyからShe…

  • 日本領事館、また海軍の尻拭い?百貨店から請求書届く。

    嵐が過ぎた約2ヶ月後の11月15日に、軍艦「日進号」が突然入港してきます。「アモイから台湾へ行く途中に嵐に遭い、風に流され香港まできた」が原因だったようです。台風が軍艦を流してしまうほどひどいものだったことがわかりますね。幸いにして乗組員にけがはなく、船も目立った破損はなかったようです。ただ軍艦には物資がほとんどなくなっていたため「日進号」は香港で物資調達し、到着2日後の11月17日には台湾へ向けて出発していきました。 するとその後、「Lane Crawford(レーン・クロフォード)」(現在でも高級でおしゃれなイギリス系デパートとして超有名!)から4元50銭の請求書が領事館に送られてきます。…

  • 香港を襲う巨大台風、日本のご婦人が海へ落ちた?

    領事館の記録には1874年に香港を襲った台風の記録が残っています。香港のメディアでも「香港で初めて記録が残っている台風」として紹介されています。 「明治時期 香港的日本人」によると明治7年(1874年)9月22日の午後8時より暴風雨になり、それは次の日の朝5時まで続きました。この台風で香港に停泊していた4艘の汽船が沈没、帆掛船の被害数は時間を追うごとに大きくなり、ましてや中国の小舟は数え切れないほど破壊・沈没しました。また香港だけでも5,000人(※1)が死亡、石澳・土瓜灣などの村は壊滅、筲箕灣(シャウケイワン)・油麻地(ヤウマテイ)のお寺は吹き飛ばされ、香港仔(アバディーン)やその他の埠頭の…

  • 台湾出兵と香港領事館に売り込みにくる外国人

    アメリカ人のリチャード・ルジャンドルが日本に肩入れしすぎてアメリカ・イギリスが猛抗議をしましたが、もちろん清朝もすごい危機感を抱いていました。実は、ルジャンドルが日本が台湾侵略に成功した後、貿易の利益をアメリカで独占し、ゆくゆくは植民地にしようと企んでいたことを聞きつけていたのです。清朝はその事を理解していたので必死に止めようとしました。 清朝の有名な政治家「李鴻章」は日本の台湾侵略計画論を唱え「日本はアメリカ人を頼みとしている。もしアメリカが自分たちの人間や船を引き揚げたら、日本は兵を撤退するだろう」と発表、それを聞いた清朝は正式にアメリカへ抗議をします。一方、アメリカは清朝との話し合いのた…

  • 日本の征台論、香港でわかる「欧米諸国」の色めき

    領事館資料をまとめた「明治時期 香港的日本人」によると1874年は春日丸(http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/02/18/220831)をはじめ、色々な事が起こっていたようです。 当時の副領事である安藤さんの報告書(7月2日)には当時の欧米諸国の反応が描かれています。 「香港と広東省にいる西洋人は『日本の出兵が正しい事かどうかについてはひとまず置いといて、もし台湾が日本に属することになったら!って考えたら、物(台湾の資源とか?)の輸出ができるようになるから、えぇ事やって思ってる。』と。こう言われるのは(日本にとって)めでたいことやと思います。…

  • 台湾での悲劇「宮古島島民遭難事件」と清朝の問題発言

    「宮古島島民遭難事件」は明治4年(1871年)に起こりました。沖縄の人は知っていると思いますが、日本本土でこの事件って授業で習いましたっけ?覚えてないなぁ。。日本が国際的に目立つキッカケを作ったんじゃないかと思うほど重大な事件だと思います。 当時の背景を簡単に説明すると明治4年(1871年)は沖縄はまだ「琉球王国」で、翌年に「琉球藩」になります。台湾は清朝管轄でした。ちなみに香港領事館ができるのはこの2年後です。 「宮古島島民遭難事件」は、琉球王国に年貢を納めに行った宮古島の船がその帰り道に嵐にあって遭難、台湾へ流れ着いたところから始まります。 船に乗っていた69名のうち、3名は溺死、残り66…

  • 有名軍艦「春日丸」が香港にやって来た!日本領事館は尻拭い(涙)

    軍艦のことは全く知識がないので「春日丸」でググったら、萌えキャラでてきた!有名な軍艦だったのですね! 春日丸は薩摩藩がイギリスから購入した木製軍艦。イギリスは本来、清朝に売るつもりで船の名前も「江蘇艦」だったのですが、清朝が「えー、めっちゃ高いわ、買われへんわ」と拒絶。イギリスが「じゃー、他に売るわ」と行って、インドや日本を模索。 ある日、長崎港に止まっていた春日丸(当時、まだ江蘇艦)を見初めた薩摩藩が購入。戊辰戦争(明治政府軍と旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟との内戦)で大活躍したみたいです。 そんなアイドル春日丸は、明治7年(1874年)1月末に香港に到着。記録によると「井上少佐」以下143名…

  • 明治6年の民間日本人の香港居住所を特定か!?

