♪♪・・・知多の半田は蔵のまち 酒蔵・酢の蔵・木綿蔵・・・♪♪と歌う「半田音頭」というのがあったと思うのだけれど、今は謳わないのだろうか? ネットで探しても出てこない。ただ、この町が江戸時代から醸造や繊維など、海運を活かして発展してきたことは確かである。 中埜半六家は、江戸から明治にかけて海運業や醸造業で富を築いた。ミツカン酢を創業した中埜又左衛門家とは同族で、ともに半田運河一帯の整備に取り組み、近...
この建物については、すでに平成25年(2013・11・19)にご報告した。ただし、その時はまだ改修工事の前で、平成26・27年に耐震補強などが施された。平成16年に登録文化財、21年に近代産業遺産、26年には半田市指定第1号の景観重要建造物に指定されている。 赤レンガ建物は、明治31年(1898)に「丸三麦酒」(のちのカブトビール)の製造工場として誕生した。戦時中は中島飛行機の衣料倉庫として使用...
佐久間ダムの説明をするには、ダム近くの「電力館」に掲げられている「説明看板」と「新聞記事」をお借りするのが手っ取り早い。看板には詳細な構造図が掲載されており、新聞ではこの事業に対する関係者の意気込みが伝わってくる。以下記事の抜粋・・・ 「日本一の佐久間ダム・・・ダムの高さは約150m、これまでの最高・木曽川三浦ダムの2倍、丸ビルの5倍である。長さは270mでその上部は幅4mの道路となる。堰き止め...
浜松市は平成の市町村合併により市域面積が広がり、全国では高山市に次いで第2位である。約1560平方km、名古屋市327平方kmの約5倍である。因みに愛知県で一番広いのは、やはり稲武や小原を合併した豊田市で、26位・約920平方kmである。 天竜川を遡った愛知・長野との県境地域は「北遠」と呼ぶ。遠州の北部という意味であろう。天竜・春野・龍山・佐久間・水窪の5地区を指す。その中で「佐久間地区」は、人...
天竜川は、佐久間ダムの下流で大きく逆もどりし、北に向かって流れている。そのV字の部分に、支流の相川が合流している。JR飯田線は下川合駅と中部天竜駅が右岸にあり、国道473号線は左岸を走っている。国道が天竜川を跨ぐのが「原田橋」である。 現在の原田橋は3代目で、令和2年開通の真新しい橋である。橋長284m、幅員は8mの2車線である。初代は大正4年(1914)に架設された木製補剛桁の吊り橋であった。長さ...
天竜川の支流「相川」は、浦川あたりで大きくU字型に蛇行している。山裾が半島のように相川に向かってせり出している。半島の西側に広い河川敷があり、その中に半月形の島がある。ここはキャンプ場になっていて、そこへ通ずる吊り橋が2本(1号・2号)架かっている。 吊橋は、いずれも人道橋で昭和45(1970)年完成。自転車は通行できるが、バイクは不可である。1号橋は長さ96m、幅員は1.9m、床は板張りである。2号...
最近はとんとご無沙汰ですが、飯田線はよく利用しました。妻の実家が温田駅近くにあり、里帰りや夏の避暑のために子供を連れて乗ったのです。その頃は急行が何本かあり、車内販売も廻ってきました。新城から先は山岳地帯なので、トンネルと橋梁の連続です。とにかく景色の良い路線です。 飯田線が開通したのは明治30年、全通したのは昭和12年のことです。起点の豊橋から終点の辰野まで約196km、その間に94の駅があり...
26 高 橋: 昭和36年(1961)・・・26の橋の最後。県道18号・大垣~一宮線に架かっている。 橋の中央に芭蕉の俳句が掲げられている。 今回は、水門川をたどって26の橋を訪ね歩いた。大垣にはもう一本の散歩道がある。松尾芭蕉の句碑のある道で、やはり駅近くの牛屋橋を起点に、終点も同じ高橋である。 高橋は、芭蕉の「奥の細道」むすびの...
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