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2009/04/07

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  • 東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その3。関宿水閘門。旧水位観測所。圏央道。(利根川を歩く。第18回目。)

    「関宿水・閘門」。手前が「水門」。奥が「閘門」関宿水門(上)旧水位観測所。中の島公園に隣接する「関宿水閘門」は,利根川から江戸川へ入る水量を調整する水門と,船の運航のために水位を調整する閘門となっています。建設工事は,江戸川流頭部の改修工事に伴い,1918(大正7)年に着工,1927(昭和2)年竣工しました。現在,閘門機能は河川交通の衰退とともにその役目を終えました。2003年には,社団法人土木学会がその歴史的価値と,利根川改修事業のシンボル的存在として,同学会推奨土木遺産に認定されました。関宿水閘門概略図利根川方向江戸川下流方向関宿水門大正7年に着手し,昭和2年に完成しました。関宿閘門(こうもん)閘門は現在、常時開いています。旧水位観測施設昭和38年~63年の25年間,水位を観測してきました。現在は水晶式観測...東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その3。関宿水閘門。旧水位観測所。圏央道。(利根川を歩く。第18回目。)

  • 東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その2。栗橋へ。中の島公園。江戸川。(利根川を歩く。第18回目。)

    さて、栗橋へ歩き始めます。10㎞ほどなので、2時間半くらいで着くだろうと。ところが、猛烈な北風に向かって進むので、土手の道はけっこうしんどい。さらに護岸工事中のため、通行止めがあって迂回するなどして思ったよりも時間がかかりました。それでも、「利根川」歩きの初日の出発地まで到達。そして、東武日光線「栗橋駅」まで。前方が利根川土手。前回は右手の堤を必死に駆け上がりました。建物を回り込み、裏手へ。江戸川沿いの道に出ます。江戸川と利根川の合流点まで道があるようです。博物館の係員に聞いたところ、工事用の道路があるが、今日はぬかるんでいて大変だと思う、とのこと。そこへは「江戸川歩き」の時に行くことにし、「中の島公園」へ。この付近から、しばらくは「茨城県猿島郡五霞町」になります。1880年代のようす。「権現堂川」以北が現在の...東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その2。栗橋へ。中の島公園。江戸川。(利根川を歩く。第18回目。)

  • 東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その1。関宿城博物館。(利根川を歩く。第18回目。)

    ということで、関宿城博物館を改めて訪問。そして、上流編の出発地・栗橋まで歩こうという算段。2月23日(祝)。快晴。しかし、北風、猛烈に強し。土手上は吹き飛ばされそうで、強風に向かっての歩行。途中、護岸工事の警備員さんから「風に飛ばされないよう、気をつけて下さいよ」と激励(注意)されます。「川間駅」からバスを乗り継ぎ、ようやく10時前に「関宿博物館」に到着。さっそく城内へ。アプローチには、蛇籠とは、災害復旧および河川改修の時に使われる工法の一つで、竹で亀甲状に編んだ円筒状の籠の中に自然石などを詰めて川底に入れ、川の流れを止めたり、弱めたりするものです。現在は素材は竹だけではなく、メッキをした鉄線で、護岸・根固め・水制・床止め・耐震・擁壁・排水といった、様々な目的で用いられています。蛇籠の名称の由来は、「形が蛇に似...東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その1。関宿城博物館。(利根川を歩く。第18回目。)

  • 東武線「野田市駅」~「川間駅」。その3。関宿滑空場。境大橋。日光東往還。関宿城博物館。(利根川を歩く。第17回目。)