    鎖国をしていた江戸時代が終了してまだ間もない明治6年(1873年)、日本の民間人が香港でビジネスをしていたことが領事館の記録に記載されています。 香港でビジネスをしていたのは「駿浦屋(Sun Po & Company)」、日本本店は横浜本町1丁目で社名は駿府屋太郎商店、香港はその分店だそうです。香港では明治5年10月に開業。住所は「香港中環大街54號」。中環大街ってどこ? 本を続けて読むと「現在(昭和10年/1935年)の中華百貨公司(中華系百貨店)の東2,3件隣の位置にありました。あの辺りはすごい繁華街で人目を引きますね」と大きなヒント。 昭和10年/1935年で該当しそうな百貨店は全部で3…

  • 明治時代)開設2年目にして閉鎖の危機を迎える日本領事館

    領事館ですが、開設後わずか2年目にして存続すべきかどうかの危機を迎えていました。 この本「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)(※1)」によると「適当な人がいない」というのが大きな理由だったようです。 初代の林副領事は、就任後わずか3ヶ月で帰国申請を提出。理由は当時日本で起こっていた外交問題「鮑彦卿事件(※2)」の処理で帰る必要があったようですが、1873年9月19日に横浜へ到着するも同月23日に突然、病気で亡くなっています。 その後、明治政府は次に樋野書記官を派遣、しかし彼は元々3ヶ月の短期の約束だったのと、病気になってしまったのとで「早く日本に帰りたい」と訴えます。政府側は…

  • 明治時代の香港にいた日本人〜どこにあったかわからない初めの領事館

    香港の書店はどこも必ずと言っていいほど、日本の歴史本コーナーがあります。 そこで「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」という本を見つけました。これは、香港人の方々が在香港日本領事館の記録を元に、中国語にまとめた本のようです。読んでみると大変興味深く、この本の存在を日本人が知らないのはもったいないと思い、気になる箇所を抜粋してみることにしました。 ・どこにあったかわからない初代領事館 在香港日本領事館(以下;領事館)は今から遡ること146年前の明治6年(1873年)に開設。 領事館がどこにあったかというと、実ははっきりとはわかっていません。賃貸契約書は存在し、それによると「ヴエルブ…

  • 香港普通選挙と鹿と馬(馬鹿ではないです)

    香港「真の普通選挙」を求める活動は今も続いています。 さて、真剣な、大変真剣なテーマのはずなのですが、 いつもどこかユーモラスにしてしまうのが香港人の国民気質なんでしょうね。 今回は立法会(立法審議会)で「馬」の文字が書かれた鹿の紙が持ち込まれました。 これは中国の四文字熟語「指鹿為馬(鹿を指して馬とする)」をもじっています。 これは権力を背景に事実を歪曲すること、白を黒にしてしまうこと、を指します。 香港政府が4月に「とりあえずやってみよう(袋住先)」と差し出した 普通選挙の草案は,結局はごく一部の人しか立候補ができず、 その立候補者も事実上、中国寄りの人しかできないんじゃないか?と 疑問を…

  • おしゃれ!香港地下鉄(MTR)

    香港の地下鉄の壁はおしゃれなんです。 新しく出来た駅や改装されたところはダメなんですが、 昔のままの所は可愛いんです。 何が可愛いかというと、百聞は一見にしかず。 お写真をご覧あれ! 小さなタイルが貼られた壁です。 主要な駅と思われる所は2パターンの色があります。 香港は駅事に色が違っていて(似ている所もあるけど)、 香港人は「色を見るとどこの駅か分かる!」とのこと。 黄大仙、藍田(藍は中国語で「青」)や彩虹は分かりやすいな。 金鐘は乗り換え駅なので、頻繁に利用するため色を覚えました。 水色が見えると慌てて降りる! まだ撮れていない駅もありますが、可愛いタイルの壁は少なくなって 鉄板(?)みた…

