chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
  • 14100-3 神奈川県横浜市(神奈川)

    神奈川県横浜市5:神奈川■2024年5月4日(祝)《神奈川の地名の由来》神奈川の地名の由来の1つに、かつて神奈川小学校東脇に流れていた上無川(カミナシガワ)が訛ったものという説がある。上無川は水量が乏しく、水源が定かでない川だったと言われている。関東大震災後の復興計画で埋め立てられ、現在は川の姿を見ることができない。江戸時代になると、神奈川は東海道の宿場町(江戸から数えて3番目)になった。当時、中...

  • 14100-3 神奈川県横浜市(金沢)

    神奈川県横浜市4:金沢■2024年4月21日(日)【歴史】《鎌倉時代の金沢~金沢北条氏と金沢文庫~》鎌倉時代の金沢には鎌倉幕府の外港「六浦湊」があったことから、鎌倉幕府の海路を通した玄関口であったと同時に、物流の拠点だった。また、金沢には北条実時が創設した金沢文庫があり、日本や中国の本が大量に収められていた。実時は北条氏の分家の金沢(かねさわ)北条氏の家柄で、2代執権北条義時の孫に当たる。寄合衆な...

  • 14100-3 神奈川県横浜市(戸塚)

    神奈川県横浜市3:戸塚■2024年3月30日(土)【歴史】《東海道の宿場町、戸塚宿》江戸時代の戸塚は、東海道の宿場町(江戸から5番目の宿場町)だった。戸塚宿は起点の日本橋から約10里(40Km)の距離にあり、朝に江戸を発った旅人の一番目の宿泊地として最適だった。さらに、戸塚には大山道との追分もあり、大山に参詣する旅人にも利用された。そのため、戸塚宿は53ある東海道の宿場の中で10番目に宿泊施設が多...

  • 14100-3 神奈川県横浜市(保土ケ谷)

    神奈川県横浜市2:保土ヶ谷■2024年3月30日(土)【歴史】江戸時代の保土ヶ谷は、東海道の宿場町(江戸から4番目の宿場町)だった。保土ヶ谷宿は1601年に設置されたが、1648年に道筋が変わり、現在の天王町、岩間町、帷子町、保土ヶ谷町が保土ケ谷宿になった。旧古町橋跡は、この道筋の変更の歴史を今に伝えるものである。保土ヶ谷宿の江戸方見附(江戸方面の宿場町の出入口)は、シルクロード天王町商店街にあっ...

  • 14100-3 神奈川県横浜市

    神奈川県横浜市1:横浜■2024年2月3日(土)■2024年2月10日(土)【歴史】《横浜はかつて入り海だった》横浜は17世紀まで入り海だった。1656年に江戸の商人の吉田勘兵衛がこの入り海を埋め立て新田開発を行い、1667年に完成し、横浜村が成立した。当時は戸数100戸程度の農村で、村民は農業を主体に閑散期は漁業で生計を立てていた。《日米和親条約が横浜で締結された》横浜は1854年3月8日に江戸幕...

  • 13203-9 東京都武蔵野市

    東京都武蔵野市■2024年1月20日(土)【歴史】≪中島飛行場の工場の進出≫1938年、武蔵野市には中島飛行機(SUBARU、日産自動車の前身)の工場『武蔵野製作所』が設立された。中島飛行機は1917年に中島知久平が創設した会社で、主に軍用機を製造していた。設立当初は陸軍用の軍用機を製造していたが、1941年に隣接した敷地に『多摩製作所』が設立され、海軍用の軍用機も製造するようになった。さらに、2つ...

  • 13114-8 東京都中野区

    東京都中野区■2024年1月5日(金)【史跡】①哲学堂公園1904年に井上円了が創設した公園で、2020年に国指定の名勝に指定された。井上は哲学者だったが、哲学館(後の東洋大学)を創設した教育者でもあり、生涯教育を提唱し全国を行脚し各地で講演会を実施した。哲学堂公園は哲学の世界を視覚的に表現しており、来園者が哲学について学べるような社会教育の場となっている点が大きな特徴である。なお、井上の墓が哲学堂...

