仕事から帰って、今日は疲れたと倒れ込んだ傍で、子どもたちが楽しそうにしている。ある時ふと、「すごく気持ちいい!」と思ったら、子どもたちが歌っていた。それまでもう何も考えたくないなぁとオーバーフローしていた脳や体が軽くなる感覚。そう言えば、胎内で初めて作ら
日本には「気」を使った慣用句が多数存在する。なんとその数190以上!!気が合う 気がある 気がいい 気が多い ...気が置けない 気が重い 気が勝つ 気が利く ...気が差す 気が知れない 気が進まない 気が済む ...気が急く 気がそがれる 気が立つ ...気が尽きる 気が詰まる 気
もともと庶民の一種だった武士たちが、なぜ「武士道」という独特の哲学を持つようになったのか?
国史啓蒙家・「ねずさん」こと小名木善行氏の新著『庶民の日本史』によれば、武士は武士道をつくれたのは、「お能」の影響によるものだという。以下、『庶民に生き方を教えた「物語」教育』リンクからの引用です。--------------引用開始---------------■3.いのちを奪った
「水田」が江戸の社会にもたらした影響~江戸時代=エコ時代なのか
●”生産”の中心の場であった「水田」が江戸の社会にもたらした影響・どのような意味で水田が生産の中心なのか。それは、水田が、江戸時代の社会を根底で支えた、米という作物が生産される場だったということである。水田は社会を支え、米の増産はそのまま社会の成長につな
明治維新で日本の自治単位は解体され、ことごとく政治が劣化しているのが現状。共同体再生は自治単位の再生から始める必要がありそうだ。
縄文人を知るためにも、弥生人を知る。そのうえで、通説に流されず、弥生人について生々しく考察している記事があったので紹介します。
リンクより引用します---------------------かぶりもので顔を隠して踊るというのは、盆踊りのスタイルとしては、昔からのスタンダードだったようです。そして興味深いことに、そこには何かエロチックな意味も込められていたようです。例えば、青年の性の目覚めについて描かれ
<時代や地域によって多種多様なバリエーションが存在した再葬墓>それは、一旦埋葬した死者の骨を再び掘り出し、別の土坑(どこう)に埋葬し直すという。そしてそのような墓を「再葬墓」と呼ぶ。例えば茨城県取手市の中妻(なかつま)貝塚から、縄文後期のものとされる、再
リンクより転載昔の人達は神輿だけでなく、60kgはあるであろう米俵を楽々と持ち上げ、担ぐことができたそうです。しかも、みな凄い力の持ち主でありながらも、背丈や体格は、今の自分達よりももっと小柄であった。なのに、なぜ、重い重い神輿を担ぎ、1日中歩き回ることができ
植物は歩く?知性もある? 土偶が突きつけた科学の貧しさと現代人の鈍感さ
縄文人は何かを”模す”という発想で土偶を作ったのではなく、すべて一体で発想している。それが人間と植物、生命の発生のプロセスそのものということです。また、一体での発想がより追求を深めていることも事実です。赤ちゃんがどうやって宿り、生まれるのか。考えても全く
以下リンクより転載埋葬の儀礼は縄文時代から始まり、仏教などの各宗教の教義に引き継がれた。そして、死者を丁寧に葬った縄文人の埋葬の慣習は、現代の埋葬にも息づいている。
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