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踊る埴輪
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熊谷市
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熊谷市
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2011/07/21

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  • 熊谷市指定文化財「村岡の渡し船」の実測調査

    熊谷市立吉岡小学校に保管庫がある市指定文化財「村岡の渡し船」の実測調査が行われました。一級建築士で全国の木製船について調査を進めている須田充洋さんに、熊谷市教育委員会と村岡地域文化遺産保存会が協力し実施しました。 村岡の渡し船は、江戸時代から明治時代にかけて、熊谷宿と村岡村(現熊谷市)を結んだ渡し場の船です。明治42年(1909)に荒川大橋が完成したため、渡船は廃止されましたが、吉岡小学校の保管庫に馬船(馬を運ぶ船)の1艘と、歩行船(人を運ぶ船)の2艘が保管され、荒川の交通の歴史を知る上で重要な資料となっています。

  • 名勝「星溪園」を学び、お茶を堪能する。

    1月16日、熊谷市鎌倉町にあるアルスコンピュータ専門学校の日本文化教養講座が熊谷市名勝「星溪園」において行われました。市政宅配講座として開講し、当地の歴史、庭園建物の解説、南側にある石上寺にある旧熊谷堤について説明したほか、星溪寮での茶道体験を実施しました。受講者からは「学校から近い場所ながら初めて立ち入ることができて嬉しい。歴史の古さに驚いた」「茶道体験で、美味しいお抹茶と和菓子をいただいて心が和んだ」などの感想が寄せられました。今回のように名勝「星溪園」の歴史を学びながらお茶体験する講座を設けています。ご興味がありましたら江南文化財センターまでお問合せください。 問合せ:江南文化財センター 電話048-536-5062

  • 埼玉新聞 連載「熊谷ダイナミズム―息づく動の記録―」の掲載

    1回目の熊谷ダイナミズム「踊る埴輪」の掲載記事 1月29日付け埼玉新聞の地域面において「熊谷ダイナミズム―息づく動の記録―」の2回目「乗馬から馬術​へ」が掲載されています。 今年はいよいよ、東京2020オリンピック・パラリンピックが開​催されます。熊谷で営まれてきた「動」に着目し、スポーツと地域との関わりを​探る内容で、連載企画として、今夏まで隔週水曜日の掲載を予定しています。「ダイナミズム」とは「力強さ」や「迫力」などを意味します。ご興味ありましたら、どうぞご覧ください。

  • 令和2年文化財防火デーに伴う火災防御演習 【妻沼聖天山】

    国宝「歓喜院聖天堂」を前にしての聖天山防災協力隊による放水訓練 拝殿前での熊谷市消防本部及び消防団による演習 1月26日、妻沼聖天山を会場に文化財防火デーに伴う火災防御演習が行われました。熊谷市消防本部と熊谷市教育委員会の共催で、妻沼聖天山の協力とともに、地域消防組織の聖天山防災協力隊などが参加し、演習が執り行われました。国登録有形文化財「歓喜院籠堂」付近で出火し、国宝「歓喜院聖天堂」などに延焼する危険性がある中での通報訓練、放水銃を用いての初期消火訓練、文化財の持ち出し訓練、救命訓練などが実施されました。いざというときの初動が可能なように、的確な消化訓練の動きを確認することができました。 「文化財防火デー」とは、昭和24年1月26日に、法隆寺金堂の火災により重要な文化財が失われたことを契機に、文化財の保護を目的として昭和30年に制定されたもので、この日を..

  • 講演​会「エリザベス・ヴァイニングと棚澤慶治 ―皇室ゆかりの米国人と熊谷を代表する歌人の交流をめぐって―」​

    2020年1月19日(日)、熊谷市上之の成田公民館で、講演​会「エリザベス・ヴァイニングと棚澤慶治 ―皇室ゆかりの米国人と熊谷を代表する歌人の交流をめぐって―」​ 講師:山下祐樹(熊谷市立江南文化財センター)を開催しました。地元出身の成田氏を顕彰する団体、成田氏史跡保存会を主催として企画され、地域の学習会として地区内外から約30名の来場がありました。 1949年(昭和24年)12月29日、少年時代の明仁親王(上​皇殿下)の家庭教師を務めていたエリザベス・ヴァイニング氏(バ​イニング氏、ヴァイニング夫人とも表記)が、熊谷市中西の歌人で​あり農家の棚澤慶治氏邸を訪れています。これは日本の農家や習俗​の状況を視察するためのもので、迎春の餅つき風景などを見学しま​した。この経験はヴァイニング氏の『皇太子の窓』にも詳しく記さ​れています。 ヴァイニング氏は棚澤氏に「w..

