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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • めでためでたの若松様よ

    しばらくやっていなかった古い動画への字幕付けを再開しようと思い、今日は2012年10月にアップした佐賀県民謡「万歳くずし」に字幕を付けた。この唄はいわゆる祝い唄で、歌詞の中に「目出度目出度の若松様よ枝も栄えて葉も茂る」というフレーズがある。日本民謡の祝い唄の多くに含まれるおなじみのフレーズだ。なぜ各地方の多くの民謡で同じフレーズが唄われるかといういうと、もとになったのが「伊勢音頭」だったからである。江戸時代、数次にわたる「お伊勢参り(お蔭参り)ブーム」があり、江戸後期の天保元年(1830)には、日本の総人口3200万人のうち400万人以上が伊勢を目指したという。「伊勢音頭」は「荷物にならない伊勢土産」ともいわれ、日本全国に伝播し、祝い歌・祭り歌・踊り歌・座興歌・宴席歌・労作歌などとして様々な形に変化しながら唄い...めでためでたの若松様よ

  • 京陵中学校のクスノキ群

    昨日、県会議員の補欠選挙があったので京陵中学校の体育館で投票を済ませた後、京陵中学校のシンボルとなっているクスノキ群の木陰のベンチでしばらく涼をとった。このクスノキ群はかつて京陵中学校の校庭の中にあったのだが、前を通る県道(新坂)が「漱石記念緑道」として整備された時、市民の憩いの場として提供された形になっている。漱石は五高教師として熊本に赴任した明治29年(1896)4月13日、池田停車場(現JR上熊本駅)へ降り立ち、人力車でこの道を通った。クスノキ群は樹齢100年を超えるといわれているが、漱石が来熊したのは126年前のことなので、その当時から生えていたかどうか定かではない。ただ、僕が子供だった昭和20年代、京町にはクスノキや榎など大きな木が沢山あり、京陵中学校のクスノキだけが目立っていたわけではない。大きな木...京陵中学校のクスノキ群

  • 時を超える菓子「かせいた」

    書店巡りをしようと上通に出かけると、上通入口のびぷれす広場で「走潟マルメロ会~かせいた展示販売会」が行われていた。そういえば数日前の熊日新聞に、宇土市走潟地区住民の「走潟マルメロ会」が、細川家が江戸幕府に献上していた菓子「かせいた」の復刻版を開発したというニュースが載っていた。「時献上(ときけんじょう)」と呼ばれていた季節の贈り物として、細川家は二代忠興の時代から「かせいた」を曲げわっぱに入れ、茶菓子として献上していたという。今回の復刻版はその名も「時献上」。「かせいた」は、洋なしに似た中央アジア原産のマルメロの実を、砂糖と一緒に煮詰めて作ったもの。マルメロというのはポルトガル語のマルメレイロの樹の果実の意味で、「かせいた」の語源はポルトガル語の「CaixadaMarmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ):...時を超える菓子「かせいた」

  • 山椒のはなし。

    家内が庭の梅の木を剪定していたので手伝うでもなく眺めていると、その隣の山椒の木が目に入った。ふと「さんしゅう騒動」のことを思い出した。YouTubeに「ひえつき節」の動画をアップしてから7年経ち、その間、多くの皆様に視聴していただいた。その中で複数の方から5、6回ご指摘をいただいた。曰く、字幕の「庭の山椒の木」というのは間違いで、正しくは「山茱茰(さんしゅゆ)の木」であるという。なんと僕の姉までもが同じことを言う。何度かやりとりがあった末、「ひえつき節」発祥の地である宮崎県椎葉村に確認したところ、担当課の方にも同じような問い合わせがあっており、地元では「さんしゅう」と発音するが「山椒」が正しいというご回答をいただいた。そんな経緯をブログで紹介して以来、同じような指摘は一度もない。いわゆるフェイク情報の一つと思わ...山椒のはなし。

