今日、9月30日をもって中部復建株式会社を退社します。約12年間、65歳から77歳まで勤めさせていただきました。造園工事の監督業務や自然林の樹木調査も行いましたが、何と言ってもこのブログの発信が一番大きな仕事でした。 愛知・岐阜・三重・静岡各地の街や村の橋や公園、山間部のダムや海岸の堤防など様々な土木施設を訪ね歩きました。車を運転して同行してくださった当社取締役・塚本俊弘氏は、協力者というより...
私ごとですが、この9月いっぱいで会社を退職します。12年近く勤めさせていただきました。その間、ブログを878回発信しました。どの記事も、全て現地に足を運んで調査しましたし、写真もごく一部を除いて全て自分で撮影したものです。 「土木施設」は、一歩街へ出れば当たり前に存在しますので、意識的に見たり感じたりするものではありません。しかし、道路でも河川でも公園でも、造るに当たっては技術者や職人たちが汗水...
今年のNHK朝ドラは、牧野富太郎の生涯を描いていますので面白く見ています。毎回いろいろな植物が紹介されますが、季節外れのものもありますので不思議に思っていました。新聞の紹介記事で、精密な模造品を作っていると知り納得しました。 植物学黎明期の東大植物学教室の状況も描かれていて、その面からも興味深い番組です。その中で、イチョウとソテツの精子発見の話題が出てきます。いずれも生物進化の過程で、シダから種子...
「木曽三川国営公園」のあるこの地区は、かつて木曽・長良・揖斐の大河川が合流し、水害の絶えない土地であった。「宝暦の治水」は、ドラマや演劇で観るような薩摩藩士の犠牲的な努力により、宝暦4~5年(1754~1755)に行われた。 明治時代の改修工事により、宝暦当時の堤防は大きく形を変えたが、薩摩藩士たちの植えた「千本の日向松」は今も残っている。中には200年を越える老松もあり、昭和15年に「油島千本...
木曽川下流域は、木曽・長良・揖斐の3河川が入り乱れて流れていました。物流は舟が主体であり、犬山・岐阜・大垣などは、3河川から伊勢湾を経て名古屋や伊勢と結ばれていました。しかし、明治期の「三川分流工事」によりそれぞれ独立した川になりました。 これにより洪水は大きく防げるようになりましたが、船便は一々河口を回らなければ隣の川へ行けなくなりました。そこで明治27年(1894)、立田村船頭平地内に閘門を...
東海道が木曽川を渡るのが「尾張大橋」である。長島を斜めに横断して、次に「伊勢大橋」を渡って伊勢の国に至る。昭和8年(1933)の開通。幅員7.5m、「下路ランガートラス鋼橋」という型式も伊勢大橋と同じである。13連で、全長879mである。 橋の近くに「東海道」と記した石柱が立っている。側面には「明治廿五年四月一日」と刻まれている。古くは、京と関東を結ぶ道は「鎌倉街道」と呼ばれていた。江戸時代に五...
伊勢湾岸道路の2kmほど上流に、名四国道が走っている。この道路が木曽三川を渡るのが「木曽川大橋」と「揖斐長良大橋」である。この両橋は、昭和38年(1963)に一般有料道路として供用開始された。当初は二車線であったが昭和41年に下り線が完成し四車線となった。 いずれも「単純平行弦下路ワーレントラス」という型式である。木曽川の方は12連で約860m、揖斐長良は14連1040mである。昭和47年に豊明...
伊勢湾岸自動車道路が木曽三川の最下流部を渡るところに、ユニークな2本の橋が架かっている。「トゥインクル木曽川橋」と「トゥインクル揖斐川橋」である。長良川はというと、少し上流で揖斐川と合流しているので2橋となっている。 2橋は同じ構造・デザイン、同じ幅員(33m)であるが、「木曽川」の方は5径間(柱は4本)1145m、「揖斐川」は6径間(柱は5本)1397mである。合計約2500mという長大な橋で...
今度は堀川です。最下流部、「宮の渡し」湊の近くに2本の橋があります。このあたりまで来ると川幅もずいぶん広くなるので、橋長も長くなります。水も見た目には綺麗になりますし、周辺も公園が多くてみどり豊かな景観になります。 堀川右岸(西側)には、「国際会議場」と、その南に「白鳥庭園」があります。ここはかつて貯木場(「白鳥貯木場」2013年3月6日参照)があったところで、埋め立てて造成しました。国際会議場...
