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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 今年は能が見られるか

    8月も明日で終わり、9月は例年なら秋のイベントが目白押しとなるシーズン。しかし、コロナ感染が高止まりの状態では開催を見送るイベントも多いだろう。ところで今年は能の公演をまだ一度も見ていない。コロナ禍が始まった2020年こそ観能ゼロだったが、昨年は予想外に4つの舞台を見ることができた。今年は3年ぶりの開催がアナウンスされていた「出水神社薪能」が感染拡大のため急遽中止となり、9月には「藤崎八旛宮例大祭・新町御旅所御能奉納」が予定されているがどうなるか予断は許さない。また例年10月の「熊本城薪能」も未だ開催のアナウンスはなく、模様眺めをしているのだろう。せめて1回でも見ることができたらラッキーなのだが。2021年3月水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」熊本公演より「三番叟・揉ノ段」今年は能が見られるか

  • 牛縊坂のはなし。

    今日は新型コロナワクチンの4回目接種を受けた。これまでの3回はかかりつけ医で受けたが、今回は接種券が届いた時点で既にかかりつけ医の方は空きがなかったので、昨年4月に開業した近所のクリニックで接種を受けた。接種の後、経過観察で30分間、院内の一室に待機させられた。何もせず30分というのは結構長い。ぼんやりしているとふと、このクリニックの前を通る道が「牛縊坂(うしくびりざか)」であることを思い出した。道端には「牛縊坂」と書かれた石標も立っている。僕が子供だった戦後間もない頃のこの坂の風景を思い浮かべた。当時は旧国道3号線(豊前街道)と牛縊坂が交差していて、加藤清正の時代に豊前街道は上り下りとも牛縊坂で直角に曲がる桝形道路(クランク)になっていた。荷馬車はよく見かけたが、牛が引く荷車はもう見かけなかった。今石標...牛縊坂のはなし。

  • 残念な風景

    今年の夏も過ぎ去ろうとしているが、毎夏、残念な思いをするのが熊本市西区花園町の成道寺。室町時代に創建され、やがて600年の歴史を有する古刹である。かつて夏目漱石ら文人も訪れたというこの寺は熊本の名所の一つとして観光案内にも掲載されていた。しかし今は閉鎖状態。荒寺の惨状を晒している。僕らが子供の頃は近場の絶好の避暑地だった。園内の池には湧水が流れ込み涼を求めて訪れる人々は整備が行き届いた木陰の遊歩道の散策を楽しんだものだ。母が幼稚園勤務の頃、研修会場として使っていたという本堂も今は雨戸が閉められたまま。ここは個人所有資産で所有者ご本人は再興するつもりはないらしい。また、市も個人資産である以上手が出せないという。熊本西環状道路のバイパスが通り、周辺の環境も激変しつつある。しかし、環境省選定の平成の名水百選にも...残念な風景

  • 二人三番叟にアクセス集中!

    昨夜、8年前に投稿した「二人三番叟」の記事に一時的にアクセスが集中した。そういえば「にっぽんの芸能」で「二人三番叟」をやるとかいってたなと思い出し番組表を確認すると、花柳寿々彦と藤間直三による「二人三番叟」が放送されたあとだった。その番組を見た視聴者が検索したのだろう。8年前の6月、某社の祝賀会で舞踊団花童のくるみ・あやのコンビが「二人三番叟」を披露することを知り、特別の許可をいただいて潜入し、見せていただいた時の映像をブログで紹介したのだった。ナマの義太夫節はその1年前、県立劇場で人形浄瑠璃「八陣守護城」を見て以来二度目だった。実はこの日、リハーサルから見ていたが、くるみ・あやのコンビによる初めての「二人三番叟」にもかかわらず、なかなか見ごたえのある舞だった。この動画は限定公開にしていたが、これを機会に...二人三番叟にアクセス集中!