    少し空が明るくなってきました。この分では雨に降られずに「関宿城」までたどり着けるか。「海から115㎞」。中洲のような砂地が目立ちます。グライダーの姿(↓)。方角からみて、江戸川河川敷にある「関宿滑空場」を飛び立ったようです。空を飛ぶことが好きな愛好家が操縦するグライダーが飛んでいます。昭和45年(1970年)に運用を始めたわが国で面積が最大の公共用滑空場です。草地の滑走路は長さ1500m、幅100m。昭和63年(1988年)には「房総の魅力500選」にも選ばれています。2棟の格納庫に加え80人が宿泊できる施設があります。(「NPO法人関宿滑空場」HPより)関宿の街並み。「海から118㎞」。遠くに「関宿城博物館」が見えてきます。「海から119㎞」。左手遠くに「関宿城」。境大橋。「海から120㎞」。日光脇街道上の茨...東武線「野田市駅」~「川間駅」。その3。関宿滑空場。境大橋。日光東往還。関宿城博物館。(利根川を歩く。第17回目。)

  • 東武線「野田市駅」~「川間駅」。その2。ハングライダー。下総利根大橋。ラジコン。利根川河川敷の火災。(利根川を歩く。第17回目。)

    「海から108.0㎞」。眼下の野田市木間ケ瀬地区。「関宿城」はまだまだ遠い。工事専用道路が続く。足もとには咲き始めた菜の花。上空にはハングライダーが悠々と旋回中。うっすらと遠くに筑波山。田園風景が広がる。「海から110㎞」。携帯電話無線塔?防災無線塔?気の毒なくらい、まばらな菜の花ですが。「海から111㎞」。遠くに「下総利根大橋」が。利根川を架橋し、茨城県坂東市と千葉県野田市を結ぶ有料道路です。当有料道路整備により、地域住民の生活圏の拡大、茨城千葉両県の交流増進、首都圏近郊農業の振興等により、地域の活性化に寄与しております。(この項、「」HPより)※開通後、30年間の有料期間ー普通車210円、大型車(I)320円、大型車(II)730円、軽車両等20円ーが終了し、1990年(平成2年)1月11日無料化になった。...東武線「野田市駅」~「川間駅」。その2。ハングライダー。下総利根大橋。ラジコン。利根川河川敷の火災。(利根川を歩く。第17回目。)

  • 東武線「野田市駅」~「川間駅」。その1。芽吹大橋。ノスリ。海から105.0㎞。(利根川を歩く。第17回目。)

    対岸を望む。2月19日(土)。午後から雨との予想もありましたが、利根川までやってきました。前回の終了地点だった「野田スポーツ公園」までの「まめバス」の到着時間がうまく合わないので、野田市駅から岩井車庫に向かう「茨城急行自動車」に乗って「芽吹大橋南詰」まで。約4㎞省略。その分、海から121㎞地点にある「関宿城博物館」まで歩けるか、と。一方、「まめバス」の「関宿城博物館」出発時間に間に合わないと、前回同様、2時間以上待つことになります。そこで、最後は大慌て。そんなバタバタの記録です。「芽吹大橋」。岩井市莚打と野田市目吹を結ぶ県境の橋で、「(茨城・千葉)県道3号線」が通過。※莚打は「ムシロウチ」と読む。※「芽吹」は、地名としては野田市「目吹」。茨城県・千葉県によって計画され、1958年(昭和33年)に日本道路公団の管...東武線「野田市駅」~「川間駅」。その1。芽吹大橋。ノスリ。海から105.0㎞。(利根川を歩く。第17回目。)

  • 今日は、「にゃんにゃんにゃんこ」の日だそうで。

    2022年2月22日。「2」が5つも並ぶ日に。そこで、マスコミも「にゃん」「にゃん」「にゃん」「にゃん」「にゃん」と。我が家にも猫が2匹。「ニャン」「ニャン」というわけです。2才になった雌の「アンズ」と5ヶ月を過ぎた雄の「ソウタ」。猫たちとのおつきあいもかれこれ40年以上に。最初は神社に小さな段ボールに入った、生まれたばかりの猫の兄妹。「タロウ」と「モモ」。あわせて「桃太郎」。20年近く面倒を見てきました。友人から頼まれ、「育ててくれる」と言った息子も、もう40才を過ぎました。次々に亡くなった後、娘夫婦の猫たちの面倒も見てきましたが(といっても、ほとんどかみさんの世話ですが)、その猫たちも年を取って亡くなり、と思っていると、新しく動物病院で預かっていた「アンズ」が。一人じゃかわいそうといっているうちに、船橋に住...今日は、「にゃんにゃんにゃんこ」の日だそうで。

