2013年9月7日、南アルプス「甲斐駒ケ岳」へ行ってきました。山登りを始めて2年登山回数も延べ60を超え少しずつ揃えた装備もそれなりに充実してきました。もう少し遠征して活動の幅を広げてもいいのでは?と思っていた矢先のことです。 ヤマレコ友達の「hirasuzukaさん」に誘っていただいたので行く気になったようなもので単独ではあの賑やかな登山口の雰囲気に圧倒され物怖じして帰ってしまいそうでした。 タイミング良く「サントリーウイスキー白州」のTVCMで甲斐駒ケ岳が放映されており見るたびに溜息をついて「もう一回行きた~い」とブツブツ言っています。 「南アルプス」誰がこんなに素敵な名前を付けたのだろう…
昨年の遭難顛末記の記事が月刊誌「山と渓谷」(8月号)に掲載されました。 特集記事の中でもメインの位置付け(らしいです)で、8ページにわたり写真や、地図等が理解しやすく配置され文章も「誇張することなく強調する」という絶妙な加減で「プロの仕事とはこういうものなのか」と自分が書いたものとの圧倒的な差を感じました。 昨年8月に編集部からオファーを受けて以来、ほぼ11ヵ月をかけて記事となり公式な存在?にしていただきました。その間ヒアリングの取材1回、現地取材3回を行いそれ以外でもライターさんは取材を重ねヒアリングの裏付けを取ったりあらゆる角度からの取材を行い今回の記事が完成したものと思います。 驚いたの…
最近はずっと山の話だったが久し振りに「パーキンソン病」の話に・・・。 この病気は本当に困るというか厄介だ。確実に進行しているのがわかるがその進行が病気本来のものか薬の副作用によるものかの判断が難しいというか いまだよくわかっていない。ただし薬の過剰摂取は必ず副作用があるということははっきりしている。 先日2/1(金)に定期診察のためにかかり付けの病院へ行った。予約は2/5だったが手持ちの薬が切れたためだ。常時5種類の薬を服用しているのだが 切れた薬はその中でも主軸である「ネオドパストン」いわゆるドパミン製剤、症状の原因である少ないドパミンを補う薬である。ここ2~3ヶ月はこの薬を処方された以上に…
ようやく「ゴロ谷」を再び訪れることができた。 私が今夏6日間を過ごし瀕死の状態で発見され谷だ。 当時、私の救助に全力を注いでくれたヤマレコ仲間が「yuconさんの落とし物を探しに行こう!」と軽いノリで計画してくれたが天候が悪かったりメンバーの都合がつかなかったりで12月までずれ込んでしまった。 前々回に続き山岳ライターのNさんとその奥様が同行され総勢6名での現場検証となった。丁字尾根は稜線にあがると3~5cmの積雪、落ち葉の下の霜柱とともに踏みしめると「サクッ、サクッ」と心地よい音を立てる。横浜市在住のN婦人は「この感触気に入った」と大変喜んでおられた。 P918で小休止し遭難ポイントのP96…
今夏の遭難について抽象的な原因や過程、結果については「ヤマレコ」や当ブログで書いてきたが具体的な位置や時間、状況、なぜ迷ったか?など疑問点も多く自身も釈然としないまま今日まで来た。いわば精神的原因は概ね結論が出たが具体的原因についてはほんの僅かしか解明できていなかった。なぜなら遭難以降現場へ行って自分の目で見ていないからである。人間の記憶は時に曖昧なもの、ましてや瀕死の状態まで追い込まれていた人間の記憶にはまだまだ不明な点が多かった。 推理小説によくある捜査の基本「現場百回」ではないが自分が現場へ行かなければ今夏の遭難の件についてこれ以上前に進めないと思い先週に丁字尾根下降口、そして今週はP9…
ヤマレコの記録中に紹介させていただいた本「登山入門」について問い合わせが数件ありましたので、こちらでご紹介させていただきます。 入門書ではあるが登山全般を網羅しており各項目について細部にわたり丁寧に解説しています。初心者だけでなく ある程度経験を積んだ方にも充分読み応えがある内容です。まずは一読を 登山入門 (ヤマケイ・テクニカルブック登山技術全書)作者: 野村仁出版社/メーカー: 山と溪谷社発売日: 2007/08/01メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 30回この商品を含むブログ (5件) を見る
