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2009/04/07

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  • 流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その5。葛飾橋。外環道。常磐線・新葛飾橋。上矢切。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

    この付近は、松戸市内を流れる「坂川」の支流が流入し、川筋が二つあるかのようです。手前に「葛飾橋」その隣に「外環道」等の橋脚が見えてきます。※「旧水戸街道」は、対岸をしばらく北上し、渡し場(この付近にあった)で松戸宿に渡りました。1880年代のようす。左手上の流れが現在の小合溜に通じる。また、「水戸街道」は、江戸川右岸から左岸の松戸宿へ。2010年代のようす。右の川は「坂川」。葛飾橋直下の河川敷に「松戸緊急用船着場」。大地震で破損した河川施設や被災した市街地を復旧するための資機材を運んだり、救援物資を水上ルートで運ぶ際に利用できる船着場です。・・・緊急用船着場は水上輸送と陸上輸送を結ぶ拠点となり、緊急用河川敷道路は障害物が少ない河川敷を利用して陸上輸送します。下流から国道298号・葛飾大橋、外環道、葛飾橋。三郷・...流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その5。葛飾橋。外環道。常磐線・新葛飾橋。上矢切。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

  • 流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その4。ホバリング。常夜燈。舟運。納屋川岸(鮮魚街道)。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

    江戸川の上空でホバリングする大型の野鳥。ノスリ?何度も低空で旋回しながらホバリングしています。水中の獲物を狙っているのでしょうか?つい見とれてしまいました。※「ホバリング」=空中に静止すること。ノスリなどは風上に向かってはばたき、風を利用して姿勢を一定に保つ。利根川の上流で見かけたことがあります。「川の一里塚(樋野口)河口から20.1㎞」。この先に、「江戸川の常夜燈」。江戸から大正にかけ江戸川は舟運が栄え、明治になると通運丸という外輪船の客船が就航していました。夜になると明かりが灯り河岸(船着場)の位置を知らせたそうです。この常夜燈の設置により一日も早い舟運復活を願うものです。・・・明治・大正時代の利根川水系は、蒸気船による大量輸送時代でした。また鉄道輸送網の整備がすすみ、はげしい貨物や旅客の争奪戦がくりひろげ...流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その4。ホバリング。常夜燈。舟運。納屋川岸(鮮魚街道)。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

  • 流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その3。主水新田 川一里塚。新田開発。上葛飾橋。江戸川松戸フラワーライン。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

    「樋野口(ひのくち)・川の一里塚から4000m」。※「樋野口」は江戸川下流(4㎞先)の地名。住宅の向こうに田畑が。大きく右へカーブします。「海から24.0㎞」。距離が減っていく歩きの方がいいですね。「水辺の健康エコロードマップ」。下には「まこも池」。この付近から江戸川沿いに「矢切」までの約9㎞の案内図。トイレや休憩施設などもあって、それぞれに適した距離を歩くことができます。地元の方でしょう。親子連れ、ご夫婦など、歩いている人が多くなってきます。「主水(もんと)新田・川の一里塚」。左に解説板。川の一里塚江戸川は、水と緑に恵まれ広大で貴重な水辺空間であり、年で生活する人々に「つどい・いこい・くつろぎ」の場をもたらしています。このような江戸川の特性を活かし、主水新田地先の堤防に木陰のある休憩場所と位置確認の目印として...流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その3。主水新田川一里塚。新田開発。上葛飾橋。江戸川松戸フラワーライン。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

  • 流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その2。武蔵野線。つくばエクスプレス。松戸市へ。松戸水門。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

