住所
出身
ハンドル名
yuriさん
ブログタイトル
峰野裕二郎ブログ
ブログURL
https://blog.goo.ne.jp/yuriko1950/
ブログ紹介文
夫婦・親子・家族、コミュニティー、教育、将棋等について、日々の暮らしの中で感じたことを記しています。
自由文
最近、私の暮らす長崎県佐々町まで西九州自動車道が延伸されました。 「佐々千年桜の里」を目指す佐々町は、清流・佐々川流域に広がる人口1万3千5百人前後の美しい町です。 どうぞ、お出かけくださいませ。
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教育ブログ / 教育論・教育問題

家族ブログ / 仲良し家族

地域生活(街) 九州ブログ / 長崎 その他の街情報

更新頻度(1年)

43回 / 328日(平均0.9回/週)

ブログ村参加:2011/10/06

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yuriさんのブログ記事

  • 感性を刺激されて

    加賀美の家での2日目の朝、目を覚ますと、驚くことに女房どのが庭を散策しているではないか。これまで、デパートの中を歩きまわっている彼女の姿を想像できても、自然の中に身を置く彼女の姿は想像できなかった。そんな人が早朝、うっとりとした様子で草木を愛でながら歩いているのだ。意外だった。いわゆるシティ派の女房どののハートさえ、がっちりつかむ加賀美の家の庭、それほど魅力的なのだ。教育には環境からの感化が大きいと言われるが、人間の暮らしぶりそのものが環境に感化されるところ大なのだろう。何処に何があるのか、少しずつ家の周囲の状況も把握していこうと、この日は先ず自宅から山手の方に向けて4㎞程の所にある「八塔寺ふるさと村」を訪ねた。その後、和気町へ買い物にいったのだが、夕食はバーベキューにしようかと女房どのが言い出したのには、これ...感性を刺激されて

  • 移住 初めての夜

    先月の28日、Sさんご夫妻、不動産屋担当者Iさん他数名、司法書士、それに私たち夫婦がそろい、和やかに最終的な決済を行うことが出来た。ご事情があって愛知に戻られるSさんご夫妻は、この日最後の荷物をワンボックス車に詰込み加賀美を発たれた。電気・水道・ガスを名義変更したまま継続して使用できるよう手配してもらっていたことから、取り敢えずその日から3日間、入れ代わり私たち夫婦は加賀美で過ごすことにした。加賀美の家で最も楽しみにしていたのが薪風呂だった。先ずは薪割りに挑戦。斧を振り上げ輪切りにしてある丸太を目指すが、なかなか芯を捉えることが出来ない。入浴1回分くらいはバケツ一杯の薪があれば十分だと聞いていたが、面白くて止められず、3,4日分の薪が準備できるほど斧を振るい続けた。風呂を焚きつけるのも面白い。中学生の頃まで五右...移住初めての夜

  • 女房どのの決断

    吉永町加賀美の「別天地」からの帰途の新幹線の車中、ほっと胸をなでおろしつつ、缶ビール片手に岡山名物駅弁「桃太郎の祭りずし」に舌鼓を打っていた。そこがいかに素晴らしい所であったとしても、さすがに独断はためらわれた。優先権が保証されたわけではなかったが、女房どのの意向を確かめた上で返事をするということでIさんに了承いただいたのだ。実のところ、その時点では女房どのが気に入るかどうかは否定的に感じていた。なにせ「ぽつんと一軒家」まではいかないものの、街中でもなければ集落の中ですらない一軒家である。近くにコンビニはおろか商店もない。買い物に行くには車で15分はかかる。そもそも、女房どのは自然が好きなわけでもなく、虫を見れば、きゃあと悲鳴を上げる方だ。どちらかと言えば不便な田舎暮らしより、便利な都会暮らしを望んでいるに違い...女房どのの決断

