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  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(11) 完

    私たちにはすべての肢体の中におられるキリストが必要であり、すべての肢体には私たちの中におられるキリストが必要です。これはぎこちない述べ方です。主は他の人々を通して私たちに与えることによって私たちの手を強めてくださいます。そして主は、独立した自由契約者的なもの、神の真理に全く反するものに、ことごとく反対されます。そのため、服従の必要性を強調する必要があります。「互いに服従しあいなさい」。神の家におけ...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(10)

    大部分の聖徒たちは教会についての新約聖書の啓示を失っており、それより劣るものの中にあります。主は地上に、おそらく比較するととても小さいけれども、それでもとても尊いものを得ようとしておられます。その尊さは、それが主の御心に全くしたがっている点、聖霊によるこの啓示を持っている点にあります。主は私たちにこの原則を理解させて、それについてご自身と協力させ、私たちに関するかぎり、私たちをその中に立たせること...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(9)

    私たちは「相互依存」という言葉を使いました。「足は手に向かって、目は足に向かって、『私はあなたを必要としない』と言うことはできません」。相互に依存しあっています。これは、主がこの素晴らしい命の中にもたらしてくださったことを意味します。すべての肢体が他の肢体の力と命の恩恵を受け、彼らに養われ、支えてもらえるのです。そして、各肢体は全体のために、全体は各肢体のために生きなければならないのです。そして、...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(8)

    すべての肢体の相互依存を、私たちは強調したいと思います。それには途方もない解放が必要です。私たちは長年続いてきた体系という恐ろしい遺産を受け継いでいます。使徒たちが去る前の頃のことですが、人は教会を天上から引き下ろして、地上に植え、それを地上のものとしました。そして、人を設計者として導入し、教会を世の大衆運動にしようとしました。人々に感銘を与え、人々を引き寄せるものによってです。人々を教会に引き寄...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(7)

    それは相互依存の問題です。この本質的な問題において、私たちはキリストのからだをそっちのけで何をしているのでしょう?私は真実を誇張しているとは思いません。ただ真実を明らかにしようとしているだけです。私たちは委員会、評議会、人々の団体を集めて、教会の諸事を組織し、案配し、操作し、指導しています。しかも大部分この世の商売の線に沿ってであり、神の働きを継続させるためにこの世の資源をあらゆる手段で引き出そう...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(6)

    体について述べると、この呼称は最終的に一つであるものを示すためのものです。体は一つです。肉体を例に取ると、肉体は互いに絡み合っているので、この体の一点に触れるなら全体に触れることになります。鋲を踏むと、鋲はつま先の先端に触れるだけですが、体全体に影響を及ぼします。よくご存じのように、悪い歯があると、それは体全体を巻き込みます。この一体性はとても完全なので、一点に触れるなら全体がそれに巻き込まれます...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(5)

    5.新創造の団体的性質皆さんは認識しておられるでしょうが、今や信者の生活の中にあるものはみな個人的な個別のものであるだけではありません。他のすべての信者と関係しており、団体的であり、全体の一部なのです。ですから、私たちは喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣かなければなりません。私があの節を読んだ時、それに続く節に注意を喚起したことに気づいておられるでしょう。「あなたたちは新しい人を着たのですから、おの...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(4)

    3.主イエスの主権的頭首権次に、私たちは主権、主イエスの主権的頭首権、新創造の主権に進みました。新約聖書が主権に関する福音で始まるのはとても印象的です。マタイは主権の線に沿って福音を紹介しています。それは王です。マタイ――主権。印象的なことに、マタイは主権の線に沿って福音を紹介した後、福音書の終わりに辿り着く前に、教会をこの主権の道具として紹介しています。マタイ十六章:主権が教会に与えられているので...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(3)

    2.普遍性普遍性について二番目に黙想しました。御霊から生まれたもの、新しい人である教会の普遍性についてです。先ほど読んだ節がそう述べていることに注目してください。教会は新しい人――一人の新しい人――であり、その範囲、影響、務めは普遍的です。それは普遍的です。地元の諸々の群れの間に局所的な表現があるかもしれませんが、局所的ではありません。それは国家的ではありません。国際的ではありません。残念ながら、多く...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(2)

    教会の使命は天的使命です。私たちは常に覚えておかなければなりませんが、神の民の使命には人に対する面もありますが、最も重要な面は神に対するものなのです。これは旧約聖書の幕屋と宮における礼拝によってとても明確に実証されていることがわかります。というのは、幕屋――そこに神の御心が見られます――に取り組み始めるときは、常に内側から始めることになるからです。神は内側から開始されます。神は至聖所とその中にあるもの...

