42.姿勢と取り組む動機づけの難しさ 姿勢と能力の関係について、一般には、無関心なのではないでしょうか。しかし、人の能力について、追求する人たちの多くは、その重要性を認めています。 しかし、教育の世界ではどうでしょう。姿勢の修正を本格的に取り組んでいる
51.権力と個の能力の綱引き SNSの出現は、社会における情報の伝達の在り方の問題の一面を明らかにしてくれたとも言えるでしょう。 社会における情報の拡散は、その共有をもとにした成員の連帯のために必要なことです。しかし、それが社会秩序の維持を重視する情報
50.情報をうのみして拡散することが引き起こす問題 次いで、理解に関して述べた後段の身近な例として、最近話題のSNSが引き起こす問題について。 今SNSによる情報の拡散がさまざまな問題を引き起こしています。その情報の中に、明らかな誤りが含まれていて、そ
49.記憶のずれと誤解 前回取り上げた理解過程の前段の相手の言うことを正しく受け止めるということで、それがそう簡単ではないということの例を一つ。 現代の神経科学の進展があきらかにしたことの中に、AがBに投げかけた言葉がBの中でどう受け止められるかと言うこ
48.受け止めと正否の判断 変容過程に最も影響があるのは、受け入れた際の理解だと言えるでしょう。我々は、人の話しを聞いて、それを自分なりに理解し、それをそのまま受け入れるではなく、正しいと思われるものを受け入れ、誤ったと思われるものを排除して、自分の中
47.「記憶」が加わる ここでは学習のプロセスを説明する際、大ざっぱに「理解・記憶・思考・表現」という言葉を使っています。読む人との間で、比較的意味が通じるだろうということで使っているわけですが、無論それはおおざっぱないい方をであって、その時に応じてどう
46.「思考」が生み出す「表現」と「表現」されたことの「理解」 さて、自分たちがやってることについて考えることを続けます。 我々は、自分で考えたことを言葉として表現するわけです。 そこにはそれを考えた人の中の「意味」が、その人の中での言葉として相手の人
44.「心」と「ことば」の定義 我々は、日頃から「心」という言葉を使います。しかし、改めて「心とは何か」ということを考えると、極めて漠然として曖昧なものだという感じがするわけです。そこで、その定義とされるものがどうなっているかを検索してみますと、それ自
43.「脳」の次元に囚われないこと 「心の働き」とされるものと「脳の働き」として捉えられるものを取り上げてきましたが、では、普通「心の働き」と言われてきたもの全てが、そのまま「脳の働き」であるかというと、そういうわけではありません。 先に「心の働きとさ
42.脳の知識が深まると 「こころ」の働きとか、単なる「あたま」の働きとか、漠然と考えていた「人の中でのはたらき」とか「能力」についての受け止め方が、「脳」いうもの、特にその働きがMRIなどを介して「見える化」したことが、我々の「能力」というものの見方を
41.以心伝心 心の働きを表す「以心伝心」と言うことばがあります。 文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うことで、もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。 その前提は、「心と心が通じる
40.こころと脳 「見える化」といえば最近テレビで取り上げられた脳インプラントという技術がありますこれを脳に直接電極を差し込んで脳の電気的活動を測定することで思考過程を読み取る技術を指すものだそうです。 人間が持つ働きの中に「こころ」と呼ばれるものがあ
39.表層筋と深層筋の例 我々が何かの運動するときは、筋肉を使用します。そこで、何かの運動の仕方とか技を人に伝えようとする際、その筋肉を表す言葉を使用するとそれが伝え易いということがあります。 そこで、その筋肉には、目で見える筋肉とそうでない筋肉があり
38.意味の共有の難易「ことば」には、その「意味」を共有することが、易しいものと難しいものがあるのではないでしょうか。そして、それが難しいことによって、その「ことば」が排除されることは、その「ことば」の意味をになう、「実」に当たるものの排除につながるとい
37.個別指導と一斉授業 「能力」の伝達形式について、広い社会と狭い社会のそれとして、対照的な二つについて取り上げてみます。 狭い社会でのそれは、例にあげた道場における師弟関係に象徴されるような個別指導でした。それに対し国民国家が成立してからの国民教育