  • 不思議な縁

    「峰野さんにぴったりの物件が出ました」突然の彼からの電話だった。それは、HPに掲載される前の「他の不動産屋」に入りたてのホットな情報だった。彼曰く、HPに掲載されたら、たちまち売れる程の良い物件で、既に他の営業マンも客に情報を流しているので早く物件を見てもらいたいとのことだった。返事を保留し、電話を切った後で女房どのに電話の内容を伝えると、すぐ行っておいでよと即答だった。早速、彼に見に行く旨の電話を入れ、取り敢えず私1人で出かけることになった。良かったらどうする?と女房どのに聞くと、決めてきたらと、いとも事も無げに言うではないか。高速バスで博多へ出て、新幹線で岡山駅へ。そこから山陽線に乗り換え、彼との待ち合わせの吉永駅まで。吉永駅が近づくにつれ「良かったら、どうしよう」との思いが次第に募ってきた。良かったら、購...不思議な縁

  • 運命の出会い

    徳島を発つ直前に「他の不動産屋」に電話を入れ、待ち合わせの時刻を決め、明石海峡大橋経由で待ち合わせ場所・赤穂市の古民家を目指した。国道2号線を西へ、たつの市、相生市とまたぎ、赤穂市に入り、有年駅前の交差点を左折し、うねうねと続く山道を登り下った所の集落の一角にその古民家はあった。しかし、それは残念なことにHPに掲載されている写真とは全く異なる佇まいだった。待ち合わせの時刻より1時間近く早く着いたこともあり、キャンセルして家路を急ぐことにして担当者に電話を入れると、よければそこから遠くない場所の物件を見ないかと誘われ、それではと応じた。すると、自分は行けないので、他の社員をよこすがそれでもいいかと問う。異存がないことを伝え、待ち合わせのたつの市へと向かった。待ち合わせの場所に現れた営業マンは若い男性だった。好感の...運命の出会い

  • 思わぬ展開

    自然に寄り添った暮らしをしたいとの目標を立て、それに沿って備前市吉永町の古民家を探し出したいうのは、よくよく考えてみると思い違いだった。あの古民家と出会ったことにより、心の中の此処かで望んでいたように思われる生き方がはっきりしてきたというのが正しい。吉永町の古民家にたどり着くまで、都合5回に渡り、岡山県内の古民家十数件を見て回った。事前に不動産屋のHPに掲載されている物件情報を閲覧し、気になるものを選び出し、不動産屋と連絡を取り、日時と待ち合わせ場所を決めるという手順を踏んで出かけていた。実は、4回目まで同じ不動産屋の同じ営業の方にお世話になっていたのだが、いずれの物件も帯に短し襷に長しで、しっくりこないのだ。4回目の最後の物件を見終わった時、その営業の方に峰野さんにご案内できる物件は、うちにはありませんと言わ...思わぬ展開

  • 生活と自然との一体化への憧憬

    古民家に興味を覚え、ネットで検索しているうちに、往時の人々の暮らし振りを思うに至った。ネット上で見かける売り物件の古民家はかつて農家だったところが多い。土地を耕し作物を栽培する農業は自然と共にある。特に、かつての農家の生活は自然と一体となってあったのだろう。現地で物件を直接見て、確かめることを重ねるにつれ、自ずからそう思えるようになった。そうして、自然に寄り添い、生きるために一日を送る生活への憧れが次第に膨らんでいった。食物を得るために土を耕し、作物を栽培し、果樹を育てる。暖を取るため、また、一日の作業の疲れを癒すために薪割りを行い、お湯を沸かす。炭を作り、蜜蜂を飼う。気持ちよく暮らすために草狩りに励み、花を育てる。そんな風に、暮らしを立てるために日中の活動のすべてがあるような生活をしたい。徐々にその思いは強く...生活と自然との一体化への憧憬

  • 古民家に魅せられて

    振り返れば、彷徨うのが当然の5年間だった。目標を見失いそうになるのも無理なかった。いや、そもそも明確な目標など無かったのだ。佐々町で十二分に一つの人生を演じ切ったと感じた時、その先に待ち構えている残りの人生がつまらなく思えた。そこで、住み替えを考えるようになったのだが、とにかく、此処ではない所で新たな暮らしを一から始めたいという一心からだったように思う。そんなことから、当初は海が見える場所を求めて、川棚町から大村市にかけて、大村湾沿いにずいぶんと車を走らせた。やがて、無垢材や漆喰など自然素材からなる家屋に惹かれるようになり、各地で催されるオープンハウスによく出かけた。そんな中、古民家をリノベーションしたと或る物件のオープンハウスで古民家の佇まいに魅せられることとなった。古民家に魅せられて