  • 旧台東区立坂本小学校校舎。関東大震災後建てられた「震災復興小学校」の一つ。

    今朝の「朝日新聞」都内版に「旧台東区立坂本小学校」が掲載されていました。すでに廃校となっていましたが、その後どうするか、さまざまな意見があったようです。ようやく暫定案ができ、結果的には解体して更地になるようです。関東大震災後に建築された「復興小学校」の一つ。公園と一体化した「震災復興小公園」事業とは別に建てられた校舎です。以前掲載したことがありますので、再掲します。2013ー10ー27今回は、公園を伴わない「復興小学校」の一つで、現在も残り、活用されている校舎を訪ねました。「台東区立坂本小学校」。ここで、「復興小学校」についてのおさらい。(以下「Wikipedia」参照。)復興小学校は、1923(大正12)年には発生した「関東大震災」後に復興事業の一環として建築された一連の小学校の総称です。関東大震災により、東...旧台東区立坂本小学校校舎。関東大震災後建てられた「震災復興小学校」の一つ。

  • 利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その6。つくばエクスプレス。利根運河。大利根温泉。道標。野田スポーツ公園。

    「柏市サイクリング道路」となります。遠くに柏市の街並み。「海から91㎞」。「海から94㎞」。つくばエクスプレス。正面遠くに筑波山。「海から95㎞」地点。左は、「常磐自動車道」。「利根運河」水門。利根運河。「利根運河遊歩公園」。解説板。利根川から江戸川までの水路が示されています。利根運河の水門を回り込み、利根川の土手に。右手にゴルフ場が広がっています。「クリアビューゴルフクラブ&ホテル」。「海から97.5㎞」。この先で土手の道は途切れてしまいます。ホテル脇の道を通って「県道7号線」へでます。しばらくは県道歩き。野田市まめバス停留所「大利根温泉」。1958年(昭和33年)、住宅用ガス供給のために天然ガスを採掘したところ、温泉が湧出した。1964年(昭和39年)に地産が経営に乗り出し、温泉プールやゴルフ場が併設するレ...利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その6。つくばエクスプレス。利根運河。大利根温泉。道標。野田スポーツ公園。

  • 雨水(うすい)。2月19日(土)。三寒四温。朧月夜。雛飾り。ミニ・ダム。

    (写真は、「暦生活」より)暦の上で今日が「24節気」の2番目「雨水」です。「立春」(2月4日)から数えて15日目ころ。3番目の「啓蟄」(3月5日)までの期間を指します。『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越えたと見ることもできる。(「Wikipedia」より)※余談ですが、「新型コロナ感染症」第6波もようやくピークを迎えたようです。一方で、高齢者の感染増加や死者が増えています。かえって油断してはならない時期となっているようです。まさに自然現象の推移と同じかも知れません。雨水(うすい)とは、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。草木が芽生える頃で、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。春一番が吹くのも...雨水(うすい)。2月19日(土)。三寒四温。朧月夜。雛飾り。ミニ・ダム。

  • 利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その5。古利根沼。小堀の渡し。田中調整池越流堤。七里ヶ渡

