おお主よ、汝の愛の火の如く且つ喜ばしい御力が私の霊魂を天が下の凡ゆるものより離して汝に集注せしめ給う。忝じけなくも私如きものを愛してそのために死に給うたように私にも愛のために死ぬる心を深くさせ給え。全能にして、最も聖く、最も高く、最高善にして、全ての善、凡ゆる善の源なる神よ、汝のみただ一人善にて在し給う。全能にして、永遠なる、義にして、憐み深き神よ、哀れなる我々に汝を知り、常に汝の喜び給うところを...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第四章 神の標準 (3)
この手紙の一一章、もしくは、この文書のこの箇所は、その後、この数字の一一によって区別されてきましたが、さしあたってそれを頭から払いのけて、この文書を一体のものと見なすのがいいでしょう。しかし、私たちの便宜のために一一という数字が振られているこの箇所は、どのようにして諸時代に及ぶあるエコノミーによって神は霊的な男女を確保されたのかを示しています。霊的な男女の星雲がこの区分の中に見いだされます――彼ら...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第四章 神の標準 (2)
一つの体系、一つのエコノミーが過ぎ去ったこと これをよく調べて、過ぎ去ろうとしているものが何だったのか、それは何を意味したのかについて検証するなら、この手紙から重要な永続的メッセージが得られるでしょう。そして、ここに記されているその真の意義と永続的意味が、別の転機の背後にもあることがわかるでしょう――その転機を今日私たちは見ています。親愛なる友よ、あなたも私もキリスト教の伝統の様相がすっかり変わろう...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第四章 神の標準 (1)
ペテロ第一の手紙、ペテロ第一の手紙二章六節と七節、「聖書にこう書かれています、『見よ、私はシオンに、選ばれた尊い隅のかしら石を据える。彼を信じる者は辱められることがない』。こういうわけで、信じるあなたたちには尊いものですが、信じない者には、『建設者たちが拒絶した石、これが隅のかしらになった』とあり、また、『つまずきの石、妨げの岩』とあります」。 へブル人への手紙一二章二二節、「あなたたちはシオン...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (11)
今朝私が述べたことは、途方もない数々の問題を含んでいます。つながりと交わりというこの問題を含んでいます。これについていかなる思い違いもしないでください。あなたの命がそれにかかっています、あなたの霊の命がそれにかかっています。悪魔もそれを知っており、もし可能なら、何らかの方法で、それをすっかり損なうでしょう。ああ、そうです、彼は苦い憎しみをもってシオンを憎んでいます。そして、地上のシオンもしくはエ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (10)
主イエスがいかなる方か、そして、彼がなさったことのすべての益に、もし私たちが共に、共に、実際に浴していたなら、私たちはもっと幸いな民になっていたでしょう。祝祭の民になっていたでしょう!「私たちの定められた祭りの都……」。「私たちの祝祭の都」と言ってもいいでしょう。これがシオンです。そして、シオンはさらにそれ以上のものです。そして私はとても心配しているのですが、私がこうしたことを述べている時、それら...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (9)
キリストという基礎に基づく交わり しかし、シオンを基礎・中心とするあの経綸の交わりの性質はいかなるものだったのでしょう?それは一つのささやかな句で与えられます。すなわち、「シオン、私たちの定められた祭りの都」です。では、定められた祭りとは何だったのでしょう?数々の祝祭です。これを「私たちの祝祭の都」と適切に訳すことができるでしょう――共に集まって素晴らしい時を過ごす場所です。ああ、何と彼らはシオンに...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (8)
昨日指摘したように、御言葉の中にシオンの二つの境界が見られます。シオンに対する最初の言及は、紅海のあの勝利の岸辺でなされました。そうです、勝利です!パロと、その軍勢と、エジプトに対する勝利です。力強い勝利です、その後、彼らは歌を歌います。その歌の中で、彼らはシオンについて述べます。旅の始まりにもかかわらず、シオンが最初からまさにそこにあって、勝利の調べ、主の絶対的主権の調べを開始します――エジプト...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (7)
実際に、究極的に、最高に、主に味方になってもらうことを、私たちは望んでいるでしょうか?主の御座、主権、統治に関わることを、主が求めておられる御旨に関する、主の力強い、摂理的支配に関わることを、私たちは望んでいるでしょうか?望んでいるでしょうか?御座はどこにあるのでしょう?シオンの中心です。それは焦点にあります。それは主の現実的関心事と、御心を定めているものを得ようという神の現実的決意との焦点です...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (6)