  • たどり着く

    何処かに住み替えることを考え始めてからおよそ5年、先々月の20日に不動産売買の契約を交わし、先月28日に決済。無事、家屋の受け渡しを完了した。移住先は岡山県備前市吉永町の山手で、およそ千坪の敷地に建つフルリノベーションされ、きれいに使われている古民家と、よく手入れされた庭とが女房どのと私の新しい舞台となる。ここにたどり着くのは定まっていたのが今となっては分かるが、約5年間、ずいぶんと彷徨った。結局、新しい舞台を見つけられないままずるずる佐々で過ごすのだろうな等と諦めかけた時もあった。一体、何をやっているのか目標を見失いそうになる時もあった。そんな中「晴れの国おかやま」と出会ったのは、たまたま女房どのがネットで古民家を検索したことからだった。岡山県の不動産情報サイトには古民家物件が数多く掲載されており、立派な蔵が...たどり着く

  • 移住 プロローグ

    女房どのと結婚してこの町で暮らし始めた。間もなくこの地に家を建て、子供たちの赤ん坊から中学生までの時期、妻や子供たちと共に営む家族のダイナミズムと醍醐味を満喫した。やがて子供たちは育ち、高校入学と共に3人は次々と家を出て行った。その後、彼女たちは大学・大学院へと進学、そして就職。ほどなく、長女と次女は結婚をし、幸いにも子宝に恵まれた。2人は、私たち夫婦の下を巣立ち、新たにそれぞれの家族を持った。三女もいつの日かそうなるだろう。私たち夫婦は、力を合わせ、子供たちの自立への手伝いをしながら、女房どのは小学校の教員を務めあげ、私は私塾を営みながら地域社会で応分の役割を務めあげた。この町を舞台にして、やり残したことは一つもないと言えるほど、私たち夫婦は十二分に一つの人生を演じきった。そう感じた時、自然と住み替えることを...移住プロローグ

  • 私の在り方を問う

    2年程前、町内会長のOB会を立ち上げようと連合会の副会長を務めてくれていた高校時代の同級生・藤田くんと相談し、先ずは6人の賛同者を得て発起人会を開いた。町内会長時代、連合会や公民館連絡協議会の席上、町づくりを行政や議会だけに任せ、ただただ文句を言うだけの存在から脱し、町民自らが主体的に町づくりに関わっていくことの意義を、ずいぶんと訴えてきたつもりでいた。当然、この発起人会の席上でもそのことを訴え、会設立の趣旨にそれを盛り込むよう提案した。だが、残念ながら6人のみなさんから賛意をいただくことができなかった。ただの飲み会でいいではないかという訳である。一切の決め事も作らず、ただ世話役を藤田くんと私にやってほしいとのことだった。その時は、みなさんがそう仰るなら単なる親睦会でもいいかと世話役を引き受け、後は酒を酌み交わ...私の在り方を問う

  • 家族の成長

    2人の天使の授業参観に出席するため長女家族の下を訪ねたのだったが、図らずも絵理子さんの大変さを目の当たりにすることとなった。先週水曜日が授業参観日ということだったのでその前日に訪ねた。夕方5時半ごろ着くと彩理さんと結理さんが迎えてくれた。いつもならば、放課後を学童保育所で過ごし、6時前後に迎えに来る絵理子さんと共に帰宅するところを、この日は私がもう少し早く着くだろうからと姉妹で帰宅していた。そのように言われているのだろう2人はすでにシャワーを浴び、学校の宿題に取り掛かっているところだった。保育園に寄り、悠月さんを連れて6時半ごろ絵理子さんが帰って来た。帰宅して、すぐに悠月さんを入浴させ、手早く洗濯や掃除を済ませ、子供たちに夕食をとらせると間もなく8時、子供たちの就寝の時刻だ。悠月さんを寝せつけるため絵理子さんは...家族の成長

