→東京 輪行移動。自宅。無事帰宅。旅はこれで終り。
→由利本荘市岩城走行64km道の駅テント泊。昨夜の道の駅セーフ。国道7号線の交通量は昼夜通して多い。道端に献花してあるのが何箇所も。お地蔵さんを建てたのがあった。八郎潟の方向には田圃が広がる。離れて男鹿半島を見ると島に見える。
→三種町琴丘走行57km道の駅テント泊。大潟村の隣り。昨夜の道の駅セーフ。車中泊旅のお父さんからテント設営中に声掛けられお話しした。北海道は車で1周したことがあると。その時気付いた。道の駅で人が近づいて来ると無意識に警戒していること。何か情けない嫌だなという気
→秋田県八森走行55km道の駅テント泊。昨夜の道の駅セーフ。道は変わらず登り下りだが白神山地が間近になり厳しくなる。風も変わらず南からの向かい風。たまに五能線の車輌に出会う。繋ぎ日本一周中のチャリダーにも出会った。秋田県の入口に到着したところです。
→深浦町走行37km道の駅テント泊。岩木山に見送られ日本海へ出た。道は五能線と伴に南下。山が迫る海岸線なので登り下りが続く。風は南からで向かい風。東北も秋めいてきた。赤トンボが飛んでいて枝先などに止まり目をぐるぐる回して風に吹かれてもじいっとしているが目的は
→つがる市森田走行46km道の駅テント泊。小雨の中出発したが昼から晴れてきた。岩木山が機嫌良く迎えてくれた。何よりだ。
→フェリーで青森へ。走行10km宿、泊まり。思い出すのは何年か前、函館から青森へ向かうフェリーの甲板で出港後じいっと函館山の方向を見続けていた男。霞んで見えなくなってもなお見続けていた。深く印象に残っている。さて本船はその函館山が霞む位置迄来た。北の果て竜飛
→函館走行50km宿、泊まり。道の駅セーフ。道内最後の走り。道端のフキが全く見られない。唯一セイコーマートがあることが道内の証。北海道は大きかった。夏は1週間位しかなかった印象。
→森町走行35km道の駅テント泊。夜、雨音で目が覚めた。来たか。テントを叩く雨音は小雨でも響く。明け方近く激しくなった。明るくなって外を覗くと前の木々の枝葉が大きく揺れている。本降り。大荒れ。因みに長万部の名はアイヌ語で「オ・サマム・ぺッ」川尻が横になっている
→八雲町走行38kmキャンプ場テント泊。朝、厚く雲が垂れ込めている。走行中時折霧雨。長万部はお寺の多い町だと思った。途中バイク旅のお兄さんと会いお話しした。千葉の八千代市から。ランドナータイプチャリに乗っている。チャリで日本一周したいと思っている。是非実行し
→長万部走行37km宿、泊まり。雨は止んだが霧が立ち込めている。風は弱まったがまだ吹いている。霧雨で憂うつになって走行。止んでちょこっと日差し。せみしぐれが始まった。久しぶりに聞く大合唱。しばし聞き入る。日差しが出たのはつかの間。また霧雨。長万部到着。漫談か
→寿都走行38kmパークゴルフ場テント泊。夜半から風が吹き出した。たまに突風が吹きテントを飛ばされそうになった。朝焼けのプレゼント。道の駅は敷地が広く公園も隣接していてセーフ。走行路は山並が海岸に迫りトンネルの連続。雷電3570m,弁慶1048m,刀掛2754m,あとは1000m以
→岩内走行36km道の駅テント泊。うっすら雲があって朝焼け。ミンミンゼミがちらほら鳴いていた。道は稲穂峠266m越え。日本海へ。爽やかな晴れ。
→余市仁木町走行39km公園テント泊。宿では嬉しいことが二つあった。前に訪れたのは4年前で日本一周の3周目の時。写真を撮ってもらったこと等すっかり忘れていた。が宿の奥さんが探し出して見せてくれた。懐かしい。もう一つは同宿者が冬、同じゲレンデで滑っていること判明
