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熊谷市
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熊谷市
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2011/07/21

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  • 「笑わない男」のポスターで街に活気を

    熊谷市では熊谷商工会議者などを中心に新型コロナウイルスの影響を受けて縮小していた街の活気を取り戻そうと、昨年のラグビーワールドカップ(W杯)で活躍し、稲垣啓太選手を起用してポスターを制作しました。熊谷に本拠地移転を予定しているパナソニックワイルドナイツの協力で、「笑わない男」の異名を持つ稲垣選手の無表情を前面に出し、「熊谷のみんなには笑っていて欲しい」というキャッチコピーを記したデザイン。今後、商店や公共施設で張り出す予定です。市内事業者を応援し、市民を元気づけて景気回復につなげる狙いとのことです。熊谷市にいらした際はこの「笑って欲しい」ポスターに注目です。

  • 肥塚古墳群と古塚古墳石棺 ― 1

    肥塚「成就院」の周辺に存在した肥塚古墳群を『熊谷町誌』(1929編纂)や最近の発掘調査内容から一部復元しました。その特徴は、①河原石積石室、②角閃石安山岩の加工礫積石室、③凝灰岩の截石積石室、などの石材を用いた横穴式石室があったことです。玄室平面は弧状の形から「胴張型」と呼ぶ石室構造をしており、古墳時代後期から終末期の築造と考えられます。①の河原石は人頭大の楕円礫が主で石室床に敷く小礫と共に荒川採取と思われます。②角閃石安山岩は群馬県榛名山二ツ岳の噴出溶岩が利根川水系に流れ下ってきたもので利根川流路に面した妻沼低地近辺の古墳に使用例が多く、②の石材利用の古墳としては肥塚古墳群は南限の使用例です。③凝灰岩は明治期に旧諏訪神社跡地から掘出された石棺材1点と蓋石と伝わる石材2点(AとB)で成就院境内に保存展示され、「古塚古墳石棺」と呼ばれる市指定文化財です。この灰白色凝灰岩は市南部の小江川から..

  • 石仏熟覧6 九品仏

    前回、西別府安楽寺のアジサイの開花状況をお知らせしましたが、再度訪れてみました。 前回の訪問時 今回の訪問時 境内林の中に咲きほころぶアジサイの背後に別府氏供養塔がみえ、その背後に九体阿弥陀堂が望めます。 九品仏堂 上品上生 阿弥陀如来像 九体阿弥陀堂は室町時代(永正4年―1508―年頃)に当地方の記事を載せる「旅宿問答」に見え、「丈六大伽藍」「九体丈六」とみえ、別府氏ゆかりの仏堂であると説明している。現在は「九品仏」の名で市指定文化財となっている。九品仏は上品・中品・下品、上生・中生・下生の九通りの組み合せによりすべての人々の極楽往生を交通整理してくれるとされています。 参考 『熊谷市史 通史編上巻』 542頁―別府..

  • 文化財専門情報誌「月刊 文化財」 日本遺産をテーマとして

    文化庁文化財部監修 国内の文化財専門情報誌「月刊 文化財」の最新号7.8月号のテーマは「日本遺産」です。埼玉県内では隣接する行田の足袋文化などが登録されている日本遺産。今後の日本遺産のあり方などが記されています。妻沼聖天山の国宝「歓喜院聖天堂」の保存修理事業で彩色復原を担当した株式会社小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏の寄稿もあり、文化財の活用や地域の整備事業について提言しています。ご参照ください。 日本遺産 概要 日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)は、文化庁が認定した、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーである。各地域の魅力溢れる有形・無形の文化財群を、地域が主体となって整備活用し、国内外へ発信することで地域活性化を図ることを目的とした、日本の文化遺産保護制度の一つである。 『月刊 文化..

  • 熊谷市指定有形民俗文化財「上久下の数珠付鉦一口」

    熊谷市久下にある「権八地蔵」の隣にある久下上区集会所には、熊谷市指定有形民俗文化財「上久下の数珠付鉦一口」が収蔵されています。権八地蔵の調査と合わせて、秘蔵の数珠を確認させていただきました。この数珠は、久下の権八地蔵尊の地蔵堂に保管されていました。天保13年(1842)以降に製作されたと推定されています。桐製の大玉2顆・小玉217顆からなり、先祖供養などを祈願したもので、すべての玉に刻字があります。百万遍の数珠として用いられ、刻字された人名から県外の地元出身者との繋がりを知ることのできる、歴史的な資料です。百万遍とは地域の住民が集い、数珠を持ち、順に回しながら念仏や御詠歌などを口にして人々の安寧などを願うものです。その際の音頭をとる道具が鉦です。この信仰行事は知恩寺8世善阿が流行病をなおすため7日間 100万遍の念仏を称え、効験があったことから、各地に派生したものです。現在、百..