  • 高瀬思い出の記

    今日は5、6年ぶりに高瀬裏川の花しょうぶを見に行った。玉名市には二度在勤し、二度目には在住もした。合わせて9年ほどだ。最初の勤務は昭和46年(1971)だからもう51年前になる。裏川沿いの、かつて米問屋だった町家を工場立上げ要員の仮住まいとして借りた。辺りの風景はあの当時とは随分変わった。51年も経てば変わるのも当然だ。操業開始を目前に控えた昭和46年の3月下旬、集中豪雨に見舞われた。その豪雨は完成間近の新工場にとんでもない事故をもたらした。重油タンクの送油機構がダメージを受け、重油を大量に菊池川に流出させたのだった。事故発生が夕方ですぐに暗くなり、被害状況を確認できなかったが、川にオイルフェンスを張るなどの応急処置が行われた。翌朝になって唖然。流出口から菊池川河口付近まで約4㎞にわたり、両岸とも真っ黒い重油で...高瀬思い出の記

  • パソコン教室の閉校

    僕が会社を早期退職してパソコン教室を開いた時、一緒に起業研修を受けた仲間から「パソコン教室閉校」を知らせるハガキが届いた。年賀状のやり取りは続いているのでまだ開いていることは知っていたが、僕が約10年で閉校したのに比べ、25年もの長きにわたりよく頑張ったなぁと敬意を表したい。これで、1997年前後に、ほぼ同時に開校した仲間はほとんど閉校した。「IT革命」と盛んに喧伝され、国の肝いりで始まったIT教育ブームは醒めるのも早かった。情報格差の解消がテーマだったが、結局問題を積み残したまま、国の熱気も冷めてしまった。一種のバブルだったのだろうが、あの10年間は何だったのだろうと最近よく考える。パソコン教室の閉校

  • 高砂や この浦舟に帆を上げて

    YouTubeに3年前にアップした動画「能高砂」を見ていただいた方から次のようなコメントをいただいた。涙でました。亡き父が長男の結婚式の門出にと唄いました。年の離れた長兄でしたので私は小学4年、あれから40年程経ちますが耳に残った父の声が重なります。映像を見ていただくだけでもありがたいのにこんな感動的なコメントをいただくのは無上の喜びである。昔は自宅の座敷で結婚式を挙げることが多く、仲立ちさんあたりが「高砂や」の謡で祝う風景が普通に見られたものだが、最近は結婚式で「高砂や」がないことが多くなっているとも聞く。結婚式のやり方も徐々に変わって行くのだろうがちょっぴり寂しさも感じる。この映像は2019年9月に行われた藤崎八旛宮例大祭の段山御旅所での能奉納の一場面。「高砂」は代表的な脇能で、熊本ゆかりの能でもあり、昨年...高砂やこの浦舟に帆を上げて

  • わくわく座 春の特別舞台より

    先週土曜日(21日)に城彩苑わくわく座で行われた「わくわく座春の特別舞台~肥後六花」の映像編集とYouTubeへのアップロード作業を進めていますが、今日はアップが終わった2曲を掲載してみました。♪久住高原「久住高原」別名「豊後追分」は昭和初期に作られたいわゆる新民謡。今日でいう「ご当地ソング」だが、特定の追分を歌ったわけではなく、久住高原の美しい景色を「追分節」に乗せて歌ったもの。※右の写真は久住高原に咲くミヤマキリシマ♪熊本自転車節大河ドラマ「いだてん」で綾瀬はるかが唄って広く知られることになった「熊本自転車節」は明治後期に流行った神長遼月のバイオリン演歌「ハイカラ節」をもとにお座敷で唄われ始めた「自転車節」の熊本バージョン。いつ頃誰が唄い始めたのかわかっていない。「おても時雨」という別名がある。わくわく座春の特別舞台より

  • 松岡映丘と「草枕絵巻」

    下の文章は夏目漱石「草枕」7章の、主人公の画工が投宿先の浴場に入っている時、湯煙の中に「那美さん」が手拭いを下げて湯壺へ降りてくるくだりの一節。そして下の絵はその場面を描いた松岡映丘の「湯煙」。松岡映丘と一門の画家たちが描いた「草枕絵巻」の中の1枚である。やまと絵の大家である松岡映丘の絵が大好きで「草枕絵巻」以外の絵も画集などで楽しんでいるが、実は恥ずかしいことに、つい最近まで彼が「日本民俗学」の創始者である柳田國男の実弟であることを知らなかった。これから何か新しい目で彼の絵を見ることができるような気がする。松岡映丘筆「湯煙」松岡映丘と「草枕絵巻」