御座のある所 このへブル人への手紙では、たった一つの句であの途方もない移行をします。すなわち、すべての人のために死を味わってから、彼は天に移って、威光ある方の右に座り、待っておられます……そして、あなたたちは来ています、この御座に、この統治に来ています。キリストと天的な民(これに注意してください)は統治の座、主の道具となります。シオンは統治上の概念です。 彼の御座はシオンです。彼はシオンから統治され...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (5)
これについては別の時に別の文脈で、とても貴いものとして述べなければなりません。しかし、貴いものは易々とは得られません。なにもしていないのにそれらがあなたに舞い降りることはありません。貴いものを求めて代価を払う覚悟をしなければなりません。いま述べているのは救いについてではなく、信仰のこの相続財産についてです。このへブル人への手紙が明らかにしており、強調していることが一つあるとするなら、それは次のこ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (4)
神の民と何らかの関係を持つことが、私たちの命には絶対的に不可欠です。これによって私たちは主との接触にもたらされます。これは私たちが個別に持てるものよりも優っています。私たちのまさに命にとって、何らかの方法で、特定の場所にせよそうでないにせよ、何らかの方法で、神の民との生き生きとした関係、力強い積極的な合一を持つことが、必要であり、不可欠です。その合一は、キリストであるところの基礎に基づく霊的な類...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (3)
彼の住まい さて、親愛なる友よ、この問題のすべての面に大いに迫らなければなりません。それを麗しい見解、真理、聖書に記されていることの組として黙想するだけではいけません。これらは壮大な輝かしい真理、教理、教えであるだけでなく、そのどれもが私たちに対する途方もない課題なのです。それらは私たちを探り出すために示されています。私たちは実際に子供たち、シオンの市民なのかどうかどうか、つまり、これらのことが私...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (2)
シオンは、霊的に解釈すると、キリストと、神が完成された贖いと備えのすべての益に浴している彼の民です。シオンの包括的意義を分解して、私たちはさらに続けて、地上のシオンの歴史から、それが私たちが来ている霊的シオンに投じる光から、次のことを見ました。すなわち、昔のシオンが偉大な王、イスラエルで最も偉大な王の偉大な勝利を表していたように、それはキリストの卓越した勝利の象徴なのです。シオンの要塞がこの王に...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第三章 神が住まわれる所 (1)
へブル人への手紙の一二章二二節、「あなたたちはシオンの山に来ているのです」。昨日、私たちは信仰の相続財産というこの面に主に専念しました。この信仰の相続財産は、神が創造において人に与えられたものに霊的に対応するものの中に見いだされます。神ご自身が手ずから、ご自身の満足と喜びのために、世界を造られたことを、私たちは見ました。これに関して、彼は何の躊躇もなく「はなはだ良い」と言うことができました。そし...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (15)
何という相続財産が私たちのものなのでしょう!これは作り話ではありません。理論ではありません。すでに述べたように、証明されるべきものです。「あなたたちはシオンに来ているのです」。どこかで終えた方が良かったように思います。おそらく、この注釈で終えるのがいいでしょう。シオンについては、途方もない価値のあるものが他にもあります。しかし、それらは後の考察に回してもいいでしょう。 これは完了時制で述べられて...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (14)
次に、シオンは彼の包括的な卓越した勝利の象徴であることがわかります。シオンの始まりを思い出さないでしょうか?エブス人の手の中にあったこの要塞は、とても手ごわく、とても堅固であると考えられていました。そのため、ダビデがやって来た時、彼らはそれを盲人や不具者に守らせただけでした。それを征服するのは誰にも不可能でした。しかし、ダビデはそれを征服して、それを自分の座、自分の要塞にしました。要点はこうです...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (13)
「あなたたちは来ているのです」 詩篇でシオンに関して読むとき、それに関する支配的調べは常に、崇敬、喜び、賛美の調べです。そうです、歌の調べ、喜びの調べです。「シオンを巡り歩いて、その石を数えよ(中略)その城壁を調べよ(中略)全地の喜びなるシオン」云々。預言書に入ると、別の物語があります――別の物語があります。栄光ではなく、悲しみです。歌ではなく、すすり泣きです……自分の嗣業と相続財産を失った民です。し...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (12)
