大河ドラマ「光る君へ」で、藤原為時とまひろ(紫式部)が訪れた松原客館は、気比の松原付近にあったといわれていますが正確な場所は不明。ただ、神明社から永建寺にかけ…
補陀洛寺は源頼朝の祈願所として創建されたと伝えられている寺院。源頼朝像は自作の像とも伝えられています。補陀洛寺☆ ☆ ☆ ☆ ☆2022年の大河ドラマ
日向薬師(霊山寺)は、この国に2つとない効験のある薬師如来の霊場として信仰されてきた寺院。源頼朝は、長女大姫の病気回復を願って参拝しました。北条政子も数回参詣…
源頼朝像甲斐善光寺に伝えられる「木造源頼朝坐像」は、「文保3年」(1319年)の銘があるもので、源頼朝の最古の彫像といわれています。銘文には、頼朝の命日である…
鎌倉は冬紅葉。見ごろはこれから!旧一条恵観山荘(2021/11/26)明月院本堂後庭園(2021/11/27)鶴岡八幡宮大イチョウ(2021/11/27)源氏…
1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りした当時、現在の北鎌倉から横浜市栄区・戸塚区にかけては「山内荘」と呼ばれ、山内首藤経俊の所領でした。アジサイ寺として知…
『吾妻鏡』によると・・・1189年(文治5年)11月23日夜、大倉観音堂(杉本寺)が火事に遭います。別当の浄台房は、観音像を運び出すため、火の中に入っていきま…
浄妙寺は、源頼朝の重臣足利義兼が創建した真言宗の寺院を始まりとします。義兼は、河内源氏の源義国を祖とする足利家二代当主。参考までに、頼朝の母は熱田神宮大宮司藤…
『曽我物語』によると、八重姫は伊東祐親の三女。誉れ高き美女だったのだといいます。2022年(令和4年)1月9日から始まるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では…
覚園寺は北条義時が建てた大倉薬師堂を前身とする寺。『吾妻鏡』によると・・・1219年(建保7年)1月27日、鶴岡八幡宮で三代将軍源実朝の右大臣拝賀の式が行われ…
『曽我物語』によると・・・伊東で暮らしていた流人源頼朝は、監視役の伊東祐親が大番役で在京中に、その娘八重姫と結ばれ男児を授かります。千鶴丸と名付けて大切に育て…
北条義時の生誕地・伊豆の国市では早くから「大河ドラマ館」の設置が決まっていましたが、鎌倉ではまだ発表がないようです・・・ただ、設置場所は鶴岡八幡宮の施設「鶴岡…
工藤氏は、藤原南家武智麻呂流の一族。伊豆国の狩野荘を拠点とした武士団。六代目の祐隆は嫡男の祐家に狩野荘を譲って、久須美荘(久須見荘または葛見荘とも)を拠点とし…
鎌倉殿の13人 伊豆の国 大河ドラマ館~1月15日オープン~
【場所】韮山時代劇場(静岡県伊豆の国市四日町772)伊豆箱根鉄道「韮山駅」下車徒歩5分【開館期間】令和4年1月15日(土)~令和5年1月15日(日)の予定【開…
『吾妻鏡』によると・・・願成就院は、1189年(文治5年)6月6日、奥州征伐祈願のため北条時政が建設を始めました。運慶が造立した阿弥陀三尊・不動明王・多聞天が…
かつて伊豆国桑原郷(現在の函南町桑原)には、箱根権現(現在の箱根神社)を開いた万巻の弟子たちによって建立された小筥根山新光寺という大寺があったのだといいます。…
銭洗弁財天には、霊水で銭を洗うと数倍になるという信仰があって、巳の日、特に弁財天の縁日「己巳日」(つちのとみのひ)は賑わいます。洗った銭は持っているのではなく…
明月院紅葉シーズンには本堂後庭園が公開されます。丸窓から見える範囲では、まだ緑。鶴岡八幡宮所々で色づきの早い樹も見受けられますが、見ごろになるのは11月下旬か…
1199年(正治元年)11月12日、大江広元が梶原景時弾劾の連判状を源頼家に提出します。頼家は、「連判状」を梶原景時に渡して弁解するよう伝えますが、景時は何の…
「かんなみ仏の里美術館」に収蔵されている「阿弥陀三尊像」は、鎌倉時代のもので実慶の作(重要文化財)。石橋山の戦いで討死した北条宗時の慰霊のために父の北条時政が…
1199年(正治元年)10月28日、和田義盛と三浦義村から梶原景時弾劾の連判状を受け取った大江広元でしたが・・・梶原景時が讒言によって人を陥れることにつては気…
源頼朝の御落胤伝説は各地にありますが、伊豆国にも。1160年(永暦元年)3月11日、前年の平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆国の蛭ヶ小島に流されると、京都にいた乳母…
今年の宝物風入は縮小開催となりますが、宝物の拝観は無料です(各寺の拝観料は必要)。☆ ☆ ☆ ☆ ☆1月9日放送開始
源頼朝が畠山重忠に命じて建立させたという佐助稲荷神社。伝説によると・・・源頼朝が、まだ伊豆国の蛭ヶ小島の流人だった頃、病に臥していた頼朝の夢枕に白髯の老人が現…
今年の大山紅葉ライトアップは11月20日(土)~11月28日(日)平日 日没~19:00土休祝日 日没~20:00大山寺では本尊「鉄造不動明王像」の特別開…
