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  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(9)

    すでに見ましたが、新しい人は、それを造った方のかたちに、御子の人性のかたちにしたがって新しくされつつあります――あなたは主イエスを人類のどこか孤立した界隈に留めることができるでしょうか?彼の人性にはあらゆるものが溶け込んでいました。これは約二千年の間に証明されてきたのではないでしょうか?主イエスをインド、アフリカ、中国、この世界のどこでも好きな所に連れて行くなら、彼の中に普遍的な接点となるものが見つ...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(8)

    それは私たちにとって長い学びになるでしょうが、主イエスの生涯における普遍性について学ぶことは大きな価値があるでしょう。彼の誕生はたんに地上の、局所的なものではありませんでした。聖霊の活動を見てください。肉の意志や人の意志、血によってではなく、聖霊によって生まれたのです。これは普遍性です。地的な誕生の水準からこの誕生を引き上げるものです。天が介入し、天使たちは天を裂いて道を開き、天がその誕生に関与し...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(7)

    これは一つの過程であることを忘れないでください。この新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされつつあります。御子のかたちに同形化されるようにあらかじめ定められており、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされつつあります。これが今起きていることです。私たちはこのかたちにしたがって新しくされつつあるのです。次に、これは漸進的な解放です。私たちはこの天然の命に属するもの――それらは支...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(6)

    前に述べましたが、ユダヤ教では律法の中にとどまることが可能でしたが、それと同じように、キリスト教も律法の中にとどまるおそれがあります。キリスト教は律法を一つの体系としてあなたに課そうとします。また、天然的なクリスチャンは、「あなたはこれをしてもかまいません、あれをしてはなりません云々」と言います。そして、あなたの生活は律法的なものになり、「自分がこのことやあのことをしたら、兄弟たちはどう言うだろう...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(5)

    新約聖書の中の地域集会もそうでした。彼らは、自分たちの務めはその教区内だけでなく、どこでも主の御名の中で務めがなされているなら、それも自分たちの務めであることを認識していました。ですから、使徒はどこに行っても、必ず人々に霊の中で協力してもらいました。務めは一つであること、一つの場所に位置していても普遍的であることを、彼は認識していたのです。テサロニケ人はアジア全域に伝道するのに役立ちました。エペソ...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(4)

    復活した主イエスが他の何よりも表しているものがあるとするなら、それは、肉であるものとは異なるものである、霊であるものの性質であるように思われます。それは空間を超越しています……距離は無意味です。人の寸法には何の地位もありません。彼は天と地を一瞬で渡り、一瞬で境界に触れます。長さ、広さ、高さ、深さは、一瞬のうちにすべてひとりの御方の中に網羅されます。そして、主は私たちを私たちの限界から連れ出してあの領...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(3)

    子たる身分世の限界はなくなり、彼は限界も寸法もない、絶対的に普遍的なキリストになられました。これが復活の意味です。これが子たる身分の意味です。なぜなら、子たる身分は復活において明らかになるからです。復活の立場に基づいて、この子たる身分は明確な現実となります――「死者の復活により、力の中で神の御子と宣言された」とあるとおりです。復活の力の中で、子たる身分が明らかにされます。子であること、御霊から生まれ...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(2)

    主は、あなたが棺桶に頭を突っ込んだまま生きることを望んではおられません。ある時、私は修道院に行ったのですが、そこの修道士はまず修道院の地下室に私を連れて行き、ずらっと並んだ棺桶を私に見せました。彼の話によると、修道士がその修道院に入ると、まず自分の棺桶を与えられて、「あなたは一生この棺桶に縛られることになります。この先、あなたは死んだも同然なのです。この棺桶をあなたに与えるのは、あなたは最後までこ...

  • 「御霊から生まれるもの」第三章 新創造の普遍性(1)

    朗読:ローマ八・二九、二コリント五・十六~十七、エペソ四・二三、四・十三、コロサイ三・九~十一。さて、この大きな問題について続けるにあたって、私たちは御霊から生まれたものつまり新創造の普遍性に取り組むことにします。前回のメッセージでは、この新創造の本質的な霊的性質に専念しましたが、天的性質の主な特徴の一つは普遍性です。この言葉の象徴的意味を調べると、天は普遍性を象徴するものであり、またそのように使...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(10)

    十字架は、罪人としての人に適用されなければならないだけでなく、説教者・クリスチャン活動の組織者・諸教会の運営者としての人にも適用されなければなりません。これは真実です。あなたが霊的生活に入ったのは上からでしょうか?何年もの間、良い良心と良い信仰の中で主に仕えてきた神の子供といえども、あるべき形でその中にいないおそれがあります。そのような形でその中にいないので、あなたは救われていない、ということを言...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(9)

    次に、「もしあなたたちがキリストと共に死んだのなら、上にあるものを求めなさい」とあります。あなたたちはそこで天の生活を送ります。私たちの国籍は天にあるからです。十字架の天の側にあるものにはみな、天的な価値があります。古い人はその中に入れません。その中にあるものは上から来ています。古い人、旧創造から切り離す十字架の働き――キリストの割礼――が、すべて認識され、受け入れられ、信仰によって取得されました。そ...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(8)

    さて、実際に主の証しの中にある私たちにとって凄まじく重要だと私が感じていることを、一つお話ししたいと思います。それは、私たちの性質と構成は本質的に天的なので、神に属するものの中に入る時は上から入らなければならない、ということです。これもまた他の人に伝えるのがとても難しいことであり、主から理解力を賜ることが真に必要な問題です。私を信じてください、今あなたに理解できるかどうかはともかくとして、私が述べ...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(7)

