静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
古墳時代後期から終末期(6~7世紀頃)の円墳18基・方墳1基 小鹿古墳群 (静岡県静岡市駿河区小鹿)
静岡県静岡市駿河区小鹿(おしか)の小鹿古墳群(おしかこふんぐん)は、古墳時代後期から古墳時代終末期(6世紀中葉頃~7世紀頃)の築造と考えられる円墳18基・方墳1基で構成。静岡大学北側の南向き斜面(東西約550mの範囲)に分布していましたが、大半は開発と茶園の開墾などで消
丘陵に単独で築かれた円墳? ネット初公開 南沼上諏訪神社古墳 (静岡県静岡市葵区南沼上994)
静岡県静岡市葵区南沼上(みなみぬまがみ)の南沼上諏訪神社古墳(みなみぬまがみすわじんじゃこふん)は、龍に変身して河童(かっぱ)を退治した伝説の「沼の婆さん」が祀られた南沼上諏訪神社境内にあります。円墳らしき墳丘に、社殿が建てられた古墳です。南沼上諏訪神社古墳
今川義忠家臣 右近将監の夫人が創建した尼寺の大陽山 昌隆寺跡? 竜源寺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野中西)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の竜源寺跡(りゅうげんじあと)は、戦国時代(室町時代)の尼寺 大陽山 昌隆寺跡だと推定されています。菊川市(旧小笠郡小笠町)の曹洞宗 磯部山 正林寺に伝わる『大樹の蔭』に、「上の原に一刹を建立す、大陽山 竜源寺是なり」と
静岡県最大(全長112m)の前方後円墳? 下山古墳 (静岡県掛川市上西郷方の橋)
静岡県掛川市上西郷(かみさいごう)の下山古墳(しもやまこふん)は、明治43年(1910年)頃に土器が出土し前方後円墳だと考えられました。静岡県内最大(全長112m)の古墳だとする説もありますが、発掘調査が行われていないため詳細不明です。下山古墳
巨石の岩陰にお稲荷様を祀る 磐座信仰 巌室神社 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町1)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町(かなやしんまち)の巌室神社(いわむろじんじゃ)は、東海道金谷宿の氏神(うじかみ)です。鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(かなやまひこのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこ
太平洋戦争で掘られた防空壕 曹洞宗 宝珠山 盛岩院 (静岡県掛川市(旧小笠大東町)岩滑3983-2)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)岩滑(いわなめ)の曹洞宗 宝珠山 盛岩院(ほうしゅざん せいがんいん)には、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残存しています。境内南側の崖に掘られた防空壕は、縦長断面の通路を奥へ進むと、平面形がL字型になった爆風よけの構造
奈良時代 官衙跡(役所跡)または豪族の居館跡 県指定史跡 長者屋敷遺跡 (静岡県磐田市寺谷字長者屋敷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の県指定史跡 長者屋敷遺跡(ちょうじゃやしきいせき)は、磐田原台地(いわたはらだいち)の標高85~88m付近に所在する謎の遺跡です。飛鳥時代(古墳時代終末期)から奈良時代(7~8世紀)の、豪族(有力者)の居館跡(きょかんあと)または官衙跡(かんがあ
古墳時代中期(4~5世紀) 直径約60mの大型円墳 城之崎A古墳群 (静岡県磐田市城之崎1丁目 いずみ第2保育園の北)
静岡県磐田市城之崎(きのさき)の城之崎A古墳群(きのさきえーこふんぐん)は、円墳2基で構成されます。城之崎A2号墳(城之崎丸山古墳、城崎丸山古墳)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる直径約60m、高さ約6.5mの大型円墳です。昭和46年(1971年)の発掘
神社が鎮座する茶畑の中の円墳 浅間神社古墳(浅間社古墳) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字平芝)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の浅間神社古墳(せんげんじんじゃこふん)は、茶園の中にある直径約10mの円墳です。別名は浅間社古墳。墳丘には浅間神社が鎮座しており、須恵器が見つかっています。浅間神社古墳
古墳時代後期(6世紀後半) 横穴式石室から銅鏡が出土 方墳1基と円墳8基 佐渡山古墳群 (静岡県静岡市駿河区丸子)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の佐渡山古墳群(さわたりやまこふんぐん)は、佐渡山に分布していた方墳1基と円墳8基で構成。佐渡山2号墳(西之宮2号墳)は、古墳時代後期後半(6世紀後半)に築かれた28m×27mの方墳。主体部(埋葬施設)は、組合式箱形石棺(くみあわせしきはこが
古墳時代後期(6世紀)以降の円墳 八幡古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂97 若宮八幡宮)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の八幡古墳(はちまんこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳です。若宮八幡宮の境内に、墳丘が一部残存。八幡古墳からは、須恵器が出土しています。八幡古墳?
弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉時代の集落 中世の荘園 藤守遺跡 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守,上小杉ほか)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守(ふじもり)・上小杉(かみこすぎ)ほかの藤守遺跡(ふじもりいせき)は、駿河湾に面した大井川下流左岸の沖積微高地 志太(しだ)平野に立地し、東西約2.5㎞・南北約1㎞の範囲に広がっています。弥生時代、古墳時代末期(7世紀)~奈良時代(8世
平安時代 後白河天皇の勅使が自害した伝説 勅使塚 (静岡県袋井市豊沢2410-31)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
古墳時代後期の帆立貝式前方後円墳 市指定史跡 朝日神社古墳 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川1103-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)下平川(しもひらかわ)の市指定史跡 朝日神社古墳(あさひじんじゃこふん)は、古墳時代後期前葉(5世紀末頃~6世紀初め頃)に築かれた帆立貝式前方後円墳です。牛渕川の自然堤防上にある、朝日神社境内に単独で所在。全長約18.9m、後円部径約16.8m
田中城の裏門が移築された山門 浄土宗 光明山 悟真院 了善寺 (静岡県藤枝市天王町1-4-1)
静岡県藤枝市天王町(てんのうちょう)の浄土宗 光明山 悟真院 了善寺(こうみょうざん ごしんいん りょうぜんじ)は、室町時代(戦国時代)の文明18年(1486年)に遠江国見崎の海で引き揚げられた善導大師像を、この地に祀ったのが始まりです。江戸時代の天和2年(1682年)、14世霊
戦国時代 徳川家康の陣跡 旗指の権現森 (静岡県島田市旗指)
静岡県島田市旗指(はっさし)の史跡 権現森(ごんげんもり)は、徳川家康ゆかりの地です。 室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)12月、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)が今川氏真(いまがわ うじざね)の領国 駿河(静岡県中部)へ侵攻。今川氏領国のうち
田中城平島口の不浄門を移築した山門? 市指定天然記念物のクロマツ 曹洞宗 田中山 旭伝院(旭傳院) (静岡県焼津市保福島680)
静岡県焼津市保福島(ほふくじま)の曹洞宗 田中山 旭伝院(ぎょくでんいん)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正年間(1573~1592年)に曹洞宗 高草山 林叟院(焼津市坂本)8世 山齢宋潤が開創しました。本尊は、延命地蔵菩薩です。旭伝院の山門は、田中城平島口の不浄門を一部移築
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳2基 荒芝古墳群 (静岡県焼津市坂本字晝崩)
静岡県焼津市坂本(さかもと)の荒芝古墳群(あらしばこふんぐん)は、高草山(標高501m)中腹にある丘陵の尾根上に分布。古墳時代後期(6世紀)に築かれた、半地下式の横穴式石室を有する円墳2基で構成されています。昭和34年(1959年)、発掘調査を実施。出土遺物は、土器(須恵器)
古墳時代前期(4世紀後半頃) 長軸約50mの造出円墳 国指定史跡 御厨古墳群 秋葉山古墳 (静岡県磐田市新貝字子犬間添)
静岡県磐田市新貝(しんがい)の秋葉山古墳(あきはやまこふん)は、東海道本線北側の曹洞宗 三白山 連城寺の裏山に所在。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と推定される、円墳に壇状の突出部が付いた造出円墳(つくりだしえんふん)です。長軸約50m、短軸約46m、高さ約8mの規模で
室町時代 今川義忠の家臣 朝比奈泰熙が築城 徳川家康の本陣跡? 掛川古城 (静岡県掛川市掛川1104 龍華院子角山公園)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川古城(かけがわこじょう)は、室町時代の文明5年(1473年)頃に守護大名 今川義忠(いまがわ よしただ)の家臣 朝比奈泰熙(あさひな やすひろ)が築城したとされています。駿河今川家第6代当主 今川義忠は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560
短甲,冑,銅鏡が出土 古墳時代中期(4~5世紀)の円墳4基 安久路古墳群 (静岡県磐田市西貝塚字大山越)
静岡県磐田市西貝塚(にしかいづか)の安久路古墳群(あくろこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる円墳4基で構成。安久路丸山古墳(安久路丸山1号墳、安久路1号墳)は、直径約47mの円墳です。安久路2号墳は、葺石(ふきいし)を有する直径約26m
古墳時代中期(5世紀前半頃) 直径約36mの円墳 県指定史跡 土器塚古墳 (静岡県磐田市国府台(中泉(西新町)字八幡前))
