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しばやんの日々(FC2) https://shibayan1954.blog.fc2.com/

京都のお寺で育ったしばやんの歴史考察等。令和2年以降は、新しい記事は「歴史逍遥『しばやんの日々』」に掲載しています。

50代になった頃から日本の歴史に興味を覚えて、いろいろ調べることに楽しさを覚えるようになりました。8年前から「しばやんの日々」を書き始め、いつの間にか容量が少なくなり、バックアップにも問題があるので、同名の別のブログを立ち上げて手作業で主要な記事を移し、新しい記事も同時に掲載してきましたが、2014年からはこのブログに一本化しています。

しばやん
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2013/06/22

しばやんさんの人気ランキング

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総合ランキング(IN) 20,932位 20,786位 20,750位 20,919位 20,950位 20,782位 20,813位 1,034,341サイト
INポイント 2 4 4 4 4 4 4 26/週
OUTポイント 4 4 4 4 4 4 4 28/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 130位 123位 125位 126位 129位 125位 128位 4,536サイト
日本史 27位 25位 26位 27位 26位 24位 24位 667サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/24 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 全参加数
総合ランキング(OUT) 37,176位 35,369位 35,229位 35,098位 35,421位 35,082位 34,908位 1,034,341サイト
INポイント 2 4 4 4 4 4 4 26/週
OUTポイント 4 4 4 4 4 4 4 28/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
歴史ブログ 145位 131位 128位 124位 130位 129位 133位 4,536サイト
日本史 20位 19位 19位 17位 19位 18位 18位 667サイト
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今日 04/24 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,341サイト
INポイント 2 4 4 4 4 4 4 26/週
OUTポイント 4 4 4 4 4 4 4 28/週
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歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,536サイト
日本史 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 667サイト
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  • 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』の感想文紹介

    『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』の感想文紹介

    【Sさんの感想文】…私の元上司Iさんに届いたもの「大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか」を読んで「まず、序章でびっくりさせられます。目から鱗とはこのことで、日本人が奴隷として売買されていたなど全く知りませんでしたし、想像したこともありませんでした。しかし、戦国の荒れた世が長く続けば、各地で難民が発生し売られて行っても不思議ではないですよね。遣欧少年使節団のことはかなり有名ですが、...

  • 電子書籍版の『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』のデータの修正の件

    電子書籍版の『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』のデータの修正の件

    先月末に、拙著の電子書籍版の発売が開始されましたが、多くの方に購入いただき、Amazonの新着ランキングで4月1日の朝には日本史部門で第2位にランキングされていることにびっくりしました。このランキングは紙書籍と電子書籍の新刊本の売上点数の順位で決まると思われますが、瞬間風速とはいえ電子書籍版にそれだけ強い需要があるとは予想しておりませんでした。購入していただいたみなさん、本当にありがとうございます。 私...

  • 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』の電子書籍化の御案内

    『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』の電子書籍化の御案内

    拙著『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』が発売されてほぼ1年が経ちましたが、今年の正月にご案内させていただきました通り3月31日よりAmazon Kindle ストア、及び楽天kobo電子書籍ストアで電子書籍の販売が開始されますのでおしらせします。すでにどちらのストアも本日より予約販売を開始しています。両ストアとも税込み価格は\1155円で、紙の書籍よりも3割3ばかり割安になっています。電子書籍 Kindl...

  • 新年のご挨拶とメインブログの変更について

    新年のご挨拶とメインブログの変更について

    あけましておめでとうございます。旧年中は、拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。多くの方から励ましのお言葉やご感想、貴重なご意見などを頂戴し、このブログの中で様々な対話が出来たことがとても楽しく、また励みにもなりました。何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、ご自身のブログやSNSなどで記事の紹介をしていただいた方、コメン...

  • 金閣寺に建立された北山大塔(七重塔)のこと

    金閣寺に建立された北山大塔(七重塔)のこと

    知人に案内するために久しぶりに金閣寺を訪れてみたが、平日の朝の開門前に数百メートルの長い列ができているのに驚いた。昔はそれほど並んだ記憶がないのだが、今は京都市内の有名観光地はどこも外国人観光客で溢れている。いくら観光客が多くても、庭園内に立ち入り禁止区域がうまく設定されているので、誰でも鏡湖池を前にたたずむ国宝・舎利殿の美しい写真を撮ることが出来る。このブログで室町幕府第三代将軍足利義満が応永六...

  • 江戸幕末期にロシアに占領されかけた対馬は如何にして守られたのか

    江戸幕末期にロシアに占領されかけた対馬は如何にして守られたのか

    江戸時代に入ると幕府は海外との貿易を統制することとなり、日本に来航する外国船はオランダ船と中国船に絞りこみ、かつ来航地は長崎の出島に限られることとなった。しかし、よくよく考えると、いくらわが国が諸外国に「鎖国」を宣言したところで、侵略する意思のある国を追い払うためにはそのための武力が不可欠である。江戸時代のはじめに幕府が主導して貿易統制を決めることが出来たのは、その当時のわが国が世界最大の鉄砲生産...