    「子は自分からは何も行うことができません、言葉を語ることも、わざをすることもできません。しかし、父が言葉を語っておられるのであり、父がわざを行っておられるのです」――「父が行われるのを子が見ることは何であれ、子も同じように行います」云々と彼は宣言されました。これはみな、彼の生活においては天が絶対的に支配していたこと、彼はこの地には属していなかったことを示しています。今、彼は新創造、新しい人、御霊から...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(6)

    カナでの彼の肉身の母親の事例では、「ぶどう酒がなくなりました……」「女よ、わたしはあなたと何の共通点があるのですか」という会話がありました。これは、私たちの欽定訳が伝えるとても厳しい「女よ、わたしはあなたと何の関わりがあるのですか」という意味ではなく、次のような意味でした、「女よ、あなたの考え方とわたしの考え方は二つの別の領域にあります。あなたが考えていることは、わたしの考えではありません。あなたは...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(5)

    新約聖書における霊的地位の回復私たちの場所は天にあります。ヨルダン川以降の主イエスは、神の御心にしたがった新しい人、新創造すなわち御霊から生まれたものの模範でした。これに関連して、主イエスのこの地上生涯には、この地上にある何かによって影響されたり支配されたりすることは一瞬一刻たりともなかったことに気づきます。彼が人のある種の要求に応じられたとしても、それは一時の間のことにすぎず、この世の体系の支配...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(4)

    ヨシュア記は天上の書であり、ヨルダン川を経て上って行って良き地を所有すること、ヨルダン川で全く断ち切られて天上を所有しに行くことに関するものです……ヨシュア記では、あなたは常に天上の仮庵にいます。しかし士師記では、人々が天上から降りて来るのが見られます。彼らは破壊するよう命じられたものを容認しました。そして、それにより屈して地に向かい、地とのつながりが生じました。こうして士師記は、一つの例外であるマ...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(3)

    旧約聖書における霊的地位の回復旧約聖書に戻ると、主がご自分の民をエジプトから徹底的に完全に分離されたことがわかります――ひずめ一つもエジプトに残してはならなかったのです。次に、主はイスラエルをこう呼ばれました、「わたしの子……わたしはわが子をエジプトから呼び出した」。またパロに向かって、「わたしの子、わたしの長子を行かせて、わたしに仕えさせよ」。わたしの子……エジプトから。そして、ネヘミヤ書八・十七に向...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(2)

    信者の生活の絶対的に天的な性質今、その力を十分に実感できるよう願います。神の御言葉が分けている以上、私たちは神の御言葉が分けているものを分けて理解しなければなりません。神の御言葉は霊と魂と体を分けているのですから、私たちはこの違いを認めなければなりませんし、新しく生まれたものは私たちの体ではないことを(これについてはよくご存じでしょう!)再度理解しなければなりません。また、それは私たちの魂でもあり...

  • 「御霊から生まれるもの」第二章 新創造の本質的な天的性質(1)

    私たちはここのところ御霊から生まれるもの、つまりキリスト・イエスにある新創造に専念しています。よく知られている二つの節を思い出していただきましょう。一つはご存じのとおりヨハネ三・六です、「肉から生まれるものは肉であり、御霊から生まれるものは霊です」。もう一つは第二コリント五・十七です、「今や、だれでもキリストの中にあるなら、その人は新創造です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(8)

    それはこう説明できます。その理由は敵の側には全くありませんし、主の側にもありません。私たちにあるのです。主は御子のかたちに同形化することを求めておられ、困難・試練・妨げ・悪魔の活動はみな、私たちを連れ出して神へと引き寄せ、私たちの内に主イエスの特徴を発達させるためなのです。霊的優位性、信仰、神の御子の力強い信仰、イエス・キリストの特徴と御霊の愛を発達させるためなのです。キリストのこれらの特徴がみな...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(7)

    多くのことを述べてきましたが、これからの数日間のための前置きの話を終えるにあたって、次のことを述べたいと思います。神のこの偉大な支配的御旨、すなわち、栄光に至るすべての子らを御子のかたちに同形化することが、ここにいる私たちに対する彼のすべての取り扱いの理由なのです。私たちが通る奇妙な経験、私たちの人生の一部を形成する深刻な試練、私たちに関する神の摂理と主権によることはみな、神の御目的に照らして説明...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(6)

    次の点は――これにつまずく人が大勢いるのですが、聖霊は、言わば、この原型を目的として来臨された、ということです。聖霊は栄光の主イエスを見ておられ、神の御心に適う成就された栄光の人を見ておられます。聖霊は、この原型を徹底的に、細部に至るまでご存じです。聖霊は来臨されました。もし私たちが真に上から生まれた神の子供なら、彼は私たちの内におられます。そして今、聖霊が地上で行っておられるのは、この原型を内側に...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(5)

    これが問題です。私たちは常に、地的必要よりも高度な必要が何かあるのかどうかを見極めなければなりません。地的権益は必要なものなのか?という問いを発しないかぎり、私たちには決してわかりません。地的必要を論拠とするなら、あなたは地上に向かって、それを水平的に捉えることになります――「これを行うことが必要そうだ」というように。主の見方はそれとは違うかもしれません。天的必要をその線に沿って理解しなさい。敵は、...

  • 「御霊から生まれるもの」第一章 御子のかたち(4)

    私は今、彼が贖いの問題に関して行われた偉大な御業について取り扱っているわけではありません。彼の偉大な贖いの働きについて取り扱っているわけではありません。贖いの働きのために、彼は私たちの罪を負い、木の上でご自身の体にそれを担われました。私たちの代わりに神の怒りの大波をすべて受け、きわみまでも裁かれたのです。私はそれについて述べているわけではありません。それは、私たちがあずかる必要のないものです。神は...

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