1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた源義経でしたが・・・。壇ノ浦古戦場8月4日、源行家の謀反が発覚。行家は、源為義の十男。源頼朝や…
2022年1月9日(日)からスタートする大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。伊豆の国市でトークショーとパブリックビューイングが開催されます。【日時】2022年1月9…
旧川喜多邸別邸今日から、ヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家・川喜多長政の別邸が特別公開されています。11月2日(火)~7日(日)鎌倉市川喜多映画記念館の…
伊豆市の金剛寺跡の石塔下から発見された骨蔵器の銘文によると・・・極楽寺三世の順忍は、1180年(治承4年)、源頼朝の挙兵に従い、山木館襲撃で伊豆国目代の山木兼…
畠山重忠の嫡子重保の墓と伝えられる五輪塔。『吾妻鏡』によると、畠山重保は1205年(元久2年)6月22日早朝、北条時政の謀略により由比ヶ浜で三浦義村の手の者に…
東光禅寺は、臨済宗建長寺派の寺院。畠山重忠が建てた鎌倉の医王山東光寺を前身としているのだと伝えられています。※医王山東光寺の創建については諸説あります。畠山重…
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大河ドラマ「光る君へ」で、藤原為時とまひろ(紫式部)が訪れた松原客館は、気比の松原付近にあったといわれていますが正確な場所は不明。ただ、神明社から永建寺にかけ…
995年(長徳元年)から越前国には宋の商人・朱仁聡が滞在していました。藤原定子は、朱仁聡から雑物を購入したのだといいます。しかし・・・1000年(長保2年)、…
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣日野俊基を祀る神社。俊基は、倒幕を企てた罪で捕らえられ、1332年(元弘2年)6月3日、葛原ヶ岡で斬首されました。例大祭は俊基の…
1159年(平治元年)の平治の乱で平清盛に敗れた源頼朝。父義朝とともに都を落ちて東国で再起を図ろうとしますが、翌1160年(平治元年)1月3日、義朝は尾張国野…
小田原城の本丸東堀には、約2500株の紫陽花と約10000株の花菖蒲が。毎年、紫陽花と花菖蒲の開花に合わせて「小田原城あじさい花菖蒲まつり」が開催されています…
気比神宮は北陸道の総鎮守。越前国の一宮。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。そして、紫式部の越前下向か…
「光る君へ」第8話で・・・散楽一座の直秀はまひろに語っていました。丹後・播磨・筑紫で暮らしたことがあると。「都の外には海がある。海の向こうには彼の国がある。晴…
明月院の本堂後庭園の奥に咲いているアジサイ。ここで育ったアジサイは、いつの日かメイン会場へ。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
見ごろと言うには少し早いかもしれませんが・・・明月院の本堂後庭園のハナショウブ。これから週末にかけて次々に開花し、見ごろとなってきそうです。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
長谷寺の境内には鉢植えのアジサイが並び始めました。下境内の緑陰の庭では6月1日からあじさい路は有料になりますが、あじさい路に入らなくてもアジサイ鑑賞は楽しめま…
松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期に渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。気比の松原付近にあったといわれています…
光則寺・浄妙寺・旧一条恵観山荘でヤマアジサイが見ごろ。これから、明月院や長谷寺が見ごろを迎えてきます。
『枕草子』によると・・・清少納言が清水寺に参籠したとき、藤原定子は山近き入相の鐘の声ごとに恋る心の数は知るらむ(山に近い寺の夕暮れ鐘の一声ごとに、そなたを恋し…
琵琶湖996年(長徳2年)、紫式部は父藤原為時に同行して越前へと下ります。為時が越前国司となったのは正月でしたが、旅立ったのは夏の事のようです。紫式部は塩津浜…
全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に、渡来系豪族の秦伊呂巨(はたいろぐ)が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことにはじまる…
本興寺の境内は、越前国府の中核施設があった地として注目されています。2023年(令和5年)から始まった発掘調査では、平安期の溝と柱穴が発見されているそうです。…
紫式部歌碑996年(長徳2年)、越前へ下向する父藤原為時に同行して都を旅立った紫式部。逢坂の関を越えて、琵琶湖の打出浜から船出。湖西を通って塩津浜へと向かう途…