    JR武蔵野線。対岸は「三郷駅」。路線図。(「Wikipedia」より)府中本町、北府中、西国分寺、新小平、新秋津、東所沢、新座、北朝霞、西浦和、武蔵浦和、南浦和、東浦和、東川口、南越谷、越谷レイクタウン、吉川、吉川美南、新三郷、三郷、南流山、新松戸、新八柱、東松戸、市川大野、船橋法典、西船橋。※「街道歩き」「川歩き」でこの路線とは何回か交差している。野球場が何面も。遠くに東京ガス江戸川橋梁。東京ガス㈱ガス導管専用橋。全長約250m。振り返る。「海から26.0㎞」。この付近に「⑧幸房の渡し跡」の碑があったはずですが、見落としてしまいました。(写真は、「」より借用)「岩野木の渡し」、「七右衛門新田の渡し」「幸房の渡し」と様々な名称がある。江戸川の渡しは千葉側と埼玉側の地名を交互につけたが、自分側の地名で呼ぶことが多...流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その2。武蔵野線。つくばエクスプレス。松戸市へ。松戸水門。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

  • 流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その1。菜の花・富士山。流山橋・丹後の渡し跡。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

    3月19日(土)。晴れ、のち薄曇り。流鉄「流山駅」で下車し、迂回道から土手に上がります。1週間遅れの掲載。今週は、菜の花も満開になっていることでしょう。流山駅周辺の観光案内図。小林一茶「菜の花のとつぱづれ也ふじの山」の句が紹介されています。※「とつぱづれ」=「ずっとはずれの方、一番端の方」という意味。菜の花が眼前一面に咲き、その端の方にちょこっと富士山が見えている情景を詠んだ句。矢切の渡しまで12㎞。自転車だと45分。その先まで歩くことになります。ビルの向こうに富士山が。今回は江戸川の向こうに「富士山」と「東京スカイツリー」を眺めながらの歩きです。※流山では江戸川土手から「ダイヤモンド富士」が見られるそうです。以前、都庁の33階から見たことがありますが、神秘的な感じがすばらしいものでした。振り返る。遠くに赤城山...流鉄「流山駅」~京成本線「国府台駅」その1。菜の花・富士山。流山橋・丹後の渡し跡。(「江戸川」を歩く。第3回目。)

  • 隅田公園。2022年3月25日。春の訪れ。ソメイヨシノ。千年桜。ヨウコウ。ミヤビ。そしてユリカモメ。・・・

    3月25日(金)昼下がり。隅田公園。隅田川土手。ソメイヨシノや他の品種のサクラも咲き始め、公園の中も、三々五々、そぞろ歩きをする、年寄り、家族連れ、若い男女・・・。第7波も想定されるはコロナ禍の中で、いっときの平安か。「言問橋」。「桜橋」。「隅田公園千年桜プロジェクト」古来から尊ばれ、愛されてきた桜。「緑と水辺を活かす隅田公園づくり」では、「三春滝桜(千年桜)」の子孫木を、公園の「シンボルツリー」としても守り・育て、次の世代へ受け継いでいくプロジェクトを推進します。この桜は、2013年(平成25年)1月に福島県田村郡三春町「三春さくらの会」から寄贈されました。東京スカイツリー(浅草側から)。花壇。桜橋から。屋形船と観光船と作業船と。上空にはユリカモメが一羽。遠くに墨田区役所、アサヒビール本社。ソメイヨシノ。高速...隅田公園。2022年3月25日。春の訪れ。ソメイヨシノ。千年桜。ヨウコウ。ミヤビ。そしてユリカモメ。・・・