山崎川は、日本さくらの会が指定する「日本さくら名所100選」に選ばれている。愛知県では、ほかに鶴舞公園・岡崎公園・五条川(岩倉~江南~大口)が選定されている。山崎川の桜は、護岸と歩道にも植えられているので、花のトンネルを散策することができる。 お花見は、沿道が住宅地であることから「宴会」などは禁じられている。他の名所と異なり、花を愛でながらの散歩を楽しむことになる。地下鉄新瑞駅から歩くと、瑞穂運...
先日(8月8日)、中日新聞夕刊「写記・名古屋城~~戦火の記憶~~」の欄に松の木の幹の写真が大きく掲載されていた。「戦時中に燃料にするため、松やにを採取した跡」との説明がある。名古屋城内に残る戦争の傷痕である。 市役所本庁舎北側のクロマツの街路樹にも大きな傷跡が残っている。この傷はさらに大きく、木肌の部分には「ウルシ掻き」と同じような斜めの切り傷も見ることができる。傷痕は車道側にあるので、歩道を歩...
10年ほど前、瀬戸の焼き物を訪ね歩きました。とある窯元の展示場で「御深井焼き」という表示があったので、「おふけやき」と呟いたところ、店の方がビックリされました。‟今まで誰も正確に読んだ人がいない!“と。名古屋城北西部「御深井丸」を「おふけまる」と呼ぶので知っていたのです。 「おふけやき」は、藩主が城内などで作る「御庭焼き」の一つです。窯が「御深井丸」あったのでしょう。何人かの陶工が担当したとのこと...
私事ですが、6月中旬から1か月間ハンガリーに行っていました。ブダペストから西へ1時間半ほど走った「ベスプレム」という町です。近くに、バラトン湖という琵琶湖ほどの湖と「ヘレンド」という磁器で有名な村があります。娘の家族と暮らすことと、日本庭園の整備が目的です。 日本庭園整備事業は、「欧州文化首都」の一環として企画されたものです。娘がこのプロジェクトの通訳をしていて、その関係で私にオファーしてきたも...
昨日の中日新聞の夕刊に、尾瀬の「歩荷(ぼっか)」の記事が載っていた。私も学生のときに、北アルプスで1度だけ経験したことがある。数10年を経て、初めて尾瀬に行ったときに出会ったこともあり、懐かしく思い出した。 山小屋への物資運搬は、ほとんどの山ではヘリコプターが主流だが、尾瀬では環境保護のため歩荷が主力だという。100kgもの荷物を背負って、10kmの山道を登る。左下の写真の段ボール箱を見ていただきたい...
年に数回は近鉄に乗ります。津や伊勢、時には奈良方面に行くのに近鉄を使います。白子駅に近づくころに右側の車窓から見ると、水田のただ中に大きなクスノキが見えます。手前の電柱などと比較するとかなりの太さのようです。一度降りて近くへ行ってみたいと、以前から思っていました。 昨日は伊勢に向かっていました。同じような気持ちで眺めていてビックリ! 枝が枯れているではありませんか。伊勢神宮の調査の帰りに、「箕田...
山崎川の下流域では、たびたび氾濫が起こっている。名鉄呼続駅あたりの海抜は約2mである。伊勢湾台風のような高潮や、今後予想される南海トラフ大地震による津波が発生すれば、大きな災害が起こることも懸念されている。 名鉄本線の橋梁が山崎川に架けられたのは大正6年(1917)のことである。その後、山崎川の堤防は氾濫対策として嵩上げされた。しかし、山崎川橋梁はそのままの高さであったので、線路から逸水する危険...
県道56号線は、名古屋市千種区と岡崎を結ぶ主要道路である。通称「平針街道」と呼ぶ。地下鉄原駅と平針駅の間で国道302号と交差する。この交差点にユニークな横断歩道橋がある。「平針歩道橋」という。その上を名古屋第二環状自動車道が走っている。 平針は家から近いので、買い物などによく行く。この歩道橋の下も何回かくぐっており、変わった橋だなと思っていた。その時には「円形」の橋と思っていたけれど、今回取材し...
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