アジサイシーズンには七色極楽浄土の世界となる長谷寺のあじさい散策路。五分咲き程度になると有料となります。(拝観料400円+あじさい路入場券500円)2024年…
旧一条恵観山荘の茶室「時雨」の円窓は鏡窓になっています。 旧一条恵観山荘は京都から移築された建物。庭園も復元され、今は紫陽花が見ごろ!☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大きな石の上に育ったモミジ。モミジが根を張る石にはイワタバコが咲きます。イワタバコが咲き始めると、アジサイの見ごろも間近。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
徳川家康は、危機になると自害を考えるようですが・・・1582年(天正10年)6月2日未明、本能寺で明智光秀の謀反により織田信長が横死したときも・・・(本能寺の…
1324年(正中元年)、鎌倉幕府に反感を抱いていた後醍醐天皇の倒幕計画が発覚し、後醍醐天皇の側近日野資朝と日野俊基が六波羅探題に捕らえられ、鎌倉へ送られていま…
1582年(天正10年)6月2日早朝、明智光秀の謀反により本能寺で織田信長が自刃すると、嫡男の信忠は二条殿に籠城。そして自刃。二条殿は誠仁親王の居所となってい…
1582年(天正10年)5月29日、羽柴秀吉援軍のため安土城を出た織田信長は本能寺へ。6月1日、丹波国亀山で明智光秀が謀反の挙兵し、翌早朝、本能寺を包囲。森蘭…
沙羅双樹(ナツツバキ)は、朝開花して夕方には落ちてしまう一日花。沙羅双樹は『平家物語』で語られた花。「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必…
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣日野俊基を祀る神社。俊基は、倒幕を企てた罪で捕らえられ、1332年(元弘2年)6月3日、葛原ヶ岡で斬首されました。例大祭は俊基の…
(2023/05/28)長谷寺のあじさい散策路は、昨年から5分咲の頃から見頃終了まで有料となっています。今シーズンは6月1日(木)から。入場料は小学生以上50…
徳川将軍家の菩提寺・増上寺の開山は、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)。聖聡は、千葉氏胤の子で、母は新田義貞の娘と伝えられています。千葉の妙見寺(現在の千葉神社)で…
浄妙寺と旧一条恵観山荘でヤマアジサイが見ごろです。浄妙寺旧一条恵観山荘旧一条恵観山荘では、花手水やアジサイ設えも。
長浜城は、1573年(天正元年)、浅井長政を攻略(一乗谷の戦い)した羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、織田信長から長政の旧領の近江国長浜を拝領して築いた城。長浜城…
勝楽寺は、織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼が戦った古戦場にある寺院。毎年、8月15日に信玄塚で行われる「火おんどり」は、勝楽寺三世の玄賀和尚が松明を炊いて…
鋸引きの刑大岡弥四郎は、岡崎城の松平信康に仕えていた武士。1575年(天正3年)、武田勝頼に内通し、謀反を企てたことから「鋸引きの刑」に処せられました。武田勝…
徳川家康の側室西郷局の菩提寺・宝台院の本尊は阿弥陀立像。快慶作といわれる家康の念持仏。当初は白く塗られていたと考えられるため「白本尊」と呼ばれています(国重文…
奥平貞昌(信昌)は、奥三河の南設楽郡作手の有力国人・奥平貞能の長男。奥平氏は、はじめ今川氏に属し、桶狭間の戦い後、徳川家康の傘下に入りますが・・・奥三河で武田…
新田義貞像(太田市:生品神社)1333年(元弘3年)5月8日、上野国の生品神社で倒幕の挙兵をした新田義貞。小手指原の戦い・久米川の戦い・分倍河原の戦いで幕府軍…
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、奥平家の家臣。1575年(天正3年)5月、武田勝頼が1万5千の兵を率いて長篠城を包囲すると・・・城主の奥平貞昌は、岡崎城の…
5月22日、鎌倉幕府が滅亡した日。徳崇大権現会後醍醐天皇が北条一族を弔うため足利尊氏に命じて建てさせた宝戒寺では、北条一族を供養するための「徳崇大権現会」が行…
瀬田橋(瀬田の唐橋)は、滋賀県大津市の瀬田川に架かる橋。神功皇后(200年代)の時代にはあった橋のようで、京都の宇治橋、山崎橋と並ぶ日本三古橋の一つ。現在の橋…
1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄は、翌1573年(元亀4年)1月、三河国へ進軍。2月10日には野田城を落とします(野田城…
下鴨神社清少納言の『枕草子』には、見物に値する行事として、石清水の臨時祭・賀茂の臨時祭・天皇の行幸・斎王の還御・摂政関白の賀茂詣が挙げられています。賀茂詣は、…