  • 13117-2 東京都北区

    東京都北区■2024年1月6日(土)【歴史】≪郡衙と豊島氏~古代から中世の北区~≫奈良時代の北区には豊島郡の郡衙が設置され、豊島郡の中心地だった。郡衙は行政の事務的な仕事を司る郡庁院、庶民から徴収した稲籾を納める正倉院から成り立つ組織だった。跡地は滝野川公園になっており、当時は武蔵国から下総国への最短ルート上にあった。11世紀頃になると、北区には平氏の一族である豊島氏が土着した。豊島氏が14世紀末頃...

  • 13115-6 東京都杉並区

    東京都杉並区■2024年1月8日(祝)【歴史】江戸時代の杉並区には甲州街道が通り、宿場町(高井戸宿)があった。17世紀、高井戸宿は甲州街道の1番目の宿場町で、下高井戸宿と上高井戸宿の2つの宿場が半月交代でその勤めを果たしていた。しかし、1698年に内藤新宿が置かれると、高井戸宿を素通りする旅人も多くなり、高井戸宿の宿場町としての役割が減少した。なお、高井戸宿は半宿半農だったため、便所を旅人に開放し...

  • 13123-7 東京都江戸川区

    東京都江戸川区■2024年1月4日(木)【歴史】≪小岩市川の関所(渡し)~小岩地区~≫江戸川区の北東部に位置する小岩地区は、江戸川に面していることから、江戸時代に『小岩市川の渡し』と呼ばれる渡し場があった。渡し場があったことを証明するものとして、1839年に造られた常燈明が宝林寺に移され、現存する。小岩市川の渡しには江戸の防衛のため橋は架けられず、『小岩市川関所』が設置された。小岩市川関所のあたりは...

  • 13107-5 東京都墨田区(本所)

    東京都墨田区1:本所■2023年12月17日(日)【歴史】≪本所の始まり≫墨田区南部の本所地区は、1657年の明暦の大火後に開発された地域である。明暦の大火では、千住大橋以外に橋が架けられていないことで多くの江戸町民が逃げ場を失い、10万人が死傷したと言われている。幕府は防災のため、武蔵国と下総国との間に橋を架け(両国橋)、徳山重政に本所の開発を命じ、江戸の町を本所に拡げた。徳山重政の屋敷跡には、徳...

  • 13118-1 東京都荒川区

    東京都荒川区(南千住)1:南千住■2023年12月10日(日)【歴史】南千住と北千住を結ぶ千住大橋は1594年に架けられた橋で、徳川家康が関東に移封された後に隅田川に初めて架けられた橋だった。千住大橋が架けられてから、千住大橋より上流が隅田川、下流が荒川と区別されていた。ところが、大正時代に人工河川として開削された荒川放水路が1965年に荒川となり、千住大橋の下流も隅田川となったことで、荒川区から...

  • 13214-4 東京都国分寺市

    東京都国分寺市■2023年12月3日(日)国分寺市は市名の通り奈良時代に武蔵国の国分寺が建てられた地である。その他、国分寺市には武蔵国の国分尼寺跡や官道の東山道の跡が残っており、奈良時代の史跡が色濃く残っている。≪東山道武蔵路≫古代の国分寺市には、武蔵国と上野国・下野国(現在の群馬県・栃木県に相当)を結ぶ官道が通っていた。国分寺が建立された当時の武蔵国は東山道に属していたため、この官道は『東山道武蔵...

  • 12322-6 千葉県酒々井町

    千葉県酒々井町■2023年11月23日(祝)【歴史】≪千葉氏の本拠地~中世の酒々井~≫戦国時代の酒々井には千葉氏の本拠地である本佐倉城があった。千葉氏が本拠地を本佐倉城に移すまでの歴史は≪千葉市の歴史≫を参照。1455年に鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏が対立して勃発した享徳の乱が起こると、千葉氏で内紛が勃発し、宗家の胤直は上杉氏に、分家の康胤(胤直の叔父)は足利氏に組した。この内紛では康胤が勝利し...

  • 12228-9 千葉県四街道市

    千葉県四街道市■2023年11月23日(祝)【歴史】四街道は古くから交通の要衝で、船橋、千葉、東金、成田の4方向への街道が交差していた。このことから「四街道」の地名が名付けられ、市名にも採用された。四街道十字路交差点には、1881年に建てられた石造の道標が現存する。1894年に四街道駅が設置されると、3年後の1897年に「陸軍野戦砲兵射撃学校」が下志津原(佐倉市)から四街道に移された。砲兵学校跡の...

