石道温泉の近くには駅がなく、たいがいのお客さんは車でやってきています。調べると、いちばん近いのが能勢電鉄平野駅で、それでも徒歩1時間。タクシー代もない貧乏なねこは歩いて駅に向かいました。 そして平野駅から川西能勢口駅へ。川西阪急の隣のビルにある「食酒 こ
1970年制作、丹野雄二監督の「青春喜劇 ハレンチ学園」を観ました。 「聖ハレンチ学園」の卒業式。在校生には、山岸(雷門ケン坊)、袋小路(大谷淳)、風間(渡辺史郎)、十兵衛(児島みゆき)たちが、一方教師は校長(上田吉二郎)をはじめ丸越(小松方正)、ヒゲゴジ
区は違うのだけれど、ねこんちから近くの芦原橋駅周辺を散歩しました。駅周辺にある施設案内、大阪人権博物館の文字とロゴがいま見ると痛々しい。それにヒューマインドもいまはありません。こちらも民間に払い下げられてるようで。ヒューマインドは大阪府人権協会の施設で
旧正月だから(まだ正月気分)ちょっと豪勢なランチをいただこうと、鯛専門店 徳ますに行きました。ねこはかなりのご飯好きなので、おいしい鯛めしを食べてみたいなぁと。ランチは松山たいめし、1500円をいただきました。 鯛めし、おさしみ、あら炊きも付いてる鯛づくし
すごいなぁ。Amazon Prime、観たかった「異邦人の河」もありました。1975年、李学仁監督です。 踏切で誰かにドスで刺されてしまった李史礼(ジョニー大倉)が、傷口を押さえながら歩道橋を上っていくと、方順紅(佳那晃子)が川に身投げしようとするのが目に入ります。こ
実は昨日が旧正月でした。政府も目論見があって、この日までに緊急事態宣言を解除したかったようですが、ウイルスは言うことを聞いてくれるもんでもありません。 冷蔵庫にトックがあったので、せっかくだから今朝はトックをいただきました。日本でいうお雑煮なので、ほん
神戸に行く機会があったので、ちょっと足を伸ばして新長田駅近くにある神戸映画資料館に行ってきました。しかし、お休み。施設って、定休日でも祝日は開いていたりするもんだと勝手に思っていたので、深く考えずに行ったのがよくなかったですね。 NPO法人プラネット映画保
森山周一郎さんがお亡くなりになりました。 ねこは子どもだったので刑事コニャックは観ていないのですが、CMやナレーションなどでいいお声の方だなぁと、うっとりしていました。東映映画でも、「日本の首領」のナレーションをしてらっしゃって、やはりあの声が背景にある
肩こりを侮ってはいけません。頭痛、眼の痛みはもちろん、あらゆる部分に痛みは蔓延していきます。 生活習慣的にじっと座ることが多いので、少しでも時間があれば体を動かそうとしているのですが、意識しないとなかなか動くことがないですね。 近所の津守商店街にバレエ
通天閣も青になったり、赤になったり落ち着かない。 大阪のメディアも緊急事態宣言のカウントダウンみたいな報道をしているけれど、そもそもコロナ感染者数300人の根拠すらも分からない。解除基準がゆるゆるだし、死者数は今日も14人と2ケタ。死者数もそうだけれど、重症
家から自転車で行ける距離なので結構、難波に行くことは多いです。座っていることが多いので、とにかく歩こうと街なかをぶらついています。 歩いてからの一息は、南海難波駅の2階、BASSO CAFE。ちょい呑みもできますが、バスクチーズケーキを自分へのご褒美に。歩いたカ
ニュースでも報道されましたが大阪人権博物館(リバティおおさか)は壁画だけでなく、建物そのものも解体が始まりました。 写真では分かりにくいけれど、注文主の氏名に「大阪人権博物館」と記されています。和解では更地にして返すということで、自ら壊さなければいけま
職業訓練では、ずっと室内で座ってPCを見つめ続けているので、お昼時はときどき外食をしています。なんか、かっつりお肉を食べたかったので、ステーキハウス トライを訪問。お店はこじんまりとしていて、カウンターだけのお店です。 この日はAランチを注文。ハラミステーキ
ジャンクの中にも鉱石あり。”JUNKFILM by東映”で1969年制作、成澤昌茂監督の「妾二十一人 ど助平一代」を観ました。 明治末期の東京・浅草、牛鍋屋「あかさたな」の主人・三木のり平は「ふしだらな事と助平な事は大嫌い!」と言いながらも「成した財で一人でも多くの女