  • 「御霊から生まれるもの」第五章 新創造の本質的な団体的性質(1)

    朗読:エペソ四・二四、二五、コロサイ三・十、ローマ六・四~六、七・六、十二・二、四~六、一コリント十二・十二~十四、二〇、二七。主が私たちの一連のメッセージに加えることを望んでおられるのは、御霊から生まれたもの、キリストにある新創造の本質的な団体的性質についての言葉であると、私は感じています。そこにこそ、私たちが述べてきたことの最大の意味が集約されているのです。1.新創造の天的性質私たちはまず、御...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(14)

    高ぶりそしてもちろん、自己意志の最も強力な特徴の一つは高ぶりです。ルシファーは、「私はいと高き者と等しくなろう」と言いましたが、預言者は「あなたの中に高ぶりが見いだされた」と言うよう促されました。高ぶりは多くの形を取ります。高ぶりはきわめてへりくだった姿勢を取ることもあります。高ぶりは自分のことをとても残念に思うこともあります。高ぶりはとても痛ましいものであることもありますが、それは依然として高ぶ...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(13)

    バニヤンの「聖戦」でいつも思い出すのは、アポリュオンが人魂の都を占領しようとした時のことです。アポリュオンが真っ先にしようとしたのは、市長の理解力氏を捕らえて、何が起きているのか見えない暗い地下牢に入れることでした。「理解力を暗くされて、神の命から遠ざかっていました」。これは粉砕されなければならない束縛です。十字架で主イエスはすべての子らのためにそれをなしてくださいました。彼はすべての子らを栄光へ...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(12)

    私たちはこれらのメッセージで十字架を自分たちに凄まじく適用してきました。そのため、私たちの多くはその衝撃力に動揺し、この古い人に適用される十字架の恐るべき力を感じてきました。なぜそれが必要なのでしょう?なぜ十字架がこの旧創造の上にこんなにも破壊的な力で臨むことが不可欠なのでしょうか?二つの理由がありますが、それは一つの事柄の二つの面です。それは旧創造が、霊的・道徳的な意味で、暗闇の権威の下にあって...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(11)

    頭首権は律法的、形式的、教会組織的なものではありません。頭首権は霊的・道徳的なものです。この頭首権は女に与えられることも時々あります。だれかが家族に対して頭首の地位につかなければならず、男が失敗して、女が霊的・道徳的にそうするのにふさわしい場合は、女がそうしなければなりません。しかし、それは正しい秩序ではなく、それが続く間は弱さが残るでしょう。たんに男がそこにいるからという理由で頭首になるわけでは...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(10)

    リベカが遠国からイサクのもとに連れてこられた時のことです。彼らが近づくと、彼女は目を上げて、「この人は誰ですか?」と言いました。「私の主人の息子、あなたの夫となるイサクです」。すると、彼女は直ちにベールを取って、それで顔を覆ったと記されています。彼女の美しさは他のだれのためでもなく、彼のために取っておかれました。そうです。教会は彼の栄光のためにあるのです。「花嫁の目は見つめる、自分の衣ではなく、自...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(9)

    キリストのからだ――キリストの頭首権を示す媒体さて、次の点はこれです。すなわち、キリストのからだ(そして、キリストのからだのすべての肢体)はキリストの頭首権を示す媒体であるべきである、ということです。キリストは、「万物に対するかしらとされて教会に与えられました。この教会は彼のからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です」。ですから、このからだとそのすべての肢体は、かしらの栄光を示すべき...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(8)