  • 伝統芸能で新しい文化の創造へ

    今日の「民謡魂ふるさとの唄」(NHK総合)は新潟県村上市から、新潟県の民謡を中心に様々な芸能が紹介された。なかでも印象深かったのは、昨年10月の放送におけるMCの城島茂と津軽三味線の上妻宏光らによる新潟県民謡「新保広大寺」スペシャルアレンジが地元でも反響があったということで、「新保広大寺全国大会」が行われている現地へ上妻が訪ねる。昨年の「民謡魂」放送に、リモートで参加した「永島流新潟樽砧伝承会」のメンバーと初めて対面する。昨年放送を見た時、新潟の伝統芸能を受け継ぐコアな若者たちという印象だったが、江戸時代から続く新潟樽砧という伝統芸能を、新しい感覚で新潟文化として再興させていることが段々わかってくる。今日の放送を見た後、彼らの活躍ぶりをネットで確認した。※樽砧(たるきぬた)とは、新潟市の中心部旧市街に伝わる木樽...伝統芸能で新しい文化の創造へ

  • 特別舞台「肥後六花」

    今日は、わくわく座春の特別舞台「肥後六花」を見に行く。ゆりあ(はつ喜月蘇女)さんが高校を卒業し、次のステップに進むため、しばらく舞台を離れるとのことだったので彼女の舞姿を撮っておきたいと思っていたら、ちょうど彼女のお母様からも「ゆりあが大きくなってからの舞台映像がないので撮ってほしい」とのご依頼があり、中村花誠先生を通じて会場の特別な撮影許可を取っていただいた。たしかに近年はわくわく座を始め、ほとんどの舞台が撮影NGなので撮っていない。ここのところ花童の舞台は軽演劇をまじえた演目が多かったが、今回は全編舞踊。完成度の高い素晴しいステージだった。なかでも月蘇女さんの存在感は大きく、ハナで踊った「久住高原」は観客の心を一気につかんだ。以下、演目は下記のとおりだが、やっぱり花童本来の舞踊をたたみかける構成が嬉しかった...特別舞台「肥後六花」

  • 熊本の風景今昔 ~ 一駄橋から ~

    下の古写真を見てここがどこかすぐに分かる方はおそらくもうほとんどおられないだろう。一駄橋から前方の、井芹川(左)と坪井川(右)の合流地点を望む(昭和初期の頃)「おてもやん」の作者として知られる永田イネは、元治元年(1864)に米屋町の「糀屋」というみそ製造所の一人娘として出生した。四才の頃から踊りを習い始め、やがて琴・三味線・笛・太鼓等幅広く芸事に精通していった。幼い頃、井芹川で舟遊びしていて唄ったのが、細川邸(現北岡自然公園)まで聞こえ、細川護久公の所望によって舞や唄を披露し、脇差を戴いたこともあるという。おそらく上の写真左側の井芹川に舟を浮かべていたのだろう。現在の一駄橋から坪井川上流を望む宗禅寺の境内から坪井川と一駄橋を望む一駄橋たもとの宗禅寺には僕の伯母の墓があり、前を通る時にはお参りすることにしている...熊本の風景今昔~一駄橋から~

  • 肥後六花の歴史と特別舞台

    昭和56年(1981)に放送されたNHK「新日本紀行肥後秘花」が最新のデジタル技術で色鮮やかによみがえり、昨年8月に「よみがえる新日本紀行肥後秘花ー熊本ー」としてBSプレミアムで放送されました。さらに昨年10月にはNHK熊本ローカルの「くまもとの風」の中で再放送されました。下の文はこの番組のナレーション(一部)を文字起こししたものです。杜の都、肥後細川藩五十四万石の城下町熊本。江戸時代、この熊本を治めた細川家は、江戸や上方とも違った文化の薫り高い政治を敷きました。そして今も、かつて細川藩の侍たちが武家屋敷の中で育て門外不出としてきた花が、子孫の人たちによって守られています。かつて細川公のお側用人を務めてきた杉山家の庭。阿蘇の湧水がせせらぎとなって流れています。当主の杉山さんは門外不出の肥後花しょうぶを守り育てて...肥後六花の歴史と特別舞台

  • 山鹿灯籠まつり も3年ぶりに復活!