    「海から77㎞」ポスト。左の道は「県道170号」。「利根川ゆうゆう公園」。オフロードのサイクリングコース。何人か練習しています。この先には、サッカー場と野球場のほか、ピクニックテラスなどがあります。「仲馬倶楽部」。遠くに日光連山。「海から80㎞」。突然、左下の道路際に「茨城県取手市」の標識が。ここまでの道筋は、「千葉県我孫子市」でしたが。正面の道路から右側一帯が取手市になります。どういうわけ?実は、かつての利根川の流路にあたるのが、現在の「古利根沼」。流路変更によって現在の利根川になりましたが、そのまま取手市の一部(小堀地区)が利根川をはさんで残っているわけです(↓)。川の付け替えが行われたことで、取手市(当時は取手町)の飛び地ができてしまったのです。(「今昔マップ」より)また地名の「小堀」は「こぼり」ではあり...利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その5。古利根沼。小堀の渡し。田中調整池越流堤。七里ヶ渡

  • 利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その4。若草大橋。木下・布佐河岸。手賀川。そして、天使のささやきの日。

    田園地帯が広がる。対岸にある「大利根飛行場」。印旛水門。ここからは、1月22日(土)。長門川利根川と北印旛沼とを連絡する役割を果たす。それゆえ短区間ながら印旛沼水系全体に係る流域を擁し、印旛地域の水量調節に活用される治水上重要な河川である。事実上印旛沼唯一の流出河川となっている。(「Wikipedia」参照)川面にはモーターボートが。「海から67㎞」。「生板鍋子新田」。何と読むのでしょうか?「まないたなべこしんでん」。対岸の茨城県稲敷郡河内町にも同名の地名があります。「大徳鍋子新田」という地名も。由来は?家並みが増えてきます。「若草大橋有料道路」が間近に。若草大橋有料道路につきましては,利根川の上流と下流に架橋されていた栄橋及び長豊橋の渋滞緩和を目的に,茨城県道路公社が有料道路事業により平成18年に建設し,その...利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その4。若草大橋。木下・布佐河岸。手賀川。そして、天使のささやきの日。

  • 利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その3。神崎大橋。道の駅発酵の里こうざき。圏央道。常総大橋。長豊橋。

    ハングライダー。利根川上空を悠々と旋回中。河川敷の発着場。「神崎大橋」。「海から49㎞」ポスト。これだけ長い橋で歩道(側道)がなかった時、歩行者・自転車は渡るのにけっこうヒヤヒヤした、と。神崎町。対岸の東町。「柏46㎞・栄18㎞」。遠くに「圏央道」の橋脚が。「海から51㎞」ポスト。その先を左折して「道の駅発酵の里こうざき」に向かいます。千葉県神崎町の「道の駅発酵の里こうざき」は、全国初の「発酵」をテーマとした道の駅。地元をはじめ全国の発酵食品を取り揃えた「発酵市場」がユニークです。味噌や甘酒、それにお酒と品ぞろいも豊か。創業300年を超える2軒の蔵元を中心に、酒、味噌、醤油など発酵文化で栄えた「神崎町」を具体的に表した道の駅です。けっこう賑わっています。最寄り駅から歩くと遠いですが、もう一度来てみたい道の駅でし...利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その3。神崎大橋。道の駅発酵の里こうざき。圏央道。常総大橋。長豊橋。

  • 利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その2。小見川大橋。東関東自動車道。鹿島線。水の郷さわら。

    「海から27.0㎞」ポスト。「小見川大橋」。JR水郷駅の付近。「利根川」から「常陸利根川」=霞ヶ浦から流れ=にかけて、田んぼが広がっています。2010年代のようす。正面遠くに筑波山。「海から32.0㎞」ポスト。「東関東自動車道・利根川橋」。その先には、「鹿島線」の鉄橋。来た道を振り返る。手前が「鹿島線」鉄橋。奥が「東関道」の橋脚。香取駅に向かう電車。利根川に架かる鉄橋。右手、対岸遠くに筑波山が見えています(正面奥)。川面には、たくさんの水鳥。川辺に大きな鳥居。「浜鳥居・常夜灯・与謝野晶子歌碑」。ここに建立されている常夜灯(香取市指定文化財)は、明和6年(1769)に三社参詣の講中の人々が航路の安全を祈願し香取神宮に奉納した。高さは2.8まり、利根川を行き交う船の目印となった。その傍らに、歌人与謝野晶子の歌碑があ...利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その2。小見川大橋。東関東自動車道。鹿島線。水の郷さわら。

