ずっと岡山の宗教家や宗教の歴史を訪ねてみて、気になってきたのは明治新政府による神仏分離政策。それまで続いてきた神仏習合の宗教が無理やり分離させられた。児島の新熊野、熊野権現の修験道は停止に追い込まれた。神仏習合が本格化したのは東大寺勧進に際して八幡神(宇佐八幡)が助けたことに始ま...
かって吉備王国の栄えた地岡山 地球村楽土を目指す 歴史を学び音楽芸術文化を育て平和と理想幸福の世界を
いやなことの多い世相 何とかならないものか・誰もが願う平和な楽土、岡山はかって吉備王国の栄えた地、多くの義人、偉人、宗教家、文化人を輩出している。今、日本と世界に必要なもの、未来を創造し、新しい建設を成し遂げることのできる文化や人材、歴史を学び、教訓とし、先人の生き様や、思想を今に生かす。過去の歴史を教訓に。そんなエネルギーを吉備は秘めている。国際化時代にふさわしい郷土を
岡山人物銘々伝を語る会の例会ご案内です 参加希望は こちらまで メールください。(担当:山田) 平成 26 年 10 月 5 日 「岡山人物銘々伝を語る会」第 9 9 回例会のご...
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ずっと岡山の宗教家や宗教の歴史を訪ねてみて、気になってきたのは明治新政府による神仏分離政策。それまで続いてきた神仏習合の宗教が無理やり分離させられた。児島の新熊野、熊野権現の修験道は停止に追い込まれた。神仏習合が本格化したのは東大寺勧進に際して八幡神(宇佐八幡)が助けたことに始ま...
承久の乱から家康の浄土まで 平安~鎌倉 日本の宗教史を変えた備作の人物Ⅰ・Ⅱ 参照 承久の乱から南北朝の時代を経て家康による天下平定まで長い騒乱の時代が続きます。 岡山人物銘々伝を語る会 令和5年1月20日 ゆうあいセンター 山田良三 承久の乱から家康の浄土まで 栄西禅師...
平安~鎌倉 日本の宗教史を変えた備作の人物Ⅱ 承久の乱と備作 鎌倉殿と後鳥羽上皇の皇子頼仁親王 法然、栄西没後の鎌倉殿と鎌倉仏教について 岡山歴研サロン 令和 4 年 12 月 15 日 ゆうあいセンター 山田良三 法然、栄西以降の主に鎌倉殿と備作...
歴史人物シリーズ ...
岡山宗教散歩7 重源 東大寺再建の勧進僧・重源 東大寺勧進職を務めた俊乗房重源は、岡山にゆかりの法然や栄西と深いかかわりをもった僧でした。文治2年(1186)に法然が天台僧らと宗論を戦わせた「大原問答」に重源は弟子十数人を伴って参加しました。重源が「南無阿弥陀仏」の念仏を...
鎌倉へ赴き将軍源頼家と尼御台所の政子から信任を得る そのころ都では土御門通親の策動で 九条兼実が失脚し、栄西は都における外護を失ってしまいました。そこで栄西は鎌倉に向かいました。正治元年(1199)栄西は鎌倉に入り、二代将軍頼家に拝謁。当時18歳だった頼家は栄西の風格に敬...
平安~鎌倉 日本の宗教史を変えた備作の人物 栄西(3) 禅宗停止の宣旨と聖福寺の建立 禅宗停止の宣旨 栄西が帰朝する少し前に大日房能忍という僧が、都で達磨宗として禅宗を唱えていました。彼は南宋の阿育王寺に使者を使わして法印を手に入れ禅を鼓吹していましたが、比叡山の僧徒の反感...
栄西 二度目の入宋と帰国 万年寺に 文治三年、栄西は二度目の入宋を果たします。この度の入宋では、釈迦の生誕地の天竺にまで行くのがそもそもの希望でした。ところが当時の宋と西方の諸国との状況は厳しく、天竺への道は閉ざされてしまっていました。4月25日、臨安に到着した栄西...
栄西禅師と日本文化(1) (栄西禅師伝再考) 山田良三 栄西禅師と日本の文化 岡山の代表的な宗教家と言えば浄土宗の開祖法然とならんで、臨済宗の開祖として知られる栄西が挙げられます。栄西がもたらした禅の教えは様々な分野で日本の文化の形成に重要な役割を果たしてきました。代表的...