  • 頑張りどころ

    進学や就職を始め、家族の成長に連れて、その暮らしぶりが一変する。どの家族にもあることだろうが、今、長女の家族がそれに直面している。三女を出産するため産休から育休に入っていた絵理子さんは、三女・悠月さんが2歳になるのを機にこの春から職場に復帰した。それに伴い、悠月さんは保育園に通うこととなった。いや、悠月さんにしてみれば、お母さんと離れて過ごすのは不本意に違いないから、正確には保育園に通わせられることとなったと言うべきだろう。未だに登園時、お母さんと離れる際は泣くという。悠月さんも辛いが、お母さんもまた辛い。絵理子さんは、新たな部署での仕事をこなすのに懸命のようだ。そして、悠月さんも新たな環境で幼子なりに懸命に気持ちに折り合いをつけている。次女の結理さんは、この春、小学校に入学した。やはり、学校生活という新しい環...頑張りどころ

  • 我が家の愛車遍歴最新事情 その6 風になる瞬間

    1人で出かけるときはもちろんだが、女房どのと2人で近場に出かける際も大抵ウインドを用いた。冬場にルーフを開け放して走るのが好きだった。冷え込みが厳しい日でも足元に暖気を当てていれば、セーターの上からジャンパーをまとうくらいで十分だった。用もないのに無性にオープンにして車を走らせたい衝動に駆られ、女房どのが買い物に出かけるのに合わせ、1人で気の向くままドライブすることもあった。昨年12月にタイヤを新しいのに交換し、今年1月に車検を受けたばかりだった。だが、あることから思い立ってウインドを手放すことにした。これまでのどの車もそうだったように、手放す前日、ウインドをピカピカに磨き上げた。車内も埃1つ無いよう掃除した。今、ウインドはアルベグランデの展示場で再び新しい人との出会いを待っている。我が家の愛車遍歴最新事情その6風になる瞬間

  • 我が家の愛車遍歴最新事情 その5 フレンチオープン

    私の愛車遍歴の始まりは24歳の時だった。最初に手に入れた車はフォルクスワーゲン・ビートル、設計は20世紀最高の自動車設計者と評されるフェルディナント・ポルシェ。その独特のフォルムに、目にも鮮やかなオレンジ色の車体、やはり一目惚れだった。次に求めたのが発売したてのフォルクスワーゲン・初代ゴルフD(ディーゼル)、ジウジアーロによるスタイリングでレモンイエローの車体だった。たまたまドイツ車と巡り合い、知らず知らずらずそれを乗り継いでいた。やがて時は流れ、子供たちが自立し、再び単純に好きな車に乗ろう思った時、イタリア車に惹かれた。ルノー・ウインドと出会ったちょうどその頃、コペンの車検が間近に迫っていた。出会いはタイミングだ。「ルノー・ウインドベースグレード」、1,6Lの5速マニュアル。左ハンドルでオープン2シーター。ボ...我が家の愛車遍歴最新事情その5フレンチオープン

  • 我が家の愛車遍歴最新事情 その4 スウェディッシュ・セダン

    くるみさんが就職する際、車が要るというので私が車選びのアドバイスをした。そこで薦めたのがヨーロッパ車のコンディションのいい中古車。ネットで探しているうちに福岡市の「アルベグランデ」という代表自ら仰る「コテコテのヨーロッパ車」を扱う中古車販売店に出くわした。当時、そこに掲載されていたラインナップの中から1,6Lのオートマ6速、ボディーカラーはパッションレッド、シートはソフトベージュの本革仕様。スタイリッシュなクーペフォルムも含め、全てがくるみさんにぴったりの1台だと感じた「ボルボS60T4」を薦めた。くるみさんと私は趣味趣向が似通っている。彼女も気に入り、すんなりと私の提案を受け入れてくれた。今も大切に乗っているようだ。ボルボS60は別に、気になった車があった。それが「ルノー・ウインド」だった。我が家の愛車遍歴最新事情その4スウェディッシュ・セダン

