おお主よ、汝の愛の火の如く且つ喜ばしい御力が私の霊魂を天が下の凡ゆるものより離して汝に集注せしめ給う。忝じけなくも私如きものを愛してそのために死に給うたように私にも愛のために死ぬる心を深くさせ給え。全能にして、最も聖く、最も高く、最高善にして、全ての善、凡ゆる善の源なる神よ、汝のみただ一人善にて在し給う。全能にして、永遠なる、義にして、憐み深き神よ、哀れなる我々に汝を知り、常に汝の喜び給うところを...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (3)
さて、人の使命をこの園は示し、表しました。そして、それが人の一生の仕事になりました。もしくは、人の一生の仕事となるよう意図されていました。この園は人自身の最も内奥にあるものを表現する領域、人が積極的に関心を寄せる場所、人自身の命を発達させる方法でした。それがこの園でした。これらの事はキリストにあって真実です。キリストがまさに信者の一生の仕事になるのです。 私たちはキリストによって、そしてキリスト...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (2)
私たちはさらに続けて、人は彼の相続財産の中に置かれたこと、そして、園の中に置くことが霊的に何を表現・予表するのかを見ました。詳細をおさらいするつもりはありません。私はただあなたに思い起こさせたいのです。なぜなら、考慮すべき追加の点が一つ、二つあるからです。しかし、第一に、それは人の存在を規定しました。それは被造物全体を、人に関するかぎり、とても実際的・直接的なものにしました。そして、この園は神を...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第二章 私たちの嗣業 (1)
へブル人への手紙の一二章二二節の、私たちの鍵となる聖書の節に戻ることにします。もう少しの間、「あなたたちは来ているのです」という文章全体の単純な断片的句について続けることにします。その先に辿り着くかどうかは後でわかるでしょう! 「あなたたちは来ているのです……」。これまで見てきたように、これはとても包括的な節であり、神が、人の輝かしい未来の実現のために備えることによってずっと意図してこられたことを...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (12)
人への試験 人を試験して実証する舞台、領域、機会です……ここで責任が課されます。しかし、責任の焦点に注意してください。この責任は自分自身の救いのために何かを行うこと、自分の素晴らしい相続財産を造り上げるために何かを準備することではありませんでした。それはすべて完全でした。人は完成・成就されたものであるその中に置かれました。そして次に、人に責任が課されました。しかし、その責任の焦点は何だったのでしょう...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (11)
人への使命 神はそれを人に相続財産として与えられました。そして、それを世話するように、その諸々の可能性を発達させるように、その諸々の可能性を実現させるように、人に命じられました――それを人の一生の仕事とされました。最初の人(さて、あなたたちの何人かに言いますが、得意にならないでください)最初の人は園芸家でした。この世界で最初の使命は園芸でした。それが人の一生の仕事でした。それが人の自己表現の手段でし...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (10)
主イエスは、肉身を取っておられた頃、もちろん、たとえ話で多くのことを話されました。私には彼が話された、「私の父の家には多くの住まいがあります」という御言葉しか思いつきません。この「住まい」は昔の訳では「豪邸」となっています。彼は霊的言語を話しておられたのです。文字通りの豪邸なら、私たちの中には少しも興味を持たない人もいるでしょう。しかし、永遠に住んで、もはや外に出ることなく、永遠の満足と安息を見...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (9)
人のホーム 人がそれを自分のホームとしていたら、それは何というホームだったことでしょう。人は追放されなければなりませんでした。人は自分のホームを失いました。「ホーム」とは何でしょう?ホームとは何でしょう?まあ、ホームとは、その名にふさわしくあるには、その真の意味に適うものであるには、まず初めに、安息の場所であることを意味します。安息の場所です。キリストは私たちのパラダイスであることがわかります!キ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (8)
私が言わんとしているのは次の通りです。アダムが園の中に置かれて周りを見渡し、「これがすべて私のためなのでしょうか?これがすべて私に属しているのでしょうか、これは私のものなのでしょうか」と言った時、彼は驚きに満ち、感嘆に満ち、感謝に満ち、礼拝に満ちていたのです!そしておそらく、毎日発する言葉は、「これは素晴らしくないでしょうか?これは素晴らしくないでしょうか?見てください!これを見てください!」だ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (7)
