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  • 酔言池:6 法文と経文

    法文は、法律の文、経典の文、法学と文学という意味を持ちます。読みは「ほうぶん」で、「ほうもん」とは読みません。「ほうもん」と読むのは法門で、その意味は法文と無関係です。経文は、正しい読みは「きょうもん」ですが、MS-IMEでは、もとは誤読の「きょうぶん」も変換候補に出てきます。意味は経典の文で、法文よりぐっと範囲が縮まります。法文と経文は、どちらも読解しにくい文章でできているという共通点があります。経文は暗誦か読経ができればよいので、初見から意味がわからなくても構いませんが、法文は意味がわからなくては役に立ちません。ところが、実在する法文は読解困難意味不明という文章が多すぎます。なぜでしょうか。だれにも簡単にわかってしまうと、何か差し支えがあるのでしょう。にほんブログ村酔言池:6法文と経文

  • 酔言池:5 義理人情

    昔の武士は義を尊びました。たとえ他藩との間でも、国内問題であれば信義は立派な習慣で、武士としての基本条件でさえあったでしょう。優れた習慣であれば、世界のどこにも通用すると信じて、見極めが足りずに手を出してしまった大失敗が、四分の三世紀前にありました。その経験が生かされず、相手の本性には目をつぶって、性懲りもなく今だけの義理立てを第一としている人たちがいます。義理という言葉をGoogle翻訳で中国語にすると公婆(ゴンフォア)と返ってきますが、これは夫の両親との家族関係の当て訳でしょう。義理という言葉を持たない人であれば、国外の人との間では、義理の理解も忖度も感情の埒外にある、無関心なこととみなければならないでしょう。関りを見つけるとなれば、その場その時だけの損得勘定以外には考えられません。隣国の無辜の民をひととこ...酔言池:5義理人情

  • 酔言池:4 未達と損失

    掲げた目標が達成に至ってない状態を未達と言います。未達には最初の目標があるので、あるいはあったので、残りの期間、あるいは次の機会に改めることができます。何かを失う一方の損失には、もともと目標がありません。損失の起きることを目標にすることは通常ありません。よからぬ企みをもって損失を目標に置くことはあっても、それを公然と掲げることはできません。損失の多くは、予想されてなかったことで、思ってもいなかった状態になった結果です。繰り返す機会を得られる短期の損失は、次に取り返すこともできます。一度限りのことで損失を生ずれば、回復不能になります。自分の命を捨てるという、この上なく大きな損失を覚悟で事にのぞむこともあるでしょう。それが許されるのは、個人あるいは集団のことであって、国民の大多数、あるいは国そのものの命運をかけるよ...酔言池:4未達と損失

  • 酔言池:3 願いごと

    人間は、あいまいな依頼でも、依頼者の希望を忖度して対応します。これがアナログ脳によるものと、昨日書きました。アナログ脳、デジタル脳は、脳の働きで、脳の生物学的分類ではありません。こういうことをわざわざ書き加えるのは、脳がデジタルの働きをしているときです。こういうつもりという話を、ああいうつもりと違う理解をしてもらっては困る場合に、しちくどい表現になります。誤解を避けるため、つまり忖度違いをしてもらいたくないため、デジタル性の濃度を増しているとも言えそうです。一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ陣中から妻に送った戦国武士の手紙のこの言葉には、誤忖度の余地のないデジタル性と、家に残された妻への愛情のアナログ性が、ちゃんと盛り込まれています。手紙ではなくeメールになると、なるべく少ない字数で読みやすくと気を配るあまり...酔言池:3願いごと

  • 酔言池:2 A脳D脳

    コンピューターは、あいまいな依頼には応答しません。人間は、あいまいな依頼でも、依頼者の希望を忖度して対応します。コンピューターに脳のような働きがあるとすれば、それはデジタル脳を持っていることになります。人間の忖度は、アナログ脳による、たいそう便利な働きです。デジタル脳の多少とげとげしい几帳面な働きよりも、アナログ脳のときには緩く見られる融通無碍な働きは、人の心を和らげます。脳の働きは、人種、個性によって異なるもので、アナログかデジタルか一方のみということはありえません。どちらの傾向が優れているとも言えません。脳の働きは、優劣よりも適否、その適否も固定的なものではなく、時と場合に合わせられるかどうかで値打ちが変わります。面従腹背が座右の銘だとうそぶいた人もいますが、その人は時と場合を強調したかったのでしょうか。に...酔言池:2A脳D脳