  • 我が家の愛車遍歴最新事情 その3 少年の夢

    こうしてコペンとも運命的な出会いをしてしまったのだった。直ぐに購入を決意したが、Kさんが正月の方が色々と特典が付くからと言うので年が明けるのを待って求めた。ダイハツコペンアクティブトップ(2002年6月~2012年8月生産モデル)、660ccのマニュアルモード付4速オートマ。美しいデザインのオープン2シーターで電動開閉式ルーフ、決して広くはないがラゲッジルームもある。さすがにキャディバッグは入らなかったが、助手席にちゃんと収まった。ロングドライブや高速道はアルファロメオに任せ、毎日のようにコペンで街中を走った。少年の頃からの憧れのオープンカー、それは遠い夢のままで終わるはずだった。ルーフを開け放ち、季節を感じながら車を走らせている瞬間、私は正に夢の中にいた。我が家の愛車遍歴最新事情その3少年の夢

  • 我が家の愛車遍歴最新事情 その2 オープン2シーター

    あれは、数年前の年の瀬の夕方のことだった。何の用だったかまでは記憶にないのだが、女房どのと2人佐世保市方面へ向け車を走らせていた。吉岡町のダイハツの店に差し掛かった時、女房どのが「あのコペンの色いいね」と声を上げた。その車は、国道沿いにあるダイハツ吉岡店の中古車展示場の最も目立つスペースに展示されていた。私の好む濃いグリーンの車体が目を引いた。市内での用件を済ませての帰り道、辺りは既に薄暗くなってきていたが、とりあえずその店に寄ることにした。ほとんどの従業員の方々は退社されている様子だったが、後に色々とお世話になるKさんが嫌な顔ひとつせず応接してくれた。いつしか、すっかり夜のとばりが落ちる頃となっていたのでちょっと見て、出直すつもりでいたが、Kさんが熱心に試乗するよう勧めるので、それではと応じることにした。是非...我が家の愛車遍歴最新事情その2オープン2シーター

  • 我が家の愛車遍歴最新事情 その1

    我が家は現在、女房どのと私の2人暮らし。なのに車を3台所有していた。3人の子供たちがそれぞれ自立し、残りの時間が少なくなってきているのを意識するようになった時、運転できるうちに好きな車に乗ろうと思ったことからだ。結婚して以来、ずっと軽自動車に乗っていた女房どのは普通車を希望した。そうして、手に入れたのがアルファロメオ・ミト・イモラ。ネットで見つけ、北九州市まで出かけて求めた。アルファロメオブランド「ミト」の150台限定車「アルファロメオミト"イモラ”リミティッドエディション」、すなわちミト・イモラは、1,4Lターボエンジン搭載の6速マニュアル、3ドアハッチバックでボディーカラーは限定車専用独自のコルサイエロー(「コルサ」はイタリア語で「疾走」)、シートは黒の本革仕様、イモラ専用の18インチアルミホイールを装備し...我が家の愛車遍歴最新事情その1

  • 明日に輝け

    深浦康市九段のお弟子さんの1人に北海道出身の斎藤優希・奨励会三段がいる。現在22歳だから佐々木大地五段より1歳年下となる。優希くんと大地くんの2人は、奨励会の初段から二段にかけてしばらく競る時期があった。しかし、大地くんはそこから見事に抜け出し、晴れてプロ棋士となり、現在の活躍がある。一方、優希くんは足踏みが長く続いた。だが、それでも優希くんは歯を食いしばり精進したのだろう。プロ棋士になる一歩手前の所まで、なんとかたどり着くことが出来た。優希くんがプロ棋士になる一歩手前の三段リーグ入りを果たしたのは第63回リーグ戦だった。半年かけて戦われるそのリーグ戦で優希くんは、初戦で勝利した勢いのまま5連勝という快進撃を見せた。6戦目で1敗したものの、その後再び2連勝。この時点で7勝1敗のトップタイに躍り出ていた。初段、二...明日に輝け

  • 師弟同行

    NHK杯将棋トーナメント1回戦第4局、佐々木大地五段VS畠山鎮七段戦が先の日曜日にテレビ放映された。結果は、大地五段が畠山玉を鮮やかに即詰みに討ち取り、見事初戦を突破した。解説に当たっておられたのが大地五段の師匠である深浦康市九段、この日、深浦さんはたいそうご機嫌の様子だった。棋士にとって全国放送のNHK杯出場は晴れの舞台に違いない。厳しい奨励会を這い上がり、厳しい予選を勝ち抜き、ようやっと出場できる晴れ舞台、その道のりが並大抵でないことは誰よりも師匠が分かっている。入門を許した頃のまだ幼かった少年がB級1組の歴戦の猛者と今、その晴れの舞台で戦っているのだ。深浦さんの心情、察するに余りある。解説中、深浦さんは大地五段を指して、師弟の関係であることを踏まえられてのことだろう「佐々木」と呼び捨てにしておられた。とこ...師弟同行