  • 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を置いていただいている図書館リスト

    『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を置いていただいている図書館リスト

    いつもこのブログにアクセス頂きありがとうございます。初めての著書を出版して半年が過ぎました。今は、拙著を書棚に並べていただいている書店はほとんどなくなってしまいましたが、いくつかの図書館で、拙著を置いていただいていることが判明しました。全国にある7000以上の図書館の蔵書検索サービス『カーリル』を使って、拙著を置いていただいている図書館名を調べてみたところ、43の図書館がヒットしました。下記の表がそのリ...

  • 応仁の乱勃発地の上御霊神社から、義満が史上最大の七重塔を建てた相国寺を訪ねて

    応仁の乱勃発地の上御霊神社から、義満が史上最大の七重塔を建てた相国寺を訪ねて

    室町幕府第三代将軍足利義満は、明徳三年(1392年)に南北朝の合一を実現し、守護大名をおさえて全国支配を完成させると、現在の同志社大学の今出川キャンパスの西側(北小路室町)に邸宅を移している。この邸宅の敷地は、東側を烏丸通、南側を今出川通、西側を室町通、北側を上立売通に囲まれ、東西一町南北二町を占める広大なものであった。【室町殿の敷地】この土地は二代将軍足利義詮の時代に、室町季顕から、その邸宅である花亭を...

  • 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』に新聞書評がでました

    『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』に新聞書評がでました

    いつもこのブログにアクセス頂きありがとうございます。拙著『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』が発売されて5か月が過ぎましたが、出版社より新聞の書評が出たとの情報を頂きました。この本では戦後の教科書やマスコミがタブーにしてきた史実をいろいろ書いたので、新聞に書評が載ることはないと考えていましたが、8月27日付の「東日新聞」に載せていただいきました。Wikipediaによるとこの新聞は愛知...

  • 高知県士族九名に襲われた岩倉具視はいかにして難を逃れることができたのか

    高知県士族九名に襲われた岩倉具視はいかにして難を逃れることができたのか

    以前このブログで征韓論争のことを書いた。当時の李氏朝鮮は「鎖国攘夷政策」をとっており、当時国王の生父大院君が実権を掌握していたのだが甚だしい欧米嫌いであり、先進文化の受容に努めていたわが国は欧米模倣であると罵られ「攘夷」の対象であった。しかしながら国力に乏しく、このまま鎖国を続けていればいずれ朝鮮半島は欧米の植民地となり、そうなればわが国の独立も脅かされることになってしまう。明治政府はなんとか開国...

  • 岸和田城周辺散策とだんじり祭り

    岸和田城周辺散策とだんじり祭り

    久しぶりに岸和田に行ってきた。上の画像は大阪府史跡の岸和田城跡(岸和田市岸城(きしき)町9-1)。岸和田城は、秀吉の紀州攻めの拠点とするために急ごしらえで築城されたが、その後城主となった小出秀政が慶長二年(1597年)に五層の天守閣を建てている。しかしながら文政十年(1827年)に落雷のため焼失してしまい、以降再建されないまま、明治四年(1871年)に廃城とされ、まもなく破却されてしまった。現在の建物は昭和二十九年(1954...

  • 『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』7月配本リストのご案内

    『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』7月配本リストのご案内

    いつもこのブログにアクセス頂きありがとうございます。初めての著書の販売が開始されて3か月になりました。無名の著者でもあるので店頭に本を置いて頂いたのは全国でわずかの店舗だけで、しかもほとんどの店舗で1冊頂いただけだったので、内容を書店で確認したくても、かなわなかった方がたくさんおられたことと思います。本を購入される場合は、書店で現物を見てから買われる方が多いと思うのですが、多くの方にご不便をおかけし...

  • 種子島に鉄砲が伝来した記録を読む

    種子島に鉄砲が伝来した記録を読む

    薩摩藩の南浦文之(なんぼぶんし)和尚が慶長11年(1606年)に著した『鐡炮記(てっぽうき)』という書物に、種子島に鉄砲が伝来した経緯から国内に鉄砲が伝わる経緯が記されている。この『鐡炮記』は、原文と現代語訳が電子書籍化(Kindle版\300.- )されているので、誰でも容易に入手することが出来る。 天文十二年(1543年)八月二十五日に種子島に中国船が漂着し、その中にポルトガルの商人が乗っていて鉄砲などの商品を積んでいたの...