  • 13120-2 東京都練馬区

    13120-2 東京都練馬区東京都練馬区■2023年11月19日(日)【歴史】≪豊島氏と練馬~中世の練馬~≫平安時代後期から室町時代中期にかけて、練馬では豊島氏が勢力を誇っていた。豊島氏は秩父平氏の一派が豊島郡に土着し起こった氏族と言われている。1476年から始まった「長尾景春の乱」において、豊島氏は長尾景春に味方し、山内上杉家・扇谷上杉家と戦った。しかし、1477年に扇谷上杉家の重臣の太田道灌に敗れ、衰退...

  • 13110-5 東京都目黒区

    東京都目黒区■2023年10月15日(日)■2023年11月12日(日)【歴史】江戸時代の目黒区には集落や農村が点在していた。例えば、碑文谷(ひもんや)公園にある碑文谷池はかつて碑文谷村の村人たちが共同で管理していた共有地で、下流一帯の水田灌漑の重要な水源として大切に維持・管理されていた。池の中島には、碑文谷村を知行していた旗本の神谷氏が奉献した弁財天像が安置されている、厳島神社が建てられている。ヘ...

  • 13108-3 東京都江東区(城東)

    東京都江東区2:城東■2023年11月4日(土)【史跡】①中川船番所(中川番所)江東区を横断するように、旧中川と隅田川の間を東西に直線状に流れる小名木川は、江戸時代初期に江戸幕府が開削した運河である。小名木川は近郊の農村で収穫された野菜や東北地方からの年貢米が行き交う物流の大動脈であり、また成田参詣客など人の輸送も多かった。そのため、江戸幕府は小名木川の東端に中川船番所を設置し、主に以下の業務を行っ...

  • 13108-3 東京都江東区(深川)

    東京都江東区1:深川■2023年11月3日(祝)【歴史】≪深川の起こり≫徳川家康が関東に移封され、江戸の町おこしが進められた江戸時代初期、摂津国出身の深川八郎右衛門は小名木川北岸の新田開発を進めた。その後、八郎右衛門は家康に召し抱えられることになり、開発した地域に八郎右衛門の苗字「深川」が名付けられた。以降、八郎右衛門の家は深川の名主を務めた。深川神明宮は、八郎右衛門が信仰していた伊勢神宮から分霊を...

  • 12222-0 千葉県我孫子市

    千葉県我孫子市1:我孫子■2023年10月21日(土)【歴史】≪水戸街道の宿場町~江戸時代の我孫子~≫江戸時代の我孫子は、千住宿(現在の東京都足立区北千住)と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町だった。我孫子宿は千住宿から数えて4番目の宿場町で、本陣・脇本陣の両方を備えた規模の大きい宿場町だった。本陣跡に説明書きを付した杭が建てられている。我孫子宿に現存する史跡として、延寿院(子の神大黒天)への道標がある。≪文...

  • 12206-8 千葉県木更津市

    千葉県木更津市■2023年10月1日(日)【歴史】≪木更津の地名の由来≫木更津の地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の以下の伝説に因んでいると言われている。景行天皇の命令で東方の蛮族を征伐する日本武尊は、相模国から上総国へ行くため東京湾を渡ろうとした時、にわかに強風が起こり、船が難破しそうになった。妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)は、日本武尊の命を救おうと海中に身を投じ、海神を慰めた。強風は...

  • 13221-7 東京都清瀬市

    東京都清瀬市■2023年7月29日(土)【歴史】≪病院街・清瀬の歴史≫清瀬駅の南口には東京病院を中心に多くの病院が密集し、病院街が形成されている。1931年、清瀬には結核療養所『清瀬病院』が設立された。当時の日本は結核が慢性的に流行しており、不死の病として恐れられていた。清瀬病院の設立に地元の人々は反対していたが、当時の清瀬には病院がなく、村の医療充実のために最終的に設立を受け入れることとなった。1...

  • 13204-7 東京都三鷹市

    東京都三鷹市■2023年9月24日(日)【歴史】≪山本有三と太宰治が暮らした町≫大正時代まで三鷹には農村が広がっていた。しかし、関東大震災後に被災者が三鷹に移住し、1930年に三鷹駅が設置されると、三鷹に町が発展していった。しかし、まだ自然が残り落ち着いた環境だった当時の三鷹には、2人の文人が移住した。①山本有三山本有三は1936年に吉祥寺から三鷹に移住した。三鷹への移住の理由は、落ち着いた執筆環境を...