人の存在の規定 これには説明が必要です。私が言わんとしているのは(そしてこれは、私が少し前に、この園が創造全体に続く、と述べたことに遡るものです)この園はすべてを人の個人的な生活や責任にまで狭めることを表示・意味する、ということです。つまり、人は世界を歩き回るたんなる一般人のような者ではなかったのです。それはたんなる一般的観念ではありませんでした。人は自由契約者のような者ではありませんでした。いい...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (6)
相続人 次に、当時人に言えたことは、霊的に今の信者にも言えます。キリストにある新創造の人としての信者は、この相続財産の中に置かれています、置かれているのです。「あなたたちが私を選んだのではなく、私があなたたちを選んだのです」。今はこの御言葉の内容全体の中に飛び込んで、それは私たちの選択、私たちの活動、私たちの決意から発したのでは全くないこと、私たちがキリストとその御業に関してかつて下した決断は私た...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (5)
この問題の重要性を強調するために、ここで挿話を入れるとしたら、もう一度、こう述べなければならないでしょう。すなわち、私たちがこの経綸の最後に近づくにつれて――私たちはきわめて確実に、きわめて速やかに近づきつつあります――神は人々に関する全き御思いに立ち返ろうとされますし、人々をご自身の全き御思い――それはこの経綸を究極的に成就することです――に立ち返らせようとされるのです。もしこれが真実なら、こう述べる...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (4)
神はすべてを人に焦点づけられました。人は子たる身分を得る可能性という基礎の上に置かれました。人は栄光に定められていました。もしこれをすべて受け入れて、これをみな心に留めて、それをへブル人への手紙の中に持ち込むなら、あなたは次のことを見いだします。すなわち、創世記では物質的・一時的だったものが、あらゆる点で、この文書では霊的な方法で現存しているのです。創造における神の活動に呼応するこの霊的対応物に...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (3)
今、これをかみ砕く必要があります。その最初の句を取り上げることにします。なぜなら第一に、この文書は創世記の最初の二つの章に呼応しているからです。これは大いに明らかです。創世記はどのように始まるのでしょう?「初めに神は……」。へブル書はどのように始まるのでしょう?「神は、さまざまな時に多くの方法で語られた神は……」。「初めに神は」。神です。特にこの点でそれは創世記に呼応しています。次に、創世記の中で神...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (2)
この手紙(私はこれを文書と呼ぶのを好みます。なぜなら、これは実際そうだからです。教会の嗣業のための文書であって、この経綸における信者たちの相続財産を含んでいるのです)この文書は私たちを神と共なる神聖な道の上に置きます――神は永遠の過去から動いておられ、目的をもって前に進んでおられます。次に、この路上を行く旅人の一つの旅団を私たちに示します。アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、メルキゼ...
「あなたたちはシオンに来ているのです」 第一章 私たちの相続財産 (1)
今回の私たちの黙想の鍵となる句は、へブル人への手紙の一二章の中の二二節です。「しかし、あなたたちが来ているのは、シオンの山に、生ける神の都である天のエルサレムに、無数の御使いたちの集会に、全体の集会及び天に登録されている長子の教会に、すべての人の裁き主である神に、全うされた義人たちの霊に、新しい契約の仲保者イエスに、アベルの血にまさって語る注ぎの血にです」。 この文章の最初の句だけを、私たちの話...
「あなたたちはシオンに来ているのです」T. オースチン-スパークス目次第一章 私たちの相続財産第二章 私たちの嗣業第三章 神が住まわれる所第四章 神の基準第五章 シオンの子ら第六章 シオンの論争第七章 シオンの宿命第八章 主の負担オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館...
信仰の機能 あなたはこの世界最強のものを持ちたいでしょうか?私たちはみな、それを持てます。あなたがそれより劣るもので満足しないよう、私は希望します。信仰は世界で最強のものです。なぜなら、それは人の弱さを神の全能と結び付けるからです。もしあなたに信仰があるなら、あなたは常に自分の弱さを彼の全能に結び付けることができます。困難に遭うたびにこれを試しなさい――ひたすら、自分の弱さは神の全能と結ばれることに...