  • 金剛寺とポンポコニャ

    このところほぼ巣ごもり状態なので、今日は遠出にならない範囲を車で回ってみようと思い、父が若い頃勤務していた五町小学校(今の西里小学校)の校区を回ってみた。たまにフードパル熊本に買い物に行くぐらいでめったに行かない地区。井芹川沿いに田畑があり、住宅は段丘上にある。しばらく走っていると「金剛寺」の入口を示す看板が目に入った。道幅の狭い急坂を登って行くと寺らしい建物が見えてきた。そこでハッと気づいた。「これが和泉町の金剛寺か!」。実は10年ほど前、民謡「ポンポコニャ」に登場する金剛寺が現在どこにあるのかを調べたことがある。歌詞では京町から中坂を下ったところにあると唄っているが、現在はないので移転したことはわかっていた。金剛寺と名の付くお寺を調べ、そのいくつかに電話でおたずねしたが、その一つが今日偶然見つけた金剛...金剛寺とポンポコニャ

  • 梅花藻(バイカモ)余談

    フォローさせていただいているブログ「折にふれて」さんの昨日の記事に、中山道醒井宿の地蔵川に咲く水中花「梅花藻」が紹介されていた。彦根在勤の頃、この醒井宿(さめがいしゅく)を通り、さらに北東へ車で10分ほど行った辺りの「泉神社湧水」へよく水汲みに行ったのでなじみのある地区である。しかし、「梅花藻」を見たことは一度もない。地蔵川の水源である「居醒の清水(いさめのしみず)」も「泉神社湧水」も同じく伊吹山を源とする名水。一度くらい「梅花藻」が咲く頃に「居醒の清水」へも行っておけばよかったとくやまれる。(写真:産経新聞より)さて、「梅花藻=水中花」とくれば、われわれの年代は「愛の水中花」を連想してしまう。「愛の水中花」とは1979年に放送されたテレビドラマ「水中花」の主題歌で主演の松坂慶子さんが歌い大ヒットした。な...梅花藻(バイカモ)余談

  • 女子アナの面影

    今から45年も前に出逢った忘れられない一人の女子アナがいる。といっても当時は女子アナなどという名称を使った覚えはない。いわゆる女子アナブームが始まるのはそれから10年くらい後だったと思う。それは1977年のことだった。その年、ブリヂストン防府工場の第一期工事が竣工し、防府市民に対してのお披露目となる「開所式」を行うことになった。工場内でのセレモニーなどのほか、ブリヂストン久留米吹奏楽団を招き防府市公会堂において「防府市民に贈る吹奏楽の夕べ」を開くことになった。その担当を命じられ、様々な準備事項があったのだが、それはともかく、当日のMCをどうするかということになり、交渉上手の僕の上司がテレビ山口(tys)と掛け合い、女子アナをノーギャラで派遣してもらうことになった。当日やって来たのは入社後2、3年といった感...女子アナの面影

  • 晩夏のメランコリー

    今日は「二十四節気」のうちの「処暑」。本来は暑さもおさまってくる頃だが、しばらくは真夏日が続きそうだ。それはさておき、会社を辞めてもう25年も経つというのに、よく仕事上でミスをする夢を見る。それも実際には経験したこともない、そんなわけないだろ!というようなミスだ。時には大汗をかいて目を覚まし、あぁ夢でよかったと胸をなでおろすこともある。これって何なんだろう。しかも、朝、目覚めた時までは覚えているが、時間が経つとどんな内容だったかも思い出せない。一度専門家に聞いてみたいものだ。この季節になるとおきまりの聴きたくなる曲がユーミンの「晩夏」。メランコリックな詩とメロディがたまらない。晩夏のメランコリー

  • 坂の町 長崎

    あれほどうるさかった蝉の声もあまり聞こえなくなり、学校の夏休みも終わりに近づいてきた。会社員の頃、高校や高専の夏休みが明けると本格的なリクルーティングが始まる。彦根の時は関西一円だけでは心もとないので九州もテリトリーに入っていた。特に長崎を重点的に廻っていたが、どの学校も坂を登ったところにあり、レンタカーでの訪問ではあったが、まだナビなどもない頃で、地図を片手に慣れない街を登ったり降りたりの連続は結構大変だった。聞きしに勝る坂の町を味わったものだ。そういえば、2015年4月に始まったブラタモリ第4シリーズも第1回は長崎で「"坂の町・長崎"の始まりとは?」というテーマだったことを思い出した。高低差が大好物のタモリだけに楽しげに歩き回っていたが、僕が学校訪問で回った時は高低差は障害としか思えなかったものだ。新...坂の町長崎