  • 中国と香港って一緒なの?違うの?(その1)

    中国大陸のネットをウロウロするのに、はまっている今日この頃です。 中国のビジネスサイトとか、ブログで香港のことをあぁだ、こぉだと説明しているのがいっぱいあって、それを見ながら「中国ってそういう規制あんの?」とか思うこともあったり、香港の良さを再認識したり。 昨年、香港では100日間に及ぶ「真の普通選挙を訴える」運動、今年は香港のショッピングモールで「運び屋」を追い出すデモなど、色々あった香港。香港人の大陸嫌悪はまだまだ続き、 一方、中国に住む中国人の友達や知り合いからは「香港って中国なんだから、ギャンギャン言わないでほしいわよね」とのコメント。 嫌われれば、嫌いになる感情は自然だけど、相互依存…

  • 「禁猫令(市場での猫禁止)」に見る香港政府の態度

    先日、九龍城の市場に「禁猫令(猫飼育禁止令)」が出されたお話をしました。 とある香港人コラムニストの方がこんな事を書いていました。(以下、コラム内容) 今回、九龍城の猫飼育禁止令に対して市民が大きな不満を表したのには、政府の処理の仕方に問題があると思う。 まずは1つ目。今いる猫達をどこに移すのかってこと。 2つ目は、九龍城市場は香港の中でも特に鼠の問題が深刻なエリアであるにも関わらず、猫達がいなくなった後の鼠対策について十分な説明がされていないこと。 (※花屋にて) 食物環境衛生署が衛生面から猫達をはじめとする動物を入れたがらないのは分かるし、そういう意味では今回の措置は「道理のある」事だ。け…

  • 香港市場(いちば)で「猫」禁止令が発令!?猫、失業?

    今回は大変な記事を発見! 香港の九龍城街市(市場)で「禁猫(猫禁止)」の張り紙を出されました。もし猫を籠に入れていないと政府に連れていかれることになる!? 以前、市場で働く猫さまをブログで紹介しました。香港市場の猫は、ただのペットではなく「鼠取り」を目的として飼われている立派な職業猫です。 香港の街を歩いていると市場やレストランなど残飯が出るエリアには鼠が出没しているのを見かけます。そんな鼠から商品を守るのが猫さまのお仕事。市場では、猫が商品を傷つけることなく、それどころかちゃんと鼠から守っているのに、「猫がいなくなったら、鼠による被害が増えるじゃない!」と心配の声が。猫さまの存在で鼠からの被…

  • 「進撃の巨人」と「香港」の類似点

    日本で大人気の「進撃の巨人」。 実は香港でも大人気です!現在、旺角のLangham PlaceでPop Upストアが出されていて香港人ファンが押し掛けているんです。 さて、今日は「進撃の巨人」を特別に感じながら見ている香港人がいると言うお話です。 進撃の巨人をご存じない方に大まかなあらすじを。 繁栄を極めた人類の前に、突如として出現した「巨人」。この巨人は人類を補食するため、人類はあっという間に絶滅の危機に。そして高さ50メートル、厚さ10メートルの巨大な3重の城壁を築き上げ、人類はその中で生き延びていく。 そしてその城壁が築かれて約100年後。巨人の恐怖を忘れかけた人類に再び危機が訪れる。大…

  • お金が全てじゃない!投資移民ビザの凍結

    19日の人民日報海外版で「香港はなぜ投資移民に対し態度を変えたのか」と言うコラムが出されました。人民日報といえば、共産党の機関紙。海外版とは言え、香港の様子を冷静にとらえ、中国大陸人の投資に対して苦言を呈した内容は意外な気がしました。 私が読んだ印象では、このコラムで、本来投資というものは経済の発展、貢献を考えて行うべきものなのに、後さき考えず、自分のやりたいようにやった金持ちのわがままが生んだのが今回の「後果(良くない結果)=香港人が住めないほどの不動産バブル」だと言っています。 しかし、このビザが施行された2003年当時、SARSの後で経済がどん底だった香港は海外からの投資を欲していたのも…

  • 今の香港はどんな感じ?施政報告2015(2)