「イエス・キリストの信仰」 主イエスが地上に来られた時、彼はこの信仰にあずかる者となられました。そして、それは「イエス・キリストの信仰」と呼ばれています。イエス・キリストの信仰とは何を意味したのでしょう?御父の信仰が意味したものにほかなりません。つまり、もし自分が十字架に行くなら、さもなければ罪に定めざるをえない人々を義とする力を御父は受けることになる、という信仰です。この確信に主イエスはあずから...
これは大いに実際的な力です。しかし、この原則を毎週、毎月、働かせて、神の信仰を証明・実証しなければなりません。神の御言葉の中で私たちに与えられている原則はみな、最終的に人の経験によって試されなければなりません――さもないと、あなたには何の証しもなく、客観的真理しかないことになります。しかし、何の根拠に基づいて、「神は信実である」と言うことができるのでしょう?根拠はあなたの証しです。神の真理が経験的...
エリシャは長子の分け前、御霊の「二倍の分」を願いました。エリヤは、「それは難しいことですが、もし私が携え上げられる時にあなたが私を見るなら、そのとおりになります」と言いました。そこで、エリシャは自分の主人を見続けて、その行動をすべて仔細にわたって見ました。そして、彼がエリヤの衣を手に持ってヨルダン川に戻った時――つまり、彼が最初の困難に遭った時――聖霊の力の中で彼が外套で水を打つと、水は彼のためにも...
信仰の賜物 さて、マルコ一一・二二~二三に向かうことにしましょう。「そしてイエスは彼らに言われた、『神の信仰を持ちなさい。まことに、私はあなたたちに言います、だれでもこの山に向かって、「取り去られて海に投げ込まれよ」と言い、心の中で疑わず、自分の言うことは成ると信じるなら、そのとおりになります』」。 弟子たちが世界最大のこの移す力に直面して少し恐れるのを、主は予期されたように思われます。そこで、彼...
この信仰の賜物はどうすれば得られるのでしょう?この信仰は私たちをただのクリスチャンではなく、力あるクリスチャン――「要塞を破壊するほど、神によって力ある」クリスチャン――にします。そのような特質が私たち全員に必要です。なぜなら、「勝利する」「勝利」という言葉を使う時、私たちは何か優勢なものを取り扱っているからです。私たちは迫害され、火あぶりにされ、翻弄されるかもしれません!しかし、諺に出て来るコルク...
2.力ある信仰 すでに述べたように、二種類の信仰があります。その一つを私たちは「救いの信仰」と呼びました。これに加えて、新約聖書にはもう一つの信仰があります。時々、それは「信仰の賜物」と呼ばれることがあります。しかし、救いの信仰を補完するものとするために、それを「力ある信仰」と呼ぶことにします。それには、罪人を聖徒に造り変える力がありますが、それだけではありません。一コリント一二章に向かって、この...
この信仰によって私たちは何を受けるのでしょう?(1)私たちはキリストを受けます。そして、キリストは私たちに神の「小さな子供たち」になる力を与えてくださいます。神の子たる身分という後天的権利を与えてくださいます。それにより、私たちは「神の性質にあずかる者たち」とされます。というのは、「私たちはみな、イエス・キリストを信じる信仰によって、神の子供たちである」からです――これは他の何ものにもよりません。...
多くの点をこれに追加できるかもしれません。ヘブル一二・二についてはどうでしょう?救いの信仰のためにイエスに拠り頼んではいけないのでしょうか?その答えは、いいえであり、はいです。これは逆説かもしれませんが、矛盾した言葉ではありません。私たちの主は、人の胸を信じる信仰の創始者ではありませんが、救いの創始者です。この救いを信じる私たちの信仰に応えて、この救いは私たち一人一人に対して効力を及ぼすようにな...