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その9。「流山」町歩きその4。流鉄「流山駅」。ロコドル。カラフルな車輌。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    「流山鉄道100周年」解説板。2016年3月14日、おかげさまで流鉄流山線は100周年を迎えます。1916(大正5)年に町民の出資によって開業して以来、流山市民の通勤、通学、買い物等にかかせない身近な足として親しまれています。都心から25キロ圏内でありながら、単線でワンマン運転であることや全車両に愛称が付けられるなど、レトロな雰囲気たっぷりで鉄道ファンにも人気です。「普通の女子校生が『ろこどる』やってみた」。『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』は、小杉光太郎による日本の4コマ漫画作品。『まんが4コマぱれっと』(一迅社)2011年10月号から12月号までゲスト掲載された後、2012年4月号より2022年4月号まで連載された。話数のカウントは「〇〇stage」。2014年にテレビアニメ化され、7月から9月に...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その9。「流山」町歩きその4。流鉄「流山駅」。ロコドル。カラフルな車輌。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その8。「流山」町歩きその3。万上線跡。万上みりん。一茶双樹記念館。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    駅前広場から左の細道を歩いて行くと、駅からカーブした道は、「貨物引込線(万上線)」跡。このカーブの道路は、流鉄流山駅から野田醤油株式会社流山工場(現:流山キッコーマン株式会社)をつなぐ引き込み線跡です。この引き込み線ができたのは昭和4年で、アルコールの原料とするサツマイモや石炭の移入、酒類の出荷に利用されました。トラック輸送の増加により利用は徐々に減っていき、昭和44年で廃線となりましたが、その軌道は道路となってそっくり残っています。流山駅方向。ところで、「みりん」とは?みりんは、日本古来から愛用されてきました。慶長7年には、すでに市販され、広く諸国で使用された記録が残されています。甘みが貴重だった時代に、みりんの甘みと風味は、甘い酒として人々に愛されていたのです。今でこそ調味料を主とし、お正月の屠蘇酒程度に飲...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その8。「流山」町歩きその3。万上線跡。万上みりん。一茶双樹記念館。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その7。「流山」町歩きその2。丁子屋。近藤勇本陣跡。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    呉服新川屋店舗国登録有形文化財この建物のある流山広小路沿いの地区は、江戸川沿いにあたり、年貢米の輸送や東北・北関東との物資が行き交う水運業・酒・みりんなどの製造業で栄え、江戸時代から昭和40年代まで多くの商家が軒を並べていた。呉服新川屋は弘化3年(1846)創業で、この建物は明治23年(1890)に建てられたものである。土蔵造りの分厚い壁が特徴で、恵比寿、大黒が表された屋根の鬼瓦は見事である。建物に書かれた文字から、土屋熊五郎という松戸の大工が建てたことが知られる。現在広小路界隈の歴史的建造物は少なくなってしまったが、呉服新川屋は国土の歴史的景観に寄与しているものとして平成16年(2004)に国の有形文化財(建造物)に登録された。丁子屋栄。「本格フレンチレストラン」のお店。流山市から古民家再生プロジェクトの出店...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その7。「流山」町歩きその2。丁子屋。近藤勇本陣跡。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その6。新しい橋の建設。矢河原の渡し跡。流山町歩き。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    流山と三郷を結ぶ新しい橋を建設中です。「三郷流山橋」は埼玉県道路公社を主体として、千葉県と埼玉県の3者が共同で事業を行っています。「三郷流山橋有料道路」は、つくばエクスプレス沿線市街地である千葉県流山市と埼玉県三郷市とを結ぶ都市軸道路の一部として整備されています。三郷流山橋有料料道路を整備することにより、JR新三郷駅周辺からつくばエクスプレス流山おおたかの森駅周辺の市街地間の移動が現在の30分から20分に短縮され、同時に近隣橋梁の渋滞緩和が期待されます。(この項、「」HPより)関連工事。遠くに「流山橋」と「武蔵野線」の橋脚が。振り返る。護岸整備区間。この先、立入禁止のため、いったん土手を下ります。「海から28.75㎞」。再び上がって、⑥「矢河原(やっから)の渡し跡」。「加村の渡し」とも言い昭和35年頃まで存続し...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その6。新しい橋の建設。矢河原の渡し跡。流山町歩き。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その5。