    施政報告、続きです。 正直、冒頭だけで疲れてしまったので、気になるところだけピックアップしました。 今回は去年のように「人口島を作ります!」みたいな突拍子もない事は載っていなかったです。 あっ。。今年の冒頭はこれ以上に度肝を抜かれましたけれど。 さて、やはり気になるのは「不動産、高いよね?」の問題。 政府もそこは分かっているらしく「香港居民が購入できるアパートをつくります!」と宣言。 「不動産価格は高騰し、若者は家を買えず、家賃の高騰に中小企業も苦しんでいる」 その理由は「香港は土地が足りないのではなく、土地の開発が進んでいないのだ!開発をしようとした時期に、アジア通貨危機が起こり、香港の経済…

  • 「一国二制度」と「基本法」の解釈/2015施政報告

    とうとう出ました!香港2015施政報告。 これを読めば、香港政府が今後何をするのか、何を考えているのか一目瞭然!なので、個人的には「暫定未来報告書」と呼んでいます。 早速見てみましたが、冒頭で内容満載でした。 さて、どんな内容でしょうか? 香港は「一国二制度」の上で成り立っているが、認識に少し相違があったようである。 香港は「高度な自治」を有するのであり、「絶対的な自治」を有するのではない。高度な自治は意のままに政治を行うことではない。 《基本法》は中央政府(以下、中央)及び香港政府の関係を具体的に規定している。香港の権力は中央から《基本法》を通して香港に授けられたものである。 「一国二制度」…

  • 日清(甲午)戦争の展示に想う

    香港海防博物館で、日清(甲午)戦争の特別展示がありました。 展示物には結構、日本の物があり、正直驚きました。 日本で発行された風俗雑誌(戦争の様子が書かれている)、日本軍の制服、明治天皇の肖像、日清戦争の様子を書いた記者の手記。 手記を見ていると良く出てくる言葉が「毎日戦争」「砲撃」「沈没」「即死」「重傷」。傷つくのに、日本も中国もありません。 日本でもこんな展示してるのかなぁ。今まで気にしていなかっただけかなぁ。。事実として、淡々と紹介する展示があってもいいと思うのだけど、こんな事するとややこしい事になりそう。。 下記は、日清戦争が終わったという明治天皇の詔。総理大臣は伊藤博文。 こういう展…

  • 野良牛事情@香港

    光陰矢の如し。 一年が終わろうとしています。今年も皆様、ありがとうございました。 そんな年の瀬に、香港の大自然を満喫するハイキングに行ってまいりました。 そこで、出会うのが「野良牛」。 日本でもなかなかお目にかかれません。大都会、摩天楼だけの香港かと思いきや、 母なる大地、大自然も満喫できる香港はやっぱり魅惑のエリア。 お恥ずかしながら(?)、野良牛を間近で見るの初めてだった私。 ある事に気づきました。 「耳に黄色いタグがある子とない子がいる」と。 *黄色いタグがある子(分かりづらいな、左耳にあるのです)(上) *タグがない子(下) 勝手に「タグがある子は戸籍あり。ないこは戸籍無し」なんて思っ…

  • 香港人に分かるか!?~中国人、日本旅行珍道中記~

    面白い記事を見つけました。中国大陸人が日本で遭遇した驚きを香港のメディアが紹介している記事。 「香港人に分かるか!?」とタイトルにありましたが、さて、香港人は大陸人の驚きにどのくらい共感できるのでしょうか? 【成人雑誌】 日本は公に販売され過ぎていますね。中国は法律が厳しいため公にはほとんど見かけません。中国大陸の皆様、きっと大喜びですね。香港は路上のマガジンスタンドで入手できます。香港の場合、セクシーなお姉さんはともかく、ムキムキのお兄さんがカバー写真のが堂々とあったりして謎も多し。 【お手洗いが綺麗】 あのぉ、中国がひどすぎます。。田舎に行けば、溝が掘られて水が流されているだけ。とてもじゃ…

  • 香港の猫会議(社会派)

    香港では、デモが起こっているエリアは小売業や飲食業の売上が軒並みダウンしています。 しかし、さすが守銭奴の街~香港~ 収入を確保するためにデベロッパー達が「歩合賃料に頼っていられないから、基本賃料あげるね!」と言っております。 お前ら。。。そんな事ばっかりしてるから、学生達が明るい未来を描けないんだろうが!!! さて。 歩きなれない道を歩いている時、裏路地で猫様の集会を見つけました。 そしてその集会に飛び入り参加♪ 香港の猫様も集会を開かれるんですね! 香港では再開発が進み、古いビルが取り壊され、新しいショッピングモールがいっぱい立っています。香港人のための開発ではなく、商業的な意味合いしかな…

  • 香港デモ(用語集③)鳩が鳴く?