  • 新しいブログ立ち上げのご案内と今後の本ブログの運営について

    新しいブログ立ち上げのご案内と今後の本ブログの運営について

    いつもこのブログにアクセス頂きありがとうございます。新しいブログ「歴史逍遥『しばやんの日々』」の立ち上げについてプロフィールにも書いていますが、日本史のブログを始めてから10年近くなりました。今年1月にサラリーマン生活も終え、ドメインを取得して新しいブログ「歴史逍遥『しばやんの日々』」というサイトを立ち上げ、原稿の仕込みを行っているところです。https://shibayan1954.com/新ブログの記事の蓄積はまだわずか...

  • 日露戦争の巨額の戦費を外債発行で調達した明治政府と高橋是清の苦労

    日露戦争の巨額の戦費を外債発行で調達した明治政府と高橋是清の苦労

    帝国書院のホームページに、戦争別戦費の一覧表が出ている。日清戦争の戦費は2.3億円であったが、日露戦争では18.3億円もかかっている。https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index06.html【戦争別経費:帝国書院HPより】もっとも、戦費がいくら必要かは戦争が終結するまではわかるものではないのだが、日露戦争当時の明治政府の歳入規模を調べると、明治三十七年(1904)の数字は3.3億円であった。菊池寛の『...

  • リリエンタールやライト兄弟より前に動力付き飛行機の模型を飛ばした二宮忠八

    リリエンタールやライト兄弟より前に動力付き飛行機の模型を飛ばした二宮忠八

    二宮忠八は慶応二年(1866年)に伊予国宇和郡八幡浜(現愛媛県八幡浜市)の商家の四男坊として生まれたが、忠八が八歳の時に父が失明して二宮家の収入は激減する。忠八は幼い時から凧張りの内職をしてわずかの資金を得ながら勉強に励んだという。彼には工夫の才があり、凧張りといってもいろんな凧を考案し、「忠八凧」は村の人々の評判となっていったそうだ。関猛 著『二宮忠八伝』に、忠八が子供の頃に考えた凧の絵が紹介されている...

  • 桜の咲く時期に盛岡を訪ねて~~報恩寺、石割桜、盛岡城跡、盛岡八幡宮、らかん公園

    桜の咲く時期に盛岡を訪ねて~~報恩寺、石割桜、盛岡城跡、盛岡八幡宮、らかん公園

    岩手旅行の三日目は盛岡に向かった。最初の目的地は報恩寺(盛岡市那須川町31-5)である。報恩寺は応永元年(1394年)に南部家13代の南部守行が、父親を含む先祖の菩提を弔うために現在の青森県三戸(さんのへ)町に開基したと伝えられるが、慶長六年(1601年)に南部氏の本拠が盛岡に移ることとなり、同年に報恩寺も三戸から現在地に移されたとのことである。上の画像は昭和五十三年(1978年)に建てられた山門だが、非常に立派なものである...

  • 奥州市の正法寺、黒石寺、駒形神社から遠野市のふるさと村、福泉寺を訪ねて

    奥州市の正法寺、黒石寺、駒形神社から遠野市のふるさと村、福泉寺を訪ねて

    岩手旅行の2日目に最初に訪れたのは、奥州市水沢黒石町にある正法寺(しょうほうじ)という曹洞宗の寺である。駐車場に着くと立派な惣門(国重文)がある。この門は寛文五年(1665年)に建てられたもので、寺院の四脚門としては岩手県最古のものだという。惣門を抜けて蛇紋岩の大きな石段を登っていくと、茅葺屋根では日本一大きいと言われる法堂(国重文)が眼前に迫って来る。間口は二十一間半(約29.6m)、奥行十二間半(約21m)、屋根の高...

  • 桜の咲く季節に奥州平泉の中尊寺、毛越寺、達谷窟、巌美渓を訪ねて

    桜の咲く季節に奥州平泉の中尊寺、毛越寺、達谷窟、巌美渓を訪ねて

    伊丹空港からいわて花巻空港に行き、レンタカーを借りて岩手県を旅行してきた。最初に向かったのは中尊寺である。後三年の役(1083~87年)で清原氏が滅んだのち、藤原清衡は奥州平泉に拠点を移して奥羽を支配し、前九年の役(1051~1062年)から続いた奥羽の戦乱の犠牲者を弔うために、平泉に大規模な寺院の造営に着手した。清衡は長治2年(1105)に多宝寺を建立し、続いて釈迦堂、天治元年(1124年)には金色堂を建立し、大治元年(1126...

  • わが国ではじめて石油を製造した石坂周造の物語と、国産石油製造の重要性

    わが国ではじめて石油を製造した石坂周造の物語と、国産石油製造の重要性

    わが国の石油消費量のほとんどは中東などから輸入されているが、わずかながらわが国でも秋田県や新潟県を中心に生産が行われており、国内生産量は2016年で55万キロリットルで国内消費量の0.13%にすぎないのだそうだ。しかしながらわが国で「石油」の存在に関する記録は、7世紀の天智天皇の時代にまで遡るというから驚きである。明治三十九年に出版された『北越資料 出雲崎』という書物に、越後石油発見の由来が記されている。「わ...

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