『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
「神はその子らのために、試煉のかまどをあまりにも熱くされることは決してない。全くその反対に、既に決定されたものから、いつもいくらか軽減される。他の人間たちも…
「古代の知恵の最も美しい表見は、ローマ皇帝マルクス・アウリウスの有名な日記の一節に含まれている(この日記は。皇帝が急死した際に、そのそのトーガ(長袍))の襞…
「天才的素質は一種の精神病だという説は、既にしばしば(いくらか通説ずきの人達によって)主張されけきたが、天才は人類の最大の誉れであるから、我々は人類の名誉の…
「実施的にいえば、人生の主要事は、つねに自分の義務を行い、これに反する心の傾向や異論をあまり気にすまいと、断固たる決意を抱くことである。なおその次に、これを…
「もはやいかなる享楽をも求めないということが、どんなに人生の楽しみであるかを、人々が自ら試すまでもなく信じる事が出来たならば、誰も皆このような生活法に切り替え…
「神の御心を完全に、しかもそれのみを行おうと一旦決心したなれば、まず、たえまなく働き、人間にゆるされた全ての手段をその為に忠実に用い、そしていたずらに心配し…
「眠られ夜のために①」四月二十五日: 「我々は神を喜ばせねばならない。神が喜ばれるよのに、我々自身がならねばならない。それが、哀れな虫ケラのような我々の出来…
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『真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。既に落ち着きをえてから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間は我々に有益な…
『内村鑑三 所感集』より: 『戦捷の結果は何? 国債の激増、投機熱の昇騰、軍備の拡張、しかしてこれに伴う美術、文学、哲学、道徳、宗教の衰退これなり。肉…
『内村鑑三 所感集』より: 『英国はキリスト教国にあらず、しかれでもキリスト教は英国にあり。米国はキリスト教国にあらず、しかれどもキリスト信者は米国人…
『内村鑑三 所感集』より: 『「光は暗きに照り暗きはこれを暁(さと)とざりき」と(ヨハネ伝一章五節)。「かれ己の国に来たりしにその民これを接(う)けざ…
『内村鑑三 所感集』 『国興るもキリストを信じ、国衰うるもまたかれを信ず。時可なるもキリストを信じ、時非なるもまた彼を信ず。業栄うるもキリストを信ず。…
『現在我々がどんな犠牲を払っても手に入れなければならない真のキリスト教は、単にある事実に対する信仰とか、教会の一定の信仰箇条に対する信仰にあるのではない。あ…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりははるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまう事のないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『内村鑑三 所感集』より: 『我らキリストの僕(しもべ)となりて一人となりて世に立つの決心なかるべからず。世は我らの主を棄てたり。またその僕たる我らを…
『内村鑑三 所感集』より: 『福音は罪人のための福音なり、弱者のための福音なり。故に我に福音を語りえざるの時あるべからず、また世に福音を信じえざるの人…
『内村鑑三 所感集』 『第二の宗教改革は第一の宗教改革に同じ、すなわち行(おこない)に対する信仰の勃興なり。第一の場合においては行はイタリア国によって…
『内村鑑三 所感集』より: 『今や世界最大の旧教国は北米合衆国なり。旧教の精神をは行(おこない)にあり、米国の精神は事業にあり、しかして事業は行の別名たる…
『内村鑑三 所感集』より: 『ひとり足りてひとり喜び、ひとり喜びて到るところに歓喜の香を放つ、星のごとく、花のごとく、識認を要せず、ひとり輝いてひとり香(…
『内村鑑三 所感集』より: 『人に愛されんと欲するなかれ、ただ愛せよ、十字架の上よりも愛せよ。愛するは愛せらるるよりも、幸福なり。我らは愛せらんと欲するも愛…
『内村鑑三 所感集』より: 『教会を作ること何ぞ易き、教会を作ること何ぞ難き、木と煉瓦との教会を作ること何ぞ易き、人と霊魂との教会を作ること何ぞ難き。余輩無…
『貴方は堅固な心を得ようと努めなければならない。既に数千年前に記されているように🌟、たちまち傲慢になったり、たちまち元気を失ったりことのない、堅固な心を。 …
