chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (3)

    さて、人の使命をこの園は示し、表しました。そして、それが人の一生の仕事になりました。もしくは、人の一生の仕事となるよう意図されていました。この園は人自身の最も内奥にあるものを表現する領域、人が積極的に関心を寄せる場所、人自身の命を発達させる方法でした。それがこの園でした。これらの事はキリストにあって真実です。キリストがまさに信者の一生の仕事になるのです。 私たちはキリストによって、そしてキリスト...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (2)

    私たちはさらに続けて、人は彼の相続財産の中に置かれたこと、そして、園の中に置くことが霊的に何を表現・予表するのかを見ました。詳細をおさらいするつもりはありません。私はただあなたに思い起こさせたいのです。なぜなら、考慮すべき追加の点が一つ、二つあるからです。しかし、第一に、それは人の存在を規定しました。それは被造物全体を、人に関するかぎり、とても実際的・直接的なものにしました。そして、この園は神を...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (1)

    へブル人への手紙の一二章二二節の、私たちの鍵となる聖書の節に戻ることにします。もう少しの間、「あなたたちは来ているのです」という文章全体の単純な断片的句について続けることにします。その先に辿り着くかどうかは後でわかるでしょう! 「あなたたちは来ているのです……」。これまで見てきたように、これはとても包括的な節であり、神が、人の輝かしい未来の実現のために備えることによってずっと意図してこられたことを...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (12)

    人への試験 人を試験して実証する舞台、領域、機会です……ここで責任が課されます。しかし、責任の焦点に注意してください。この責任は自分自身の救いのために何かを行うこと、自分の素晴らしい相続財産を造り上げるために何かを準備することではありませんでした。それはすべて完全でした。人は完成・成就されたものであるその中に置かれました。そして次に、人に責任が課されました。しかし、その責任の焦点は何だったのでしょう...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (11)

    人への使命 神はそれを人に相続財産として与えられました。そして、それを世話するように、その諸々の可能性を発達させるように、その諸々の可能性を実現させるように、人に命じられました――それを人の一生の仕事とされました。最初の人(さて、あなたたちの何人かに言いますが、得意にならないでください)最初の人は園芸家でした。この世界で最初の使命は園芸でした。それが人の一生の仕事でした。それが人の自己表現の手段でし...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (10)

    主イエスは、肉身を取っておられた頃、もちろん、たとえ話で多くのことを話されました。私には彼が話された、「私の父の家には多くの住まいがあります」という御言葉しか思いつきません。この「住まい」は昔の訳では「豪邸」となっています。彼は霊的言語を話しておられたのです。文字通りの豪邸なら、私たちの中には少しも興味を持たない人もいるでしょう。しかし、永遠に住んで、もはや外に出ることなく、永遠の満足と安息を見...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (9)

    人のホーム 人がそれを自分のホームとしていたら、それは何というホームだったことでしょう。人は追放されなければなりませんでした。人は自分のホームを失いました。「ホーム」とは何でしょう?ホームとは何でしょう?まあ、ホームとは、その名にふさわしくあるには、その真の意味に適うものであるには、まず初めに、安息の場所であることを意味します。安息の場所です。キリストは私たちのパラダイスであることがわかります!キ...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (8)

    私が言わんとしているのは次の通りです。アダムが園の中に置かれて周りを見渡し、「これがすべて私のためなのでしょうか?これがすべて私に属しているのでしょうか、これは私のものなのでしょうか」と言った時、彼は驚きに満ち、感嘆に満ち、感謝に満ち、礼拝に満ちていたのです!そしておそらく、毎日発する言葉は、「これは素晴らしくないでしょうか?これは素晴らしくないでしょうか?見てください!これを見てください!」だ...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (7)

    人の存在の規定 これには説明が必要です。私が言わんとしているのは(そしてこれは、私が少し前に、この園が創造全体に続く、と述べたことに遡るものです)この園はすべてを人の個人的な生活や責任にまで狭めることを表示・意味する、ということです。つまり、人は世界を歩き回るたんなる一般人のような者ではなかったのです。それはたんなる一般的観念ではありませんでした。人は自由契約者のような者ではありませんでした。いい...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (6)