「シオン」というこの言葉はとても包括的・総括的です。それは総計です(つまり象徴的に)キリストにあって神がなさったすべての御業の総計です。さて、シナイからキリストまでの聖書の区分全体を見さえすれば、すべては、すべてはキリストを物語っており、キリストを指し示しており、キリストに向かって進んでいるのではないでしょうか?シナイから、すべてはまったくキリストを目的としています。さて、それをすべてキリストに...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (11)
シオンに 「しかし」というこのささやかな言葉によって、論調が変わっていることに気づきます。それまではシナイ、火で燃えている、触ることのできる、目に見える山、地震、稲妻、引き裂く炎、声、恐怖でした……「あなたたちが来ているのはそれではありません」と著者はここで述べています。「そうではなく、あなたたちはシオンに来ているのです」。私が指摘したいのはこういうことです。すなわち、シオンはシナイのアンチテーゼで...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (10)
ですから、この手紙のここでは家族を大きな目標としています。そしてこれは、神はキリストにあってこれをすべて行われたこと、これをすべて与えてくださったことを証明するものです。そして、神がなさったすべてのことを実際に把握するために、私たちは信仰によって中に入ったのであることを証明するものです。その証拠は、どれだけ多くの他の人々が私たちを通して命を得ているのか、ということによります。ああ、親愛なる友よ、...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (9)
さて、人がこの園の中に置かれたとき、まず第一に、命に関する責任を負いました。あなたと私は、キリストとその御業により、またそれを通して、この神聖な命を与えられています。ご存じのように、私たちがキリストにあって、またキリストを通して持っているこの命は、異なる序列の命であり、全く異なる種類の命です。それは別の命ですが、途方もない責任です。それを持っていて、自分たちにとどめておくだけ、というわけにはいき...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (8)
「生めよ、増えよ」 こういうわけで、この園は、家族を設け、家族を育む場所・舞台となるよう、神は意図されました。その家族はこの園に見合うものであり、この園にふさわしいものでなければなりません。これがとても重要な点です。すなわち、ふさわしくなければならないのです。人がもはやこの園にふさわしくなくなった時、人はそれから追放されました。そして神は、この園の中に、それにふさわしくない、それに見合わない家族を...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (7)
この話から、この実際上追加の話から、この午後述べてきたこと――キリストを所有し、活用し、会得すべきであること――を追加で強調する話から、先に進むことにします。キリストのパースンと御業のすべてが、私たちが包括的に把握するために、信仰に対して示されています。 注目すべき句が、注目すべき句がここに示されています、「あなたたちの信仰の結果である、あなたたちの魂の救いを受けているからです」。「あなたたちは来て...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (6)
さて次に、このへブル人への手紙によると、私たちのために主イエスは死を味わい、死の力を持つ者すなわち悪魔を征服して滅ぼされました。この手紙は命で脈打っていないでしょうか?多くの文脈の中で、命というこの問題全体が現れます。メルキゼデク等々のようにです。命がここにあります。まあ、もちろん、あなたや私がみな信じており、私たち全員が信じているように、イエスは命であり、命と不朽は福音を通して明らかにされたの...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (5)
キリストを所有すること さて、実際に信仰によってキリストを所有すること、実際にキリストを握ることというこの問題と、新約聖書は大いに関係しています。それが園の中にいた人に対する課題でした。人はこれを手に入れなければなりませんでした。主がこう言っておられたらとても素晴らしかったでしょう、「さあ、これをみな見てください。これはとても素敵で、とても美しく、とても素晴らしいです。これには諸々の大きな可能性が...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (4)
これを後にして、解釈の最初の段階に関する一、二の点に進むことにします。 すでに述べたように、人は神が自分に与えてくださったものをすべて所有し、活用し、実現しなければなりませんでした。このへブル人への手紙はこれととても強く関係しています。それは最初に、私たちのために彼によって、彼にあって、彼を通してなされたことについて告げ、次に、応じるよう私たちに要求します。第一が、とらえること、もしくは所有する...