  • 基調講演「熊谷市の地域遺産の活用と情報発信ツール」

    埼玉県芸術文化祭2019の地域文化事業に参加する市町の担当者会議において開催した基調講演「熊谷市の地域遺産の活用と情報発信ツール」の様子を動画としてYouTubeサイトにアップしましたのでご参照ください。熊谷市におけるラグビーと文化遺産とを融合させた情報発信などについて解説しています。

  • 「こども広報くまがやキッズ」での文化財事業の紹介

    熊谷市教育委員会が発行している「こども広報くまがやキッズ」の2020年1月号に、荻野吟子探検隊、遺跡発掘探検隊、第12回地域伝統芸能今昔物語について掲載されました。荻野吟子記念館での学習会や、熊谷市上之の前中西遺跡での発掘調査体験、熊谷文化創造館さくらめいとで開催された伝統芸能の共演行事について紹介されています。熊谷市内の公立小学校などに配付されています。熊谷市の文化財保護事業に関心を持っていただけたら嬉しいです。

  • 新島の一里塚の記憶 伐採そして保存へ

    2020年1月現在の新島の一里塚 伐採したケヤキの切り株の状況 新たに追加した説明板 熊谷市新島地内に所在する「一里塚」には、中山道の位置を示すために約4キロごとに建立された塚があり、樹木が植えられていました。これは「新島の一里塚」とも呼ばれ、慶長9年(1604)に江戸幕府が日本橋を基点とした主要街道の整備のために行われた事業の一つであり、日本橋から16里目に当たります。他に熊谷市内には久下地内及び桜木町地内に一里塚があり、土盛りされた塚の形状が残されているのは新島の一里塚のみです。昭和29年(1954)に熊谷市の文化財史跡に指定されました。通常、一里塚には「榎(エノキ)」が植えられていますが、新島の一里塚には「ケヤキ」が植生していました。 しかしながら、平成22年(2010)9月及び平成30年(2018)9月の豪雨により、市指定文化財・史跡である一..

  • 古物(たから)を守り伝えた人々 好古家 たち」 國學院大學博物館企画展開催のおしらせ

    熊谷市冑山出身の「根岸武香」の業績や資料が展示解説されています。根岸武香は明治時代の政治家でありながら考古学に深く関心を持ち、黒岩横穴群、吉見百穴などの発掘調査をはじめ、埴輪や土器などの出土品を蒐集し、その展示施設まで公開していました。また、様々な古文献や貨幣・印譜なども所蔵していました。明治時代初期は開化の世、新しい学問研究と共にこれを伝えた外国人もまた、根岸家や熊谷の地を訪れています。どれだけ刺激的な時代であったかなかなか想像できない部分があるようです。 標記の國學院大学博物館企画展は日本各地の好古家とも呼ばれた人々に焦点を当て、彼らの紹介と埋もれた業績に光を当てるものです。熊谷市域出身の根岸武香は取り上げられた各地の好古家とも接点を持っていることが判ります。根岸を含め彼ら好古家が日本の文化財..

  • 立正大学講義「文化財保護とオーセンティシティ―熊谷市の文化財保護と国際的動向」

    2020年1月8日、立正大学熊谷キャンパス19号館(アカデミックキューブ)で、立正大学法学部共通講座として文化財をテーマにした講義を担当しました。「文化財保護とオーセンティシティ―熊谷市の文化財保護と国際的動向」と題して、講師を熊谷市立江南文化財センターの山下祐樹主任が担当しました。 熊谷市は国宝「歓喜院聖天堂」を有する妻沼聖天山(妻沼)などをはじめ多くの歴史的建造物などが存在しています。このような文化財を含む文化遺産の価値について、オーセンティシティ【authenticity:確実性、真正性など】という用語が今日広く注目されるようになっています。原初の外観が維持されている文化財の中で、保存修理により部材が変更されているものは「本物か」という議論があります。オーセンティシティの概念について熊谷市の事例を取り上げながら解説しました。 オーセンティシテ..

  • 「妻沼の聖天さま 地元に愛される埼玉県内唯一の国宝建造物」イベント 2020年2月2日

    今回は埼玉県内唯一の国宝建造物「妻沼聖天山 歓喜院聖天堂」を取り上げます。 平成の修復工事で鮮やかによみがえった「妻沼の聖天さま」の新たな映像コンテンツの上映と、 熊谷市教育委員会の山下祐樹主任による講演、さらに修復工事を行った㈱小西美術工藝社の社長デービッド・アトキンソン氏とのトークセッションを行います。 とき 令和2年2月2日(日)14:00~16:00 ところ デジタルSKIPシティビジュアルプラザ4階 映像ホール http://www.eizou.pref.saitama.lg.jp/library/html/OnLbf21.html 開催概要 (同ホームページより) 13:30 開 場 映 像 上 映 14:00~14:40「しょうでんさ..

