chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
おやじのつぼ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2009/04/07

arrow_drop_down
  • 東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その3。毛長川・毛長堀・いわれ。区立竹の塚中。辰井川排水機場。東伊興。入り組む都境。(「都県境を探ってみる」第3回目。)

    右奥に、「中井堀排水機場」(草加市谷塚)水門。この先、少し草加市が入りこんでいます。○のところ。「武蔵野の路公園(草加市谷塚)」。日光街道(国道4号線)を渡ります。「毛長堀橋」。※「毛長川」は、かつては毛長堀、毛長落しと呼称されていた。昭和23年より40年にかけて改修拡張された。川口市から花畑へ流れる毛長川には、髪の毛にまつわる言い伝えがあります。昔、新里村(現在の草加市)の長者の娘が、川を挟んだ舎人の長者の息子と結婚しました。しかし、嫁ぎ先の両親との不仲などが原因で、娘は川に身を投げてしまったのです。それから数年後のある日、川にその娘の長い髪が浮きあがったことから、毛長川と呼ばれるようになりました。(この項、「足立区」HPより)両岸のサクラの紅葉が見事。草加市側。この付近の足立区内を歩いたことがあります...東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その3。毛長川・毛長堀・いわれ。区立竹の塚中。辰井川排水機場。東伊興。入り組む都境。(「都県境を探ってみる」第3回目。)

  • 東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その2。毛長川。大鷲さくら橋。花畑団地。文教大学東京あだちキャンパス。ひよ子。水神橋。(「都境を探ってみる」第3回目。)

    「鷲宮(とりみや)橋」から「毛長川」上流を望む。右手には「都立足立特別支援学校」の建物。綾瀬川方向を望む。「鷲宮橋」の南には、年末の「酉の市」で有名な「花畑大鷲(おおとり)神社」があります。花畑大鷲神社は酉の市発祥の社と言われています。応永年間(1394~1428年)より、11月の「酉の日」に、尊への神恩感謝の祭が行われるようになりました。そこに人々が集まり、門前市が開かれるようになりました。そこから「とのまち」「とりのまち」と称され、後の「酉の市」になったと言われています。(「祭りの日」HPより)足立区花畑地区を望む。この橋から下流が都境に。対岸(左岸)は、草加市。右岸、「花畑団地」の通りからスカイツリーを望む(↓)。足立区側を歩くことに。振り返る。「毛長公園」遊歩道を歩きます。花畑大橋から。右が足立区...東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その2。毛長川。大鷲さくら橋。花畑団地。文教大学東京あだちキャンパス。ひよ子。水神橋。(「都境を探ってみる」第3回目。)

  • 東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その1。草加市へ。都営花畑第四アパート。桑袋 ビオトープ 公園。鷲宿(とりじゅく)(「都境を探ってみる」第3回目。)

    綾瀬川の対岸には「都営花畑八丁目アパート21号棟」「24号棟」(のはず)。今回も短い歩き。「日暮里舎人ライナー」の全線は乗ったことがないので、始発の「見沼代親水公園」駅から終点の「日暮里」駅まで乗ってみることに。東武線「谷塚駅」から東武バスに乗り、終点・「花畑桑袋団地」バス停で下車し、歩き始めます。公園脇から境界の道路へ。右が八潮市、左が足立区。ここから先の右は、草加市。(左は足立区花畑。)ここは、八潮市の家並み(のはず)。左には、「都営花畑第四アパート」案内図。右は、「草加市瀬崎グランド」。遠くに「スポーツ健康都市記念体育館(草加市)」。「伝右(でんう)川」沿いにある「記念体育館」。※東京都(足立区)と埼玉県(草加市)の境界は、「毛長川」になる。「伝右大橋」から「伝右川排水機場」(綾瀬川との合流地点)を...東武バス「花畑桑袋団地」~舎人ライナー「見沼代親水公園駅」。その1。草加市へ。都営花畑第四アパート。桑袋ビオトープ公園。鷲宿(とりじゅく)(「都境を探ってみる」第3回目。)

  • 京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その5。浮花橋。水神。大曽根ビオトープ。蛇橋。伝右川、毛長川。(「都境を探ってみる」第2回目。)

