39.内視と想像と妄想 「視覚イメージ」ということについて。 まず、普通にものを目で見る、そのことについて考えてみますと、我々は、当初は、単純にそのものがそこにあり、それを自分たちは「見ている」と思っていたのではないでしょうか。その時は、何人かで同じも
23.「手」が引き出す「はたらき」 前回、「姿勢」が「能力」の「引き出し」の一つだということに触れました。「学習能力」を引き出す指導に当たって、そういうふうに「みえる」ようになれば、という思いだということです。無論、それは、そう簡単ではないでしょう。ただ
22.「姿勢」という「能力」の「引き出し」 「からだ」の持つはたらきについて、いろんな「引き出し」があるということでした。それは、言葉をかえて言うと、「個」の「能力」を身に付けるには、いろいろなアプローチがあるということです。 「姿勢と能力」で言いたい
21.個の中の「はたらき」の「引き出し」はいろいろある 「整体」治療の紹介で、背骨を読むことから入る、ということがよくあるということにふれました。では、直接、背骨を扱うかというと、むしろ、足とか骨盤の調整からはいることが多いということでした。それは、その
20.「足」の反射区と「手」の反射区 「足裏」のところで出てきた「反射区」というのは、リフレクソロジーの用語です。次は、その説明の引用です。 リフレクソロジーとは、訳すると「反射学(はんしゃがく)」。足裏や手のひら、耳など身体の一部分に全身の「反射区(
19.「足」と姿勢 「足」の歪みと「姿勢」の歪みのつながりは、他の箇所の歪みと姿勢のつながりよりは、解りやすいのではないでしょうか。 例えば、片方の足の内くるぶしと外くるぶしの位置の歪みは、内くるぶしが脛骨、外くるぶしが腓骨の先端ですから、その脛骨と腓
18.「足」と「はだしの教育」 さて、主に小学校・幼稚園・保育園で、体を鍛えるために児童・幼児をなるべく裸足で生活させるという「はだしの教育」というのがあります。 そこで、「足」を取り上げてみます。 体全体の「反射区」を映した足裏の図を見ると、例えば
17.「からだ」の全体と部分のつながりを示す図 そこで、その「個」の中での「見えない」つながりです。 実践を基に、これらのつながりを理解することは、解剖学や神経科学・運動科学などの近代科学理論を乗り越えることになるでしょう。 まず、よく知られている、
16.専門家のそれぞれの対応 さて、先のような例で、一応三つの対応を取り上げました。そして、「どれでもうまくいく可能性がある」と述べました。 例えば、こういうケースで心理療法家であれば、家族関係に注目して、本人や父親について、カウンセリングを行
15.「書く力」を阻むもの 「書く力」が、どういうはたらきのつながりによって支えられているか、以前、取り上げた中2の女子生徒の例を取り上げてみます。 中2の女生徒が入塾してきました。母親の話だと、「頑張るけれど、成績が上がらない」とのこと。 数学の「理
14.「書く力」とつながるはたらき さて、「からだ」のはたらきと学習能力というと、普通には、「読み」「書き」「聴く」「話す」に関わる、「目」「口」「耳」「手」が思い浮かびます。 例えば、「手」であれば、単に「書く」能力としてとらえることになり、その「
13.はたらきのつながりを「みる」 「姿勢」は、辞書の定義によると、「構え」です。それは、「からだ」と「こころ」を分けるとすると、その両方です。そこで、解りやすいであろうと思われる、「からだの構え」から入りました。それで、「構え」が固定する、それを「から
12.「姿勢」は「形」だけではない さて、「姿勢」という「ことば」について、少し取り上げます。 その「定義」です。 <1>からだの構えかた。<2> (比喩的に) 物事に対するときの心の持ち方。ゆきかた。 こんなふうになっています。ですから、「からだ構
11.「癖」とはたらき さて、「癖」について、それによる「からだ」のはたらきの偏りがもたらす問題について、まず、動きを例に考えるとします。 例えば、「からだ」を動かそうとする際、右に動く構えをとる「癖」があるとします。ついそうしてしまうのです。 それ
10.「癖」を乗り越える 「癖」という字は、「やまいだれ」に「へき」を書きます。「病(やまい)だれ」ですから、それは「病的なもの」ということで、あまりいいことではないのでしょうから、先に「いい癖」という言い方がある、というのは「ことば」の正しい使い方でない
9.「癖」と「能力」の選択の誤り 「癖」の国語辞典の定義の中に「いつの間にかそうする」ことというのがありますが、人の能力についての問題として、ただ、やれない、できないだけでなく、不必要なこと、もっと言えば反対のことをするということがあります。つまり、人に
8.習慣化した動きによる歪みの固定 様々な原因で「からだ」に歪みが生じる、それが固定化すると、「からだ」の持つ様々な「はたらき」に障りが生じます。それは、人が持つ本来の「能力」が発揮できないということです。そして、その「はたらき」の障りは、つながり影響し
