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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • ~長谷検校記念~ 第27回くまもと全国邦楽コンクール

    若手邦楽演奏家の登竜門となっている「長谷検校記念くまもと全国邦楽コンクール」は今年第27回目を迎え、下記のとおり開催されます。昨年の第26回は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、無観客開催となりましたが、今年は有観客で行われることになりました。日時:2022年6月12日(日)午前10時より会場:熊本市民会館大ホール第25回最優秀賞の﨑秀五郎さん(三味線音楽)第26回最優秀賞の中嶋ひかるさん(筝曲)♪第27回コンクール本選出場者今年も予選を通過した優秀な若手演奏家が本選に登場しますが、私が個人的に注目しているのは筝曲の安嶋三保子さんと三味線音楽の今藤政優さんです。▼第26回コンクールの模様~長谷検校記念~第27回くまもと全国邦楽コンクール

  • 柳川のはなし。

    わが家の辺りは明治24年に九州鉄道が熊本まで開通した時、池田停車場(上熊本駅)から熊本市内への馬車道として開削された「新坂」ができたことによって開かれた宅地である。新坂は柳川丁を横切るように通されたのでわが家の辺りも当初は柳川丁といったらしい。柳川丁は、関ヶ原の後、加藤清正が柳河立花藩の家臣団を引き取って住まわせた「柳川小路」が、明治時代になってから柳川丁となったものである。柳川丁はやがて町名変更で京町本丁や京町2丁目へと変わったが、わが祖母はずっと柳川丁と言っていた。そんなわけで筑後の柳川についても幼い頃から親しみを感じていた。柳川には今まで何度も訪れているが、コロナ騒動後、足が遠のいている。安心して行ける日が早く来てほしいものだ。柳川と聞けばまず思い出すのは、多くの人がそうであるように北原白秋のこと。白秋の...柳川のはなし。

  • 高校総文祭パレード

    熊本県は今日も603人の新型コロナウィルス感染者が発表された。相変わらず高止まりが続いている。しかし、われわれ市民の危機感はあまり感じられない。たしか昨年の今ごろは1日の感染者が100人に到達しそうだと緊張感をもって語っていたような憶えがあるが、今年はGWを前にして、まるでコロナ禍は過ぎ去ったかのような街の様子だ。さて、熊本市の初夏の風物詩として毎年楽しみにしていた熊本県高校総文祭パレードはここ2年連続中止となっていたが、今年は実施予定のようだ。マーチングバンド、バトントワリング、郷土芸能各部門合わせて23校が参加し、6月2日(木)午後、熊本市マチナカを練り歩く予定だという。高校生らしい溌溂としたパフォーマンスを期待している。個人的にはマーチングバンドの真横で一緒に歩きながらサウンドを楽しむのが大好きだ。ホール...高校総文祭パレード

  • 阿蘇4(Aso4)の凄まじさ!

    3日ほど前、熊日電子版に下記のような記事が載った。阿蘇火砕流、170キロ離れ到達9万年前の巨大噴火で、国内最長山口大の辻智大助教(地質学)らのチームは24日までに、約9万年前に起こった阿蘇山(熊本県)の巨大噴火で発生した火砕流の堆積物を約170キロ離れた山口市北東部の地層から見つけた。火砕流の到達距離としては国内最長とみられるという。阿蘇山は過去に巨大噴火を繰り返しており、約9万年前の噴火は国内最大規模として知られる。これまでの最長は同じ阿蘇山の火砕流で約166キロ。堆積物が見つかったのは山口市徳地柚木の川近くの工事現場。昨年12月の現地調査で、火砕流の堆積物とみられるオレンジ色と黒色の地層を発見した。山口市「約9万年前の火砕流到達地点」今回、「Aso4」火砕流堆積物の地層が見つかったという山口県の徳地町は、4...阿蘇4(Aso4)の凄まじさ!