  • 酔言池:1 もてなし

    「もてなし」という言葉に一文字の漢字はありません。一つの漢字では表しにくいことだからでしょう。新しい複合漢字を作る遊びもときどき見られますが、これまでなかった文字を作り出したところで、それを公用文にも使えるまでにはならないでしょう。「もてなし」と、もう一つの「しつらい」という言葉は、ともに茶のこころ、日本人の心の根にあるものの代表であるといわれます。どちらもその場で互いの心を感じ取ることがだいじで、その場を設けられた機会に恵まれたからといって、以後どんなことも聞き入れてくれるなどと思うのは大間違いです。招かれたことを強固な友好の実績のように掲げて、商談や国交に利用しようなどと考えるのは、ただ「さもしい」の一語に尽きます。「さもしい」にも一文字の漢字はありません。もし、国家が正式に客として外国の元首を招待するので...酔言池:1もてなし

  • 駝蛇例遊:31 こくひん

    国賓とは、国家が正式に客として招待する外国の国王、大統領等の元首を言います。私的な約束で呼ぶ客は、国賓とは言いません。国賓を招くには、その相手が国家の賓客としてふさわしいかどうかが審議されなければなりません。その審議は当然閣議で行われるでしょう。国賓の招待は、「一度お出かけください」「はい、ありがとう」ぐらいの茶飲み話で決められることではないのです。以上は、何々法というようなもので決まっていることではなく、国の運営の一般常識と言えるでしょう。もし、国賓にふさわしくない人を、国賓の名目で呼んだとしたら、常識破りの行為ということになります。国家運営の常識を破壊する権限は、内閣のだれにもありません。もし話の行きがかり上、常識はずれの約束を、相手が取り付けたと誤解しているなら、早く解いてあげるほうが親切です。そんな誤解...駝蛇例遊:31こくひん

  • 駝蛇例遊:30 せいぶん

    「せいぶん」という言葉が、なぜかちょっと頭に引っかかり、変換対象の多いのにあらためて興味を覚えました。日本人は「せいぶん」という言葉が好きなのでしょうか。名前も、読みを変えたこの文字の方がおられます。「ぶん」には文が七例、分が二例あります。一つひとつ意味をたどっていくと、少しずつずれながらどこかでつながっているようにも見えます。例えば、お願いごとの靖文は、まことの心を表した誠文でなければなりません。全体の正文が確かなものであるためには、そのものごとの成分が、細かい精分まで十分把握できるような精文によって表現され、成文化されたものでなければならず、読み取る人に邪心を感じさせない清文であることが望ましいでしょう。その願いごとがかなって、多くの人々に幸せをもたらすことになれば、後世にはそれが聖文のように尊厳の対象にな...駝蛇例遊:30せいぶん

  • 駝蛇例遊:29 しんとう

    しんとうという言葉の中で、一つだけ発音音程の違う「浸透」は、静かにゆっくり、だんだん効果が強まっていく作用なので、それが起きていることになかなか気づきません。狙う効果は次々世代あたりにあらわれるもくろみなので、目につかず希薄な、回りくどく階層的な、相互関係に当人も気づかない、知られてはならない間接的手法を織り交て使われます。島を乗っ取りたければ、まずその近海に魚を捕りに行き、漁船の数を徐々に増やしていきます。漁船が増えたら、見せるための武器を載せた警備の船を差し向けます。海難事故を装って、相手の船に軽微な損傷を与える接触を試み、そこで乗組員が捕まっても裏から手を回して帰らせます。遭難にあったふりをして島に上陸し、そこで穏やかな生活をはじめます。ごくわずかな土地を、他人名義で買わせ、何段階かの売買を経てまとまった...駝蛇例遊:29しんとう

  • 駝蛇例遊:28 ぎてい

    血の繋がってない義弟、それが物語になるのは大抵が厄介ごとです。人の興味を引く話は、問題を抱えているからで、何もかも順調である話は、ああそうぐらいにしか聞かれません。もう一つのぎていに、「議定」という行為があります。ものごとを合議によって定めることで、京都議定書という聞き慣れた固有名詞まであります。京都議定書は、温暖化に対する国際的な取り組みのための国際条約が書かれた文書です。この条約は、とくに今の時季では暖かいほうが好いではないかと思うような奇妙な条約です。中心部に大きな熱源を持っている地球の表皮の部分の温度が短い期間ではいくらかずつ上昇している今の現象をとらえて、対策を産業化しようというもくろみで作られた議定書でしょう。ガスの発生権を売買するという、バカげたことまで始まったのを覚えています。人間生活の中で、何...駝蛇例遊:28ぎてい