  • 利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その1。銚子漁港。銚子大橋。利根かもめ大橋。利根川河口堰。

    「海から0.5㎞」標識。やっと「海から100㎞」地点をクリアしたので、総集編を。日本最大の流域面積をもつ「利根川」は、別名を「坂東太郎」といい、群馬県北部の大水上山に源を発し、徳川幕府の「利根川東遷事業」により、群馬、埼玉、千葉と関東平野を貫流し、銚子市から太平洋に注ぐ。その延長は322㎞で、日本で2番目の長さ。JR総武本線「銚子駅」から銚子電鉄に乗り換え、「本銚子駅」で下車。ここから漁港まで歩き、スタート。銚子港突端にある「千人塚」からの銚子漁港と利根川のようす。銚子漁港に停泊するたくさんの大型船。水揚げなど活気のある時間帯を過ぎてしまいました。しばらく進んだところにある「ミロツ鼻跡」碑の裏の岸壁に「0㎞」表示があったようです。利根川河口に1962(昭和37)年に対岸の茨城県波崎町(現神栖市・かみすし)とを結...利根川(河口~100㎞地点)。総集編。その1。銚子漁港。銚子大橋。利根かもめ大橋。利根川河口堰。

  • 小村井・「香梅園」。ちょっと時期が早いか。それでもメジロが蜜を吸いに。2月12日(土)。

    東京地方。今年の梅の開花は例年より少し遅いようです。小村井・香取神社にある「香梅園」もそんな印象。それとも、こちらがせっかちなのか。梅によっては、まだまばらな咲き具合。それでもメジロが数羽、満開の梅の花の蜜を吸いに来ていました。○。遠くにスカイツリー。「小村井梅園の由来」解説板。(昨年の画像)小村井梅園は江戸時代に作られ、当時の名所案内にも数多く紹介された江戸近郊の梅の名所です。香取神社の東側に位置し、小村井村字出戸511番に3千3百坪の広さを持ち、切り絵図には「梅屋敷名主小山孫左衛門年毎御成有」と記され、毎年花の盛りには将軍家の御成りがあり、御成り梅の名も残っていました。紅梅白梅と姿良く、また老樹も多く、大きな実も穫れました。園内には、築山や池に名石が組まれ、東西に亘り松の大木が二列に立ち並び、鴨・鷺など多く...小村井・「香梅園」。ちょっと時期が早いか。それでもメジロが蜜を吸いに。2月12日(土)。

  • JR天王台駅~東武線野田市駅。その6。野田スポーツ公園。海から100㎞。キッコーマン醤油。(利根川を歩く。第16回目。)

    のどかな田園風景。もう少し利根川寄りの道もあるようですが、バス通りを進みます。右に曲がると、いきなり前方が開けてきて、利根川の土手になります。正面に筑波山。左がスポーツ公園、右がゴルフ場とグランド。ゴルフ場は「野田市開発協会」の管理施設で、隣接する「野田市スポーツ公園」の施設として運営されています。「市民特割」、「市民デー」、「レディース&シニアデー」などが「パブリック」という趣旨に沿った催しがあるようです。河川敷の「ひばりコース」、丘陵の「けやきコース」の二つがあります。「ひばりコース」。「けやきコース」。左側に「スポーツ公園」広場。土手を望む。「海から100.0K」。河口(銚子港)からようやく「100㎞地点」に到達しました。もう少し感動深い標識かと思いましたが、・・・。下流方向を望む。少し先まで歩こうと思い...JR天王台駅~東武線野田市駅。その6。野田スポーツ公園。海から100㎞。キッコーマン醤油。(利根川を歩く。第16回目。)