  • 檜垣媼(ひがきのおうな)の歌

    先週末、熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」では、オンラインで参加された天皇陛下が記念講演をされました。陛下は後撰和歌集に選ばれた檜垣媼の歌「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」を引用して熊本の人と水の関係を象徴的に説明されました。実はこの歌は「檜垣嫗集」や「大和物語」にも別のバージョンがありますが、やはり天皇家として勅撰和歌集である後撰和歌集の歌を紹介されたものと思います。ところでこの歌の終わりの七七「みづはくむまで老いにけるかな」の解釈がよく話題になります。一般的には「みづはくむまで」は「瑞歯含(ミヅハク)む」つまり、年老いて歯が抜け落ちたあと歯が再び生えることの意と、白河の「水は汲む」の意を掛けたものだという解釈が多いようです。しかし、「水は汲む」と「老いにけるかな」がどう...檜垣媼(ひがきのおうな)の歌

  • 軽妙洒脱な詩(うた)を残し…

    今朝、熊日新聞の訃報欄で目が止まった。「佐藤幸一」様の訃報が載っていた。お名前に聞き覚えがあった。ひょっとしてあの佐藤さん?よく読むと元県教育長とあった。あゝやっぱりそうかと思った。佐藤幸一さんは肥後にわかの脚本家としても存じ上げていたが、もっとも身近に感じていたのは作詞家としてであった。長唄や大和楽の三味線演奏家・今藤珠美さんとのコンビで作られた唄が大好きだった。現代風端唄とでもいったらいいのだろうか、軽妙洒脱な詩が何とも粋で素敵だった。今日は佐藤さんの作詞による唄4曲を並べて聴き入った。衷心より哀悼の意を表します。ありがとうございました。合掌作詞:佐藤幸一作曲:今藤珠美作調:中村寿誠作詞:佐藤幸一作曲:今藤珠美作調:中村寿誠作詞:佐藤幸一作曲:今藤珠美作調:中村寿誠作詞:佐藤幸一作曲:今藤珠美軽妙洒脱な詩(うた)を残し…

  • 水の都くまもと ~天皇陛下ご講演より~

    今日から熊本市で開幕した「第4回アジア・太平洋水サミット」では、オンラインで参加された天皇陛下が開会式での挨拶とともに、30分の記念講演をされました。天皇陛下は皇太子時代から水問題に興味を持たれ、各地で水に関する問題について講演されたり、本も出版されています。今回の講演の中から、冒頭の「水の国くまもと」に関する部分だけを抜粋してみました。人と水とが深く関わってきた熊本市において第4回アジア・太平洋水サミットの記念講演を行うことを嬉しく思います。熊本県は近年、残念ながら度々水害による被害に見舞われていますが、もともと山紫水明の地として知られてきました。阿蘇山、金峰山などによるカルデラ地形に特徴づけられた熊本県では、後撰和歌集の「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」檜垣媼の歌に詠まれた白川、緑川、...水の都くまもと~天皇陛下ご講演より~

  • 五月のエンタメ情報

    GWも近づいてきましたが、五月に予定されているさまざまなイベントの中から二つ、独断と偏見で選んでみました。くまもと花魁道中第18回熊本城坪井川園遊会の一環として「くまもと花魁道中」が行われます。日時:5月3日(火・祝)①午後2時より②午後4時より③午後6時より場所:桜の馬場城彩苑(熊本市中央区二の丸1番1)※花魁道中は各地のイベントで行われていますが、「くまもと花魁道中」のキーワードは「地」。花魁始め出演者はすべて「地髪」。そしてナマ演奏の「地方(唄・三味線・囃子)」にこだわっています。花魁の外八文字歩き。支える牛太郎(妓夫)。後に続くのは禿(かむろ)や振袖新造たち地方はおなじみ福島竹峰社中の皆さんわくわく座春の特別舞台舞踊団花童&はつ喜「肥後六花」日時:5月21日(土)午後1時半より場所:熊本城ミュージアムわ...五月のエンタメ情報

  • 大先輩との歴史談義

    久しぶりに、近所の老舗米屋のご主人森さんの話を聞きたくなってお邪魔した。森さんは僕の高校の大先輩でもあるが、ただの米屋のオヤジではない。※「米屋とパイロットときりしたん」参照森さんはわが街・京町の生き字引のような人で、京町のこと、住人のことなど話し始めると次から次に芋づるのように話題は尽きない。今日はそんな森さんの意見を聞いてみたいことがいくつかあった。その話題と話の概要は次のとおり。1.米相場の旗振り通信江戸時代から明治・大正初期まで、投機目的で大坂の米相場を一刻も早く伝達するシステムとして旗振り通信が各地に存在した。しかし、九州では久留米、大川から南には旗振り通信の中継地点があったという史料は見出せない。米相場の伝達にはもう一つ米飛脚という手段があり、堺屋という飛脚屋が熊本辺りまで営業範囲にしていたことがわ...大先輩との歴史談義

