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  • 20215-1 長野県塩尻市楢川

    長野県塩尻市楢川■2013年5月5日(日)■2019年5月26日(日)旧楢川村には、江戸時代に中山道の宿場町だった町が2つある。1:奈良井【歴史】奈良井宿は、江戸から数えて34番目の中山道の宿場町で、奈良井駅の南側にあった。奈良井宿には古民家が多数現存し、宿場町としての当時の町並みの風情を大いに残していることから、伝建地区に指定されている。奈良井は上町、中町、下町の3つの町から成り立っている。上町と...

  • 20215-1 長野県塩尻市塩尻

    長野県塩尻市■2019年5月25日(土)旧塩尻市には、江戸時代に中山道の宿場町だった町が3つあった。1:塩尻【歴史】塩尻宿は、江戸から数えて30番目の中山道の宿場町で、塩尻駅から3Km程離れた、現在の国道153号線沿いにあった(写真は、中山道で最大級の大きさを誇った本陣の跡地)。塩尻宿は、伊那街道(上写真、三州街道とも)と五千石街道(下写真、善光寺街道に合流)への分去れがあり、交通の要衝だった。塩...

  • 19368-2 山梨県富士川町

    山梨県富士川町■2019年5月19日(日)【歴史】甲府盆地の南端に位置する富士川町には、鰍沢(旧鰍沢町)と青柳(旧増穂町)の2つの町があり、富士川の舟運で栄えていた。青柳には、江戸に送る年貢米を貯蔵するための御米蔵が現存する。青柳にある萬屋醸造店には、1933年に与謝野夫妻が宿泊したことから、与謝野晶子の歌碑がある。また、青柳の昌福寺には、石橋湛山の父が住職を務めた時代があった。そのため、湛山は7...

  • 19346-1 山梨県市川三郷町

    山梨県市川三郷町■2019年5月19日(日)【歴史】戦国時代の旧三珠町には、武田信虎の八男(信玄の弟)で、一条家の名跡を継いだ、一条信竜の塁城があった。塁跡には、蹴裂神社が建てられている。一条家の家臣には、能係を務めた堀越家宣がいた。家宣は北条氏との合戦で功績を挙げ、信竜の塁城の近くの土地を授かり、屋敷を構えた。武田氏が滅亡すると、家宣は下総国成田山の近くに逃れた。家宣の曾孫は、17世紀から始まっ...

  • 19207-4 山梨県韮崎市

    山梨県韮崎市■2019年5月19日(土)【歴史】江戸時代の韮崎は、甲州街道の宿場町(韮崎宿)だった。本陣は、千野眼科医院にあった。韮崎宿の遺構として、旅人が馬の手綱を繋ぎ止めた、馬つなぎ石がある。また、韮崎は佐久往還(小諸方面への街道)、駿信往還(静岡方面への街道)の分岐点があり、交通の要衝だった。鰍沢横丁は、駿信往還の起点にあり、当時は駄菓子屋や馬方茶屋等が軒を並べていたという。さらに、韮崎は水...

  • 20201-1 長野県長野市松代

    長野県長野市1:松代■2019年5月12日(日)【歴史】江戸時代の松代は、松代藩の城下町だった。関ヶ原の戦い後、松代は川中島藩領で、1616年に松代城を根城とする松代藩が立藩した。松代城は、戦国時代の川中島の戦いにおいて武田信玄が築城した海津城を、近世城郭に改築したものである。そのため、松代城には、武田信玄の城に見られる丸馬出や三ヶ月堀があった。また、松代城には天守閣はなく、鬼門の方角を除く3隅に...

  • 20201-1 長野県長野市長野

    長野県長野市2:長野■2019年5月11日(土)【歴史】江戸時代の長野は、善光寺(詳細は史跡①を参照)の門前町であったと同時に、北国街道及び善光寺街道の宿場町(善光寺宿)だった。現在の表参道が北国街道で、大門交差点の北側に宿泊施設が密集していた。本陣を務めた藤屋は、明治時代以降も旅館として存続し、皇族や伊藤博文が宿泊した。1925年には旅館の建物が擬洋風建築に建て替えられ、現在はレストランや結婚式場...