  • 駝蛇例遊:27 だろう

    あてにならない予想、ただの願望をだろう話と呼んだ法学の先生がおられました。憲法が法律の最高位にあるという説明と、このだろう話という言葉だけが、何十年か前からの記憶に残っています。いま憲法を改めて読むと、なんとそこには、だろう話が書かれています。法律の最高位にだろう話、これはいったいどういうことだろうと、不思議な感じがしています。だろう話を信じて努力を重ねるのは、駄労と言ってもよいでしょう。街を歩くと、今日は何だろうと思うほど、体格の立派なおじさんやお兄さんがスマホを覗き込んだまま同じところに立ち続けています。何か運がつかめるだろうと、みな駄労のとりこになっているようです。にほんブログ村駝蛇例遊:27だろう

  • 駝蛇例遊:26 やね

    雨上がりの陽光に光る屋根を眺めるのは心地よいものです。上から見下ろしたとき、美しいのはやはり瓦屋根です。夜店の金魚すくいの水槽に似た平べったい四角な箱を、数多く隙間なく並べて載せた屋根は、どこか殺伐とした感じがします。むかしの屋根の材料には、雨に流されないかと心配な草と土、風で飛んでしまいそうな鮭の皮、足の踏み場に困るのではないかと思う牡蠣殻など、いろいろなものが使われていたそうです。屋根職人という特殊技能をもった人も少なくなり、台風で屋根を飛ばされてもなかなか直りません。ふだん仕事が極端に少なく、一度にドカッと仕事を頼まれても手に負えない、そんなことを専業にはできないからです。高いところが好きな人は、ルーファー(Roofer)と呼ばれるそうですが、そのルーファーが、屋根を作ったり直したりするのでなく、屋根を渡...駝蛇例遊:26やね

  • 駝蛇例遊:25 どうぎょう

    どうぎょうという言葉には三つの使いみちがあります。ひとりで歩いても同行二人、いつもお大師さまと二人連れ、巡礼の傘に書かれているのはそういう意味と聞きました。同業は、結束と競争が時により場合により繰り返され、力の方向が逆転することもある、生業の相互関係です。童形は、むかし元服前の人をそう呼んだと言われます。成人式を、二十歳のこれまでどおりが良いか十八歳ではどうかと論が交わされているようですが、式をいつ行うかよりも、童形から成人にどう変わるかが大事な問題でしょう。N町に集まって、童形のままで、はないちもんめのような遊びごとを繰り返している人たちに、早く前髪を落としてもらわなければなりません。税は童形のゲーム代ではないのです。にほんブログ村駝蛇例遊:25どうぎょう

  • 駝蛇例遊:24 はな

    華のある人、ひと花咲かせたい、人は花を愛し、はなに憧れます。鼻のほうは、鼻が高い、鼻の穴が広がると、自慢のたとえに使われます。はなは人格を表すのではないかと、各国首脳の鼻を比べてみたら、妙なことに気づきました。何を思ったかは、書かぬがはなのようです。にほんブログ村駝蛇例遊:24はな

  • 蛇蛇例遊:23 けいき

    景気は人間の感情変化のあらわれです。1億人の人のうち100万人が渋い顔をしていても、9900万人の人が元気な顔をしていれば、景気が悪くなるはずはありません。9900万人にどういう顔をさせるか、それが政治家の仕事です。成り行き上なってしまったことは、後で悔やんでも仕方がありません。9900万人を元気にさせるには、何かの契機をつかまえる必要があります。都合の良い契機は、待っていてもやってきません。知恵を絞るほどでなくても、ちょっと働かせればよいのです。例えば、もう決めてしまって変えられない予定なら、それを契機に使えばよいのです。春にのこのこやってくるありがたくもなんともない外国からのお客さんには、日本人の心をよく味わって貰いましょう。機動隊の誘導で空港からの最初の経路を九段経由に、鳥居の前で停車、折角なので神殿にご...蛇蛇例遊:23けいき