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石道温泉の近くには駅がなく、たいがいのお客さんは車でやってきています。調べると、いちばん近いのが能勢電鉄平野駅で、それでも徒歩1時間。タクシー代もない貧乏なねこは歩いて駅に向かいました。 そして平野駅から川西能勢口駅へ。川西阪急の隣のビルにある「食酒 こ
猪名川町役場から40分ほど歩いて、天然温泉石道へ。川西最大級の天然温泉宿とのことですが、外湯に入ることもできます。うむ、兵庫ではなく「川西」最大級という地域限定というのがミソやね。 なんというか、年季の入った建物で、時間も止まった感じでフロントにはクマさ
さくら通りを猪名川町役場まで歩きました。役場というとこじんまりとしたイメージだけれど、けっこう立派な建物だなぁ。途中でみかける住宅も、民家を現代的に改修した建物をよく見かけました。猪名川町、実は財政が豊かなのかなぁ。町としては70周年ということは、戦後に
なぜか川西市方面に行くのがマイブームなねこ。桜の名所があるということで、猪名川町のい~な!!さくら通りに行って来ました。 最寄りの駅は能勢電鉄の終点「日生中央」駅。下車してからあれ?なんか見覚えあるなぁと思ったら、昔、取材で来たことがあったなぁと。懐か
浪速区内の公園で桜が見応えのある場所の一つが、浪速中公園です。この近くには、かつて芦原病院がありました。 このあたりは医療施設がないということで、1956年に芦原診療所が開設されました。その後、浪速生協医療組合が運営する芦原病院となります。 そういった医療
太鼓・人権ロード内にある浪速玉姫公園。桜や太鼓の同となるケヤキが茂る、約1000壺(3300平方メートル)の公園で、桜もいまが見ごろ。ここはもとは太鼓づくりで財を成した「太鼓屋又兵衛」の屋敷跡といわれています。屋敷跡をイメージし白壁と門が鉢され、太鼓のからくり
にしなりも公園が多いのだけれど、そのお隣の浪速区の方がもっとあるかな。 浪速区は大阪大空襲で区の9割以上がやける惨状だったので、その後の区画整理で公園を多くしたようです。 また、人権意識も高い地域で、2002年にはかつて太鼓をはじめ皮革産業が盛んだった歴史を
にしなりに引っ越してきたとき、公園が多いところだなぁというのが印象でした。大小の公園がちらほらあるのですが、路地を通らなければならなかったり、なかなか公園の場所が分かりにくいところが多いのも特徴ですね。 この松之宮公園も、わかりにくいのですが結構広くて
にしなりの桜といえば西成公園は外せない。いや、はずしてもいいんだけどね。そんなに桜の木ないし。どっちやねん。 公園内にいたホームレスの追い出しのためにかつては無造作にフェンスがかけられていた西成公園。目的を達して追い出せた後も、フェンスはあるのだけれど新
ねこんちのベランダから見える桜。今年がきっと最後だなぁ。高い家賃が払えないから、今年中には引っ越すはめになりそうです。いまの仕事も契約期間が切れて、来年のいまごろは無職です。我ながら大丈夫か。 桜のある公園は長橋3公園。その向かいには鶴見橋中学校がありま
花冷えというか、今年は例年より寒さが長引いているせいか、大阪でも桜が満開というほどではないですね。開花の途中、雨や風で散るので、つぼみと同時に桜が散っている変な状態です。 それでも先週の土日が結構咲いていて、公園でも酒を飲みながら花見をされている方々が
1966年制作、瀬川昌治監督の「三等兵親分」を観ました。 赤紙で招集された大学での中林(江原真二郎)は、入隊するまでの束の間を悔いなく過ごそうと大阪の遊郭に入り浸っていました。ですがそこですっかり女郎のカズ子(三島ゆり子)となじみになり、かえって後ろ髪をひ
今年は、ちょっと桜の開花が遅めかな。会社の近くの早咲きの桜はちょっと開いています。 気が付いたら新年度が始まり、ねこはいきなり1日から、乗っていた電車に急病人が出たということで遅れ、遅刻でのスタート。いつも通りの時刻の電車にちゃんと乗ったのになぁ。 さ