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書や極めて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。と言うのは、そ…
『内村鑑三 所感集』より: 『ユダヤ国に芽を萌せしキリストの福音はユダヤ国の滅亡と共に滅びず、ローマに生長してローマの衰亡と共に衰えず、米国に繁茂して米国の…
『内村鑑三 所感集』より: 『恩恵の露、富士山頂に降り、滴りてその麓を潤し、溢れて東西の二流となり、その西なるものは海を渡り、長白山を洗い、崑崙山を浸し、天…
『マタイによる福音書二四の一一・一二・三五🌟、二五の二一、二六の四一。 これらの事は現代の特徴である。貴方はそれをあらかじめ覚悟して、それに対処しなければな…
『我々が自ら幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないということは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの次の言葉の方が…
『それゆえ、自分の決心よく確かめて、場合によっては自分の経験に聞き従うことが、信仰に入る第一の条件であるが、しかし元来それは自分の意志行為であって、傍から誰…
『まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない。すでに落着さを得てから、人間に向かうべきである。このようにしさえすれば、人間はわれわれに…
『この信仰に関する差異は、人間の意志の自由という天性に基ずくのだから、いつまでも続けて消えない。「人間の魂は本来キリスト者である」というテルツリテヌスの言葉…
『弱い信仰でも、全く信仰がないよりはるかによろしい。最後の信仰の火種をもすっかり消してしまうことのないようにしなさい。そうすれば、またそれを吹き起こすのは、…
『一切の存在および生成の根源としての神は、説明することも、証明することもできない。また、そうすべきものでもない。むしろわれわれは、まず第一に神を信じ、その上…
『あまりに多く読みすぎるのは、たとえいわゆる良書やきわめて宗教的な本であっても、まだ本当に自分の考えの固まっていない人にとっては、不健康である。というのは、…
『万物の根源を万物それ自身から説明しようとせずに、むしろ、人生の経験に導かれつつ、世界全体ならびに各個人の創造者であり維持者である真の生気ある霊的存在に、そ…
『われわれがみずから幸福だと感じるためには、常に頭が計画に満ち、心が愛に満ちていなければならないというのは、正しい言葉である。しかしクレルウ“ォーの聖ベルナ…
『世界をそれ自身から、またそれ自身によって説明することは、とうてい不可能である。それでは、最後の根拠はついに見出せないからだ。人間が自分自身を崇拝し、他人か…
『人間の経験などというものは、実つ大きな幻影にすぎない。その滑らかな表面の下に隠されたものを、誰も見ないし、また見ようとしない。ただ時折、この外皮に突然裂け…
『これまで抽象的哲学は実際に、「存在」をも「生成」をも満足に説明することが出来なかった。ましてこの二つの根本概念を結びつけて、一つの統一的な原理からこれを解…
『ヘブル人への手紙一〇の三〇、申命記三二の三六。「主はその民を裁くであろう。」この言葉は、苦難に臨んだ時に、とくに全民族の苦難の時に、われわれが持つことので…
『これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。そしてーー早速こう…
『ブルームハルトや、その他の歴史的に確証されている奇跡を行った人々の「力」に源(みなもと)をなしているのは、おそらくただ「私欲のない」愛であった。このような…
忍耐力と知恵を生む最高の「母胎」 『朗らかな性格は人生の喜びをもたらすもとではあるが、同時にそれは自分の性格が傷つくのを防ぐ大切な役目も果たしている。 「…
『オバデア書一二、ミカ書七の七ー11、ナホム書一の7ー12。これらの古代の預言者の言葉は、職業上これらの章を読むことのない一般の人には親しみがうすいかもしれ…
陽のあたる道を選ぶか、日陰の道を行くか 『陽気で朗らかな性格は生まれつきのものと言えるが、他の習慣と同様に訓練によって開発されていくものである。充実した人…
『マタイによる福音書一八の六・七・一〇、一二の36、二五の四〇、一七の二七、ルカによる福音書六の四五、九の五四・五五・五六、一〇の五、一二の一五・二九、一四…
この”心がまえ“が人生の重荷を半分にする 『この世には、非常に楽天的で、何を見てもよい面しか目に入らぬ人がいるものだ。 この人たちにとっては、挫折してしま…
『もしもわれわれが人間の事情を同情をもって見ることができないなら、世間との接触はわれわれの内的人間を必ず害する。これが、修道院生活を正当化する理由である。も…