    「浮花橋」から下流を望む。右岸が足立区、左岸が八潮市。橋を渡ると、埼玉県八潮市。今度は、左岸(八潮市側)を歩きます。左は、工場が並ぶ。土手道。対岸は、足立区花畑。真っ赤な花、ピラカンサ。工場建設中の土手の脇に「水神」。大曽根ビオトープ。解説板。大曽根ビオトープの歴史綾瀬川の名前の由来綾瀬川は古代より、流路の定まらない川として、「あやしの川」あるいは綾のように入り組んでいたので「綾瀬川」と呼ばれたなどという言い伝えがあるように、大きく曲流していました。河川の氾濫河川の氾濫・洪水なども頻繁に発生しました。大曽根ビオトープはこのような綾瀬川の河川敷にある貴重な環境です。大曽根の名前の由来「曽根」は局地的に砂・土を有するやせ地の意で、綾瀬川沿岸の大きなやせ地からつけられたということです。大曽根村は、近世初期から明...京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その5。浮花橋。水神。大曽根ビオトープ。蛇橋。伝右川、毛長川。(「都境を探ってみる」第2回目。)

  • 京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その4。首都高三郷線。内匠橋。綾瀬川・古綾瀬川遊歩道。(「都境を探ってみる」第2回目。)

    足立区側は樹木が多い遊歩道。前方に「首都高三郷線」が見えてきます。「足立区小溜井排水場」。綾瀬川との合流地点にあります。首都高下に「埼玉県八潮市」と。「内匠橋」から綾瀬川下流を望む。この先は、開削された直線の水路となる。葛飾区で中川に合流し、荒川と併行して東京湾へ。首都高が左上を通っている。※かつての流路「垳川」は東西で閉鎖されて、東の中川、西の綾瀬川とは排水場で結んでいる。「内匠橋」を右折し、綾瀬川沿いに。この先、「古綾瀬川」沿いを歩きますが、遊歩道の左側は八潮市になります。現在の綾瀬川の南側・足立区に八潮市が入りこんでいる。対岸は八潮市。案内板。※下が北。○の部分が、現綾瀬川をはさんで、八潮市となっている。右が八潮市、左が足立区。古綾瀬川遊歩道。1880年代のようす。↓が古綾瀬川。▽が現在地。※上が北...京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その4。首都高三郷線。内匠橋。綾瀬川・古綾瀬川遊歩道。(「都境を探ってみる」第2回目。)

  • 京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その3。水車広場。葛西用水。垳川JABJAB大作戦。タブノキ。(「都境を探ってみる」第2回目。)

    六木水の森・水車広場。大きな水車のモニュメント。神明六木遊歩道(シンメイムツギユウホドウ)垳川沿いに続く約2kmの遊歩道は、水辺と雑木林の風景が続く自然を身近に感じられる散歩道です。遊歩道にいくつかの公園(広場)が隣接しています。葛西用水親水水路を挟んで、神明側が神明水の森公園、六木側が六木水の森公園となっており、泉の広場、けやき広場、風車広場、むくの木広場、虹の広場、水車広場などの広場があります。(「あだち観光ネット」HPより)「中川→150m」。上部の蛇行する流れが「垳川」、下部の直線の流れは「花畑運河(花畑川)」。対岸は八潮市垳。足立区側には公園やベンチなどが設置されている。対岸には釣り人の姿が。「葛西用水」との交差点。「ふれあい桜橋」の向こう、右から左の流れが「葛西用水」。※「葛西用水」は、そのま...京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その3。水車広場。葛西用水。垳川JABJAB大作戦。タブノキ。(「都境を探ってみる」第2回目。)

  • 京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その2。新大場川水門。神明・六木遊歩道。垳川。(「都境を探ってみる」第2回目。)

    先に進みます。間もなく中川の合流点に。その手前、右手に「古新田排水機場」。「サバスマリン」の向こうに「新大場川水門」。※「サバスマリン」国産艇・輸入艇の新艇から中古艇の販売、保管、整備、修理を行っているほか、これからボートを始める方のためにボート免許スクールを開催している。「新大場川水門」。「大場川」上流・水元公園方向を望む。中川。中川の対岸(足立区)を望む。正面が東京都と埼玉県の境界。対岸に向かうために、中川上流の塩止橋へ。八潮市内。塩止橋。中川の河口から19.1kmの地点に位置し、埼玉県内では中川に架かる最下流の橋である。明治年間の藤橋(後述)に代わり、大正年間に開削された中川の新流路に新たに架けられた橋である。かつての中川は八潮市と三郷市の市境に沿って流れ、大場川の閘門橋付近より下流側も中川(古利根...京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その2。新大場川水門。神明・六木遊歩道。垳川。(「都境を探ってみる」第2回目。)