六兵衛の渡し跡。半割(南)の渡し跡。・・・(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    x③「六兵衛の渡し跡」。別名「上新宿の渡し」と言うが、六兵衛なる人が運営し「六兵衛の渡し」が一般的。作業場(対岸の耕作地や流作場)への渡しとして昭和二十年頃まで存続。※「流作場(ながれさくば/りゅうさくば)」=江戸時代の田の種類の一つ。河川または湖沼の氾濫により、水害をうけやすい場所にある田地。石盛(こくもり)は下田より低いのを通例とした。左手奥から用水路が続く。「海から32.0㎞」。「海から31.5㎞」。④「半割(南)の渡し跡」。三、四人が共同で運営、昭和二〇年代後半まで存続した。埼玉側では農閑期に牛や馬を千葉側に預けることが多く、「馬船」と呼ばれる大型の舟を使用した。この付近の今昔。1880年代のようす。二ヶ所渡し場がある。2010年代のようす。西側に「半割」という地名あり。前方に「常磐自動車道」。「海から...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その5。六兵衛の渡し跡。半割(南)の渡し跡。・・・(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その4。利根運河。流山場外ヘリポート。尼谷の渡し跡。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    「利根運河公園」。この手前付近から「流山市」になります。利根運河。江戸川への流入地点。利根川方向。「利根運河」の利根川流入口(水門)は「利根川」歩きのときに通過しました。以下再掲。「利根運河」水門。利根運河。江戸川方向。利根運河千葉県柏市、流山市、野田市を流れる、利根川と江戸川をつなぐ一級河川の運河(人工河川)。日本初の西洋式運河である。全長は約8.5キロメートル。明治時代の開削と前後して、東京湾に直接乗り入れる汽船や鉄道が整備されたため、太平洋戦争前には舟運の役割はほぼ終えている。現在は行楽地となっており、利根運河にちなんで命名された東武野田線の運河駅周辺には、流山市立の運河水辺公園や利根運河交流館、工事の中心となったオランダ人技師ムルデルの顕彰碑、大阪・通天閣のものと似たビリケン像などが整備されている。過去...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その4。利根運河。流山場外ヘリポート。尼谷の渡し跡。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その3。玉葉橋。カヌー。「渡し跡」碑。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    対岸のようす。グランドが続く。左岸は、川の流れに近く、河川敷はほとんどない。対岸の吉川市側は河川敷が広く、グランドやスポーツ広場などが数多く設置されている。※「江戸川」に接して流れていた「庄内川」を河川敷に取り込んだことが大きな要因か?「海から35.75㎞」。玉葉橋。江戸川の河口から約35.5Km地点に架かり、埼玉県道・千葉県道326号川藤野田線を通す。左岸は千葉県野田市、右岸は埼玉県吉川市となり、江戸川の吉川市域に架かる唯一の一般道路の橋である。完成は1984年(昭和59年)で、橋梁名は埼「玉」県と千「葉」県から1字ずつ採って名付けられた。上流の野田橋(埼玉県道・千葉県道19号越谷野田線)までは約4Km、下流の流山橋(埼玉県道・千葉県道29号草加流山線)までは約7Km離れており、流山橋周辺では慢性的な渋滞が発...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その3。玉葉橋。カヌー。「渡し跡」碑。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その2。海から40㎞。野田橋。中州。庄内古川・中川。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    この付近では、道路も住宅も土手に接近しています。そのせいか、自転車や歩行者も多くなっています。「海から40㎞」標識。菜の花畑。「野田橋」に近づきます。野田橋。「海から39.5㎞」。千葉県野田市と埼玉県松伏町を結ぶ。左手に「キッコーマンフードテック中野台工場」。①しょうゆ、つゆ、たれ、ソース及びその他調味料の製造及び販売②農産、水産、畜産加工品等の食料品及び飼料の製造及び販売左手奥にある森の中まで工場が続いています。この先、芝生養生中。対岸は埼玉県吉川市。独特な河川敷のようす。所々に砂州が。木々が生い茂る中洲。この付近の今昔。1880年代のようす。左に流れる「庄内川」が江戸川と接している。2010年代のようす。庄内古川は河川敷に。現在の中川の流路は、その上流部は明治時代以前の庄内古川(幸手市高須賀より上流は島川)...東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その2。海から40㎞。野田橋。中州。庄内古川・中川。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 東武野田線「川間駅」~流鉄線「流山駅」。その1。「清水公園」今昔。座生沼。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