この信仰をどのように得るのでしょう?「信仰は聞くことにより、聞くことは神の御言葉によります」。この信仰は証拠を得て検証することから生じます。そして、聖書には神の証拠がすべて含まれています。神の存在、キリストとその子たる身分、彼が罪のための供え物であること、聖霊、クリスチャン生活に関する真理などについての証拠が、すべて含まれています。神の御言葉を聞いて理解した結果として、私たちは証拠から自分の信仰...
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おお主よ、汝の愛の火の如く且つ喜ばしい御力が私の霊魂を天が下の凡ゆるものより離して汝に集注せしめ給う。忝じけなくも私如きものを愛してそのために死に給うたように私にも愛のために死ぬる心を深くさせ給え。全能にして、最も聖く、最も高く、最高善にして、全ての善、凡ゆる善の源なる神よ、汝のみただ一人善にて在し給う。全能にして、永遠なる、義にして、憐み深き神よ、哀れなる我々に汝を知り、常に汝の喜び給うところを...
我らの父よ、最も聖き我らの創造者、贖主、又慰主よ。天にいます。御使の中に又、聖徒の中にあって彼らに知識を得させる輝きを与え給う、そはおお主よ、汝は光にして汝を愛するように心を燃やし給う、主よ、汝は愛にて在し給う、彼らの中に宿り、祝福をもて彼らを満し給う、おお主よ、汝は最高の善にて在し永遠の善にして汝を離れては何処にも善はありません。御名を崇めさせ給え、我らが汝の恩恵の広さと汝の約束の長さと汝の威厳...
おお、いと高き、全能にして、善にいます神よ、称讃と、栄光と、誉れと、全ての祝福とは汝のものであります!全ての造られたものにより汝は讃美され、殊に兄弟なる太陽によって崇められますように!彼は我らに昼をもたらし光を与う、彼は美しくいと大いなる輝きをもて照りかがやく。おお主よ、彼は汝の御すがたを示す!わが主よ、姉妹なる月と星とのために汝は讃えられます!汝は彼らを天において清らかに愛らしく造り給いました。...
聖なる、聖なる、聖なるかな、昔在し、今在し、後来たり給う、全能の主なる神、我らをして永遠に凡ゆる者の上に汝を賞め又、讃えしめ給え。おお主、我らの神よ、汝は称讃と栄光と誉と祝福を受けるにふさわしく在す。屠られ給いし羔羊こそ能力と神性と智慧と誉れと祝福とを受けるにふさわしく在す。我らをして永遠に万物の上に彼を賞め讃えしめ給え。我らをして父及び子と供に聖霊を祝せしめ給え、永遠に全てのものの上に賞め讃えし...
祈り我らの父よ、我らは豊けき救いが汝の御子、我らの救主によって可能とせられましたことにつき心から御礼申し上げます。彼の御生涯が我々を彼の足跡に従わせる一つの模範として送られたことにつき、又彼の死が汝の愛と我々を罪から贖い給うことを表わし、又彼の復活が現在と未来に豊かなる生命の確実性を我等に与え給うことについて、又更に変らざる臨在が常に我々の霊的な必要に応じ満し給うことについて本当に感謝申し上げます...
我々は決して上にあるもの以外を求むべきでない、むしろ神のために全ての被造物の僕となり仕え人となるべきである。そして主の霊はこれ等のことを実行し、また終りに至るまで耐え忍ぶ全ての者の上に留るであろう。神は御自身の住所を作り、彼らの中に住い給うであろう。そして彼らはそれらの業をなす時に天の父の子供、又我らの主イエス・キリストの配偶者、兄弟、母となるであろう。聖霊によって真実な魂がイエス・キリストと一つ...
なお又、我らをして悔改めにふさわしい実を結ぶもの、また己自らの如く我らの隣人を愛せしめよ。もし誰かが己自らの如く彼らを愛することを好まずあるいは出来ないならば少くとも彼らを害せず彼らに善いことをなさしめよ。もし我らが他人を審く所の権威を受けたならば憐みをもってその権能を行わしめよ。それは我らも又、主からの憐れみを受けんがためである。我らは悪と罪とのゆえに我ら自身を憎むべきである。何故ならば主は福音...
