カバー写真の、こちらを誘っているように思えてくるさまざまな人々や動物、景色の表情にまず惹き込まれる。上半身裸の人もいれば、めっちゃ防寒着の人もいるし、背景や服装の色合いもバラバラなんだけど、皆、楽しそうなんである。 これは、タンザニアをフィールドにする研究者の方たちに「1日に一つずつ読んでも129日間楽しめます」と、いただいた今年の3月に出たばかりのその名も『ザ・フィールドワーク』という本。出…
タンザニア在住のasamiの綴るタンザニアの日常生活、音楽、美術、自然、旅、動物などなど。
タンザニアは日本の2.5倍の大きさのある国。見どころ、行きどころも満載です。キリマンジャロ山もセレンゲティ国立公園もあります。そんなタンザニアを日ごろの暮らしの中から、あれこれ、ご紹介していきたいと思ってます。 読んでみてタンザニアにいってみたいなあああと思っていただけたら、嬉しいことこの上なしです。
ダルエスサラームの街中から住んでる家まで徒歩30分。ウォーキングディスタンスなのかもしれないし、実際に歩いてもいる。けれど、街にいるとき、日中の太陽カンカン照りのときとか、ちょっと疲れた気分のときには、街から帰るときに馴染みのタクシー運転手さんの車を見つけて乗って帰ることもある。馴染みの運転手さんの車は、エアコン効かないかなりの年代物で、運転手さんもしかり(!?)。「家に連れてって」って言うだけ…
フランス政府は、いまだフランス領となってるニューカレドニアや、旧宗主国だった西アフリカの国々などにおいてもけっこう大変な局面に立っているけど、フランスの人々には、働く中でもマニュアルや規則に縛られず、自分たちの身は自分たちで守る、自分の領域を守っていくという頼もしさを感じることがありました。 フランスで娘とともに地方を結ぶ中距離バスに乗る機会が、何度かありました。運転手さんは、いづれも制服…
パリにはおいしいアフリカ料理のお店がいくつもある!と教えてくれたのは、東京は渋谷のアフリカ、カリブ&アラブ料理のお店「ロス・バルバドス」の大将と女将さん。 その中の一つ、パリ東駅の近くにあるBMK-PARIS-BAMAKO(パリに2店舗あるBMKのうちの一つ)というお店に娘と行ってきました。
到着した4月半ばのパリは夏日なのだった!半袖やノースリーブの人々が嬉々として街を散策していて、ジェラート屋の前には長い行列ができていた。 パリには全部で7泊したのだけど、太陽サンサンの夏…
娘がフランスに留学中で、息子がドイツで仕事をしていたので、娘のお休みに合わせて、家族に会いにフランス、ドイツへ行ってきました。 パ…
タンザニア生まれの息子の中学、高校時代のタンザニア人の親友が結婚することになり、招待状をいただいた。親友一家とは家族ぐるみで親しくしている。友人一家はムスリムである。 スケジュールは、1日目、ヘナパーティ、2日目、モスクで結婚の誓いの後、女性だけのパーティ、3日目、ホールで披露宴という3日間にわたる式典! (それでも短い方らしい。。ちなみにヘナパーティというのは、ヘナという植物の染料を使って…
もう2月となってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。 お正月を日本で迎え、1月半ばにまたもやタンザニア、ダルエスサラームに戻ってきました。1月20、21日には、ダルエスサラームでは橋が流されるなどの被害も出るほどの豪雨があったりと、落ち着かない気候となっています。その後も雨が降る日も多く、葉っぱや木々などの水を得た魚のように緑はわさわさと生い茂った様子を見せています。
彫刻家マティアス ナンポカの末っ子ネモトちゃんも今年いよいよ小学校の1年生!となった。(ご存知の方もいらっしゃると思うけど、マティアスがわたしの亡き夫の名前を我が子につけてくれたのだ。名前というより名字なんだけど) タンザニアの公立学校は1月が新学年の始まりなので、今ちょうど一年生が終わったところ。 わたしはネモトちゃんからビビ(Bibi=おばあさん)と呼ばれている。ネモトちゃんがそう認識し…
千葉の柏でアフリカに浸る〓️コンゴ(民)料理店『MOTINDI』
噂に聞いていた千葉の柏にあるコンゴ(民主共和国)料理のお店「Motindi/モティンディ」に友人と二人で初訪問!! 柏駅から徒歩5分ほど。お店の外にもマスターの似顔絵らしきペイントなどがカラフルに…