  • 蛇蛇例遊:22 ひはん

    「批判はよくない」と言う口封じの決まり文句があります。せっかくAという説が出たのだからつべこべ言うなと、次のB説を出しにくくしてしまう、あまりよくない効果があります。批判とは、つき合わせて良し悪しを判定することですから、それがよくないと言うのは、判定はよくないということになります。「ひはんはよくない」と言う人は、批判は否判と書くものと思っているのかもしれません。否判は、すべて否の判定、生きるとは恨み続けることという朝鮮文化の「恨」の思考様式に通ずるところがありそうです。恨、否判からは、明るい未来は開けません。ひはんには、非恨という文字をあててみてはいかがでしょう。恨みごと、否定からの脱却を、彼の地の人たちに望みたいものです。にほんブログ村蛇蛇例遊:22ひはん

  • 蛇蛇例遊:21 しゃざい

    斜めのことを「はすかい」という表現は、西のほうに多いようです。交わっていない斜めの状態も、はすかいで通じます。斜めはどこかで何かに交わるので、そこが直接見えなくてもよいからでしょうか。はすかいをうまく組み合わせると、強固な構造物が出来上がります。斜材の耐力が有効に働く「けた構え」「軒持ち送り」などとも呼ばれるトラス構造です。同じ発音の「謝罪」、その場面がニュースや新聞紙上にときどき現れます。謝ることが好きなはずはなく、いやなことに耐えるところが人の心を打つだろうという陰性の打算の働きを、そこに見ることもあります。並んで上体を斜めに倒しているところを見ると、力をうまく分散させ支えあっているようなトラス構造、あるいは崩れかかったところを取りあえず支えておく筋交いと、何か通ずるものがありそうな、奇妙なおかしさを感じま...蛇蛇例遊:21しゃざい

  • 蛇蛇例遊:20 はんこう

    幼少から成人への成長過程には、反抗期が訪れると言われます。接触対象が増えて考えが広がっていき、それらをおしなべてみる凡考のときに、心に引っかかることをそのままにしておけなくなるのでしょう。おかしなことに、国会という大人の議場が、まるで反抗期にある人の寄り集まりのような空気に満たされることがあります。子供の反抗期と違って、この種の大人の反抗には、凡考とは逆の、ただ何かことを際立たせひたすら反抗に終始し、それがいつまでも続けられるという、始末の悪い特徴があります。何かよい薬はないものでしょうか。にほんブログ村蛇蛇例遊:20はんこう

  • 蛇蛇例遊:19 いしょう

    衣装は、時代を遡ってみると、身に着けるのに一苦労です。ものの意匠も、時代を遡ると、真似て作るのにも一苦労です。どちらも、それぞれの時代の社会の空気の中でなければ、その良さを醸し出すことはできないでしょう。雛人形を出すのが面倒だから三年に一度にしようなどと考えていると、空気も伝わらなくなります。合理性とは、手間を省きさえすれば得られるものではなさそうです。にほんブログ村蛇蛇例遊:19いしょう

  • 蛇蛇例遊:18 ようにん

    江戸時代の武士に、用人という役柄がありました。いまの会社でいえば秘書室と総務部の兼任のようなことでしょうか。主君の用向きを家中に伝え、庶務一般の指示をするお役目です。その役目を担う人は、主君の意向に背くことはできません。よほどの過ちでもない限り、主君の考えを容認しなければならないので、用人の仕事はまず容認から始まるとも言えます。お家の中でのことならそれでおさまりますが、現代で国際関係のことともなれば、用人気分で事に当たる人の行為を容認していると、国の存亡にかかわることが起きるおそれもあります。間違えば、国名の後に自治区という文字をぶら下げられることにもなりかねません。そんなばかなと思っても、百年の計で着々とじわじわと、決してあきらめることなくことを進めてきている組織があります。そういう組織の代表格の人を、国賓と...蛇蛇例遊:18ようにん

  • 蛇蛇例遊:17 ふうど

    風土は、病の文字が後に付かなければ、来訪者を楽しませ喜ばせます。フードも同様です。風土もフードも、その価値はその地の特色によって成り立ちます。その地の特色は、目に見えないことほど価値の比重が大きく、見てすぐわかるものの価値は大したことがありません。それが悪いとは言いませんが、つくりもののキャラクター着ぐるみなどは、子供だましでしかないでしょう。来訪者に強く深い印象を与えるものは、精神的風土や秘めたる味で、単なる一時の思い付きで作れるものではなく、営々と築き上げられたものです。まだ人の手の加わっていない土地を買い上げて、そこに風土まがいのものを植え付け根付かせようとする外国人の働きがあります。それは、はじめのうちは暴力を使わない、隠微な風土侵略です。そんな不埒な国の代表格の人を、国賓として迎えようというのは、友好...蛇蛇例遊:17ふうど