    昨夜、デモ隊と警官隊の激しい衝突が起こりましたね。。 旺角のデモ隊排除と学生リーダーの二人の逮捕でいったん終息するかのように見えましたが、余計に激しくなってきましたね。。 旺角は解散させられた後、また集まるために新たな手口が開発されました。そしてそれは新しい用語となりました。 「鳩嗚」 発音は「カウ(ガウ)・ウー」で、「購買(買い物)」と発音が非常によく似ています。 そう、今、警察に職務質問を受けた場合「ショッピング♪」と言って、切り抜けているのです。実際は、その「買い物客」達は普通選挙をしろ!と叫んだり、プラカードを持っていたりするので、警察とは衝突しているようですが。。 さて、「鳩鳴/購買…

  • お店のオープン!めっちゃOld Style 。

    少し前にお散歩をしていたら、見慣れない大きな看板が目に飛び込んできました。 「新張誌慶」 おぉぉ。お店のオープンだ! こんな伝統的なオープン看板、ほとんど見たことない!すごいです。 「生意興隆」は商売繁盛。 「正宗」は正統、本家本元。 「滷‏味」は色んな調味料を使ってトリを丸ごと味付けしたもの。 何のお店かと言うと「叉焼屋」。 看板の下から少し覗いているトリの丸焼きがお分かりになりますでしょうか? 香港の叉焼は基本、豚肉、鶏やカモ肉でできています。 トリは丸々一羽、店先にぶら下がっています。 お付き合いがある会社さんから送られたオープン看板のご利益があるといいですね。 http://overs…

  • 11月11日独身の日になぜSALE?

    天猫(T-mall)の一日の売上が571億人民元を突破!なんて記事がありましたね。「猫」の文字があるとなんでも反応して、チェックをいれる猫好きな私です。 11月11日、中国では「独身の日」だってニュースで知っている方は多いと思います。では、なぜその日にSALE(大安売り)!なの?と思ったので、中国サイトをネットサーフィンしてきました。 まず、「1」は寂しい独り者を表し、それが4つも並んだ11月11日はまさに独身の日。中国語で「光棍節」と呼ばれますが、「光棍」は本来「やもめ男」を指します。「皮をはいだ木の枝(光棍)からは新しい木は生まれない」と言われ、そこから「子孫も残せないダメなやもめ男」とい…

  • 香港の飲み物~バラエティーにとんでる!~

    香港の飲み物はいろんな種類があります。 これを見れば、一目瞭然! 香港に旅行に来る方だけでなく、住んでいる人も是非ご参考くださいませ♪ どれが好き? どれに挑戦する? 気候が涼しくなってくると、オーソドックスな甘い奶茶が欲しくなります。 (画像:Hong Kongballさんより) http://overseas.blogmura.com/ ↑ポチッとよろしくです。

  • 香港デモ~英政府’自由は大切’、中政府’内政干渉だ’~

    香港政府と学生達との話し合いが来週中にも行われると新聞にも大きく掲載されました。今回は必ず開かれると思います。大学の校長が間に立って調整が行われると言うことですが、さてどのような展開になるのでしょうか? 私の個人的意見としては悲観的です。 なぜならば、中国政府が既に「話し合いの場を設けた事は、我々として十分譲歩している」と述べているので、これ以上の展開が望めるとも思えません。 とある記事に、英国政府が「香港人は、1997年以前にも持っていた個人、言論、集会等の自由の権利がある。『中英連合声明』は守られるべきだ」と述べています。 「中英連合声明」がまさに「一国二制度を原則とする」と明記されていま…

  • いつの間にか法律変わってない!? ~香港移民政策〜

    驚きました。。 いつの間にか香港永久居民取得条件が変わっている気がします。。 今まで、最もポピュラーな取得方法に「就労ビザを取得し、7年連続で働いていれば永久居民の資格を持つ」とあります。 それともう一つ、「香港で誕生した子供は永久居民の資格を持つ」と言うのがありました。 これ、親が香港永久居民でなくても、どの外国人であっても適用されていたはずなんです。それが先日、数年前に香港でお子さんが誕生している日本人の方と話をしていると「えっ?もらえないですよ。そう言えば、長く香港に住んでる人は皆、そう言いますね。」と。 はぁぁぁぁぁ?????? 本当ですか? あれ?昔っからダメでしたっけ? ビックリし…