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おお主よ、汝の愛の火の如く且つ喜ばしい御力が私の霊魂を天が下の凡ゆるものより離して汝に集注せしめ給う。忝じけなくも私如きものを愛してそのために死に給うたように私にも愛のために死ぬる心を深くさせ給え。全能にして、最も聖く、最も高く、最高善にして、全ての善、凡ゆる善の源なる神よ、汝のみただ一人善にて在し給う。全能にして、永遠なる、義にして、憐み深き神よ、哀れなる我々に汝を知り、常に汝の喜び給うところを...
我らの父よ、最も聖き我らの創造者、贖主、又慰主よ。天にいます。御使の中に又、聖徒の中にあって彼らに知識を得させる輝きを与え給う、そはおお主よ、汝は光にして汝を愛するように心を燃やし給う、主よ、汝は愛にて在し給う、彼らの中に宿り、祝福をもて彼らを満し給う、おお主よ、汝は最高の善にて在し永遠の善にして汝を離れては何処にも善はありません。御名を崇めさせ給え、我らが汝の恩恵の広さと汝の約束の長さと汝の威厳...
おお、いと高き、全能にして、善にいます神よ、称讃と、栄光と、誉れと、全ての祝福とは汝のものであります!全ての造られたものにより汝は讃美され、殊に兄弟なる太陽によって崇められますように!彼は我らに昼をもたらし光を与う、彼は美しくいと大いなる輝きをもて照りかがやく。おお主よ、彼は汝の御すがたを示す!わが主よ、姉妹なる月と星とのために汝は讃えられます!汝は彼らを天において清らかに愛らしく造り給いました。...
聖なる、聖なる、聖なるかな、昔在し、今在し、後来たり給う、全能の主なる神、我らをして永遠に凡ゆる者の上に汝を賞め又、讃えしめ給え。おお主、我らの神よ、汝は称讃と栄光と誉と祝福を受けるにふさわしく在す。屠られ給いし羔羊こそ能力と神性と智慧と誉れと祝福とを受けるにふさわしく在す。我らをして永遠に万物の上に彼を賞め讃えしめ給え。我らをして父及び子と供に聖霊を祝せしめ給え、永遠に全てのものの上に賞め讃えし...
祈り我らの父よ、我らは豊けき救いが汝の御子、我らの救主によって可能とせられましたことにつき心から御礼申し上げます。彼の御生涯が我々を彼の足跡に従わせる一つの模範として送られたことにつき、又彼の死が汝の愛と我々を罪から贖い給うことを表わし、又彼の復活が現在と未来に豊かなる生命の確実性を我等に与え給うことについて、又更に変らざる臨在が常に我々の霊的な必要に応じ満し給うことについて本当に感謝申し上げます...