  • 旅の記憶‐21 ―海を渡った阿弥陀仏像 燈篭仏 肥塚成就院―

    写真 御開扉時の成就院 令和元年(2019)10月10日(木)撮影 昨秋、肥塚の古刹成就院に参詣してきました。境内には肥塚古墳群から掘り出された「古塚古墳石棺」(市指定文化財)が保存されている寺院です。また、古代末から中世期に肥塚氏を名乗った武士団の館跡に造られたとされます。さて、10月10日は成就院の秘仏とされる「燈篭仏」が年に1回御開帳されます。かつてはこの仏様を持ち上げることで吉兆や願い事の成就を占ったといわれます。今は控えられているようですが、代わりにお札をいただいてきました。お寺方と檀家の方の丁寧な説明を窺い間近で拝することができました。 灯篭仏とは信濃善光寺の秘仏本尊「一光阿弥陀三尊像」を模し前立として本尊厨子前に祀られている阿弥陀三尊像です。日本への仏教伝来の伝説では善光寺阿弥陀三尊像は物部氏の仏教排斥により難波堀江に捨てられた後、本田善光により信濃まで運ばれたと..

  • 遺跡発掘作業員の募集について

    熊谷市内池上地区(池上遺跡)における埋蔵文化財発掘調査作業員を募集します。(詳細は下のリンクを参照) 調査期間: 令和2年4月から最大4年間を予定 人 数: 50名程度 勤 務 日: 月曜日から金曜日まで 勤務時間: 9時から15時まで(原則1日5時間もしくは6時間、週20時間未満) 賃 金: 時間給979円(予定) 交 通 費: 1日あたり100円(予定) ただし、勤務地から2km以上の者に支給 応募資格: 令和2年4月1日現在、満18歳以上の心身ともに健康で発掘調査作業ができる方で、週3日以上勤務できる方。(ただし、高校生は除く) 申込方法: 添付資料(会計年度任用職員(補助職員)登録申込書)に必要事項を記入の上、令和2年3月13日(金)までに江南文化財センターまで提出してください。 選考方法: 提出書類及び面接(結果については書面にてお知らせいたします..

  • 旅の記憶‐20 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 3―

    飯能焼の絵付デザイナー「腰塚小四郎」の得意技とも言える筒書、イッチンは彼の創案でしょうか。筒書は竹筒のような容器から白土を注ぎ出して描き、イッチンは革袋や布袋に入れた白土を絞り出して描くものです。前者の白土の線は平面となり早書きに適しています。後者の線は丸みを帯び細かい模様や図案に適していました。飯能焼そのものは当時の高級陶器であった「京焼(※)」に倣い生産されたもので「地方窯」と呼ばれる窯場が各地で、関東では益子・笠間などが代表であり、飯能焼も大消費地「江戸」を意識して造られたようです。 さて、白土の線描きはもともと京焼の技法に見られるものです。飯能焼も他の地方窯と同じく高級陶器とされていた京焼の製品に近づけようとしたことが窺われます。小四郎は青年期に京焼の技法を学んでいたと考えてよいようです。小四郎は農民身分ですが、世襲の壁の高い職工となるには本人の意思と共に仲介者や援助者との関..

  • 旅の記憶‐19 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 2―

    腰塚小四郎は飯能焼の開窯(1840年代前後か)に合わせたタイミングで窯場に招かれたようです。移籍の記録からすると、50歳代後半で絵付師として飯能焼の顔ともいうべき図案を一手に引き受けたということになり、その力量は年齢や積んだ経験からして他の窯場で相当の修業を経ていなければならず、また当時としてみれば人生の終盤での新生活開始には大きな決断があったと思われます。今のところ小四郎の前半生や人間関係は不詳の部分か多く、新たな資料の発見を待つところです。 次に残された製品の語る所を見ましょう。飯能焼原窯の報告では小四郎の活動期はほぼⅠb期(1850年以降)とされますが、鍋蓋の秋草文はⅠa期から同じ絵付師の描くところと判断されることから移籍記録(嘉永六年-1851)以前から生産に関わっていたと推測されています。そうすると小四郎は40歳後半から50歳初めころに飯能焼に関わったのではないかと思われま..