    連日、イベントの3年ぶり復活の話題ですが、今日は「山鹿灯籠まつり」の開催が発表されました。浴衣姿の女性たちが和紙でできた灯籠を頭にのせて踊る「千人灯籠踊り」で知られる山鹿市の「山鹿灯籠まつり」は、新型コロナの影響で去年とおととしは神事のみ行われ、「千人灯籠踊り」や花火大会などのイベントはすべて中止されました。しかし、今年はコロナ禍前の半数以下の300~400人に踊り手の人数を減らし、観客の密集を防ぐため入場できる人数を制限することなど規模を縮小したうえで開催されることが決まりました。山鹿灯籠まつりも3年ぶりに復活!

  • 高瀬裏川の歴史と花しょうぶまつり

    玉名市の高瀬裏川で初夏恒例の「花しょうぶまつり」が20日から始まります。2020・21年は新型コロナ感染拡大防止のため中止されましたので3年ぶりの開催となります。5月20日(金)から6月4日(土)まで。メインイベントは5月28日(土)です。高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていました。今も往時の風情を感じる町屋が残っています。かつて、肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口右岸に開けた港町でした。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられます。また高瀬町の人々は菊池川のことを「高瀬川」と呼んでいたそうです。江戸時代には高瀬藩の御蔵が...高瀬裏川の歴史と花しょうぶまつり

  • 藤崎八旛宮「馬追い」3年ぶり開催

    熊本市秋の風物詩、藤崎八旛宮「馬追い」が3年ぶりに開催されることになったという。例大祭の最大の呼び物である神幸行列は新型コロナウイルスの影響で2020、21年は中止され、神事と境内での一部の行事だけが行われていた。今年の例大祭の日程は9月13~19日、神幸行列は18日に行われることになった。コロナは未だ終息には至っていないが、各地の祭も感染対策に取り組みながら復活しつつあることも参考にしながら準備を進めるという。しかし、コロナが再び増勢に転じるなど状況の変化によっては中止や縮小もありうるという。神幸行列には例年、飾り馬を奉納する団体の勢子ら約1万4千人が参加しているが、今年は5千人程度にとどまると見られている。藤崎八旛宮「馬追い」3年ぶり開催

  • 澪筋と東京湾

    今夜の「ブラタモリ」は「海の玄関口・東京湾原点は川にあり?」と題して遠浅の東京湾に東京港が出来た秘密を探った。そこには東京湾の成り立ちが関わっていた。東京湾へそそぐ河川の河道の変遷や隅田川・古東京川の澪筋(みおすじ)が大型船の東京湾への出入りを可能としたことや天然の防波堤・富津岬等々とても興味深い回だった。富津岬でのタモリと野口葵衣アナ隅田川河口から江戸湾にかけて多くの船が行き交う風景(江戸名所図会)「江戸の花」の一つ隅田川の賑やかな様子を唄った長唄「風流船揃」澪筋と東京湾

  • 3月・4月の動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの「3月度+4月度」動画視聴ベスト10は次のとおりでした。幸若舞「敦盛」が再び盛り返して来ました。幸若舞の中でも「敦盛」は特別の存在のようです。サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。1.幸若舞「敦盛」(5,866回)2.おてもやん(3,645回)3.伊勢音頭(3,577回)4.ひえつき節(2,913回)5.熊本民謡おてもやん(2,729回)6.かっぽれ(2,468回)7.南部俵積み唄(2,359回)8.だいこんの花(2,111回)9.牛深ハイヤ節(1,714回)10.こわらべ~京ものがたり~(1,366回)3月・4月の動画視聴ベスト10

  • マーチングは音楽!