7.ほっておいて治る、ほっておいて悪化する さて、「背骨」の歪みは、生活する中で、例えば、暴飲暴食でも、歩いたり座ったりの運動でも、気象の変化でも、感情の変化によっても、起きます。「背骨」の観察を繰り返すと、「からだ」が日々変化するのがわかります。(東洋
6.逆もあること さて、「背骨」をめぐる「内臓」「神経」「椎骨」「手足」の関係です。 胃腸の例では、胃腸の負担での異常で、「椎骨」が歪むということでした。 しかし、これは逆もあります。「椎骨」が歪むことが、神経を圧迫して、その統制下にある「内臓」のはた
5.実践によって、「からだ」観の違いを超える さて、先ほどの例を基に「姿勢と能力」を考えていくとします。 その例で、出てきたものを挙げてみます。 まず、胃腸、「内臓」です。次に、「脳」、それをつなぐ「神経」、その神経が通る背骨の駅にあたる「椎骨」、そ
4.内臓のはたらきと背骨の変化 「整体」の教室では、互いの背骨に触れることをやります。 背骨と言いましたが、正確に言うと、上から「頸椎」、これが頭部から首にかけて7個、次に、「胸椎」、これが胸部に12個、その下のみぞおちから骨盤の間の腰部に5個の椎骨があ
3.「背骨」で診る「からだ」 さて、心身が調った状態というのは、人の本来の能力が発揮される状態で、健康である状態であるとも考えられますが、そうすると、それが歪んだ状態というと、病気だけでなく、東洋医学でいう「未病」、これは西洋医学で言えば体調不良というこ
2.「態度育成」は「体と心を調える」指導 SSAでの学習指導を、4つの段階にわけて、その第一段階を「態度育成」とよんでいます。 なぜ、「態度」という言葉を選んだのかは、以前説明しましだか、人が何かをやる際、「構え」から入ります。それをただ「姿勢」と
1.姿勢と人間の持つ能力の関り SSAの塾は、生徒が教室に入ると、個々に10分間、瞑目して姿勢を正すということをやります。これを「立腰」と言っているのですが、この「姿勢を正す」ということは、禅とかヨガとか武道、芸道、古来ある学びでは、具体的なやり方は色々
100.師としてできること 人が「生きる」ということは、具体的には「思考」し「行動」することだとして、それをつっこむと、「深層のはたらき」とした見えないものによるとなります。外から見えることは(自分以外の)人も判断できますが、内で起きることは人には見え
「ブログリーダー」を活用して、hsata1さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
39.内視と想像と妄想 「視覚イメージ」ということについて。 まず、普通にものを目で見る、そのことについて考えてみますと、我々は、当初は、単純にそのものがそこにあり、それを自分たちは「見ている」と思っていたのではないでしょうか。その時は、何人かで同じも
38.「内と外を合わせる」こと 我々は運動する際、骨とか筋肉を使用します。その際、筋肉で言えば、表層筋と深層筋を使います。ところが、表層筋は外から見えますから、その動きを言葉で伝えるのは易しいわけです。ところが、深層筋の動きを共有するのは非常に難しいわけ
37.「内の現実」を視る―「内視」について 「目だけの経路」を使用する視覚イメージの形成を「目視」とよぶとすると、我々が(「視る」ことは全て「目視」である)と考えると、学習能力についての判断を間違うことになりかねません。 そこで、その「目視」以外の「視る
36.「『現実』を視る」ことと「目を使う」こと 「視覚イメージ」が意識にあがるケースにはいろいろあります。 現に目の前のものを視ること以外にもいろいろあります。その見たものをいったん記憶し、それを再生するケースがあります。また、コトバとか文字を介して生
35.脳で視ている? 「目で見る」と「目以外で視る」ということについて、触れておきます。 「目で見る」ということを大雑把に言えば、少し突っ込んでみると、「目」が外からの刺激を感覚神経を介して「脳」に伝え、それを基に「脳」が視覚イメージを生み出す、そうい
34. 市民権を持たない能力 教科学習での誤りについて、それを修正することについて考える際、まず、その原因を知ろうということで、その「原因分析」についてとりあげ、「知識」についで、関係器官の「操作」について取り上げる中で、前回、「その能力をいわば市民権のあ
33.理解には様々な感覚が関わる 前回、ミラーニューロンを取り上げたのは、自閉症の例にあるように、我々が「視て解る」「聴いて解る」と思っていることが、実は「目」とか「耳」とかだけによるのではないのですが、普通は、そう考えられていません。例えば、「共感覚