全世界に住む全ての基督者なる敬虔なる者、教職者、平信徒なる男達よ、女達よ汝らの僕なる兄弟フランシスが天からの真の平和と主にある真実の愛とを望んで恭々しい尊敬を送る。全ての者の僕として私は全ての者に仕え、又主の御言の芳ばしい香を取次ぐように定められた。それゆえに私は自分の体の弱いことを考える時に個人的に訪ねることの出来ないのを知りこの手紙をもって我々の主イエス・キリストの御言とその音信とを送る。彼は...
祈り、讃美及び感謝、我らの全ての者は全魂をもって全心をもって、全力をもって愛し又、忍耐強くあるべきである。我らの全理解と全力と全精神と全情愛と我らの内なる凡ゆる部分、全要求と意志とをもって我らにこれらのものの全てを与え給うた神を愛し、賤しくみすぼらしく悪にして汚れ恩を忘れ、また邪まなるものをも憐れみ給う神を讃美せよ。それゆえに我らは、造主、贖主なる救主、唯一の真の神以外に何事をも要求せず喜ばず求め...
兄弟達の悪いことを語り、あるいは攻撃をせず互に相愛すべきこと、兄弟らに対して誰もその欠点を誇張したり言葉をもって非難し争わないようにすべきである。神が彼らに恵みを与えてい給う間、沈黙をもって忍ぶことを学べ、これらの人達と争ったり又は共に他の人と口論をすべきでない。寧ろ反対に謙遜をもって答え、我等は無益の僕であるということを常に準備すべきである。彼らをして怒らせるな「誰でもその兄弟を怒る者は審きにあ...
ああ、女王なる智慧よ!願わくは主、汝の姉妹なる清く純潔な単純さと共に汝を祝し給わんことを!おお、清貧淑女よ!主が汝の姉妹なる聖謙遜と共に汝を祝し給わんことを!おお、聖愛の淑女よ!主が汝の姉妹なる聖従順と共に汝を祝し給わんことを!おお、凡ゆる聖き徳よ!汝らのいで来たりしところの主が汝を祝し給わんことを!初めに己に死ぬことなくば唯一人として世界の中に汝らの中の一つをも所有しうることは決してありえない。...
主がその人に示し給うた善きことをその心の内に保ち、その業によって人々に表わそうとしない人又、報いを望んで言葉によって人々に知らせようとする人は禍である。彼は今、報いを受け、聴く人に僅かの影響のみしか与えない。その兄弟が病気であって他の人を助けることが出来ない時にも健康で他の人を助けることが出来る時と同じように愛する人は幸である。その兄弟が共にいることを望むに拘らず彼から遠く離れておりそして彼の背後...
多くの人はその敵又は隣人を屡々非難することによって罪を犯している。しかしそれを気付かない。しかし人は彼自身の力、即ちその肉体の中に自らの敵を持ち、それによって彼は罪を犯すのである。ゆえに彼の中にあるところの敵を捕虜にし賢く自らを守る者は幸である。その人がこのように生きる限り如何なる見える敵も見えない敵も彼を害うことが出来ないからである。如何に多くの内心の忍耐と謙遜とが神の僕らにおいて人々に知られず...
おお、人よ、主が貴方を如何に偉大にして優れたものとして造り給うたかを深く考えなさい。肉体においては神の愛子の御姿に像どり、霊においては御自身に肖せて造り給うたのである。又、世界の凡ての造られたものは彼等各々の道において貴方よりもよくその造主に仕え従うことを知っている。もしも貴方が賢くて凡ゆる科学を知り、全ての国語を通訳することが出来、凡ゆる天のことをも正確に究めることが出来たとしてもこれによって貴...
聖フランシスは、祈りと瞑想を通しての確固たる宗教的経験が発展する事の必要性を、極く最初の働きの時から常に強調していた。彼の福音の本質的な真理を伝える説教者としての魅力ある模範、又人々の霊肉の要求に応える調和のとれた伝道、又キリストとの親しい交りから来る喜びと能力の不断の推進とはただ名のみのクリスチャンを真の基督者として全心的にキリストの救を受け容れさせるのに驚くべき能力を発揮した。フランシスの書い...