    「東武鉄道野田線」鉄橋。3月12日(土)。快晴。「江戸川を歩く」の第2回目。東武野田線・川間駅で下車、江戸川土手に向かいます。下流方向。土手上にある、舗装され、整備された「自転車・歩行者専用道」を歩きます。気温も上昇し、これまでと違って風も穏やかで歩きやすい。利根川歩きで、そうとう苦しめられたのがウソのよう。菜の花を楽しみながら。振り返る。「海から43.75㎞」。河川敷のグランドでは子どもたちの歓声。「海から43.0㎞」。左手は、「川間グリーンテニスクラブインドアテニススクール」。対岸は、埼玉県春日部市。畑地と住宅と。「海から42.25㎞」。左奥が「清水公園」。かつて、「清水公園」付近には大きな沼地が広がっていました。1880年代のようす。「座生(ざおう)沼」が広がる。2010年代のようす。緑の部分が「清水公園...東武野田線「川間駅」~流鉄線「流山駅」。その1。「清水公園」今昔。座生沼。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

  • 菜の花。河津ザクラ。オオヒカンザクラ。カンヒザクラ。梅。そしてスカイツリー。(隅田川情景。その2。)

    隅田川堤にて。このところ急に気温が上がってきました。ソメイヨシノも花芽がふくらんできました。足もとには菜の花が満開。梅はそろそろ終わりの時期?そんな隅田川土手のようすです。※撮影が3月11日だったのでもうすっかり様変わりしているかもしれません。季節の急な変化に気分も身体もついて行けない今日このごろです。満開の満開の河津ザクラ。墨堤通りにて。オオヒカンザクラが咲き始めました。11日の開花状況。ところが、14日には。ほぼ満開に。高速道路下には、カンヒザクラ(寒緋桜)。鮮やかな緋色。解説板。桜の原種の一つ。ベトナム、中国南部、台湾、沖縄、石垣島、奄美大島に分布する。釣り鐘状の花が特徴。寒いときに濃い緋色の花を咲かせるので、「カンヒザクラ」と呼ぶ。「ヒカンザクラ(緋寒桜)」とも呼ばれる。花の色は白から濃い桃色まで様々。...菜の花。河津ザクラ。オオヒカンザクラ。カンヒザクラ。梅。そしてスカイツリー。(隅田川情景。その2。)

  • 都鳥・ユリカモメ。言問団子。言問橋。業平橋。子規。(隅田川情景。その1。)

    「都鳥」ユリカモメ。隅田川には都鳥がたくさん。そろそろ夏毛も生えてきて、まもなく北国に帰る季節。もうすぐ見られなくなります。近づいても逃げない。目と鼻の先に。桜橋にて。テラスにて。隅田川夕景。都鳥「ユリカモメ」といえば。「言問団子」の店先。名にし負はゞばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと「都」という名を持っているのなら、さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと。この歌は、『伊勢物語』の『東下り』にある歌で、主人公の「昔、男」(在原業平が想定されている)が、東国への旅の道中、隅田川で目にした鳥の名前を都鳥と聞いて詠んだ歌。『古今和歌集』では、この歌の作者は在原業平とされている。「隅田川」に架かる言問通り・「言問橋」。こちらは「大横川(親水公園)」に架かる浅草通り・「業平橋」。かつて...都鳥・ユリカモメ。言問団子。言問橋。業平橋。子規。(隅田川情景。その1。)

  • 東武線川間駅~川間駅。その6。金野井大橋。東武野田線鉄橋。川間駅。(「江戸川」を歩く。第1回目)

    まめバス「岡田河岸」バス停。ここに河岸があったのでしょうか?「海から46.5㎞」。眼下の田園風景。上流方向。「国道16号線(東京環状道路)」・「春日部野田バイパス金野井大橋」。街道歩き・川歩きでおなじみの「国道16号線」とは、ここではじめて遭遇します。下流方向。利根川によって「金野井」地区が東(左岸)西(右岸)に分かれています。遠くに東武野田線(「アーバンパークライン」)の鉄橋が見えてきます。「海から44.5㎞」。上流方向。砂州が目に付く。単線の鉄橋。大宮方面行き。船橋方面行き。路線図。(「ジョルダン」より)今回の「江戸川」歩きはここまで。「川間駅」に向かいます。江戸川と利根川の間に位置するところから、明治22年に旧中里・東金野井・船形・尾崎の4ヵ村を合併したおりに「川間村」と命名されました。昭和32年に野田市...東武線川間駅~川間駅。その6。金野井大橋。東武野田線鉄橋。川間駅。(「江戸川」を歩く。第1回目)