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
三日三晩で築いた伝説 古墳時代中期(4~5世紀)の円墳 目隠山古墳 (静岡県磐田市鎌田)
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の目隠山古墳(めかくしやまこふん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)の築造と考えられる長軸約37m、短軸約31mの円墳です。兎山(うさぎやま)公園周辺の円墳7基で構成された、八王子古墳群(はちおうじこふんぐん)のうちのひとつに数えられま
丘陵上に築かれた円墳8基以上 南郷古墳群 (静岡県掛川市満水南郷)
静岡県掛川市満水(たまり)の南郷古墳群(なんごうこふんぐん)は、丘陵上に分布する円墳8基以上で構成されています。分布図にのっている8基以外にも、複数の小円墳らしき高まりがあります。もっと多くの古墳が、尾根に連なって築かれていたのかもしれません。南郷古墳群
大井川右岸の牧之原台地 縄文時代 沼伏神社遺跡 (静岡県島田市阪本沼伏)
静岡県島田市阪本(さかもと)の沼伏神社遺跡(ぬまぶしじんじゃいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地にある縄文時代の遺跡です。土器、石器(打製石斧(だせいせきふ)、石錘(せきすい)など)、石器の材料として使用した黒曜石(こくようせき)・頁岩(けつがん)などが見つか
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 本郷Ⅱ古墳群 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)内谷字立石,奥ノ田)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)内谷(うつたに)の本郷Ⅱ古墳群は、立石神社(たていしじんじゃ)周辺の円墳2基と、「山辺の道」(やまのべのみち)沿いの円墳2基で構成。立石神社周辺の円墳2基は、古墳時代後期(6世紀)以降に築造された横穴式石室を有する古墳です。本郷Ⅱ1
古墳時代(5世紀末~6世紀後半) 遠江最古級の須恵器,埴輪を焼いた窯 衛門坂古窯跡 (静岡県袋井市岡崎上区衛門坂)
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
須恵器,土師器,玉類,直刀,馬具,人の歯など出土品が市指定文化財 小堤山横穴群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津632-6 小堤山公園)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山横穴群(こづつみやまおうけつぐん)は、丘陵斜面に穴を掘って築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半(7
諏訪神社境内の円墳? ネット初公開 太田古墳 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の太田古墳(おおだこふん)は、諏訪神社境内に単独で所在しています。円墳だと思われますが、マイナー過ぎて詳細不明です。太田古墳
銅鏡,管玉,臼玉,鉄刀が出土した円墳 山王山古墳 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂「掛川市文化会館シオーネ」の西)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の山王山古墳(さんのうやまこふん)は、「掛川市文化会館シオーネ」西側の丘陵上に単独で築かれた円墳です。銅鏡、管玉(くだたま)、臼玉(うすだま)、鉄刀(てっとう)が出土しましたが、所在不明となっています。丘陵全体は、縄文
縄文時代中期(約4,000~5,000年前)・奈良時代(8世紀)の住居跡 鹿島遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済字西原 鹿島神社の東)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
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静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
静岡県掛川市各和(かくわ)の旗差古墳群は、古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられる円墳3基で構成されています。段丘上の旗差2号墳は削平され茶園になって消滅し、旗差1・3号墳が段丘端部の山林内に残存。旗差古墳群
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)高橋(たかはし)の県指定史跡 舟久保古墳(ふなくぼこふん)は、標高約73mの丘陵上に築かれた古墳時代中期(5世紀頃)の前方後円墳です。船窪古墳、船久保古墳と表記された文献もあります。墳長は約49m、後円部の直径約26m、後円部高さ約3.5m、前方