36.「ことば」による伝達の難易を分かつのは? ここでは、言葉を「コトバと意味」あるいは「名と実」とに分けて取り上げているのですが、その「実」について、前々回取り上げたのは合気道の技でした。しかし、前回取り上げた曽参の言葉の「習わざる」が意味する「実」に
35.「習わざるを伝えしか」 前回述べたことについて、以前「個別指導のこと」で、次のようなことを述べました。指導する側は、その「実」を自分の中で確かなものにすることなく、相手にそれを伝える、そうしてはいないか、そういうことについて思い浮かぶことばが、「
34. 社会の拡がりと「ことば」の共通性の維持 前回、合気道の極意を支える能力とそれを伝える際に使われる「ことば」について取り上げました。例えば、剛体を柔体に換えることで使用が可能となる技が有るとします。その技に名がついているとすると、その「コトバ」が意
33.「古事記」のことばそこで、その特殊な感覚であるとか、高度な感覚であるとか、そういうものを表す言葉が生まれるとして、その言葉を共有するには、そういう感覚を使用することで生まれる能力の存在が受け入れられる必要があります。ここで、先に、最近、スポーツの
32.感覚と「ことば」の結びつき 「狭い社会」と言いましたが、それは現在の「広い社会」をもとに、それを細かく分けての「狭い社会」と、人類が最初のころに経験した集落とか村とか言えるような広い社会抜きの「狭い社会」とでは、違いがあるわけです。 そこで、「こ
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42.姿勢と取り組む動機づけの難しさ 姿勢と能力の関係について、一般には、無関心なのではないでしょうか。しかし、人の能力について、追求する人たちの多くは、その重要性を認めています。 しかし、教育の世界ではどうでしょう。姿勢の修正を本格的に取り組んでいる
41.自分の自然な姿勢は「見える」?前回、「姿勢を正すことが難しいのは、多くの人が持つ、自身の姿勢に関する『視覚イメージ』のほとんどが、『妄想』だからではないか」ということについて。 人は、他人の姿勢は一応「目」で見ることができます。一応と言ったのは、
40.「能力」の土台をなす「姿勢」 前々回に「視る」ことと「姿勢」のことに触れました。 人の能力について触れている著作に目を通すと、多くの分野で、「姿勢」の在り方が能力を左右することに気が付きます。 解り易いのは、老化に因っての姿勢の歪みが人の認知能
39.内視と想像と妄想 「視覚イメージ」ということについて。 まず、普通にものを目で見る、そのことについて考えてみますと、我々は、当初は、単純にそのものがそこにあり、それを自分たちは「見ている」と思っていたのではないでしょうか。その時は、何人かで同じも
38.「内と外を合わせる」こと 我々は運動する際、骨とか筋肉を使用します。その際、筋肉で言えば、表層筋と深層筋を使います。ところが、表層筋は外から見えますから、その動きを言葉で伝えるのは易しいわけです。ところが、深層筋の動きを共有するのは非常に難しいわけ
37.「内の現実」を視る―「内視」について 「目だけの経路」を使用する視覚イメージの形成を「目視」とよぶとすると、我々が(「視る」ことは全て「目視」である)と考えると、学習能力についての判断を間違うことになりかねません。 そこで、その「目視」以外の「視る
36.「『現実』を視る」ことと「目を使う」こと 「視覚イメージ」が意識にあがるケースにはいろいろあります。 現に目の前のものを視ること以外にもいろいろあります。その見たものをいったん記憶し、それを再生するケースがあります。また、コトバとか文字を介して生
35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
24.一定期間をかけての遡及学習 できなかったり誤ったりしたことの原因として、特定の事項というより、単元毎とかし小単元毎とか、そういう知識が欠けていることがあります。それは、本来、学校などで学習済みのもので、その知識の欠落がどの程度の規模のものか、本人
23.短期・中期・長期の取り組み 誤りの原因について、大雑把に言えるのは、まず「知識」の問題というのは、比較的短期に対応できるようです。例えば、あることについての理解が間違っていた、それを正しく理解し直す、それをその日の時間内にやる、そういうことが多い
86.整理体系化された知識を準備する必要性 今まで述べたように我々は様々な状況の中で考え行動をする際、その基になる知識を自分の中から引き出して使用するわけです。そうすると、その内部知識の整理体系化がそれに対する準備ということになるわけです。準備がきちん