  • 慶應MCC美術史講座 (大原美術館館長・高階秀爾さん)

    講師を務めた高階秀爾さん 2019年10月~12月にかけて熊谷市自己研修制度を活用して社会人大学講座を受講する機会を得ました。慶應義塾大学慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)において開講された美術史家・美術評論家・大原美術館館長の高階秀爾さんの美術史講座《人生を豊かにする芸術》を受講しました。第1回 古代ギリシャ、美の思想、第2回 キリスト教と中世、物語の誕生、第3回 ルネサンスとバロック、美の再発見と発明、第4回 近代、美の革命、第5回 ロマン主義と世紀末、新たな価値観、第6回20世紀から現代へ、地域を越える美の進行形という連続講座で、西洋美術の源泉を学ぶ貴重な時間となりました。各回では西洋の文化と日本の歴史との交流、影響関係などについても話題が及び、文化財絵画に対する知見を深めることがでました。熊谷の地で生かすことができたらと考えています。なお、講師を担当された高階秀爾..

  • 旅の記憶‐18 ―腰塚小四郎 飯能焼のデザイナー 1―

    写真 現在の「玉井寺(ぎょくせいじ)」(熊谷市玉井) 江戸時代末から明治時代にかけて埼玉県の南西部に「飯能焼」という陶器が生産されていました。平成になり飯能市に窯場が確認され、幻ともいわれた「飯能焼」は、皿・徳利・鍋・急須など様々な日常雑器を造り続けていたことが分かりました。飴色やオリーブ色の器肌に白土で模様を描いたものが代表的な製品で、この白線模様は筒書又はイッチンと言い草花文や幾何学文・装飾文字など実にのびやかに迷いなく描かれています。 この絵付を担当した「絵付師」は熊谷市玉井出身の腰塚小四郎という人物で、寛政6年(1794)に玉井村(当時)に生まれ明治9年(1876)に亡くなっています。嘉永6年(1851)に、56歳で真能寺村(当時の飯能市の一..

  • 能護寺鐘楼保存修理事業について

    今年度、熊谷市永井太田に所在する能護寺の鐘楼において保存修理事業を実施しています。熊谷市指定有形文化財「梵鐘」の収蔵建造物でもあり、市の補助事業として工事の監理等を行っています。 高野山真言宗能満山能護寺は、天平15年(743年)に国家安穏・万民豊楽と五穀豊穣を祈願のため行基上人が開山し、後に弘法大師空海が再建されたと伝えられています。毎年6月上旬から6月下旬頃、境内に50種類800株をこえるあじさいが咲き、妻沼の「あじさい寺」として親しまれています。鐘楼にある「梵鐘」は、元禄14年(1701年)に鋳造されました。乳の間に百字真言の梵字が鋳込まれているのが特徴で、市の文化財に指定されています。鐘楼も同時期の建立とされていますが、その後の改修等で江戸時代後期に今の形状になったと推定されています。今回の鐘楼の保存修理事業は年度内に終了し、その他の境内整備も含めて次年度以降に完..

  • 東京文化財研究所「第14回無形民俗文化財研究協議会」

    12月20日、独立行政法人国立文化財機構・東京文化財研究所において同研究所の無形文化遺産部主催の第14回無形民俗文化財研究協議会が開催されました。今回のテーマは「無形文化遺産の新たな活用を求めて」でした。全国の行政機関、研究機関、大学、研究者などが集い、現状の無形民俗文化財に関する課題などについて情報共有しました。発表の部では北海道教育大学の角美弥子准教授による「地域における無形の文化財活用の取り組み」などのほか、長野県南信州地域振興局から「同地域における民俗芸能継承の取り組み」などについて報告がありました。熊谷市教育委員会では毎年この研究協議会に参加し、本市における無形民俗文化財の保護や「地域伝統芸能今昔物語」の運営に係る知見を深めています。

  • 大原美術館「AM倉敷Vol.16 ワタリドリ計画 ―絵から旅する大原⇔岡山―」展示

    明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 今年最初の日記は、遠くの街の美術館、岡山県倉敷市の大原美術館をテーマに記します。 その名も「ワタリドリ」。ふと、ロックバンドの[ALEXANDROS]の「ワタリドリ」を連想しますが、今回は大原美術館独自の取り組みについてご紹介します。 現在、大原美術館(高階秀爾館長)で「AM倉敷Vol.16 ワタリドリ計画 ―絵から旅する大原⇔岡山―」が開催されています。大原美術館の収蔵品の中から画家の麻生知子と武内明子(ワタリドリ)が選んだ絵画作品を倉敷の人たちに見ていただき、「この絵のイメージの場所を岡山県内で教えてください」とお願いをします。そうして集まった複数の旅先をワタリドリが旅して、現地で作ったり、旅の印象から作った作品を大原美術館へ持ち帰るというワタリドリ計画。このプロジェクト..

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