  • 暴風雨・降ひょうに伴う農作物等管理技術対策について

    暴風雨・降ひょうに伴う農作物等管理技術対策についてご紹介します。 6月6日夕方、県北地域を中心に暴風雨・降ひょうがあり、一部で農作物等が被害を受けました。 当日は熊谷市指定名勝内の樹木の倒木などの被害もありました。 埼玉県農林部 大里農林振興センター 技術普及担当が、 農作物等の技術対策資料を以下のとおり作成し公開しています。ご参照ください。 一昨年秋の豪雨で倒木があった県指定史跡「別府城跡」外濠 詳細は以下のページをご参照ください。(PDFデータ) https://www.pref.saitama.lg.jp/b0906/nouka/documents/200607boufuuukouhyoutaisaku.pdf

  • 平戸の大仏デザイン入りエコバック

    現在進行中の源宗寺本堂保存修理事業。 熊谷市の指定有形文化財である木彫大仏坐像、通称「平戸の大仏」を収める源宗寺本堂。建物の老朽化により、仏像の保存にも支障が生じることが懸念されるため、委員会を立ち上げ、本堂の改修工事に向けて活動が進められています。 先日、委員会の一員で当事業にご協力いただいている、立正大学地球環境科学部の原先生から、ご連絡をいただきました。 地球環境科学部の学生さんご協力のもと、エコバックを作成されたとのこと。デザインに平戸の大仏も入れていただきました。 他にも、妻沼の歓喜院聖天堂や星宮の愛染堂がデザインされています。 このバックは、オープンキャンパスで大学に来訪される高校生向けに配布されるそうです。

  • マニアックな埼玉の大地を感じる―KOCO “ココ” ちちぶ

    埼玉県秩父地域振興センター の特集トピックス「気になる秩父人がお薦めする“ぜひココ”な観光スポット情報KOCO “ココ” ちちぶ」の新たな記事が掲載されています。 https://www.pref.saitama.lg.jp/b0112/kanko-tiiki-info/koco9.html 今回登場する人物は埼玉県立自然の博物館で主任学芸員を務める井上素子さん。 同館で井上さんが担当した企画展「地図と模型で見る埼玉の大地」は新型コロナの影響を受けていましたが、8/31まで期間延長が決まり、その展示内容をはじめマニアックな長瀞の岩石や自然や歴史を感じる場所などについて案内しています。とても興味深い内容です。 埼玉県立自然の博物館ホームページ https://shizen.spec.ed.jp/

  • 石仏熟覧5 五輪塔

    藤原頼重五輪塔 西別府 安楽寺 五輪塔を刻んだ墓石―江戸時代 下川上所在 中世墓石の代表例は五輪塔と宝筺印塔です。板碑は塔婆の一つで供養塔になりますが、中世末から近世には墓石へ姿を変えていくようです。市域は中条氏や熊谷氏はじめ多くの武蔵武士が興った土地柄、彼ら武蔵武士に関わるとされる墓石墓も残されています。西別府安楽寺に所在する別府氏の墓石には「藤原頼重」のものと伝わっています。元々藤原氏を祖とする頼重は西別府の地を拠点としたことから別府を名乗りますが、家系を標示する本姓は藤原を使います。写真は五輪塔で、群馬県笠懸の天神山系から採取された凝灰岩を使用しています。粒子のやや大きい乳白色の地肌をしていますが、長年の風雪によ..

  • 整理調査の現場から 古代の技術、現代の技術

    今私の目前におよそ1万年の時を超えて名の伝わらない誰かの「旧石器人」が造った黒曜石製の石槍があります。整った木の葉形をしたており、ガラス質の石を薄くはぎ取った痕跡が明瞭です。旧石器人のだれもが石器を造れたかはわかりませんが、利器としての石器造の技術は、手わざの粋として縄文時代の石鏃造へと受け継がれていきます。それも弥生時代には金属器の刃物に替わり、現在ではより科学的な技術を駆使して様々な加工が可能になっています。ある意味技術の進歩であり、ある意味技術の退化でもあるようです。 私は実測図を作成するとき、いまだに鉛筆を使います。使い慣れたトンボのmono2H、三菱のユニ2Hが頼りです。最も老眼が進んでいるため、0.3芯のシャープペンも助っ人にいます。その他、デイバイダー お手製の真弧などが相棒といったところです。 ..