  • 香港デモ~終わった?いいえ、警察の悲しい変貌~

    海外では香港デモのニュースが急速に影を潜めています。 昨日の新聞トップにも「片づけ」と称して、警官がデモ隊のテントやバリケードを片づける様子が紹介されていました。昨日の朝からはデモ活動が始まってから止まっていたトラムも再開です。 とある新聞見出しでは「『軟』清場」とありますが、どういう意味でしょうか? 「場所を清める」でお片付け。さて「軟」は?「優しく」とでも言いましょうか? 「優しくお片付けをする」、つまり、デモ隊の処理を警察は強行したわけではないと訴えています。 一人でも反対者がいる以上、「強行」しているはずですがトラブルはなかったよ、と言いたいのです。 本当にトラブルはなかったのでしょう…

  • 香港デモ〜独立って考えないの?〜

    学生リーダーの黄之峰(Joshua Wong)がTimeの表紙を飾りました。 前回書きましたが、子供だけでなく大人も動いています。 今日、台湾人の知り合い(ご婦人)に久々お目にかかりました。もちろん話題はデモの事。始めは「うちの娘が会社に通うのに、バスの停まる場所が変わっちゃって大変なのよ」などたわいのない話から始まりました。 そのうち「いつ終わるんだろう」と香港にいる(もしくは世界中の)人間が思っている話題にたどり着きました。 私が「昨日の話合いも流れたし、というか、話す内容もないですよね?どうしたってC.Y.は辞めさせられないし、選挙だって中央政府が許可するわけないし。」と。 台湾婦人は言…

  • 香港デモ~そもそもの始まりって?~(佔中三子)

    今回のデモ、ようやく見通したがってきましたね。 話し合いが始まりそうです。 とは言え、今朝の地下鉄も猛烈ラッシュだったようですが。。 今回、学生の活躍が目立ちましたが、大人も全く何もしていないわけではありません。 「佔中三子」(Occupied Centralの3人組) と呼ばれる3人組が存在します。 戴耀廷(香港大学助教授)、陳健民(香港中文大学助教授)、朱耀明(キリスト教牧師)と言うおっちゃん3人組なのですが、2013年に「普通選挙やって!やらないと言うなら香港の政治と経済の中心地セントラル(Central)を占拠しちゃうぞ!」と言った張本人達なのです。 2013年から活動が始まり、201…

  • 香港デモ~政府の攻撃。中国戸籍問題も一挙解決?~

    やっぱり来ました! 政府がデモの混乱に乗じて、前々から通そうとしていた条例の草案がサクッと平等機会委員会から提出されていました。それは何かと言いますと「差別(禁止)条例」です。その中でも香港人が警戒しているのが「新移民に対しての差別」の部分。 表面上は「新移民に対して差別をしない、平等に扱うように」という内容ですが、事実上「新移民=中国大陸人」となっています。また別の個所では「内地人(大陸人)」と明記されていました。 「差別はいけない。この条例はいいんじゃない?」と思われる方が大勢いらっしゃるでしょう。正にその通りです。では、何が問題なのか? それは「香港人より大陸人を優遇しましょう。」と言っ…

  • 香港デモ〜勝算はあるのですか?〜

    香港デモも2週目に突入。 どこからも「正直、もう終わるでしょ」と言う空気が流れています。 そろそろ終わってくれないと困るなぁ。。。と言うのが本音の市民です。 市民の暮らしでは、まずこの付近にある学校が休校、別の区域の学校に通う子供達でも、この付近のエリアに家がある子供達は休んでいます。親からすると「授業進まないとやばい!」とか「ずっと家にいられても困る!」など切実な悩みがあります。 またバスやトラムと言った交通機関も停まっており、中環(セントラル)~銅鑼湾(コーズウェイベイ)までの香港の重要エリアが麻痺しており、デモだろうが何だろうが出社しなくては行けない大人達は皆、MTR(地下鉄)に殺到し、…

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香港、小さな場所だと思いきや。
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