退職後の生活を北海道道東の地と定めた。エゾ鹿猟を中心に俳句など趣味を充実していきたい。
狩猟シーズンとなり充実している。それ以外にも俳句の会、遺跡探訪など多忙である。道東で同好の士と語り合いたい。
恩賜の煙草は本日よりヤフオクに出品しました。1000円からのスタートですが、50000以上を狙っています。ヤフオクのID番号は「h418421688」です。恩賜の煙草ヤフオクへ
恩賜の煙草で、新しく分かりました。東京都墨田区にある「たばこと塩の博物館」へ問い合わせました。すると煙草にある菊の紋は天皇家のものではなく「閑院宮家」の紋でした。閑院宮は1710年に東山天皇の皇子である直仁親王が第一代で創設された宮家です。この煙草に関係される方は「載仁(ことひと)」様で立派な髭を蓄え、軍人として明治から昭和の時代を過ごされました。そして日赤総裁としても務められています。戦後は民間人となり、現代に至っています。この箱に日赤のマークがあっても不思議ではありません。しかし、誰に下賜されたかは解りません。およそ分かったので、オークションに懸けるつもりです。恩賜の煙草で解った事
扁額を入手しました。絵の雰囲気からは江戸中期位の作品と思います。作者は鳳景斎(?)で、ネットで調べても解りません。それよりも、知りたいのは絵のテーマです。禅画だ思いますから、悟りの一場面と推察しています。左の男はアヒル(?)を抱いて、座り差し出しています。右の仙人は話しかけ、童子は背と脇に書物を持っています。恐らく何か有名な場面と思いますが、浅学の身には解りません。解読された方は教えて下さい。左の男はガラスの為に少し反射光があります。絵の意味
11月中旬に北海道の猟友・俳友が三重県に来ます。なにか表彰式に出席するようです。そこで伊勢で会いたいと、宿泊所を頼まれました。JR伊勢市駅前や志摩には沢山の旅館やホテルがあります。しかし、伊勢の古を偲んでもらう旅館となると絶滅状態です。外宮前に有りますが、修学旅行生用に使用されていました。伊勢市・古市にもありますが、長年にわたりスポーツ合宿や商人宿として使用していました。。市内から近く便利な宿です。1700年頃の絵図にもある旅館です。そこで伊勢市郊外で探しました。その内の1軒は営業を止めて観光施設となっています。朝日館かって昭和天皇も宿泊された旅館で、古風な佇まいです。賓日館皇族用として建築され、少し前まで営業していましたが現在は観光施設として存在します。最終的には北海道の友人が決める為、パンフレットを送りまし...伊勢・二見浦の老舗旅館
骨董市で落札した版木で摺りました。版木の裏には「赤」があります。官許近江の国日野上鍛冶町御目薬安井東陽軒製と有りますが、骨董品用に作られた版木も存在しますから、調査が待たれます。落札物(版木)で摺りました
骨董市で落札品を整理していました。1箱単位で落札される為不本意な物も入っている。今回の落札品では「重箱」がたくさん付いてきた。現代の食生活では重箱の需要がない。この為に放出されてくる。菓子小箱の中から、タバコが出てきた。袋には印刷が無く、封も開いている。両切りの煙草で、充填部には菊の御紋があった。赤いシールには「大日本帝国・専売局證票」とあり、中央には「宮」の字がデザインされています。そして「恩賜」または「賜」の字が箱にありません。♫恩賜の煙草をいただいて明日は死ぬぞと決めた夜は曠野の風もなまぐさくぐっと睨んだ敵空に星が瞬く二つ三つ写真でも分かるように、その特徴がある。亡父も言っていたのは、これが支給されると「明日は死ぬ」だった。ほとんど葉が無く味もしなかった。戦争中の恩賜の煙草であるか、調査中です。恩賜の煙草
人形の家ですが、イプセンではありません。ましてや弘田三枝子でもありません。先の骨董市で落札した尉と姥です。これを門柱に飾りました。尉(翁)は熊手を持ち、福をかき集め、姥(婆)は箒で邪気を払っています。めでたい姿です。床の間に飾る家は沢山ありますが、門柱は無いでしょう。夫婦でお客様を歓迎しています。人形の家
今日の骨董市で気になる陶器を落札しました。競りの相手が無く、1発で落札出来ました。この花器です。どっしりとしたフォルムが気に入りました。大きさは25×35センチです。裏底には写真の銘が掻いて有ります残念ながら箱は無く、サインも誰か解りません。価値のない花器かも知れませんが、気に入ったので落札しました。気になる落札物
北海道庁にも電話をかけて調べました。前に書いた通りで、平日は国(道)有林で狩りは出来ません。2日ほどの日程で遠征は出来ません。2週間ほどの行程で行っていた為に焦らず狩りが出来ました。短期間での狩りでは焦りが出来、無理をした射撃となります。16年間続けた蝦夷鹿猟も1回の休止になりました。来年はどうなるか解りません。道(国)有林を管理している道有林課の方とも電話で話しました。心無いハンターに同僚を殺された職員の、怒りや悲しみは充分に分かりました。永久に道有林からハンターを追放したい気持ちと思います。ただ北海道の鹿や羆による被害は想像以上です。昼間、市街地に羆が出没し、ゴミを漁り繋いであった犬を食べて行きます。遵法狩猟、安全狩猟が行われる事を望みます。これにより狩猟が楽しい趣味として永続します。今年の蝦夷鹿猟は諦めました
今日は松阪市の糀屋太郎兵衛商店(Tel0598-21-0124)で米糀を3kg買いました。700gで1050円です。帰宅後、甘酒を作り始めました。お粥を炊き、糀を入れて60℃で保温します。これを約7時間続けると甘酒になります。市販の甘酒よりも甘みは少ないですが、これが本当の味です。米糀で甘酒を作ろう
明治28年(1895)に京都市で第4回内国勧業博覧会が開催された。この博覧会に出品されて有名(?)になったのが、黒田清輝の洋画「朝妝」であった。恐らく裸体画として初めて展示された絵ではないか。当時の常識では裸体画と春画は同一であり、公衆の前に晒すものではなかった。この為に裸体の腰には布が掛けられた。まさに「黒田清輝の腰巻」である。裸体画が春画となった。絵は焼失したが、ビゴーの風刺画により有名になった。時代は下って、令和の時代名古屋市で開催中の「表現の不自由展」が4日間で中止された。展示には慰安婦を表現した少女座像があったためだ。実行委員長を務める大村愛知県知事の許にはテロ予告や抗議の電話が相次ぎ、中止された。そして河村名古屋市長も税金を使う展示会に怪しからん像だ、と中止を求めた。憲法に定める表現の自由も、市長の...黒田清輝の腰巻
昨日まで収集した情報には驚いた。北海道からは令和元年7月29日に「道有林における令和元年度狩猟期間の対応について」が出されています。その趣旨には「‥銃猟経験の浅い会員等を対象とした実猟研修を行う事としていますが、当該研修を令和元年度狩猟期間に実施するとしており、再発防止の取り組みは今だ途上にあります」と苦々しく書かれていた。恐ろしいスローモーな対応であり、事故防止への意欲は全く感じられない。スピード感もなく、今年度中に終了するかわからない。経験の浅い会員とは何年で線を引くのか?こんな対策では猟友会が紛糾するだけだ。その結果、休日のみの国有林・道有林への立ち入りとなった。営林署員たちにすれば完全禁止にして欲しいのだ。しかし、殖え過ぎた蝦夷鹿や羆の為に、妥協していると思う。このような事態になっても「国有林がダメなら...ダサイ北海道猟友会
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