→小樽走行51km宿、泊まり。朝まで雨が降り続いた。やっと晴れて坂の町へやって来ました。坂上にある宿から小樽市街地が見渡せる。宿の主の話では道内この夏の暑さは異常だった。道民は勿論、牛も死ぬくらいだった。走行は市街地をずうっと。国道だが交通量が圧倒的に多い。
移動なし。石狩市当別停滞。宿、泊まり。北海道は今日から新学期。一日中雨。写真は撮り貯め。
→石狩市当別走行49km宿、泊まり。キャンプ場の入口に北海道88ヶ所霊場の11番金剛寺があった。どういう巡り合わせなのか弘法大師とのつながりはあるのか?どういう修行の旅が行われているのか?米畑は延々続くがお米の収穫が行われた跡があちこちにある。収穫の現場は見てな
→樺戸郡浦臼町鶴沼走行43kmキャンプ場テント泊。曇り空。南風つまり向かい風。平地でも登り坂。淡々と走る。ずうっと米所なのか。稲穂が続く。カメラを向ける被写体が見当たらない。昨日の写真を掲載。
→深川市走行37kmキャンプ場テント泊。旭川は都会なので少し暖かい朝13℃。石狩川に沿って走行。神威古潭という所を通過。
→旭川走行39kmキャンプ場テント泊。今朝は少し暖かくなり8℃。吐く息は白くならない。朝霧が漂い刻々と流れて行く。すすきの穂が出て白く輝いている。旭川に近づくと圧倒的に交通量が増えた。途中、明治の頃造られたお地蔵さんと出会いました。
→上川郡和寒町走行48kmキャンプ場テント泊。今朝も7℃。手がかじかむ。軍手でしのぐ。コンロボンベのガス化が鈍い。日中は穏やかな天気になった。朝キャンプ場でチャリ旅人に会った。荒川区在住。定年後のおとうさん。輪行で新潟へフェリーで小樽。チャリ旅の為年間を通じて
→名寄走行29kmキャンプ場テント泊。冷え込んだ。北海道に入って一番の寒さだ。朝の気温は7℃。吐く息が白い。ここのキャンプ場は大賑わい。サイトに駐車する方式。道内はもとより全国の車が訪れている。自転車は私の他に無し。日中は穏やかな天気になった。天塩川とずうっと
→美深町走行55kmキャンプ場テント泊。天気回復。曇り空で風が冷たい。天塩川に沿って走行。国道40号だが交通量は多い。そば畑が目に付く。
移動なし。中川町停滞。宿、泊まり。雨、風強く荒れた天気になる予報。寒い。部屋の中で暖房が欲しい。北海道でメニューに「ザンギ」というのがある。分からなかったので聞いたら唐揚げです。食べてみた。唐揚げかな。写真は撮り貯め。丸太の鳥居 赤い水苔
→中川町走行41km 宿、泊まり。寒い。雨は止んだ。風は変わらず吹き続けているが少し緩んだ。牧草地帯にローカルなスキー場。丘陵を利用しリフトも掛け駐車場もちゃんとあった。子供達は楽しみにしているのだろう。国道沿いにべこちちFACTORYという自家製アイスとチーズの店
→天塩走行29kmキャンプ場テント泊。サロベツ原野日本海沿いに南下。天気が良ければ利尻岳を洋上に望めるのだが。望むべくもない。自然界では当たり前の環境だが、無防備な人に対しては苛酷な環境。強烈な横風が雨粒を顔に吹き付け痛い。風に煽られよたよた。しっかりハンド
→天塩郡豊富町サロベツ原野走行27kmとほの宿あしたの城宿泊。予報だとしばらく雨だったが明日日中は曇り。宿泊1拍。ここは3回目の宿泊。コロナ禍でなければジンギスカン鍋、牛乳鍋を皆で囲んでワイワイ楽しい集いなのだが。周辺の農家さんは晴天続きの水不足で悩んでいるよ
→天塩郡豊富町走行34km兜沼公園キャンプ場テント泊。朝食は蜂と仲良く。 蒸し暑い1日だった。キャンプ場の入口にコロナ禍のため新規の予約は受け付けません。と張り紙。道路野宿とキャンプ場野宿では地獄と天国の差。受け付けへ行ったら良いです。良かった。