「我々の世代は我々自身の国の独立のために闘うナショナリストの世代だった。しかし、パレスチナの人々の窮状は非常に異なっていて、はるかに悪い。。 彼らは彼らの国を奪われ続けている、彼らは自身の土地を持たない国民となっている。 だからタンザニアと世界中が彼らを支援する価値があるのです」※1 ジュリアス ニエレレ タンザニア初代大統領の言葉 1984年 ニエレレの呼びかけにも関わらず、そのおよそ40年後の…
日本ではライドシェアを解禁するかどうかが話題になっているそうだけど、タンザニアでUberなどの配車アプリサービス(ライドシェア)が始まったのはいつだったのかだろう?わたしの記憶では8年以上前だと思う。 アプリで出発点、目的地を記入すると、出発点の近くにいる車が名乗りをあげ、その車のドライバー名とプレートナンバーが送られてくる。ドライバーから確認の電話やメッセージがあることもある。待ち時間がちと…
3年ぶりにリランガカレンダーがシェタニ(精霊)たちと共にやってきます! 2024年は、ちょっとパステル調の作品の中で、シェタニなのに人間くさいところがあり愛嬌あって憎めないヘンドリック リランガのシェタニたちがあんなことやこんなことをやってるカレンダーとなっています。久しぶりのカレンダーでの登場なので、シェタニたち、ちょっと緊張してたり、ええカッコしいになったりしてるかなと思ったりしたけれども、…
カリアコーにアフリカ布を中心にした生地屋さん街が、Wanyama(ワニャマ=動物たち)ホテルの周辺にあるという。ワニャマホテル!そんな名前のホテルがあったのねえ。キリンやゾウたちがホテルのフロントで並んでチェックインしている姿を想像してしまった。
ガザへの空爆の即時停止、停戦を求めます。Ceasefire NOW!!
Twitterではガザの病院が燃料切れでシャットダウンしたというニュースが流れてきました。UNRWA(国連パレスチナ難民機関)は、燃料がガザ地区に入らなければ、明日、水曜日の夜に活動を停止せざるを得なくなると警告しています。 そして「ガザへのイスラエルの攻撃で少なくとも5,791人のパレスチナ人が死亡し、10月7日以降、イスラエルでは1,400人以上が死亡した」
タンザニア人知人のCさんが夕食に招いてくれるという。今はダルエスサラーム在住だけど、ザンジバル出身の人だ。 前もって「何が食べたい?」と聞かれたので「ビリヤニ!」と元気に答えてしまった。 わたしと同じ年(1961年)生まれの彼女の夫は、しばらく調子を崩していて入退院を繰り返していたのだけど、2ヶ月前に旅立ってしまった。彼は、豪快で明るく、お料理の上手な人だったので、元気に「ビリヤニ!」と答えて…
タンザニアにいた時でさえ、こんなに迫力ある様々な異形を抱えるマコンデ彫刻たちに見つめられたことはない。見ているのはわたしのはずなのに、わたしを飛び越えたところに彫刻たちが醸し出す大いなるエネルギーが満ちている感じがしてならないのだ。広いフロアに並ぶ様々な大きさ、形を持つ彫刻たちはとても雄弁に力強くその存在を物語っていた。
キューバ南東部、第二の都市であるサンティアゴデクーバは坂がとても多い。だから、ハバナやトリニダではたくさん見かけたチャリンコタクシーも少なめだった(人を乗せての上り坂はきついからねえ)。長ーい坂道が広い海に繋がる光景は壮観だ。
キューバでは、ハバナの他にも行きたいと思っていたトリニダと「革命と音楽と坂の街」サンティアゴデクーバに行けたのだが、移動手段がかなり限られていた。国内線も本数がとても少なかったので、「旅の準備@キューバ」でも書いたようにViazulという大型長距離バスを利用した。 現地に着いてからでも購入できるようだが、売り場まで…
キューバのトリニダの街、真っ青の空の下、強い太陽の光に、パステルカラーやさまざまな空色などに塗られた歴史ある建物たちが照らされている。道いっぱいに広がる石畳が眩しく映る。その鮮やかな光景に見惚れて、自分も太陽に焼かれつつあることを忘れてしまいそうになる。
滞在3日目、5月14日の日曜日の午前中にキューバの古くからある街トリニダ(今までトリニダッと表記してましたがタイピングがちょっとたいへんなので変更)へ向かう。ハバナから南東へ約300km。石畳のある街の佇まいの写真を見て、ぜひ行きたいと思っていた。世界文化遺産にもなっている。
彫刻家マティアス ナンポカの次男坊、20歳になるというヨハナ。彼も彫刻家になりたいという。 父マティアスは今年52歳、彼の父、エバリストもシェタニ(精霊)の作品ば…