《遭難顛末記について Ⅱ 》 ヤマレコHPへの訪問者数 延べ32,899人、内ヤマレコ日記への訪問者数 延べ20,900人、遭難レコへのアクセス26,100件、拍手数1,409、お気に入り登録数318、コメント63件、200いいね!週刊ヤマレコには2週連続でアクセス数トップ、1か月にわたりベストテンにランクインし続けました。 レコや日記へのコメントは大半が生還を喜んでいただいたり私の体を労わっていただく内容でした。また遭難記録をアップしたことについて評価をいただくコメントも多くありましたが批判的なコメントも少なからずありました。特にR氏についての日記をアップした直後は批判が集中しました。2ちゃ…
《遭難顛末記について》 退院直後自宅に戻って まずしたことは登山靴とザックをきれいに洗うことだった。両方とも私の体を7日間守り続けてくれた。家族はもう捨てるものと思ってビニール袋に入れたまま物置に放っておかれていた。袋から出し丁寧に洗った、急速に乾燥するとダメージが大きくなるのでじっくりと陰干しをしてファスナーを修理して靴のソールも取り換えた。その夜 ヤマレコ日記に退院の報告と感謝の気持ちを書きアップした。それから6日間の遭難の記録を書き始めた。 約3日かけて遭難記録を書きあげた。内容を再度読み返すことはせずストレートさを重視した。アップに際して少し躊躇したが それより山岳遭難事故の悲惨さを一…
《お世話になりました》 入院四日目の朝、回診の時主治医から「最終検査の結果で異常がなければ、退院許可をするが どうする?」と言われた。願ってもないことだった。毎日 片道を一時間以上かけて通って来てくれる家族の事を思うと一日でも早く退院したかった。おそらく 看護師、リハビリ担当、他のドクター等の意見を聞いて総合的に判断してくれたものと思った。私にかかわってくれたスタッフが退院を推してくれたのだ。 実を言うとこの段階では自分自身退院は無理と考えていた。歩行も覚束なく全身の痛みは治まる気配はなかった。家に帰ると何かしら行動してしまい疲労から回復の速度が落ちてしまう。本当は入院して充実した設備の元、集…
《それから Ⅲ》 ベッドに横たわっていると家族がやって来た両親、妻、子供たちだ。 両親は半分放心状態で妻子は喜びや心配や安堵感を通り越して怒りに変わっていた。両親については「親孝行登山」などと称して山行記録をアップしていたが何とも恥ずかしい話である。そんなものは一蹴するような親不幸をしてしまった。妻子については あれ程、気をつけろと言われていたのに耳を貸さなかったばっかりに迷惑を掛けてしまった。感動的な再会と抱擁などはおとぎ話の世界で 家族は全員呆れかえっていた。 子供達は夏休み直前のいちばんわくわくする時期に長い間 不安な思いをさせてしまった。 全く最低の父親である。 その後、親戚の皆さんが…
《それから Ⅱ》 ヘリへピックアップされた後 床に転がり時折全身にかかるGと格闘しながら ぼんやりと 外を眺めていた。夕焼けが素晴らしかったように記憶している。ヘリの中全体を赤く染めていた夕焼けはこれまで見たことのないような美しさだった。 ヘリポートに到着するとストレッチャーに乗せられ救急車へ乗換え、そのまま病院へ搬送された。やっとベッドに横になることができ ひと安心しているとシャワーへ行こうとの看護師からの提案でシャワールームへ この時すでに立上がることすらできなかった。しかし約一週間ぶりのシャワーは気持ち良さ以外の感想はなく湯船に浸かることができたらもっといいのにと考えていた。しかし「膝の…