フランシスはイエスの御命令に絶対に又文字通りに服従しようとして彼の生涯を献げることを決意し、その所有をも家族関係をも投げ打ち、又先に抱いたこの世の成功者となる夢をも捨ててしまった。これより後、彼はその花嫁として清貧をめとった。何者をも所有せず、惜しみなく彼自身を与え、巡回しつつ説教する伝道の道において肉体的に又、霊的に人間の要求に対して全部を以て応ずることにおいて衣食は与えられていった。一二○四年...
アシジの聖フランシスは中世キリスト教の最も美わしい開花を代表している。歴史上のどの時代よりも、多く形式的又、組織的になってきていた時代に生きて彼はイエス・キリストの誡めに全く献げ又服従した生涯の優れた力を現わした。中世の教会に完全に服従していながらも活けるキリストへのより高い忠誠を堅く保持し続けた。彼自身が修道院の理想に自らを捧げつつもその形式の中に新しく、よりよい所の実質を与えこの世から逃避する...
我々は単なるパンでなく、生命のパンを必要とする私は印度にいる一人の神の人を知っている。彼は自分の経験を私に語った。一人の乞食が毎日彼のところに来て一片のパンを乞い、それを受け取るとすぐに去ることを常としていた。ある日、その祈りの人には与えるものが何もなく、人々が食物を取って来るまでの間、数分間彼と共に坐って話すよう乞食に求めた。一時間もしないうちに、此の乞食は信じて祈り始めた。彼はすっかり変わった...
三彼は人間のみならず、動物も植物も太陽も月も星も水も土地も兄弟姉妹といって愛した。ある時、野原に出るとたくさんの小鳥が木に留っているのをみてこれに話しかけ「姉妹なる小鳥達よ、あなた方は特に神に感謝して御名を讃美しなければならない、あなた方は蒔く事も刈る事もせず、倉にも納屋にも貯えないのに神は何時も食物を与えて下さる。殊にあなた方は羽を与えられてこの大空を自由自在に翔けることが出来る。あなた方に賜っ...
二彼が神のために一切を捨てて心は軽く喜びに満され歌を歌いながらまだ春浅いアシジの山のほとりを通ってゆくと山賊にあった。「お前は何者だ」と尋ねたので「私は大王の使者である」と答えると彼を捉えてその着物を剥ぎとり「大王の使者安かれ」といって雪解けの冷い沼につき落して去った。その時フランシスはその雪解けの水の中に入ってもなお歌いつづけていたということである。又、ある時は彼が托鉢に行った留守に三人の強盗が...
イエス、ピラトの許に送られる(マタイ二七1、2)祭司や学者らは、宗教上の事項には権力があったが、生殺与奪の権は持たなかったのである。それ故にイエスを殺そうとするには、法律の下に託さねばならなかったのである。〔マルコ一五1〕「夜明けに及び、直ちに祭司の長、長老、学者たち、すべての議員と共にはかりて、イエスをしばり、ひきつれてピラトに渡せり」〔ヨハネ一八28〕ここで時刻を知ることが出来る。この夜、主はゲッ...
イエス、祭司長に審判される(マタイ二六59~68)〔59~61〕「いつわりの証を求むれども得ず」〔61〕キリストは決して御自身が神殿をこわすとは言われなかった(ヨハネ二19~21)。サタンがあげ足をとるのは(例えばキリスト教は国家を倒すなど)みなこの種である。〔62〕「……証拠は如何に」〔63〕「イエス黙然たり」非常な勇気である。主はすでにゲッセマネの園で、その杯を飲み始めてからぐんぐん飲み給うのを見るのである。この...
ペテロ、イエスを知らないと言う(ルカ二二54~62)〔54〕「ペテロはるかに従いぬ」実に不忠実である。先にはゲッセマネで居眠りし、今またはるかに隔てて主に従ったのである。彼はキリストがまさに敵の手に渡され、殺されようとした時に剣をぬいたけれども、今や主が捕えられて引かれて行く時になったら、はるかに離れて従ったのである。ああ肉はだめである。わたしたちはキリストとの間に少しでも距離を隔てていないだろうか。〔...