  • 第27回くまもと全国邦楽コンクール ~映像を見ながら~

    6月12日、熊本市民会館で行われた「長谷検校記念第27回くまもと全国邦楽コンクール」の映像がYouTubeで公開されたので、当日のことを思い出しながらじっくり鑑賞した。最優秀賞・優秀賞・奨励賞の受賞者の演奏を再見できたのは嬉しいのだが、受賞できなかった出場者の中にもう一度聴いてみたい方もおられたのでそれが残念だったが、映像編集の都合もあると思うのでやむを得ない。審査員を代表して講評された藤本草さん(伝統音楽プロデューサー)のお話の中で、27回目にして初めて熊本県から最優秀賞を受賞された箏曲の清原晏(きよはらはる)さんについて触れておられた。「清原さんが選ばれたのはけっして地元へ配慮したわけではなく、永い間、熊本の邦楽関係者が全国コンクールを開催し、邦楽の発展に尽くしてこられた努力が清原さんという形で結実し...第27回くまもと全国邦楽コンクール~映像を見ながら~

  • 題名のない音楽会と1964年

    テレビ朝日「題名のない音楽会」は先週・今週とショパン国際ピアノコンクールで同じ第2位となった二人、反田恭平とアレクサンダー・ガジェヴ(イタリア)によるショパンを中心とした素晴らしい演奏を堪能した。ところでこの「題名のない音楽会」の放送が始まったのは1964年、僕が上京して大学へ入った年だったので印象深い。初代の司会者はクラシック音楽の作曲家黛敏郎さんだった。それから50年後の2014年、50周年を記念する番組が放送され、1964年を語るにふさわしい曲が取り上げられたが、いずれも懐かしい思い出の曲ばかりだった。その中から次の3曲を選んでみた。この年に行われた東京オリピックの記録映画(市川崑監督)の音楽を担当したのが黛敏郎さん。交響組曲「東京オリンピック」より第1楽章「聖火リレー」この年公開されたジェームズ・...題名のない音楽会と1964年

  • 廃れ行く?祭り・郷土芸能

    昨夜のNHK「時論公論」は「コロナ禍の夏祭り伝統を絶やさないために」と題して高橋俊雄解説委員が解説した。過去2年間の中止、「ことしこそは」の思いのなか、第7波襲来、行動制限も行われず、各地では感染状況を踏まえながら難しい個別判断を迫られた。各地では簡素化、規模を小さくする、参加人員を減らすなどの対策が取られた。コロナ禍の終わりが見通せない中、これが定着化すると祭りや郷土芸能の姿が変わってしまう。従来より過疎化や少子高齢化により担い手がいなくなるという深刻な課題を抱えていた。コロナ禍によってこの流れが一層進み、無くなったり姿を大きく変えてしまうことが現実味を帯びてきている。祭りや行事、郷土芸能を残すには「経験の継承」と「技術技能の継承」が重要。コロナ禍が始まって今年で3年。3年というのは継承の岐路である。祭...廃れ行く?祭り・郷土芸能

  • キツネの嫁入り

    先日、外出する時、車のドアを開けようとすると空は晴れているのに雨がパラパラっと落ちてきた。思わず「あ、キツネの嫁入り」と口走ったのだが、車を運転しながら「どうして晴れた日の雨のことをキツネの嫁入りと言うんだろう」と今さらながら疑問が湧いてきた。帰ってからネット検索で「キツネの嫁入り」を調べてみた。この言葉には二通りの意味があり、夜、山野で狐火が連なっているのを、狐の嫁入りする行列の提灯と見ていったもの。日が照っているのに、小雨の降ること。日照り雨のこと。とあった。熊本では後者の意味で使い、虹が出たときに言うのが熊本の特徴であるという。そこで、そもそもの由来を調べてみると、キツネは稲荷神の神使として崇められる一方、人を化かすという民間伝承もあり、日照りの日に雨を降らすという超常現象を起こせるのはおキツネ様の...キツネの嫁入り

  • 叔父と野球

    連日熱戦が続く全国高校野球選手権大会は今日は3回戦。熊本県代表の九州学院が国学院栃木を破り12年ぶり3度目の8強入りを決めた。九学OBの叔父も空の上のどこかで見て喜んでいるに違いない。今日の夕方、散歩をしに熊本城二の丸広場の方へ向かった。藤崎台球場の方から気合の入った声が聞こえるので廻ってみた。プロ野球独立リーグの九州リーグ、火の国サマランダーズと北九州フェニックスの試合が行われていた。今度ゆっくり観戦に来るか、と思いながら帰途についた。九州学院でキャッチャーとして活躍した僕の叔父は、昭和6年に卒業し、当時、有望な若手を集めていた熊本のノンプロチーム「オール熊本」の一員として熊本市役所に勤務した。その後、先輩に誘われて鳥栖鉄道管理局に移籍し、まだプロ野球が誕生前の頃、最強と言われた門司鉄道管理局の一員とし...叔父と野球