  • 星溪園の紫陽花

    熊谷市鎌倉町の名勝「星溪園」において紫陽花が見頃を迎えています。 熊谷は梅雨の合間、気温30度以上の真夏日が続いています。 街なかオアシス、クールスポットの星溪園では幾分か涼しさを感じることができます。 ウィズ・コロナの日々が続きますが、星溪園を散策してみてはいかがでしょうか。

  • 権代美重子著『日本のお弁当文化: 知恵と美意識の小宇宙』

    権代美重子 著『日本のお弁当文化: 知恵と美意識の小宇宙』が刊行されました。埼玉新聞の書評でも掲載されています。その中で駅弁当の包装デザイン(駅弁掛紙)の画像などについての提供と監修を行いました。 熊谷の清水藤左衛門(1880-1952)は、明治16年熊谷駅開業に際し、熊谷駅前に客待ちの茶店を出し、駅売り弁当や熊谷五家宝の駅売りを初めて行いました。駅弁販売のコーディネートも行い、その意匠が高く評価されています。 熊谷デジタルミュージアム 駅弁掛紙 特別ページ http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/syuzou/ekiben/index.htm 権代美重子著『日本のお弁当文化: 知恵と美意識の小宇宙』法政大学出版局 https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-30052-3.htm..

  • 石仏熟覧4 「王子塚石仏」のはなし 3 ―王子とは誰のこと―

    王子塚石仏が造られたと考える平安時代末から中世初頭は、武士の台頭する時期でもあり、当地域に勢力を持っていた斎藤氏の関与があったかもしれません。斎藤氏は大我井の森に経塚を造っています。昭和30年代に妻沼小学校(かつての大我井の森一角)の工事に際し発見された経筒に記された「久安」の文字が年号を示すものとすると1145~1151年の間に造られたと考えられます。これは王子塚石仏の建立時期とはあまり離れてはいないと思われます。平沢寺出土経筒(嵐山町)も久安4年(1148)の年号と共に「如法経(法華経)」を収めたとの銘文があります。畠山重忠の曾祖父重綱の世代に納められたとされるこの経筒から武士たちの信仰が窺われます。源頼朝の祈願寺の一つであった慈光寺(ときがわ町)にも日本三大装飾経として国宝指定されている「法華経」が納められたことも頼朝の観音信仰の表れと考えられています。 ..

  • 江南のホタル

    江南文化財センターが所在する江南地域はゲンジボタルの生息地として知られています。 本年は新型コロナウイルスの感染防止対策のため毎年恒例のホタル祭りも中止となりますが、 ホタルの生息と言う命のドラマは今年も続いています。 生息数等の詳細は次のURLをご参照ください。 江南のホタル発生調査(令和2年) https://www.city.kumagaya.lg.jp/about/soshiki/kankyo/kankyoseisaku/yaseigairaitomiyo/hotaru.html

  • 石仏熟覧3 「王子塚石仏」のはなし 2 ―石棺仏とは―

    王子塚は古墳跡と考えられていたため、石仏は横穴式石室の石材だったのではないかと推測されたこともありました。発掘調査により詳細が判明していますが、王子塚石仏が当初古墳石材に使用されたとしたらその大きさから古墳玄室の奥壁か壁・天井などの部材だったと思われます。しかし、後に石材が取り払われたとしても発掘調査では据付の痕跡や同質の石材片や、使用頻度の多い角閃石安山岩や石室床に敷く河原石なども見当たらず、調査の結果からは古墳の痕跡は不明で、時代や内容を知る手がかりとなる出土遺物も得られないため、古墳と考えることは難しい状況です。古墳ではなく石仏を祀るために塚を築いたと考えられるでしょう。 一時「王子塚石仏」が「石棺仏」と呼ばれたことは単に古墳に使用された石材だろうとの連想からきたもので全く根拠がなく、石棺仏の類例にも当てはまりません。本来「石棺仏」は古墳時代の石棺を転用して造られた石仏をいい、..

  • 石仏熟覧2 「王子塚石仏」のはなし 1 ―石龕仏―

    王子塚石仏は弥藤吾地内に所在した王子塚と呼ばれた塚上にありましたが、塚は古墳ではないかと考えられていたことから、昭和40年代に発掘調査が行われ少し離れた路傍に移されました。凝灰岩質の砂岩と思われるやや軟質の石材を用いており、石仏製作用に群馬県方面から運ばれたものと思われます。 写真 王子塚石仏 正面 写真 菅尾磨崖石仏 大分県 石仏は長年の風雪により風化が進み、失われた左上部片の外、3つの破片を繕い覆い屋に納められています。縦160㎝、横110㎝、厚さ35㎝ほどで、石材の前面を106×84cm程の方形に約12㎝彫下げた仏龕を造出し、坐像を取り巻く額縁状を呈しています。仏龕の縁から仏身が食み出ないことから切り出された平石を加工していることが明瞭です。平安末から..