  • JR天王台駅~東武線野田市駅。その5。クリアビューゴルフクラブ。大利根温泉。道標。(利根川を歩く。第16回目。)

    利根運河の水門を回り込み、利根川の土手に。標識を見ると、河川管理境界が「国土交通省利根川上流河川事務所目吹出張所」に。管理境界からすると、ここからが上流ということに。右手にゴルフ場が広がっています。「クリアビューゴルフクラブ&ホテル」。ゴルフ場脇の道を進む。「海から97㎞」ポスト。「海から97.5㎞」。この先で土手の道は途切れてしまいます。振り返る。ホテル脇の道を通って「県道7号線」へでます。しばらくは県道歩き。このホテルは、宿泊してのゴルフや打ち上げの会場としても利用されているようです。野田市まめバス停留所「大利根温泉」。1958年(昭和33年)、住宅用ガス供給のために天然ガスを採掘したところ、温泉が湧出した。1964年(昭和39年)に地産が経営に乗り出し、温泉プールやゴルフ場が併設するレジャー施設「大利根温...JR天王台駅~東武線野田市駅。その5。クリアビューゴルフクラブ。大利根温泉。道標。(利根川を歩く。第16回目。)

  • JR天王台駅~東武線野田市駅。その4。つくばエクスプレス。利根運河。(利根川を歩く。第16回目。)

    鉄橋を電車が通り過ぎていきます。鉄橋をあっという間に通過。「守谷駅」(茨城県)に向かう電車。けっこう早い!「柏たなか」駅に向かう電車。正面遠くに筑波山。つくばエクスプレス最高速度130km/h(通常125-129km/h)と高速で運転を行っており、秋葉原駅-つくば駅間58.3キロメートル(km)を最速45分(快速)で結ぶ。全線で自動列車運転装置(ATO)による自動運転を行い、運転士は乗務するが、車掌は乗務しないワンマン運転を実施。全駅に可動式ホーム柵を装備するなど、自動化技術を多く採用している。2005年(平成17年)8月24日に開業。関東地方の主要幹線の中では最も歴史が浅く、既成市街地の地上における用地買収を避けて約25%の区間が地下に建設された。起点側の秋葉原駅-八潮駅間は南千住駅から荒川橋梁(北千住駅-青...JR天王台駅~東武線野田市駅。その4。つくばエクスプレス。利根運河。(利根川を歩く。第16回目。)

  • 隅田公園。2022。梅めぐり散歩道。スカイツリー。早春賦。

    そろそろ梅の季節。隅田公園の梅はどうかしら?と。昨日(2月8日)夕方、立ち寄ってみました。梅めぐり散歩道梅と日本文化梅は遣唐使がもたらした花木で、たちまち日本人に愛されるようになりました平安時代になり、梅は上流社会の流行花木になり、和歌などに多く歌われました。梅にまつわる話では、菅原道真が太宰府に左遷されたとき、庭の梅があとを追って飛んだ「飛梅伝説」有名です。安土桃山時代には中国で愛されてきた松竹梅が日本化され、江戸時代からめでたいデザインとして、鏡、櫛、衣装、陶磁器などに描かれるようになりました。また江戸時代には、梅の品種が改良され、白、八重、一重、枝垂れなど200種以上の品種が創られ、梅の名所が各地に創られるようになりました。江戸幕府開府から400年を経て、ここ隅田公園に桜に先駆けて春の訪れを知らせる梅を植...隅田公園。2022。梅めぐり散歩道。スカイツリー。早春賦。

  • JR天王台駅~東武線野田市駅。その3。柏市サイクリング道路。田中調節池。(利根川を歩く。第16回目。)

