chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
しばやんの日々(FC2) https://shibayan1954.blog.fc2.com/

京都のお寺で育ったしばやんの歴史考察等。令和2年以降は、新しい記事は「歴史逍遥『しばやんの日々』」に掲載しています。

50代になった頃から日本の歴史に興味を覚えて、いろいろ調べることに楽しさを覚えるようになりました。8年前から「しばやんの日々」を書き始め、いつの間にか容量が少なくなり、バックアップにも問題があるので、同名の別のブログを立ち上げて手作業で主要な記事を移し、新しい記事も同時に掲載してきましたが、2014年からはこのブログに一本化しています。

しばやん
フォロー
住所
吹田市
出身
京都府
ブログ村参加

2013/06/22

arrow_drop_down
  • 欧化主義者の伊藤博文に楯突いて鹿鳴館外交を終わらせた谷干城

    明治政府が採用した欧化政策のなかで、最も極端であったのは鹿鳴館の舞踏会騒ぎであった。明治十六年八月に伊藤博文がヨーロッパ諸国の諸制度を調べる外遊から帰国すると、十八年に太政官制度を廃止して内閣制度を創設したのを手始めに、制度万般のヨーロッパ化を図ろうとし、また、自ら内閣総理大臣となり、当時最大の外交問題であった条約改正を解決しようと、井上馨を外務大臣に据えた。この二人がこの問題解決の為に考えたこと...

  • 初めての著書の配本書店リストとその他入手方法について

    いつもこのブログにアクセス頂きありがとうございます。先日、初めての著書が4月1日に販売が開始されることになったことをお伝えしましたが、無名の著者でもあるので、店頭に並ぶのは全国で109の書店だけで、大型書店でも並ぶのはほとんどの店舗で1冊となります。売れた後の在庫補充はそれぞれの店舗の裁量となります。本を購入される場合は、書店で現物を見てから買われる方が多いと思うのですが、多くの方にご迷惑をかけてし...

  • 暦を太陽暦に急に変えたことに対する国民の反応と、政府が改暦を強行した経緯

    明治の文明開化のことをいろいろ書いてきたが、太陽暦を採用した頃のことを調べてみると、政府があまりにも性急に太陽暦に変更したことに驚いてしまった。明治政府が太政官布告第三百三十七号『太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス』を出した日付は明治五年(1872)十一月九日なのだが、それによると「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」とあり、わずか二十四日後から年が変わって太陽暦の正月になることを急に発表したのであ...

  • はじめての著書出版の御案内

    いつもこのブログにアクセス頂きありがとうございます。今年の新年のご挨拶で少し触れておきましたが、私がこのブログで書いてきた記事の一部を1冊の本に書きまとめ、4月1日から大型書店などで販売が開始されることになりました。もちろんアマゾンや楽天などのネットショップでも購入することが可能です。タイトル:『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』著者:しばやん出版社:文芸社価格:1500円+消費税3...

  • 郵便事業を創始した前島密は飛脚屋の失業対策まで考え抜いていた

    前回記事で明治時代の電信業の始まりの苦労について書いたが、今回は郵便の事について書くことにしたい。政府による郵便事業が始まったのは明治三年(1870年)のことなのだが、それ以前に信書はいかなる方法で運ばれていたのだろうか。【東海道五拾三次 平塚 安藤広重画】石井研堂の著書にはこのように解説されている。「…不完全ながらも、全国中重(おも)なる都邑には、飛脚屋の設けあり。各所の飛脚屋互いに気脈を通じ、私に信書...

  • 電信工事に対する民衆の妨害活動や流言飛語に手を焼いた明治政府

    前回の記事で、嘉永七年(1854年)にペリーが二度目の来日をした際に、横浜で汽車の模型を動かしたところ幕府の役人が子どものように喜んだことを書いたが、ペリーは同時に電信機のデモンストレーションをも実施している。その時の日本人の反応について、ペリーの記録にはこう書かれている。「…電信装置は真っすぐに、約1哩*張り渡された。一端は条約館に、一端は明らかにその目的のために設けられた一つの建物にあった。両端にいる...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、しばやんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
しばやんさん
ブログタイトル
しばやんの日々(FC2)
フォロー
しばやんの日々(FC2)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用