  • 77回目の終戦記念日

    今日は77回目の終戦記念日。昼前に熊本県護国神社(熊本市中央区宮内3-1)に参拝し、わが祖国の礎となられた方々への追悼と感謝の誠を捧げた。この神社はだいたい月一度はお参りしている。いつも拝殿の前でお参りした後、「従軍看護婦慰霊碑」にも手を合わせることにしているが、今日はあらためて石碑に刻まれた碑文を読み直してみた。次のように書かれている。昭和12年に勃発した日華事変から大東亜戦争の終結までに日本赤十字社が派遣した救護班は960班、延べ人員33,156人もの「戦時救護看護婦」を戦地に派遣し、戦地に於ける敵襲・病院船への魚雷攻撃・内地の病院勤務中の空襲・原爆による殉職救護員は1,143名、負傷者は4,689人に達したと云われている。しかし従軍したのは日赤の看護婦だけではなく、陸軍・海軍の応召看護婦、「ひめゆり...77回目の終戦記念日

  • 郡上おどり ~かわさき~

    先週木曜日(11日)、BSプレミアムで新日本風土記「郡上八幡」を放送していた。初回放送は10年前だそうだが、たしか見るのは今回が2回目だ。岐阜県郡上市八幡町。毎年、三十三夜にわたり盆踊りが開催され、なかでもお盆の4日間は、朝4時まで徹夜で踊り明かすことで知られている。参加者のエネルギーには感心させられるが、その徹夜おどりのクライマックスで踊られる曲の一つが「かわさき」。「かわさき」というのは、三重県伊勢市の勢田川に沿った商人町河崎で江戸中期の頃から謡われていた俚謡。全国各地からやって来るお伊勢参りの人々によって各地に伝えられた。郡上八幡にも伝わり、題名もそのまま「かわさき」として謡い継がれているという。そしてこの「かわさき」がもとになって「伊勢音頭」が出来上がったという。さて、その徹夜おどりが昨日から始ま...郡上おどり~かわさき~

  • アイドル

    一昨日、NHKで特集ドラマ「アイドル」という番組を放送していた。昭和初期から戦後間もない頃までの20年弱、新宿角筈に存在し、軽演劇やレビューで一世を風靡した「ムーランルージュ新宿座」のトップアイドルとして活躍した明日待子の半生を描いたドラマだった。見ながら僕は11年前の思い出を振り返っていた。それは2017年に他界された「評伝海達公子」の著者規工川祐輔先生に、公子物語の映像化を提案し、いろいろアドバイスをいただきながらスライドムービー化したことがある。脚本作成に当たっては規工川先生の著書のほかいろんな資料を調べたり関係者に聴き取りしたりした。特に興味を持ったのは、著書の中に、公子が昭和7年に、大牟田に巡業に来たムーランルージュの舞台を観に行ったという記述があり、ムーランルージュの舞台を見たことが公子に少な...アイドル

  • 上江津湖散策

    県立図書館の貸出カードが期限切れになっていたのでその更新と、図書館の裏を流れる加勢川(上江津湖)の映像を撮りたいと思い、午後から4年ぶりに県立図書館を訪れた。映像は昨日アップした「水と花と夢と」がインストバージョンだったので、今日はボーカル入りバージョンを作るためその背景にしようと思いついたものだ。夏休み真っ最中の子どもたちが泳いでいた。こんなきれいな川で泳げる子どもは幸せだなぁと思う。帰宅してから断片的に撮った映像をつなげてみたが、音源に対してとても尺が足りない。そこで今回もNHKクリエイティブ・ライブラリーの中から「白川水源」の映像をお借りすることにした。出来上がった映像がこれだ。上江津湖散策