32.ミラーニューロンについて 今まで、「聴く」ということについて、様々な器官が関わるということを取り上げました。 そうすると、その「聴く」に関わる器官とは、「耳」を中心としたいわゆる「聴覚系」とされた器官だけを指し、次にそれを支えるエネルギー系などを
31.様々な器官の動員 「学習法」は、様々な器官を動員し、そのはたらきを統合することで成り立っています。 例として取り上げた「単語学習法」にしても、大雑把に言っても、聴くと見ると話すと書くこと全てのはたらきを統合することになります。それらがバラバラに足
30.「知識」の修正から「操作」の修正へ 修正学習を考える際、それまで身に付けたものの修正をやるとして、まずやるのが「誤り」の原因を突き止めることで、それを「原因分析と」読んでいるわけです。そこで、「レポート学習」では、まず、学習の過程を明らかにし、そ
29.内外の器官の操作 前回での「結び付ける」過程に問題がある場合は、そのためのやり方を指導することになるでしょう。 例えば、発音に問題がある場合、特定の音声について、その発音のための口や舌の使い方を指導する、後は本人がそれができるよう繰り返す、そうい
28.学習法を支える能力と知識 そこで、「学習法」とそれを支える能力について、SSAの単語学習法を例にとり上げるとします。 テープと単語プリントを使い、英語を聞きながら真似をして声に出して言い、同時に目で英文字を見ながら真似をして書く、次に英語を聞きな
27.学習法、通常の学習の中での習熟を目指すか? 「目標指示」は、その時の学習の目標を指示することですが、その前提は、その目標とされる学習の「方法指導」がなされていることが前提です。 例えば、「特定の単元の単語学習」の指示は「単語学習法」の指導が、「和
26.その場での修正にとどめるかどうか。 修正学習について、それを通常の学習を続ける中で行うか、それを一旦おいて遡及学習などに切り替えるかは、その修正を必要とする原因によって判断すべきこととなります。 例えば英語での和訳学習を例にとれば、通常の英語の単
25.その時の目標の選択と修正 生徒が、教室でその時何を学習するかは、行き着くところは、本人が自分で計画を立てその計画に沿ってその日何をやるか決めるというのが目指すところです。生徒が自分で計画を立てられるようになれば、指導する側はそれに助言をすれば良いわ
24.一定期間をかけての遡及学習 できなかったり誤ったりしたことの原因として、特定の事項というより、単元毎とかし小単元毎とか、そういう知識が欠けていることがあります。それは、本来、学校などで学習済みのもので、その知識の欠落がどの程度の規模のものか、本人
23.短期・中期・長期の取り組み 誤りの原因について、大雑把に言えるのは、まず「知識」の問題というのは、比較的短期に対応できるようです。例えば、あることについての理解が間違っていた、それを正しく理解し直す、それをその日の時間内にやる、そういうことが多い
22.原因と能力の結びつき 学習はうまくいかないことの「原因分析」について、「和訳学習」を例に学習の過程を取り上げたわけですが、無論、それだけで、そのまま「修正」につながるわけではありません。 その「過程」を前提とすれば、例えば「和訳学習」での単語の
21.教科学習のプロセス化 修正学習では、「解らない」「出来ない」の原因を明らかにする「原因分析」をやるわけですが、その原因分析の第一歩は「学習の経過」を明らかにすることで、そのために通常の学習の中で、その「学習の経過」のとらえ方を身につけるということで
20.過程の意識化から過程の無意識化へ さて、誤りが既成の学習によってもたらされたものとすれば、まず、その原因を知る必要があります。そのためには、まず、その学習の過程を意識に上げ、それを基に原因を特定し、それを正す学習を考え実行することになります。そして
83.検索と連想さて「深層」のメカニズムをさぐる例として、「深層」から「意識」への「想起」を取り上げる研修です。「想起」というのは、「思い起こす」、 つまり「深層」から様々な知識を取り出して「意識」に上げる、その際にその過程を「意識」に上げてたどってみま
82.「深言」ということば三層フローチャートに書き込みをやる、言葉を書き込むわけです。その言葉について、外言と内言という言葉があります。 内言とは、音声を伴わない自分自身のための言語であり、思考時に使用される。 一方、外言とは音声言語であり伝達の機能を果
81.三層間の移行三層フローチャートの書き込みを同じテーマで何人かがやるとします。その時、同じ過程を「行動」と「意識」と「深層」の各欄にどう振り分けるか、人によって違いが出てきます。我々は「意識」と「深層」の間が固定されているように考えがちですが、それは
80.深層に焦点を当てる現在の教育に問題があるなどと言えば、よくある民間による公教育の批判として受け止められるかもしれません。個々の学習過程を、三層フローチャートで分析することをやります。一人一人が書き込むことですから、全て同じにならないのは当然ですが
