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  • 42202-9_長崎県佐世保市三川内

    長崎県佐世保市2:三川内■2019年4月30日(火)【歴史】三川内は江戸時代に平戸藩の御用窯として開かれた、三川内焼(磁器)の町である。1598年、平戸藩主松浦鎮信は朝鮮出兵に参加し、朝鮮人を100余名、日本に連れ帰った。その中には、陶工を営んでいた巨関(こせき)とエイがいた。鎮信は巨関たちに命じ、平戸島の中野に窯を開かせた。その後、巨関と息子の三之丞は良い陶土を求めて平戸藩領内を転々とした。16...

  • 42202-9 長崎県佐世保市佐世保(戦争遺跡含む)

    長崎県佐世保市1:佐世保(戦争遺跡含む)■2019年4月30日(火)■2019年5月2日(木)【歴史】佐世保は、明治時代(1889年)に海軍の鎮守府が設置されたことで、軍都として急速に発展した町である。海軍佐世保鎮守府は、当時は日本の最前線であり、日清戦争では艦隊の修理や補給を行っていた。佐世保の町が急速に賑わうと共に、日本海軍は日露戦争においてバルチック艦隊を撃破するなど、急速に力をつけた。第一次...

  • 42207-0 長崎県平戸市平戸

    長崎県平戸市1:平戸■2015年1月24日(土)■2019年4月29日(祝)【歴史】平戸は、鎌倉時代から明治初期までの600年以上の間、松浦(まつら)氏の城下町だった。松浦氏は源氏で、先祖(松浦氏初代)は嵯峨天皇の皇子、源融である。源融の子孫は瀬戸内海を管理する水軍(渡辺党)になり、庶流である8代目の久は松浦郡に定住し、松浦氏を名乗った。松浦氏は多くの家に別れ、松浦党と呼ばれる水軍の武士団を形成した...

  • 42207-0 長崎県平戸市生月

    長崎県平戸市2:生月■2019年4月28日(日)【歴史】江戸時代の生月には、キリスト教が禁教になったにも関わらず、多くのキリシタンが潜伏していた。生月では、現在でも数百人以上のカクレキリシタンが、禁教時代の独自の信仰を続けている。1550年、平戸を治めていた松浦隆信は、貿易による富を得るため、来訪したザビエル達にキリスト教の布教を許した。隆信はキリスト教に改宗しなかったが、家老の籠手田氏、一部氏は...

  • 42207-0 長崎県平戸市獅子(春日集落)

    長崎県平戸市獅子(春日集落)3:獅子■2019年4月28日(日)【史跡】①春日集落旧獅子村にある春日集落は、カクレキリシタンの集落だった。16世紀後半、春日集落は生月と同様に籠手田氏の領地だったため、集落の人々はキリスト教に改宗させられた。その後、春日集落でも江戸時代に隠密にキリストが信仰され、明治時代以降もカトリックに改宗せず、カクレキリシタンを信仰し続けた。しかし、平成に入ると集落の人々は仏教に...

  • 42205-3 長崎県大村市

    長崎県大村市1:大村■2019年4月27日(土)【歴史】大村は中世から大村氏の城下町だった。大村氏の出自は定かではないが、大村氏は中世より彼杵(そのぎ)の在地領主であった。16世紀後半に大村氏の当主となった大村純忠は、ポルトガル人との貿易港として横瀬浦を開き、盛んに貿易を行った。純忠は、領内におけるイエスズ会によるキリスト教の布教を支持し、自らもキリスト教の信者になった。純忠は、日本で初めてキリシ...

  • 10421-3 群馬県中之条町

    群馬県中之条町1:六合■2013年4月20日(土)■2019年4月21日(日)【史跡】①六合村赤岩伝建地区赤岩は白砂川の河岸段丘上に位置する山村集落である。赤岩は河岸段丘上に位置することから水利に乏しいため、養蚕を中心として生計を立てていた。赤岩には幕末から戦後に建てられた養蚕農家の建物が多く現存し、日本の農山村の原風景をよくとどめていることから、重伝建に指定されている。赤岩には、集落の人々の信仰と...

  • 10206-7 群馬県沼田市

    群馬県沼田市1:沼田■2013年5月25日(土)■2019年4月20日(土)【歴史】16世紀中頃の沼田は沼田氏の領地で、1532年に沼田氏により沼田城(詳細は史跡①を参照)が築城された。1580年、武田氏重臣の真田昌幸は沼田氏を滅ぼし、沼田を領地とした。真田氏は出自が不明であるが、16世紀前半には幸隆(昌幸の父)が小県郡の土豪になっており、武田氏の重臣として活躍した。その後、昌幸は上杉氏を経て豊臣氏...

  • 35203-9 山口県山口市

    山口県山口市1:山口■2014年5月6日(祝)■2019年4月14日(日)【歴史】室町時代の山口は大内氏の本拠地で、全盛期には京都を凌ぐほど繁栄していた。大内氏は周防国の地方役人だったが、鎌倉時代には周防国を支配し、室町時代には長門国にも勢力を広げた。大内氏は弘世が当主の時代に本拠地を山口に移したと伝えられている。14世紀後半には大内義弘が6か国の守護となり、勢力を拡大していった。しかし、強大な力を...

  • 35216-1 山口県山陽小野田市

    山口県山陽小野田市1:小野田■2019年4月13日(土)【歴史】小野田は焼き物に適した土に恵まれた地である。小野田は古代に須恵器など焼き物の生産が行われ、「須恵」、「焼野」等の地名が現在も残っている。小野田で本格的に陶器の生産が行われるようになったのは19世紀中頃からである。陶工を生業としていた甚吉は、小野田の旦地区を訪れた際、小野田の土が焼き物に適していることを見抜いた。甚吉は旦地区に登り窯を築...

  • 40205-2 福岡県飯塚市

    福岡県飯塚市1:飯塚■2019年4月7日(日)【歴史】江戸時代の飯塚は長崎街道の宿場町(飯塚宿)だった。飯塚宿には、田川へ通じる街道との追分があった。また、江戸時代の飯塚宿の町中には遠賀川が流れており、水運の便が良かった。江戸時代、本町商店街と東町商店街を結ぶ交差点には白水橋があり、橋の下を遠賀川が流れていた。そのため、江戸時代の飯塚は水害が多発していたが、伊藤伝右衛門が遠賀川の付け替え工事を行っ...

  • 40206-1 福岡県田川市

    福岡県田川市1:田川■2019年4月6日(土)【歴史】田川は筑豊炭田により明治時代から発展した炭鉱町である。1895年、田川には鉄道が開通し、田川から石炭の輸送が容易になった。そして、1900年には田川採炭組から三井鉱山に経営権が譲渡され、三井田川鉱業所が創業した。三井田川鉱業所は田川の炭坑を開発するため、伊田地区に竪坑の開削計画を立案し、1910年に2つの竪坑を完成させた。完成した三井田川鉱業所...

  • 40625-2 福岡県みやこ町

    福岡県みやこ町1:豊津■2019年4月6日(土)【歴史】古代の豊津には豊前国の国府が設置され、豊前国の中心地だった。昭和50年代前半、国府の跡地に大規模施設の建設計画が持ち上がった。しかし、豊前国府・国分寺調査研究会が中心となって保存運動を実施した結果、国府跡は破壊の危機を免れた。国府跡は国府跡公園として整備されている。国府跡の近くには、平安時代に惣社として建立された惣社八幡神社がある。国府に赴任...

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