  • 13201-2 東京都八王子市(史跡)

    東京都八王子市(史跡)【史跡】①八王子城■2015年11月14日(土)■2023年9月17日(日)八王子城は1587年に北条氏照が深沢山に築いた山城である。氏照は後北条氏3代当主である北条氏康の三男で、滝山城を根城としていた。滝山城は平山城であったが、平面的な広がりが大きく、各曲輪の高低差が少ないことから、少人数での籠城戦に向かなかった。そこで、氏照は豊臣秀吉の来攻に備え、根城を滝山城から八王子城へ...

  • 13201-2 東京都八王子市(八王子)

    東京都八王子市1:八王子■2023年9月2日(土)本記事では八王子市の市街地の歴史について述べる。【歴史】≪平安時代の八王子~横山党の根拠地~≫平安時代の八王子には横山荘があり、武蔵七党の中でも最大勢力を誇った横山党の根拠地だった。八幡八雲神社の境内に横山神社があり、横山党の根拠地と推定されている。横山党を率いた横山氏は小野篁の後衛と言われている。横山氏は鎌倉時代の和田合戦で敗北した和田義盛に味方し...

  • 13213-6 東京都東村山市

    東京都東村山市■2023年8月19日(土)【特集】①全生園とハンセン病患者隔離の歴史全生園は1909年にハンセン病(らい病)の療養施設として設置された施設である。ハンセン病は神経の麻痺を引き起こす感染病で、罹患すると最終的には顔や手足が変形する。その特異な症状や国の誤った政策により、長い間、患者は差別や偏見にも苦しんできた。現在は感染してから早期に処方すれば完治する治療薬があり、現在の日本の衛生状態...

  • 14216-6 神奈川県座間市

    神奈川県座間市■2023年8月5日(土)【歴史】≪江戸時代の座間~内藤清成の陣屋町~≫江戸時代当初の座間は、内藤清成の所領だった。清成は高遠藩内藤家の先祖にあたる徳川家康の譜代の家臣で、1592年に座間を中心とした相模国東部に5千石の領地を与えられた。清成の屋敷は内藤陣屋と呼ばれ、陣屋のある小路は陣屋小路と呼ばれていた。陣屋小路には今でもわずかに武家屋敷の面影が残っている。清成は内藤新宿に屋敷を構え...

  • 13212-8 東京都日野市

    東京都日野市■2023年7月16日(日)【歴史】≪甲州街道の宿場町と現存する本陣≫江戸時代の日野は、江戸城と下諏訪(現在の長野県下諏訪町)を結ぶ甲州街道の宿場町(江戸から数えて10番目)だった。宿場町の規模としては、旅籠20軒、町並みは約1Kmで、比較的小さかった。また、多摩川に面しており、渡船場の管理を担っていた。宿場町の東西の出入口には、それぞれ近隣周辺の住民税たちが力を合わせて地蔵を建てた。現...

  • 13209-8 東京都町田市(鶴川)

    神奈川県町田市1:鶴川■2023年7月8日(土)【歴史】≪小野路~府中通り大山道の宿場町~≫鶴川地域にある小野路は、江戸時代、東京都府中市から大山へ向かう府中通り大山道の宿場町だった。この街道は駿府で死去した徳川家康の遺体が久能山から日光に運ばれる際に利用されたことから『御尊櫃御成道』とも呼ばれている。小野路には現在も宿場町の面影が多少残っている。旅籠は6軒あり、そのうちの1軒「角屋」が整備され「小...

  • 14206-9 神奈川県小田原市(小田原)

    神奈川県小田原市1:小田原■2015年12月20日(日)■2023年6月4日(日)■2023年6月10日(土)【歴史】≪戦国時代の小田原の歴史~後北条氏の栄光と衰退~≫16世紀の小田原は、関東の大部分を支配した後北条氏の根城があった地である。1500年頃、伊豆国を支配した北条早雲は大森氏から小田原城(詳細は史跡①を参照)を奪取した。早雲の出自は明らかではないが、室町幕府の政所の執事(上級役人)を務めてい...

ブログリーダー」を活用して、ザックさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ザックさん
ブログタイトル
休日、旅日和
フォロー
休日、旅日和

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用