芦屋小雁さんがお亡くなりになりました。91歳。2018年から認知症となり、散歩に出ると帰宅できずにそのまま公園に泊まったりされていたそうです。奥さん、大変だったろうに。それでも、セリフは覚えられるようで、ドラマや映画出演をされて晩年まで活躍されていました。
ねこはいま、困窮してダブルワークをしているのですがそれでも収入が追いつかず、さらに働いてトリプルワークになっています。 臨時の仕事で奈良に行くことになり途中、JR西日本天王寺駅に下車して軽めの昼食を取ろうと、パン屋さんカスカードに入りました。 お米も相当
1963年制作、舛田利雄監督の「狼の王子」を視ました。 舞台は北九州・若松。戦災孤児の武二(高橋英樹)は、不良浮浪児グループのリーダー的存在でしたが、警察に捕まり、地元の親分・日下(石山健二郎)に見込まれて引き取られます。その後、日下組の若親分に成長した武
友人と新開地を散策。やはりお酒は欠かせません。新開地なんだけれど、元町エビスに入店。 昭和初期のカフェを想起するたたずまいがいいですね。中のレイアウトも当時がイメージされ、昭和モダニズムが好きなもんで。 もちろんビールが充実しているのも、ビール好きのね
ずっと座りっぱなしの仕事をしているねこは、お昼の合間に有酸素運動をしようと、靭公園まで歩いています。お昼休みの時間はそんなにないので、かなり速歩きで往復しています。 バラが満開な時期には、公園の隅っこで花を愛でながら、頑張って早起きしてつくったお弁当を
1973年制作、井上和男監督の「喜劇 黄綬褒賞」を観ました。 東京都のとある清掃事務所に所属する糞尿収集の清掃局員である山崎竜夫(森繁久彌)は、臭気にまみれながらも人間生活の中で一番身近で必要とされる場所で働く、自分の職業を誇りに思っています。彼の家庭は、
西成・いまいけの商店街の付近に「関帝廟(かんていびょう)」が建立されたと聞いて、お参りに行って来ました。 いまいけ商店街は、約10年前から中国の方の不動産やが店舗を広げて、中国人が経営するスナックや飲み屋が増えています。そして、5年くらい前に商店街の入り口
ねこの近所にある民間の隣保館である「ゆ~とあい」。その東側の一角に「西成慰霊碑」があります。石碑には「西成慰霊碑」しか書かれていなく、誰がなんのためにつくったか、そういった説明がないので自分で調べてみました。 これは「社会福祉法人ヒューマンライツ協会」
NHKの朝ドラ「ブギウギ」のモデルとして再注目を浴びている笠置シヅ子さん。ねこが子どもの頃にお亡くなりになったのですが、音楽界にこれだけの功績を残している方の割に訃報記事が小さいなぁと思った覚えがあります。 1985年におなくなりになったのですが、きちんと評価
ねこはプチ仏教徒ではありますが、原始仏教なのであまり仏教の宗派を知りません。 今回調べてみると大蓮寺は、1550年3月5日、時の将軍足利義晴の三男坊、晴誉上人によって、足利家の大坂祈願所として創建されました。正式な山壕は「浄土宗如意珠應山極楽院大蓮寺」。 191
生玉公園から上町台地を降りると大阪の寺町。日本橋に向かう途中に、浄土宗のお寺、大蓮寺があります。 大きなお寺さんなので、ちょっと除いてみると、吉本芸人塚という看板を目にしました。 そこには有名無名を問わず吉本興業の芸人を祀っっています。 明治末期に、吉
そして、高津神社から近くにある生玉公園へ移動。目的地である生玉地下壕に行きました。 大阪人から親しみを込めて生国魂(いくだま)さんと呼ばれる生国魂神社の南の方にあるのが生玉公園です。1912年に開園しましたが、この公園の地下に立派な地下壕が存在します。 い
何かと落語にかかわりがある高津神社。境内には先代の桂文枝師匠の碑もあります。平成18年に建てられた比較的新しい碑のわりに、年代を感じさせる佇まいですね。 定席ではありませんが、「高津の富亭」が境内にあり、現在では「文枝一門会・くろもん寄席」をはじめ、プロ