    「柏市サイクリング道路」となります。遠くに柏市の街並み。風が冷たい!振り返る。新大利根橋。「海から91㎞」。サイクリング道路らしく何人も通過。田畑の中にこんもりした森の一画。何かいわれがあるのでしょうか?舗装道路で歩きやすい。遠くに高層住宅(柏市)。「海から92㎞」。遠くに「つくばエクスプレス」の橋脚が見えています。ラジコン飛行機が。視界が広がる。田中調節池。田中調節池は、鬼怒川の合流点にある菅生調節池とともに1926年(大正15年)に鬼怒川改修計画の一環として立案、1960年(昭和35年)に概成した。調節池の敷地は、昭和初期の段階で湿地や沼沢地であったが、第二次世界大戦後は食糧難から開拓が進むなど土地利用が進んだ。このため調整池の計画も調整を余儀なくされた歴史がある。その後、利根川の対岸に完成した稲戸井調節池...JR天王台駅~東武線野田市駅。その3。柏市サイクリング道路。田中調節池。(利根川を歩く。第16回目。)

  • JR天王台駅~東武線野田市駅。その2。菜の花。新大利根橋。七里ヶ渡の碑。(利根川を歩く。第16回目。)

    遠くに筑波山が頭だけのぞかせています。我孫子市方向。この付近の今昔。1880年代のようす。一帯は湿地・沼地でした。2010年代のようす。整然とした田畑。上部に「田中調整池越流堤」。前方左手に「新大利根橋」が見えてきます。砂利道に。利根川が河川敷の向こうに。ハウス栽培。前方左が柏市方向。ラジコン飛行機を飛ばす準備。「海から89㎞」。足もとの土手には菜の花がさきはじめています。この先、斜面には菜の花(もしかしたら「セイヨウカラシナ」?)が群生しています。本格的な開花にはまだ先のようですが。満開には見事な菜の花の群生に。菜の花を見ようと、少年達の歓声が聞こえる河川敷の野球場の手前で土手を下ります。前方に「新大利根橋」。荒川を遡る。熊谷桜堤は、ちょうど菜の花とサクラの共演のときでした。4月3日(土)。今回はどの付近の歩...JR天王台駅~東武線野田市駅。その2。菜の花。新大利根橋。七里ヶ渡の碑。(利根川を歩く。第16回目。)

  • JR天王台駅~東武線野田市駅。その1。白雪の富士。田中調整池越流堤。(利根川を歩く。第16回目。)

    2月5日(土)快晴。北西の風、すこぶる強し。「国道6号線(水戸街道)・大利根橋」からスタートです。日差しは暖かく感じますが、風が冷たい一日。今回は「海から100㎞」地点を目指して。「二号排水路」。「二号排水路」は、「利根運河」から利根川沿いに右岸の農地を通り、ここまで続きます。左手遠くに「富士山」(↓)。白雪の富士。田畑が広がります。「海から86㎞」ポスト。ということは残り14㌔と、軽く考えていました。が、何しろ北西の風に向かって歩くのですから、けっこうしんどい!遠く、我孫子市の街並み。対岸は、取手市。白い建物は、「江戸川学園取手中学校・高等学校」?東を望む。しばらく行くと、土手の道は通行禁止に。その先は「田中調整池越流堤」のようです。ここまでの堤防の高さより一段低くなっていて、堤防が頑丈に造られています。実は...JR天王台駅~東武線野田市駅。その1。白雪の富士。田中調整池越流堤。(利根川を歩く。第16回目。)

  • 立春。2月4日。飛び梅・菅原道真。春一番・キャンディーズ。春告鳥・ウグイス。雪解け・一茶。

    一重寒紅(ひとえかんこう)旧暦では、一年のはじまりは立春からと考えられていました。「二十四節気」も立春から始まります。そのため、節分や八十八夜など、季節の節目の行事は立春を起点として定められています。梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の兆しがところどころで見られます。「七十二項侯」では三分割して・初侯 2月4日〜2月8日頃東風解凍はるかぜこおりをとく暖かい春の風が、冬の間張りつめていた氷を解かし始める頃。春先に東から吹いてくる風を「東風」といいます。東風は「こち」とも読みます。「東風」というと、菅原道真の歌を想起します。道真が太宰府に左遷されたとき、邸の梅の花に別れを惜しんで詠んだと伝わっています。道真は学問の神様として「天神様(天満宮)」として崇められています。東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な...立春。2月4日。飛び梅・菅原道真。春一番・キャンディーズ。春告鳥・ウグイス。雪解け・一茶。