我々は決して上にあるもの以外を求むべきでない、むしろ神のために全ての被造物の僕となり仕え人となるべきである。そして主の霊はこれ等のことを実行し、また終りに至るまで耐え忍ぶ全ての者の上に留るであろう。神は御自身の住所を作り、彼らの中に住い給うであろう。そして彼らはそれらの業をなす時に天の父の子供、又我らの主イエス・キリストの配偶者、兄弟、母となるであろう。聖霊によって真実な魂がイエス・キリストと一つ...
なお又、我らをして悔改めにふさわしい実を結ぶもの、また己自らの如く我らの隣人を愛せしめよ。もし誰かが己自らの如く彼らを愛することを好まずあるいは出来ないならば少くとも彼らを害せず彼らに善いことをなさしめよ。もし我らが他人を審く所の権威を受けたならば憐みをもってその権能を行わしめよ。それは我らも又、主からの憐れみを受けんがためである。我らは悪と罪とのゆえに我ら自身を憎むべきである。何故ならば主は福音...
全世界に住む全ての基督者なる敬虔なる者、教職者、平信徒なる男達よ、女達よ汝らの僕なる兄弟フランシスが天からの真の平和と主にある真実の愛とを望んで恭々しい尊敬を送る。全ての者の僕として私は全ての者に仕え、又主の御言の芳ばしい香を取次ぐように定められた。それゆえに私は自分の体の弱いことを考える時に個人的に訪ねることの出来ないのを知りこの手紙をもって我々の主イエス・キリストの御言とその音信とを送る。彼は...
祈り、讃美及び感謝、我らの全ての者は全魂をもって全心をもって、全力をもって愛し又、忍耐強くあるべきである。我らの全理解と全力と全精神と全情愛と我らの内なる凡ゆる部分、全要求と意志とをもって我らにこれらのものの全てを与え給うた神を愛し、賤しくみすぼらしく悪にして汚れ恩を忘れ、また邪まなるものをも憐れみ給う神を讃美せよ。それゆえに我らは、造主、贖主なる救主、唯一の真の神以外に何事をも要求せず喜ばず求め...
兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
ああ、女王なる智慧よ!願わくは主、汝の姉妹なる清く純潔な単純さと共に汝を祝し給わんことを!おお、清貧淑女よ!主が汝の姉妹なる聖謙遜と共に汝を祝し給わんことを!おお、聖愛の淑女よ!主が汝の姉妹なる聖従順と共に汝を祝し給わんことを!おお、凡ゆる聖き徳よ!汝らのいで来たりしところの主が汝を祝し給わんことを!初めに己に死ぬことなくば唯一人として世界の中に汝らの中の一つをも所有しうることは決してありえない。...
主がその人に示し給うた善きことをその心の内に保ち、その業によって人々に表わそうとしない人又、報いを望んで言葉によって人々に知らせようとする人は禍である。彼は今、報いを受け、聴く人に僅かの影響のみしか与えない。その兄弟が病気であって他の人を助けることが出来ない時にも健康で他の人を助けることが出来る時と同じように愛する人は幸である。その兄弟が共にいることを望むに拘らず彼から遠く離れておりそして彼の背後...
多くの人はその敵又は隣人を屡々非難することによって罪を犯している。しかしそれを気付かない。しかし人は彼自身の力、即ちその肉体の中に自らの敵を持ち、それによって彼は罪を犯すのである。ゆえに彼の中にあるところの敵を捕虜にし賢く自らを守る者は幸である。その人がこのように生きる限り如何なる見える敵も見えない敵も彼を害うことが出来ないからである。如何に多くの内心の忍耐と謙遜とが神の僕らにおいて人々に知られず...
おお、人よ、主が貴方を如何に偉大にして優れたものとして造り給うたかを深く考えなさい。肉体においては神の愛子の御姿に像どり、霊においては御自身に肖せて造り給うたのである。又、世界の凡ての造られたものは彼等各々の道において貴方よりもよくその造主に仕え従うことを知っている。もしも貴方が賢くて凡ゆる科学を知り、全ての国語を通訳することが出来、凡ゆる天のことをも正確に究めることが出来たとしてもこれによって貴...
聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。フランシスの書い...
フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年...
アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避する...
我々は単なるパンでなく、生命のパンを必要とする私は印度にいる一人の神の人を知っている。彼は自分の経験を私に語った。一人の乞食が毎日彼のところに来て一片のパンを乞い、それを受け取るとすぐに去ることを常としていた。ある日、その祈りの人には与えるものが何もなく、人々が食物を取って来るまでの間、数分間彼と共に坐って話すよう乞食に求めた。一時間もしないうちに、此の乞食は信じて祈り始めた。彼はすっかり変わった...
三彼は人間のみならず、動物も植物も太陽も月も星も水も土地も兄弟姉妹といって愛した。ある時、野原に出るとたくさんの小鳥が木に留っているのをみてこれに話しかけ「姉妹なる小鳥達よ、あなた方は特に神に感謝して御名を讃美しなければならない、あなた方は蒔く事も刈る事もせず、倉にも納屋にも貯えないのに神は何時も食物を与えて下さる。殊にあなた方は羽を与えられてこの大空を自由自在に翔けることが出来る。あなた方に賜っ...
二彼が神のために一切を捨てて心は軽く喜びに満され歌を歌いながらまだ春浅いアシジの山のほとりを通ってゆくと山賊にあった。「お前は何者だ」と尋ねたので「私は大王の使者である」と答えると彼を捉えてその着物を剥ぎとり「大王の使者安かれ」といって雪解けの冷い沼につき落して去った。その時フランシスはその雪解けの水の中に入ってもなお歌いつづけていたということである。又、ある時は彼が托鉢に行った留守に三人の強盗が...
イエス、ピラトの許に送られる(マタイ二七1、2)祭司や学者らは、宗教上の事項には権力があったが、生殺与奪の権は持たなかったのである。それ故にイエスを殺そうとするには、法律の下に託さねばならなかったのである。〔マルコ一五1〕「夜明けに及び、直ちに祭司の長、長老、学者たち、すべての議員と共にはかりて、イエスをしばり、ひきつれてピラトに渡せり」〔ヨハネ一八28〕ここで時刻を知ることが出来る。この夜、主はゲッ...
イエス、祭司長に審判される(マタイ二六59~68)〔59~61〕「いつわりの証を求むれども得ず」〔61〕キリストは決して御自身が神殿をこわすとは言われなかった(ヨハネ二19~21)。サタンがあげ足をとるのは(例えばキリスト教は国家を倒すなど)みなこの種である。〔62〕「……証拠は如何に」〔63〕「イエス黙然たり」非常な勇気である。主はすでにゲッセマネの園で、その杯を飲み始めてからぐんぐん飲み給うのを見るのである。この...
ペテロ、イエスを知らないと言う(ルカ二二54~62)〔54〕「ペテロはるかに従いぬ」実に不忠実である。先にはゲッセマネで居眠りし、今またはるかに隔てて主に従ったのである。彼はキリストがまさに敵の手に渡され、殺されようとした時に剣をぬいたけれども、今や主が捕えられて引かれて行く時になったら、はるかに離れて従ったのである。ああ肉はだめである。わたしたちはキリストとの間に少しでも距離を隔てていないだろうか。〔...
キリスト祭司長に引かれる(マタイ二六57、マルコ一四53、ルカ二二54、ヨハネ一八13、44)アンナスはカヤパの前の祭司長であったが、何かのためにローマ政府から免職にされてカヤパがこれに代ったのである。しかしユダヤ人は当時、アンナスを尊敬していた。それでキリストをもまず彼のもとへ引いて行ったのである。カヤパは先に「一人死にて国中滅びざるは我らの益なり」(ヨハネ一一50)と言った人であって、実に冷淡極まることを...