  • 水と花と夢と

    今年の4月23・24日、熊本市で開催された「第4回アジア・太平洋水サミット」の記念ソング「水と花と夢と」は、玉名女子高3年の古賀鈴さん作詞、天水中2年の麻生朱里さん作曲の歌が選ばれ、サミット当日やプレイベントなどで使われました。麻生朱里さんは舞踊団花童で花童あかりとしても活躍しています。下の映像は5月21日に城彩苑わくわく座で行われた舞踊団花童の「わくわく座春の特別舞台」で披露されたものですが、熊本の豊かな水の流れを布晒舞で表現しています。▼水と花と夢と(インストバージョン)2022.5.21城彩苑わくわく座作詞:古賀鈴作曲:麻生朱里編曲:藤川いずみ・志娥慶香振付:はつ喜流月花舞踊:はつ喜流月蘇女・花童かな・花童あい・花童あかり花童あおば・花童はるか・花童ことね・花童もえ水と花と夢と

  • お盆と五木の子守唄

    旧暦では今日10日から12日がお盆だそうだ。(2022年の場合)お盆と聞くとなぜか「おどま盆ぎり盆ぎり盆から先ゃおらんと」という「五木の子守唄」の歌詞が頭に浮かぶ。父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方だった。家が貧しいために「口減らし」として子守奉公に出された少女たちの中には遠く五木村まで出かけた娘もいるという。自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めていたという「五木の子守唄」は天草の「福連木の子守唄」がもとになったという説もあるらしい。昭和28年(1953)に「五木の子守唄」がレコード化されたことによって全国的に有名となったが、「福連木の子守唄」は熊本県内ですら、まだあまり知られていない。ところで...お盆と五木の子守唄

  • 水前寺球場の思い出

    日曜日の熊日新聞に、日本野球機構(NPB)は全国各地の「日本野球聖地・名所150選」を選定し、熊本県内からは藤崎台球場と水前寺野球場が選ばれたというニュースが載っていた。僕にとって1回目の熊本国体があった昭和35年(1960)にできた藤崎台球場よりも、水前寺野球場の方が断然愛着が強い。現在は硬式野球の規格を満たしていないので軟式野球の球場として使われているが、かつては熊本の野球のメッカだった。水前寺野球場は昭和3年(1928)に開場し、94年の歴史を有する。わが父が高校野球の審判員として、叔父は九州学院および社会人野球の選手として活躍した思い出の球場でもある。僕は小・中学生の頃、母が作った弁当を持って上熊本から電車を乗り継ぎ水前寺球場までよく高校野球を見に行った。当時の熊本の高校野球は強かった。昭和33年...水前寺球場の思い出

  • 小京都って!?

    Yahoo!ニュースに京都新聞の「“小京都”を名乗る自治体が減り続けている」という興味深いニュースが載っていた。京都に似た街並みや文化を持つ市町が集う「全国京都会議」という組織があり、ここに加盟すると公的に「小京都」を名乗ることができるそうだが、かつて最盛期には60を超えた加盟市町が激減しているのだそうだ。熊本県の「小京都」といえば、まず人吉市を思い浮かべたものだが、実は2020年の豪雨災害を機に退会したという。全然知らなかった。甚大な被害からの復興を最優先することが理由だという。他の退会した市町は「小京都」と称するメリットがあまりなかったり、町の成り立ちが京都とは異なり独自性を出したいといった理由が主のようである。というわけで、熊本県の残る「小京都」は山鹿市だけとなった。1960年代後半、仕事で山鹿の町...小京都って!?

  • わが父と謡曲「田村」

    相次ぐ夏イベントの中止のなかでも、僕が最も残念だったのは今夜行われる予定だった「出水神社薪能」の中止。3年ぶりということもあったが、事前に発表されていた今回の演能が「田村」だったからである。今年は2000年に他界した父の二十三回忌の年。その父の思い出の謡曲が「田村」だったので供養にはちょうどよかったのだが。父はまだ四つか五つの頃、立田山麓の泰勝寺に住んでおられた長岡家に日参していた。お坊ちゃまの遊び相手としてだったが、お屋敷で謡曲のお稽古が行われる日は、幼い父も末席に侍らせられていたという。父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節だけは終生忘れなかった。▼「田村」あらすじ東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると...わが父と謡曲「田村」