  • 東武線川間駅~川間駅。その5。関宿滑空場。グライダー。「海から48㎞」。(「江戸川」を歩く。第1回目)

    関宿滑空場。「海から49.0㎞」。2010年代のようす。(「歴史的農業環境システム」より)菜の花が咲く土手に座り、しばし見物。次々と飛んだり、降りたりするので、少しも見飽きません。着陸するグライダー。軽飛行機。黄色い飛行機とワイヤーでつながったグライダー。いよいよ出発です。あっという間に大空へ。「妻沼滑空場」で見たグライダーは、地上の車にワイヤーでつなぎ(ウインチ曳航)、宙に浮くと外れて(外して)滑空するものでした。妻沼滑空場にて。「NPO法人関宿滑空場」格納庫。さあ、出発です。ちょうどこの日(3月5日)に飛んでいた方の投稿記事を見つけました。以下借用させていただきます。※小生が見物していた時間は、午後1時半過ぎでした。・・・「京浜ソアリングクラブ」HPより通常活動日の3月6日(日)は冬型の気圧配置で強い北西風...東武線川間駅~川間駅。その5。関宿滑空場。グライダー。「海から48㎞」。(「江戸川」を歩く。第1回目)

  • 3月11日「東日本大震災」から11年目。福島第一原発事故から11年。「学習会」講演記録。

    爆発後の3号機原子炉建屋の外観(2011年3月15日撮影)現在のようす。「東日本大震災」から11年が経ちました。地震発生当時、新宿の都庁にいて、大きな縦揺れ、横揺れでただ座席に座り込んでいたのを、昨日のように思います。その日の夕方、同僚が「原発があぶない」と。すぐ福島にいた娘さんに「早く避難した方がいい」と連絡していたことが印象深く残っています。その後の推移をみると、ひとたび原発事故が起こると、人々の生命や暮らしが大変な事態になるという現実を思い知らされます。ウクライナでロシア軍がチェルノブイリ原発に攻撃をした、他の原発にも砲弾を、という報道を見聞きするたびに、「福島原発事故」の悲惨さ、現状をきちんととらえ直す必要がある、と。昨年12月、下記のような講演会に参加しました。発言内容を参加した方で発言内容をPCにそ...3月11日「東日本大震災」から11年目。福島第一原発事故から11年。「学習会」講演記録。

  • 3月10日。「東京(下町)大空襲」から77年。(附)墨田区立第二寺島小学校の「くすのき」。

    焦土と化した本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(「Wikipedia」より)。右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館(※この建物は戦後、「「日大講堂」となる。1983年(昭和58年)老朽化が激しくなっていたため、解体。解体後の跡地には複合ビル施設の「両国シティコア」が建設された。)「太平洋戦争」末期。昭和20年(1945)3月10日未明。米軍の絨毯爆撃によって、東京の隅田川東部の本所、深川、向島といった下町を焼け尽くしたときから、すでに76年の月日が流れました。このブログでも取り上げたことがあります。①で掲載した府立三中(現両国中・高校)は、この時の惨禍を悼み、その後、3月10日には「卒業式」という晴れがましい催しを行わない伝統があったそうです。このブログでも何回か取り上...3月10日。「東京(下町)大空襲」から77年。(附)墨田区立第二寺島小学校の「くすのき」。

  • 東武線川間駅~川間駅。その4。大凧あげ祭り。いちいのホール。将棋・関根名人。(「江戸川」を歩く。第1回目)