〔55~56〕主が人々に語られた彼らの行為の矛盾に満ちていることについて言えば左の通りである。(1)ユダは接吻によってキリストを渡そうとしたが、このことはキリストのよく承知されたことであった。(2)キリストを盗賊にむかうように捕えに来たことである。人間こそは盗賊である。主は人間から何も盗んだことはない。主は生まれると飼葉おけに寝かされ、高位につかずに貧しい家で労働されたのである。ところが今彼らは主を盗...
イエス売られ給う(マタイ二六47~56、マルコ一四45~52、ルカ二二47~53、ヨハネ一八2~5)(マタイ二六47~)〔46〕勝利を得て「起きよ、我ら行くべし」と立ち上る時に、敵はすでに来たのである。わたしたちもイエスのように全く神に服従して出る時に、確かに勝利を得るのである。〔47〕ユダを見よ。彼は「剣と棒とを持ちたる多くの人々と共に祭司の長と民の長老のもとより来」たのである。今や彼は全く墜落し果てたのである(ヨ...
マタイ二六36以下。「ゲッセマネ」とは「油しぼり」という意味である。カンラン山(オリブ山)から多くの油が出る故に、この名称があるのである。油とは聖霊である。主はここでわたしたちのためにすべての悲しみを飲みつくされたのである。だからこそ今わたしたちに慰めの聖霊が豊かにそそがれるのである。〔36~38〕このゲッセマネにも深意のあることがわかる。八人の弟子は園の入口まで入ったが、三人の弟子はなお奥へ入った。し...
ゲッセマネの御苦難(ヨハネ一八1、マタイ二六36以下)ヨハネ一八1。弟子たちに対して懇ろに語り、また一七章のような祈りを終えられた主は、今やいよいよ十字架の迫りつつあることを知って、なおも静かに祈ろうとしてゲッセマネに向われたのである。時はすでに充分に更けていたと思われる。「ケデロン」とは「濁っている」という意である。これは昔から記念すべき河である。主は終生人心の泥流の中を渡られたが、この時も実におそ...
〔22〕実に恵みである。「栄え」とは内部のすきとおるような聖であるとある人は言った。内に聖がすきとおって徳が満ちているならば、外に光があらわれるのである。キリストの栄えとは、彼にあらわれた聖なる徳であった。これが神の前における第一の栄えである。これをせんじつめれば、彼の中にあった聖霊である。おそれ多いことには、キリストはこの驚くべき栄えをわたしたちに与えられたのである。彼に満ちていたその同じ聖霊をわ...
〔20〕すべての信者のための祈りである。この中には確かにわたしたちも含まれているのであるから、そのつもりで学びたい。キリストの眼中には、ただその時の者ばかりではなく、彼らの言葉によって信じた者すべてがあったのである。永遠より永遠に存在される主は、いずれの時代のことをも知っておられる。だから日本の路傍で、ある弟子たちによって伝えられたみ言葉を信じた私のためにも祈られたのである。〔21〕主が信者のために祈...
〔14〕私が伝えた言葉を受け入れて彼らはあなたにつきました。それ故に世は彼らを憎みます。彼らは世におりますが、世のものではありませんから、世は彼らを憎むのです。あたかも世が私を憎むように彼らを憎むのです、と。わたしたちとキリストとの世に対する関係は同じで、キリストこそ立派な標準である。肉体をもつ間はそんなわけには行かないと言って、少しでも罪を容れることは恐るべきことである。〔15〕「われ汝に彼らを世よ...
〔9〕「我かれらのために祈る……」おお、神よ、このあなたのものである、あなたを受け入れた者のために祈ります。もう一度我らが普通のものでないことをくり返して父が重んじて下さるように祈られたのである。父よ、あなたの責任ある貴い宝のために祈ります、と、キリストの祈りには、少しの私欲も見えないのである。〔10〕ちょうど夫婦が互に独り子を掌中の玉とし、宝としているように、我らを「これは汝のもの、汝のものは我がも...