  • 2月3日。節分。追儺(ついな)・鬼やらい。豆まき。鬼ごっこ。柊鰯。恵方巻き。

    梅の花が咲き始めています。(「向島百花園」正門横)今日、2月3日は「節分」。旧暦では1月3日。新春を迎えたばかりです。そして、明日は「立春」。※「春節」は、中国・中華圏における旧暦の正月(旧正月)。全世界の華人にとって最も大切で伝統的な祝日。2022年の春節は2月1日(火)で、休みの期間は1月31日から2月6日までの7連休になる。「節分」とは「季節を分ける」という意味。そのため、季節の変わり目として二十四節気の「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の前日が節分となります。したがって、「節分」は春・夏・秋・冬ごとに4日あったわけですが、その中でも春は新年の始まりでもあることから、「節分」というと、立春の前日を指すようになりました。この行事は、古代中国で行われていた疫病を追い払うための「大儺(だいな・たいな)」とい...2月3日。節分。追儺(ついな)・鬼やらい。豆まき。鬼ごっこ。柊鰯。恵方巻き。

  • JR布佐駅~天王台駅。その3。小堀(おおほり)の渡し。かつての土手。大利根橋。(利根川を歩く。第15回目)

    河岸に船着き場が見えます。「小堀(おおほり)の渡し」の幟。近づくうちに小型船が出航、上流に向かいます。「小堀(おおほり)の渡し」は、茨城県取手市内を結ぶ取手市営の渡船(とせん)(渡し舟・渡し船)です。利根川をはさみ、市内中心部と小堀(おおほり)地区を結び運航しています。現在の渡船は令和2年3月に就航しました。船体色は、東京藝術大学美術学部長の日比野克彦氏が「市の鳥、かわせみにちなんだ、カラフルで、水面に映ったときの輝き」をイメージして、デザインしたものです。歴史かつて利根川は、取手市の南(現在の古利根沼(ふるとねぬま))を蛇行して流れていましたが、水害が絶えなかったことから利根川改修工事(明治40年から大正9年まで)が行われ、現在の形に姿を変えました。その結果、当時、地続きであった小堀(おおほり)地区は、利根川...JR布佐駅~天王台駅。その3。小堀(おおほり)の渡し。かつての土手。大利根橋。(利根川を歩く。第15回目)

  • JR布佐駅~天王台駅。その2。日光連山。海から80㎞。古利根沼・小堀。(利根川を歩く。第15回目)

    「海から80㎞」。「新布湖排水機場」。「少年野球場」。遠くに日光の山々。雪をかぶった「男体山」(↓)。「我孫子市民体育館」。「自然観察ゾーン」。細道があって、所々に説明板などが設置されています。「海から81㎞」。振り返って下流を望む。洪水警報標。「我孫子市クリーンセンター」。遠くに日光連山が(↓)。しばらく見えなかった筑波山。千葉らしい田園風景。突然、左下の道路際に「茨城県取手市」の標識が。ここまでの道筋は、「千葉県我孫子市」でしたが。正面の道路から右側一帯が取手市になります。どういうわけ?実は、かつての利根川の流路にあたるのが、「古利根沼」。流路変更によって現在の利根川になりましたが、そのまま取手市の一部(小堀地区)が利根川をはさんで残っているわけです(↓)。川の付け替えが行われたことで、取手市(当時は取手町...JR布佐駅~天王台駅。その2。日光連山。海から80㎞。古利根沼・小堀。(利根川を歩く。第15回目)

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