  • 結婚記念日

    昨日も書いたが、5月1日は私と女房どのの結婚記念日である。朝一番に女房どのから「結婚記念日、おめでとう。」と言われ「おめでとう。」と私も返した。「令和」が始まる特別なこの日に婚姻届けを提出しようと考える人たちが少なからずいたようで、役所の中でので彼らの様子がテレビ画面に映し出されていた。これから始まる彼らの夫婦人生が幸多からんことを祈る。結婚記念日

  • 移り行く時代と共に

    きょう4月30日をもって平成の時代が終わり、明日5月1日から新しく令和の時代が始まる。新聞もテレビもこのところ皇室、及び元号に関する話題で持ちきりだ。奇しくも5月1日は私と女房どのの結婚記念日だ。私たち夫婦も令和の時代と共に新しい一歩を踏み出そうとしている。ところで、最大10連休にもなる今年のゴールデンウィーク、観光地はどこも賑わいを見せているようだ。私と女房どのにとっては毎日がゴールデンウィークのようなものだから、この10日間、特別な予定はない。年をとるのも悪くない。このフレーズ、何度か使っているように思うが、掛け値なしにそう思っている。現役真っ盛りの子供たちは、それぞれのゴールデンウィークを過ごしているようだ。絵理子さん家族は、きょうボルダリングを楽しんだらしい。有紀さん家族は、来遊しておられる和也くんのご...移り行く時代と共に

  • 糸葉さんの心の動き

    きょう、有紀さんの仕事が入っていたので、女房どのは一昨日、2泊3日で福岡へ応援に出かけた。2日目の昼時になり、食事をしようと女房どのの作り置きのおかず2品を冷蔵庫から取り出す。どちらもタッパーに入っている。1品はどうやらレンジで温める必要がありそうだ。かろうじて、レンジの使い方は分かるが、タッパーのままレンジで温めていいのかそうでなのかが分からない。早速、女房どのにラインのビデオ通話で尋ねた。その他、ご飯がどこにあるのかも。おばちゃんと留守番している糸葉さんとも言葉を交わしていたのだが、唐突に「おじいちゃん、寂しくない?」と聞いてくるではないか。糸葉さんは、きょう3回目の誕生日を迎えた。人の心情は3歳にもなるとそこまで育つものなのだ。「おばあちゃんを早く返して」と答えておいた。糸葉さんの心の動き

  • 糸葉さんとお父さん

    有紀さんは、糸葉さんにあまり手がかからなくなってきた状況で、恩師から仕事の打診を受けた。早速、この4月から働き始めている。そんな中、21日の日曜日は心理臨床家として必要なスーパービジョンを受けるためスーパバイザー(指導者)のお宅を訪ねたそうだ。スーパービジョンとは心理臨床家の専門性の維持・向上のために行われるもので、指導を受ける者が自身のケースを報告し、それを見直したり、今後の進め方を検討したり、さらには心理臨床家自身の自己点検のために行われるもののようだ。指導を受ける者自身がそれにかかる費用を支払う。今後、それを月1回のペースで受けるという。また、臨床心理士には一定の研修を条件に5年毎に資格を更新する義務があるそうで、有紀さんも確か年に2度ほど全国各地で行われる研修会に参加している。そんなとき、糸葉さんはお父...糸葉さんとお父さん

  • こんなはずじゃなかったのに

    一昨日、午前10時から佐々町将棋同好会の総会が公民館の集会室で開かれた。佐々町将棋同好会は2013年3月に発足した。行き掛かり上、会長役を引き受けたのだったが、その後も、何もしなくていいから「会長」でいてくれとのみなさんの言葉に抗うことができず、ずるずるとその役割を引き受けてきた。しかし、町内会規約を変更してまで長く続けてしまった町内会長役を、このままでは町内会の為にも会員のみなさんの為にもならないと、当時の役員のみなさんを半ば強引に説得し、辞めさせていただいたことを契機に、地域での全ての役割を辞めようと決意した。そうして昨年、県アマチュアボクシング連盟の役員を辞し、将棋同好会の方も、昨年夏の納涼会の席で酒の力を借り、みなさんに辞意を表明し、了解していただいていた。総会当日、午前10時に集会所に入ると、それまで...こんなはずじゃなかったのに