    野田・関宿と春日部・西宝珠花を結ぶ幹線道路のようで、車がけっこう行き来しています。「↑松戸流山→春日部」。左手奥に「関宿中央(バス)ターミナル」があります。朝、東武線・川間駅から朝日バスに乗り、ここで、「野田市まめバス」に乗り換え、「関宿城博物館」へ向かいました。「宝珠花橋」東詰。「海から51.0㎞」。橋のたもとにあるモニュメント。海運が盛んだったことを偲ばせる。サッカーグランド。この対岸の河川敷が「大凧あげ祭り会場」になっています。5月の連休。薫風の大空に、縦15m・横11m・重さ800kgの2張の大凧が飛揚大凧の歴史大凧に関する史料の初出は西宝珠花にある小流寺の過去帳である。この過去帳によれば、天保12年(西暦1841年)9月11日に出羽の国の僧「浄信」が、各地巡礼の折に小流寺に宿泊し、土地の人々を集めて養...東武線川間駅~川間駅。その4。大凧あげ祭り。いちいのホール。将棋・関根名人。(「江戸川」を歩く。第1回目)

  • 東武線川間駅~川間駅。その3。渡良瀬遊水池ヨシ焼き。「海から55.0㎞」。関宿。宝珠花橋。(「江戸川」を歩く。第1回目)

    3月5日(土)。利根川と江戸川の分岐点から目撃した、怪しげな雲の正体は、渡良瀬遊水池ヨシ焼きの煙だったのですね。4市2町などでつくる「渡良瀬遊水地ヨシ焼き連絡会」が害虫駆除や湿地の環境保全などを目的に実施している。昨年は荒天で中止したため、2年ぶりとなった。午前8時半、遊水地の各所で一斉に火入れ。土手に並んだ見学者は、ヨシが春風にあおられ燃え上がる様子を写真に収めていた。同会は「例年より早く燃えた。ドローンも使い、鎮火確認もスムーズにできた」とした。(この項、「下野新聞チャンネル」HP。映像は「YouTube」より))※栃木市内でもそのときの灰が降ってきたようです。閑話休題。さて、「江戸川」歩きの続き。眼下の田園風景。歩き始めたときを除き、江戸川の水面をはっきり見る機会がなかったのですが、ここでやっと身近に。「...東武線川間駅~川間駅。その3。渡良瀬遊水池ヨシ焼き。「海から55.0㎞」。関宿。宝珠花橋。(「江戸川」を歩く。第1回目)

  • 東武線川間駅~川間駅。その2。関宿城趾。関宿城大手門跡(「とんかつ合掌」)。(「江戸川」を歩く。第1回目)

    利根川の向こうには相変わらず怪しげな雲が。土手下を見ると、何やら石碑が。遠回りしてそこへ向かいます。「関宿城趾」碑。「関宿城博物館」の南西500mほどの江戸川河川敷一帯が、「関宿城」だった。城跡は度重なる河川改修のため、3分の2が江戸川土手の下になり、さらに田畑の開発で、小さな雑木林の中に関宿城本丸跡(碑)が残るのみ。北に「関宿城博物館」の模擬天守閣が見える。解説板。東を望む。そのまま土手下の道を進む。この先、左手に、関宿城大手門と城を囲む土塁・堀。関宿城は利根川、江戸川、逆川に挟まれ、城の周りに土塁と堀を巡らした堅牢な守りの平城でした。本丸を取り囲む二の丸や三の丸、発端曲輪、天神曲輪の他、その南側には家臣団の屋敷が置かれました。ここは、大手門があった場所で、野田方面から北上する日光東往還が関宿城に接する表玄関...東武線川間駅~川間駅。その2。関宿城趾。関宿城大手門跡(「とんかつ合掌」)。(「江戸川」を歩く。第1回目)

  • 東武線川間駅~川間駅。その1。利根川との分岐点。浚渫船。「海から59.25㎞」。菜の花。(「江戸川」を歩く。第1回目)