79. 自・他に「みえる」「みえない」さて、この三層フローチャートをなぜ研修の最初に持ってきたかと言うと、その行動と意識と深層と書き分ける、そのそれぞれについて、大雑把な違いをまず把握することです。「行動」は、自分にも他にも「みえる」。「意識」は、自分
78.能力の普遍性・共通性・個別性さて、三層フローチャートへの書き込みをして、お互いに披露しあう中で、同じ「コトバ」の意味の形成一つをとっても、ある人と別の人では違いがあることは解ります。そこで、個々の持つ様々な能力について、一人一人が違うということも
77.コトバと意味の結びつきに気づく そこで、その「音声」とか「文字」を意識すると、それが指すもののイメージが浮かび上がってくる、逆に、あるいは何かを思い浮かべると、それを指す「音声」とか「文字」が浮かび上がってくるということを経験することで、「コトバ
76.「深層」の存在にあらためて考える 次いで、「三層フローチャート」を使用しての研修に移ります。 そこで、何を書き込むかは、予め用意したテーマで、それぞれが書き込むこともあれば、それぞれが自分の経験したことを書き込むこともあります。 そこで、その
75.「意識」「深層」「行動」の意味の共有 研修では、まず、そのあたまの中で何かが浮かんだり、消えたりすることを、それぞれが経験できるか確かめ、それを「意識」とするとします。それを「意識」とするというのは、ここでの取り決めで、他の人々が何と呼ぶかは別の事
74.自分に由ること さて、「自灯明」とか、その前にでてきた「格物致知」とか、そういうことについて、人に教えてもらう、しかし、それは「他者に頼る」ことになる、「事物に即して知ること」にはならない、それこそ、「自灯明」とか「格物致知」が否定したことです。
73.ことばを生かすのは自分がやること 我々は、自分で考え、それを基に行動します。そして、考えたことを人に伝えます。その際、その考えるにも、人にそれを説明するにも、ことばを使うわけです。その「ことばを使う」という「自分がやること」について、それがどういう
72.「分別智」と「無分別智」など 前回述べた弟子の中の「山」の変化については、「ことば」の意味の在り方を左右する意識構造の在り方として取り上げましたが、これについては、仏教では「分別智」と「無分別智」という言葉で説明したりすることもあります。 外から
71.「山は山にあらず」から「山は山」へ。 その意味的凝結体を使用する場合とそれが溶け合って流れる場合では、経験することが違ってきます。我々は、例えば同じものを「見る」とします。そうすると同じ経験をしているというふうに思いがちです。しかし、その「見る」
70.意味的凝結体の溶解 「対話と非対話」では、その分割された名前を持ったもののことを、意味的凝結体と言っています。そして禅の修行はこれを溶かしてしまうことだということで、禅問答もそうですが、座禅についても、「座禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して
69.「山は山にあらず」 さて、禅問答の「山は山にあらず」を例に、禅が問題にする言語の意味的分節化について、 説明するとします。ですから、元の本にあるものではありません。 我々は、本来繋がったものごとに意識を焦点化するために「ことば」を使います。このこ
68.ことばの意味による拘束から抜け出す さて、言語による「意味的範疇の枠組みから抜け出す」ということについて、この書では、「山」と言う言葉について、「山は山にあらず」という禅での問答を取り上げています。 ここでは、以前、「能力の受け止め方21」で、「
67.禅の言語観について前回述べたことのあと、更に、禅の言語観として、次のように述べています。禅が内蔵するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第一義的には,一種の認識 パターンである、つまり、本来何の区別もなく、何の線も引かれていない、絶対無
66.言語を使うことによる自由の喪失さて、「喋りすぎること」の何が問題か、次のように続きます。 禅の立場からして一番大切なのは、人間がただやたらに喋りたがる性質を持っている点にあるのではなくて、喋ること、言語を使うことによって知らず知らずのうちにその言
65.人間は「喋りすぎる」?さて、ここまで井筒俊彦氏の著作といってきましたが、それは「意識と本質」の中にある「対話と非対話」という文章です。これには、「禅問答についての一考察」という副題がついています。その、禅問答を取り上げる前に、現代の言語理論が「対話
64.日英の「文法」の違い 「和文英訳」の学習です。最初にやる「日本文」の「論理化」については、先に取り上げました。 その後は、その「論理化された文」を「句切り」、それを「句順変換」して、「中間日本語」化します。これは、「和訳」でやったことの逆操作ですが