→稚内市大沼走行47kmキャンプ場テント泊。お久しぶりお陽さま、太陽様。オホーツク海は波静か。風向きが変わった。陸から海へ強い風 むっとする風。スタート地、宗谷岬到着。ここから始まりだ。気温が異常に高い。24℃。通常は17~19℃だ。
→猿払村走行37kmキャンプ場テント泊。霧雨の中走行。気が晴れない。憂うつ。何もない中走行。牧場の中をただひたすらに走る道。約20km。この辺に来てチャリ、とほの旅人に会った。チャリダーは複数。ここ猿払のキャンプ場は11年前初めて訪れた。日本一周1回目の時。宗谷岬
→浜頓別クッチャロ湖畔走行30kmキャンプ場テント泊。深夜、がさごその音で目が覚め、懐中電灯でテント内から脅かそうと点灯したが去る様子がない。テント外に出て見たらキタキツネ。食べ物類はすべてしまったが。テント類を収納するバッグを持ち去ろうとしていた。灯りを照
→,枝幸町走行58kmウスタイべ岬公園テント泊。昨夜、道の駅テント泊セーフ。霧雨が降り続く。走行中降ったり止んだり。霧。今日のオホーツク海は時化。漁は出来ぬか?枝幸町にキャンプ場が2ヶ所あるが何れもコロナ禍で閉鎖中。どうしてかな?広いオープンスペースで感染拡大
→雄武町走行30km道の駅テント泊。夜半、何か風が出て来たなと感じた。朝、出口のフライシートがびしょ濡れなのに愕然。オホーツク海から霧雨が吹き付けていた。そこいら中びしょ濡れ。昨日まであれほどの上天気でラジオの天気予報は北海道はこのまま2週間位続くと報じていた
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→東京 輪行移動。自宅。無事帰宅。旅はこれで終り。
→札幌泊。走行58km 。今日の道はきつかった。支笏湖の湖岸を走った後、登りとなる。登り道になると、宿で聞いていたので、踏ん張って、こいだ。休み休みで、峠らしきに所に到達。標高570m 。何とか峠と名前がないので、地図にも何も記載されてない。よし!これで札幌まで下
→支笏湖泊。走行28km 。苫小牧から支笏湖まで自転車道がある。快適に走れる。林間にシダが繁殖している。何故か?フキでない。ナナカマドの先端部分から色付き始めている。苗を植林したばかりの光景。白いのは保護。アオダモの木。支笏湖は水温が高いのか、水浴していた。
→苫小牧泊。走行82km 。走り切りました。サラブレッドの産地で、馬牧場が列なっている。牧場の1区画に1頭の割り当てなのか?太平洋は波穏やかで、水がきれいだ。道は走り易く、厚賀から日高自動車道が平行しているので、国道の交通量は激減。ただ、ひたすらに走った。日の
→ 静内泊。走行62km 。様似という所の海中に取り残された岩がある。折しも霧が発生した。国鉄日高本線跡が残っている。チャリダ―に会った。ママチャリで鹿児島から走って来た。78歳のお父さん?旅人というより山頭火みたいな、行く宛のない、世捨て人風な男。バス停がしゃ
→様似泊。走行34km 。昆布漁の謎が解けた。早朝の決められた時間、一斉に舟が出て行く。戻り、陸揚げ、干場へ、舟は又出て行く。一家総動員で働いているのだろう。8時にサイレンが鳴り響いた。続いてスピーカーから、昆布漁終了。多分5時からの3時間勝負。沿岸で拾うのは時
→襟裳岬泊。走行59km 。黄金道路を走行。トンネル9カ所、内最長は4941m 。残りの部分は殆ど履道。日高山脈から延びる断崖が太平洋へ落ち込み、そこに造った道路。莫大な費用が掛かった。海岸の岩礁で昆布が取れる。日高昆布。海岸で採集している姿を見た。漁舟は出てなかっ
→広尾町泊。走行38km 。農場地帯から牧場地帯ヘと変わった。畑地から牧草地へ。この辺りの牧場には、サイロ搭が多くある。現用中のようだ。何に使っているのか?