  • 久留米絣 ~織屋おでん~

    今日、歩いて熊本県伝統工芸館の前を通りかかったら、入口の看板に「久留米絣(くるめかすり)」の文字が見えた。元久留米市民としてはスルーするのもどうかと思い、立ち寄ってみた。八女郡広川町に集積している久留米絣の織元の一つ「山藍」の展示販売会だった。久留米および筑後地方の人たちにとって、井上伝(いのうえでん)という少女が考案した「久留米絣」は誇りである。江戸時代後期、久留米城下で生まれた井上伝(当時13歳)は、色あせてまだらになった着物の模様にヒントを得、「久留米絣」を考案した。その後、技術に改良が重ねられ、「久留米絣」は久留米藩内はもちろん、全国に広く知られるようになり、今日では久留米を代表する伝統工芸品となった。「絵がすり」で苦労していた伝は、近所で天才のほまれ高い少年久重に助けを求め、久重は見事にこの技術的難問...久留米絣~織屋おでん~

  • つつじフェア

    今年も千葉城跡のつつじが咲き誇っている。2017年6月、NHK熊本放送局がここを去るまで、今頃の季節には「つつじフェア」が行われ、多くの入場者で賑わった。あれから5年、主なき千葉城跡に今年も変わらず咲いたつつじを見ながら年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからずという詩を思い出した。中国唐代の詩人・劉希夷の詩である。毎年毎年、花は変わることなく咲く。人の世の変わりやすいのに比べ、自然は変わらないという喩えだ。跡地には熊本市の観光関連施設が計画されているというが、何が出来ても春のつつじの風景は残してもらいたいものだ。2010年4月18日「つつじフェア」を見に行った時のブログがちょっと面白かったので再掲してみた。毎年この時期に行なわれる、NHK熊本放送局の“つつじフェア”を見に行った。千葉城の丘に咲き乱れるつつじを観...つつじフェア

  • 御衣黄(ぎょいこう)

    熊本城に向かって散歩していると、新堀橋の上に今復旧工事中の監物台が見える。工事期間中は監物台樹木園には入れないが、今、園内の御衣黄桜が咲いている頃だなと思っていると、ふと三の丸の漆畑にも御衣黄桜があったことを思い出した。行き先を変更し、漆畑へ向かった。5、6本あるうち、盛りを過ぎて花の色が変わりつつあるものもあったが、御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。熊本城三の丸の御衣黄桜御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名。」とある。以前、「全日本きもの着付選手権熊本大会」で十二単(じゅうにひとえ)の着付のデモンストレーションを見たことがある。たしかに「萌黄」の着物が含まれていた。服飾関係のサイトで...御衣黄(ぎょいこう)

  • 色あひふかく 花房ながく

    今を盛りの藤の花が目を楽しませてくれる季節です。この時季になると思い出す一節があります。色あひふかく花房ながく咲きたる藤の花の松にかかりたるこれは清少納言「枕草子」の「めでたきもの」の條の一節です。「めでたきもの」とは素晴しいもの、見事なもの、りっぱなものを表す言葉です。藤の花はたおやかな女性のイメージ。そして松はたくましい男性のイメージ。深い色合いの藤の長い花房が、まるで恋人のように松に寄り添う美しい景色を表現しています。この構図は、下の歌舞伎舞踊「藤音頭」においても踏襲されています。山田日吉神社(玉名市山田)の藤棚▼藤音頭歌舞伎舞踊「藤娘」の一部。能で言う「小書」のようなもので六世尾上菊五郎(大正・昭和時代の歌舞伎役者)によって演出挿入された舞踊。艶やかな踊りを見せるのは実は藤の精。そして恋しい殿御に見立て...色あひふかく花房ながく

  • 熊本地震本震から6年

    熊本地震の本震が襲ったのは6年前の今日未明。凄まじい揺れだった。翌日以降、被災現場で見た光景は一生忘れない。瓦や鯱鉾が落ち、石垣の一部が崩落した熊本城大小天守閣(2016年6月8日撮影)崩落した北十八間櫓および東十八間櫓(2016年4月20日撮影)崩落した百間石垣(2016年6月8日撮影)土台が崩落した西大手櫓門(2016年6月8日撮影)崩落した戌亥櫓石垣および西出丸石垣(2016年6月8日撮影)倒壊した往生院山門(2016年4月18日撮影)崩れ落ちたマンション。(2016年4月18日撮影)熊本地震本震から6年