〔6〕これは主の父に対する復命である。「あなたが私に委ねられたこの魂に、父の名をあらわしました」と、実に立派な復命である。名をあらわすとは、その名によって実をあらわしたことである。イエスの御生涯は神を人にあらわす御生涯であった。けれどもその神を見た人は世から選ばれて、キリストに与えられた者である(コリント後四3、4)。選民でない者は福音の光を受けない。けれどもこの節を見よ。これは選民である。選民には...
〔2〕父なる神がキリストに与えられた選民は、キリストへの賜ものであって、その選民たる我らはキリストの財産、また宝である。故にキリストは選民たる我らに、御自身の永遠の命を与えられるのである。「凡てのものをおさむる権威を我に賜いたればなり」父なる神のキリストを崇めたのはこれである。この力は何のためにあらわすかと言えば、選民に永遠の命を与えるためである。故にこの目的のために障害となるものは、どんなもので...
〔1〕「イエスこの言を語り終りて天を仰ぎ……」ヨハネ一一41のように、イエスは祈りの時にしばしば天を仰いで祈られたことが福音書に記されている。ひれ伏して祈るのは、悔い改め、または謙遜を示すものであり、主との交わりの切れない時には、身も目も天を仰いで祈ることが出来る。「父よ」これは子たる者の霊をあらわしたのである。キリストは御自身のために祈る時には父よと言い、弟子たちのために祈る時にはきよき父よと言い、...
ヨハネ福音書一四章から一六章までにおいて、キリストは弟子たちに対して彼らの生涯、ペンテコステ、また希望について語り、彼らを慰められた。これらのことが終ってから、今まで弟子たちの方へむかって居られた主は天を仰いで祈られたのである。昔大祭司が幕屋に入るのは、一年中で最も幸な日であった。そのように我らの大祭司キリストは、今至聖所において祈っておられるのである。だから我らも栄光なるキリスト御自身を通って、...
〔25〕これまでにキリストは、何とかして弟子たちにこの真理を知らせようとして、譬で教えられたのであるが、ペンテコステ後の彼らは、霊の眼が開かれてどんなことでも聖霊御自身が直接彼らに語り給うのである。〔26〕キリストの名によって祈るとは、キリストにより、父なる神に祈って頂くというような間接的なことではなくて、キリストと自分と一体となって、しかも直接にキリストと共に父なる神に求めるのである。〔27〕これは前...
〔19~20〕キリストは彼らが尋ねる前に尋ねようとすることを語り給う。「誠に真に」とはイエスが力をこめて事実を語られる時に用いられた言葉である。キリストが十字架につけられるために、一時はあたかもサタンの勝利のように見えるから、世はそれを喜ぶであろう。「然れど」ハレルヤ。その弟子たちの憂いは喜びに変るとは神の断言である。まことに幸いである。〔21〕人の不安と喜びとが接近したことを示す。見よ、子を産もうとす...
〔16〕七節でキリストが行くことは弟子たちにとって幸福なことであると言われたが、その間しばらくは彼らも艱難を感ずることであろう。「しばらくして……」キリストは十字架について見えなくなるが、またしばらくして甦えりのキリストを見ることが出来るのである。〔17~18〕肉につける弟子たちには、この意味を理解することが出来なかった。キリストの十字架、甦えりなどは彼らの夢にも思わなかったことであるから、彼らは理解出来...
〔8~9〕聖霊が降り給う時には、奇しきみ業をなされるのである。その時に、この三つのことを悟らせられるのである。悟らせるとは英語コンビクトで非常に意味の強い言葉である。「罪についてと言うのは……」最も恐るべき罪は、キリストを信じない罪である。キリストが来られたのも、神の子であること、また信ずべきメシヤであることを知らせられたのであるが、なおこれを信じないのは罪である。ペンテコステの日に「人々の心刺さるる...