7月7日はスワヒリ語でサバサバ。それを挟んで毎年開催されているダルエスサラーム国際見本市(Dar es Salaam International Trade Fair )は、通称サバサバと呼ばれている。今年は47回めという。今年の会期は、6月23日から7月13日まで。そのサバサバになんと9年ぶりに行ってきた。 入場料は大人3,000シリング、子ども(何歳までか未確認)1,000シリング。(1円=約17シリング)、10年前の
日中のネプトゥーノ通りのカサ(民宿)の近辺にはネコや犬がのんびり寝転んでいた。 ある日の昼間、カサの部屋の中にいたら、とてもとてもリズ…
夜ものんびり歩けることの幸せ。 それって日本に住んでいるとあまり感じないかもしれない。でも、今、わたしのいるタンザニアでも暗くなってからは徒歩では外に出ないようにして…
メキシコシティ11時25分発ハバナ行きの飛行機はほぼ予定通りに離陸した。メキシコシティからハバナまでの飛行時間は約2時間半。国際線だし、お昼が出るかなと期待してたけど、小さな袋入りピーナツ×2と飲み物のみだった。この時、時差は3時間あったようで(サマータイムなどがあるので時々変わる模様)、雨がパラつくハバナには16時50分頃に到着。空から見えた珊瑚礁に囲まれた陸地が、空きっ腹も忘れさせ「ああ、とうとうハ…
①ともかくカラフル! お土産物やお店の壁絵、国立人類学博物館で見た先住民たちの絵画や仮面(③の三番目写真)など、これでもかってカラフルさで、すごく楽しい。
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カバー写真の、こちらを誘っているように思えてくるさまざまな人々や動物、景色の表情にまず惹き込まれる。上半身裸の人もいれば、めっちゃ防寒着の人もいるし、背景や服装の色合いもバラバラなんだけど、皆、楽しそうなんである。 これは、タンザニアをフィールドにする研究者の方たちに「1日に一つずつ読んでも129日間楽しめます」と、いただいた今年の3月に出たばかりのその名も『ザ・フィールドワーク』という本。出…
夫が8年前にタンザニアで急逝してしまったときには、亡くなった人はどこに行ってしまうのだろうということばかり考えていた気がする。『ボサノヴァ 撃たれたピアニスト』という映画を観て、死者は生者に呼びかける力がある、なぜなら彼らがいたからこそ我々は生きているのだから、ということが改めてずしんと感じられた気がする。
わたしがタンザニアに移り住んだのは、1989年のこと。そのころは、ケニアの首都である大都会ナイロビに比べたら、わたしが住んでいたタンザニアの最大都市ダルエスサラームは、まだまだ物資も少なめで高層ビルもないのんびりした街だった。対照的に、中心街には新しいビルが立ち並び、日本食のレストランや日本食料品店もいくつかあり、バーガーキング(だったと思う)などのファストフード店もあり、ハリウッド映画が上映され…
本日、3月18日は、タンザニアで63歳で逝ってしまった夫の誕生日。記念日とかには頓着しなさそうな人だったけど、自分の誕生日にはけっこうこだわりがあったみたいだ。 夫が亡くなった年、1月半ばに義父が急に入院し、仕事が詰まっていて動けない夫の代わりにわたしがタンザニアから日本戻った。それまでは93歳の義父は社会人と大学生の二人の孫と暮らしていたのだが、急に足腰が立たなくなり、お医者さんによると脳梗塞じ…
タンザニアも今月2日からイスラームの断食月、ラマダン入りした。タンザニアは南半球にあり、まだまだ暑い日が続いているから、食事はともかく日中水も飲めないのは少々辛いのでは?と思ったりもするけれども、そこも神がいれば乗り越えられるのだろう。 タンザニアにいる我が息子はムスリムではないのだが、ムスリムの友人がたくさんいるためか、この間、水は飲むが、日中は食べないというなんちゃって断食をしている…
今年の1月31日付でJETROのサイトに「2024年の日本のアフリカ輸出入」の記事が載っている。 輸出は南アフリカが1位で、タンザニアは5位。それぞれ自動車(タンザニアへは特に中古車)の輸出が多いそうだ。輸入での首位も南アフリカ(白金族の金属など)だが、輸出ではベスト10に入っていなかったモロッコが4位につけている。…
HIV感染者のことをスワヒリ語では「watu wanaoishi na VVU」( =HIVと共に生きる人々)(英語でもpeople living with HIVですね)と言う。この言葉には「感染者」で括られるよりももっと前向きな響きがあると感じていた。 しかし、トランプ大統領が1月20日の就任早々、『すべての対外援助を停止する大統領令に署名した。この資金が精査され、「アメリカ第一主義」政策に沿うまで停止されることになった』*1 のだ。。HIV…
