2008年以降、ヴロツワフ・ジェシュフ・ジェロナグラで日本語を教える。2015年再びジェシュフへ。
2010年再びポーランドへ。13年、3たびのポーランド。15年、またもや・・ なんとかなるさ、とばかりに、知識レスをものともせずに、つづってます。が、コンジョウだけで、シンポなし状態・・・ 「ノホン人ヨシのグローブ」http://ameblo.jp/yoshi-nohon/、「セントレ庵」http://blog.livedoor.jp/yoshi_nohon/ 「にほんごや・よしべ〜」「・・・とさ。日記」も、あたふたと同時進行中。
昨日は、60代最後の誕生日だった。格別に楽しみというトシではないが。結局、68才時には一度もポンポンしなかったわけだ。このブログにポンポンしたということは・・・何かポーランドに関係しているからだと・・・そうなんだポーランドポーランドから、2通のバースデー・メールが届いた。去年と同じ、だ。一人は、最初の地”ヴロツワフ”での教え子だから、もう10年以上になる。今年のメールには、笑顔の写真が添えられていた。うれしさが倍・倍増になった。うれしいメール
2年間以上も、ポンポンしていない。そんなブログを、久しぶりに覗いた。すっかり忘れ去られてしまったであろうと思っていたが・・・予想に反して、多くの人がこのブログを覗いてくれていた。素直に、うれしくなった。まだ死んではいなかった。訪問する計画は、もうないのだが、何とか更新を続けることを真剣に考えてみようか・・・という気になっている。なぜだかわからないが・・・
ここ数年は、「1年おきにポーランド」だった。時期的には、今頃から、その気になり始めていた。が、今年は違う。その気が膨らまない。去年始めた非常勤講師を続けてみたい、という気が強い。学校側からも、受け持ち授業を増やせないかという打診もあった。増やせるかどうかは、まだはっきりしないが、講師継続の意向ははっきりしている。今秋からのポーランドは、計画なし・・・となる。「なし」
2カ月ぶりのポンポン。何もないわけではない。なんやかんやとあるが・・・そんな中、昨日は、日本語非常勤講師としての「初授業」があった。65歳過ぎでの、デビューである。ポーランドに関するこのブログに取り上げること・・・?ただの初授業なら、他のブログで取り上げるべき・・・ボランティアではなく、プロの講師としてのデビューなのに・・・だが、アジアからの留学生が大部分のクラスに、「ひとり」・・・いたのである。「ポーランド」からの留学生が!一番前の席で、やる気光線やたらと満開モードで。なんだかとてもうれしくなって、久方ぶりのポンポンをせずにいられなくなった・・というわけ。ポーランド人学生
このブログを開設して、ちょうど3000日になる。燦然と輝く?3000日記念の、祝ポンポン。ちょうど8年ほど前に、初めてポーランド行きを決めた頃に、スタートしたわけで。長いようで、短いようで・・・3000日。72000時間。4320000分・・・3000日
帰国して、ちょうど1カ月に。6月、7月と暑い日があったポーランドは、今では涼しい8月のようだ。ポンポン禁止令の自主的発令もあり、もどかしさもあったのだが・・・やはり、いい思い出の方が、それを上回っている。この1カ月の日本の日々は、これまた波乱万丈というか、書くに書けずに・・・(まだ、あちらでは、写真がまだまだ整理できずに、ぼちぼちと継続中)1カ月・・・
今、クラクフでは、大きな行事が。「世界青年の日」という世界から集まってくる大イベントらしい。今、ヨーロッパでは、人の集まってくるところに、危険アリ・・・という状態。クラクフでも、警戒態勢は最高レベルだとか。何かあるのでは・・・と、気にしているが・・・今のところは、悪いニュースはないようで・・・今、ここをどうしていこうか?と思案中。今、あちらでは、写真の整理にいそがしい。今、やっと、6月の半ばまできたところだ。今、デンブノ木造教会、ザコパネが準備中。思い出アルバムなら、「あちら」へどうぞ。今・・・
2008年7月、このブログはスタートした。初めてのポーランド行きが決まった頃だ。8年前の当時の記事を読んでみた・・・当然、文字だけだ。写真のアップの仕方もわからなかった。まさに、アナログ男の、第一歩という感じ。あの頃は、ポーランドのポの字もわからなかった。文中に、?がよく登場している。さっぱり何もかもわからない・・・感じ。8年経った今でも、?は相変わらず多い。変わっているとしたら・・・8年前は、さっぱりわからない「?マーク」だったのが、現在では、やっぱりわからない「?マーク」という点か。8年・・・
正面は、聖アンデレ教会。左には、聖ペテロ教会・聖パウロ教会がある。広場と旧市庁舎。この中央広場はほぼ200m四方で、ヨーロッパでも最大級。その中央には、織物会館がドーンと。長さは100mもある。この下には、4000㎡もの地下博物館があるが、この日は、入場無料の日で、満杯状態なのか、もう入れないと断られてしまった。聖マリア教会の中へ。すごい。この聖壇は、木製の彫刻で、国宝になっている。すごい。フロリアンスカ門へと続く、フロリアンスカ通り。マテイコ広場の像。右後方に見えるのが聖フロリアン教会だと思う。あの教会から、歴代の王が、ヴァヴェル城に向かってパレードしたという。生徒とは、駅で別れた。その後、夜の仕事へと向かったようだが、元気で頑張って。いつか、日本語で案内をしてもらえたら・・・6月末のクラクフ2
今回の滞在では、6月10日以降帰国までの約1カ月、ちょっと動き過ぎたようだ。ポンポン更新も、ポンポン拍子にはほど遠くなってしまったし。気温も高い日が多く、あちこち歩いたが、暑さがこたえたし。思い出を整理する間もなく・・・今、日本でポンポン。ということで、6月27・28日のクラクフ訪問を振り返ってみることに。天気は、曇り空で雨にも降られ、よくなかったが、暑さは一休みで助かった。ヤギェウォ大学のメイン校舎。ポーランドでは一番古い大学。新しそうに見えたが、絶えず改修をして、きれいにしているとか。いっしょに周ってくれたのは、ジェロナグラで日本語クラスの生徒だった学生。今はこのヤギェウォ大学の学生さん。平日は働き、週末に通学している。フルタイム学生に対して、パートタイム学生とも呼ぶのだと思ったが。今は、ホテルのレストラン...6月末のクラクフ1
後期からスタートさせた初心者クラスが1クラスある。最初の申し込みは、30名を超え、40名に近づこうかというほど。だったが、結局最後は8名ほどに。その中に、観光学科の学生がいた。最後の正規授業の時、ジェシュフの案内ガイドを頼んでみた。快諾してくれた。結局、クラスで希望者も参加することになった。ということで、時系列虫が飛ぶ展開で・・・6月17日のことである。このモニュメントの下で待ち合わせ。(実は、この場所で待ち合わせるのは、初めてだった。ほとんどが、待ち合わせは決まったかのように、広場だった。)予定では、4名参加のようだったが、来たのは3名。うち1名は体調が思わしくなくすぐ帰ってしまった。結局、ユスティナ、バルテクの2人と、暑い中を歩いて回ることに。何度も見ていた、というか自然と目に入ってきた軍人の像。彼は、なん...ジェシュフ・ガイドツアー
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