  • 20201-1 長野県長野市戸隠

    長野県長野市3:戸隠■2019年5月11日(土)【歴史】戸隠は平安時代から修験道の霊場となり、神仏混淆の戸隠山顕光寺があった。江戸時代、顕光寺に所属した宗徒は「御師」として布教活動を行い、その結果、東日本を中心に「戸隠講」が結成された。戸隠には、毎年、各地の講から信者が参詣するようになったため、宗徒たちは信者を宿泊させる宿坊を多数構えた。この宿坊を中心に、戸隠では門前町が形成された。顕光寺は明治時...

  • 長崎県五島市久賀島・奈留島

    長崎県五島市久賀島・奈留島■2019年5月6日(祝)五島市の二次離島である久賀島と奈留島の江上集落は、世界遺産「潜伏キリシタン関連遺産」の構成要素の1つになっている。2:久賀島【歴史】久賀島は、禁教令が解除される契機となった出来事が発生した島である。1868年、領内で多数のキリシタンが見つかった福江藩では、福江藩がキリシタン弾圧を行った(五島崩れ)。久賀島では、6坪(畳12畳分)の牢屋にキリシタン...

  • 42211-8 長崎県五島市福江

    長崎県五島市1:福江■2019年5月5日(日)【歴史】福江は1383年に宇久氏(五島氏)が宇久島から移住し、江戸時代まで宇久氏の城下町として発展した。宇久氏は宇久島に家盛という名前の武士が落ち延び、宇久姓を名乗ったことが始まりである。家盛は平清盛の弟である説が一般的だが、明らかではない。1540年、後期倭寇(貿易商人)の王直が宇久氏に通商を求めてきた。当時の宇久氏は財政難だったため、宇久氏は喜んで...

  • 42411-1 長崎県新上五島町

    長崎県新上五島町■2019年5月4日(土)【歴史】中通島と若松島を中心とした新上五島町には、29軒の教会があり、カクレクリシタンの歴史がある集落(集落跡)が点在する。1:頭ケ島中通島の東方に位置する頭ケ島には、移住してきたキリシタンの集落がある。江戸時代の前期から中期の頭ケ島は、天然痘に罹った人の療養地(隔離地)だった。19世紀の初頭になると、潜伏キリシタンが頭ケ島に移住し、集落を形成した。頭ケ島...

  • 42383-1 長崎県小値賀町小値賀島

    長崎県小値賀町2:小値賀島■2019年5月3日(祝)【歴史】長崎県の離島の中では平地に富む小値賀島は、前方湾が天然の良港だったため、日宋貿易の寄港地、または拠点的性格を持つ場所だった。その証拠に、貿易船で使用された石の碇が数点引き揚げられ、小値賀町歴史民俗資料館に展示されている。中世の小値賀島は、江戸時代に平戸藩主になる松浦(まつら)氏と密接な関係があった。鎌倉時代までの小値賀島は2つの島に別れて...

  • 42383-1 長崎県小値賀町野崎島

    長崎県小値賀町1:野崎島■2019年5月3日(祝)【歴史】野崎島は小値賀島の東に位置する島で、古代から聖なる島として信仰の対象だった。しかし、野崎島は全集落が廃村となり、現在は無人に近い状態となっている。野崎島には、704年に創建された沖ノ神嶋神社がある。遣唐使が五島列島を通るルートに航路を変更した際、五島列島に最初に創建されたのが沖ノ神嶋神社だったため、この神社の氏子は五島列島に多くいた。沖ノ神...

  • 42202-9 長崎県佐世保市黒島

    長崎県佐世保市3:黒島■2019年5月1日(祝)【歴史】江戸時代の黒島は平戸藩の領地で、17世紀から18世紀にかけて御影石の採掘や放牧が行われていた。1800年頃、人口増加を背景に、黒島には移民が急増した。黒島は平戸島と西彼杵半島の中間に位置し、佐世保から五島列島へ海上輸送で行く際の通り道にある。また、黒島では周辺より比較的キリシタンへの弾圧が厳しくなかった。そのため、大村藩領外海地方を中心に、平...

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