→大樹町晩成温泉泊。走行:59km 。畑地の中を走行。農薬散布の隣では手作業による農作業。畑の中に人の姿を見ることは稀だ。十勝川の河川敷に樹齢150年のはるにれの木がある。町の文化財になっている。
→中川郡池田町:走行44km 池田北のコタンYH 泊。畑地をひたすら走行。田んぼは見当たらない。農地も機械化で広い。牧場と同じように入り口に看板がある。じゃがいも畑も多く、今、花盛り。北島三郎が歌う「石狩川よ」に花咲く頃は、孫は道産子、とある。この歌は石狩平野のこ
→士幌泊。走行34km 。御天道様はご機嫌斜めで、曇り、雨で顔を出してくれない。今日の道は大きな峠もなく淡々と走れた。畑地が殆どで、牧場が幾つかあった。国鉄の士幌線が遺したコンクリート製のア―チ橋が幾つか現存する。国立公園内だったので、調和を取るためだった。一
→糠平泊。走行21km 。途中、幌鹿峠標高1081mを越えた。朝、霧雨。気温低め。今日のルートは、7年前のリベンジだ。2017.7.5に今日のルートを通ろうとしたが、途中崖崩れの為通行止め。台風被害だった。その時は、帯広迄出て、ここ糠平へ来た。ブログ日本三周46日目を読んで下
走行→然別湖泊、32km 。途中白樺峠標高900m越えがあったが、数えきれない程の足つき休憩をして何とか越えた。今日も御天道様のお陰で晴れ。林間を気持ち良くサイクリング。今朝のこと。朝風呂で、露天風呂へ入り、上がろうとしたとき、ヘビがいた。張り紙に、たまにヘビが出
走行:深山峠→上富良野 バス輪行→新得駅走行→屈足(くったり)総21km くったり泊。バス輪行移動で狩勝峠を越えた。あっという間だった。初めての経験だったが、バス輪行も使える。花特集としました。
美瑛の丘、パノラマロ―ドサイクリング走行:44km 。登り下りの連続。丘の斜面が畑地。開拓者達は、さぞ大変な苦労をしたのだろう。今は機械化され少人数でも対応可なのではないだろうか?丘の上に出ると、パッと景色が開ける。パッチワークは連作を避けるための結果だ。北海
美瑛の丘散策サイクリング走行:20km 四季彩の丘:有料花園へ行って見た。圧巻と言っても良いと思う。花好きの人なら1日居ても飽きないだろう。この季節、道内の紫色はラベンダーと思い込んでいたが、 濃い紫色のサルビア、薄い紫色のキャットミントがあることを知った。今
札幌→美瑛:特急カムイ号列車移動。旭川の手前に美唄があり名前が紛らわしい。実走→上富良野町美馬牛19km 午前の天気は荒れ模様。突風に、にわか雨。気温が下がった。19℃。架線に何かが引っ掛かったとかで、列車遅れ。美瑛駅で自転車組み立て後、走行開始。ぜるぶの丘へ行
東京→札幌 北の大地に来てます。列車移動。新幹線はやぶさ号は満席状態。シ―ズンで北海道旅行の人達が多いのか?北海道へ初めて旅したのは1963年昭和38年。夜行列車で青森駅に到着すると、そこが連絡船への乗船口だったことを覚えている。津軽海峡冬景色がヒットするずう
走行:西武秩父→浦山:標高500m→西武秩父35km 。浦山には、秩父巡礼札所:大日如来堂がある。湖はダム湖、流れている水がきれいで水面がきれいでした。猿に餌をやらないで!の看板があったが、途中、群れが道を横断していた。
走行:秩父→飯能43km 。山伏峠630m 越え。それ程ハ―ドではない。その分物足りない。
走行:西武秩父→浦山:標高500m→西武秩父35km 。浦山には、秩父巡礼札所:大日如来堂がある。湖はダム湖、流れている水がきれいで水面がきれいでした。猿に餌をやらないで!の看板があったが、途中、群れが道を横断していた。
走行:秩父→飯能43km 。山伏峠630m 越え。それ程ハ―ドではない。その分物足りない。
走行:正丸→青梅26km 。狭路の性か、交通量が極めて少ない。快適なルートだ。天目指(あまめざす)峠590m を越え、トンネル、峠を通りゴ―ル。
走行:青梅→東飯能26km 。適当にアップダウン、トンネル、山王峠。気の向くまま走った。気持ちの良い天気。ちょっともの足らない走行。
走行:奥多摩→大月 46km 。松姫トンネル入り口標高790m 。ここを通過後はずっと下り。人生下り坂、気持ち良し。天気が今一。曇りで気温20℃。猿橋を見学。初めて。ここは渓谷になっていて、渡るには難所だ。日本の3代奇橋の1つと、看板があった。
新幹線で長野まで。北しなの線で黒姫まで鉄道移動。走行:黒姫→戸隠中社16km 。ずっと登り。
奥多摩駅→武蔵五日市駅33km 。楽なコ―ス取りで、小さな峠越しが一ヶ所。激坂で歩かされた。
走行:上野原駅→武蔵五日市駅37km 。JR 高尾駅にエレベーター無く、階段辛かった。ナビで検索した道の経由地指定しなかったため、道を間違え遠回りした。経験して発見するミスがあるものだ。途中、甲武トンネル入り口で、標高600m。その後、ロングダウンヒル。気持ちの良いも
走行、武蔵五日市→上野原32km 。陣場街道、八王子の和田峠:標高698m越え。中山道にも和田峠があるが、これとは異なる。久しぶりのヒルクライム、きつかった。連休中で、チャリダ―、ハイカ―が多かった。
テント生活は封印し、宿、泊まりの生活とします。輪行で脚を伸ばし、期間は短めとなるでしょう。旅の毎日はブログ投稿を続けます。