  • 「発掘された日本列島2020」展の開催のお知らせ

    「発掘された日本列島2020」展の開催についてお知らせします。 新型コロナウイルス対策の関連で変更等もありましたが、 本年度も予定どおりの企画での運営を念頭に開催されます。 文化庁「発掘された日本列島2020」展より 1 趣旨 全国で毎年約9,000件を超える発掘調査が実施されておりますが,国民がその成果に実際に触れる機会は,極めて限られています。このため,平成7年度から,近年発掘され特に注目された出土品を中心とした展示を構成し,全国を巡回することにより,国民が埋蔵文化財に親しみ,その保護の重要性に関する理解を深めることを目的として始めました。今回で第26回となります。 2 主催 文化庁,東京都江戸東京博物館,新潟県立歴史博物館,福島県立博物館,一宮市博物館,中津市歴史博物館,全国新聞社事業協議会,東京新聞,新潟日報社,福島民報社..

  • 石仏熟覧1 交通安全の元祖か「人馬安全」

    熊谷の水車に関して、少し紹介したところですが、平戸の超願寺境内に江戸時代の末に立てられた馬頭観音塔があります。平戸村近辺の水車営業者と運輸業者が交通の安全を祈願して建てたもので、元は星川沿いの路傍から移されたようです。 碑面には次のような銘文が刻まれています。 ・塔身 (正面) 「馬頭観世音」 (左面) 「安政二年(1855)龍集乙卯冬十月吉日之建」 ・台石 (正面) 「人馬安全」 (右面) 「近郷扶佐馬持講中」 (左面) 「扶助 熊谷駅 隣村水車 同馬喰中」 (背面) 「当所講中世話人」 馬は農耕・交通・運輸の手段としてまた担い手として重要な存在でしたから、この仏塔は刻まれた文字に見るように「馬頭観音菩薩」に直截に「人と馬との..

  • 源宗寺の大仏奉加帳

    平戸の大ぼとけで知られる源宗寺。高さ約4メートルの薬師如来と観世音菩薩が安置されています。代々、寺院を管理する藤井家には、源宗寺に関する史料が遺されています。 そのなかのひとつに正徳3年(1713)の「大仏奉加帳」があります。奉加帳とは、寺社などの造営・修理のために、寄進(寄付)を行った人の氏名や金額を書き連ねた帳面のことです。 序文の文章が、とても感動的だったので紹介したいと思います。 【原文】 立正大学古文書研究会 2001『武蔵国埼玉郡平戸村 藤井健一家所蔵文書史料集ー慶長期から享保期ー』p.93、94 より 【訳文】(意訳の部分あり) (木版刷) ご本尊二体、再興奉ります 薬師如来 高さ約3.7メートル 観世音菩薩 高さ約4.03メートル 絶えてしまうものを継承し、壊れたものを修復することは、長い年月伝え保つための方法で..

  • 文化庁「文化芸術活動への緊急総合支援パッケージ(令和2年度2次補正予算案 )」の概要

    熊谷市・地域伝統芸能今昔物語での市指定無形民俗文化財「池上獅子舞」 文化庁のホームページに、「文化芸術活動への緊急総合支援パッケージ(令和2年度2次補正予算案 )」の概要が掲載されました。概要を以下に示します。ご参照ください。 令和2年度補正予算案等における文化芸術関係者への支援(令和2年度2次補正予算案閣議決定後)(2020.05.29更新) ・ 概要 「文化芸術活動への緊急総合支援パッケージ」は「新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、舞台芸術等の活動自粛を余儀なくされた文化芸術関係団体においては、今後、一層の感染対策を行いつつ、活動の再開に向けた準備を進める必要がある。そのため、文化芸術関係者・団体に対して、直面する課題を克服し、活動の継続に向けた積極的取組等に必要な経費を支援し、文化芸術の振興を図る。」ための事業とされています。 具..

  • 星溪園利用者の皆様へ

    新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため星溪園の室内利用を休​止しておりましたが、 6月9日以降、当面の間、熊谷市・深谷市・寄居町の在住在勤の利​用者のみ、ソーシャルディスタンスの確保、少人数利用等の感染予防対策の徹底を条件として、星溪​園内の各棟の室内利用に係る予約を再開します。御理解と御協力を​お願い申し上げます。利用に関しての詳細は江南文化財センターまでお問合せください。 (6月開催の楽しいお茶会、7月21日に開催予定のうちわ祭茶会​は、中止します。 7月以降の行事等の開催も中止・延期する場合があります。引き続き庭園見​学は可能です。) 江南文化財センター(電話048-536-5062) 担当:山下

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