  • 藤崎八旛宮 藤祭

    今日4月15日は藤崎八旛宮の「藤祭」。藤は藤崎宮の名前の由来ともなった大変重要な植物。藤崎宮のサイトには次のような説明がある。藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヶ所に埋めたところ、この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。(藤崎八旛宮社記による)ただ、これには異説があり、郷土史研究家の鈴木喬さんの説によれば、京町台地の下を流れる井芹川の淵(深み、淀み)に、先の尖った岬(崎)が突き出た場所という意味から「ふちさき」という地名が先にあり、それが語源だという。このように地形に由来する古語...藤崎八旛宮藤祭

  • ふるさと ~熊本地震6年~

    熊本地震の前震から今日で6年。短かかったようでもあり、長かったようでもある。加藤神社へ向かって歩いているとサイレンが鳴り始めた。黙祷の合図だなと思い、立ち止まって1分間の黙祷。熊本県庁で行われた追悼式で蒲島知事は「誰一人取り残されることなく安心して暮らせる熊本を築いていく」と誓いの言葉を述べていたが、はたして確実にそうなるような施策が打たれているのかどうか点検し直す必要があると思う。午前10時のサイレンを合図に手を合わせ黙祷する子どもたち鎮魂と復興への祈りを込めて▼嵐の熊本地震被災者への応援メッセージソングとして歌われた「ふるさと」(作詞:小山薫堂作曲:youthcase)ふるさと~熊本地震6年~

  • 復活!吹奏楽の旅

    笑ってコラえて!(日テレ)の人気企画「吹奏楽の旅」が復活した。8年ぶりだそうだ。この企画が大好きで、ほとんど欠かさず見ていたのでまた楽しみができた。復活第1回は昨年、わずか13人で吹奏楽コンクール全国大会まで勝ち上がった鹿児島県奄美市立朝日中学校の奇跡にスポットを当てた。思えば吹奏楽ファンになってもう50年になる。それは玉名女子高吹奏楽部とのご縁ができてからだ。50年前、ブリヂストン吹奏楽団久留米を玉名に招いて演奏会を開いた時、当時のブリヂストン吹奏楽団久留米の指揮者でもあり、日本の吹奏楽のレジェンドでもあった小山卯三郎先生にお目にかかった。昭和40年公開の東宝映画「戦場に流れる歌」(監督:松山善三音楽:團伊玖磨)は、團伊玖磨先生の著書「陸軍と楽隊始末記」の映画化で、この映画で加山雄三が扮する軍楽隊長小沼中尉の...復活!吹奏楽の旅

  • 牛深ハイヤ祭り

    今週末、16・17日には第50回牛深ハイヤ祭りが行われる。ここ2年、コロナ禍のため一部中止や延期が続き、今年も新型コロナ感染拡大防止のため、本来3日間の予定を2日間に短縮して行われるという。残念ながら今年も現地には行けそうにないので、これまで撮影した牛深ハイヤ節の映像を再見して楽しむことにしよう。時期も場所も演者も異なる四様の「牛深ハイヤ節」のそれぞれの持ち味を楽しみたいと思う。牛深ハイヤ祭り

  • 宴 華やかなりしあの頃

    今週(14日・16日)、熊本地震から6年となる。その1年前のちょうど今頃、熊本城本丸御殿では、4月4日から5月30日の毎週土曜日の夜、全9回にわたり「春の宴」が開催された。民謡、筝曲などの邦楽や、童謡、クラシック音楽等々、幅広いジャンルのパフォーマンスが繰り広げられたが、中でも9回のうち3回登場し、メインキャストとなったのが舞踊団花童だった。演目は主要なものだけでも・熊本城稲荷神社音頭・潮来音頭/潮来甚句・鹿北茶山唄・なすとかぼちゃ・銚子大漁節・俚奏楽民謡七福神・俚奏楽雪の山中・久留米そろばん踊り・キンキラキン・ひえつき節・たわらはごろごろ・絵日傘・福連木子守歌/五木子守歌・小坪いかとり歌・手古舞木遣り・くまもと音頭etc.と多岐にわたり、会場となった大広間を華やかに盛り上げた。もし、熊本地震なかりせば、本丸御...宴華やかなりしあの頃

  • マチナカは「くまもと花博」モード

    先月19日、「くまもと花博」初日にメイン会場の花畑広場に行った時はあいにく雨が降り出し、あまりよくわからない状態で帰ったので、快晴となった今日、朝から再び花畑広場を訪れた。さすがに日曜日でも午前中はそれほど人出もなく、陽光の下で鮮やかな彩の花々を満喫した。マチナカの上通、下通、サンロード新市街も花博モードに設えられていた。花博メイン会場の花畑広場ステージではバイオリンとピアノのデュオによるジャズ演奏サンロード新市街の「山鹿灯籠まつり」ブース。「ヨヘホ節」が流れる上通びぷれす広場では高校生による「さくらコンサート」。済々黌弦楽部の演奏。マチナカは「くまもと花博」モード