◇ 日本仏教の改革者 法然 ~ 秦氏の父母から生まれた法然の生涯、その父の死期の二説? 「厭離穢土欣求浄土」 徳川家と浄土宗 戦国時代を終わらせた武将が徳川家康でした。徳川家はその後代々続き、日本の歴史でもっとも長い 265 年間、戦乱のない平和な時代を...
平安~鎌倉 日本の宗教史を変えた備作の人物 令和4年9月3日 岡山市北区 蔭涼寺 「定説への叛乱」Ⅲ 2022年東京・岡山歴史交流シンポジウム 山田良三 今回のシンポジウムのテーマ 日本の宗教・思想を変革してきた吉備の人物と歴史...
岡山の歴史を中心に記事を書いてきました。しばらくお休みしていましたが、再開します。 岡山にゆかりの人物や歴史についてこれまで書き溜めてきた記事や、岡山歴史研究会などでの活動の様子をお知らせします。
太平記の作者ではと言われている小島法師、実は後醍醐天皇に忠誠を尽くした児島高徳その人ではとも言われている。 「太平記」と言えば、室町時代にまとめられた軍記ものだが、これまで実に多くの人々により語られ、読まれ、伝承されてきた。 江戸時代には「太平記読み」という職業まであったとか...
平成 29 年 5 月 31 日 「岡山人物銘々伝を語る会」 第 1 30 回( 6 月例 会 ) の お知らせ 世話人代行 久井 勲 5 月の 第 129 回 例会は 、 高橋義...
平成 29 年 3 月 2 日 「岡山人物銘々伝を語る会」第 12 7 回 3 月例会のお知らせ 世話人代行 久井 勲 2 月の第 12 6 回例会は、 近藤泰宏 さん (当会 会員 、 津山...
安本美典氏の講演会を聞いての感想を書いて今したが、所要が多く、執筆が中断していました。続きを書いていきます。 安本氏の歴史研究手法はユニーク、統計学などを駆使しているので、歴史の専門的研究者にしてみれば、いかにも「如何わしい」と異論のあるところ、当然だと思う。まあ、もともと...
1月8日岡山駅西口にある国際交流センターで、岡山歴史研究会主催の特別講演会がありました。 今回、講師は安本美典氏、言わずと知れた邪馬台国九州説の旗頭です。 「邪馬台国が福岡以外の確率は99.9%である」と言い切っておられます。 その安本美典先生、岡山県、高梁高校出身であるこ...
しばらく更新を怠っていました。 復活します。 岡山人物銘々伝を語る会 吉備歴史探訪会 岡山歴史研究会 主に吉備楽土(山田良三)の活動舞台です。 今年は岡山人物銘々伝を語る会で「児島高徳」を取り上げようと思っています。 現在資料を収拾と読み込みを始めています。 ...
先史古代研究会(岡山)の機関誌「きび考」に掲載いただいた東大寺大勧進重源に関する記事を紹介します。 東大寺大勧進重源と法然、栄西~備前備中 山田良三 「重源」を取り上げようとした動機 東大寺大勧進の「重源」は備前備中とも深いかかわりのある人物である。...
岡山人物銘々伝を語る会2月例会をご案内します。参加希望は 事務局(山田) まで 「岡山人物銘々伝を語る会」2 月例会のお知らせ 世話人代行 久井 勲 1 月の第 112 回例会 は、 1 月...
ずっと岡山の宗教家や宗教の歴史を訪ねてみて、気になってきたのは明治新政府による神仏分離政策。それまで続いてきた神仏習合の宗教が無理やり分離させられた。児島の新熊野、熊野権現の修験道は停止に追い込まれた。神仏習合が本格化したのは東大寺勧進に際して八幡神(宇佐八幡)が助けたことに始ま...
承久の乱から家康の浄土まで 平安~鎌倉 日本の宗教史を変えた備作の人物Ⅰ・Ⅱ 参照 承久の乱から南北朝の時代を経て家康による天下平定まで長い騒乱の時代が続きます。 岡山人物銘々伝を語る会 令和5年1月20日 ゆうあいセンター 山田良三 承久の乱から家康の浄土まで 栄西禅師...
平安~鎌倉 日本の宗教史を変えた備作の人物Ⅱ 承久の乱と備作 鎌倉殿と後鳥羽上皇の皇子頼仁親王 法然、栄西没後の鎌倉殿と鎌倉仏教について 岡山歴研サロン 令和 4 年 12 月 15 日 ゆうあいセンター 山田良三 法然、栄西以降の主に鎌倉殿と備作...