    相続人 次に、当時人に言えたことは、霊的に今の信者にも言えます。キリストにある新創造の人としての信者は、この相続財産の中に置かれています、置かれているのです。「あなたたちが私を選んだのではなく、私があなたたちを選んだのです」。今はこの御言葉の内容全体の中に飛び込んで、それは私たちの選択、私たちの活動、私たちの決意から発したのでは全くないこと、私たちがキリストとその御業に関してかつて下した決断は私た...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (5)

    この問題の重要性を強調するために、ここで挿話を入れるとしたら、もう一度、こう述べなければならないでしょう。すなわち、私たちがこの経綸の最後に近づくにつれて――私たちはきわめて確実に、きわめて速やかに近づきつつあります――神は人々に関する全き御思いに立ち返ろうとされますし、人々をご自身の全き御思い――それはこの経綸を究極的に成就することです――に立ち返らせようとされるのです。もしこれが真実なら、こう述べる...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (4)

    神はすべてを人に焦点づけられました。人は子たる身分を得る可能性という基礎の上に置かれました。人は栄光に定められていました。もしこれをすべて受け入れて、これをみな心に留めて、それをへブル人への手紙の中に持ち込むなら、あなたは次のことを見いだします。すなわち、創世記では物質的・一時的だったものが、あらゆる点で、この文書では霊的な方法で現存しているのです。創造における神の活動に呼応するこの霊的対応物に...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (3)

    今、これをかみ砕く必要があります。その最初の句を取り上げることにします。なぜなら第一に、この文書は創世記の最初の二つの章に呼応しているからです。これは大いに明らかです。創世記はどのように始まるのでしょう?「初めに神は……」。へブル書はどのように始まるのでしょう?「神は、さまざまな時に多くの方法で語られた神は……」。「初めに神は」。神です。特にこの点でそれは創世記に呼応しています。次に、創世記の中で神...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (2)

    この手紙(私はこれを文書と呼ぶのを好みます。なぜなら、これは実際そうだからです。教会の嗣業のための文書であって、この経綸における信者たちの相続財産を含んでいるのです)この文書は私たちを神と共なる神聖な道の上に置きます――神は永遠の過去から動いておられ、目的をもって前に進んでおられます。次に、この路上を行く旅人の一つの旅団を私たちに示します。アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、メルキゼ...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (1)

    今回の私たちの黙想の鍵となる句は、へブル人への手紙の一二章の中の二二節です。「しかし、あなたたちが来ているのは、シオンの山に、生ける神の都である天のエルサレムに、無数の御使いたちの集会に、全体の集会及び天に登録されている長子の教会に、すべての人の裁き主である神に、全うされた義人たちの霊に、新しい契約の仲保者イエスに、アベルの血にまさって語る注ぎの血にです」。 この文章の最初の句だけを、私たちの話...

  • 「あなたたちはシオンに来ているのです」 目次

    「あなたたちはシオンに来ているのです」T. オースチン-スパークス目次第一章 私たちの相続財産第二章 私たちの嗣業第三章 神が住まわれる所第四章 神の基準第五章 シオンの子ら第六章 シオンの論争第七章 シオンの宿命第八章 主の負担オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (12)

    信仰の機能 あなたはこの世界最強のものを持ちたいでしょうか?私たちはみな、それを持てます。あなたがそれより劣るもので満足しないよう、私は希望します。信仰は世界で最強のものです。なぜなら、それは人の弱さを神の全能と結び付けるからです。もしあなたに信仰があるなら、あなたは常に自分の弱さを彼の全能に結び付けることができます。困難に遭うたびにこれを試しなさい――ひたすら、自分の弱さは神の全能と結ばれることに...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (11)

    「イエス・キリストの信仰」 主イエスが地上に来られた時、彼はこの信仰にあずかる者となられました。そして、それは「イエス・キリストの信仰」と呼ばれています。イエス・キリストの信仰とは何を意味したのでしょう?御父の信仰が意味したものにほかなりません。つまり、もし自分が十字架に行くなら、さもなければ罪に定めざるをえない人々を義とする力を御父は受けることになる、という信仰です。この確信に主イエスはあずから...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (10)