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)西方(にしかた)の掘田城跡(ほったじょうあと)は、曹洞宗 拈華山 正法寺(ねんげざん しょうぼうじ)西側の丘陵の細尾根に築かれた山城です。松下城跡とも呼ばれ、遺構(曲輪(くるわ)、土塁(どるい)、十数条の堀切(ほりきり))が確認できます。室町
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
静岡県島田市阪本(さかもと)の東照宮遺跡(とうしょうぐういせき)は、縄文,平安,鎌倉時代などの複合遺跡です。東洋最大の茶園が広がる、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在。茶園改植(茶樹の植え替え)に伴う発掘調査では、建物跡・柱穴(ちゅうけつ、はしらあな)などの遺
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西古墳群(こふかだにしこふんぐん)は、古墳時代前期前半(4世紀前半頃)の築造と考えられる方墳5基(4基?)で構成されています。大井川水系によって形成された、沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。昭和57年
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗妙心寺派 吸江山 平田寺(きゅうこうざん へいでんじ)は、鎌倉時代の弘安6年(1283年)に龍峯宏雲(りゅうほう こううん)が開きました。平田寺の裏山には、西国三十三番観音霊場札所巡りにならったミニ巡礼コースがあります
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の庵原城(いはらじょう)は、戦国時代に今川氏の重臣 庵原氏が築城したといわれています。別名は城山(しろやま)、庵原山城(いはらやまじょう)。新東名(第二東名)高速道路建設のため、庵原城跡の南側半分で発掘調査が行われまし
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の十二所居館跡(じゅうにしょきょかんあと)は、浅羽低地(あさばていち)の微高地(河川が運んだ土砂の堆積した自然堤防上)に築かれた中世居館跡です。諸井十二所居館(もろいじゅうにしょきょかん)、心宗院居館跡(しんそういんきょか
静岡県静岡市駿河区向敷地(むこうしきじ)の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわ よしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。北川殿は、今川義元(いまがわ よしもと)の祖母です。奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺院として創建。
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)の丸子城(宇津谷城、三角城)は、室町時代の応永年間(1394~1428年)に駿河国の守護大名 今川氏の家臣 斎藤安元が築造しました。室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)、駿河(静岡県中部)に侵攻した甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけ
静岡県静岡市駿河区用宗(もちむね)の持舟城(もちふねじょう)は、戦国時代に徳川家康が攻略した武田水軍の拠点の山城です。用宗城(もちむねじょう)とも呼ばれます。江戸時代までの持舟城周辺は、北側は深田と沼地・西側は交通の難所の大崩海岸・南側の城下は駿河湾の入江に
静岡県袋井市川井(かわい)の曹洞宗 玉照山 円通寺(えんつうじ)には、歴代の川井代官の墓があります。江戸時代前期の寛永10年(1633年)頃、幕府が遠江国山名郡(とおとうみのくに やまなぐん) 袋井宿周辺の天領(幕府の直轄地)8万石余りを支配するため、円通寺の南側に川井代
静岡県袋井市春岡(はるおか)の本庄山砦(ほんじょうざんとりで)は、曹洞宗 安養山 極楽寺の北側にある春日山(標高約70m)に築かれた平山城です。砦の南方(小字天白)には、村松武大夫館跡と伝えられる場所があります。戦国時代の永禄年間(1558~1570年)に、宇刈七騎のひとりで
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)川上(かわかみ)の代之谷古墳(だいのやこふん)は、古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた横穴式石室を有する円墳です。八幡神社境内に単独で所在する古墳で、箱形石棺が見つかっています。代之谷古墳
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『これからどうなる!?諏訪原城―平成25年度の発掘調査の成果と史跡整備事業―』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の関連資
静岡県島田市金谷(旧榛原郡金谷町)代官町(だいかんちょう)の島田市立金谷図書館 展示コーナーで、 企画展『諏訪原城(すわはらじょう)と史跡整備された山城写真展』が開催されました。史跡整備のため発掘調査を実施した国指定史跡 諏訪原城跡の出土品や、絵図・推定復元図な
