組曲「イベリア」第一集より第3曲「セビリアの聖体祭」(I・アルベニス)
組曲「イベリア」第一集より第3曲「セビリアの聖体祭」[1905](I・アルベニス) アルベニスは、カタルーニャ地方に生まれ、幼少時からピアノに才能を示し4歳で公開演奏会を行うほどだったと言われています。欧米各地で演奏活動を行いながら、23歳の時にマドリードに定
幻想曲 へ短調 op.49[1841](F.ショパン) ショパンが作った幻想曲はただ一つで、1841年にジョルジュ・サンドのノアンの家で作られたものです。幻想曲(ファンタジー)は一定の形式というものはありませんが、ベートーヴェンやシューマン、シューベルトやブラームスがこの
平均律クラヴィーア曲集第二巻 第九曲ホ長調BWV878(J.S.バッハ)
平均律クラヴィーア曲集第二巻第九曲ホ長調BWV878 [1744](J.S.バッハ) この曲集第二巻は1744年に完結したとされていますが、作曲年代がかなり開いていると考えられています。従って第一巻のような様式的なまとまりはそれほどありませんが、楽曲の形式の多彩さや高度な音
組曲「物語」より第二曲「小さな白いろば」[1922](J・イベール) イベールは1890年にパリに生まれました。母親は優れたピアニストで、その影響もありパリ音楽院に1910年に入学し、ジェダルジュに対位法とフーガをペサールに和声を学びました。ここではフランス六人組のミヨ
ピアノ・ソナタ 変ホ短調[1900](P・デュカス) デュカスは、1865年パリに生まれ、父は銀行家で母はかなり才能のある音楽家だったと言われています。デュカスも16歳でパリ音楽院に入学、ピアノと作曲、オーケストレーションを学びました。1888年にはローマ大賞に入選し20歳
前奏曲・コラールとフーガ [1884](C・A・フランク) フランクは、1822年にベルギーのリエージュに生まれ、音楽の才能に目を付けた銀行員の父の命令で、少年~青年時代を名人芸的ピアノ奏者として過ごしました。8歳でリエージュの王立音楽院に入学し優秀な成績を収め、15歳
「四つの即興曲」より第二曲 op.90-2 (F・P・シューベルト)
「四つの即興曲」より第二曲 op.90-2 [1827](F・P・シューベルト) シューベルトは、1797年にウィーンで、小学校の教師を父として生まれました。幼い頃よりピアノとヴァイオリンを学び、聖歌隊の一員として音楽に親しみ、王立寄宿生学校に入学した少年期より、すでに作曲
「ラ・フォリア」op.5-12 [1700](A・コレッリ) コレッリは1653年、イタリアのラヴェンナ地方のフジニャーノという町に生まれの作曲家・ヴァイオリン奏者で、13歳の頃ボローニャに出て対位法などを学び、17歳にしてアカデミア・フィラルモニカに入会を許されました。その
2つの小品より「蓮の国」変ホ短調 op.47-1 (C・スコット)
2つの小品より「蓮の国」変ホ短調 op.47-1 [1905](C・スコット) スコットは、1879年に船主で古代ギリシャ研究家の父のもと、イングランド北部に生まれ、12歳でドイツ留学しホッホ音楽院へ入学しました。その後21歳で最初の交響曲を書き、作曲家、ピアノ奏者として音楽の
「懐かしい土地の思い出」より「メロディ」 op.42-3 (P・I・チャイコフスキー)
「懐かしい土地の思い出」より「メロディ」 op.42-3 [1878](P・I・チャイコフスキー) チャイコフスキーは1840年、ロシアのカムスコ・ヴォトキンスクでアマチュア音楽家の両親のもとに生まれました。幼い時は、ピアノを習ったり合唱団へ参加する事は断続的でしたが、少年
「石の島」より第22番「天使の夢」 op.10-22 (A・ルビンシテイン)
「石の島」より第22番「天使の夢」 op.10-22 [1854](A・ルビンシテイン) アントン・ルビンシテインは1829年にロシア(現モルドバ共和国ルブニツァ)に生まれ、幼い頃よりピアノ演奏の才能を発揮しました。10歳の頃にパリ音楽院の入学に失敗しますが、そこではショパンや
ピアノ・ソナタ 変ロ長調 op.24-2(M・クレメンティ)
ピアノ・ソナタ 変ロ長調op.24-2 [1781](M・クレメンティ) クレメンティは1752年にローマに生まれ、音楽好きの父のもとでオルガンを学び、13歳にして聖ロレンツォ教会のオルガン奏者を務めました。1766年頃にイギリスの貴族の養子となり渡英しました。23歳の頃にロンド
前奏曲ハ長調 BuxWV137(D・ブクステフーデ) ブクステフーデはバロック時代ドイツのオルガン奏者・作曲家で1637年、当時はデンマーク領だったバート・オルデスロー、もしくはスウェーデンのヘルシンボリに生まれたと言われています。父ヨハンも音楽家であり、1658年にはか
ピアノ・ソナタ第二番より第三楽章[1948](P・ブーレーズ) ピエール・ブーレーズは、1925年フランス生まれの作曲家、指揮者で、パリ音楽院で和声をメシアンに学び、院外でレイボヴィツに十二音技法を学びました。1954年から現代音楽の演奏会「ドメーヌ・ミュジカル」を主宰
「霧の中で」[1912](L・ヤナーチェク) ヤナーチェクは、1854年モラヴィア地方(現在のチェコ東部)に生まれ、少年期に父の勧めで聖歌隊に入り、チェコの名音楽家であるクシーシュコフスキーに影響を受ける事となりました。その他プラハやライプツィヒの音楽院などでも学び
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