    これは大いに実際的な力です。しかし、この原則を毎週、毎月、働かせて、神の信仰を証明・実証しなければなりません。神の御言葉の中で私たちに与えられている原則はみな、最終的に人の経験によって試されなければなりません――さもないと、あなたには何の証しもなく、客観的真理しかないことになります。しかし、何の根拠に基づいて、「神は信実である」と言うことができるのでしょう?根拠はあなたの証しです。神の真理が経験的...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (9)

    エリシャは長子の分け前、御霊の「二倍の分」を願いました。エリヤは、「それは難しいことですが、もし私が携え上げられる時にあなたが私を見るなら、そのとおりになります」と言いました。そこで、エリシャは自分の主人を見続けて、その行動をすべて仔細にわたって見ました。そして、彼がエリヤの衣を手に持ってヨルダン川に戻った時――つまり、彼が最初の困難に遭った時――聖霊の力の中で彼が外套で水を打つと、水は彼のためにも...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (8)

    信仰の賜物 さて、マルコ一一・二二~二三に向かうことにしましょう。「そしてイエスは彼らに言われた、『神の信仰を持ちなさい。まことに、私はあなたたちに言います、だれでもこの山に向かって、「取り去られて海に投げ込まれよ」と言い、心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるなら、そのとおりになります』」。 弟子たちが世界最大のこの移す力に直面して少し恐れるのを、主は予期されたように思われます。そこで、彼...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (7)

    この信仰の賜物はどうすれば得られるのでしょう?この信仰は私たちをただのクリスチャンではなく、力あるクリスチャン――「要塞を破壊するほど、神によって力ある」クリスチャン――にします。そのような特質が私たち全員に必要です。なぜなら、「勝利する」「勝利」という言葉を使う時、私たちは何か優勢なものを取り扱っているからです。私たちは迫害され、火あぶりにされ、翻弄されるかもしれません!しかし、諺に出て来るコルク...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (6)

    2.力ある信仰 すでに述べたように、二種類の信仰があります。その一つを私たちは「救いの信仰」と呼びました。これに加えて、新約聖書にはもう一つの信仰があります。時々、それは「信仰の賜物」と呼ばれることがあります。しかし、救いの信仰を補完するものとするために、それを「力ある信仰」と呼ぶことにします。それには、罪人を聖徒に造り変える力がありますが、それだけではありません。一コリント一二章に向かって、この...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (5)

    この信仰によって私たちは何を受けるのでしょう?(1)私たちはキリストを受けます。そして、キリストは私たちに神の「小さな子供たち」になる力を与えてくださいます。神の子たる身分という後天的権利を与えてくださいます。それにより、私たちは「神の性質にあずかる者たち」とされます。というのは、「私たちはみな、イエス・キリストを信じる信仰によって、神の子供たちである」からです――これは他の何ものにもよりません。...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (4)

    多くの点をこれに追加できるかもしれません。ヘブル一二・二についてはどうでしょう?救いの信仰のためにイエスに拠り頼んではいけないのでしょうか?その答えは、いいえであり、はいです。これは逆説かもしれませんが、矛盾した言葉ではありません。私たちの主は、人の胸を信じる信仰の創始者ではありませんが、救いの創始者です。この救いを信じる私たちの信仰に応えて、この救いは私たち一人一人に対して効力を及ぼすようにな...

  • 「神の信仰」世界最強のもの (3)

    この信仰をどのように得るのでしょう?「信仰は聞くことにより、聞くことは神の御言葉によります」。この信仰は証拠を得て検証することから生じます。そして、聖書には神の証拠がすべて含まれています。神の存在、キリストとその子たる身分、彼が罪のための供え物であること、聖霊、クリスチャン生活に関する真理などについての証拠が、すべて含まれています。神の御言葉を聞いて理解した結果として、私たちは証拠から自分の信仰...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、オリバーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
オリバーさん
ブログタイトル
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ
フォロー
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 新着ブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用