    昨夜放送された「笑ってコラえて!吹奏楽の旅2022」(日テレ系)における玉名女子高の基礎練習の場面を見ながら、はるか遠い日の、大先輩の言葉を思い出していた。東京五輪にも出場された水泳のオリンピアンである中嶋功さんは熊本県和水町のご出身で、僕のブリヂストン時代の大先輩でもあった。また中嶋さんはブリヂストン在職時、永くブリヂストン吹奏楽団久留米のお世話をされていて、特にマーチングの指導をされていた。当時からブリヂストン吹奏楽団は実業団のトップレベルの吹奏楽団として活躍していた。僕が防府工場に勤務していた頃、防府工場の開所式が行われ、その記念イベントとしてブリヂストン吹奏楽団久留米を招き「防府市民に贈る吹奏楽の夕べ」というコンサートを防府市公会堂で開催した。企画運営の担当だった僕は中嶋さんにいろいろアドバイスいただく...マーチングは音楽!

  • 謡曲 田村(キリ)

    今月19日はわが父の二十三回忌にあたる。しかし、菩提寺のご住職と相談した結果、コロナも未だ油断できない状況にあることもあり、2年後に二十三回忌と二十七回忌を合わせた法事を行うことにした。毎年、父の祥月命日になると必ず、謡曲「田村」のことを思い出す。このブログでもう何度もネタにしたが、父がまだ四つか五つだった頃、立田山麓の泰勝寺跡に住んでおられた長岡家(現細川家立田別邸)に日参していた。お坊ちゃまの遊び相手だったが、お屋敷で謡曲のお稽古が行われる日は、幼い父も末席に侍らせられていたという。父は門前の小僧よろしく謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節だけは終生忘れず、よく思い出話をしていたものだ。だから命日には供養のつもりで「田村」のキリの部分を聴くことにしている。年に数回、泰勝寺跡を訪れて四つ御...謡曲田村(キリ)

  • 新民謡のはなし。

    東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)の最新アップ曲は「ちゃっきり節」。映像の中で水野さんが解説しておられますが、この歌は昭和2年(1927)に静岡電鉄(現静岡鉄道)が開設した狐ヶ崎遊園地のコマーシャルソングとして北原白秋作詞、町田嘉章作曲により制作されたものです。全国に知られていた茶どころ静岡の風景を歌っています。大正後期から昭和にかけて、地方自治体や地方の企業などの依頼によって、地域おこしや観光振興を目的とした「ご当地ソング」づくりが盛んにおこなわれ、「新民謡運動」とも呼ばれました。新民謡づくりには北原白秋・野口雨情らの著名な詩人たちも取り組んだこともあり、国民にひろく人気を博しました。今日、「民謡」と呼ばれる歌の中にはこの時期に作られた「新民謡」も多く含まれ、意外と新しいことに驚くこともよくあります...新民謡のはなし。

  • 竹あかり

    今日でGWが終わった。今年も孫たちが来ることもなく、週休7日の僕には何の感慨もない。強いて言うなら街中での車運転がしやすくなるのは喜ばしい。もとに戻るだけの話だが。昨日から熊本城長塀前の坪井川沿いで「くまもと花博竹あかり」が始まった。夕暮れとともに竹のオブジェによるイルミネーションが一斉に点灯されるというので見に行った。見ながらふと思った。GWの終わりと同時に始めるのはなぜ?せめてもう数日前から始めて、県外からの観光客や帰省者にも見せてあげればよかったのに。まぁいろいろ事情があるのでしょう。竹あかりに浮かび上がる加藤清正公像竹あかり

  • 天城越え

    昨夜、ドラマ「天城越え」(NHK_G)が放送された。今から44年前の1978年に松本清張の同名小説をドラマ化したものである。初回放送から今回まで僕は4回見たことになる。2009年と2018年の2回、ブログのネタにしている。2009年の記事には、他局でのドラマ化作品や映画化作品よりも、この和田勉演出版が一番いい、というようなことを書いている。2018年の記事には、同じ天城越えを題材にしながら、清張の「天城越え」と川端康成の「伊豆の踊子」との小説世界の違いについて触れている。昨夜のドラマ放送後引き続いて、新日本風土記「松本清張昭和の旅」が放送された。その中でも研究者による「天城越え」と「伊豆の踊子」の比較論が紹介された。曰く、清張は川端康成の設定をことごとく反転しているという面白い分析があった。この二人の作家は10...天城越え