    「利根川」から「江戸川」が分岐する地点。右が利根川、左が江戸川。そこからの江戸川。3月5日(土)。晴れ。さっそく、「関宿城博物館」までやってきました。東武線「川間駅」からバスを乗り継いで、10時前に「関宿城博物館」へ。そこから「利根川」と「江戸川」との分岐点まで歩き、そこから江戸川土手を、再び東武線「川間駅」まで。利用した鉄道は「川間駅」から「川間駅」というわけです。まず「江戸川」について。総延長59.5㎞。茨城県猿島郡五霞町と千葉県野田市の境界付近にある関宿分基点(関宿水閘門のやや上流)で利根川と分かれ、千葉県と埼玉県、東京都の境を南に向かう。千葉県市川市付近で、本流である江戸川と旧流路である旧江戸川に分かれる。現在の江戸川の最下流部は放水路として建設され、行徳可動堰(江戸川河口堰)を通り、千葉県市川市で東京...東武線川間駅~川間駅。その1。利根川との分岐点。浚渫船。「海から59.25㎞」。菜の花。(「江戸川」を歩く。第1回目)

  • 東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その5。東北新幹線。利根川橋。房川渡し。栗橋関所趾。(利根川を歩く。第18回目。)

    「東北新幹線」。橋脚付近でも護岸工事が進んでいます。なかなか土手に上がる道がないまま、県道を進みます。整備が進む道路。土手に近づく。新設された土手に上がる階段。上は未整備の公園と整備された土手の道。久々に見る利根川の流れ。東北新幹線の橋脚と筑波山。栗橋(宿)の街並み。宿場だった栗橋には「日光街道(道中)」歩きの際に通過しました。栗橋宿日光街道の江戸・日本橋から数えて7番目の宿場であるが、当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっており、両宿合わせて一宿とする記述もある。この地は利根川の渡河地点にあたり、日光街道から江戸への出入りを監視する関所が置かれ、江戸の北方を守る要地であった。街道が整備される以前に町は無く、日光街道は手前の幸手宿から北東に向かった栗橋村(後に元栗橋村に改称、現・茨城県猿島郡五霞町元栗橋)に...東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その5。東北新幹線。利根川橋。房川渡し。栗橋関所趾。(利根川を歩く。第18回目。)

  • 河津ザクラ。ウメ。隅田公園。+曳舟川・めだかの小道。

    めっきり春らしくなりそうな気配。まだまだ寒の戻りもありそうですが。今朝の隅田公園。例年より少し遅れ気味だった河津ザクラ。やっと鮮やかな花が咲き始めました。水鳥がたくさん水面に。殺風景な冬景色から少しずつ木々の花が色づき、葉も薄緑色に。ソメイヨシノも花の芽が出始めてきました。もうすぐ春の賑わいに。ウメの花も。ちょっと気が早いですが、長命寺の桜餅でも買って帰りましょうか。(追)曳舟川の河津ザクラ。河津ザクラ。ウメ。隅田公園。+曳舟川・めだかの小道。

  • 東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その4。新利根川橋。赤堀川。五霞町。(利根川を歩く。第18回目。)

    河川敷の工事が盛んに行われています。新利根川橋。国道4号線・春日部古河バイパスが通る。茨城県猿島郡五霞町と茨城県猿島郡境町との間の利根川(赤堀川)を渡る、国道4号春日部古河バイパスの橋である。1981年(昭和56年)4月7日に日本道路公団が建設し、20年の償還期間を設けた有料道路として、往復2車線の暫定供用を開始した。2001年(平成13年)4月7日に無料開放され、国道4号春日部古河バイパスの一部として管理されている。なお橋脚・橋台等の下部工は竣工時から往復4車線分準備していたものの、長らく暫定2車線のままであった。その後、圏央道の建設工事に並行する形で、4車線化工事を実施し、2015年(平成27年)3月27日に4車線化された。上流の利根川橋の交通量の負担軽減が、架橋目的の一つであったが、有料橋だった当時、通行...東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その4。新利根川橋。赤堀川。五霞町。(利根川を歩く。第18回目。)

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