公園のお隣は高津神社。小さな石垣や階段があり、このあたり、石が豊富だったんだなぁと思います。 仁徳天皇を主神としている神社なのですが、仁徳天皇はほんまにいたのかな。866年、清和天皇の勅令によって社殿を創建し、お祀りしたのを創始としています。 しかし、1945
金銭的にも心にも余裕のないねこですが、季節を感じて梅でも愛でようと、高津宮の隣にある高津公園に行きました。 地下鉄「谷町九丁目」を降りてすぐのところです。大阪市内で梅といえば、大阪城の梅林が有名ですが、実はこの公園も梅の見どころとして穴場になっていっま
早いもので今日で2月も終わるのかと思っていたら、今年はうるう年。日給月給の身では、少しでも平日として働ける日があるのはありがたい。そんなことでありがたがっても仕方ないのですが。 月が終わる前に、大阪・ミナミの地下街「なんばウォーク」内の書店「LIBRO
今年は雨の中の大阪マラソン。 ねこんちの近所、なにわ筋が通行止めになるので、この日一日は身動きが取れません。買い物もできないので、商店街のひとらも商売があがったり。大阪市民のみんながみんなマラソンに興味があるというわけでもないんですよね。 テレビを付け
1961年制作、ユ・ヒョンモク監督の「誤発弾」を観ました。 朝鮮戦争後の韓国、北側から南側に避難して住み着いた「解放村」に暮らす主人公のチョルホは、経理事務所で働くも薄給で歯医者にかかるのもためらわれるくらいです。村でのプレハブのような家には、自身の母、妻
すっかり定着したねこの日。商業キャンペーンと分かってはいるのだけれど、今年はすっかりファミリーマートに踊らされてしまいました。 モフサンドという、にゃんこのイラストに最近ハマっていて、ファミリーマートがコラボすることに。 新今宮駅すぐのファミリーマート
関西万博に金を注ぎ込みすぎて、大阪は今後10年は赤字になるそうだが、ねこらも府市民税が上がって、望んでもいないのに市民に身を切る改革がなされています。 そして、木を手入れする財源もないのか、大阪市内の公園の木も切られまくって、ねこんちの公園もさみしい限り
旧正月の2日目。今度は大阪中華学校の春節祭に行ってきました。 今回で22回目の春節祭なのですが、毎年ひとでが増えています。 その割に、時間は短縮したのか、家の用事があって3時過ぎに行ったのですが、ほとんど終わりかけでした。屋台もいつもすごく混んでいるんだけ
今日は、旧正月でした。 今年も大阪の天王寺公園内で行われている大阪春節祭を、仕事の帰りに寄ってみました。 出店も盛んなのだけれど、夕方ということもありすでにしまっている屋台も。出店も、普通のお店から日中友好協会などの団体までさまざまです。 ステージもこ
にしなりでの銭湯行脚。萩之茶屋と天下茶屋の間に大福湯という銭湯があるのを、グーグルマップで発見し、自転車で行ける距離なので、行ってみました。 といっても路地にあり、夜にスマホのグーグルマップを観ながら場所を探したのですが、なかなか分からない。住宅街の中
1967年制作、西村昭五郎監督の「東京市街戦」を観ました。 終戦直後の東京。焼け跡では、旧植民市出身者が組織をつくり、マーケットを支配しようとしていました。はい、この頃によくつくられた旧植民市出身者を横暴に描いている映画です。そういう映画を何本も観てきまし
民間活力が昔から盛んな大阪は、地元大阪府民の熱意と努力により1931年、中之島の地に大阪帝国大学ができました。 その後、大学は吹田市に移りましたが、サテライトキャンパスとして発祥の地に立派な建物が建ち、1Fと2Fはオープンスペースとして開放されているのですが、
ねこの勤務先の近くに大阪大学中之島センターがあります。中之島は大阪大学の発祥の地で、「平成の適塾・懐徳堂」として、情報を発信し、産業界と連携を深めることが目的とする建物です。2023年4月、大阪大学創立90周年・大阪外国語大学創立100周年記念事業として機能強化
今日まで、世間はえべっさん。しかし、新年早々、ねこは親知らずが急激に痛んで苦しんでいました。歯医者で治療してもらったのだけれど、痛みが未だにおさまらず朦朧としています。 普段は各停しか停まらない駅ですが、十日えびすのときだけは注目を浴びる今宮戎駅。 西