○○さん・・・・・システムを支える意味がなくなったように思われることもあります。しかし・・・・・各部の同一システムをそれぞれに必要な目的に綿密に適応させる多様性があります。・・・・・規則的な漸進的な移行とは違うものなのですよ。個人的に・・・・・○○さんへ
感動でした!しっかり特徴をとらえると同時に、どんな社会で日々を送っているのかをとらえ、自信を持った笑顔を引きだします。心までわしづかみされた様子でした。「と~ちゃんも書いてもらってよ~もっとお話ししたいから」って、すごい能力で・・・・とても真似できません・・・・・。似顔絵
・・・・○○さん、親の保護を受けているこどもが不信感を持っていたらどうなるでしょう・・・・・?ほとんどのこどもは不信感はありません。むしろ、自分の悪いとこを攻め直そうと努力します。・・・・・あなた方はそういった環境を、違う環境から眺め観察しているだけなんです。その結果、あなた側の多数の世論が反応しているだけなのですよ。環境が違えば肌の色も違い、環境が違えば文化も人柄も違います。違う環境から眺めた偏見は人種差別的な・・・・・報道関係者も悪いのですよ・・・・・不信感
・・・・・私もそうでした。こどもが本当に悩む時は、親に話せないような悩みか、親から告げられた悩みを一緒になって考えこむときです。こどもは悩みの悩みの種類を感知し、身近な者たちを守ろうと必死になっているのです。・・・・・だからせめて、前向きに前向きに・・・・・悩み
「一度だけの人生」とは、欲望のままに生きるとか、身体が要求する衝動にまかせることとか、満足を蓄積するものではないと私は思っています。・・・・・地球上で暮らすさまざま生命体の大きさ、生活、器官、状況に適した道具などのような適応は現在生きる生命体の利益ある営みを達成してきたデザインを示しますが、さらに界―門―綱―目―科―属―種―亜種―変種―品種―亜品種とぞれぞれの位置やある種(例えば人)を観ると成長の早いもの遅いもの、長命、短命、得意、不得意、感受性の違いなどの特徴を備えています。その身体と一生付き合うために、自身の利益となる適応を計画し、利用できるすべての特徴の中でも最適なものを選択し自身の環境としていくのだと思います。しかし、なかなか見つかりにくいものです。一生見つからずに終わることや、成長速度が関係し、ずっと...一度だけの人生
・・・・・自慢の知性や理性は心臓の活動、循環器系、ホルモン分泌などの生命活動(生活機能)にはほとんど役には立ちません。もしもそれらが自分の意志でコントロールできていたならばこの霊長類はとうに滅んでいたでしょう。困惑や極度の疲労、不決断によって何かの活動は停止しますし、子孫繁栄はウスバカゲロウのように命懸けで行い、こどもの保護活動は極限まで削られ、意思疎通を容易くするための記号は開発されず、社会化は生命を脅かすため選択されることはなかったでしょう。・・・・・とくに直立二足歩行、複雑な動きを可能にする手、それに伴い進化した脳を持つ人の活動は、生命の自動的でなおかつ恒常性をもつ神秘的な存在なくしてはありえませんでした。・・・・・私たちの意志は健康状態によりコントロールされます。健康な意志にさらにスーパーな贈り物をすれ...心の病
生命を持つ身体は通常可能な限りあるいは、適切な状態へと戻ろうとするシステムに支配されています。それは心や精神も一緒であります。でも、心や精神を閉じ込めてしまうような「頑固」な状況を保とうとするシステムは、適切な状態を拒否する派閥となり身体と心と精神の調和を失いかねません。しかもそれは身近な世界をも巻き込み環境を壊す恐れがあります(逆に訓練や修行などでレベルを上げた良質な状態になれるのは、身体と心と精神が調和した関係を維持しているからです)。人が変われが環境も変わり、環境を変えれば人も変わります(それは歴史が示している通りです)。・・・・・環境は「ため息」一つで変えることができます。「ため息」は言語ではありません。しかし環境や空気を変えることができます。相手を傷つける言葉などを必要としない感覚不快刺激とでもいいま...ため息
・・・・・通常、地球上の環境に適応したヒト科の霊長類ならば、一個体は1+1=1で生まれてきます。これはきっと生存の確率は上げるための巧妙な手段だったのでしょう(我々が今、環境に適応し暮らすことができていることが証明しています)。その一個体は、血統や所属などの支配下にはありません。歴史が示している通り、急速に変化する社会環境や数々の条件によって影響を受け、1と1(両親)とは違う適応に向かいます。社会環境によっては長い時間をかけますが、必ず変更がかかります。・・・・・とある若い政治家の狂っているのかのような発言には驚きと怒りを隠せませんが、それより1と1(両親)の現在の状況が気がかりです。私には何もできないしお門違いかもしれませんが・・・・・きっと「構造上の精神」のいくらかは両親の提供かも知れませんが、こどもが踏み...「1」
自分がいつでも『快』であるためには、他者や特定の人たちに褒めたたえられることでしょう。つまり、自身に注目させ、他者や特定の人たちとの協調関係を結ぶことなのでしょう。自己満足すら、他者あっての代物なのです。自己満足
・・・・・動けるなら、消費したエネルギーを補給できるくらいの仕事はしなさい。手切れ金に満足するのはやめなさい。第二の人生もエネルギーの補給がなくてはおくれません。無意識に働く器官がある以上、仕事は自分の務めであります。年齢に流されることは無知であることです。限界を年齢に重ねてはいけません。本当の限界は、自身でのエネルギー補給が困難になったときをいいます。生物学的に、年齢に関係なく、エネルギー補給は個体の適正な仕事量で補うのです。働きなさい
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