京都のお寺で育ったしばやんの歴史考察等。令和2年以降は、新しい記事は「歴史逍遥『しばやんの日々』」に掲載しています。
50代になった頃から日本の歴史に興味を覚えて、いろいろ調べることに楽しさを覚えるようになりました。8年前から「しばやんの日々」を書き始め、いつの間にか容量が少なくなり、バックアップにも問題があるので、同名の別のブログを立ち上げて手作業で主要な記事を移し、新しい記事も同時に掲載してきましたが、2014年からはこのブログに一本化しています。
4年前に白川郷方面に旅行した際に、帰雲城(かえりくもじょう)趾に立ち寄った。この城は寛正年間(1461~1466年)に内ケ島為氏(うちがしま ためうじ)により築城されたのだが、天正13年11月29日(1586年1月18日)に起きた天正地震で帰雲山が大崩落を起こし、城主内ヶ島氏理(うじまさ)以下一族家臣と、城下300余軒、推定500人余り、牛馬にいたるまでことごとくが一瞬にして埋没し、内ケ島氏は滅亡してしまったと伝えられている。上の画...
以前このブログで「軍部が情報を握りつぶした『昭和東南海地震』」という記事を書いた。この地震は昭和19年(1944)12月7日午後1時36分に起きた、和歌山県新宮市付近を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震のあと津波が発生し、全国で死亡・行方不明者は1223名、壊れた家屋が57千戸以上とされる大災害であったのだが、この情報が漏れることを恐れた軍部が情報を統制したため、詳しい記録が残されていないという。http://shibayan19...
地震がなかったにもかかわらず三陸海岸を中心に日本列島を襲った大津波~~チリ津波
今年の台風や地震の規模も被害も半端なものではないが、自然災害の怖さを振り返る良い機会なので、わが国の記録に残されている自然災害をしばらくいくつか紹介していきたい。以前このブログで「震度3で2万人以上の犠牲者が出た明治三陸大津波」という記事を書いたことがある。http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-21.html明治29年(1896)6月15日に三陸沖200kmの日本海溝付近で起きた地震は、宮古測候所の発表では震度2...
由良要塞の一部である深山砲台の跡地と淡島神社などを訪ねて~~加太の歴史散策
和歌山市に所用ができたので、早めに自宅を出て和歌山市の西端にある加太近辺を半日で巡って来た。最初に訪問したのは、深山第一砲台跡である。国民休暇村紀州加太(和歌山市深山483☏073-459-0321)に向かう登り道の途中に、砲台跡につながる遊歩道の入り口があり、車10台程度が利用できる駐車場がある。駐車場からは森の中を歩くことになるのだが、砲台跡までは赤いレンガで敷き詰められた遊歩道が整備されていて道に迷うことは...
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