  • 京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その1。閘門橋。大場川。大場川マリーナ。(「都境を探ってみる」第2回目。)

    水元公園・小合溜。10月22日(土)。曇り。今回は、葛飾区の水元公園の西から足立区の花畑まで。北の境、埼玉県側は、三郷市、八潮市、草加市となります。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)「大場川」が境界線。水元公園の小合溜と大場川を結ぶところにあるのが「閘門橋」。水元公園側。大場川側。橋脚部にブロンズ像が。閘門橋(明治42年完成)閘門橋は、レンガ造アーチ橋としては、東京に現存する貴重な橋です。橋名の閘門というのは、水位・水流・水量等の調節用の堰のことをいいます。江戸時代(宝永年間)この辺りは、古利根川(現在・中川)、小合川(こあいがわ:現在の大場川、小合溜)が入り込んだ、複雑な地形を有しており古利根川の氾濫地域でありました。この古利根川の逆流を防ぎ、水田の水源確保のため、さらに岩槻街道の流通路として閘門と...京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その1。閘門橋。大場川。大場川マリーナ。(「都境を探ってみる」第2回目。)

  • 霜降。10月23日。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

    隅田公園にて。ただし、11月下旬のころ。10月下旬では、紅葉にはまだまだ早い時期。さて、10月23日(日)。今日は、二十四節気のうちの第18番目「霜降」。東京地方、昨日のはっきりしない天気から一転、すっかり晴れ渡った気持ちのいい朝を迎えました。たしかに急に寒くなってきた印象ですが、まだそれほどの寒さを感じません。温暖化の影響でしょうか?暦の上で「霜降」とは、朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降りはじめるころ。だんだんと冬が近づいてくる。北国では初雪の便りも。ということになります。「七十二侯」では、・初侯 10月23日〜10月27日頃霜始降しもはじめてふる霜がはじめて降りる頃。・次侯 10月28日〜11月1日頃霎時施こさめときどきふる通り雨のように雨が降りはじめる頃。降ったかと思えば、すぐに青空...霜降。10月23日。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

  • 葛飾区と三郷市。みさと公園から水元公園へ。水産試験場跡。水辺公園・テラス。野鳥観察台。(都境を探ってみる。その2。)

    水元公園案内図。水元公園の外側の道は、三郷市内。そこを歩きます。水元公園。ため池風。水元公園の「小合溜」が境界になっています。旧水産試験場(水元)跡。この場所にあった旧水産試験場は戦後の食生活における重要なタンパク源として鯉や鮒の増殖・養殖の研究や金魚の品種改良などを行ってきました。しかし、水元の水産試験場としての役割は終了し、港区に移転しました。この跡地は、水元公園の開園区域で既に姿を消してしまった貴重な水生植物や動物の生育・生息環境を保有しています。また、都天然記念物に指定されているオニバスが自生していることでも有名です。現在ここに残されている貴重な資源、水産試験場としての歴史資源を大切に保護しつつ、失われつつある低地水辺の豊かな生態系を守りながら水元小合溜の水郷景観を復元するための整備を行いました。...葛飾区と三郷市。みさと公園から水元公園へ。水産試験場跡。水辺公園・テラス。野鳥観察台。(都境を探ってみる。その2。)

  • 葛飾区と三郷市。水元公園。東金町・三郷市高州。CAFE TO HEN。(都境を探ってみる。その1。)

    葛飾区と松戸の境にある「葛飾橋」東詰めの土手。今回から東京都と他県との境を探ってみようと。といっても、東の千葉県から埼玉県、山梨県、神奈川県、・・・。川あり、谷あり、丘あり、池あり、山あり、飛び地あり、住宅地あり、ジグザクあり、・・・というわけで、そう簡単ではなさそう。当面、葛飾区、足立区、北区、練馬区の都境を歩いてみることに。はたしてどこまで確認しつつ、歩き続けることができるか?手始めに、江戸川から水元公園まで、と。その第1回目。10月16日(日)。すっきりしないお天気。2時間ほどの予定。折り畳み自転車で出かけました。千葉県との東の境は、江戸川歩きで確認済みなので、江戸川土手・葛飾橋付近から北西に向かいます。対岸の千葉県松戸市。案内図。「都立水元公園」の境目が都境になっている。柵の向こうは、三郷市。水元...葛飾区と三郷市。水元公園。東金町・三郷市高州。CAFETOHEN。(都境を探ってみる。その1。)