  • 蛇蛇例遊:16 ぼうこく

    亡国のイージスという小説が20年前に書かれ、映画にもなりました。某国から差し向けられた工作員がイージス艦に潜入して反乱を起こす、物騒な筋書です。工作員は、外国からやって来て組織に潜り込んで隠密裏の活動をする者と思われているでしょう。工作の目的は、もちろん自国の利益拡大と潜入国の衰退滅亡です。では、潜入国に国籍を置いていながら、亡国工作の目的に沿った活動をする人を何と呼ぶのでしょうか。売国奴というののしり言葉は、それが母国を外国に売って私益を図る者であるとすれば、ピタッと来ません。そういう人に多くは、当人には「売る」という意識が働いてないからです。ではどういう意識なのか、その大部分は「お付き合い」なのでしょう。気心の知れた人がいれば、その関係を続けていたい、何かしら恩義を受けていればそれに報いなければならない、そ...蛇蛇例遊:16ぼうこく

  • 蛇蛇例遊:15 づら

    秋田にさなづらという菓子があります。名前は知らずに似たものを食べたような記憶がうっすらとあります。果樹として作られるブドウではなく、自生のヤマブドウで作られるところをみると、「づら」には似たものの意味もありそうな気がします。これは勝手な想像ですから多分違っているでしょう。そうだろうという意味の「そうづら」という方言もあります。髪に見せるカツラは「づら」と呼ばれます。本心に見せて実は違う顔つきも「そとづら」と言われます。三か月後には、そとづらを掲げて困客が訪れようとしています。困ったときの見せかけの笑顔を見透かさずに、紳士づらをして国賓として迎え入れようという国家最大の愚挙は、何があっても阻止しなければなりません。にほんブログ村蛇蛇例遊:15づら

  • 蛇蛇例遊:14 かんこう

    モノとしての天然資源もモノを作る技術技能も持たない国は、観光という産業に頼らなければ他国との交流ができません。観光産業には、風景、温泉、人情、食べものがものをいいます。日本にはその4条件が揃っています。日本もそれならばと、製造技術を国外に持ち出し、その先で安い手間賃で外国人を働かせ、金だけを吸い上げれば楽ができそうだ、国内収入は観光でと、バカな考えをもとにした見当違いの産業放棄政策が何年か続けられてきました。観光は楽しいものです。それを嫌がるのは、行儀の悪い観光客で迷惑をこうむる人だけです。私たちから見れば普通の生活習慣を持っていなかった行儀の悪い観光客も、何度も来るうちには慣行を身に着けます。観光には、客を楽しませるだけでなく、精神的未開の人々の教育効果もありそうなことが見えてきます。しかしそれが、何万もの人...蛇蛇例遊:14かんこう

  • 蛇蛇例遊:13 しかく

    四角形は堅さを表します。円い相撲の土俵も、その周りは四角形に作られています。おせちの重箱も普通の形は四角です。公益の仕事ができる証も資格と呼ばれます。資格には、見て確かめ視覚に訴えることのできる資格と、外見には現れない、人に備わった資格があります。その資格は、バッジや身分証ではわかりません。そのわからなさをよいことに、議事堂の中を闊歩あるいは走り回る実質は無資格の人たちがいます。困ったことに、無資格を証明できる検定制度がまだありません。その人たちが席に座るときに、法廷とは異なり宣誓を求められることもありません。こういう無資格者の増加は、その国の持つ文化の資格水準を低下させます。もう一つ困ったことは、日本ではいま文化の資格が衰退傾向にあるということです。にほんブログ村蛇蛇例遊:13しかく

  • 蛇蛇例遊:12 こうえん

    ネット新聞に、おやっと思う見出しがありました。お隣のあの独裁大陸で個人後援会を認めるというのです。開いてみると、写真の赤い旗の前には見たような顔が写っています。いつの間に出かけて行ったのかと思いながら記事を読み進んで、なんだそんな話かと、海の向こうのことではないのにようやく気付きました。こうえんかいには三種類あります。まず講演会、そこには後援会の人が大勢詰めかけます。三つめは何でしょう。「今度の講演会、またあの公園かい?」講演でなく公演の場合は、通常うしろに会の字を付けません。そこに見られた好演にも全く会は付きません。忘れられている言葉に、宏遠があります。「国ヲ肇ルコト宏遠ニ」日本人が70年前にむりやり忘れさせられていたことばです。にほんブログ村蛇蛇例遊:12こうえん