静岡県内の公共施設で開催された、静岡県埋蔵文化財センター巡回展『いつもそばに動物(きみ)がいた ~出土品から知るヒトと動物の歴史~』の様子を紹介します。県内の遺跡・古墳から出土した動物に関わりのある遺物(石器・土器・陶磁器・馬具・動物の骨)を展示する考古学展
静岡県浜松市中区東伊場(ひがしいば)の伊場遺跡(いばいせき)は、縄文時代から鎌倉時代にかけて断続的に集落が営まれてきた場所です。史跡公園として整備された伊場遺跡公園(いばいせきこうえん)には、古墳時代の竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)や律令期(奈良、平安時代
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺
静岡県浜松市中区蜆塚(しじみづか)の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚(かいづか)・集落(ムラ)である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は
静岡県浜松市中区蜆塚の蜆塚公園(しじみづかこうえん)には、縄文時代後期~晩期(約4,000~3,000年前)の貝塚集落である国指定史跡 蜆塚遺跡(しじみづかいせき)と、蜆塚古墳群(しじみづかこふんぐん)、浜松市博物館があります。浜松市博物館は、縄文時代の蜆塚遺跡、弥生時代
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)宗高(むねだか)の宗高権現(むねだかごんげん)は、市指定史跡 徳川家康公床机据え跡(とくがわいえやすこう しょうぎすえあと)です。安土桃山時代末期の慶長6年(1601年)と江戸時代初期の11年(1606年)、鷹狩りでこの地を訪れた徳川家康(とくが
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に築かれた集落で、当時は今よりも海岸が近くにありました。地表から約1mの深さで
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の白百合遺跡(しらゆりいせき)は、弥生・奈良時代、中世(平安時代末期から鎌倉時代)にかけての複合遺跡です。 海浜平野の砂堤列上(標高約3m)に、集落が営まれていました。発掘調査では、弥生土器(やよいどき)、胎児(たいじ)
静岡県焼津市鰯ヶ島(いわしがしま)には、再現された明治時代の石造り防潮堤(ぼうちょうてい)があります。明治時代後期まで簡単な波除けの堤しか無く、暴風雨の荒波によって民家・船が度々被害を受けていたため、静岡県へ防潮堤建設を陳情。明治32~40年(1899~1907年)、静
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口(さかぐち)の「堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚(堂ヶ谷遺跡)」(どうがやはいじ・どうがやきょうづか(どうがやいせき))は、富士山静岡空港建設に伴う調査で見つかりました。平成17年(2005年)5月から平成19年(2007年)3月に、発掘調査を実施。富士
静岡県袋井市は、江戸時代前期の元和2年(1616年)までに東海道 袋井宿(ふくろいしゅく)が整備されました。東海道五十三次の、江戸と京都のちょうど中間にあたる27番目の宿場です。袋井市立袋井図書館で開催された、企画展『袋井宿とまわりの風景展』の様子を紹介します。浮
静岡県静岡市駿河区谷田(やだ)の谷田古墳群(やだこふんぐん)は、静岡県立美術館がある有度丘陵(うどきゅうりょう)の谷田原に分布する古墳時代後期(6世紀)・終末期(7世紀)の大規模な後期群集墳です。昭和30年代には、静岡大学が谷田古墳群に含まれる下中林1号墳(しもなかば
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
静岡県静岡市駿河区登呂(とろ)の国指定特別史跡 登呂遺跡(とろいせき)は、静岡平野に立地する弥生時代後期(約1,900年前)のムラ(集落)です。周辺は登呂公園として史跡整備され、小さな区画に区切られた弥生時代の水田と、復元住居・高床式倉庫が並んだムラを再現。公園内の
静岡県静岡市清水区(旧清水市)庵原町(いはらちょう)の午王堂山古墳群(ごおうどうやまこふんぐん)は、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)1基(3号墳)、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)または円墳(えんふん)1基(1号墳)、方墳(ほうふん)1基(2号墳)で構成。午王堂山1・2号墳は
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)の静岡懸護国神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、明治32年(1899年)11月13日に共祭招魂社として創建されました。昭和14年(1939年)に静岡懸護国神社と改称し、昭和17年(1942年)に静岡市北番町から現在地へ遷座。静岡懸護国神社には、明治維新