キリスト祭司長に引かれる(マタイ二六57、マルコ一四53、ルカ二二54、ヨハネ一八13、44)アンナスはカヤパの前の祭司長であったが、何かのためにローマ政府から免職にされてカヤパがこれに代ったのである。しかしユダヤ人は当時、アンナスを尊敬していた。それでキリストをもまず彼のもとへ引いて行ったのである。カヤパは先に「一人死にて国中滅びざるは我らの益なり」(ヨハネ一一50)と言った人であって、実に冷淡極まることを...
〔55~56〕主が人々に語られた彼らの行為の矛盾に満ちていることについて言えば左の通りである。(1)ユダは接吻によってキリストを渡そうとしたが、このことはキリストのよく承知されたことであった。(2)キリストを盗賊にむかうように捕えに来たことである。人間こそは盗賊である。主は人間から何も盗んだことはない。主は生まれると飼葉おけに寝かされ、高位につかずに貧しい家で労働されたのである。ところが今彼らは主を盗...
イエス売られ給う(マタイ二六47~56、マルコ一四45~52、ルカ二二47~53、ヨハネ一八2~5)(マタイ二六47~)〔46〕勝利を得て「起きよ、我ら行くべし」と立ち上る時に、敵はすでに来たのである。わたしたちもイエスのように全く神に服従して出る時に、確かに勝利を得るのである。〔47〕ユダを見よ。彼は「剣と棒とを持ちたる多くの人々と共に祭司の長と民の長老のもとより来」たのである。今や彼は全く墜落し果てたのである(ヨ...
マタイ二六36以下。「ゲッセマネ」とは「油しぼり」という意味である。カンラン山(オリブ山)から多くの油が出る故に、この名称があるのである。油とは聖霊である。主はここでわたしたちのためにすべての悲しみを飲みつくされたのである。だからこそ今わたしたちに慰めの聖霊が豊かにそそがれるのである。〔36~38〕このゲッセマネにも深意のあることがわかる。八人の弟子は園の入口まで入ったが、三人の弟子はなお奥へ入った。し...
ゲッセマネの御苦難(ヨハネ一八1、マタイ二六36以下)ヨハネ一八1。弟子たちに対して懇ろに語り、また一七章のような祈りを終えられた主は、今やいよいよ十字架の迫りつつあることを知って、なおも静かに祈ろうとしてゲッセマネに向われたのである。時はすでに充分に更けていたと思われる。「ケデロン」とは「濁っている」という意である。これは昔から記念すべき河である。主は終生人心の泥流の中を渡られたが、この時も実におそ...
〔22〕実に恵みである。「栄え」とは内部のすきとおるような聖であるとある人は言った。内に聖がすきとおって徳が満ちているならば、外に光があらわれるのである。キリストの栄えとは、彼にあらわれた聖なる徳であった。これが神の前における第一の栄えである。これをせんじつめれば、彼の中にあった聖霊である。おそれ多いことには、キリストはこの驚くべき栄えをわたしたちに与えられたのである。彼に満ちていたその同じ聖霊をわ...
〔20〕すべての信者のための祈りである。この中には確かにわたしたちも含まれているのであるから、そのつもりで学びたい。キリストの眼中には、ただその時の者ばかりではなく、彼らの言葉によって信じた者すべてがあったのである。永遠より永遠に存在される主は、いずれの時代のことをも知っておられる。だから日本の路傍で、ある弟子たちによって伝えられたみ言葉を信じた私のためにも祈られたのである。〔21〕主が信者のために祈...
〔14〕私が伝えた言葉を受け入れて彼らはあなたにつきました。それ故に世は彼らを憎みます。彼らは世におりますが、世のものではありませんから、世は彼らを憎むのです。あたかも世が私を憎むように彼らを憎むのです、と。わたしたちとキリストとの世に対する関係は同じで、キリストこそ立派な標準である。肉体をもつ間はそんなわけには行かないと言って、少しでも罪を容れることは恐るべきことである。〔15〕「われ汝に彼らを世よ...