物語には必ず “おわり” がある。 大抵はハッピーエンドであるが そうでない結末も数多く存在する。 しかし 現実の世界はおとぎ話のように「めでたし、めでたし」「完」「The end」「Fin」と言う文字が出てエンドロールと共に軽快なエンディングテーマが流れたり、幕が下りスタンディングオべ―ションの中カーテンコールがあるわけではない。最後のページをめくり“パタン”と本をたためば全てが終わるわけではないのだ。現実の世界では むしろその後のストーリーの方が大量のエネルギーや時間を必要とする。そして終わりが無いのだ。 7月の遭難の件、学んだことは数多くある。中でも「現実の世界は その後のストーリーが…
Nさんの遭難についてブログを完成させた直後の7/16~7/22の6日間、今度は自分が遭難者として御池岳のゴロ谷に閉じ込められることになってしまった。 多くの方々のお力により脱出することができ この様なブログを書くことができた。 「ヤマレコ」の記録は事故直後の生々しさを残すためほぼ原型からは触らないが、こちらは記憶がよみがえり後に思い出したことを加筆、修正し より詳しいものにしました。 《遭難記録》 【 一日目 ~2012年 7月16日(月)~ 】 海の日の3連休最終日、前半の2日間とは変わって天候も良くなったので、以前から登ってみたかった土倉岳-御池岳-T字尾根の周回ルートを目指し支度をしたが…
御池岳で遭難者の遺体が発見されて2ヵ月以上が経ちました。 現場の「ボタンブチ」には慰霊碑が設けられているそうです。山ヒルシーズン真っ盛りの時期ですが行くことにしました。 鞍掛トンネルの滋賀県側登山口から登り始めます。 最初の五歩で既に登山靴には3~4匹の山ヒルが!持参したアルコール除菌スプレーで撃退します。その後、何度も山ヒルの襲撃を受けますがその都度除菌スプレーで対抗して被害を受けないようにしました。 杉の植樹帯を抜け明るい2次林に出ると山ヒルの不安はほぼ無くなります。この日も鞍掛峠以降は全く見かけませんでした。 ヒルの心配は解消しましたが鈴北のピークに着いても濃いガスが発生しており展望は…
御池岳 ゴロ谷四の沢でNさんが遺体で発見されてから2カ月が過ぎました。 警察の調査や山岳連盟の総括も終息し「岳人」の6月号に記事が掲載されました。死因は凍死、内張りだけのテントの中にはダウン、食糧、シュラフやコンロが使用された形跡無く残されていたそうです。そして携帯電話には2月13日11時36分の未送信メールがあり「遭難した 警察へ連絡してください・・・」との記録が残っていたそうです。 少ない情報の中いくつか疑問がありますが、明らかなのは滑落後 24時間以上生存されていたという事です。「なぜ」も多く残ります。手付かずの食糧やシュラフ コンロ 、捜索活動、県警のヘリ・・・。なぜ発見されなかった…
2月12日午前6時30分頃、家族あてに「今から下山する」というメールを最後に彼は消息を絶ちました。 2月25日(土)三重県警の捜索が打切られたが地元山岳会が中心となり捜索が行われていることを知り捜索本部が設置されているという三重県いなべ市大貝戸休憩所へ行きました。時間も午後という事もあり誰もおられませんでした。大貝戸では何も状況がわからなったので「いなべ署」へ向かおうとすると男性が声をかけてこられました、遭難者が気になりここへ来たこと、岳連等に加盟せず単独行であること、共通点も多く少しお話して別れ際に「やぶ漕ぎネットの〇〇です」とHNを教えていただきました。私も「ヤマレコのyuconです」と…
雪山(その2) ネット上で御池岳の遭難の件が騒がれだして「ヤマレコ」のユーザーらしいとのことでした。 私は登った経験からも 「まあ、よほどの事がない限り自力で下山か、ヘリに発見されるかで救助されるだろう。」と考えていました。なぜなら その方の装備が自分とは比べ物にならないほど充実していて、かつ経験も自分より長かったからです。また年齢からみても体力には心配の要らないようでしたし、1月に霊仙山であった遭難も「騒ぎ」で終わっていたので「身近で、しかも自分が登っているような山で遭難事故はあるはずがない、あったとしても生命にかかわるようなことはない、北アルプスや大雪山系であるまいし」とタカをくくっていま…