  • 向島百花園。その2。からたち。みつばあけび。もっこく。かりん。ふよう。ひめがま。いちょう。・・・

    からたち。黄色い実がなっています。「からたちの花」北原白秋作詞、山田耕筰作曲からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。からたちのとげはいたいよ。青い青い針のとげだよ。からたちは畑の垣根よ。いつもいつもとほる道だよ。からたちも秋はみのるよ。まろいまろい金のたまだよ。からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかつたよ。からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。みつばあけびの実。アケビとともに秋の味覚として親しまれてきたつる性の植物で、3枚の小葉があることからミツバアケビとよばれる。新芽と果実は食用とされる。つるは弾力があり丈夫でしなやかであることから、かごなどの民芸品になる。籠編みの材として最高品といわれ、多くの生活用具に利用される。もっこく(木斛)。別名でイイクともよばれる。「江戸五木」の一つ。モ...向島百花園。その2。からたち。みつばあけび。もっこく。かりん。ふよう。ひめがま。いちょう。・・・

  • 向島百花園。久々の晴れ間。ふくろくじゅうり、かりん。とらのおすずかけ。せんぶり。しもばしら。・・・

    桔梗。かしわばはぐま。柏葉羽(白)熊。わが国の本州から四国・九州に分布しています。山地の木陰に生え、高さは30~70センチになります。茎は分枝せず、葉は卵状長楕円形で縁に粗い鋸歯があり、茎の中部に集まってつきます。9月から11月ごろ、茎の上部に白色の頭花を咲かせます。頭花は10個ほどの筒状花からなり、花冠の先端が5裂して反り返ります。※「ハグマ」はウシ科の動物であるヤクのシッポの毛でできた羽熊(白熊)のことで、兜や僧侶の持つ払子(ほっす)の装飾に使われたものだが、花の形がこれに似ることにぐずついた天気が続く、東京地方。曳舟図書館に行くついでに、向島百花園へ立ち寄りました。10月15日(土)。曇り時々晴れ。けっこう大勢の方が見えていました。左からふくろくじゅうり(二つ)ゆうがおかりん右に(ちょっとだけ)もう...向島百花園。久々の晴れ間。ふくろくじゅうり、かりん。とらのおすずかけ。せんぶり。しもばしら。・・・

  • JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その5。大沼工業団地。向谷橋。「一級河川 中川起点」碑。(「中川」を遡る。第8回目。)

    「繰舟落とし」の両岸に大きな工場が連なる。この橋を渡り、右岸へ。繰舟落としを横断する水路橋。その上流にある橋。このあたりで、道を間違えたことに気付きました。そのまま、県道84号線(羽生栗橋線)へ出ます。さらに、「埼玉県立特別支援学校羽生ふじ高等学園」脇を通って、中川に架かる「向谷橋」へ向かいます。学園に稲が干してありました。中川の起点まで、500M弱。ここで、やっと「中川」に出会うことができました。向谷橋。下流を望む。拡幅整備されています。上流(起点)方向を望む。起点までの左側、公園のところに橋が架かっています。それが最上流の橋ということに。そして、やっと着きました。「一級河川中川起点」碑。起点からの下流。河口から約80km!。突き当たり、立体交差しているのは、葛西用水。上流方向(利根川方向)。下流(東京...JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その5。大沼工業団地。向谷橋。「一級河川中川起点」碑。(「中川」を遡る。第8回目。)

  • JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その4。加須吉沼。道下橋。中荻大橋。繰舟(くりぶね)落とし。(「中川」を遡る。第8回目。)

    東北道の側道を歩き、左折して中川土手に。加須吉沼。左手に加須吉沼。広大な面積を誇るヘラブナ管理釣り場です。5本ある桟橋からは、水深2~6メートルまでタナ(水深)があり、短竿の浅ダナから長竿の底釣りまで様々な釣り方を楽しむことができます。加須吉沼の特徴は、魚影が濃く数釣りが楽しめること。加えて「活き餌」の使用以外の規定が無く、自由な釣り方を楽しめます。初心者でも比較的釣りやすいオカメの使用もできる為、入門者におすすめの釣り場と言えるでしょう。(この項、「」HPより)けっこうたくさんの釣り人が。ここまでの土手歩きを振り返ると、「権現堂堤」の上流から、魚釣りをする人は見かけませんでした。特に、この付近では農業用水の排水路なので、魚は棲めないのか。※この先も釣り人の姿は見かけませんでした。田んぼの畔道をたどって、...JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その4。加須吉沼。道下橋。中荻大橋。繰舟(くりぶね)落とし。(「中川」を遡る。第8回目。)

  • JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その3。火の見櫓。雁波橋・西道橋と次々に。戸川橋(日本橋)。東北自動車道。(「中川」を遡る。第8回目。)

    火の見櫓。「雁波(がんなみ)橋」。近くに大きなお屋敷。「西道(さいどう)橋」。振り返って望む。上流方向。足もとにバッタ。「西道橋」の上流に架かる橋が「学校橋」。人道専用橋。付近には学校はなさそうですが。上流に橋が見えます。「日本橋」?右手の広場に、「戸川町屋土地改良区竣工記念碑」。掘割り。「日本橋」。下流を望む。※「Googleマップ」では「戸川橋」となっています。かつては特徴的な意匠の欄干のある橋だったようです。この先は、「東北自動車道」の下をくぐります。JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その3。火の見櫓。雁波橋・西道橋と次々に。戸川橋(日本橋)。東北自動車道。(「中川」を遡る。第8回目。)

  • JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その2。一直線の水路。鷹野橋。天神橋。十軒橋。・・・赤城山・筑波山。やぐるま街道。(「中川」を遡る。第8回目。)

    右岸を歩きます。対岸は、「埼玉園芸市場」。「内野橋」までは、1617年(元和3)に完成した灌漑用水路「手子堀」沿いを歩いたため、中川に架かる「鹿沼橋」、「板橋」等は通りませんでした。その隣でも大きな建設工事。田園地帯が広がります。鱗雲?川沿いの直線道。下流方向。上流方向。見渡す限り一直線。車、人とも遭わない。鷹野橋。上流を望む。遠くに上州の山々が。赤城山(↓)。天神橋上流を望む。※橋の名については、親柱に刻まれた橋の名はほとんどなく、また、次々と橋が架かっています。そのため、先人の記録を頼りに記していますが、定かではありません。天神橋。遠くに筑波山(↓)。JAの施設。「利根川のめぐみほくさいのお米」とあります。「十軒橋」のたもとには「やぐるま街道」ポケットパークがあります。この道路は、江戸時代から明治初期...JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その2。一直線の水路。鷹野橋。天神橋。十軒橋。・・・赤城山・筑波山。やぐるま街道。(「中川」を遡る。第8回目。)

  • JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その1。八ツ島橋・古い橋。道橋。合流する落水(堀)。内野橋。天神堀。(「中川」を遡る。第8回目。)

    起点にある解説板。10月9日(土)。晴れ。久々の晴れ間。今回で「中川を遡る」の最終回にしようと、出かけました。前回同様(同じ事を繰り返す)、途中で迷い、途中、中川から外れ、最後、何とか起点にたどり着きました。今回。前回の最終地点までは、バス便がない。そこで、JR東鷲宮駅から朝日バスに乗って、「豊野コミュニテイセンター」まで。そこから上流に向かって歩くことにします。「県道3号線」が通る「門樋橋」(前回の最終地点)から工業団地までを省略するかたちになります。田園風景。遠くの山々まで見渡せます。左岸を歩きます。途中で見かけた大きなお屋敷。前回の時とは違い、日差しはあるものの、爽やかな天気。前日までの雨で水は濁り、けっこう流れも速そう。その中に、水鳥(たぶんカルガモ)の姿もチラホラ。今日最初の橋。「八ツ島橋」。人...JR東鷲宮駅~東武「羽生駅」。その1。八ツ島橋・古い橋。道橋。合流する落水(堀)。内野橋。天神堀。(「中川」を遡る。第8回目。)