〔9〕「我かれらのために祈る……」おお、神よ、このあなたのものである、あなたを受け入れた者のために祈ります。もう一度我らが普通のものでないことをくり返して父が重んじて下さるように祈られたのである。父よ、あなたの責任ある貴い宝のために祈ります、と、キリストの祈りには、少しの私欲も見えないのである。〔10〕ちょうど夫婦が互に独り子を掌中の玉とし、宝としているように、我らを「これは汝のもの、汝のものは我がも...
〔6〕これは主の父に対する復命である。「あなたが私に委ねられたこの魂に、父の名をあらわしました」と、実に立派な復命である。名をあらわすとは、その名によって実をあらわしたことである。イエスの御生涯は神を人にあらわす御生涯であった。けれどもその神を見た人は世から選ばれて、キリストに与えられた者である(コリント後四3、4)。選民でない者は福音の光を受けない。けれどもこの節を見よ。これは選民である。選民には...
〔2〕父なる神がキリストに与えられた選民は、キリストへの賜ものであって、その選民たる我らはキリストの財産、また宝である。故にキリストは選民たる我らに、御自身の永遠の命を与えられるのである。「凡てのものをおさむる権威を我に賜いたればなり」父なる神のキリストを崇めたのはこれである。この力は何のためにあらわすかと言えば、選民に永遠の命を与えるためである。故にこの目的のために障害となるものは、どんなもので...
〔1〕「イエスこの言を語り終りて天を仰ぎ……」ヨハネ一一41のように、イエスは祈りの時にしばしば天を仰いで祈られたことが福音書に記されている。ひれ伏して祈るのは、悔い改め、または謙遜を示すものであり、主との交わりの切れない時には、身も目も天を仰いで祈ることが出来る。「父よ」これは子たる者の霊をあらわしたのである。キリストは御自身のために祈る時には父よと言い、弟子たちのために祈る時にはきよき父よと言い、...
ヨハネ福音書一四章から一六章までにおいて、キリストは弟子たちに対して彼らの生涯、ペンテコステ、また希望について語り、彼らを慰められた。これらのことが終ってから、今まで弟子たちの方へむかって居られた主は天を仰いで祈られたのである。昔大祭司が幕屋に入るのは、一年中で最も幸な日であった。そのように我らの大祭司キリストは、今至聖所において祈っておられるのである。だから我らも栄光なるキリスト御自身を通って、...
〔25〕これまでにキリストは、何とかして弟子たちにこの真理を知らせようとして、譬で教えられたのであるが、ペンテコステ後の彼らは、霊の眼が開かれてどんなことでも聖霊御自身が直接彼らに語り給うのである。〔26〕キリストの名によって祈るとは、キリストにより、父なる神に祈って頂くというような間接的なことではなくて、キリストと自分と一体となって、しかも直接にキリストと共に父なる神に求めるのである。〔27〕これは前...
〔19~20〕キリストは彼らが尋ねる前に尋ねようとすることを語り給う。「誠に真に」とはイエスが力をこめて事実を語られる時に用いられた言葉である。キリストが十字架につけられるために、一時はあたかもサタンの勝利のように見えるから、世はそれを喜ぶであろう。「然れど」ハレルヤ。その弟子たちの憂いは喜びに変るとは神の断言である。まことに幸いである。〔21〕人の不安と喜びとが接近したことを示す。見よ、子を産もうとす...
〔16〕七節でキリストが行くことは弟子たちにとって幸福なことであると言われたが、その間しばらくは彼らも艱難を感ずることであろう。「しばらくして……」キリストは十字架について見えなくなるが、またしばらくして甦えりのキリストを見ることが出来るのである。〔17~18〕肉につける弟子たちには、この意味を理解することが出来なかった。キリストの十字架、甦えりなどは彼らの夢にも思わなかったことであるから、彼らは理解出来...
〔8~9〕聖霊が降り給う時には、奇しきみ業をなされるのである。その時に、この三つのことを悟らせられるのである。悟らせるとは英語コンビクトで非常に意味の強い言葉である。「罪についてと言うのは……」最も恐るべき罪は、キリストを信じない罪である。キリストが来られたのも、神の子であること、また信ずべきメシヤであることを知らせられたのであるが、なおこれを信じないのは罪である。ペンテコステの日に「人々の心刺さるる...