    パウロは、困難な人生の終わりに、傷ついた体で、何度もひどく苦しみ、死にかけましたが、海が荒れ狂い、熟練した船乗りたちが途方に暮れ、絶望し、ただ立ちすくんで事態の成り行きを見守る以外になすすべがない時に、やって来て船を指揮し、すべてをやり遂げ、乗組員全員の士気を回復しました。これは人間の個性の力ではなく、人における神の優位性です。「今夜、神の御使いが私のそばに立って、『パウロよ。恐れるな』と言いまし...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(7)

    他方において私たちは、迫害され、追われても、見捨てられないことがどういうことかを知っています。迫害されますが、見捨てられません。投げ倒されますが、滅ぼされません。常に優位であり続けます。それは私たちが楽観的だからではありませんし、陽気な精神が旺盛で自分を明るく奮い立たせられるからでもありません。次のことは、私たちの心の中で聖霊が主イエスの御名の中で優勢であることを示す強力な事実です。すなわち、最悪...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(6)

    古いものとは何でしょう?かつて私はそれをやっていましたし、あるいはやろうとしていました。それを計画し、企画し、それに自分の判断を下していました。それを運営していました……古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました、そしてすべては神から出ています。これが違いです。すなわち、古いものは自分自身から出ていましたが、今やすべては神から出ている、ということです。新創造がそこにあります。そして、新創造...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(5)

    キリストは万人の頭であり、万物に対する特別な使命のために教会に与えられています。教会は彼のからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。これらの領域の区別については後で見るかもしれませんが、ここではこの事柄全体の背景を理解するために事実を述べています。さて、これを認識し、心からイエス・キリストは主であると宣言し、約束された御霊――それによって彼は万物に対する油塗られた頭とされました――を...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(4)

    彼には優位性がありました。それは彼の人間生活の優位性だけではありませんでした。地上の王たちを上回る何かが伴っており、それで地上の王たちは彼の御前では自分のちっぽけさを感じたのです。常に彼は、創造された万物に対する頭としての霊的・道徳的地位に置かれました。それは後に真に成就されるであろうことが、その油塗りよって暗示されました。神が選びの器を油塗られたところではどこでも、その器は他のすべてのものよりも...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(3)

    油塗りこれは主イエスの天的行程の別の段階であり、後で見るように、これには天的対応物があります。彼の油塗りの場所に進むことにします。彼がヨルダン川から上がられた時、天が開かれ、聖霊が鳩の姿で彼の上に臨み、彼は象徴的・予型的に聖霊によって油塗られました。この油塗りは、神が人の子なる方の生涯に新たな形で関わられたことを意味しました。ある学派が教えているように、神がヨルダン川で主イエスのもとに来て、カルバ...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(2)

    私たちはこれまで代表の問題を追ってきましたが、その話の流れについてきておられたなら、私たちが最初に述べたことは主イエスの誕生と関係していたことにお気づきでしょう。その誕生は全く天的なものであり、御霊から生まれたものを真に代表するものでした。私たちは、考察の第一原則の一つとして、主イエスは父なる神によって神の御心に適う人の代表として立てられたのである、と述べました。彼の生涯のどの特徴や面も、人に関す...

  • 「御霊から生まれるもの」第四章 新創造のかしらである主イエス(1)

    朗読:使徒二・三二、ピリピ二・五~十一、ヘブル一・五~九、二・九、十、エペソ一・二二~二五、四・十五、五・二三、コロサイ一・十八、二・十九、一コリント二・五私たちは、「御霊から生まれたもの」もしくは「キリストにある新創造」に専念してきました。私たちはまず、御霊から生まれたもの、キリストにある新創造の天的性質について考えました――その天的起源と天的命、天的関係、天的資源、そしてその性質と使命の全き天的...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(10)

    もちろん、述べるべきことがまだまだたくさんあります――変容、復活、昇天、ペンテコステにおける御霊の来臨、御名――これはみな普遍的です。この御名はあらゆる名の上にあり、それに対してすべての膝がかがみます。これは普遍性です。それは主イエスの中にあります。その御名で私たちは呼ばれます。私たちはイエスの御名の中にもたらされましたが、それはこの御名の普遍性と権威を通してであり、彼にあってよみがえらされた者として...

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