去る2月12日午前6時30分頃、家族宛に「今から下山する」とのメールを最後に御池岳~藤原岳で消息を絶ったヤマレコユーザーNさんが 御池岳ボタンブチの直下 ゴロ谷-四ノ沢のテント内で遺体で発見されたそうです。 昨日4月29日の朝からネット内もざわついていましたが、本日4月30日の朝刊に報道されたことや捜索情報のHPに三重県岳連のコメント発表が掲載されたこともあり落着きを取戻しています。 今日までの間のご家族の心労は想像を絶するものがあり、謹んでお悔やみを申し上げます。 今回の件は私も遠からずという思いを抱き続けた3ヶ月でした。 昨年夏に登山を始めて、御池岳には11月初めて登頂し、その2週間後に前…
~父との登山~ 先日4月17日 父親と初めて山に登りました。普段 毎週のように山に登っている自分をみて 登りたくなったらしい、3月の福寿草の写真を見てその思いがピークになり今回の親子?登山となりました。 75歳を越えた父を連れていくにはどこの山にしようと悩みましたがいちばん歩きやすく花が多いという事で 「藤原岳」へ、4/17に有給休暇を取得できたので早朝より鞍掛峠を三重県いなべ市へR306号も全面開通したらしい が所々片側通行になっていました。登山口の大貝戸の休憩所には車もまばら先週土曜日のお祭り騒ぎがうそのような 静かな山でした。 さすがは花の百名山 これでもかとばかりに「福寿草」が咲き乱れ…
~ネットで知り合った友達~ 去る4月6日(金)、4月7日(土)の両日にヤマレコで知り合った人とお酒を飲んだり、一緒に山に登る機会がありました。 まず4月6㈮ ヤマレコで知り合ったmiccyanさんです。彼は昨年11月に山口県光市より長浜市に転勤してこられた方です。同じ長浜市の市民として数回メール交換し一度食事でもという事で仕事帰りに長浜駅で待ち合わせ居酒屋へ直行しました。山行、ヤマレコ、趣味、長浜市・・・・話題が尽きることも無く気がつけば深夜零時を過ぎていました。僕は翌日山行の予定があるからという事でお開きに、しかしながら初対面の方とこれだけ話をした経験は稀です。その上まだまだ話し足りない感じ…
~久々の親子登山~ 子供たちは春休み、旅行などに行くような暇も予算も無く どうしたものかと思案中に 4月1日長男の部活動の練習が休みであるとのこと、友達から映画の誘いがあるも「面白くなさそうなんで行かん」 とのこと、半分冗談で「山行くか?」と聞いたら「うん 行く!」とふたつ返事が帰ってきた。 ではさっそく準備をして明日に備える。 翌朝、朝5時に長男をたたき起して出発!天候は曇りだがもう4月、何とかなるだろうと先へ進む。 多賀町の奥、R306号鞍掛峠の冬期通行止めは解除されているものの三重県へは通り抜けできないと情報、 冬期ゲートは開いていたが鞍掛トンネルの出入り口でバリケード封鎖、コグルミ谷か…
~Spring has come ~ 中学の時の英語の教科書に載っていた一節。 なぜかこの歳のこの時期に 思い出してしばらく頭の中から離れないでいます。 先日、鈴鹿北部の「鍋尻山」行きました。 お目当ては「福寿草」 山岳に春の到来を告げる黄色くて可憐な花だそうです。 僕が山に登り始めたのは昨年の夏、だから春の山を知りません。 平地の春とはまた違った楽しみがあるようです。 「鍋尻山」は1時間半で頂上まで登って下りてこられます。 僕がスタートしたのは13:30に自宅出発、14:30に登山開始と かなり遅いスタート、山頂付近を探しまわりますがみつからず 諦めて下山途中に群生を発見 感激です。…
“月一回の通院” 先週の土曜日は月一の通院の日、久しぶりに電車で病院まで行くとする。 今の病院に通うようになって2年が経過した。 病状は残念ながら確実に少しずつ進行している。 最も進行していると感じるのは薬の効いている時とそうでない時の差 (この病気の用語ではオンとオフの差)が大きくなっていることだ。 以前は薬が切れている状態でも2~3時間は大概の事を何とかこなせたが 今は切れた状態では1時間くらいが限界。 オフの状態は重力が20倍ぐらいになったような感覚という表現で理解いただけるだろうか。 薬が切れて服用して効いてくるまでの時間が無駄だ。かといって切れる前に 服用することは過剰摂取につながり…