  • 新たなライフステージへと

    30年ほど前、現在住んでいるこの地に居を構えた。中学生までこの家で育った我が家の子供たち3人は、高校入学と同時に家を出て寮生活を送った。その後、そこから県外の大学、あるいは大学院に進学し、就職したり結婚した。一番下のくるみさんが大学院に進んだ頃から、住み替え、さらには移住について夫婦で考えるようになった。きっかけは子供たちが成長し、こちらへ戻って来て暮らすという選択肢がほぼなくなったことからだった。また、長く務めてきた地域での役割を後任にバトンタッチできたことからくる達成感がその思いに輪をかけた。このようにして、新しい人生を新しい舞台で演じてみたいという思いは日ごとに増していき、その思いは行動へと繋がっていった。これまでずいぶんとあちらこちらへと出かけたものだ。女房どのがネットで見かけたことからこのところ岡山・...新たなライフステージへと

  • 「パパ」「ママ」と「じいじ」「ばあば」

    間もなく3歳を迎える糸葉さんだが、2歳を過ぎていろんな言葉を発するようになった頃、有紀さんのことを時々「ママ」と呼ぶ時期があった。私と女房どのは我が家の子供たちに「おとうさん」「おかあさん」と呼んでもらっていたし、絵理子さん家族のところも同様だ。糸葉さんも、最初「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいたので有紀さんにその訳を尋ねると、糸葉さん周りの同年齢の子供たちのほとんどが「ママ」と呼ぶのでそれを真似てつい「ママ」と言ってしまうようであり、最近の絵本の中の子供も、多くが「ママ」らしく、その影響もあるのだろうとのことだった。そういえば近所の子供たちも、みんな「ママ」と言っているし、テレビの画面の中でも子供たちは大方「ママ」だ。有紀さんは、お母さんと呼んでもらいたいらしく「ママ」と呼ばれる都度「おかあさんでしょう」...「パパ」「ママ」と「じいじ」「ばあば」

  • 私のせい

    先日、糸葉さんらと近所の公園の桜を見に行った帰り道、高校時代の友人だったY君宅の駐車場前で彼にばったり出会った。ふたことみこと言葉を交わしての別れしな、町内会長を辞めるタイミングで町議選に出るものだとばかり思っていたよと彼が言った。2年前の3月、12年間務めてきた町内会長の役割を後任に引き継ぐことができた。ちょうどその年の6月に町長選と町議選が行われたのだが、会う人会う人にY君と同様のことを言われたものだ。町長選に担ぐからとまで言ってくれる人もいた。火の無いところに煙は立たぬと言われるが、そうとばかりは限らないことを身をもって知った。縁あって、町内会長から町内会連合会の会長などの役割りを担った。しかし、もともと私は、そのような柄ではない。いわんや、町議とか町長などの役割に興味もなければ野心もない。何より能力がな...私のせい

  • 裕理子さん、お父さんだよ

    昨日4月12日は本来、次女である裕理子(ゆりこ)さんの命日だった。昭和の最後の年の11月3日に誕生した私によく似た女の子に私は、私の名前の一文字「裕」と、意味も音の響きも好きな「理」を組み合わせて「裕理子」と名付けた。その愛しい裕理子さんが預け始めたばかりの託児所で亡くなった。死因は、乳幼児突然死症候群ということだった。わずか162日の短い生涯だった。知らせを受け、当時勤めていた仕事先から託児所へ車を走らせた時の、かつて経験したことのない、そしてその後も経験することのない例えようのない心の動きを今でもはっきりと覚えている。女房どのは、しばらく泣き暮らす日々を過ごした。私たち夫婦は一時、危機に瀕した。それでもそれを乗り越えた。というより乗り越えなければならなかった。その時、私たち夫婦は子供を失うというこれ以上ない...裕理子さん、お父さんだよ