85.現実を様々な次元で受けとめる我々は、ものを見る時、ふつう、それがそこにそのまま変わらずある「物」として見ます。ところが、例えば、それが林檎であるとて、その林檎を高速度で撮影した映像を早送りで見ると、その林檎はみるみる崩れて消えてなくなります。それは
84.「物」の実体とは? 「コトバ」を介して「物」のイメージが浮かび上がる、そのことを実感すると、その「コトバ」の「意味」するものが、そのイメージを生み出す働きがそこにあるのだというふうに感じられてきます。そうすると、それが、スマホとかパソコンにキーボ
83.検索と連想さて「深層」のメカニズムをさぐる例として、「深層」から「意識」への「想起」を取り上げる研修です。「想起」というのは、「思い起こす」、 つまり「深層」から様々な知識を取り出して「意識」に上げる、その際にその過程を「意識」に上げてたどってみま
82.「深言」ということば三層フローチャートに書き込みをやる、言葉を書き込むわけです。その言葉について、外言と内言という言葉があります。 内言とは、音声を伴わない自分自身のための言語であり、思考時に使用される。 一方、外言とは音声言語であり伝達の機能を果
81.三層間の移行三層フローチャートの書き込みを同じテーマで何人かがやるとします。その時、同じ過程を「行動」と「意識」と「深層」の各欄にどう振り分けるか、人によって違いが出てきます。我々は「意識」と「深層」の間が固定されているように考えがちですが、それは
80.深層に焦点を当てる現在の教育に問題があるなどと言えば、よくある民間による公教育の批判として受け止められるかもしれません。個々の学習過程を、三層フローチャートで分析することをやります。一人一人が書き込むことですから、全て同じにならないのは当然ですが
79. 自・他に「みえる」「みえない」さて、この三層フローチャートをなぜ研修の最初に持ってきたかと言うと、その行動と意識と深層と書き分ける、そのそれぞれについて、大雑把な違いをまず把握することです。「行動」は、自分にも他にも「みえる」。「意識」は、自分
78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも
77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ
76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その
75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事
74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。
73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう
72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から
71.「山は山にあらず」から「山は山」へ。 その意味的凝結体を使用する場合とそれが溶け合って流れる場合では、経験することが違ってきます。我々は、例えば同じものを「見る」とします。そうすると同じ経験をしているというふうに思いがちです。しかし、その「見る」
70.意味的凝結体の溶解 「対話と非対話」では、その分割された名前を持ったもののことを、意味的凝結体と言っています。そして禅の修行はこれを溶かしてしまうことだということで、禅問答もそうですが、座禅についても、「座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して
69.「山は山にあらず」 さて、禅問答の「山は山にあらず」を例に、禅が問題にする言語の意味的分節化について、 説明するとします。ですから、元の本にあるものではありません。 我々は、本来繋がったものごとに意識を焦点化するために「ことば」を使います。このこ
68.ことばの意味による拘束から抜け出す さて、言語による「意味的範疇の枠組みから抜け出す」ということについて、この書では、「山」と言う言葉について、「山は山にあらず」という禅での問答を取り上げています。 ここでは、以前、「能力の受け止め方21」で、「
67.禅の言語観について前回述べたことのあと、更に、禅の言語観として、次のように述べています。禅が内蔵するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第一義的には,一種の認識 パターンである、つまり、本来何の区別もなく、何の線も引かれていない、絶対無