  • 「笑ってコラえて!吹奏楽の旅2022」に 玉名女子高が

    復活した「笑ってコラえて!吹奏楽の旅」(日テレ)は、復活第1弾として昨年、わずか13人で吹奏楽コンクール全国大会まで勝ち上がった鹿児島県奄美市立朝日中学校が紹介されました。5月11日(水)に放送される第2弾は、その朝日中学校の部員の一人が進学する鹿児島県の強豪校神村学園とともに、同じく九州の全国大会常連校「玉名女子高校」にも密着するそうです。玉名女子高吹奏楽部は全日本マーチングコンテストの全国大会に23回出場し19回金賞を受賞。全日本吹奏楽コンクールでは全国大会に12回出場し8回金賞。ここ7年はマーチングコンテストと吹奏楽コンクールともに金賞を連続受賞しているという強豪中の強豪です。玉名女子高吹奏楽部▼放送日時:2022年5月11日(水)20:00〜21:00吹奏楽ファンから「玉女サウンド」とも称される玉名女子...「笑ってコラえて!吹奏楽の旅2022」に玉名女子高が

  • 熊本の花街(五)

    西南戦争の兵火で焼失した京町に替わって新しく二本木遊郭がつくられて15、6年が経過。紆余曲折を経ながらも隆盛の一途をたどるかに見えた二本木遊郭だったが、日清戦争の影が忍び寄る。「熊本の花街」シリーズ第5回。東雲楼東雲節熊本の花街(五)

  • 歌枕のはなし。

    最近、古人の和歌を読んでいて地名が出て来ると「これ歌枕だったかな?」ということが気になる。「歌枕」とは「和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡。」と辞書には書いてある。しかし、それほど多く使われているというわけでもなさそうだ。歌枕の一覧を見てみると熊本には、熊本市河内町の「鼓ヶ滝」、宇土市の「風流島(たわれじま)」、八代市の「水島」の三か所があげられている。「鼓ヶ滝」と「風流島」は近年現地を見たことがあるが、「水島」は子供のころ、父に連れられて八代の「舟出浮き」に行った時、見たような気がする。熊本県以外で現地を見たことがある歌枕があるかを調べてみた。近江を見て驚いた。あるわあるわ、十三か所。やっぱり京(みやこ)にとって琵琶湖の存在感の大きさを実感する。彦根にいた頃、仕事で琵琶湖を何周もした。琵琶湖自体が「鳰海(におの...歌枕のはなし。

  • 3年ぶりの花魁道中

    今日は桜の馬場城彩苑で3年ぶりに花魁道中が行われた。新型コロナ感染拡大防止のため、今回は残念ながら、禿や振袖新造、それに地方演奏を外しての縮小開催ではあったが、苑内をギッシリ埋めた観光客は予想外のアトラクションに、しきりにシャッターを切りながら皆な楽しげだった。それにしても、小さな子供を除き、入場者のほぼ100%がきちんとマスクを着けているのを見て、あらためて日本人の衛生意識の高さを感じた。花魁の外八文字歩き3年ぶりの花魁道中

  • 娘ジントヨー

    朝ドラは久しぶりの沖縄ものなので大好きな沖縄民謡が聞けるのではないかと期待している。なかでも好きな曲「娘ジントヨー」を三女役の上白石萌歌さんが三線弾きながら披露するらしい。(もう放送されたのかな?)朝ドラ「ちむどんどん」で比嘉家の三女歌子に扮する上白石萌歌が三線を弾きながら「娘ジントヨー」を歌う2019年秋のくまもとお城まつり「古謝美佐子熊本城島唄コンサート」で「娘ジントヨー」を踊った舞踊団花童娘ジントヨー

  • 令和時代 3年

    今日で令和時代になってまる3年が過ぎた。3年前の今日はどんよりとした一日だった。初詣のつもりで藤崎八旛宮と加藤神社にお詣りに行った。多くの人々が参拝に訪れていた。3年経った今、その日のようにどんよりとした世の中が続いている。その年の暮れから始まった新型コロナウィルスの脅威はいまだに続いているし、今年の2月末に始まったロシアによるウクライナ侵攻はますます状況悪化の一途を辿っている。第三次世界大戦にもつながりかねない極めて危険な状況だ。いったい、こんな世の中がいつまで続くのだろうか。2019年5月1日の加藤神社の風景縁起でもないが、スキータ・デイヴィスの「TheEndoftheWorld」をふと思い出してしまった。令和時代3年

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