知る人ぞ知る“鈴鹿山脈のバイブル”です。 昭和62年5月に初版本が発行されて以来約四半世紀を経た今でも色褪せることなく輝き続け 現在の鈴鹿の登山ガイドブックの基礎となっています。 この本を一度読みたくてアマゾンで購入も検討しましたが踏み切れずに 悩んでいたところ図書館で発見しました。 以前探したときは見当たりませんでしたが登山や山関連の棚ではなく「郷土資料」 として陳列していました。 思いがけずめぐり合えた本の中身は期待以上の内容でどの頁を開いてもそこから は夢のような時間が流れ出します。 特に「鈴鹿北部」をまとめ上げた1巻は何度も読み返しました。 昨年行った「向山」「男鬼山」の尾根で見たす…
山行と薬 私は薬なしでは山登りができません。 もし山中で薬が切れて手持ちがなくオフになったら おそらく通常の5倍以上の時間をかけて引返してきます 少なくとも5倍、大きく見積もって10倍以上 もしくは帰宅不能です。 オフ状態は時間は解決してくれません 体力が回復しても症状は緩和されません 強いて挙げれば充分な睡眠が良い結果に作用することぐらいか? 昨日も御池岳へ行ってきました通算6期目 冬山としては今季4回目です。 御池岳は特別な存在です。 薬を上手にコントロールして快適な山登りを少しでも長く続けたいものです。 2012.03.10(御池岳)
いまだ行方不明です。 御池岳での遭難事故は発生から約一カ月近くになりますが いまだに行方が分かりません。 明日、もう一度 山に入ってみます。 ご家族の方のお気持ちを察するとどうしても 行かなくてはと思います。 2012・1・22《御池岳》
① 2月に義父が亡くなりました。 この出来事は 強烈でした。何ともいえない怒りが湧いてきます。 病院のベッドで衰弱されていく あの頑健な義父の姿は 病気の力のすさまじさ、残酷さをこれでもかと叩きつけられた気がします。 終末期医療の在り方を考えさせられました。 もし自分がそうなるようなら 潔く投薬、手術をやめた方がいいのでは と強く思いました。 義父ともう一度会いたいです。 ② 御池岳で遭難事故があり 未だ発見に至っていません。 僕の大好きな鈴鹿の山「御池岳」で2/12に遭難事故があり 未だ発見されていません。 私もさる1/26に勝手に捜索ボランティアをしましたが 途中で山岳会の方々と合流する…
鈴鹿北部 山脈最高峰の“御池岳”で2/12から名古屋市の男性が 行方不明です。 去る2/26(日) 私も少しはお役にたてるかも と思い 滋賀県側から入山しましたが 何の手がかりもなく、途中で出会った 三重県山岳会の捜索ボランティアの方々も 全くわからないとのことでした。 遭難された方は私と年齢も近く 単独行を好まれ登山歴3年、装備も充実していて 私が知る限りの あの山域でこれだけ深く遭難されることは 予想できませんでした。 事故の一報後は皆が「テン泊装備もあるし 翌日には自力で下山するのでは」 程度の思いだったでしょう。 しかし事態は深く迷宮に入ってしまいました。 毎週末50人以上のボランティ…
“Parkinson's disease alpinist yucon's mountain climbing struggle against record” (パーキンソン病のアルピニスト yucon の登山と闘病の記録) はてなdairlyでしばらく続けていた「パーキンソン闘病記」 を再開したいと思います。 途中で「ヤマレコ」の方に偏りましたが 登山ばかりで 闘病からは大きく離れてしまったので はてなブログ の新設を機に 登山と闘病の記録を 出来れば(笑)両立させたいと思います。 それでは よろしくお願いします。
以前続けていた「闘病記」を復活させたいと思います。 3月3日 スタート! タイトルも もう少し考えて新しいものにするつもりです。 では 明日!
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