  • 『民主主義全史』(ジョン・キーン 岩本正明訳)ダイヤモンド社

    安倍元首相の「国葬儀」。法的根拠もないまま、閣議決定もないまま、国会への事前手続き(説明・同意)もないまま、すべて「ないままに」、岸田首相の独断というべきかたちで決定され、多額の税金を支出し、さらに自衛隊を前面に出して、挙行されました。葬儀前もその後も、国民の意思(反対多数)は一顧だにされず、無視されています。しかし、一方でこうした自公政権を支持する議員・支援者だけではなく、快哉と叫ぶ識者と称する評論家、文化人がマスコミにしばしば登場している現状。「旧統一教会」、また「統一教会」と自民党との癒着問題は大した問題ではない、他にたくさん課題が山積している、それを論議すべきだ、と、野党たたきとマスコミへの圧力・・・。安倍国葬でも、若い世代が多く献花に参列した。反対意見は、大陸からのものだ(そう投稿した議員は、撤...『民主主義全史』(ジョン・キーン岩本正明訳)ダイヤモンド社

  • 東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その3。島川の流れ。カルガモ。JR宇都宮線。県道3号線。(「中川」を遡る。第7回目。)

    「久喜宮代衛生組合八甫清掃センター」。新幹線の鉄橋をくぐり、すぐ上流にある橋を渡ります。下流を望む。上流を望む。この付近の今昔。1880年代のようす。中川(旧島川)のようす。けっこう大きな流れになっている。自然堤防が現在も残っている。利根川東遷後も、大きな川としてあり、両岸には「塚」という地名があり、微高地だったことが分かる。2010年代のようす。改修された中川。左が新幹線。左岸に旧土手が細い道に。右岸を上流の「島川橋」に向かって歩きます。新幹線高架橋。水鳥。大きくなったカルガモの姿も。田園風景が広がる。「稲荷木排水路」。ヨシの原。しかし、この先、「島川橋」の改修工事のため、土手道は行き止まり。土手を下りて歩くことに。迂回してやっとたどりついた「島川橋」から上流を望む。橋を渡って左岸へ。ふと下を見ると、カ...東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その3。島川の流れ。カルガモ。JR宇都宮線。県道3号線。(「中川」を遡る。第7回目。)

  • 東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その2。かつての利根川本流(権現堂川)。狐塚。東北新幹線。(「中川」を遡る。第7回目。)

    広場の四阿。左手奥が中川の流れ。その手前の農家の道路端にはコスモス。周囲のようす。ここで、小休止。さて、先を続けます。右手は狐塚というところ。歩いているところは、自然堤防の一部。右手に池が。この「内池」は、天明六年の洪水によってできた「落ち堀」。その3年前に起こった浅間山の噴火の影響で火山灰などが堆積し、中川(当時は島川)は、河床が上昇し、洪水が起こりやすくなっていました。「狐塚ヘルシーパーク」。「ヘルシー」という名前のとおり、おもに大人が健康を保つための遊具が置かれています。トイレがあります。「昭和橋」。中川左岸の久喜市狐塚と右岸の幸手市松石とを結び、埼玉県道316号線(阿佐間幸手線)が通ります。この先は、中川を見ながらの土手歩き。「昭和橋」を振り返る。右手が久喜市、左手が幸手市。暖かい日差しの下、のん...東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その2。かつての利根川本流(権現堂川)。狐塚。東北新幹線。(「中川」を遡る。第7回目。)

  • 東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その1。権現堂堤・彼岸花。行幸橋。中川旧流路。(「中川」を遡る。第7回目。)

    「権現堂堤」。久々に「中川」の上流を歩きました。予定では、「権現堂堤」から上流を行けるところまで、と。ところが、JR宇都宮線の踏切から先の道に迷い、行ったり来たり。うろうろしたあげく、暑いくらいの陽気の中で歩き疲れ、途中、県道沿いのお店に入って、遅い昼食。その先は諦めて、栗橋駅まで戻ることに。結局、駅の数としては二駅分。それでも、青空の下、久々の歩きでした。幸手駅から歩いて約40分。日光道中歩き以来の「幸手宿」。そして、「権現堂堤」へ。前回、中川歩きで今年の6月に来たときは、アジサイの花がたくさん。今回は、彼岸花が。少し時期は遅かったですが、それでも、堤一面、彼岸花。白色のものも。土手上にあるのは、「行幸堤之碑」。「行幸堤(みゆきづつみ)之碑」。権現堂堤は、権現堂川の水防のために江戸時代になる前に造られた...東武線「幸手駅」~「栗橋駅」。その1。権現堂堤・彼岸花。行幸橋。中川旧流路。(「中川」を遡る。第7回目。)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?

ハンドル名
おやじのつぼさん
ブログタイトル
おやじのつぶやき
フォロー
おやじのつぶやき

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用