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撮り旅・ヨーロッパ https://blog.goo.ne.jp/balaton620

ハンガリーを拠点にカメラ片手に周辺の“いい処”探しの旅と歴史・生活情報

米国とハンガリー、メキシコの20年間の駐在生活ののち、晴耕雨読を目指してバラトン湖畔(ハンガリー)に居残ってしまった、かつての企業戦士。中世の教会を主体に写真撮影の旅を楽しんでいる。

balaton620
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住所
ハンガリー
出身
新潟県
ブログ村参加

2013/02/05

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  • バラトン湖の教会をスケッチ(5)

    前回のタリアーンデョーグド(Taliándörögd)から13Kmほど北へ、ヴェスプレーム方向へ向かうとVeszprém城域で最も大きい支城のナージヴァーゾニ(Nagyvázsony)城がある。1526年、モハーチでオスマン帝国に敗れたハンガリー軍は、次に守るべき重要拠点はヴェスプレーム(司教本部)であり、この城はいわば、最後の砦であったかも知れない。しかし1552年には陥落し、その後は廃墟になっていた。(ブダペストの陥落が1541年になっているので、順番が交錯しているが一説によるとブダペスト城は戦わずして明け渡したようなので、こういうことは有り得たかも知れない....明智光秀ではないが敗者の歴史は甚だ不確かになるもののようだ)<周囲の風景スケッチ>ナジヴァーゾニの坂を登りきると、バラトン湖を望むことが出来る。...バラトン湖の教会をスケッチ(5)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(4)

    14世紀にオスマン帝国(トルコ)軍がトルコ行進曲ばりの太鼓の囃子に載せ、ハンガリーに進撃した経路の一つにバラトン湖を迂回するコースがあったが、そこに、はだかったのがヴェスプレーム(Veszprém)城域であった。城域には支城や要塞化した教会が多数あったが、根こそぎ破壊もしくは略奪された。その後の戦略目標であったブダペストの陥落、ウィーンへの攻撃を容易するものであった。今回はその代表的な村を訪ねてみた。<近郊のスケッチ><ロケーション>Apr.242020左の道路は国道77号線、タポルツァ(Tapolca)へ向かう。●タリアーンデョーグド(Taliándörögd)の村人口が1000人にも満たない小さな長閑な村、何故、戦場になったのか?Apr.242020手前がローマカトリック教会、向こうが改革(ルッター)派教会...バラトン湖の教会をスケッチ(4)

  • 春の庭花スケッチ(1)

    4月は我が庭に咲く花は、前章で述べた春一番、二番、三番の花が持続しており、5月になればという感じで、春を彩るにはまだ中途半端な時期と言えるだろう。そこで、重複する花もあるがスケッチをすることにした。1.遅咲きの水仙この水仙は西洋水仙と呼ばれるもので、今年はボリュームも少なく、元気も無さそうに、一層首を下に傾けている。暖冬にも関わらず例年の開花時期より1週間は遅れている。何も手当もせずに、十年以上も咲き続けてくれたので、もうそろそろかも知れない。赤いチューリップと白い水仙のコラボ。この水仙は別名「クチベニズイセン」と呼ばれており、雌しべが赤い縁取りをされている可憐な花である。水仙が元気だった頃は.....Apr.112017Apr.182018今年は....Apr.282020チューリップが黄色2輪であったものが...春の庭花スケッチ(1)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(3)

    前回に引き続き、バラトン湖周辺でお気に入りの菜の花畑と教会をスケッチした。2.リテール(Litér)の菜の花畑<ロケーション>今年のスポットは、......Apr.132020夏の為の作付けが始まっていた。向日葵か麦か?ひまわりに賭けたい。こんな☟予測をしていたのに、Apr.272017向かいの丘の上からリテール(Litér)の村を眺めると、Apr.132020村のすぐ横にドイツ系の新工場が建設中、又ひとつ村の美観が損なわれた。2-1.リテール(Litér)の教会教会が出来たのは、13世紀の初めでロマネスク+ゴシック様式が使われた。オスマン帝国の襲撃で村人は去り、1582年には廃墟になったが、オスマン帝国の撤退で村人が戻って1784年には再建され、10年後には塔が増設された。再建後から教会は改革派の教会となって...バラトン湖の教会をスケッチ(3)

  • バラトン湖の教会をスケッチ(2)

    やはり今年はコロナウイルスの祟りなのか、思うようにならないものだ。漸く待ちに待った菜の花が咲き始めたので、とっておきのバラトン界隈、自慢の花の絨毯を撮ろうと出掛けてみた。あゝ無情!、なんと「菜もなく、花もなし」とは!菜の花も連作は効かないものなのか.....www皮算用では、4月には菜の花の黄色い絨毯、5月にはポピー(ハンガリー語でピパチpipacs)の赤い絨毯、6月にはラベンダーの紫色の絨毯、7月にはヒマワリの再びの黄色い絨毯、8月には麦の黄金色の絨毯、色とりどりの絨毯はハンガリーの大平原(プスタ,puszta)によく似合う。とりわけ菜の花は圧巻であり、過去の写真を使って秘蔵の風景とそこに残された古い教会を今回と次回の2回に亘って、描いてみよう。教会は決して大きく豪華でもないが、戦禍の長い歴史の中で慎ましく、...バラトン湖の教会をスケッチ(2)

  • バラトン湖の教会スケッチ(1)

    COVID-19(新型コロナウイルス)によって外出の制限(ハンガリーでは自粛でなく罰金刑)は、多くのブロガーさん同様、小生にも少なからずの被害が直撃している。この問題は簡単には解決しそうもないので、撮り溜めた写真でハンガリー全国の古刹(中世の教会)をスケッチすることに決めて今回が11件目、160ほどの教会があったので先の長い話だ。来世まで持って行かないようにしたいなぁ~。今回は、バラトン湖周辺で最も大きく、国内でも最も古い教会であるベスプレーム(Veszprém)の聖ミカエル大聖堂を描いた。以下の画像は、特記外すべてJul.202019に撮影したものである。新型コロナウイルスですべてが閉鎖ならば、せめて遠くからのショットで、2020年の寂しいイースター(復活祭)の日であった。Apr.132020下の写真の尖った...バラトン湖の教会スケッチ(1)

  • ブダペストをスケッチ(4)

    前章ではブダペストを代表する教会、マーチャーシュ聖堂と聖イシュトヴァン大聖堂を、更にはその前には聖フランシスコ教会をスケッチしてきたが、ブダペストで忘れてはならない、最も歴史のある司教区教会(聖母マリア教会)を描いておかなければと思った。教会前の広場は3月15日広場と呼ばれ、ブダペストで革命(1848、1956年)が蜂起される時の始まりの場がこの広場である。何故、王宮広場や聖イシュトヴァン大聖堂広場ではないのか?それは国政と都政の違いなんだろう。財力の違いで両者に比べ見劣りはするが、ブダペスト市民のこの教会への思い入れは格別なんだと思う。エリザベート橋の袂に佇む教会Mar.032019次の地図は、今のくさり橋などの橋がなかった13~15世紀のペシュト市街地図であり、街の成り立ちと繁栄を聖母マリア教会は市内の真ん...ブダペストをスケッチ(4)

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