当ブログにも何度か登場してもらった(特に初期)こともあるもう15年を越す付き合いになったティンガティンガ派画家のズベリ(Zuberi Daimu)が(株)バラカさんが開催している「ティンガティンガ原画展」の招きで来日し、日本各地を巡りながらライブペィンティングを披露している。 (今後の予定などはこちらから→https://africafe.jp/news/category/event/tingatinga_b。ズベリは、3月末頃まで在日とのこと)
昨日のアルジャジーラの報道によると、イスラエル軍に包囲され続けていると言うガザ北部は、病院や学校、果たしては避難所などまでも破壊され、瓦礫だらけの「幽霊地帯」になり、多くの人が殺され、また行方不明となっているという。でもそんな中でも生き延びた人々はそこを離れることを拒否しているというが、イスラエルの国家安全保障大臣やイスラエル人入植者たちは、…
デンマークに留学中の娘に会いに行く前に「デンマークに来たら何がしたい?」と聞かれた。調べていると、元教会だった場所がFolkehust Absalon(人々の家、アブサロン)というコミュニティセンターとなり、そこで毎晩、知ってる人も知らない人も集まった大勢によるCommunal dining(共同ディナー)が開催されていると知り、おもしろそうだと思った。価格も一食60デンマーククローネに押さえられている。(日本円換算すると1,30…
12月3日にはタンザニア、ダルエスサラームにいた。夕方何気なくツイッター(X)を見て「韓国で戒厳令が出た」という文字にびっくりし、その後、断続的であるが、リアルタイムに事態を追っていた。 韓国は真夜中だったにもかかわらず、封鎖された国会前に人々が戒厳令に抗議するために人々が集まってきたのだ。まだ大きくニュースが広まる前だっただろうにもかかわらず、軍や警察がすでに出動している中なので「戒厳令」下で…
日本では12月25日が過ぎると、クリスマスの飾り付けも見かけなってしまうのだけど、40年前くらいにまだ返還前の香港に住んでいたとき、クリスマスが終わってもクリスマスツリーをはじめとするクリスマスのオーナメントが残っていて、チャイニーズニューイヤーになるくらいまではそのままだったことに驚いたことがあった。 今、日本にいるので、タンザニアでの記憶が定かではないのだけど、やはりクリスマスツリーなどがさ…
クリスマスまではまだ少し間があるけれど、この木の花が咲くと、タンザニアでは、ああ、もうそろそろ今年も終わるんだなあと思う。その鮮やかな赤い花と緑の葉っぱのコントラストから、当地で、クリスマスツリーと呼ばれているのは、鳳凰木だ。
早、12月も半ばに差し掛かりつつありますね。タンザニアの多くの地域は小雨季に入っていて、畑の作物にとって恵みの雨だ、よく育っているよという声も聞こえてきています。 そして、リランガカレンダー2025もいい感じでできあがっておりまする。
彫刻家マティアスは彼の末子に今は亡き我が夫の名前(といっても苗字の方だが)をつけてくれた。そのネモトちゃんも小学校2年生の学年末を迎えている。タンザニアの公立学校は新学年の始まりが1月なのだ。 マティアスの家に久しぶりに遊びに行ったら、ネモトちゃんは迎えに出てきてくれたものの、照れてなかなかお喋りしてくれなかった。そんな年頃なのか? でも日本の百均で購入したおもちゃの双眼鏡をプレゼントした…
ダルエスサラーム郊外に住むマコンデ彫刻家のマティアス ナンポカの家にすでに三十路となってる我が息子と遊びに行った時のこと。(マティアスの彫刻はこちらから見られます) 息子の腕には身近な旅立ってしまった家族、祖父母やら父やらを想うタトゥーが入れられている。もちろん息子が望んで入れたものだ。わたしは大人になっ…
ダルエスサラームで同居中の息子から「友人がやってるおいしいタンザニア料理のお店があるんだよ。どれもおいしいけど、金曜日にはうんまいビリヤニが出るんだよ」っていう話は聞いていた。食指はとっても動いてたんだけど、なかなか行くチャンスがなかった。 お店の名前はMsosi Time Cafe。Msosiっていうのは最近のスワヒリ語(スラング?)で、「おいしいごはん」って意味らしい。つまり「おいしいごはんの時間カフェ」…