  • 夏イベントの中止相次ぐ

    このところ熊本は新型コロナ感染者が4000名のレベルで推移している。ひと月ほど前と比べて1ケタ違い。3年ぶり開催の文字が踊っていた夏イベントも中止が相次いでいる。未だかつてない感染数だから無理もない。今年の夏こそは、と期待が大きかっただけに余計残念感が強い。特に個人的には「出水神社薪能」は6年ぶりにわが父思い出の曲「田村」が演能される予定だったのでなおさらだ。また来年の夏を期待して待とう。▼中止になった主なイベント出水神社薪能山鹿灯籠まつり火の国まつり夏イベントの中止相次ぐ

  • 徳島インターハイを見ながら

    今日の午後はEテレで放送された徳島インターハイの陸上競技を見て過ごした。注目は熊本期待の女子100㍍山形愛羽選手(熊本中央)。午前中の予選は第4組1位で難なく通過。準決勝では第2組で3位と無条件通過の2位以内に入れず、+2のタイムで拾われ決勝へ進出した。決勝では番狂わせの上位進出を期待したがスタートの出遅れを挽回できず7位でゴール。それでもファイナリストに残り入賞できたことが素晴しい。健闘に拍手!思えば、野林祐実さん(九州学院)が新潟インターハイで100㍍・200㍍を制覇してからちょうど10年。今回優勝した藏重みう選手(中京大中京)のタイムが奇しくも野林さんが優勝した時のタイムと同じ11秒85。このタイムは山形選手も十分出せるタイム。明後日の200㍍はもっとチャンスがあるかもしれない。また、今2年生の山形...徳島インターハイを見ながら

  • 僕の夏うた ~Mr.サマータイム~

    僕にとっての「夏うた」ナンバーワンはコーラスグループ「サーカス」が歌う「Mr.サマータイム」である。そうなった出来事があった。あれは44年も前の夏だった。当時僕は新工場を建設したばかりの防府に勤務していた。毎年、防府市では夏に「防府まつり」があり、市民総踊りなどのイベントが行われる。会社として、地域社会にとけ込み、市民に認知してもらうため、「防府まつり」の多くのイベントに参加することが工場方針だった。その推進担当の役割を担っていた僕は、総踊りへの参加準備に大わらわだったが、もう一つ頭を悩ませたのが「職場対抗のど自慢大会」への参加だった。防府市内の多くの企業から3人ずつ出場し、その合計得点で順位を決めるというものだが、わが工場は立ち上がったばかりで人数も少なく、参加を募っても出場してくれる人がいなかった。多...僕の夏うた~Mr.サマータイム~

  • サマー・イン・ザ・シティ

    今日は、先日受けた大腸内視鏡検査時に切除したポリープの生検の結果を聞きに新町の病院へ。バスで行ったが、バス待ちやバス停と病院間の歩きの暑さには参った。テレビで盛んに「今日は命に危険を及ぼす猛暑」と言っていたことを実感する。ふと、学生時代に流行ったラビン・スプーンフルの「サマー・イン・ザ・シティ」のメロディが頭の中でグルグル回り始めた。行き交う人々も暑さにゲンナリという感じ。まさに歌詞の中の「allaroundpeoplelookinghalfdead」だなと苦笑。新町バス停TheLovin'Spoonful-SummerInTheCity(1966)HottownsummerinthecitybackofmyneckgettingdirtyandgrittyIbeendownisn'titapitydoe...サマー・イン・ザ・シティ

  • 八朔祭のはなし。

    今日は「八朔(はっさく)」。八朔とは「八月朔日(さくじつ/ついたち)」の略で、旧暦の8月1日のことです。明治6年(1873)以降、新暦に変わりましたが、「八朔」の行事は新暦の8月1日に行われる地方と旧暦の8月1日に近い9月上旬に行われる地方とに分かれているようです。旧暦の8月1日にあたる9月上旬頃は、ちょうど稲穂が実り始める時期。そこで収穫を前にした予祝儀礼として豊作祈願の「八朔祭」を行うようになったといわれます。田の実りを願うので「田の実の節供」と呼ばれるようになりました。農村ではユイ(結い)と呼ばれる協同労働において日ごろ恩恵を受けている人に贈答品を贈る「八朔憑(たのみ)」(田の実⇒頼み)という風習が生まれ、中世の頃から武家や公家の社会にも広がったといわれます。京都祇園では8月1日に芸妓や舞妓が盛装し...八朔祭のはなし。

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