世の中が飲み込まれていっているな、と思います。善人も悪に加担しなければ生きていけないと思い諦めているのかもしれません。「仕方ない」という言葉が加害加担者の中からしばしば漏れました。加担するほかなかった、というニュアンスに感じました。善は最後に勝利する、と聖書は教えます。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」世の終わりを比ゆ的に語った「ヨハネ黙示録」には、世の終わりに人々は獣を拝むようになる、と書かれています。獣、というのも比ゆ的に何かをさしています。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」(13:4)そして拝もうとしないものを皆殺しにしたり、額と手に刻印を押し、それがなければ生活が困難になることを予言しています。(13章)しかし神の裁き、サタンの敗北、天からの使者による...善は勝つ
聖書にイエスの言葉として次のような箇所があります。「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。・・・(略)。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(神のこと)を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオン(500円くらい)で売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(マタイ10:26-31)聖書は苦しみや試練のみならず、迫害や死についても語ります。またこの世の生のみならず、この世を終えたあとに迎える第2の生(永...不滅の魂
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