〜光の宮殿〜【本文から続くコメンタリー】 では、真理とはなんだろうか――? あなたの本性とはなんだろうか――? 抽象的な表現ではなく、具体的な言葉で言うことは…
2025年3月
〜光の宮殿〜【本文から続くコメンタリー】 では、真理とはなんだろうか――? あなたの本性とはなんだろうか――? 抽象的な表現ではなく、具体的な言葉で言うことは…
12―光の宮殿王は、後継者を選ばなければならなかった。彼には三人の王子がいた。 どのようにして後継者を選んだらよいか、助言をもとめるため、ある日、王は聖者を訪…
2025年3月
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〜光の宮殿〜【本文から続くコメンタリー】 では、真理とはなんだろうか――? あなたの本性とはなんだろうか――? 抽象的な表現ではなく、具体的な言葉で言うことは…
12―光の宮殿王は、後継者を選ばなければならなかった。彼には三人の王子がいた。 どのようにして後継者を選んだらよいか、助言をもとめるため、ある日、王は聖者を訪…
【コメンタリー】 これは、「ネティ、ネティ」と呼ばれる有名なヴェーダンタの技法について、語っている話である。 その技法とは、真理に到達するまで、識別できるもの…
若い娘の夫が、友人たちと一緒に妻の実家を訪れてきた。 娘とその友達が窓越しに彼らを見ていた。娘の友達は、だれが娘の夫なのかまだ知らなかった。彼女は、若者たちの…
(前項から続き)真実の姿は、ときに寓話という形によって、なによりも明せきに描写されることがある。この物語りはまさにその真髄をつくもので、最高傑作のひとつであろ…
羊飼いは、毎日羊の群れをつれて、森や草原を歩きまわっていた。 あるとき、川辺で羊たちに水を飲ませていると、薮のかげから小さな動物の鳴き声が聞こえてきた。 不審…
(前編からの続き)この話は、だれもが子供のときに、どこかで聞いたことがあるはずだ。私が小学生のころには「道徳」という授業があったので、そんなところで聞かされそ…
町に盲学校があった。 あるとき、子供たちを森にピクニックに連れていった。昼ご飯を食べて、皆おもいおもいに休んでいると、そこに象と象使いが通りかかった。 先生は…
(前編から続く) 最近、友人にすすめられて「アルケミスト」という本を読んだ。 それは、羊飼いの若者が、夢のおつげを信じて、スペインからエジプトまで宝をさがしに…
イエケルの息子エイシクが夢をみた。 それは、プラハ王宮の橋のたもとに宝物が埋まっている、という夢だった。 同じ夢をつづけて何回も見たので、彼はプラハへの旅にで…
(前回から続く)師は探求者の用意ができていないのを見て、体験をつみかさねる旅にいざなう。 そして、その旅は世界をひとまわりして、またスタート地点に戻ったところ…
ひとりの男が偉大な聖者にたずねた。 「私は裕福で世間的には問題ないのですが、どうしても心が落ち着きません。心の平安を見つけて、幸せを得たいのですが、それにはど…
(前項の続き) 師を見つけるのはむずかしい。 それにはいくつかの理由がある。 第一に、ほんとうの師の数が少ないことだ。 目覚めた人が少ないというわけではない。…
ひとりの若者が、師を見いだすための旅に出た。行く先々でいろいろな人や場所を訪れてみたが、「これこそ私の師だ!」という人には出会わなかった。あるとき、彼は歩き疲…
(前ストーリーからの続き) 森のなかには宝がある。だが、それを手に入れるためには、森のなかに入っていかなければならない。森の奥深くに入ることは危険でもある。コ…
あるところに、年老いたきこりがいた。毎日森に行って、まきを集め、それを市場(バザール)で売って生活していた。彼は貧しかった。身体も弱くなり、それほど多くのまき…
(前編からの続き) イスラム教のなかにス-フィ-と呼ばれる人々がいる。 彼らはイスラム教のなかにあって、しかもある意味、それをはるかに超えている。 彼らは非常…
ス-フィ-の師に弟子がたずねた。 「どうすれば神に出会うことができますか――?」 「機会がきたら教えよう」と師は言った。 しばらくたったある日、二人は湖畔を歩…
瞑想というと、ふつう日本では坐禅を組むという姿を思いうかべますが、実際にはそれだけが瞑想のやり方ではありません。世界中には、多くの異なった瞑想の技法があります…
瞑想の体験がある、と誰かが言うときには、ふたつの意味合いが考えられます。 ひとつは、瞑想した体験をもっている、という場合。瞑想したことがある人は、ある意味では…
(前編からの続き)この話は、だれもが子供のときに、どこかで聞いたことがあるはずだ。私が小学生のころには「道徳」という授業があったので、そんなところで聞かされそ…
町に盲学校があった。 あるとき、子供たちを森にピクニックに連れていった。昼ご飯を食べて、皆おもいおもいに休んでいると、そこに象と象使いが通りかかった。 先生は…
(前編から続く) 最近、友人にすすめられて「アルケミスト」という本を読んだ。 それは、羊飼いの若者が、夢のおつげを信じて、スペインからエジプトまで宝をさがしに…
イエケルの息子エイシクが夢をみた。 それは、プラハ王宮の橋のたもとに宝物が埋まっている、という夢だった。 同じ夢をつづけて何回も見たので、彼はプラハへの旅にで…
(前回から続く)師は探求者の用意ができていないのを見て、体験をつみかさねる旅にいざなう。 そして、その旅は世界をひとまわりして、またスタート地点に戻ったところ…
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(前項の続き) 師を見つけるのはむずかしい。 それにはいくつかの理由がある。 第一に、ほんとうの師の数が少ないことだ。 目覚めた人が少ないというわけではない。…
ひとりの若者が、師を見いだすための旅に出た。行く先々でいろいろな人や場所を訪れてみたが、「これこそ私の師だ!」という人には出会わなかった。あるとき、彼は歩き疲…
(前ストーリーからの続き) 森のなかには宝がある。だが、それを手に入れるためには、森のなかに入っていかなければならない。森の奥深くに入ることは危険でもある。コ…
あるところに、年老いたきこりがいた。毎日森に行って、まきを集め、それを市場(バザール)で売って生活していた。彼は貧しかった。身体も弱くなり、それほど多くのまき…
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ス-フィ-の師に弟子がたずねた。 「どうすれば神に出会うことができますか――?」 「機会がきたら教えよう」と師は言った。 しばらくたったある日、二人は湖畔を歩…
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瞑想の方法は無数に存在しますが、どんな瞑想でもその核にはかならず「観照」という質が入っています。「気づいている」、「意識している」という質です。どんな瞑想でも…
インド・スピリチャル物語(3- 1 )〜 海を知る 〜(前話から続く) これは真理を探し求める旅の話である。 生まれたときから海のなかに住んで、その外に出たこ…
海を知る 海の聖者が魚たちに説法していた。 「我々は海によって生かされている。その海とはなにか、知らなければならない。それを知ったときはじめて、真のよろこびを…
ビパッサナ瞑想 ヴィパッサナ瞑想は、現在世界中でもっとも広く行われている瞑想法だといえます。ヴィパッサナ(vipassana)とはサンスクリット語で、ものごと…
願いがかなえられる樹(前回からの続き)この世はカルマヴィラクシャ――思いをかなえる樹――だ。なにごとも思ったことはかなえられる。 かなえられていないとしたら、…
2.願いがかなえられる樹 荒涼とした砂漠地帯を、男が旅していた。まわりには木もなく、人もいなかった。朝早く宿をたち、昼がすぎるころには、もうへとへとに疲れきっ…