お昼の12時過ぎ、ダルエスサラームの街中にいたわたしは、シャワルマモードになっていた。 還暦すぎたせいか、あまり量が食べられなくなってきていて、先日入った街中のタンザニア料理の人気店シェフズチョイスのヤギビリヤニ(ビーフの方がよかったけど、その日はないと言われた)は量が多めなのもあって、おいしいのだけど、半分しか食べられず、ピリピリが効いた味付けがちょっとお腹に染みるのだった。(食べられなか…
ドドマの街中のダルエスサラームのカリアコー地区を新しめに、そしてきれいであまり混んでなくしたような通り(名称未確認)を歩いていた。居並ぶ洋品店や靴屋などがお得意のぶら下げるディスプレイでお客を誘っている。
”changamoto(チャンガモト)”というスワヒリ語がある。日本語だと「挑戦」「チャレンジ」などと訳されるようだけど、英語の"challenge"が実は日本語の「チャレンジ」「挑戦」よりも、もちっとマイナス面も含めた大変そうな「困難な課題」という意味があるように、”changamoto”にもそういう意味合いが含まれているようだ。例えばよく使われるフレーズに”Kuna changamoto nyingi”っていうのがあるけど、これは「(乗り越…
ダルエスサラームの街中から住んでる家まで徒歩30分。ウォーキングディスタンスなのかもしれないし、実際に歩いてもいる。けれど、街にいるとき、日中の太陽カンカン照りのときとか、ちょっと疲れた気分のときには、街から帰るときに馴染みのタクシー運転手さんの車を見つけて乗って帰ることもある。馴染みの運転手さんの車は、エアコン効かないかなりの年代物で、運転手さんもしかり(!?)。「家に連れてって」って言うだけ…
フランス政府は、いまだフランス領となってるニューカレドニアや、旧宗主国だった西アフリカの国々などにおいてもけっこう大変な局面に立っているけど、フランスの人々には、働く中でもマニュアルや規則に縛られず、自分たちの身は自分たちで守る、自分の領域を守っていくという頼もしさを感じることがありました。 フランスで娘とともに地方を結ぶ中距離バスに乗る機会が、何度かありました。運転手さんは、いづれも制服…
パリにはおいしいアフリカ料理のお店がいくつもある!と教えてくれたのは、東京は渋谷のアフリカ、カリブ&アラブ料理のお店「ロス・バルバドス」の大将と女将さん。 その中の一つ、パリ東駅の近くにあるBMK-PARIS-BAMAKO(パリに2店舗あるBMKのうちの一つ)というお店に娘と行ってきました。
到着した4月半ばのパリは夏日なのだった!半袖やノースリーブの人々が嬉々として街を散策していて、ジェラート屋の前には長い行列ができていた。 パリには全部で7泊したのだけど、太陽サンサンの夏…
娘がフランスに留学中で、息子がドイツで仕事をしていたので、娘のお休みに合わせて、家族に会いにフランス、ドイツへ行ってきました。 パ…
タンザニア生まれの息子の中学、高校時代のタンザニア人の親友が結婚することになり、招待状をいただいた。親友一家とは家族ぐるみで親しくしている。友人一家はムスリムである。 スケジュールは、1日目、ヘナパーティ、2日目、モスクで結婚の誓いの後、女性だけのパーティ、3日目、ホールで披露宴という3日間にわたる式典! (それでも短い方らしい。。ちなみにヘナパーティというのは、ヘナという植物の染料を使って…
もう2月となってしまいましたが、今年もよろしくお願いします。 お正月を日本で迎え、1月半ばにまたもやタンザニア、ダルエスサラームに戻ってきました。1月20、21日には、ダルエスサラームでは橋が流されるなどの被害も出るほどの豪雨があったりと、落ち着かない気候となっています。その後も雨が降る日も多く、葉っぱや木々などの水を得た魚のように緑はわさわさと生い茂った様子を見せています。
彫刻家マティアス ナンポカの末っ子ネモトちゃんも今年いよいよ小学校の1年生!となった。(ご存知の方もいらっしゃると思うけど、マティアスがわたしの亡き夫の名前を我が子につけてくれたのだ。名前というより名字なんだけど) タンザニアの公立学校は1月が新学年の始まりなので、今ちょうど一年生が終わったところ。 わたしはネモトちゃんからビビ(Bibi=おばあさん)と呼ばれている。ネモトちゃんがそう認識し…
噂に聞いていた千葉の柏にあるコンゴ(民主共和国)料理のお店「Motindi/モティンディ」に友人と二人で初訪問!! 柏駅から徒歩5分ほど。お店の外にもマスターの似顔絵らしきペイントなどがカラフルに…