  • 蛇蛇例遊:11 わき

    脇の甘い力士はすぐ負けます。脇の甘い司法はすぐに逃げられます。脇の甘い政治家はすぐ追いやられます。和気あいあいに魔がさすと、脇甘い甘いとなります。大勢の人がいちばん迷惑し、10年を経てあらためて後悔してもどうにもならないのは、国の脇の甘さです。にほんブログ村蛇蛇例遊:11わき

  • 蛇蛇例遊:10 ほうき

    オランダという国名はもうなくなりました。オランダと言えば、チーズ、木靴にチューリップしか思い浮かべてもらえないのでは困る、もっと違うところを見て欲しいと、国名としてのオダンダという呼び名が、今年から放棄されたからです。Netherlands(ネーデルラント)が正式の国名であったのに、呼びやすいオランダという名前が使われていたのですが、もうそれはやめてほしいということです。オランダは、ネーデルラント12州のうちの、北ホラント、南ホラントの2州の名前でしかなかったのです。ほうきと発音する日本語には、放棄と箒があって、なぜかどちらも同じイメージをもちます。ほうきには、もう一つありました。法規がそれですが、古いままのもの、決めてしまってあるのでしぶしぶ従っていても、時代にも現実にも合わないものがあります。慣れ親しまれた...蛇蛇例遊:10ほうき

  • 蛇蛇例遊:9 ようけん

    通常ようけんと言えば、後に「は」というかなの助詞がついて、「用件は」または「要件は」と、用事の内容やだいじなことがらを指し示すことばになります。ようけんを名詞で使う場合、「洋犬」と犬の種類になりますが、洋楽という類別ほどには、この言葉を聞く機会は多くありません。洋犬と言えば、「洋犬のいる家」という短編があったのを思い出しましたが、これは洋犬ではなく「西班牙犬の家」、記憶違いでした。犬のことでは、養犬令というお達しを出したところがあるそうです。日本での文字解釈では、養犬と書かれていれば犬を養うと読み、犬はだいじにお飼いなさい、むやみに捨ててはいけませんということなのかと思うでしょう。ところがこれが、大きな犬を連れ歩いてはいけない、体高が35cmより大きな犬はそれぞれ処理しなさい、そうしなければ捕まえてしまう、捕ま...蛇蛇例遊:9ようけん

  • 蛇蛇例遊:8 しょうエネ

    省エネ法という略称をもった法律があります。経済的社会的環境に応じた燃料資源の有効な利用の確保によって、国民経済の健全な発展に寄与する目的で定めたといわれている法律です。何によらず、活動にはエネルギーが必要です。エネルギーなしでの活動は、地球上では望めません。活動のためのエネルギーは、それを得るための過程とエネルギーを使う過程との総体を見なければ、利不利を推し量ることはできません。時間軸を考えずに単年度の損得だけを考えたのでは、経済の健全な発展に寄与するかどうかを判定することはできません。また、活動には、その影響が及ぶことを見落としがちな、間接的なことがらが必ずあります。省エネを推進しているつもりで、環境の変化や活動以外の損失を見落としていて、実質的には省エネになっていないこともあり得ます。ソーラー発電を例にあげ...蛇蛇例遊:8しょうエネ

  • 蛇蛇例遊:7 しんねん

    みなさま明けましておめでとうございます。令和元年は、延べ時間も通常の67%と短かく、あたふたと終わりました。政治の中枢があたふたしているのを見ると、信念を捨てたかのように感じられます。何でも反対という奇妙な信念しか持たない、政党を名乗りながらその態をなしていない人の集まりが、一層あたふた感を助長していました。新年にあたり、N町の方々も、失いかけた信念を取り戻し、あるいは建て直して、覇権拡大に邁進するお隣さんに呑み込まれないよう、新たな信念のもとに実質的な活動をしていただきたいと願っています。いま東の空は、厚い雲が重なって、初日の出は拝めないようです。にほんブログ村蛇蛇例遊:7しんねん

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