  • 綾子舞と阿国歌舞伎

    先日の、柏崎銘菓「綾子舞ものがたり」の話に続いて、今日はその新潟県柏崎市の伝統芸能「綾子舞」と「阿国歌舞伎」の関係について深掘りしてみた。「綾子舞」の由来は諸説あるようだが、京から伝来したものであることは間違いないようだ。それでは「綾子舞」が「阿国歌舞伎」の面影を残しているといわれるのはなぜなのか。それは江戸・慶長期に描かれた歌舞伎図鑑(徳川美術館蔵)の初期の歌舞伎絵図が今日の「綾子舞」と酷似していることや「小原木踊」「常陸踊」など、「綾子舞」と「阿国歌舞伎」に共通する演目があることなどがその根拠となっているようだ。▼歌舞伎図鑑(徳川美術館蔵)より共通演目のうち、例えば「小原木踊」については「コトバンク」に芸能史研究家の小笠原恭子さんによる次のような解説が記されている。中世末から近世初頭にかけて流行した踊歌(お...綾子舞と阿国歌舞伎

  • 散る花を 惜しむ心やとどまりて

    散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき(西行)夏を思わせる日差しのなか加藤神社へ出かけた。熊本城周辺の桜が風に吹かれて散ってゆく。桜の季節の終わりを実感する。毎年のことだが待たされた割にはあっけなく散ってゆく。その儚さが日本人の心の琴線に触れるのだろう。西行法師は「人々の桜を愛でる気持がずっと残っているから、再び来る春を迎える気持の種となるだろう」と詠んでいるのだろう。帰路、中坂を下り新坂を上っていたら道端のヤマフジが咲き始めていた。昨年はとうとう咲かなかったので今年は咲くのだろうかと気になっていた。季節の花は桜から藤へとバトンタッチだ。そういえば1週間後はもう藤崎宮の藤まつりだ。散る花を惜しむ心やとどまりて

  • 綾子舞ものがたり

    今朝、思いがけない宅急便が届いた。発送者は新潟県の柏崎観光協会とあった。そこでハッと思い出した。半月ほど前だったか、柏崎市の伝統芸能「綾子舞」についてネットで調べていて柏崎観光協会のサイトに入ったら、クイズに応募して当選したら柏崎銘菓が当たるというコーナーがあった。簡単なクイズだったので解答を送信した。それっきり忘れていたがまさか当選するとは。今までこの手の応募で当たったためしがない。これをきっかけに運が向いてくればいいのだが(^^♪その送られてきたお菓子が写真の「綾子舞ものがたり」である。10年ほど前、慶長15年(1610)春、加藤清正が阿国歌舞伎を招き、鹽屋町三丁目(現熊本市中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行したことについて調べていく過程で「綾子舞」の存在を知り、YouTubeの映像を見たり、文献を...綾子舞ものがたり

  • 咲き残りの桜と舞台劇

    一昨日は国際交流会館で行われた、東島のぞみ・めぐみ姉妹の出演する劇団ひまわりの舞台を観に行く。早めに行って整理番号をもらい、開場までの時間を熊本城長塀前の並木道で咲き残りの桜を眺めて過ごす。何となく「惜春」の気配を感じる。今回の演目は「Dr.コルチャックと子どもたち」。第二次大戦中のポーランド、ナチスドイツによるユダヤ人迫害を描く。ワルシャワ・ゲットーの中で多くの孤児たちを救うために奔走した気高い医師コルチャックと孤児たちの話である。この話自体は30年ほど前、アンジェイ・ワイダ監督の映画「コルチャック先生」で知っていた。原作はあるらしいのだが、舞台化にあたってこの映画も参考にしたようだ。90年代半ば頃から劇団ひまわりはこの題材に取り組んでいて、この劇団の「目玉演目」の一つになっているようだ。さて、お目当てののぞ...咲き残りの桜と舞台劇

  • 2022陸上シーズン開幕!

