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  • 20211-8 長野県中野市(中野)

    長野県中野市■2019年7月28日(日)1:中野【歴史】戦国時代(16世紀前半)の中野は、北信濃の有力武士だった高梨氏の本拠地だった。高梨氏は清和源氏を名乗っていたが、実際の出自は不明である。高梨氏は武田氏が信濃に侵攻するまでは独立を保っていたが、武田氏の侵攻後は上杉氏を頼って落ち延び、上杉氏の家臣になった。居館跡は堀と土塁の遺構が良好に現存し、国指定の史跡に登録されている。居館の周囲は空堀で囲ま...

  • 20541-9 長野県小布施町(小布施)

    長野県小布施町■2019年7月28日(日)1:小布施【歴史】小布施は江戸時代の新田開発により誕生した町だった。小布施は千曲川の舟運と谷街道が通る交通の要衝で、商業が発達した市場町となった。なお、谷街道は善光寺街道の稲荷山宿から分岐し、小布施や松代を通り、飯山へ至る街道であった。江戸時代の小布施は天領に属し、18世紀前半の一時期には陣屋が設置されていた(後に中野陣屋に統合された)。陣屋跡は竹風堂の店...

  • 20207-0 長野県須坂市(須坂)

    長野県須坂市1:須坂■2015年12月13日(日)■2019年7月27日(土)【歴史】江戸時代の須坂は、須坂藩の陣屋町だった。須坂藩の初代藩主は、堀直政の四男である堀直重である。直重は関ヶ原の戦いの軍功で須坂を拝領し、大阪の陣の軍功で加増を受け、大名に列した(1万石)。直重の跡を継いだ直升は、須坂に陣屋(須坂陣屋)を建築した。陣屋の遺構として、時鐘を鳴らせた鐘楼が現存する。須坂小学校の北側の石垣は、...

  • 20217-7 長野県佐久市(岩村田)

    長野県佐久市2:岩村田■2019年7月15日(日)【歴史】鎌倉時代から室町時代にかけて、岩村田は大井氏が治めていた。大井氏は信濃国の守護職を務めた小笠原氏の庶流で、小笠原長清の七男の朝光が祖と伝えられている。しかし、大井氏の宗家は1484年に村上氏に敗れ、滅亡した。大井氏が築城した大井城は、王城、石並城、黒岩城が谷によって分断されている平山城である。大井城は長野県指定の史跡になっており、王城のケヤ...

  • 20217-7 長野県佐久市(臼田)

    長野県佐久市1:臼田■2019年7月15日(祝)【歴史】旧臼田町の田口は、江戸時代中期から奥殿藩の領地で、田口には田野口陣屋が設置された。なお、奥殿藩の藩庁は奥殿(現在の愛知県岡崎市)にあった。しかし、奥殿藩の領地の大部分は、臼田を中心とした信濃国にあった。1863年、奥殿藩8代藩主の松平乗謨(のりあきら)は、藩庁を奥殿から田野口に移し、龍岡城(詳細は史跡①を参照)を築いた。乗謨は学才に優れ、洋学に...

  • 20321-1 長野県軽井沢町(追分)

    長野県軽井沢町2:追分■2019年7月14日(日)【歴史】江戸時代の追分は、中山道の宿場町(追分宿)だった。追分宿は標高が1000メートル付近にあり、中山道で一番高い場所にある宿場町だった。また、追分宿の規模は中小クラスで、比較的旅籠が多かった。町の名前の通り、追分宿は中山道と北国街道(追分から越後国直江津を結ぶ街道)の追分があった。右に進むと北国街道、左に進むと中山道に進んだ。追分には、石碑、石...

  • 20321-1 長野県軽井沢町(軽井沢)

    長野県軽井沢町1:軽井沢■2019年7月14日(日)【歴史】江戸時代の軽井沢は中山道の宿場町(軽井沢宿)だった。明治時代になると、中山道の道が、難所の碓井峠を通るルートから現在の国道18号が通るようなルートに変更になった。このルート変更により、街道が軽井沢宿を通らなくなったため、軽井沢宿は急激に衰退し、生活の糧がない状態になってしまった。しかし、明治時代に軽井沢宿は国際的な避暑地になったことで繁栄...

  • 20208-8 長野県小諸市(小諸)

    長野県小諸市1:小諸■2013年4月28日(日)■2019年7月13日(土)【歴史】江戸時代の小諸は、小諸藩の城下町だった。豊臣秀吉の小田原征伐の後、小諸には仙石秀久が5万石で配された。秀久は斎藤龍興、織田信長、豊臣秀吉に仕え、九州征伐の大失敗で一時改易されていたが、小田原征伐で大活躍したことから大名に復帰した。秀久は戦国時代に築城されていた小諸城(詳細は史跡①を参照)を近世城郭に改築し、小諸藩の藩...

  • 16201-9 富山県富山市(八尾)

    富山県富山市3:八尾■2019年7月7日(日)【歴史】戦国時代の八尾には、浄土真宗の聞名寺が建てられ、門前町があった。寛永年間、井田川の洪水で流域の村々が大きな損害を受けると、人々は聞名寺のある井田川の河岸段丘上に移り住み、八尾の町が形成された。八尾の諏訪町本通りは「日本の道百選」に選定されてから町並みが整備され、道路が御影石の石畳で整備された。諏訪町本通りは長い坂を含むため、独自の景観となってい...

  • 16201-9 富山県富山市(岩瀬)

    富山県富山市2:岩瀬■2019年7月7日(日)【歴史】岩瀬は中世から港町が発達し、岩瀬湊は三津七湊の1つに数えられていた。岩瀬は神通川の河口に位置しているが、1660年の大洪水で神通川の川筋が代わり、湊町が神通川の西岸(西岩瀬)から東岸(東岩瀬)に移った。江戸時代の岩瀬は、神通川の舟運と、加賀藩の参勤交代で使用される浜街道が両方通り、交通の要衝だった。そして、岩瀬湊は北前船の寄港地となり、廻船問屋...

  • 16201-9 富山県富山市(富山)

    富山県富山市1:富山■2014年8月23日(土)■2019年7月6日(土)【歴史】江戸時代の富山は、富山藩の城下町だった。関ヶ原の戦い後、加賀藩主の座を養子(弟)の利常に譲った前田利長は、戦国時代に築城された富山城を隠居城とした。しかし、1609年に富山城は火災で焼失したため、利長は高岡に移った。その後、一国一城令により、富山城は廃城になった。1639年、利常は次男の利次に10万石を分知し、加賀藩の...

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