    今年も熊本では「金栗記念選抜中長距離大会」で陸上競技の2022シーズンが始まる。今大会の目玉は女子中長距離のエース田中希実選手。1500mにエントリーしている。彼女は昨年も出場したので見に行きたかったのだが、コロナ禍の中、自重し、ライブ配信で我慢した。今年こそと思っていたが熊本のコロナ感染状況が再びあやしい雲行きになってきたのでどうやらまたライブ配信観戦になりそうだ。東京2020は一人観戦ボイコットしていたのでリアルタイムで彼女の走りを見ていなかった。後日、映像を見て感動した。8位とはいえ、メダルに匹敵する快走だったと思う。なんといってもあの勇猛果敢に突進していく潔さが大好きだ。先頭を走る田中希実選手2022陸上シーズン開幕!

  • 清少納言 ~星はすばる~

    朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の記事で主題歌「アルデバラン」に触れたが、「アルデバラン」は「すばるのあとぼし」ともいわれるというので「すばる」のことを思い出した。谷村新司さんの「すばる(昴)」が有名だが、「アルデバラン」を作った森山直太朗さんは「すばる(昴)」へのオマージュでもあったのだろうか。清少納言の「枕草子」の「星は」の條に「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。・・・」という一節がある。星と言えばまず「すばる」を挙げた清少納言の心のうちはわからないが、千年を隔ててもなお人は同じ星に願いをかけることに感動する。ところで、清少納言は平安時代中期に肥後国司を務めた清原元輔(きよはらのもとすけ)の娘。昭和7年に出版された熊本市史には、清少納言が肥後へやって来た形跡がないか調べたような記述がある。残念ながらそれらしい史...清少納言~星はすばる~

  • On The Sunny Side Of The Street

    朝ドラ「カムカムエヴリバディ」はいよいよ最終週。ネット上では伏線回収の納得性について様々な意見が飛び交っている。たかが創作ドラマと言うのも憚られる状況だ。それはさておき、このドラマほど「音楽が立った」朝ドラも珍しい。サッチモ(ルイ・アームストロング)が歌う「OnTheSunnySideOfTheStreet」がモチーフになっているし、ヒロインの名前にも引用されているくらいだから当然といえば当然なのだが。また、主題歌「アルデバラン」が素晴しい。しっとりとしたラブバラードから始まり、後半はまるでゴスペルだ。作詞・作曲の森山直太朗はすごい。しかし、この歌は「カムカムエヴリバディ」のために書き下ろしたわけではなく、環境問題のメッセージソングとして書いた原型があったらしい。それにしてもこの波乱万丈のドラマにふさわしい良い...OnTheSunnySideOfTheStreet

  • 吉野宮ものがたり ~北原 香菜子~

    7年前、「くまもと全国邦楽コンクール」の各年度最優秀者による「邦楽新鋭展」において、第12回最優秀賞の薩摩琵琶奏者・北原香菜子さんが演奏した「琵琶経~3.11後の供養曲~」に感動した。その後、彼女がCD「吉野宮ものがたり」をリリースしたという情報を宮崎県諸塚村さんのサイトで知り、すぐに購入した。以来、何度も聴いているが、つい最近、諸塚村さんのフェイスブックにこの曲の映像が紹介されていた。素晴らしいロケーションの映像を楽しみながら聴くことができる。この曲は宮崎県諸塚村に伝わる悲劇の琵琶盲僧の話をもとに創作されたもの。南北朝時代(1337–1392)、吉野朝廷(南朝)から密命を帯びた琵琶盲僧が肥後へ向かう途中、九州山地の最奥、諸塚村境の峠で盗賊に襲われ命を落としたという。諸塚村ではこの盲僧を祀った吉野宮で500年に...吉野宮ものがたり~北原香菜子~

  • 桜花散るを惜しまぬ人やある

    本妙寺の桜桜もだいぶ散り始めた。舞い散る花びらもまた風情があってよし。毎年のことながら、儚い桜の季節が過ぎ去ろうとしている。そしてまた人々は来年の桜を楽しみに待つ。延々と繰り返される人の営みである。この時季には決まって「春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ」という大友黒主の歌を思い出す。この歌を引用した謡曲(能)が「熊野(ゆや)」。平宗盛と愛妾熊野は花見にやって来たが、病の床に臥す故郷の母への思いで熊野は沈みがち。春爛漫の中、心ならずも酒宴で舞を舞っていると、急に時雨が来て、花を散らしてしまう。熊野は母を思う歌を詠む。その歌はかたくなな宗盛の心に届き、ようやく帰郷が許される、というお話。夏目漱石はこの謡曲「熊野」がお気に入りだったようで後架(便所)の中でも呻っていたという。その様子は「吾輩は猫である」...桜花散るを惜しまぬ人やある

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